後悔日誌
From ND

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2002年06月30日(日) 門番


いよいよW杯も決勝を迎えた。
攻めのブラジル、守りのドイツ、素晴らしい戦いだった。

前半は広島駅ビル内のお好み焼き屋さんで観戦。
続くハーフタイムを使って移動をかけ、後半はスクリーン上映の飲み屋さんへ。

いや、みんなブラジル応援なのね。
ブラジルが攻めると歓声の凄いこと。
じっとこらえてドイツの門番を応援した。


ビールが2本くらい空いた所で試合が終了。
何も言わず、店を後にして飲み直した。

雨の夜だった。



2002年06月29日(土) 赤信号


ソファの上に横たわり、冷たくなっていた。
目覚ましに叩き起こされ、立ち上がると胃が悲鳴をあげた。

久し振りに口の中に指を入れる。


情けない。



午前6時40分、暖機を開始。
広島港へ向かうべく作業を進めていたが、再び赤信号。



厳しい朝だ。



2002年06月28日(金) 走る


日常のややこしい事を忘れて走る。
10分もすれば自分の息と足音しか聞こえなくなってくる。

体が徐々に熱くなってきて、やがて重くなった。

ふと立ち止まると、汗がどっと出た。
苦しいけど気持ち良い。

ああ、夏だな。



2002年06月27日(木) 暴落



o(;△;)o



ひどいじゃないかよぅ、サイゼリヤ。
誰もいない部屋でひとり、”まじかよっ!!”ってつぶやいた・・・。





こんばんわ、NDです。
あんまり書きこんだ事はなかったけど、ちょこっとした楽しみで株をやってます。
自分の好きな会社に投資して、それで儲かっちゃったり。
少しは経済なニュースを聞くようになったり。
それはそれで、結構勉強になる毎日なんですが。






サイゼリヤ、知ってるかな?
千葉を中心に全国に広がりつつあるイタリアンレストランがあります。
メニューも良かったし、何より値段も安くて大好きな所でした。
彼女との食事といえばサイゼリヤ。
家族の食事もサイゼリヤ。
もちろん、友達ともサイゼリヤ。
あんなに愛用してたのに!!







実は春先にメニューが変わりました。
大好きだった小エビのカクテルサラダがなくなったり。
トマト味スープボンゴレがなくなったり。
値段がちょっと上がったり(怒)
これは良くないなー、って思ってたんですね。
でも、大きく成長してるから仕方ないんだって思ってた。







この戦略は失敗だったね。
売上は減少し、決算の予想は下方修正。








んで、この1週間に猛烈に売られて株価は大暴落。
沖の上からどうにも出来ず、黙って見ていたが・・・。
さすがに恐怖になってきて重い腰をあげたよ。












大損害だ。











泣きたいよ。











儲かったお金でバイクを買う計画は暗礁だな。





明日から質素に生きます。
ボーナスも使いません。





ああ、辛い。
仕事で辛いのになおさら辛い。

















( ̄へ ̄) もう寝るっ!!



2002年06月26日(水) 広島沖


息をつく暇もない毎日だったが、ようやく落ち着いた。
久し振りにデッキへ出てみれば、澄んだ青空。
こんな日はひなたぼっこに限る。

瀬戸内らしく、前も後も同じ形をしたフェリーが行ったり来たり。
田舎の電車みたいで、なんだか可愛らしい。

周りには宮島に江田島。
広島まで、もう一息。



2002年06月19日(水) 復帰


長かった休みも終わり、夢から覚めた。
重い体に鞭を打ち、午前6時起床。
ずいぶん長い間起きていると感じても、まだ午前9時。
時間の感覚が狂っている。

午前0時を回っても仕事は終わらない。
職場も狂っている。



2002年06月18日(火) 惜敗


日本を沸かせた青いユニホームが散った。
1点がこんなにも大切で難しいもんなんだ。

期待していただけに悔しい。






同じ夜、韓国が勝利した。
日本と同じく追う立場の試合、逆転のドラマを生んだ。

昼のTV中継で、一生懸命描いていた光景だったな。






なんか心残りな夜。



2002年06月16日(日) 定速


葉山、鎌倉を散策し第三京浜で帰宅途中の事だった。
何気なくハンドルについたスイッチをひねっていたら車が急加速した。
とにかく、あまりに突然の出来事で呆気に取られた。

クルーズコントロール。
今までは動かなかった機能である。


なんでまた突然操作できるようになったのかは謎だが実に奇妙。
昔、ナイトライダー(TVドラマ)なんてあったけどそんな気分。
アクセルがスピードにあわせて自分で動いている。
自動演奏のピアノみたい、っていったらわかりやすいかな?

運転してるのに助手席に乗ってるような気分。
ただし、日本の高速道路にゃ車が多すぎて適してないかもしれないナ。



W杯のせいか交通量は少なく、予定よりずっと早く国分寺へ入った。
給油と洗車を済ませ駐車場へ、次に乗るのはいつの日か。

終わってしまうと寂しいもんだな。
休暇。



2002年06月14日(金) 熱狂


日本のW杯、決勝進出が決まった。

昼間からビールを開けてのTV観戦。
勢いついた後半の森島、中田のゴールは素直に嬉しかった。


日本各地のサポーター達の姿が映し出される。
熱狂する歌舞伎町、阪神が優勝したような道頓堀。
北から南まで大騒ぎ、臨時配備の警官たちって普段何をしてるんだろう(笑)


試合が決まったところで国分寺に出掛けた。
改札の外で輪になる若者、響く声援。
どこの飲み屋も賑わってるんだろう。

ボトルを一本ひっくり返して雨の中、帰った。
オレも浮かれてるナァ・・・。



2002年06月10日(月) 一泊三日


予想外に時間を費やしながら星空の下を駆ける。
さらに日付が変わる頃、まだ小淵沢にいた。

小さな温泉宿に寄り道をして旦那さんのご好意で立ち寄り湯。
露天風呂でのひとときは最高で、時間を忘れた。


再びハンドルを握り、甲州街道を東へ進む。
さすがに眠気も大きくなり、サービスエリアごとにコーヒーとガムに運動。
空が明るくなる頃にようやく東京着。

総走行距離850km。
結構、頑張った旅だった。



2002年06月09日(日) トヤ峠


また、飲んだナァ。
後輩宅のでかい庭を眺めながらのバーベキューは格別で、その2次会も壮絶で。
結局、羽根を休めたのは日が変わってから。
当然起きるのも遅く、全ての行程が遅れた。
これ、いつもの事なんだけど。


で、予定も適当。
とりあえず、下呂温泉へ。
有馬、草津と並ぶ三大名湯の割には普通だな。

満たされないまま高山へ。
すでに夕方になり、店が閉まり始めている。
なんて健康的な街なんだろう・・・。
簡単に散策して歩いた。


日が沈む頃、大変な事になった。
どこで間違えたか道が細くなって、やがて林道(トヤ峠林道)になった。
さすがに4人乗車のセダンにダートはきつく、度々腹を擦る。
痛々しい悲鳴が車から響く。

林道の先は哀れにも行き止まりになったり、枝道がたくさんあったり。
落石はあるし、ガードレールは当然ないし・・・。
ようやく抜けた林道を振り返ると通行止めになっていた。
ちと苦笑い。

本当の廃道なんだろう。
そのうちダムの底になるところで右往左往してたわけだ。
結局、W杯(日本対ロシア)をラジオで聞きつつ来た道を戻る。


昼間は28度もあったのに夜は8度しかない。
冷房から暖房に切り替え、松本を目指す。


舗装道路って素晴らしいな。
今日はこれに尽きる。



2002年06月08日(土) 土岐


久し振りの中央高速。
澄みきった空の下、アクセルを目一杯踏み込んだ。

さすがに岐阜となると結構な距離である。
諏訪湖を抜け、南アルプスを大きく迂回しながら走る。
やがて陶芸の街、土岐(とき)へやってきた。


この街には学生時代の後輩が住んでいる。
焼き物を手がける父さんがいると聞いて駆けつけた。
ぜひとも、自分のぐい呑みを作りたい・・・ってことで。
快く引き受けてくださり、製作開始。

プロの技に見とれるが、自分でやってみると相当に手ごわい。
ロクロってのは難しいな、ほんとに。
まあ、手作りらしい雰囲気です。(ヤレヤレ・・・)
焼きあがれば格好良くなるに違いない!?

ところで、この街は本当に昔から盛んな所のようで登り窯の跡がたくさんある。
発掘中なんてのも多いようで話を聞いてると凄いの一言。
違う世界を垣間見た気がする。


陶器三昧な一日だった。



2002年06月06日(木) 公設市場


沖縄初日、国際通りに近いビジネスホテルへ案内され苦笑いしたが二日目は仰天した。
まだ畳の香り残る館内、出来たばかりの新築ホテルだった。

おかげで朝から気分が良い。
天気は晴れ。日頃の行いの賜物かも!?

さて再び那覇へ向かい首里城見学を済ませ、やってきたのは自由時間。
いかにも観光だが青い魚やら大きな貝やら料理してもらい、昼から泡盛だ。

そう、ここは公設市場。
那覇はココ抜きでは語れない・・・笑

帰りの飛行機は空から沈む太陽を眺め、またひとつ得をした。
20時、無事羽田着。
檄安ツアーは終了した。



2002年06月05日(水) 常夏


米軍基地のフェンスが続く嘉手納を抜け、バスは進む。
世界遺産に登録された座喜味(ざきみ)城跡や絶景の万座毛(まんざもう)、そして本部町の海洋博公園など、短時間に効率よく観光していくのはツアーならではだろう。


嘘のように晴れ上がった空の下で冷えきったオリオンビールを飲み干した。
続く白砂の浜、揺れる椰子の木。
沖縄らしい一日だった。



2002年06月04日(火) 那覇へ


早朝の高速バスに乗り込み、那覇へ向かった。
ツアーな旅は高校生の修学旅行以来だったか・・・。
なんだか恥ずかしい気もしたが、激安ツアーゆえ仕方ない。

さて、沖縄に着くとすぐにバスに乗り観光開始。
まずは、ひめゆりの塔など、慰霊碑が多く存在する南部方面。
観光とはいえ、暗いイメージのバス車内に少し不安になった。
が、今日は那覇で宿泊。
夕方にもなれば顔はすっきり晴れわたった(笑)


那覇の夜♪
お土産の下見をしながらいつもの飲み屋、”うみないび”へ。
島ラッキョウ、ゴーヤ、グルクンのから揚げ、泡盛、etc。
これまたいつものように味わう。
もう至福で。

あんまり至福過ぎて、書き込みもしなけりゃ風呂も入らず寝てしまった(爆)
おしまい。




PS.もちろん、次の日の朝に風呂入ったけどね♪



2002年06月03日(月) 前夜祭


沖縄は梅雨の真っ只中で、天気マークは傘とか雲とか。
ちょっぴり憂鬱そうな旅行に行くことになった。

いわゆる激安系ツアーなので、どんなもんかな?っていう興味半分だけど。
往復の飛行機にホテル2日間。朝食2回と夕食1回付きで2万円。
どういう価格設定になってるんだか不思議でしょうがない(笑)

んで、前日ってのに相変わらず準備する気なし。
どうせ、何もいらないしね。


替えの服だけ用意して、もう酒飲んでます♪
出発まで、あと12時間。



2002年06月01日(土) 大阪屋


都会の変化は目を見張るものがある。
しばらく離れていたうちに新しい橋が出来ていたり。
ピカピカに輝くビルが建っていたりする。
お店もまた同じで、スーパーが本屋になっていたりする。

門前仲町にやってきた。
学生時代を過ごしたこの街は、故郷とはいえないが何かと思い出がある。
酒を飲むのを覚えたのはこの街だったっけ。
怖い先輩たちと寝食を共にし、生活して来た。
芸をさせられ、寮歌を歌い、それこそキチガイまがいな事もした。
一日一升飲むなんてザラで、最後は吐いてるか飲んでるかわからなかった。
それでも、次の日になればきちんと起き掃除を済ます。
そんな毎日だった。


嫌いになりきった日本酒の味を救ってくれた店があった。
知る人は知る、門前仲町の大阪屋だ。
代々、学生寮からのバイトが入りなかなか味のある立ち飲み屋だ。
何気なく通りがかったら更地になっていたのに驚いた。
なに建て替えだろう、軽い気持ちで学園祭へと向かった。


学園祭では同級生、先輩、後輩と色々な再会があった。
やはり久し振りに会う友人との時間は新鮮で、お互い頑張る活力になる。
学園祭というより、同窓会みたいなものだろう。
しばし楽しい時間を過ごせた。


時代は変わるんだな。
むかし苦痛ともいえる生活を体験したあの寮に今、上下関係はない。
縦割りを反対する意見から、制度が壊れ新たな体制が生まれた。
上下関係がなくなり、先輩から後輩への伝統の引継もなくなった。
確かに、良くなったんだろう。
が、今までの伝統も全て消えてしまった。


こと寂しいが現実だ。
先の酒屋も、学生のバイトがいなくなり看板を降ろしたと聞いた。
女将さんも歳だったからナァ。
店やってるのは趣味みたいなもんだ、なんて言ってた日のことを思い出した。


下町人情の店が消え、チェーン店や大型店が競り出す。
寂しいな。



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