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トマーシ
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2003年10月31日(金)
イントロダクション

 少し、思い出してみよう。


2003年10月30日(木)
Sensitive in D intimate in G

 二人は双子みたいなピアニストで、一方はビックバンド付き、もう一方はサラリとしたオニオンサラダで有名なレストランのハウスピアニストに納まっていた。
どちらも素敵な中指を持っている。たいがい二人はダンサーズという狭いショットバーで隣り合って飲んでいる。というのもビックバンドの時代は遠く過去に過ぎ去ってしまい、in Gの務めているレストランも二部構成のナイターを週二日こなせばそれで良かった。
 お高いご身分なのではない。in Gの他の日はタクシーの運転手だった。素敵な中指も白いお仕着せに隠される。in Dの方はバンドのマネージメントに忙殺されている始末。それでも全部で10人いる団員の食い扶持を維持するのは並々ならぬ努力が必要だった。
 その昔には、その素敵な中指でナイトクラブに集まるワイルドな貴婦人たちを魅了した二人。チグリスとユーフラテスみたいに二人はもてはやされたものだった。
 かさついた前日の新聞を開いて浮かない顔して溜め息をつく。インティメート インDの贔屓の野球チームは10年連続の負け越しが決定していた。
 In Gが ある曲の旋律を鼻で洩らす。それは二人の尊敬するバド・パウエルの「パリジャン・スルーフェア」二人はこの曲で勝負をしたこともあった。勿論、他にワンサといるピアニストを打ち負かして、それは何十年も昔のカッティング・コンテストでのこと。ギラギラとしたトランペットを持った聖ガブリエルが二人の勝負の行方を握っていた。ひとたびSensitive in Dが席について、16コーラスのソロを取る。ブレークしてガブリエルが跡を引き取る隙にIntimate in Gに交代、また16コーラスのソロが始まるのだった。勝負がつかず朝を迎えることがしばしばだったが、そのまま次の町に仕事に行くこともまたしばしばだった。景気が良かったのだ。
「ジャズに理解がないって、みんな言う。でも違うね。結局、ジャズが理解が無かったんだよ。」
intimate in Gは時々そんなことを言う。
「そうさ。おまえにはジャズしかないからな。」
と、Sensiteive in D
「バカ言うな。俺は車の運転、出来るぜ。」
「俺もソロバンの計算ならクタクタだ。」
「潮時なんていつかくるだろう?」
「今がそうかもよ、相棒。」
「じゃぁ やめるんだな、キッパリと。」
「だって、In G 辞めてどうするよ? おまえだって黙ってタクシー廻していてもしょうがあるまい?」
「そのうちまたいい目をみることもあるよ。」
「うん?ああ。あの子みたいにな」
「そう。あの子みたいに。」




2003年10月29日(水)
イントロ

 チャーリー・パーカー

 「パーディド」

 ソロの最後のこぶしが堪らない。

 Jazz At Massey Holl



2003年10月28日(火)
In The Wee Small Hour Of Morning

ちょうどいいぶんだけの朝というのがある。
ぼんやり転がしておくだけの。
何するでもなく。
いつまでも朝が続けばいいのに。
花も眠りこけてる。
そんな朝。
次第にそのガスは晴れていく。
夢はゾロゾロと引き揚げて行くのだった。
また違う朝の方へ。



2003年10月27日(月)
四角い箱

世界は数千色のドットで出来ていた。

デジタル処理みたいに。

でも、たかが数千色。それではモザイクみたいにしか映らない。

それで不安に駆られ、そいつを一口齧ってみると、

やはり間違いない。

それは紛れもないチョコレートの味がしたのだった。



2003年10月26日(日)
声 ジェームス・テイラー

 「君の友達」「寂しい夜」「ワンマンパレード」 ワーナーに移ってから立て続けに出たヒットはどれも素敵な愛聴盤。
 跡を残さない、というわけでもないけれど、控えめな美学が伸び伸びと・・・何故か心を捉えるのだ。
 昨日、FENを聴いてたら、寂しい夜のカバーが流れていた。少し前には メキシコのカバーが、
 先日、実家からわざわざ持って帰ってきたのは「恵みの雨」が入ったイン・ザ・ポケットというアルバム。 これはあまりお勧めできないけれど、
 それにしても何と伸び伸びした歌声だろう。時々、呆れてしまう。



2003年10月25日(土)
声 城達也

 随分昔には、ラジオをよく聞いた。その昔にはラジオは共通の話題。 何でも最後の75年生はやはりここでも。というのもきっとオールナイトニッポンは僕らより後ろの世代ではもはやナンセンスなのだから。ラジオを聴くために夜更かししていたのも今ではもはや信じられぬ。中学生はよくよく不思議な生き物だ。ことに田舎の中学生の場合は。そう、はるばる田舎から都会に出てきた様々な人たちはきっとまずはそれら全てを破壊し尽くさなければいけないのだ。それを喜びつつ・・・怒りつつ・・・憎しみつつ・・・。だってそれが全部嘘だなんて、誰が信じただろう?でも本当に嘘なのだから仕方ない。しかも一通りセイセイした後には、また作り直さなきゃいけない。でも符合しないものを無理矢理あわせたくはないと、で、待ってばかり・・・
 まぁ、そんな時代だったともいえる。でもそんな風に押し付けたくもないので、まぁそんな10年だったのだ。
 そんな10年に僕が見つけた、いくらかでもましなものはただ一つの恋だけ。あとはガラクタ。でも城達也のジェットストリームは実に素敵なラジオ番組だった。ラジオばっかり聴いてた時代で唯一取り戻したいものといえば、城達也のあの声、そしてあの間。まるでプラネタリウムみたいに素敵なのだ。



2003年10月24日(金)
上海バンスキング

 ラストエンペラーの影響なのだろうか? 上海に行ってみたい。 でも行ってみたい上海はもう失われている。しばらく前に吉田日出子の「上海バンスキング」を買ってきたのだけれど、これはもう失われた時代のもの。耳を澄ませば、南京豆売りの声が聞こえる。このレコードはただただ「リンゴの木の下で」を聞きたくて買ってきた。少し前に車のCMで流れてた曲。綾戸智恵が唄ってたのかな?素敵な曲で、それでか知らずか、上海に行ってみたい。
 フィッツジェラルドのマイロストシティや、あるいはギャッツビーのラスト。遠いアメリカに言葉を掛けるフィッツジェラルドには少し付いていけないものを感じたものだ。
 でも、こんな気持ちなのだろうか?確かに色々なものが錯綜している作家だけれど、ひょっとしたら、この望郷ともなんともつかぬヴォイスに静聴すれば、あるいはまた違った読後感があるのかもしれない。
 そう思うとまたグレートギャッツビーを読みたくなってきた。夏が来るたび読んでいたけれど、今年は読まなかったのだ。



2003年10月23日(木)
ピックウィック・クラブ ランブリング〜ジャニスと目一杯テンパったブギー〜

 金物屋がドアを蹴破りでもして、中になだれ込んできたら、どう思うだろう? りんごビッチはもう縄梯子を窓から垂らしている。彼女は金物屋のことを気の毒に思った。自分が間抜けな金物屋より先に捕まるとは到底思えなかったからだ。ボロボロボロと彼の商売からボロが出るだろう。彼女はラジカセを忘れたことに気付いて一度引き返す。そしてベッドに転がった躯に目をやる。
「ほんとに美しい。」
思わず知らずに溜め息が出てしまう。りんごビッチは災いの元凶ともいえるその躯も旅に連れて行きたく思っていた。彼女が彼を支えて、彼の世話をし、彼と一緒にラ・スペインに会いに行くのだ。ラ・スペインはこの美しい男を花に包んで埋葬してくれるだろう。薔薇の香水を振り掛けてくれるだろう。
 でも状況はあまりに切迫していた。たくさんのことがりんごビッチの頭の中を駆け巡っていた。それで、彼女はその男の夢のような金髪を切り取ることもせずに縄梯子を文字通り駆け下りた。

 と、同時にドアがバタンと開く音。間抜けのくせして乱暴な・・・しかしりんごビッチはその次を考えれない。何故なら、既に彼女の旅は始まっていて、彼女自身もりんごビッチを捕まえておくことが出来なかったから。

 ドヤ街を闊歩する少女の売春婦、誰もが彼女を振り返ったが、誰も止めることが出来ない。最初のタクシーを捕まえるまで、そしてそのタクシーの運転手はそんな彼女を見て、一目でその商売を見抜いたにもかかわらず、彼女に恋をしてしまい、また、彼女の方は車に落ち着いた、その瞬間にその町のことも美しい男のことも、間抜けな金物屋のことも、
 きれいさっぱり忘れてしまい、目指すは銀色の砂、昏々と眠りこけてしまったのだった。



2003年10月22日(水)
半分の月 〜ジャニスと目一杯テンパったブギー〜

「逃げよう!」
りんごビッチは抱き締めた、飼っている月に向かってそう言った。

 月は彼女の飼っている猫の目の中にいたから。黒い猫。黒い猫にはまじないが隠されている。既に扉を叩く音がした。彼女の扉、りんごビッチの看板が掛かった、りんごビッチの扉。

 日は高く、月は彼女の世界の裏側から彼女を牽引する。それでりんごビッチは母親のラ・スペインの名前を探し当てた。ラ・スペインは往年の映画スター りんごビッチの部屋には「高い窓」というサスペンスドラマに出演したラ・スペインのポスターが貼ってあった。ラ・スペインは白い背中を見せて、振り返っている。前々から気付いていたのだけれど、りんごビッチははじめて「ママ!」と呼びかける。
 そのポスターに駆け寄り、ほんとは抱き締めたかったけれど、それを引き剥がした。小さな小さな彼女のボストンバッグに入れる。ピンク色で、薄い水玉がすかしてあるバッグ。あと化粧道具をバラバラとぶちまけた。

 ピンク色はまだ他にもあった。ベッドに眠るピンク色の男。少し上気したピンク色の頬はまだ覚めやらない。薄く唇を開き、少し前に眠りに落ちたか、それとも今、眠りに付いたばかりという具合に目を瞑っている。ベッドシーツからは裸の鎖骨が見える。まるでダビデ像みたいだ。でもそこには彼女の持っていかなければいけないものは何も見いだせなかった。りんごビッチは知らず知らず手鏡を握りしめている。そして、何故?という風に頭を捻って、それもバッグの中にほりこむ。

 あぁ、彼女の頭の中は今、ラ・スペインのことで一杯。ラ・スペインこそはずっと知ることのなかった自分の母親なのだ。今月の映画時報にはラ・スペインがパリに逗留していることが載っていた。パリに行けば、ママに逢える。

「ビーティ いい子だからここをあけておくれよ。」

 扉の向こうからはりんごビッチを呼ぶ声。間抜けの金物屋、ジャラジャラとスプーンを背広に隠して、ワンセット3万円のえせ銀器を町で売り歩く。誰も見向きもしない。いいカモが居なければ・・・・彼はスッと街角から姿をくらます。そして、りんごビッチに誰が見ても見込みのない自分の仕事の展望を話して聞かせたものだった。

 



2003年10月21日(火)
愛のチーズ作り(ブローティガン風)

僕が桶に牛乳を入れよう。

君はその桶をゆっくり掻き混ぜればいい。



2003年10月20日(月)
ストリングス

喫茶店で掛かってるようなストリングス。これも70年代バロックだ。


2003年10月19日(日)
PORY ABC

最近はまってるシィーディといえばこれ。homing pigeon スエディッシュ・ポップが好きなら。でもカーディガンズより疾走してます。


2003年10月18日(土)
枯葉

この曲のジャズアレンジは昔からどうしても好きになれない。しっとりとシャンソンであるほうが好きだ。


2003年10月17日(金)
トマーシの由来

 イージーヴァイルというチェコの作家に「星のある生活」という小説がある。何によらずチェコのものは好きなのだけれど、有名なカレル・チャペックより後の時代の人。チャペックほど威勢も良くない。内容もかなり暗い。雰囲気はチェコの人形劇の方が近いかもしれない。でも書き出しに一目惚れして二回も再読した。トマス・ハーディが好きなように、大好きだ。 トマス・ハーディが好きな作家は幾らもいるだろうけれど、トマス・ハーディを読んだ共感と同じものを持っている作家はそうはいない。ハーディは相変わらず僕の最も尊敬できる作家。信頼できる、といってもいいかもしれない。それは技法的な見事さではない。小説なんて、結局同情できるかどうかなんじゃないだろうか? そういうポイントだけで考えれるなら・・・ おそらくまだしも幸せじゃないだろうか?とにかくハーディの小説には素直に同情してしまう。
 ところで、トマーシはそのチェコの作家の小説に出てくる、これまたかわいそうなネコの名前。

 彼は急にいなくなってしまったのだ。



2003年10月16日(木)
70年代バロック

 銀河鉄道999なんかがそうだと思うけれど、70年代の持つ独特の青が好きだ。あと、少し冷たい感じ。
 それはあっという間に過ぎてしまったけれど、それにそのあと騒々しい80年代が到来したときには、いささかホッとしたけれど、
 でもそれはマクロな視点に立ってみたときの話。なんというか雰囲気なのだ。固く緊張した空気。僕は最後の年だって5歳に満たなかった。
 よく年表というか、歴史、例えばオイルショック時のスーパーの写真(俯瞰的なアングルで)古いドラマ。ひょんに出てくる母親の話とかも。
 でも信じられるだろうか? 瞬間移動やら、機械人間だのと。薄暗いながらも精密で。それは深く豊かな森であるように僕には思える。古典といってしまうよりBaroqueと言ったほうが妥当な気がする。持論として我々の視野の狭さは決してなくしてしまうことは出来ない。でも年を重ねて昔は腑に落ちるのか。それとも今がたまたまそんな時代なのか。つまり見え易いのか。とにかく夜は既に危険ではなくなってしまい、イディオムとして色々なものを再び手にすることが出来る。勿論、戦慄などなく。
 空が落ちてくるような気持ち。僕はきっとそんな風に確信していた。



2003年10月15日(水)
ナイトフード

 いたたまれない眠りから醒めて、フラフラする頭をしっかりさせる為、ブルーのクーラーみたいな飲み物を頼む。

 海に沈んだホテル、ラウンジに降りていくが、客は一人もいない。痩せたバーテンがシェーカーを振る音だけ。

 どのテーブルもツルツルに磨き上げられ、空気はまだツンと取り澄ましていた。硬くて透明な気分。

 食欲は無い。特にここにいたいわけでもなかった。だがバーテンに話し掛けてみる。

 まだ僕の知り合いのめぼしいところは来ていないとのこと。

「今は・・・ 昼の四時だよね?」

自分の声は割れ鐘のように虚ろに響く。

「はい。四時・・・十分を少し廻ったところでございます。」

と、バーテンは自分の左腕に掛けた時計を目線に垂直に俯いて、それから最も適切な時間を拾い上げてきた。

 それからみんなの近況を聞いてみる。近況といっても、今日何処にいっているのか?ということ。

「そんな名前はしらないよ。」

それは何年か前に人魚を捕まえてきたという男の話。

「話は又聞きしたけど・・・」

バーテンは少しハッとした表情を見せて、また違う話に移る。ところがこれも僕の知らない男の話だった。

 目を瞑り、瞼をゆっくりとさする。そして十年分の夢を吐き出すみたいに長々と溜め息をついた。

 何の夢を見たのかまるで思い出せない。数日同じ夢を繰り返し見ているようだが。段々鮮明に、段々詳細になっていくようだ。重い夢に息が止まりそうになって目が醒める。でも目が醒めると、スイッチが切り替わってしまい、何の夢を見たのかまるで思い出せないのだ。

 時限爆弾か、月の呼ぶ声なのか、様子を伺っているわけだ。

 バーテンが気を利かせてチョコレートを盛った皿をカウンターを廻って差し出してくれた。

 少し芝居っけを出していいかもしれない。

 ローズライムのギムレット 砂糖は無し。

 そう頼むと、僕の気分も、バーテンの顔も、幾分明るくほころんだ。



2003年10月14日(火)
愉楽

 ジャズレコード漁りは楽しい時間潰しだ。きっと女の子たちもこんな感じでショッピングを楽しんでいるんだろうけど、きっとジャズレコード漁りは男の領分。レコード屋で女の子たちを見かけることは少ない。折角の休日を薄暗い店の中で時間を潰しているのは・・・南口のウインズよりは多少風采が上がるというものの、中高年の方が多い。、ちょっとした依怙地のぶつかり合いで、まぁいささか牧歌的ともいえる。今日は新宿のディスクユニオンで選んでいた。狙い撃ちで4枚、欲しかった4枚。締めて4800円で、家に帰ってもニコニコが止まらない。たまにはこんなことがある。でも本当に久し振りのレコード漁りだったので、本当に嬉しい。今はのんびり買ってきたものを聴いている。スタン・ゲッツ、ズート・シムズ ポール・クイニシェットの参加が嬉しいジョニ―・スミスの「ヴァ―モンドの月」、ライフワークの充実として、ジェリーマリガンの「ヴィレッジ・ヴァンガードのコンサートジャズバンド」、エリントンの「Hi-Fi Up Down」で唄っていたベティ・ロッシュの「A列車で行こう」、知られざるバップの先駆者マリー・ルー・ウイリアムスのコンピ盤。まだ三枚しか聴いてない。あと一枚はマリー・ルー・ウイリアムス。信じがたいかもしれないけれど、今、とても幸せだ。



2003年10月13日(月)
声 ボブ・デュラン

 最近、ボブ・ディランを聴きたくなったら、ザ・バンドと組んで作った「ベースメントテープ」をよく聴いている。これは掛け値なしで人に勧めることができるから不思議だ。
 人より1・1倍くらいにハモンドオルガンの音が好きなので、ライク・ア・ローリング・ストーンもあまり深く考えずに聞くことが出来る。考えてみれば、ハモンドオルガンの音も、この曲ではじめて聴いたのかもしれない。

ハモンド・オルガンは微妙に好きなのだ。ジミースミスみたいにヘビーなのも、打ち込みで軽く使うにしても、どちらも頬が緩んでしまう。



2003年10月12日(日)
声 ボブ・デュラン

 そんな具合に、思い違いでなければ、ボブ・デュランは長いあいだ僕にとって最良の友達だった。彼のフォークソング以外の音楽は全て余分なもののように思えた。ジャン・コクトーの小説に出てくる勝気な女の子みたいだといえば、それはピントがずれすぎだろうか?ボブ・ディランに関してトルーマン・カポーティは油断ならないペテン師のようだと評している。もちろんそれはカポーティならではのコメントなのだけれど。でも誰もが一度は通る独特の憑き物があるとしたら、僕の場合それは間違いなくボブ・デュランの声だった。雨降りを窓辺で見つめる少年みたいな声、そんな風に彼の声を評した人もいたが、それはもっとあとの時代のこと。詩的な気持ちが透明な溜め息と共に生まれるとしたら、ボブ・デュランの声は思いっきりメランコリーだと思う。この人と同じくらいメランコリーな声の持ち主はハンク・ウィリアムスくらいしか思い浮かばない。高校生の僕はそのメランコリーにすっかりやられてしまった。それはもちろん克服されなければいけないことなのだけれど、それをどんな風に克服したのかよく分からない。だいたい克服という言葉じたい嫌いなのだから、いいように忘れてしまうのだ。うまく言葉に表すことが出来ない。それを共感するというより、それを理解する立場からでは何も分からなかったりするのだ。今ではそれらがアリスからの引用であったり、ディケンスからの引用であったりと、色々なものが見えてきたりする。でもだからってなんだろう?もはや同じ気持ちで接することが出来ないのだから。いや?警戒しているわけではないし、特別に失望したわけでもない。ただ同じ気持ちで接することが出来ないだけだ。時々頭をもたげるフェアでありたいという気持ちが結局つまらなくしてしまう。より正確であることにこれほど複雑な気持ちになるミュージシャンはいない。


2003年10月11日(土)
声 ボブ・デュラン

 初めてボブ・デュランの声を聞いたのはもう十年も前になるのだから、それは相当に昔のこと。僕は周りに田んぼしかない高校に通う道すがら、120分テープをウォークマンに詰めて、ペタペタと自転車を漕いでいた。ちょうどデビューアルバムの国内盤が再販されたからじゃないだろうか? 地元から一歩も離れることもなく僕はアルバム「ボブ・デュラン」を買うことが出来た。一曲目に「彼女は良くないよ」が入ったアルバム。でも、一番最初に買ったのは20曲入りのベスト盤、白地のバックにキャデラックが写った1000円の廉価盤だった。
 そういう俗悪な商売はまだ出始めの頃で、僕はほかにエルヴィスとビートルズのラバーソウルを買った。三枚で3000円。でも今はCDR代だけで済むのだから、三枚合わせ見積もったって500円も越えない。世相も変われば変わる。
 とにかく、そのベスト盤の一曲目は「風に吹かれて」それから「時代は変わる」「ミスタータンバリンマン」と続く。ふっと一息ついて「ライク・ア・ローリング・ストーン」
 フォーク時代のボブ・ディランは特別に特別だ。この気持ちばかりは説明が付かない。
 ファーストアルバムを作りおえてすぐに「フリーホイーリン」は出来たんだったと思うけれど、これはもう恐らく文学上においたって傑作だといえただろう。歌詞をむさぼり読み、何度も何度も聞き返した。いつもいつも口ずさんだ。口ずさまない日はなかった。聞きながら一緒にハーモニカを吹いたり・・・ 映画を探してきたり・・・ 



2003年10月10日(金)
ざ・くらむちゃうだーすーぷ

 一日のスケジュールをたてることとか、様々なお金の見積もりをたてることとか、その出納帳をつけることとか、諸々のことは何でもりんごビッチが全部自分ひとりでこなさなければいけなかった。
 毎夜、両手に一杯の花を持って、りんごビッチはやってくる。窓を開けて、空気を入れ替え、赤いカーテンを引き絞る。踏み台に乗ってエアコンディショナーの調節、そのコンディショナーは目盛りが緩くなっていて、故障も随分と多かった。
しかしやがてブンと 錆びついたプロペラはまわりはじめる。生温かい風。小さな、小さな自分の部屋をりんごビッチは見回してみる。相当なお金をはたいて借りた自分だけの部屋。欠点をあげつらえばきりがない。りんごビッチは誰にも聞こえないくらいの溜め息をついて首を振る。思い出して、部屋の外、扉に掛かった札を裏返す。
―いちじかんでいちまんえんもらいます。はいるときはのっくしてください―
札の文字は全て平仮名で書いてある。りんごビッチはそれ以外何も書かなかった。それ以上、何を書いて良いのかも思いつかなかったのだ。
 また客が来ていたり、本当に誰も居ない時の為に札の裏側には
―だれもいません―
と、書いた。客が帰ると、裏返す。客が来たらまた裏返す。それで十分だった。スェーデンの家具みたいに心細い足で、りんごビッチは廊下の向こうを伺う。そこだけ光が射していたからだ。外からは後、キャバレーの呼び込みの声が聞こえる。りんごビッチは肩をすくめて部屋に戻る。
板切れを敷いて仕切られたキッチン、金魚も買えそうもないシンクで水を汲み、買ってきた花を活ける。娼家にしてはテーブルが大きい。それは毎日花を活けるため。床に置いた黄色いバケツにはソルボンヌ、赤いガーベラ、紫のトルコ桔梗、それからブルーチース。
花を活けている間は何も考えない。そぞろな気分に襲われたら、ミルドレッド・ベイリーのレコードを掛ける。赤いカーテンに艶やかな花、ミルドレッド・ベイリーのレコードと、まるで往年のニューオーリンズみたいだとりんごビッチは思う。
「この金で俺と一緒に来ないか?」
まるで、閉じていたたなごろを開いて、温かくて柔らかい鳩の子を出して見せるように言った男がいた。
「どこへ?」
そう聞き返すと、男は眉をスルリと下げて
「どこでも。」
と、優しい声で答える。
「少し考えさせて。」
「いいとも。また来たときに。」
「また来てね。」
 しかしその男はそれから一度もりんごビッチのところに来ていない。何処かに店を変えたという噂も聞かなかった。りんごビッチは実はそれから何日、何年経ったかを数えている。りんごビッチの手帳には、でもそんな数字が他にも幾つかあった。りんごビッチは気分を変えて窓の外の海を見る。今日は悪い風が吹いている。それでやっとのことで花を活け終えた。その花を少し窓の方に正面を向ける。
 またキッチンに立ち、湯を沸かす。その間にベットメイクを済ませたり、タオルの替えをチェックしたり、自分の髪に薔薇水を擦り込んでみたり。日は次第次第に暮れていく。そこにはいつも残酷な悲鳴みたいなものが交じる。湯が沸き、マグカップに空けた粉末のクラムチャウダースープに注ぐ。りんごビッチは樫の木で作られた頑丈なロッキングチェアに腰掛けて一匙、一匙と、それを舐める。レコードを換えながら・・・ ブックラックを散らかして本を読み替えたりしながら・・・
やがてその日最初のノックがりんごビッチの部屋にやってきた。




2003年10月09日(木)
匿名、でもシンシアリーな気持ちで一杯 そんなファンレター

こんばんわ。メール頂きました。すごく嬉しかったです。

ちょっと変わった形で返信です。

見て貰いたいような、見てもらいたくないような、分かりにくいところに。

ドキドキです。

道々・・・ 

なんでこんなに好きなのかなぁと考える、というか溜め息つきながら、

今日は一日ぶらぶら散歩、そんなことばかり考えてました。

ところで、文章って誰かの為に書くときが一番楽しいですね。

今、そうそう!そうに違いないという発見で一杯で、みんな書ききれるか心配です。

湿度。僕は貴方の文章の湿度が好きです。少し無警戒過ぎるくらいにグッと思いっきり吸い込んでしまう。

すごく気持ちいいから。

気持ちいいと僕は幸せです。先日の日記の着物の話、すごく気持ちよかったです。湿度がとても的確で。

気持ちいい話、いつもありがとう!

シング・シング・シング といえば・・・ 映画「吉原炎上」で島田陽子がラストに合わせて一心不乱に躍っていたのをふっと思いだしましたが、いい曲ですよね。

ジャズのスタンダードって、時々ピタリと腑に落ちるので怖いくらいです。

そうそう、「九月の雨」というスタンダードは知ってますか?

再び湿度の話、この曲、貴方の文章と同じ湿度を感じるのです。いい曲です。

 

ところで詩も書いているんですね。どんなだろう?

影響されて、またいささか読まれている責任にも燃えて、僕も小さなノートを買いました。

でも僕自身は詩は意識して書かないかもしれません。何故か、フロベールの「感情教育」の序章の部分を読んでから、そんな風に凝り固まっています。他はともかくあの書き出しは僕の模範なのです。

詩はリチャード・ブローティガンを除けば異名という命題の立て方からフェルナンド・ペソアが大好きです。トランク一杯の原稿の束というのもいかしてる。亡くなった後に、そんなトランクが発見されたそうです。

素敵な詩を。

楽しみにしてますね。

それでは、

いや、ちょっとまって!

ホームページリニューアルおめでとう!

ジャーナルという項目が増えてますます楽しいです。

それでは、何だかまだ足りないところがあるような気がするけれど・・・

また!



2003年10月08日(水)

たぶん言葉では一番伝わらないものだし、実は全然違うことを考えていたりもする。僕だって、そして誰だって。声、そして瞳。
実生活に於いても、またそれほど実際的ではなくても。
それはとても伝わらない。
かつて特別な声があった。かつて特別な瞳があったように。
僕はあとどれだけそんな素敵なものを集めることが出来るんだろう?
そいつが僕を丸ごと縛りつけてくれるなら、人生にそんなに沢山の福音は要らないんじゃないだろうか?
これがそうなんだ、そんな錯覚を起こすたびに僕はふっと思うんだけれど、人生に語るべきものは一つしかないけれど、それでも読むべきものとて、一つたりともあげることが出来ない。失っても、見当たらなくても、求める心は満たされなければ構わず回り続ける。
思い出したくもないけれど、心をその一点に向ければ、それは間違いなく本当で、きっと、それは消せないんじゃなくて、正しく あることを指し示している。
正しさは、とても強い力だ。



2003年10月07日(火)
第三京浜

 久し振りに第三京浜をバイクで走った。ちょうど良く友達と休みが合い、不意に電話が鳴り、そんなこんなで。昼をだいぶ過ぎたころのこと。その友達の彼女は風邪で寝込んでいた。僕は朝から洗濯くらいしかせずに持て余し気味、結局二人とも追い出される感じで、幾分不安定な空模様の下に飛び出した恰好だった。
「ここでブーと鳴いてみろ!」
「ブー!」
「ブブブ?」
と、まぁ退屈しながら、環八を伝い、玉川通りを越える。用賀の乗り口に着いたころには時間は午後4時を廻っていた。いつも不思議な気持ちになるけれど、第三京浜用賀入り口は螺旋状に坂を一回半下り、栓を抜いたみたいに広い道路に出る。幾らアクセルを開けても250、シングルの非力なマシーンではとても掻きだせないほどに道が続いている。その日もとても空いていた。前に行き、後ろに回り、伸び伸びと走らせることが出来る。メーターで見ると120をマックスに 針は常に緊張し続ける。この道は素敵なラモーナを決めるのと同じくらい気持ちいい。見ると空は異様な雲に包まれてアスファルトは不思議な色を映していた。地獄の風景はきっと美しいに違いない。その光は賽の河原を思わせて、僕はドキドキした。
あっという間に保土ヶ谷まで着いてしまう。



2003年10月06日(月)
赤い子馬

 雨が降り止まなかった。更にそれを風がさらっていくようで、誰も居ない通りを雨は駆け抜ける。私は雨が窓を打つ音を数えたり、湯を沸かしてお茶を注いだり。窓から見るにつけ、通りかかったのは、古傷みたいな野良犬が一匹ばかり、古い新聞紙みたいなアパートでは少し無聊に過ぎた。壁土が重い息を吐き、重なった影は互いに悪い遊びに耽っている。 四角い鏡台を覗き込んで睫毛を整える。靴下はまだ片一方しか履いてない。散らかった四畳半、電話はさっきから中々趣きのある間隔を置いて鳴り続けていた。構わず飛び跳ねるリズムで台所と居間を行き来している。何かに蹴躓いて、拾い上げてみるとそれは黄楊のケンダマで、それは朱に塗られ、黄色と青のボーダーで首を締めてある。昨日、下北沢の雑貨屋の軒先から引っ掛けてきたものだった。昨日は雨の音に合わせてタントンタントンとずっと遊んでいた。持ち出すとまた思い出してしまい、またケンダマをはじめる。電話もまた鳴り始め、やがてどちらも止んでしまう。雨の日の電話は黙々としていて、まるで天国の匂いを嗅ぐ赤い子馬みたいだった。


2003年10月05日(日)
Portrait of りんごビッチ

そんな名前の女の子の話を書きたい。 気紛れに、唐突にふとそんな名前が出てきた。とにかく手を動かそう。
りんごビッチ、天涯孤独。将棋の駒で言えば、盤から離れてひっくり返った赤い駒。赤い花。赤い頬。
ガルシア・マルケスの「エレンディア」、それからアイヴィ・アンダーソンの「スイングしなけりゃ意味がない」、あとは理論上存在しないクォータートーンだろうか。
52枚目のカード。 ユーゴーの描く革命をバックにして。新宿、寺山修二、「毛皮のマリー」 あるいはバタイユ、「マダム・エドワルダ」
それは生身の女の子。かつて誰からも愛されたことがなかった女の子。彼女には一片の祈祷文しか持ち合わせがない。
小さな女の子。身の丈に合わない赤い傘。唄を歌う。舞台は常に雨。
「ヘドヴィク アンド アングリーインチ」 しかしそんなに強くはなれない。
顔の表情を曇らせると、すぐに俯いてしまう。彼女は裏口からしか出入りが出来ない。ナラ・レオンのレコードジャケットとそれから

母親。



2003年10月04日(土)
トランペット・ラプソディ

ブラブラツーリングは目黒、高円寺、新宿、銀座と流して、最後は台場。まるで初めてのトランペットを買ってもらった子供みたいに目まぐるしい。
今は部屋に戻って、何も聞こえない。ちょうどビリー・ホリディの「ホエン ユア ラバー ハズ ゴーン」 が鳴っている。
電話が鳴り、今度はまた違う連れ。銭湯に行かないか?
なかなか奇特な友人だ。
閉まるかどうか微妙な刻限でまたバイクを走らせる。
想像すると、わずかに疲れを感じた。
 



2003年10月03日(金)
サーフサイド

ぼんやりと「真夏の夜のジャズ」を観ていた。何度も何度も観ているので、テープはすっかり伸びている。じっとアニタ・オディの順番を待ち、その間、トーストを二枚も食べた。
船べりで、
「ジャズはお好き?」
「お目当ては?」
「僕はマリガン、君は?」
「私は別に」
「ごひいきいないの?」
「ジャズはぜんぜん。」
「じゃ、どして?」
「乗馬よ。」
それから羽飾りの婦人が登場する。僕は台所に立っている。二枚の魅力的な便箋を前に腕組みしているみたい。トッペンとしたモンクのピアノ。バックは二隻のヨット。トーデュルディーとトーデュルドゥーみたく頭の中で沢山のものが分かち難く結び合っている。一方は暗澹たる気持ちかもしれない。部屋を暗くして映画に没頭する。案の定、胸が焼けるように熱い。アニタ・オディは大きな帽子、そして黒いドレス。
ー雨は天皇! 雨は天皇!ー
ジリジリする夏をアニタ・オディは「スィート・ジョージア・ブラウン」を唄い始める。ゆきづまる風な唄。
トーストを食べ過ぎたのだ。ゆき過ぎはもちろん他にもある。だがあまり考えると空から粉が降ってきそうだ。それでビフテキのことを思い浮かべる。カウボーイスタイルじゃない分厚いビフテキと二つに割ったグレープフルーツ。考えただけで涎が出てくる。アニタ・オディはビフテキをギリギリまで引張って、それからサラリと「二人でお茶を」で流した。
舞台のはけたニューポート・ロードアイランド。 買ったばかりのいい匂いのする本を流し読みするみたいに、ネーサン・ゲルシュマンのバッハ ディキシーで「オー マリーランド・マリーランド」が続く。
お目当てのジェリー・マリガンはもうすぐ。でも瞼が次第次第に落ちてくる。のっそ、のっそと変な帽子を被ったリチャード・ブローティガン、今日はたぶん一杯はにかむね。寝転んでいるせいで一番近い夢までもう指先半里くらい。



2003年10月02日(木)
秋の結構

再び異名たちへ。まるでウィリアム・モリスの壁紙みたいな風景。ジョアン・ジルベルトの「三月の水」がスピーカーからは流れている。
「この釘とあの釘。」
そう、声に出して言ってみる。世界はまるで黒鍵と白鍵だけみたいだ。歯車は過去へ過去へと遡る。見たこともない海辺でコーヒーを。 閑散とした海と低い空。その質感を伝えるよりも何よりも、そこにはちゃんと体温を徴した自分がいる。そんなところ、行ったことなど決してないのだ。そして切り取られた時間に於いてのみ、渇きや飢えを感じることがない。
一つの警鐘として、
「結局のところ、一つの窓から覗いたほうが物事はよく見える。」
とは古い作家の言葉だ。でもこの言葉では少しピントを外している。つまり何よりも言いたいのは、僕の感じるもの。それは可能性なんて生易しいものではないということ、そしてそれが現にあるということだった。可能性なんて常に結局見えないのだから。
見えるものは全て常にあるものだった。だから我々は実に沢山の時間の中を生きている。



2003年10月01日(水)
午前三時の

可能性が幾つか転がっている。
そんなにたくさん転がってるわけはないけれど
納戸の暗闇の向こうにはその影の形がはっきり分かる時もある。

再び、午前三時
クロディーヌ・ロンジェのアルバムを聴いている。
次には髭を剃ろうと思っている。
靴下の転がっているのを見て部屋の片付けを思いつく。
キョロキョロと目移りする。