新世紀余話
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2003年04月27日(日) |
棄権もまた、投票なり |
今日は、地方選挙の投票日。 もっとも、選挙権を行使したことは、これまでに一度もない。 票を入れたくなる候補者というのが、地元では見つからぬままなのだ。
わかってる。棄権しても責任から免れるわけじゃないってことは。 地元の代議士が不祥事をしでかした場合、そんな野郎を選出した地域の住民としての咎は受け入れよう。 それが民主主義社会のルールだ。
本当の話、この腐った町からどんな悪事が明るみに出たって、いまさら驚きはしない。
米英軍はイラク全土を掌握した。 ヒトゲノムの解読が完了した。 なにかが一段落した気がする。
バクダッドはまもなく、陥落する。 今回の戦争は、旧世紀の民族主義を新世紀の電子計算力が圧倒し、駆逐してしまった戦いだろう。 それは、戦力の差というものにおいて、ドイツのポーランド作戦よりも十九世紀末のオムダーマンの戦いに近い様相をさらすこととなった。 ブッシュの強引さが各方面からかまびすしく非難される現状だが、米国はまぎれもなく、グローバリゼーションを代表し、イラク攻撃を遂行している。 ほとんど一国による行動であり、なおかつ国連という多国家の寄り合いとも袂を分かちながら、人類の新しい価値観によって足場を支えられたものなのだ。
たしかに「歴史は勝者によってつくられ」はするが、時は適性を備えた者だけを勝者に選ぶという、ずっと大きな真理を見落としてはならない。 時は今度も、アメリカを利便にかなった道具として用いたのである。
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