人生を、明るく照らすもの。 - 2004年08月18日(水) 夜間コースで勉強を始めて早、2年半。 この間、私の人生は長足な向上をみせている。 今夜学んだ中で、思いがけずすばらしい気づきがあった。 本を読んだり話をきいたりして、 何かきいたことのないような、 信じられないようなことが書かれていて その先を進んで読み続けることが困難になったとき、 どうしたらよいか? ということ。 これは、自分と全く異なる信条を耳にしたとき、 受け入れがたい、と思うような情報を目にしたとき、 すかさず使えるなぁ、と思った。 つまり、まずは、何について語られているのか、 誤解がないように、しっかりと調べること。 それから、信じられないように思えた情報が、 当てはまらないたとえをいくつか挙げてみる。 それから、当てはまる例をみつけてみる。 それでもだめなら、そこに、癇に障るような何かが潜んでいるかもしれないぞ、 と、よく検討して、自分の知っている誰かや 社会で、そこにある状態を示しているものがあるのか、ないのか、 よ〜くみてみる。 すると、バァ〜ンッ!!! みるみると、「あ〜、そういうことが言いたいのね!」と、 晴れてすっきりと理解できるのだ。 これがわかっただけでも、さらに人生明るくなったなぁ。 単に、理解しがたい情報を前に、 「ありえない!」「わからん!」と投げやりになり、 反応的に不快にさせられて (自分の感情を選び取るのもホントは自分自身なんだが)、 妙に敵対的になるのを防ぐばかりか、 『あなたは』本当にそう思うのよね! となにげなくサラリと示すだけで、 もしそれが破壊的な意見なら、 その人自身がハッとわれに返って、 「あ”〜、今のやっぱ違うよねー;」 な〜んて、急に意見撤回を求めてきたり(!)と、 なかなか愉快だ。 - それが、誰に向けられているのか? - 2004年08月16日(月) あるとき、人と向かって話していて、 その人がちょっと席をはずしたすきに、 彼の残していった紙の束に目がいった。 そこに書かれた内容をうっかり読んでしまって、 なぜだか不愉快な気持ちになった。 メッセージとは、 発信者と受信者がいて、はじめてメッセージ。 そこには、その紙面にはかかれていない、 前提になることがあるだろう。 それを知らずにただ断片的に情報を受け取ってしまうと、 大きな思い違いをするなぁ。 それが、誰に向けられているのか? これは、案外、深いテーマだ。 - 夫婦、というチーム。 - 2004年08月15日(日) 8月2日に結婚式をあげました。 それはカリブの船上での、特別なものでした。 やっぱり、式をあげるといいね。 聖職者が式を進める間、 りりしく横にたつだんなさまを知覚して、 背筋が伸びる思いがした。 そして、涙が頬を伝った。 集まってくれた方にもありがとう。 私は結婚、というものを大きく誤解していました。 それは、自動的にうまくいくような「システム」なんかではなく、 互いに隠し立てなく正直になり、 瞬間瞬間に持続する願いを創造することのようです。 一人ではできないことを、 ふたりならやるだろう。 それは、グループの最小単位の2人組みのチーム。 仕事をあまりに長く休んだ彼は、 休んだ分の埋め合わせに私を呼び出した。 そしておとといは、 ふたりで朝の4時まで一緒に階段の手すりにペンキを塗り、 床を掃除をして、ワックスかけて、 それはそれは楽しかった〜! グループ、ということを、最近常に考えている。 -
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