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ラヂオスターの悲劇
トマーシ
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2004年02月21日(土)
蛙と猫

 店から駐車場までそれほどの距離は無いのだけれど、それでもひょんなことが起こったりもする。車を取りに行って店に引き返す道。細い道で、少し暗い。でも黒い塊がポツンと道の真ん中に陣取っているのは見える。ちょうど月明かりがそれを照らしていた。近くまでくると、それは何やらモゾモゾ動く物体で、随分接近しても、それは動こうとしなかった。アクセルを緩める。やがてブレーキに足を乗せて。完全に停止。そこまでくると、ようやくそれは動いた。御馴染みの角二本、ヒョコヒョコと・・・名残惜しそうにその場所を立ち去る。だがなおそこには黒い物体があった。勿論ずっと小さくなったけれど。ゆっくりゆっくり近づく。それは電灯の光でキラリと光る。大きな大きなガマ蛙。微動だにしない。僕は踏まないように恐る恐る車を発進させた。ヒョイと振り返ったけれど、どうやら大丈夫だったみたいで、なおしばらく待っていると、またヒョコヒョコと角二本、確かに珍しい。でも僕の場合、田舎でよりもこちらでのほうがガマ蛙はよく見るけれど。
明日は間違いなく雨が降るだろう。



2004年02月20日(金)
suburban beauty

Duke Ellington 
1956年の楽曲、何故か帰り道に鼻唄交じりにこの曲が出てきた。ちょうど駒沢通りを越えて246に突っ込んでいくあたり。思わずニヤリとしてしまう。まぁ、バイカーはつくづく孤独な生き物なのだ。

 気になったので家に帰ってターンテーブルにかけてみる。そういう記憶の飛び方がすごく嬉しかったので。
 エリントンの楽曲には不思議なことにいつも発見がある。もちろんオリジナルのエリントンオーケストラにおいてそれは一層深まるが、1956年のエリントンオーケストラといえば、それはそれは大したものだったから、ただそれだけで聞き惚れてしまう。それは伝説のニューポートの年。
 グルーブしている。そう僕は思うんだけれど、でもそのグルーブ感は他のどんな音楽にも求めることが出来ない。リフが単純に整っていない。せめぎあっているのだ。といって特別な音を出しているわけでもなく。もちろん独特の節回しではあるけれど。でもそれなら他のジャズバンドでも出せるはずなのだ。惚れ惚れするというよりギョッとするというのが正しいのかもしれない。

その感覚は気になりだしたら止まらなくなり、やがてまったく虜にしてしまう。
今日はそういう日だった。



2004年02月19日(木)
フラッティッド フィフス

戦車のプラモデルがあり、ロボットのプラモデルがあり、
もちろん飛行機のプラモデルもあった。全部で30体ばかし。
それを線路沿いの道路にズラリと並べている。
道路というか、それより少し高いところ、ちょっとした縁をひな壇にして。
そのプラモデル達を三人の子供が取り囲んでいる。三人、とても不思議な数字。
さん。

ここはとても淋しい場所。世界の大半の色はその乾いた、
軽い玩具に占められている。きっとその子供達の手もどうしようもなく乾いている。
喉もそして目も背中も
午後三時はどうしても通り抜けなければいけない時間だった。僕はそれを喫茶店の窓越しに見てる。一つの便法として、流行らない喫茶店は世界の叡智に少しだけ近い場所。浴びすぎた西日に、常にだるい体、痺れた頬。建物にそれらがこびりついている。でも僕の手はまったく乾いていない。ただかって乾いていた記憶がこびりついているのだ。気のせいだ。そう、スチームの効いた部屋と温かいオシボリ、その他、心を落ち着ける為の色々なまやかしに不自由はなかった。

でも何故だろう?僕は子供たちから目が離せないでいた。
彼らもなかなか次の遊びに向かうことが出来ないでいる。

僕にはそれをい当てることが出来た。彼らが次にすることも、
それから彼らに本当に必要なことも。
いつの間にか僕は自分の手を見ている。
乾いてなどいない。でもそれは求めているのだ。
だからそれは同じことだ。僕の手も僕の昔の手も彼らの手も
僕は昔、それを触れ合わせることが出来るかもしれないことを知らなかった。
彼らはそれを知っているかもしれないし、あるいは知らないのかもしれない。
僕はそんなにあやふやなことを目の前のガラス窓のせいにすることが出来る。
少しだけの叡智なんてそんなもの。僕はどの手を握ればいいのかいまだにわからない。

彼らは熱心にプラモデルに爆竹を詰め始めていた。相当な数のプラモデルだから
それは相当時間がかかるだろう。
こうやって僕は午後三時を乗り切ってきたのだから、結構色々なものは変わらなかったりする。

彼らは次に火を点けるだろう。
そのライターは多分ちょっとしたものだ。
渇きを忘れるほどに。
手が汗ばむほどに。



2004年02月17日(火)
One Handred Reason To Love Birds

 またまたPoly ABC
 友達に焼いてもらって
 今日は一日、こればかり聴いていた。

 homing pigeonよりもっとソフトで、
 もっと余白がある感じ。

 一曲目が表題曲、でもなんて素敵なタイトルだろう。
 とてもソフトで、とてもすっきりしてる。
 昔、友達がやっていたバンドのイメージのことを思い出した。
 多分、それは録音状態がhoming pigionより
 劣っているからかもしれないけれど
 
 そう、こういう流れでシーディを聞いちゃうとついつい聞き比べてしまう。
 でもこのアルバム好きだ。homing pigionよりゆっくりしてる。

                *

 僕はどうにもポップスが好きみたいだ。
 心躍るメロディとか素敵な歌声とかそういうのが好きだ。
 この前、友達とラーメンを喰いにいった帰り、その友達が今度つくる曲は
 ジェームス・テイラーみたいな曲を作ろうと思うと言っていた。
 僕はジェームス・テイラーはとても好きなので、とても良いことだと思ったけれ ど、
 つまり何を言いたいかって、そういうこと。
 ジャズもロックも難しいことを言い出したら
 それはそれだけで見方を修正しなきゃいけなくなる。
 悪いことではないのだけれど、
 それは僕の一番欲しいものじゃない。
 僕は安直なくらい、素直な線に憧れてしまう。

 で・・・ この前行って、新曲を聞かせてもらったら、思い切りカントリー
 でも、すごく らしい曲を作るものだから、何故か満足だった。



2004年02月14日(土)
腕をさする

ふとした曲がり角、斜めに差し込む太陽に遮るものもなく、そこには大きな木が生えていた。まるで自分の胸から生えてきたみたいに狂おしい。風に枝が揺れるたびに、差し込むみたいに胸が痛んだ。


2004年02月13日(金)
レコード

 何気なくレコード棚の背を当たっている。随分貯めこんだものだ、そんなことを思いながら。
 もちろんそれらの大半はジャズだし、しかもそれは古典と呼ばれるようなたぐいのものだ。例えばサキソフォンコロッサスみたいな。
 ジャズレコードはまるで夢の箱庭みたいだ。ジャズレコード屋というものは僕の単なる想像に過ぎないような気がする時すらある。そこでは僕は僕の欲しいと願ったものを寸分狂わず取り出してくることが出来るからだ。束縛の無さ、というよりある意味和解とも取れるものが、他の様々な事象とまるで異なっているような気がする。多分、ジャズレコードはそれらよりずっと簡単だ。時々その簡単さにイライラしてくるほどに。
 使い古したものには愛着がある。けれど飽きてしまえば、あとは公平さに縋りつくばかりだ。つまり熱が醒めてしまえば、あとは忘れていくばかり。



2004年02月11日(水)
「普通の恋」

菊地成孔、
タワーでガンガンかかっていたのを衝動買い。
ビークルの「Girls Friday」と随分迷ったけれど
まぁ ビークルは仕切りなおしてもやっぱりビークルなので
今回はこの80年代テイストたっぷり溢れるこのCD

ポーリーのライブまた行ってきました。
今回は友達がサポートに入っていたのでまたひとしおで
とても楽しかったです。
次回は大阪、その次はまた下北・・・と
指折り数える有り様で
さすがに大阪には行けないけれど
3月6日はとても楽しみ。

その他、音楽といえばそろそろボサノバを引っ張り出してきてる。
まだ静かなボサがいい。
というわけで、定番のジョアン・ジルベルトの「三月の水」
ジョビンの「おいしい水」これはストリングスが入ってるところがみそで、
昔はあんなに毛嫌いしてたのに、
ストリングス、入ってるとそれだけでホッコリしてしまう。
というわけで、ポールデスモンドの初期のアルバムも引っ張り出してきて・・・

学芸大駅前にレコード屋を発見。 今、ジャズレコードのセールをはってる。
今度仕事が終わったら行ってみよう。



2004年02月10日(火)
悪夢たち

 うら明るい、湿り気のない、朝から耳を澄ましていたけれど、昼過ぎにはとても易しい日になった。近くの喫茶店で新聞を読んだり、歯医者にいったり、ついウトウトしてしまったり、図書館でSFマガジンの最新号を読んでみたり、全く春の蕾みたいにそれは易しい。
 それでいつものごとく近くの路地を迷っていたときに、沢山の悪夢たちが列を作って並んでいるのを見たときにはひどく驚いてしまった。
 それは清潔な日の光に霞むこともなくて、むしろ堂々と昨夜の悪夢の代価を請求しに来てるみたいだった。ある悪夢は二十代後半のスラリとした美人でコンパクトを覗き込んで目をパチクリさせている。と、思えばさらに若い二人組みの少年はピンク色の風船ガムを膨らませては破裂させている。もちろん取り立てて見かけに特徴のない他の悪夢たちも。
 その行列は途切れることもなくずっと大通りの方まで続いていた。その顔ぶれに僕は顔見知りがいたので声を掛ける。それは小さな悪魔で、おかげで僕は半年近く眠れない夜を過ごさねばならなかった。恋に関する悪魔で、こればかりはどうしようもないと誰もが匙を投げた。それがいつものごとくツンと鼻を高く澄まして携帯をいじくっていたりしている。
 声を掛けるとハッとした表情をみせて、しかしすぐにそれを固く強張らせる。僕にはつい先日のことのように思ったが、それは随分昔のことだったのだ。
「これは何の行列なの?」
そう訊くと
「大口の注文なの。強い分裂症の気配がある人みたいで。」
と、答える。
「取りあえずみんな見てみたいっていうから・・・わたし、気に入ってもらえるかしら?」
 
 悪夢の事情は全体的に言えば供給過多のデフレ状態だった。彼らの居場所は実は昔に比べると狭められている。僕を苦しめた悪夢は長い行列に厭気をさしてか、幾分打ち解けた気持ちでそんな話をはじめる。この前は色情狂の悪夢とヒステリーの悪夢と同じ夢に入れられて、目と耳を空けていられなかったとか、自分など及びもつかないひどい欲望にされた仕打ち、
「とてもここではいえないわ・・・」
と、しょげ返る。
「ここもすごい倍率じゃないか?」
 僕は幾分空恐ろしい気持ちで行列を眺める。何が恐ろしいって、彼らは僕の友達の家の前に並んでいた。彼は編プロ付きのコンピュータープログラミングの仕事に携わっている。眠れないことや、眠ることに関する一種の権威だ。睡眠薬を手放すことが出来ず、いつも青い顔をして、訪ねてみるといつも寝ていた。
「いま、わたし住むところがないの。」
 悪夢は悪夢らしからぬ凛とした声でそういう。
「だから是非気に入ってもらわなきゃいけないの。誰だって・・・」
ふっと空気が途切れたみたいに俯く。
「住むところは必要よね?」
僕は嫌な気配を察する。悪夢は病んだ気持ちにばかり巣食うわけじゃない。気持ちそのものに入ってくるのだ。だから気持ちを見せたら御終いだ。僕は出来るだけ最悪な思い出ばかりを思い出してやっとのことでこう言った。
「ここは僕の友達のところなんだ・・・」
「そう」
目を合わそうとしない。
「今、彼に君の事を推薦してくるよ。」
「うん」
「わるいふうにはなんないよ」
「うん」
一歩一歩あとずさる僕。
「待ってて。」
僕にはコクリと何か諦めたみたいに頷くのが見えた。

 僕はその長い行列の先に追いつこうと走り始める。一刻の猶予もならない。追いつかなければいけないし、追いつかれてもいけない。だが僕は彼の部屋を見て呆然とした。それはギュウギュウに捩れて凡人の近づくことすら許さないのだ。そこに一人づつ悪夢が入っていく。その捩れは彼らより危険なもののように見える。そこへお喋りしながら二人連れ、三人連れで、入っていく・・・脇で汗をかいて彼らを眺める僕を不審そうにパチクリしながら。

 僕は踵を返した。次にすることはたぶん悪夢を一つ増やすこと。でも不思議と腰は萎えないのだった。きっと抱き締めてしまうかもしれない。