「静かな大地」を遠く離れて
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2002年08月31日(土) 夏休みの宿題

僕には夏休みというのはなかったけれど。人生ずっと夏休みだ、という説もある(^^;
人生の大事な一時期を『静かな大地』と併走することができたことを感謝したい。
去年の6月に書き始めた「『静かな大地』を遠く離れて」も、存在意義を失う。
ラストは『熊から王へ』ばりの神話的次元の挿話で終わった。
そして大ラスの今日のくだりは、ある意味『骨は珊瑚、眼は真珠』や
『マリコ/マリキータ』所収の「最後の一羽」「北への旅」「帰ってきた男」
あたりの短編群と透かし合わせてみると、案外と御大らしいのかもしれない。
その線ならば、「現実」に射し返す角度も可視化されようというものだ。
個人的には由良が少女時代に見たハレー彗星の叙述がないのは納得いかない(笑)

ともあれ、いろんなことがあった一年あまり。終了直前には“遠別”にも行った。
去年の夏、休暇で『武揚伝』を抱えてオランダへ行ったのも印象深い。
もうすぐ仕事に一区切りついて、また旅に出かけようと計画している。
行き先の天啓が、先日やっと降りてきたところ。
ある意味、ニューイングランド、オランダと「遡行」して来たテーマと、
1999のギリシアの体感との間に橋を架けようとする試みである。
旅はいつも、たとえ表層的には観光旅行でも、自分と世界の間に梯子をかけよう
とするギリギリの行為だ。今回ももちろん、「ここしかない!」という場所♪

御大も『パレオマニア』の取材も再開されているようである。
Cafe impalaで写真つきの報告を読むことができる。
僕も青いビルケンシュトックを履いて、どこまでも歩いていこうか。

連載が始まる前に↓こんなリストをつくったけれど、その増補をしておこう。
http://www.enpitu.ne.jp/usr2/bin/day?id=25026&pg=20010610
未読のものも含むけれど、自分の書いてきた日録のサブタイトルなんかより
これらの書名を並べたほうが、この頁の雰囲気を想起するには有用だろう。

■『静かな大地』を読むための100冊に加えてのリスト
101 佐々木譲『武揚伝』(新潮社)
102 磯貝日月『ヌナブト』(清水弘文堂書房)
103 姉崎等『クマにあったらどうするか』(木楽舎)
104 篠田節子『弥勒』(講談社文庫)
105 ジョン・W・ダワー『容赦なき戦争』(平凡社ライブラリー)
106 切通理作『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)
107 中沢新一『人類最古の哲学 カイエ・ソバージュ1』(講談社選書メチエ)
108 中沢新一『熊から王へ カイエ・ソバージュ2』(講談社選書メチエ)
109 梨木香歩『からくりからくさ』(新潮文庫)
110 佐々木譲『黒頭巾旋風録』(新潮社)
111 巽孝之『リンカーンの世紀』(青土社)
112 奥出直人『アメリカン・ポップ・エステティクス』(青土社)
113 川端裕人『緑のマンハッタン』(文藝春秋)
114 枝廣淳子『エコ・ネットワーキング!』(海象社)
115 辻邦生『銀杏散りやまず』(新潮文庫)
116 辻邦生『樹の声海の声』(朝日文庫)
117 高村薫『晴子情歌』(講談社)
118 吉田司『宮澤賢治殺人事件』(文春文庫)
119 澤井繁男『ルネサンス』(岩波ジュニア新書)
120 日野啓三『ユーラシアの風景』(ユーラシア旅行社出版部)
121 芳地隆之『ハルビン学院と満州国』(新潮選書)
122 長山靖生『偽史冒険世界』(ちくま文庫)
123 西成彦『森のゲリラ宮澤賢治』(岩波書店)
124 松浦武四郎『アイヌ人物誌』(平凡社ライブラリー)
125 池澤夏樹『新世紀へようこそ』(光文社)

題:425話 遠別を去る25
画:チョコレート
話:伯父のことを最も知ってほしいのはアイヌのみなさんだから

題:426話 遠別を去る26
画:ラスク
話:意味を枉げないためにわたしもそのまま記してみようか

題:427話 遠別を去る27
画:キャンディ
話:勇ましいことを言いながら、その実、事態は泥沼にはまっている

題:428話 遠別を去る28
画:アサヒ豆
話:滅びゆく民、という言葉がわたしは嫌いだ

題:429話 栄える遠別29
画:バター飴
話:世の中はそれほどまっすぐにはできていないと人は言う

題:430話 遠別を去る30
画:ハッカ飴
話:本来ならば狩りをする者は獲物の魂を手厚く神の国に送る

題:431話 遠別を去る31
画:羊羹
話:熊に対してこんな思いが湧くとはおかしいと思った

題:432話 遠別を去る32
画:蕎麦ぼうろ
話:身体は丸っこくなり、顔も変わって鼻面が伸び、少年は熊になった

題:433話 遠別を去る33
画:粟おこし
話:寂しさは積もって悲しみになり、悲しみは積もって絶望になった

題:434話 遠別を去る34
画:ポン菓子
話:誰もいない何もない山に風が吹くばかり


2002年08月21日(水) 熊から怨霊へ

秋風が立ったようだ。先週から夜のひとときを屋上でラジオを聴いて過ごしているのだが、
音のない雷が雲の輪郭を照らし出したり、不思議な空模様の日がつづいてショーの様相を
呈している。そういえば最初の日はペルセウス座流星群の極大日だった。曇り空だったし、
流星が見えることもあるまいと思っていたら、閃光弾のような禍々しい光が、鋭い角度で
一つ空を切り裂いた。怖かった。やはり流星や彗星の類は、おそるべき凶兆と受け取って、
極大日などには室内で物忌みするというのが、伝統文化に根ざした正しい過ごし方かと♪

以前も幕末の孝明天皇と本邦史上最強の怨霊・崇徳上皇の話の時に、そんなことを書いた。
況や丑三つ時に連れ立って流星見物に出かけるなどは、鬼の所業に等しいと言えよう(笑)
ま、屋上でアイスクリームを食べつつ鬼の所業というのはなかなかに愉しいものではある。
ともあれ、1910年のハレー彗星を待ちながら、日々「静かな大地」を読み継いでいる。

本編は、黒澤明「生きる」の宗形三郎版めいた展開になっている。それだけ直接叙述では
扱いえないテーマなわけだが、ここはひとつ蝦夷が島の快男児が登場する佐々木譲先生の
新刊のお知らせをしておこう。『武揚伝』刊行から一年、その前史となる時代の話らしい。
時代小説の新刊コーナーで見つけて即購入。純粋に読むのが楽しみな新刊は意外と貴重だ。

■佐々木譲『黒頭巾旋風録』(新潮社)
(帯より引用)
 時は天保、松前藩が支配する蝦夷地では、仁を忘れた武士や、利に溺れる商人が、
 民を苦しめていた。森に大河に、血涙が流れる。ひとがひとを貪り苦しめること、
 断じて許さぬ!
 男は、ついに起ち上がった。駿馬を駆り、悪党を懲らしめ、風のように去ってゆく。
 覆面に隠されたその素顔は…。
 痛快時代小説、見参。
(引用終わり)

 ご自身のHP「佐々木譲資料館」より、ご本人の弁を引用させていただきます(^^)

> 『黒頭巾旋風録』、見本刷りがあがりました。22日ころには、店頭に並ぶはずです。
> 『赤旗日曜版』という、ファミリー向け媒体に連載したこともあって、
> 「バイオレンスなし」「セックスなし」という制約下の作品。
> それでいて冒険活劇。むかしなつかし紙芝居をイメージして書いたものです。
> 舞台が同じだからといって、船戸与一『蝦夷地別件』とは較べないでください。
 
ふむ。確かに『蝦夷地別件』は、ワイドスクリーンな史劇で読み応えのある力作だった。
でも没頭しすぎて最後が結構つらかった(^^; 『武揚伝』の読後感も切なかったけれど、
『蝦夷地別件』ほどニヒリズム的な気分ではなく、明るいポジティブな感覚も残った。
なんだろう、船戸氏の読後からは、もはやテロルにでも走るしかない、とでもいうような
覇権国家への呪詛めいたものを感じる。国家への呪詛というと、『武揚伝』つながりで、
孝明天皇話、個人的趣味としてはそこからさらに崇徳上皇話へという流れを描いてしまう。

“近代国家としての明治”というのは幻想で、蝦夷共和国を潰した明治覇権国家こそは、
怨霊を祀る呪術国家だったのだし。いつか突かねばならない日本史の“急所”であろう。
そのまま「大東亜」戦争末期の狂騒にまで流れ込んだ、というのは無理のない理解かも。
むしろ本邦のモダーンは、津軽海峡を隔てて、箱館の蝦夷共和国の側にこそ在ったのだ。

ちょっと参考になりそうな、荒俣宏御大の盟友による新刊が出たのでご紹介しておこう。

■田中聡『妖怪と怨霊の日本史』(集英社新書)
(「第九章 末法の魅惑」より引用)
 明治維新からも怨霊が生み出されたのだ。そのこととの関連は定かではないが、慶応四年、
 京都白峯社の建立は再開され、八月二十六日、讃岐の白峰社で奉迎の神霊式が行われた。
 王政復古は前年十二月にすでに宣言されていたが、この年一月の鳥羽伏見の戦いから戊辰
 戦争が始まり、五月三日には奥羽列藩同盟が結成され、八月十九日には榎本武揚が艦船
 八隻を率いて箱館へ向かっている。崇徳神霊の奉迎の式が行われていた二十六日には、
 会津若松城を新政府軍が包囲中で、趨勢はいまだ決していなかった。
(引用終わり)

まもなく8月26日、崇徳天皇その人の命日である。讃岐の白峰にも、京都の白峯神宮にも
行ったことがある。いいかげん積年の宿題である、辻邦生『西行花伝』も読まねばならない。
『帝都物語』の世界になるが、「国家」と「魔」的な力を結ぶ“秘術”を侮ってはならない。
現在の世界に関して、ほとんどそれ以外に考えるべきことはないのではないか、と思わせる
ような深度を持つ中沢新一の『カイエ・ソバージュ』の第二弾を、最近ようやく読み終えた。

■中沢新一『熊から王へ カイエ・ソバージュ2』(講談社選書メチエ)
(「はじめに」より引用)
 おりしも世間では、「文明」と「野蛮」の対立をめぐって、さまざまな議論が戦わされて
 いるが、このような概念の使用法そのものに、この本は異議を唱えようとしている。話題
 に登場するのが、熊や山羊やシャチのことだからといって、私が現実への「不参加」を
 きめこんでいるなどと、誤解しないでいただきたい。ただ少しばかりの想像力を働かせ
 さえすれば、毎回の講義が、リアルタイムで進行中の歴史との、張りつめた緊張関係を
 保ちながら進められていることが、おわかりいただけると思う。
(引用終わり)

なにせ「熊から王へ」である。『旅をした人』にまとめられた文章を読み耽っていたころ、
いやもっと前、『母なる自然のおっぱい』所収の「狩猟民の心」を精神安定剤のようにして
ヒグマのいる北海道に暮らす日常をどうにかやり過ごしていたころから、長い間ずっと心に
懸かっていた難儀かつ微妙な問題を、中沢氏がこの一冊で概ね“絵解き”してくれたのだ。
『哲学の東北』で宮澤賢治に異次元の角度から光を当てたように、これも鮮やかな仕事だ。
『クマに会ったらどうするか』と併せて『静かな大地』読者の副読本としても必須である。


題:413話 遠別を去る13
画:サブレ
話:あれはやはり兄の亡霊から逃れる思いに駆られたからではないかと思うのだ

題:414話 遠別を去る14
画:落雁
話:最初から持って生まれる力は決まっているのかしら

題:415話 遠別を去る15
画:あられ
話:舞台を去るきっかけを待っている役者のようだった

題:416話 遠別を去る16
画:いもけんぴ
話:鉄砲を自分に向ける理由は別にあったと思う

題:417話 遠別を去る17
画:ふきよせ
話:この子は兄を源義経か何かのように思っているんですのよ

題:418話 遠別を去る18
画:ピーナツせんべい
話:あの男が困惑する顔を初めて見た

題:419話 遠別を去る19
画:チェリービーンズ
話:裏切りと謀反、まさにその通りだよ、と言ってあの男はふと笑った

題:420話 遠別を去る20
画:きな粉飴
話:アイヌと和人の間に立つなどということはあり得ないのだよ

題:421話 遠別を去る21
画:マシュマロ
話:もうアイヌの側に立つしかない、半端なことではいけない

題:422話 遠別を去る22
画:チューイングガム
話:獅子に向かって草を食えというようなもの

題:423話 遠別を去る23
画:ビスケット
話:明治だからさ

題:424話 遠別を去る24
画:水飴
話:書く合間にも、曖昧な、おぼろげなものが指の間からすり抜ける


2002年08月08日(木) 8月8日の青空

日本の8月は、生よりも死に近い季節だ。植物が繁茂の極みを迎える真夏なのに、
激しい太陽光線が、世界を白くとばして、露出過剰の写真のように灼けつかせる。

昭和の記憶が三日おきによみがえってくる、 レクイエムが絶えることない8月。
ヒロシマ、ナガサキ、御巣鷹山…。そして敗戦の15日は、まさに生者と死者が
交感する盆の儀礼の日だ。夏の甲子園さえも、何故か白い死のイメージに重なる。

6年前の8月、生と死の境を近く感じさせる痛切な出来事が、もうひとつ増えた。
8月8日。この日付は、宗形三郎その人の誕生日でもある。オシアンクルの心に
呼びかける声は、未来圏から吹く風に乗って、過去と未来、生と死を繋いでいる。

朝早くから夜中まで空調の中に居て、昨日と今日、どちらが暑いのかわからない
ような暮らしをしていても今朝自転車に乗って仰いだ澄み切った空は嘘ではない。
きっと“永遠が見えてしまいそうな…”とは、ああいう空のことをいうのだろう。


題:402話 遠別を去る2
画:かりんとう
話:たぶん母上は怒ることで悲嘆を先へ延ばされたのだと思う

題:403話 遠別を去る3
画:金太郎飴
話:形ばかりとは言え雪乃はわしらの養女、娘も同然の子であった

題:404話 遠別を去る4 
画:クラッカー
話:今の世の中はアイヌにとってきつすぎるわ

《あらすじ》由良は父親の志郎から聞いた叔父三郎の物語をほぼ書きあげる。 
 ――宗形牧場の繁栄に目をつけた実力者の申し入れを三郎が断ったあと、
 馬房の不審火でシトナが死んだ。アイヌの人々のために牧場を守った三郎は
 衝撃をうけ、出産で亡くなった妻の後を追って自殺した。

題:405話 遠別を去る5 
画:キャラメル
話:同じ風の中に幼い二人を立たしめてよいものかどうか

題:406話 遠別を去る6 
画:せんべい
話:だいたいが宗形牧場は兄のものであって兄のものでなかった

題:407話 遠別を去る7 
画:おかき
話:おまえが生まれたのはそういう年であった

題:408話 遠別を去る8
画:卵ぼうろ
話:覇気がないということは、広い牧場全体に目が届かないということだ

題:409話 遠別を去る9
画:ドロップ
話:チコロトイはばらばらになってしまった

題:410話 遠別を去る10
画:ラムネ
話:重い石が坂道を転がるようなものだ

題:411話 遠別を去る11
画:乾パン
話:静内の者が言わなければ軍がそれを知るはずがない

題:412話 遠別を去る12
画:素昆布
話:俺は三郎が好きだが、死んでからの三郎は少しうるさい


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