お盆明けの図書館。

ああ…また読まずに何冊か返してしまった。
ワタシとしては大変に悔しいが、どうしても時間がとれなかったので
仕方ない。
こーゆーダラダラと忙しい生活をなんとか改善して、やっぱり
大好きな読書の時間をこれからはちゃんととりたいな…
(希望的観測)
本当は、発行を始めたメルマガにも、ちょびっと読書メモなんぞ
載せようかと思ってもみたけれど、今旬の本を読んでいないから
あかんわなあ…。
というわけで、今回誘惑に負けて借りた本は以下のとおり。

「悲しいとき」←本出てたのね。(遅いってか)
「平安楽土の殺人」←氷室先生に逢う!
「捩れ屋敷の利鈍」←犀川先生に逢いたかった…なんで出ないの?
「らせん階段」←女性作家アンソロジーにこってる。
「天国の本屋」←今頃、やっと見つけた!
「ブッタとシッタカブッタ」←これもやっと見つけた
「ゲームの名は誘拐」←タッチの差で「手紙」を奪われてしまったっ。
2003年08月20日(水)
★森博嗣。『議論の余地しかない』

久しぶりの森さん。実は、犀川先生があまりにもキョーレツすぎて
ぼーっとなってしまい、次々とシリーズを買い漁っていた反動が、
Vシリーズの拒絶反応になってしまったようで(苦笑)。
「黒猫の三角」からずっと、先に進めないでいる。
そのへんは少し語りたかったりするのだが、本題とは関係ないから
次にしよう。

この作品は、不思議な本だ。
今までの森作品の中の「名語録」とでも言おうか。
しかも、その名語録に、森氏自ら解説と写真をつけていて、
写真だけの目次には写真だけのタイトルもあったりする。
もともと、森作品に惹かれたのは、その「語録」の不思議さだ。
フツーの人の言葉とはちょっと次元が違う。うまく表現できない
けれども、「これが理系の人の考え方なのか?」と思った。
哲学を理系でアプローチしたら、こんな風になるのかな、と。
うん、理系の詩人という感じかなあ。
そして、その言葉たちは超文系の私にとっては斬新で、
とても魅力的だったのだ。

なんか一所懸命読んでた頃が懐かしい。また借りてこようかな?
2003年08月11日(月)
★菅浩江。『アイ・アム I am』

舞台は近未来。主人公はなんと介護ロボットだ。
時折海底の砂のように舞い上がる記憶の断片を探して、主人公は
自分探しを続ける。

生きていくことの現実を突きつけられるのは、やはり「病気」
を身近に感じるときだ。
なんだかんだ言っても、私たちは自分の頭で物を考え、自分の足で
歩き、自分の目でものを見る。
だがたとえば障害を持ったとき、いかに自分を生きるか?
命の残りがわずかとわかったとき、どのように過ごすのか?
そんな現実を見るたびに、自分の心構えの甘さを思い知る。

つらかった。彼のことを思い出す。
主人公ミキは自分の記憶の彼方にたどり着くが、彼がそうできるとは
思えない。なぜなら…いや、やめておこう。
それを今考えることは無意味だ。
回りが勝手に何を定義づけたとしても、本当の気持ちは本人にしか
わからないのだから。

途中から筋は割れたけれど、それを優しくカバーする主人公の
回帰が心地よく話をまとめる。
2003年08月10日(日)
By ちゃいむ

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