新世紀余話
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一九六十年代末、徒党を組んで行進し、「大人たち」に抗議する「子供たち」は、本物の子供でも見抜けるような、こじつけとしか思えぬ大義名分をがなり立てていた。
要するに、学生活動家のほとんどは、暮らしに窮したのでもなければ、圧政による迫害を被ったのでもなく、ただ腹ごなしのため機動隊を相手にゲバ棒を振りまわしていたのである。 それはまさにブームとなった現象だが、今の時代の「愛国青年」が「自虐史観」を攻撃する構図となんとよく似ていることだろう。
彼らには、それぞれにバイブルを見出せる。 安保闘争の頃の「戦争を知らない子供たち」と前世紀末の「戦争論」。
どちらも、世の中を知らない未熟者が勝手なことばかり書きまくった本にほかならず(だから、おなじような連中から受けた)、その時代の愚かしさが濃縮されたものという点で、双子のようによく似た二冊。
二人の著者は、本以外のことではけっこう社会に得をもたらしたが、本が原動力となって社会を変えるまでにはいたらなかった。 結局、北山修が数曲の美しいメロディーを残したように、小林よしのりは何人かの可愛いキャラクター(あの実物とぜんぜん違う自画像のことじゃないよ)を提供するだけで終わりとなるに違いない。
そして、「ゴーマニスト」らの極端ぶりと関わりなく、時代はバランスを保ちながら流れていき、やがて後続の世代から、若い頃のおこないについて審判を言い渡されることとなる。
「なんで、あんな馬鹿なこと言い張ってたの、お父さん?」
フランスでもイギリスでも、極右政党が政権を掌握しようと勢いこんでいる。 新世紀にもなって、右翼が時代錯誤な妄言をわめき立てるのが日本ばかりじゃなかったとは驚きだ。
それにしても。この動きを世界的な潮流と勘違いし、日本でも右翼の時代が復活だ、と言いだす馬鹿が出たりしないか気がかりでならない。 日本の国家主義者は、攘夷論調の口振りにもかかわらず、西欧人の真似ならなんでもやってきたし、西欧で成功した先例があるものは、疑うこともせず自分の国でも成功させようとするからだ。
そうやって日本人は過去に一度、国を滅ぼしている。 一九四十年代、ファシズムが地上を席捲すると誤認してしまい、ヒトラーやムッソリーニと組み、大英帝国やフランス帝国のような巨大な縄張りを同じアジアにあらしめようとすることで。
まあ、状況を見守ることにしよう。 フランスでの国民投票は五月五日。 大人の姿をしたガキどもが勝利を収めないことを祈るが。
あの羊のドリーをつくった科学者がヒューマン・クローニングは危険と警告。 動物実験で産み出されたクローンがすべて、異常をきたしたからとのこと。 なるほど、なるほど。 ま、それもいいでしょ。
現状のクローン技術はまさしく実験段階そのもので、たとえれば、大きな翼をつけて崖から飛び立とうとする水準。 航空技術の進歩がそうだったように、失敗に失敗を重ね、理想は実現していくものです。
いまは成功の望みが失われたからといって、挫けてはいけません。 いずれ、本当に理にかなったクローニングの手法が確立されるでしょうし、また、そうなることが望ましいのです。
今回の発表を受け、反対派は鬼の首でも取った気かもしれませんが、彼らの反応に論理的なところなどなく、まるで中世の人々が「やはり人間が空を飛んだら、天の神の怒りに触れるのだ」と結論付けたがるのとおなじに思えます。
ここで、「未来予測講座」冒頭の名言を再び。 「とにかく希望が持てるのは、専門家たちが行き詰まってるってことでしょう。権威筋が『不可能』と太鼓判を押した直後には必ず、素晴らしい発見や発明がもたらされます。それも若手の研究者かまったくの素人によって」
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