詩的エッセイ、つづっています。...笑 満ちる

 

 

感動的なサマンサ - 2008年05月20日(火)

今、ちょうど読んでいる本で、
お金に対する扱い方が書かれていました。

お気に入りのお財布を使うこと、という項目があり、
気に入っていないものを使っていると、
無意識にもどこかケチをつけているような感じになり、
中身のお札も落ち着いてそこにいられずに出ていってしまう。

かたやお気に入りのものを使っていると、
お札も居心地のよさを感じて
仲間のお札を連れてきてくれる、
というのです。

・・・なかなか面白いでしょ☆

お金には、自分のかもしだしている波動やエネルギーが
わかりやすく反映していると知り、
私も自分の日常的な振る舞いを見直すことにしました。

物を大切に扱うこと。
丁寧な身のこなし。

どこか、忘れかけていました

そうして本当にまもなく、素敵なお財布をゲット!

豊かなイメージとともに、自分に縁のあるアイテムに出会えた実感があります。

以前エッセイで取り上げたことのある、サマンサタバサのお財布です。
社長の人柄に惹かれ、人気の秘密を感じていたのですが、
今まで全く縁がありませんでした。

ショップの店員さんも笑顔がまぶしく、
何やら愛のある友好的な雰囲気の中で気持ちよく買い物ができました。

こんなに気分よく支払いをしたことってあったかな?

たった一つのお財布を買うだけですが、
思いがけず本当に素晴らしい気分です。


・・・物には持つ人の生命が注がれる。

そう意識するだけで、自分の身のまわりに光の輪が現れるようです!

有り難うございます!


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結局、一人になったときに何をしているかによって、決まる。 - 2008年05月14日(水)

友だちから借りた本に、すごいこと書いてあった。

その抜粋を、シェアします。

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自分は、なぜ代わりのきく仕事で終わっているのか。
なぜ自分はどんな職業についても一生、
肉体労働者※なのか?
稼げる人間はどんな職業についてもなぜ稼げるのか。

その違いは、何でもうろ覚えで済ませる人間と、
びしっと暗記できる人間の二つに分かれている、ということ・・・

※ここでいう、肉体労働者、とは、
他の人でもその仕事ができる人、という意味。
例えばイチローや松井は、肉体勝負の仕事だが、
代わりがきかない分、「頭脳労働者」としてこの本では区別している。
彼らは、ひとつひとつの動作が徹底されていて、
ちょっとやそっとでうろ覚えでは真似できない洗練がある。

それが、ポイント。)

学校や塾では、「ここは覚えなさい」ということを指摘してくれます。
しかし、指摘してくれたからといって覚えられるわけではありません。

結局、一人になったときに何をしているかによって、決まる。
「ああ、わかった、わかったからもういいや」で済ませているから、
何となく肉体労働者で一生を終わる、という。

しかし、「頭脳労働者」になる人間は、
完全に空でいえるまで暗記し、
人に教えられるまで物事を身につけている。

その違いは、とてつもなく大きいものです。
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耳が痛い。いや、マジで。

ある時期の自分をふりかえりました。

ここ数年で知り合った方からすると驚かれるのですが、
私は、十代からエレキギター弾いていました。
しかもプロ目指して、毎日何時間もやってました。

専門的な勉強もして、ベテランに師事した上、留学までして、
帰国後には多少、人に手ほどきができるくらいになって、
曲かいて、演奏して。。。

でも、一人になった時にしていることの濃度は、
塾にも行かず、問題集を広げては、
間違えたら同じ問題を徹底してやり直し、
紙がやぶけるまで消しゴムで消しながら勉強していた
中学時代の勉強の方が濃かったかも。
当時、私はほぼ、100点を連取していましたし、
やることやってる感を満喫して、やればできる、と自信がありました。


その後、20歳をすぎて私は好きな人ができ、
その人は生粋のギタリストでした。

彼は、ものすごく練習する人でした。
彼は、ギターを5歳の頃からやっていて、
朝起きるとすぐにwarming upを始めるような人でした。

彼は、壁に練習メニューを貼り出して、
毎日毎日同じことを繰り返し、
少しずつ少しずつ、マスターしていました。

彼がそばにいると、私も一緒になって
競うようにして練習していました。

毎日1曲、覚えるつもりでジャズの曲をやったり、
フレーズ覚えたり、している「つもり」でした。

彼は、何から何までやり方を教えてくれました。
さすがに目的意識をもって20年以上練習してきているので、
どんな順番で何をどのくらい練習したらどうなるか、
わかって練習しているのです。

だから、そのやり方にそって自分と同じことをすれば、
自分が身につけたことくらいは誰でもできる!
とよく言っていました。

それはそれは本当に、よく練習する人でした。

でも、かたや私は一人になると、
何か別の楽しいことをみつけては、
ギターを放って遊んでいました。

遊んでいる、というか、
他にやりたいことや、
やるべきだと信じていることがたくさんあったのです。
(それは人に手紙を書く事だったり、ビタミンについて本読んだり、
 料理したり、お菓子つくったり、電話したり、新聞に赤線引っ張ったり、
 日記帳つけたり、詩を書いたり、映画みたり、
 宗教的な活動にいそしんだりと、それこそいろいろで、
 その一つ一つが今の私をつくっている、とも言えるのですが!)

そして、彼が帰ってくる音(ガレージに車を寄せる音)がすると、
それまでやっていたあれやこれやをあわてて投出し、
まるで何事もなかったように、ギターを練習する「ふり」をしていました。

その後、彼とはお別れすることになりました。

そうしてあれから10年以上がたちました。

彼のその後の活躍ぶりをみていると、いよいよ評価され、
おそらく、代わりのきかない存在になっていました。
海外の雑誌にもオリジナルアルバムがレビューされたり、
真似のできないレベルのライブを繰り広げているようです。

一方、私は今ではギターを投げ出してしまいました。

私のギターへの情熱って、何だったんだろう?って思いました。

別に、詩を書いたり、手紙書いたりするのが悪いってわけじゃないけど、
ギタリストを目指す、という観点からみると、
いわゆる「暗記」から逃げていた。
つまり、曲を覚えたり、フレーズを繰り返し、
繰り返し弾いて身につけたりすることに
向き合わずに逃げていたのは確かだと思う。

その単純な繰り返しに耐えられなかったんだ。

そうして「肉体労働者」、つまり、
代わりのきく人間から抜け出し、
唯一無二の「頭脳労働者」的ギタリストには、
決してなれなかった、っていう結果です。


昔話はこのくらいにしますが、
実はそんな過去があったので、
余計に、冒頭の本に書かれたことは
やけにリアルに響きました。


さて。

今、ここからできること、考えてみよう。
それは、今携わっていることに、とことん精通すること。


ごく単純な作業の中に、やがて魂が宿るのだから。


「豊かな人生の実現」久保雅文著





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