坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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休みなのに、深夜に目が覚めて普段と変わらない朝。 バイクは修理中で、家には無い。それに、この冬一番の冷え込みで何もすることが無くて、退屈で気が狂いそうだ。 バイクの事故での身体の不調が無くならないでいる。先行きの事を、あれこれと考えてしまう。
自分の場合、バイクの事故が先か、病気での終わりが先かなどと考えてしまう。末っ子の病気が再発したかも知れない。来週、再検査の予定。 借金を残して、私がいなくなったら嫁さんは、苦労するだろう。それがとても気が重い。 今の仕事も、もう10年も無い状態。退職金は勤務年数が少ないから、当てにならない。自分が死んだら、子供達はなんと思うだろう? 少しは悲しんでくれるんだろうか?自分たちの生活で、精一杯でそんな余裕は無いのだろうな?
バイクの事を考えるとき、身体をバイクにしがみつけて、アクセルを思い切り開くイメージを持つ。でもメーターはそんなに上がっていない。 カーブを曲がるときは、一生懸命に傾けている。これも実際はそんなには傾いていない。全てが、イメージと現実も差が大きく出ている。 「こわさ」が常についてきている。 今は修理で家にはない、12/3からだから2週間が過ぎている。寂しいもんだ。
何時に寝ても、この時間に目が覚めてしまう。昨夜は、9時半ごろ異様に眠くなったので、眠剤を飲んでねた。 やっぱり、午前3時におきてしまう。眠くないからベットからおきだしてしまう。
起きたり寝たりで、疲れるばかり。6時には”あきらめて”起きてしまう。
早く、体もバイクも元の状態になって欲しい。腰痛が昨日から出てきたので、会社の近くで鍼灸院を探して出かけた。治療費は高いので痛いけれど、そうは言ってられない。 治療は”自律神経”だというので、信用ができそう!!
この日も、不眠で早朝から目が覚める。ムリは良くないと分かっているので、ハッキリと目が覚めるまで横になったいた。家を出たのは、9時頃になっていた。天気は曇りで気温も低く、やや辛い状態だったが、出発の決意は変わらなかった。ガススタで給油をすませて。162号線(周山街道)を目指した。
1号線はひどく混雑して、少々うんざり気味で目的の分岐道を目指した。周山街道は、しばらくの間は住宅街でつまらなかった。高雄あたりから、リーリングのふんいきになった。前は、トラックや、バスが走っていて快適には程遠かった。
40〜50Km位でしょぼしょぼと走っていた。京北を過ぎた頃、突然の転倒。何が起こったのか、訳が分からなかった。しばらく、痛みで身体が動かなかった。身体の事よりも、バイクの状態が気になった。カウルはキズで仕方がないだろう。sてっぷは?ランプは?次々と心配が出てくるけれど、身体は動かない。
そのうちに、パトカーや救急車がきて、同じ事を何度も聞かれた。そんな時でも、レッカーの手配やバイクの後始末の事を考えていた。なんと言っても無傷のカウルの事が一番の心配事になった。
19日からで、約1,000Km。良く走ったと思う。バイクにのりはりはじめて、精神面が改善してきた所なので、ショックは大きい。最低2週間は、乗れないだろう!!
身体はたぶん、大丈夫な気がする。骨折は無いが、細かい事は精密検査が必要らしい、ギブスが鬱陶しい。
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