坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
日記の目次|過去へ|未来へ
底津神経痛を煩ってから、数多くの医師や代替え医療の治療者とあってきた。そのなかでも、今の病院が一番長く続いている。 それは、治療の内容が効果でているからじゃない。ハッキリとした理由はわからない。治療の子かは別としても、治療をしてくれるからで、その治療に私なりに誠意や感謝の気持ちが続いているからだと思う。他に頼れるところが無いという理由もある。心のどこかで、ここが最後の砦だと感じている思っている。 医師の言葉や看護婦さんの一言一言に、気持ちがフラフラしてしている事は、自分でも求めている。
TMSも本を必死で読んで、挑戦していた時期もある。でも、今はそのときの気持ちが持続していない。それは、自分で努力しなければならないから、努力は私には続かない。毎日のなかで自然に身に付くか、短期間で痛みが伴ったり苦痛があっても、そんな方法がしょうにあっている。
今日は会社へ行く途中で、病院へ寄って「仙骨ブロック」を受けた。そのときに「硬膜外ブロック」の申し入れをしたけれど、主治医はその気が無いようだった。 今日のブロックで様子を見て、結果でどうするか決めようといった。 これでまた、一ヶ月近く棒に振り事になる。とはいえ、そのブロックも今まで数え切れない回数を受けているが期待はもてない。神経根ブロックはそれ以上の回数を続けているけれど、今は初期の頃に戻っている。
もう、何を信じていれば良いのかわからない。 歩く事も座っていても、寝ていても疼痛を感じない時は、一時も無い状態になっている。この状態が普通になってしまっている。
痺れと痛みがこれほど辛いとは、なって見なければわからない。
2004年03月28日(日) |
年老いて行くという事・・・・・ |
「風邪」と診断されて、3日間続けて点滴を受けて、どうにか乗り切る事ができた。今月は痛みとの戦いが毎日続いている。風邪で起き出す事ができずに、会社を休んで寝ていた日も、今日も。 朝はいつも通りに起きて、朝食をする。ぼんやりして時計を見ると、8時を少し過ぎていた。雑誌を見ていても集中できない、TVの電源を入れても見たくなる番組はないので、直ぐに電源を切った。 持ち帰った仕事の資料も、開く気力が出ないまま横になって午前中が過ぎてしまった。
午後からも似たり寄ったり。何かをすることに熱意が出てこないし、何かを買ってもときめきがない。脚の痺れは途切れる事が無く、じわじわと響いてくる。座っていても、横になっていても引きつるような時もある。これから生きて行く間、ずっとこの状態が続いて行くように感じ始めている。 痛みを感じ始めた頃、整形外科で受けていた「仙骨ブロック」を再び始めようとしている。このまま、同じ事の繰り返しでどんどんと、歳をとって老いて行くのかと思うと不安を感じる。
先進状態はますます悪くなっている。仕事もしているけれど、むなしく感じているし、肝心な仕事は何も進んではいない。いくら頑張っても、絶対に間に合わない。 わかっていても、今まではどうにかしのいできたけれど、その気力がわいてこない。何かか違う。どうにもならないと、血が騒いでいるはずなのに、何も感じてこない。
雑談も含めて話が出来ていた相手と、気持ちを伝える事ができなくなれば、やはり仕事あっての間だったのか・・・・。迷いが出てくると、言いたい事が言えなくなる。どんな出来事があっても、精神的な部分で悩んでしまう。
2004年03月23日(火) |
整形外科、神経科、内科・・・・ |
朝、熱をはかると平熱(?普段は気にしていないからわからない)なので、出勤する事にした。予約をしていたので整形外科へ寄り道してから・・・。 整形外科・・・・での会話はいつもと同じ、「原因がみつかれば、どんな手術でもしてあげる」、「外来で出来る事は、ブロックくらいだし・・・・」、などなど結果はわかっていても、今の私にはここから離れて行く場所がない。気休めでも良いからという気持ちで、何かをして欲しいと思った。 神経科・・・・診察を受けても仕方がないという気持ちから、投薬だけにしている。投薬の名前はどれも、過去に聞いた事がある名前ばかり。でも、副作用に耐える事ができず、その事を医師に話をしても取り合ってくれない。 診察室に入っても、医師はカルテを見ているだけで私の顔を見ようともしない。「会社へ入っているのか?」、はいと答えると「身体を壊さないように」という。
何とか定時頃まで会社にいて、最低限やっておかなければならない事を、どうにかこなした。電話してくる人、話しかけてくる人、こちらの体調には関係なく押し寄せてくる。もう、本当に倒れそうだった。 退社の途中で、いきつけの内科へ寄る。昨日も会社休んで診察を受けていたから、一日で変わる事はないと思いつつも、明日の事を考えると、もう少し楽にした欲しい。 昨日と同じ点滴を受けてから帰る。熱もない、のども痛くない、頭も痛くない。風邪の症状などほとんど無いのに、高熱が続いているときの症状に似ている。 おかしい・・・・。
昨日の昼頃から鼻水が出て、これはまずいなと感じていた。案の定、寝る前には冷えたタオルで顔を冷やさなければ、耐える事ができない状態だった。 朝、おきたときは熱を測ると8度近くあった。こうなると、もう、だめ・・・・。 起きあがるとフラフラするし、身体のあちこちが痛くてたまらない。
気力を振り絞って、ようやく近くの内科までたどり着く。待合いで待つ間も、座っている事ができず治療室のベッドを借りて横になる。診察もそのままで受けて、点滴をして帰った。ひとつひとつの動作をするたびに、「もう動けない」という気持ちを振り絞って動く。 帰ると解熱剤を飲んで、再び横になる。電話とメールで何度か目が覚めたけれど、あとは一日中寝ていた。
熱でふらついて寝ていても、病院へ行く途中も脚の痛みで、両方が混じって複雑な苦しみの一日だった。流石に熱で苦しくて横になっていたときは、仕事の事を忘れていた。 仕事の事で開き直った時点で、気力が無くなって風邪の菌に負けたような気がした。
風邪を引いて、鼻水ダラダラの状態、頭はフラフラ。こんな酷い状態は久しぶりな気がする。寒気がしていたのに、うたた寝をしたのがいけなかったのか・・・。 脚の症状も良くなくて、朝は眠剤が残っているようで、ふらつき感がある。 普段なら、昼過ぎには普通に戻るのだけれど、そのときには疲れからか、だるさが出てくる。
眠る事に対して、今までとずいぶんと違いが出てきている。 これまで、「単純な不眠」だったのが、今では「複雑な不眠」に変わってきている。眠れないときは全くダメなのに、眠気が突然襲ってきて、目が開けている事ができない。脚の時もそうだったけれど、何か特別な悪い病ではないだろうか?こんな不安が出てくると、止めどもなく悪い考えが大きくなって行く。 「ノイローゼ」になるってこんな事なのだろうか?
仕事の期限が来ているのに、思うように進まない事が苛立ちを誘う。人に任せていても決着はつかない、最後は自分で決断をして決裁書をつくる事になる。こんな事は考えてみれば、最初からわかっていた。誰かを頼りにしたり、誰かを排除しようとするから、寄り道をしてしまう事になる。 こんな時は、決裁権を持つ事はムリだとしても、権限の委譲が進んでいれば楽が出来るのにと、何度も悔しい思いをする。
仕事を忘れる時間を作るために、資料を家に持って買える事を、少し前に止めた。メモリスティックとかメールとか、紙でなくでも持ち帰るある程度出来てしまう。 しかし、もうこれ以上遅れてはどうにもならない事になる。 遂に諦めて、昨夜は資料を持ち帰った。
考えをまとめるために資料をつくる予定だったのに、考えが纏まらないから、資料が出来ない。思考を仕事の内容に集中しようとしているのに、どうしても出来ない。購入依頼をする物件の価格は、見積もりを依頼してからでなければわからない。何を購入すれば、これからの仕事が問題なく進むのか、それを決めるだけの事。「決める」と言う事は「他人には頼めない」、それなのに今まで私の決心を頼んでいたのだろう。
この矛盾に苛立ちを覚えて、怒りを感じていたのだ。そして、怒りの相手は自分自身のだと思う。
昨日より今日、昨日は一昨日よりも悪い。痺れの辛さが日に日に辛くなって来ている。毎夜、こうして一日を振り返って日記を書くときに、改めて痛みを考えてしまう。もう歩く時も脚を引きずってしまう。 ストレスが原因と頭に残っている、仕事や身におきている事が発端になっている、そうとしか思えない。しかし、意識している内容は原因じゃないとなると、気が狂いそうになる。
仕事で必要な成果物を相手に求めている、それが、なかなか思いの通じたものができあがってこない。私の伝え方がわかりにくいのか、相手がわかろうとしていないのか、深みにはまれば訳がわからなくなる。 意志を伝える事の難しさは、仕事だけではないのだろう。人と人とのつきあいのなかで、これほど悩んだ事は過去に記憶がない。どうして、今になってこんな事を考える事になったのだろう。
2004年03月18日(木) |
わかる人は周囲にいない |
坐骨神経痛の事は話をしても理解してくれる人はいない。 だから、誰にも言わずに隠してきた。かくしている事が、私にできるひとつの勇気だと思っていた。上司との面談で、病気の事も仕事でのやりきれなさも話をした。自分の仕事を奪われる事に、ずっと、不安を感じていたのだ。だから、病気を持っている事をかくして来たのだと思った。 入院したときの診断書も写しを見せて、過去の出来事をはなした。結果はどうにでもなればいい、多少、やけになっていた。
部下の一人が退職の意志を持っていると、私に言ってきた、その事も大変な事と受け止めている。でも、今の私には自分の事で精一杯で、気持ちに余裕が持てない。 この上司が私が、健康ではないと知って、この先どんな態度に出るのだろうか? 隠していた事を話す事で、気持ちが楽になると思っていたけれど、結果は違っていた。心の苦しみは増えた気がする。 仕事が思うように進める事ができない事が、不安の原因か、違うのか、、、。 わからない、本当にわからない事ばかりだ。
日曜日だから、会社は休んでいる。メールでのやりとりがあるので、100%職場から離れている気持ちがしない。遊びをする時間やよりも、気持ちの余裕がないから休みの日も「精神的な休息日」になっていない。 掃除や片づけ、食事のなんかであっという間に一日が終わってしまう。陽が出ている間が、一日で夜は別の日のように感じる。だから一日が余計に短く感じるのだろう。部屋の中には休みになれば、やろうと思うものがいくつかある。でも、終わってみれば、何もしていない。
なんの気兼ねもなく、公私とも影響がしない、そんな自分だけの休みが欲しい。 楽しい事ばかりを書く事ができる日がくるのだろうか?
朝の10時から、午後5時までの会議。こんな長時間かかって、苛立ちを押さえる事だけが私に出来る事。実務がわからない役員が決裁権を持って、現場の意見を聞こうとするから、一向に本題に入る事ができない。 それを本人が意識していないから、ますます時間がかかる。 「そこまで、ゴチャゴチャいうんやったら、自分らでやったらええやんか!!」 こんな気持ちを持ちながら、冷静な振りをして説明を繰り返した。
椅子に座るとおしりが痛くなってくる、次に、脚が痺れてくる。正座をしていて痺れてくる様に、、、、、。痛みが強くなればなるほど、検査とブロックで入院退院を繰り返していた一年ほどの間の事が、記憶の底から蘇ってくる。あの何もないむなしいベットだけの生活が思い出してしまう。
何事もなかった頃の事はどうしても出てこない。
「もうダメだ」なんど思ったかわからない。それでも、こうして日記を書いている自分が不思議だ。
2004年03月12日(金) |
精神的な疲れって何だろう・・・・ |
今日は朝から疲れと無気力で、起きる事もできずに不調なままのスタートだった。仕事のひとつひとつ、気力を振り絞って片づける有様。ひとつ片づいたと思えば、二つ仕事が増えているようだ。嫌々やっている訳ではないのだけれど、「疲れた」と言葉が気づかぬ中で出てしまう。 「こんな事くらい、直ぐに決めてしまえばいいのに」こんな気持ちが、周囲の人たちにぶつけてしまう。
坐骨神経痛が酷くなり入院を決めた頃。大きな取引を成立させるために、社内説得や親会社や銀行など説得をして、神経がすり切れる思いで過ごしていた。なにしろ銀行系列も違うところへ変更、20数年のつきあいに終止符をつけたのだった。 そんな努力も今となっては、裏切られた思いがする毎日で、今度も少しずつ仕事の発注量を減らしていっている。 今している仕事も、どこまで縁を外す事ができるのかと扮装している。 こんな仕事をしているから、疲れがとれないのかな・・・・。
脚の痛みがなくならず、足首に力が入らなくて歩いていても、しっくりと来ない。すねの部分は時折引きつるように痛みが走る。おしりも痛い、などなど探せばいくらでも出てくる。ストレスが原因で痛みが出るのか、痛みが続くからストレスになるのか、わからなくなってきている。
普段と同じ電車に乗って、ほとんど同じ時刻に会社にたどり着く。JRの乱暴な運転に脚の痛みが反応する。乱暴だと感じているのは、私だけなのかも知れない。 取引先の人と会う約束の9時半まで、あっという間に過ぎて、約一時間の打ち合わせ。今日の午前中が提出期日の資料を急ぎで作成、その途中も電話や部下からの問いかけに反応する。一息つけば既に、12時を過ぎていた。 余り空腹感はないものの、時間にあわせて軽い昼食をすませる。 脚の痛みと背中のだるさが辛いので、少し横になって休む。人目に隠れて床に寝ている。この間も休むことなく、電話が鳴るが全て無視をする。 シフト勤務で社内は休み時間がバラバラで、終日、電話は襲ってくる。
午後からは約束をしていたところから返事が来ないので、仕方なく別の手段を使って自分で調べる事にした。これで、約2時間程度、あっと言ういう間に過ぎる。 脚の症状に対して、これからどうするか決心が付かない。仕事にも決心がつかないでいる出来事が山積している。自分で決める事ができるのなら、直ぐに片づく仕事もいくつかあるけれど、悔しいけれどそれができない。 悩みながらするから、悔しいと思いながらするから、仕事の効率も悪い。気がつけば、既に7時を過ぎていた。今年になってこんな日がほとんど。 「疾病逃避」と言う事を思い出す。 こんな日々から抜け出すためには、病気という理由が言い訳になる。そう思いながら、この事を知ってしまった今は治療に専念する勇気が出てこない。
まだ、ガマンが出来るかも知れない。そして、一日が終わる。
2004年03月09日(火) |
やる気力がわいてこない。 |
一日が知らずに過ぎてしまう。いろんな事があって忙しいのに、定時が過ぎてしまう。みんなが帰ってから、事務所で一人になって朝からの事を思い起こしてみる。 ところどころ、記憶が欠落している。脚は普段より痛みが強くて、座っているのが苦痛に感じてしまう。いつまでたっても痛みがなくなる日が来ない。
今は何をしていても、むなしく感じる。仕事を怠けている訳でもない、懸命に努力をしている。それでも充実感は出てこない。ストレス発散だと言い聞かせて、買い物をしてみたり普段と違う事をしてみても、やっぱり空しさが残る。
考えている事や記憶の中に残っている事、それは睡眠剤を飲んだときの感触。眠気が襲ってきて、どうにもならない日がある。反対に何の変化も出てこない日もある。薬が残っている状態で、目が覚めている時はよろけるときもあるし、身体に何とも言えない違和感が出ている。 「どうでもいいや」なんて、投げやりな気持ちが出てくる。
2004年03月07日(日) |
背中のだるさも、もしかすると・・・・ |
坐骨神経痛の痛みが、場所を移動するのと同じように、もしかすると背中のだるさも同じ原因なのでは? 昨日は終日、脚とあわせると全身が痛みとだるさで、仕事どころではなかった。姿勢に影響している事が不思議な事。 脚は座っているときと、横になっているときが痺れが強くて、背中は座っているときが一番辛い。日曜日はじっとしていると、痛みと痺れとだるさで落ち着かず、雑用をしたりTVを見ていたり、横になって寝ていたりの一日だった。
脚の事は長い間、痛みとつきあってきたから、辛さに慣れてきているけれど、背中のだるさは、まだ期間が短いのでだるさに慣れていない。 過去に経験があったのは、勤務が長く不規則な生活が続くと肝機能が悪化していた。こんな時は必ず、背中にだるさを感じていた。 しかし、しばらくすると楽になっていた。今回はだいぶ長い間続いているし、肝臓の検査結果結果もさほど変化なく、膵臓の超音波検査でも腫瘍はないとの事。 それなのに、肉体的な症状が消えない。 坐骨神経痛の痛みの場所が、肩こりのように背中に出てきたのだろうか?
2004年03月06日(土) |
歳はとりたくない!! |
若い人と話をしていると、ついつい自分の昔話をしてしまう。何かの時に言われた事がある。『若い頃は』とか『気づかないうちにため息をつく』など、気づけば年寄りじみた会話になってしまう。平均寿命を考えれば、まだまだ先は長い。 単純な掲載なのだけれど、その長い期間に対する不安が一杯になる、その事も歳のせいだと感じる。二十代の人と意気投合というのは、多少無理があるだろうけれど、せめて、30代の人と位は会話の共通点が欲しいと思う。 多くの夢も持っていた事もある、歳をとるに従って、夢は夢だと諦める気持ちが強くなってくる。
昨日は、取引先の人と話をしていて、ちょうど私が初めて辞表を出した年代の人。勤め人と経営者との違いはあっても、信じてこれまでつきあいをしてきた。 人を信じる事の怖さは、何度も過去に経験をしている。 決して、人は他人のために人生を進もうとはシナイ。当たり前の事が、当たり前にならない事が通用していているし、それが現実なのだ。 私のしている事だって、相手にとっても同じような感情を持っているかも知れない。 苦しいときほど、その人の人間性が出て来ると思っている。また、信じる気持ちが大きいほど、裏切られた時のショックは大きくなる。だから、心底信じる事に躊躇してしまう。そして、慎重になってしまう。 この事は今に始まった感情ではない。若い頃から、こんな風に考える事が多かった。どちらかと言えば、人つきあいが下手の方で、自分の世界で生きて行ける道を見つける事ができれば、気持ちが楽になると思っている。 子供が小さい頃は、子供が喜ぶ姿を見る事が楽しみだった。それは、きっと自分が親との会話がほとんどないまま、両親が他界した事へのコンプレックスの様なものが心の中にあるのだろう。子供たちも、長女は結婚を考えて自分の人生を考えているし、長男も自分の世界を持ちたくて家を出て行った。 もう、あれこれと言っても始まらない。こうなれば、自分の生きる道を見つけて欲しいと祈るばかり。末っ子はまだこれからが正念場なのだけれど、親としても手助けを出来る事はあまりない事は、上の二人でよくわかった。
今の自分には生きている事の証が欲しいと思う。それが何かはわからない。 焦っている訳じゃないけれど、早く自分の生きる目的を見つけたい!!
同じここの日記で活躍している事の日記は、いつも見ている。すごくプラス思考で物事に向かっている事がよくわかる。男女の違いはあるけれど、同じ事はできないけれど、うらやましく感じる事がある。
2004年03月04日(木) |
私にとって何が勇気ある行動? |
脚の痛みから解放されたくて、一度は「入院してでも」と考えた。51歳という年齢は、今の会社の状況から推測すると、望まれる分類には入らない。定年間際の人たちとたまに話をしても、「後僅かのガマンだから」という声ばかり。 「入院」「病気」等という烙印を受ける事は、とても勇気が必要になる。でも、自分の健康は誰からも与えてくれるものではない。 そんな事は充分分かった上で、決心したはずでも、未だに決心が付かない。周囲の声がとても恐怖にさえ思える。 きっと、診断書を出せば表面上、出てくる言葉はわかっている。二年前の入院の時も同じだった。その後、十回近く入院と退院を繰り返していた一年だった。 それと同じ事をもう一度、繰り返す事になるかも知れない。これも決心が付かない不安材料の1つ。
職場からの離脱を決意する事が、私にとって勇気ある行動なのだろうか?
このところ、仕事が忙しい事もありミスが目立つし、イヤな事も続いている。人には運命みたいなものがあって、何をしてもうまく行く人と、失敗する人がいるようなきがしてならない。私の場合は、何をいくら努力しても報われる事は無い運命にある。こんな妄想が頭の中にわいてきて、一向に消えてくれない。
周囲を取り巻く人間関係もうまくいっていた人へも、疑心暗鬼が生まれ始めている。すると、会話もどことなくギクシャクしてくる。仕事が終わって家に帰っても、食事して寝るだけの時間しかプライベートな時間はなくなっている。 睡眠剤を飲んで効果がでているのだろう、深夜に目覚める事はない。反対に朝、起きる事が出来なくなって、一日中眠気が続いている。
|