後悔日誌
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2005年11月29日(火) 弔い酒


悪いことばかり起こる。
自分にも、他人にも。


一枚のファックスを受け取った。
つい最近まで、一緒に仕事をした先輩はもうこの世にいない。
どうして亡くなったか尋ねても、上司は「わからない」の一点張り。
不信感が爆発しそうになった。

落ち着こうと、お茶を一気飲みしていると、その向こうで後輩が電報をネットで頼んでいた。
その姿がなんだか楽しそうに見えて、また腹が立った。


席を外して、デッキから外を眺めれば伊東の町並み。
海岸線に並行する道路にヘッドライトが流れ、交差点の信号が一斉に変わるのが見える。
山の上まで建物があって、夜景は意外と綺麗に感じた。

「あの人がナァ・・・」
溜息混じりに、自問自答する。
つい一ヶ月前はバリバリと仕事をしていて、そしてプライベートでもよく遊ぶ人。
ブリキ板の加工が上手で、また教えてもらいたいとか思っていた頃だった。
壁にぶら下がった、お手製の塵取りが寂しい。


ああ、またか・・・。
そう思ってしまう自分も悲しくて。

ひとり、弔い酒。



2005年11月27日(日) 介護士


久屋大通のテレビ塔を眺めながら、歩いた。
日曜日のせいか相当な人出。
あちこちで路上ライブが繰り広げられ、そしてあちこちで笑い声が聞こえた。


三年ぶりに再会した、その友は介護師になったばかりという。
十代の頃よりずっと落ち着いてきて、耳元に覗くイヤリングも魅力的に見えた。
学生から社会人へ・・・、身だしなみも振舞いもすっかり変わったんだね。

「毎日大変なんです・・・。」
介護の世界も厳しいらしく、看護師さんとの連係プレーや介護師さん同士の人間関係。
職場の年齢層は典型的な逆三角形らしく若い人が圧倒的に少ないという。
きつい仕事に、若者はついていけない。

毎日のほとんどをおむつ交換に追われて月給15万足らず。
よく頑張っているな、ってのが本音だった。


別れ際、ベンチから立ち上がる際にチラッと見えた腰痛防止のベルト。
痛めているのかと聞くと、笑って「予防ですよ。」と返してくれた。

名残惜しいような、少し切ない気持ちでその背中を見送りながら。
前途を祈って、ワンカップを開けた。



2005年11月19日(土) 痛鍋


強烈な胃もたれで目が覚めた。
原因は、昨夜のアレだ・・・。

キムチ鍋。
なんだか絶好調の先輩に言われるがまま食べた、赤い鍋。


ごま油で焼いたキムチとばら肉。
そこに野菜を加えるだけの、オーソドックスなやつが一番うまい。
ラーメンを投入し、最後の盛り上がりを見せることはなかったけど。
そういや、餃子とか投入してたっけ。


美味しいだけで終わらない。
そこが痛いんだよね、ホントに。

もう、体は騙せない。



2005年11月15日(火) 平尾台


平尾台へ行こう。
何気ない誘いに乗っかって、自転車で出掛けた。

門司港からは約30km。
ところが、久しぶりの自転車のせいか10分もしないうちに息は切れるし足が痛くなった。
こりゃ駄目だ・・・と、日頃の運動不足を反省しながらも漕ぐしかない。
なんせ今日の相方は20歳も上の人。
負けるわけにはいかないからね。


平尾台は北九州を代表するカルスト台地で、なかなかの景勝地である。
海を見渡す大きな台地で、あちこちに石が露出して珍しい景色。
草原に群れる羊に似ていることから羊群原(ようぐんばる)と呼ばれている。
自然を楽しみたい人には格好の遊び場なのだ。


峠道までは完全に置いていかれて情けない限り。
ここからがマウンテンバイクの見せ所、と張り切って登ると足が悲鳴を上げる。
終始置いていかれた、切ないサイクリングだった。


それにしても、山がいい。
標高600m位の山だと普通はまず、木が生い茂って森の山なのに、ここは違う。
見渡す限りのススキ野原で、見晴らし抜群。
はっきり言って、森林限界を超えた山に登っているような気持ちの良い山。
大平山586.5mを超えて、四方台618.7mまで自転車と登った。

久し振りのダウンヒルに興奮するのも束の間。
今度は鍾乳洞に入って地下の散策が始まった。

地底の川をビーチサンダルでびしょ濡れになって歩くのが季節外れで可笑しい。
川の水はとても冷たかったけど、照明が途切れた先も持参の懐中電灯で奥へ進んだ。
徐々に狭くなる洞窟。

ザックを背負っていると進めず、全ての荷物を降ろしてその先を目指した。
滝の水をかぶりながら先へ、その先へ。

ところが、最後は全身浸からなきゃ進めない所まで来てやむなく引き返した。
地底の世界も楽しくて、病み付きになりそうな自分が怖かった。


何事も、経験に勝ることなし。
飛び込んでみて、初めて知る事って多いね。



2005年11月14日(月) 蛸釣


門司で必ず釣り上げる獲物がある。
8本足のスーパースター、真蛸なのである。

餌は色々試しているけどやはり青物の魚がいい感じ。
今回は秋刀魚を半分に切ってテンヤ(蛸釣り用の針)に取り付けた。

岸壁を見回すと、いつも以上に多い釣り人。
やはりライバルは気になるもので、同じ仕掛けを持っている人に先を越されたくない。
そんな気持ちがあるせいか、少し焦りながらの釣り。
早速、道具をひとつ根掛かりさせて失った。


再起して、秘密兵器として持ってきた茨城県の漁師町で買った大きいテンヤを使う。
それでも、釣れてこない蛸に諦めの雰囲気が強くなったその時!!

ずしんと重くなって蛸が掛かった感覚。
今日はこれきりだ、落ちないでくれよ・・・。
と上がってきた待望の一匹。


聞けば今年は不漁だそうで、地元の人でもなかなか取れなかったりするらしい。
戦に勝ったような、そんな気分。

タコちゃんを誇らしげにぶら下げて、のんびりと帰った。



2005年11月12日(土) 海峡


本州と九州の境目。
曲がりくねった関門海峡。
何度来ても、やはり独特の雰囲気がある。

対岸に見える下関の街。
車の台数が数えれるくらい近いのに、その間に容赦なく潮流が流れる。
潮の弱い時間になると、途切れることなく貨物船が通り抜けている。


なんだか関門海峡を題材にした物語が読みたい今日この頃。
そういえば、伊集院静の小説で「海峡」を買ったのを思い出した。
特別愛蔵版。
サイン入りのやつで確か新聞かなんかの予約販売だった気がするのに本屋で発見。
あとを気にせず買っちゃったってやつなのだ。
迷ったけど、お酒を飲むのを一回我慢すれば結構残るものだな、なんて改めて感じたっけ。


九州もいよいよ冬が目の前という感じで日も短いし、肌寒い。
夜空に浮かぶ、関門大橋が少し寂しげに見えた。



2005年11月08日(火) 激務


最近、寝てない。
ふと、うたた寝をしたらその日の睡眠はおしまい。

増水した川のように舞い込む仕事。
水を湛えたダムが今にも決壊するような。
そんなスリリングな瞬間が今だ。

日々の予定で手帳はすぐ埋まり。
家に電話すらかけられない。

ほんと平和じゃない。
不公平だ。


それでも、これしかないから。
頑張るしかないんだ・・・。



2005年11月07日(月) 溜息


少し早起きをした。

洗濯に勤しむと、ペンを一緒に洗いシャツを二枚染めた。

パソコンを覗き込めば、昨夜からつながったままのインターネット。
もちろん常時接続のプランじゃない。

出る言葉は、「あ〜あ」以外に他なく。
昇る朝日を眺めても虚しい。

今日は出港日。
何故か、失うものが多い。



2005年11月04日(金) 空想


飛行機の中から富士山をずっと見ていた。
薄く雪化粧をした姿が、背伸びしていた中学時代のあの子にかぶった。

あどけない顔立ち。
後ろでまとめた髪に茶色の長いリボン。
小さな運動靴。

「名前なんていったかな・・・」
忘れ物を捜すように顔をしかめて考えていたその時。
スチュワーデスが飲み物を持ってきた。



中学生の時、私はろくな思い出がない。
日々、ふざけて過ごすのに精一杯。
今思えば良いことも悪いことも、すべて良いと感じていたのがこの時期。
机に彫り物したり、殴り合いしたり、何度も校長室に通ったっけ。

勉強をする理由が見つからず、何もしたくなかった心の中。
英語の先生と喧嘩して試験を白紙で提出したこと。
美術の先生も嫌いで、絵を描かずに焼いてもらった絵皿があること。

大人になりきれないあの頃。
全く、嫌なことばかり思い出すもんだ。

不良がのさばりだしたのもこの時期。
学校の中はグループ同士で対立を繰り返す戦国時代に入っていったっけ。

昨日の友は今日の敵。
結構、難しい時期だったと今でも感じている。



窓の外を見れば、芙蓉の峰はもうどこかへ消えてしまい眼下に広がる大阪の街。
景色の移り変わりの速さに驚いた。

徐々に高度を下げる機体。
そして、街に手が届きそうな不安な進入姿勢。

道に止まっている車も、校庭でサッカーをする子供たちも。
しっかり見下ろしながらの着陸。



伊丹の空港問題は、必ず教科書に載っていた気がする。
何年経とうが変わらないものは変わらない。

でも、大阪がこんなに近く感じるのも。
1万円をあっさり使い切ってしまうことも。
あの頃じゃ、考えもしなかった。


時間は人を変える。

そしてもう、戻れない。



2005年11月02日(水) 指


魚を食べていたら、はらわたから人間の指が出た。

・・・という夢を見た。

どす黒いその指の、度肝を抜く質感。
そして目覚めの悪さ。


今日は魚はパスだなと思っていたがやはり・・・。

昼飯は、秋刀魚だった。



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