坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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腰の痛みはさほど変化がなく、立ち上がる時は何かを支えにしないと、痛くて力が入らない。脚の痺れも相変わらずの状態が続いている。
仕事では完成の見通しがなかなかつかずに、次々と新しい出来事が出てくる。内容をうまくかけない事が、もどかしい。
子供の病気は明日が抜糸と検査。今夜もまだ痛がっている。これだけは、明日の様子を聞くまではどうにもならない。
二輪免許への挑戦は続けているが、ゴールは遠い。今まで自分は器用な方だと思っていたのに、両手両足を使って動かす事がこんなに難しいとは、夢にも思わなかった。足腰を動かす事への不安は、とれていると思っても、身体が拒絶している様だ。
次男が退院して、一安心すれば不安が1つ減って、二輪の教習も少しはましになるかと思っていた。完全に自信喪失状態で、分かっていても出来ない歯がゆさで空回り。
ここで挫折して止めれば、二度と挑戦する気力は無くなると思う。何とかして、今の状況を乗り越えたい。心の問題で技術的な事じゃない。 それだけに、自分で解決するしか無いのだろう。。。。。。
教習所の教官に相談したのが、間違いだった気がする。 ギアチェンジで蹴り上げる時の足首への不安、右足で気づかない内にブレーキを踏んでいる。回転数が上がったときの不安感。転倒した後、腰への恐怖など壁は大きい。でも、くじけた後の惨めさの方が、もっと怖い。
この1週間ほどの間に、本当にいろいろな事があった。子供の病気、職場での退職意識を持った部下の事、予定外の仕事が数多く出た事、脚の症状など思い出して見ると、数え切れないくらいだった。 今日は「休息日」と割り切って休む事にした。 朝から窓ガラスのふき掃除から始めた。汚れもひどくなっていたけれど、蜘蛛の巣がついて毎晩、それを見るたびに不愉快な気持ちになっていたから・・・・。
座っていて立ち上がろうとすると、腰を手で支えるか何かに捕まらないと、痛くて動けない。坐骨神経痛を克服するために、「治ったら何がしたいか」「動く事を怖がらない」など、何かに挑戦してみようと考えて出した結論が二輪免許だった。 そのときは冬だったので、春まで待ってそれからトライする事にしていた。 今は、悲惨な状態。既に規定時間の倍は確実になっている。痛みを治す目的で始めたのに、腰痛まで出て来ている。 運転は理屈でわかっていても、一瞬でその事が出来ない。脳の老化が始まっているのだろうか!! 情けなくなる。 転倒して悔しさで動けない時、教官が怪我をしたのと間違えて近づいてきた事があった。悟られないようにあわてて起きあがった。腰も脚も痛い、けれども自分との戦いなんだと言い聞かせて踏ん張っていた。
何とか、今日の休息で腰痛が楽になってくれる事を願っている。
肺に通していた管を取り除いて、一度に痛みが引いた様だった。状況が分からないから不安ばかりが先行していた。じっとしていられずに面会に行ったときは、とても元気にしていた。ほっとしたら、一度に疲れが出てきて急に眠気が出てきた。 昨日は朝晩に点滴があって、夜の点滴が終わってから仕事に戻った。
退院許可が出たと言うことは、医師を信じて大丈夫と思うしかない。
脚と腰がとても痛い。筋肉痛か神経痛か・・・・・、自分でも分からない。子供のことは、一山超えたけれど、まだ心配している。 二輪の運転がこんなに難航するなどとは、予想外で自分が情けなくなって来ている。どうしても低速走行が出来なくて、カーブの度に失敗を繰り返して追加教習が増えるばかり。脚の痛みから抜け出せない間は、うまく行かない気がしてきた。
仕事では「退職意識が強い部下」の事も、考えなければならない、こんな時に問題が増えて来ている。大きな仕事を抱えていて、この事もうまく進んでいない。
2004年04月23日(金) |
ひと安心、私は泣き出しそう!! |
昨日の様子が予想外だったので、今日は仕事にならなかった。どうしても心配で落ち着かないので、面会に行った。 すると、昨夜の様子は一変して元気が出ていた。ほっとすると、途端に眠気が出てきた。何でも良いから、元気でいるのが一番だと本当に思った。
仕事は、ピンチの連続で一向に改善の傾向が出てこない。
脚の症状回復になると信じて、二輪の免許に挑戦している。悔し涙が出てくるほど、思い通りにならない。低速走行でカーブがどうしても曲がれない。 初回で転倒の怖さはなくなった筈なのに、カーブで膨らんでしまうし、半クラッチでの速度調整がどうしてもできない。4輪では出来たのに、こうも違うのか、何でこんな事ができないのかの繰り返し。 両手両足を使う事の難しさと、脚の痛みの事をどうしても気にしてしまう。ギヤチェンジのシフトアップで蹴り上げるのが、うまく行かない。後輪ブレーキもうまく 行かずに、転倒の時に情けなくて、泣きそうになる。
2004年04月22日(木) |
痛み・・・・、でも、手が出ない |
朝に予定通り、集中治療室から病室に戻り元気にしている。こんな連絡が昼過ぎにあったので安心をしていた。 それでも子供の顔を見ておきたいと思い、仕事を抜けて面会に出かけた。病室にいる子供の表情は、痛みに苦しんでいた。しばらくは足が痛いとか、手術の後が痛いなどと自分から説明もしていた。 ところが途中から、痛みで苦しみ始めて来て話も出来なくなってしまった。
面会を終えて仕事に戻っても、考える仕事は手につかない。
次男の手術は、予定通り進んで2カ所を切り取った。午前中一杯、手術がかかり集中治療室に入った。説明では順調に進んでいて、今日は終日ここにいて、明日には病室に戻れるらしい。こまま何事もなく、退院まで言ってくれればと思って面会を終えた。子供の顔を見て、少し安心をした。
私の脚は、一向に回復の兆しはない。極端に悪くはなっていない、それで良しとするしかない気がしてきている。
二輪の免許、失敗ばかりで「復習」「申し送り」ばかり。。。。思うように手足が動かないのが歯がゆくて、悔しい思いばかり。自然と左足をかばっていたり、体中、筋肉痛で余計に動きがギクシャクしてしまう。ここで諦めてはいけない、そう自分に言い聞かせて、悔しさをガマンして教習所を出て行く。
仕事もなかなか思い通りにならない。
採血での検査だけの日で、面会にはゆかなかった。薄情な親なのかも知れない。いよいよ、明日の朝から手術が始まる。親とはいえこれだけは、何もしてやれる事は、何も無い。医師を信じて待つ事だけ、それしかない。。。。
何も考えずに、眠っていたい。
ようやく本人も手術を受ける事に決心が付いて、今日、同意書を出した。 2cmほど切って内視鏡で、弱っている部分を切り取る内容だった。何とか無事に予定通りの内容でおわるように、祈っている。手術の予定は水曜日。予定時間は約3時間。付き添いにいても役に立たないけれど、一緒にいてやる事ができない事が辛い。
二輪の教習。何度転倒したか数え切れない。どうしても、回転数を一定に出来ない、カーブがわかっていても曲がれない。転倒するたびに歯がゆさと、悔しさで泣きたくなる。たがが1束の速度で、恐怖心が出てしまう。失敗する事ばかりが、気に待って仕方がない。このままでは、規定時間に追われないかも・・・。
仕事は遅れ気味で、思うと様に進まない、そんな時にトラブルまで発生してしまう。どの業者も何らかの不満が伴ってくる。 ゆっくりと休む事がいつになれば来るのだろう。
危険の全くない手術はないだろう。良くある病状らしい、でも息子が入院した病院では、最年少らしい。噂だけだけれど、この病気に対しては良いらしい。 それが少しの救いになっている。今日は面会に行って、本人にその気にさせるために話しをした。最初の痛みがなくなって来ているのか、ようやく理解してくれた。 自分の脚も何かで解決してくれれば・・・・。 何とか、無事に回復してくれる事を祈っている。原因はわからなくても、回復方法があるなんて、考えてみれば不思議な話だと思う。弱っている肺の部分を、切り取れば90%は再発しないとの説明だった。
子供が入院しているので、免許の事は迷った。けれども、決意をしたから思い切って、今日は教習の初日だった。 400ccのバイクがあんなに重くて、大きいとは思わなかった。教習は二人で、若い男の子だった。脚が痛いので一つ一つの動作に、不安がつきまとっていた。 バイクの起こし方、エンジンをかけてギアをチェンジしたりアクセルやブレーキの練習。あっという間に50分の教習は終わった。不安を抱えていて、この先大丈夫だろうかと、初日から心配ばかりだった。
1週間ほど前から胸が痛いと言っていた。昨日はやっと病院に行く気になって、検査の結果は、「自然気胸」と言う病名だった。 本人が入院をいやがったので、薬で様子を見る事にしたけれど、今日になって入院を決めた。ところが初日から手術になってしまった。今日のところは、肺から漏れた空気を抜くために管を入れる事になった。
脚の痛みを忘れようとして、二輪免許を取る事に決めた途端、新たな心配事が出来てしまった。仕事でもトラブル続き、脚はブロックを再開したけれど、変化がない。うまく行かないときは、こんなものか!!
冬場の時に考えていた事、それは「二輪免許」をとる。 今日、教習所への入所届けをした。受付中も脚の痺れがあるのに、果たして最後まで続ける事ができるか・・・・・、不安で一杯。
二輪がこわい、理由がハッキリしている訳じゃない。小学2年の時に、バイクにひかれて命を落とすギリギリの事があった。「子供心に・・・」と言う言葉があるけれど、なぜか今でも記憶のなかにある。3ヶ月の入院だった。 退院のとき、階段をこわくて下りる事ができなかった。退院してから、脳波の検査で大学病院へ母親につれて行かれて、診察台の上でこわい思いをした事。 病室で意識が戻ったとき、どうしてここにいるのか、記憶が消えていた。
何でも良い、何かに挑戦しようと決めた事。
他人を信じる・・・・・。今までに何度も「裏切られた」と思って、その度に、もう心の底から信じる事は止めようと誓ったはず。 それなのに、その気持ちが薄れてしまい、同じ失敗をしてしまう。
他人でも、肉親でも、結局は「私はわたし、あなたはおなた」と言う事なのだろうか?とてもさみしい考えに感じる、どうして、人を信じて生きて行く事ができないのだろう。
昨日は、気持ちを切り替えようと思って、朝からカーテンの選択をして、部屋の掃除もして久しぶりに汗もかいた。脚の痺れをガマンしながら、自分では、頑張ったのに、その褒美が出るどころか逆にしっぺ返しをうけてしまった。
2004年04月07日(水) |
ひと付き合いの難しさ |
このところ、自分が感じたことを遠慮なく話をしてきた。ところが、そのことが相手に私の気持ちが、なかなか通じなくて話す事に戸惑いを感じはじめている。 自分の気持ちを、もしかして押し付けていることに、なっているのかも知れない。こんな疑心暗鬼が出始めると、感情面ではどうにもならない。
これで、付き合いが終わるのであれば、こんなに迷う事はないのかも・・・・・。 こうした迷いから、だんだんと話す相手が減っている。もう、気持ちを伝える相手はいないのだろうか?
この2〜3日、続けて手当たり次第買いまくった。パソコンのKBやDVD、ヘッドホン、MDとの接続ケーブル、などなどあちらこちらのお店を徘徊して買いまくった。移動の最中も商品を見ているときも、脚の痺れは休むことなく続いていた。特に痺れが酷くて、歩いているときも頭から脚の痺れの事は離れない。 合計でいくら使ったのか計算をするのもこわいくらい、今までガマンしてきた分が一挙に噴き出してしまったようだ。
Yさんとの会話。 金曜日は誰とも話をしたくなくて、仕事も一人で出来る事ばかりしていた。どうしても取引先のYさんとの間で、あってものを受け取る必要が出てきた。あえば、話をする必要が出てくるので、とっても気が重かった。仕方がなく、はじめの連絡はメールにした。ところが、いくら待っても返事が来ない状態が続いた。1時間近くが過ぎて、今度は腹が立ってきた。 電話がかかってきたが、居留守を使ってメールで返事を出した。「もう、間に合わない」その一言だけでおしまいにした。翌日は、この事を相手が気にして、会いに出向いてきた。その事に対して、「理屈を並べ始めた」、もう私の気持ちは理屈では済まない状態になっていたので、はじめは全く会話にならない。
自分で自分の気持ちがハッキリとわからないのに、相手にその事を伝えるのは不可能に近かった。「理屈じゃなくて、素直な気持ちで会話をする気になれない」と、こんな言葉で伝えるのが精一杯の状態だった。金曜・土曜と二日続いて、こんなもやもやが続いていたので、今日は余計にいらだった。
土曜日に散々買い物をしたのに、今日も、同じような衝動買いで時間を潰していた。何もしたくない、何も考えたくない、、、、、。
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