坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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二輪の卒検の日、順番を待っているとき、練習や過去の卒検で一緒だった女性と初めて会話をした。私は3度目の検定で、今までに何度も挫折感を味わってきたと話しをした。すると、その人は私よりも苦しんでいて、1月から通っていて既に6回目の検定だという。 私の回数で、これほど落ち込んでいるのだから、大変だと思った。 自分の順番が済んで、結果を待っているときに彼女が順番を待っていた。 「頑張って!!」 落ちている私が励ますのも、おかしな気持ちがしたけれど、一緒に合格をすれば良いと本当にそう思った。 その日の、教習最後の夜に「卒業式があった」、順番に呼ばれているなかに彼女の姿が合った。ちらりとだけ目線があって、そのときの笑顔はすがすがしい表情だった。名前も何も知らない人だけれど、気持ちが良いものだと思った。
取引先の社員で「がんばりやさんがいる」、自分のミスをとても気にして、自分を追い込んでいるようだった。ミスをするのは、人がする事なので仕方がない。 大切な事は、どうしてミスをしたのか、そして気がついたときの行動にあると思う。まさか、そのような事で泣いているとは予想もしなかった。 感情を素直に態度に出せる事は、うらやましい事だと感じたし、本当に意外だった。
2004年05月30日(日) |
ついに・・・・合格!! |
仕事が続いているので、隙間を作っての教習所通い。今日も仕事。 金曜から2日続きで、深夜作業もあって3日間連続での仕事に取りかかっている。 そんな中、むりやりに時間をやりくりをして、ここまでたどりついた。 指摘を受けても、考える時間もないまま、次の教習・・・・、こんな状態でやってこれたと自分でも不思議な気がする。 2夜連続でまともな睡眠もとれず、今日は3度目の「卒検」だった。思考能力も限界状態でのぞんだ。
S字、クランク、なんとか無事に通過。4輪のコースに出て、踏切、坂道、信号、障害物通過、急制動。40kmの速度も不思議にメーターが、目に入り無事に停止。いよいよ、前回までの失敗課題へ突入。 意識においたのは、「目線」だけだった。スラローム、最後に一本橋。停止線で止まって、一息深呼吸をして突入。何秒で通過出来たかは分からない、ふらつきもせずに、渡り終えた。残りは、発着地点での停止だけとなった。 苦手なニュートラルへのギヤチェンジも出来て、エンジン停止。
ブロックの後も、下肢部分に引きつり感が出ていて痛みも、つきまとっていた。時々、もみほぐしたりして、何とかもっている状態だった。痛みに耐えて、動かす事への不安も乗り越えたはずなのに、即効性は無いようだ。 まだ、ピクピクしていたり歩いているときに、痛みが走る怖さがある。
でも、1つの目標を達成出来た。
ブロックを再開して数ヶ月が過ぎようとしている。診察の会話でも、医師の雰囲気は困った患者・・・・、そんな感じをしていた。 今日も「予約診療」だけど、少しでも早くして欲しいと思って、1時間前に受付をした。整形外科に行く前に神経科に、投薬の受付をして待っていた。 待つこと1時間。しかし、呼び出しは無かったので、整形外科に移動した。 1時間前に受付を済ませていたので、予約時間の中では早く診察を受けられると思った。ところが、待つこと1時間、受付時間からすると2時間待ち。
診察の結果、再度、ブロックをすることになって治療室で待つことになる。 なんとここでも、1時間近く待つことになった。
11時に病院に着いて、終わったのは午後3時。ブロックの済んだ後もゆっくりと安静にしている余裕は出なくて、10分ほどで仕事に戻った。
ブロックの後に感じる麻痺感はなく、気分がすぐれなくて会社にもどると直ぐに医務室で休む結果になってしまった。 今回は、ブロックの効果は感じることが出来ない。精神的な事が起因しているのかな?前回の時は、当日は麻痺している感覚がとても強かったし、注射の最中も脚に薬剤が入っている感覚があった。
「やっぱりダメだ・・・・」 この気持ちがマイナスしている気がする。
2004年05月23日(日) |
もう・・・、言葉にならない。 |
「なんで、こんなところで!!」 情けないとか、悔しいとか、いろんな言葉がでで来るけれど、こんな不甲斐ない自分に腹が立って仕方がない。 休みを利用して、二度目の「卒検」にトライ。教習所に出かけていないときに、本を読んで「失敗の原因さがし」を繰り返していた。でも、これだと思えるものは、見つからない。 唯一、乗り越えないといけないと思った事は、脚が痛くても痺れていても、失敗の原因じゃない。人にも言わない事だった。
不安を持っていた、クランクの出口や左折のふくらみもなかった。無意識にリアブレーキを踏んでしまうので、意識して脚の甲を持ち上げていた。 もう大丈夫だ、そう思って走っていた。その瞬間の出来事、どうにもならずで失敗。惨めな気持ちで教習所をあとにした。
仕事はますます忙しくなるし、運転の事を考えている時間も、ほとんどない。 大学生らしい若い子たちは、次々に卒業をしていく。 気分を変えるために、バイクショップへ出かけて、欲しかったバイクにさわっていた。「きっと乗ってやる!!」そう思って、しょんぼりしていた気分を持つ直す事に必死だった。
教習所の場所が、長男がわずかの間だったけれど「大学生活」をしていた、直ぐ近くなので、行くたびに思い出してしまう。
2004年05月22日(土) |
明日は、「やすみ」・・・・・ |
久しぶりの休み。5月になってから初めての休み。嬉しいはずなのに、気分は晴れない。理由はわかっている。 脚の不安を抱いて、仕事の悩みが解決していない・・・・・、等々、表面的な事はいくつか思いつく。でも、そんな事は本当の理由じゃない様な気がする。
不安を持っている最大のものは、やっぱり生きて行くためのお金だと思う。仕事の事で、転職を重ねて来ているから、今の会社も定年が来たって退職金なんて当てに出来ない。まだまだ、子供の教育費がかかる。本当に生活が出来るのだろうか? きっと、この事が心の奥底で不安の固まりになっているのだ。
考えたって仕方がない、考えなければ何かが見つけることが出来ない。 ここでクルクルと空回りをしている。
次男の病気、手術後、2週間後の検査結果は正常だとの事だった。 治療費は保険適用でも結構かかった。幸いにも多少の預金があったから、支払いは出来た。健康がお金で買えたって言う気がする。 私の脚は、お金では元に戻らない。どちらも、辛い。
今日は引きつるような痛みがあって、一瞬ドキリとした。過度の緊張と苛立ちで、症状が出たような気がした。
何がなんだかわからない状態に陥ってしまっている。 査定会議の結果を部長が説明。ランクを上げて出したが、査定会議でダメだったと説明を受ける。言われなくても、社内で私の仕事を理解してくれているとは思っていない。今までも似たような事を、何度か違う上司に説明を受けた事がある。 ダメなものを、いくら説明されたって納得なんてできやしない。評価のせいで仕事ができないと言われるのは、もっとイヤな事。 悔しさを隠して、仕事をするしかない。
二輪免許の検定に不合格だったことから、未だに立ち直れない。前日も、当日も、あれほど心配をしていた事が、現実の事になってしまった。仕事の事や、いろんな事を考えると時間もないし、何よりも、出来ない自分がふがいなさで、悔しさから立ち直れない。
左足の痺れが、日に日に酷くなる。1週間前にブロックをして、薬剤で脚が麻痺している間はなんとかなっている。麻痺状態だからわからないだけだろう。 これも何をしても回復せずに、再び、嫌気が出てきた。普通の生活、二輪の運転で動かす事への不安を解消しようとした。 けれど、これも思うように行かない。
努力は報われるとは、限らない。ダメなものは、やっぱりダメなんだ、、、、きっと。
必死で仕事の調整して時間をつくった。そしていろんな思いを込めて、二輪免許に挑戦を始めた。何度もくじけて、止めようと思ったかわからない。 気持ちをふるい起こして、ここまで頑張ってなってきた。不安を持ちながら、今日は卒業検定に望んだ。 予想どおり、「不合格」で終わった。 一番の心配だった一本橋も、練習ではうまくゆくようになってきたので、ギリギリ何とかなる気もしていた。 左折時のふらつきも、クランクも何とか失敗せずに進んだ。一本橋がおわれば、もうゴール。その安心感からか、脱輪をしてしまった。
失敗をしている症状を指摘される、でも、解決方法は説明してくれない。まるで、脚の症状で医師と会話をしている時と似ている。
今日は、あまりのふがいなさに、自分に対して無性に腹が立ってきた。 「どうして、あんな事くらいの事が、出来ない!!」 わかっているいることなのに、身体がついてこない。
2004年05月18日(火) |
口癖になってしまっている。 |
左足のしびれ、つかれ、毎日の様に同じ事が続いていて、『疲れた』『脚が痛い』こんな言葉が口癖になっている。 さわやかな顔も、話しぶりも忘れてしまった。開き直りかも知れない、仕事が残っていてもかえって来た。日にちが変わらない内に帰宅するのも、久しぶりな気がする。深夜でも眠剤を飲んで、朝早く目覚めてしまい、疲れで起きあがる事ができない毎日が続いている。
生きて行く事がこんなに、大変な事だとは、若い頃には夢にも考えなかった。頑張っていれば、楽しい人生が待っているような事ばかり考えていた気がする。 歳をとって行くと言う事は、こんな事なのだろうか?
どうして二輪の免許のに挑戦する気になったのか、正直なきなところはわからない。新しい事への挑戦することで、脚の症状への意識から抜け出す事ができる気がした。その目標として、選んだのが二輪免許だった。 理由はともあれ、今は、何が何でも合格をしたい。欲しいと思っているバイクも見つかっている。 でも、今の技量ではたぶん不合格になるような気がする。
一本橋の不安、左折のふくらみ、この不安さえ乗り切る事ができれば、何とかなるような気がする。
余りにもふがいなさで、自分自身に腹が立っている。いくらわかっているつもりでも、低速走行が安定して出来ない。このままでは、検定に落ちてしまう。 クランク出口で左折時に膨らんでしまう。その他の左折と同じなのに、それが出来ない。一本橋は未だに落ちてしまう。 一時は転倒ばかりしていた。そのころに比べれば、転倒はしなくなった。あんなに狭い左折なんて、実際の道路ではほとんどないと思う。法定走行だって、あんなにがちがちで走っている車なんていないと思う。
今、くじけてしまえば、二度と挑戦出来なくなる様な気がする。 その気持ちが支えになっている。
最近は、合格したつもりで、バイク雑誌を読みあさっている。乗りたい車種も決めている。買えるかどうかはわからないけれど・・・・。
2004年05月13日(木) |
病院ではどうして待ち時間が長い・・・・ |
朝から「神経科」と「整形外科」のはしご。神経科は予約診療をしていないので、予定が立たない。だから、投薬の受付だけをした。それなのに診察をしばらくしていないので、処方が出来ないと言われて待つ事になる。1時間待って、整形の予約時間になったので、その旨を伝えて移動する。 ところが、そこでも40分待ち・・・・・、受付をして直ぐに行っていれば、1時間40分の待ち時間になっていた。 このところ疲労が激しくて、それぞれの待合いで完全に眠っていた。 まだ他の方法が出てこないので、今でも「仙骨ブロック」を続けている。今日は治療の前に血圧が100以下だったので、中止を宣告された。どうしてもと依頼をすると、安静にしていて可能な体調になれば、そうして処置室のベットで再び眠ってしまった。そんなこんなで、病院のなかにいたのは、約5時間。ブロックのあとは、まだ麻痺をしている身体の状態で仕事に戻った。足の先より、おしりの周辺が麻痺している状態なので、何とも言えない感覚で歩いている。
その後の二輪免許の状況。 イヤになるくらいの教習時間オーバー、それでも検定日が見えてきた。 まだまだ、一本橋、クランクなどの低速走行が安定しない。理屈はわかっているのに、身体がついてこない。悔しくてならない、これが年齢から来る事なのか、それとも脚の症状の為かはわからない。それでも入校当時の、転倒の繰り返しと比べれば、こけずに走行は出来る様になってきた。 クラッチを蹴り上げる動作、リアブレーキから離す動作の度に、意識が足首の痛みに意識が行ってしまう。
いろいろあるけれど、気分は既に希望のバイクで出かけている。
2004年05月11日(火) |
何度だまされても・・・・ |
期日を守らない。終わる時間を気にせずに仕事を続ける人。 こんな人たちを相手にして、毎日過ごしている。いくら自分の作業が終わっても、帰ることが出来ない。この人達の仕事が終わらないと、私の仕事が出来ない。 こんなバカバカしい事で、身体を痛み続けてきている。
会社員である限り、こんな状態から抜け出すことは、きっとムリなんだ。 これが生きて行くために、向き合う事を避けてはダメな事だと考えると、なんだか空しくなってくる。 同じ時間を生きて行くのなら、もっと楽しく過ごして行きたいと思う。 楽しみを見つけて、頑張らなくてはいけない。身体の調子も良くなる様に、努力しなくてはならないと思う。
休みなしで3週目に突入、その上、ほとんどが深夜の帰宅。こんな状態でも、眠剤なしでは眠る事ができない。そして、睡眠時間が短い日は昼近くまで、覚醒状態が続いている様な体調がつづく。思考能力が落ちているのが、自覚症状としてわかる。勤務が終わると、気分は「休日出勤」の様に感じている。
免許はまだない、当然、バイクもない。 それでも、新品のヘルメットをかぶると、気分はバイクに乗って遠出をしている。 恥ずかしいから、隠れてこっそりと・・・・。
今日も仕事だった。もう、これで何日連続なのか・・・・。普段と違い、定時で退社をした。 仕事をして、夜の部に二輪免許の教習に行って、それから会社に戻って深夜までの仕事。何もこんなに忙しい時に、しなくても良いのにと何度も考え悩んだ。 でも、思いついてやろうと思ったときが、やる事ができるチャンス。もう一歩のところまでたどり着いてきた。
方向おんち、というかどうしても検定コースを覚える事ができない。始まるまでは、覚えている筈なのに苦手なコースに来たり、失敗をするとわからなくなってしまう。 脚の痛みは少し楽になっている様な気がする。痺れがあって、意識をしないと後輪ブレーキを踏んだままになっている。 一日も早く、卒業がしたい!!
失敗はいくつかあるものの、第一段階無事終了。いよいよ、第二段階へ突入。 目線が下を向いてしまい、思う様に進路がとれない時があった。足許の不安から足首に妙な力が入ったりしていた。
でも、痛みと不安と闘いながら、第一段階をクリアー出来たことは、自分自身をほめてやりたい気分。
脚も痛いけれど、左手の方がもっと痛い。
今週の待つには、子供の2回目の検診。肺の大きさが無事に戻ってくれれば・・・。この数日は、痛みも楽になって来ている様子。
今日の仕事が順調に行かないため、明日も出勤が確定となった。なんだか「ヤケクソ」気味の気持ちになっている。これだけ寝不足が続いているのに、昨夜は寝付けなくて眠剤でふらふら。 朝は早くから目覚めて、薬が残っていて起きあがることが出来なかった。
気持ちの切り替えも兼ねて、二輪の教習に行った。諦め気味なのが良かったのか、クランク、スラローム、S字など結構うまく行った。 教習所内だからスピードは、大した事が無いけれどそれでも風が気持ち良かった。 クラッチを握る左手は、親指の付け根が痛い。脚の痛みのためか、気を抜くと蹴り上げが弱くて後輪ブレーキがかかってしまう。
仕事に対して、技術者として納得の出来ないまま、作業を進める事に対して屈辱的な気持ちが強い。動き始めた流れは、なかなか変える事はできない。 この事は、過去に何度か経験をしている。結果が良ければ、それで良しと割り切る事は、どうしてもできない。
二輪免許では、精神状態はずたずたになっている。何とか気持ちを支えているのは、二輪免許を取って脚の痛みから解放する。そのための目標にしている事だけ。 クラッチ操作で左脚が思うように動かせない、左手はクラッチの握りっぱなしで、親指にほとんど力が入らない。一本橋、クランク、S字、スラロームどれをとっても完全にできる状態にならない。 四輪コースでの練習だけは、何とかなっている。一日も早く卒業したい。
2004年05月01日(土) |
ただ、、、、悔しい、それだけ |
何に対して苛立ちを感じて、腹を立てているのかわからない。 仕事の内容が思うように進まない事か!!自分でする事ができるのなら、こんなに苛立ちを感じる事はない。何でもかんでも、自分一人で出来る訳はない。 人を使う事でも、こんなに苛立ちを感じた事は記憶にない。
子供の事は、一人一人みんな出来事が違う。次男の病気は、まだハッキリとはしていない。穴のあいていた部分は、手術で塞いだけれど、肺の状態は元に戻らない。仕事が忙しくて思うように病院へは行けずにいる。入院と手術の前後は何とか、やりくりをして顔を見に行くのが精一杯だった。 上の二人は相変わらずの状態が続いている。
こんな事、一つずつをとれば些細な事なんだろう。
仙骨ブロックを再開して、3回連続しているけれど脚の症状は、大きな変化出ていない。神経根ブロックも、硬膜外ブロックも効果がなかったのに、これで効果を期待する方が間違いなのか。何かに頼っていたい気持ちがあるのだ。
二輪免許・・・・、これが一番落ち込みの原因かも知れない。第一段階の規定回数を、既に2倍乗っている。それなのに、まだ見通しが立っていない。テクニックの事じゃない、精神的な事が原因だと感じている。二十年前に四輪をとったときは、こんな惨めな気持ちには、ならなかった。 情けなくて、悔しくて本当に涙が出てきた。。。。。
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