坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2004年02月29日(日) 痛みが曖昧になってくる

不眠が解消したかも知れないと考えて、睡眠剤を飲むのを止めてみた。一日は普通に過ごせた、一日は直ぐに目覚めてしまって、酷く辛い日を過ごしてしまう結果になった。それで、手の届くところに睡眠剤があれば、どうしても飲んでしまう。
すこしでも、辛さから逃れたいから。
腰痛の時は、立ち上がる事も座っていると事も、過激な痛みで身動きできなかった。痛みがなぜなくなったのか、全く記憶がない。
足首やすねに痛みと痺れが始まった頃、これが坐骨神経痛という症状だと、それすらも知らなかった。痛みに対しては、必ずどこかに原因が潜んでいる、そう考える方が素直に受け入れる事が出来る。






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坐骨神経痛に関して、始めろ頃に比べれば比較にならないくらい、多くの知識と経験をこれまでにしてきた。その事が今の症状に対して、痛みに関して自分で曖昧にしてきている気がする。

今もヘルニアや他の事と腰痛の因果関係で、議論や説明が出されている。でも、私には検査結果が、そのような原因とおぼしきものは何も発見できていない。
痛みは私の思いこみや仮病などではない。
今までの治療の時も「どうですか?」と聞かれて、「わかりません」と応える事の繰り返し。状況が変わると痛みが変化する気がする。「痛い」「痛くない」の区別で言えば「痛い」方になる事は、間違いない。

本当に「痛み、痺れ」って何者なんだろう?


2004年02月28日(土) 痛みの治療

東京へ日帰り出張だった。最近は脚の調子が悪いだけでなく、身体がだるい、椅子に座ると、背もたれに身体が吸い込まれるように身体が重い。膵臓の検査も異常がない、糖尿も症状が出るほどの数値ではない。
今日が出張だったので、前日に再度、内科への診察に行った。ここでも、整形外科の時と同じように、「原因がみつからないから」と検査結果で異常が無ければ、症状に対して治療方法が無いという。この日もビタミン剤の注射と、総合ビタミン剤を処方しただけだった。ビタミン剤とブロックと治療の違いはあっても、治療ではないような気がした。
出張の往復、新幹線の座席に座っているだけでも、脚の痺れと身体のだるさで苦痛だった。






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行き先が提携先の会社なので、個人感情としては、反発を持っている。現地の人たちは、そんな様子は個人もなく、楽しそうに過ごしている様だった。会社員としては、それが普通の感覚なのだろう。私がはみ出しものなんだろうとおもう、でも、わかっていても、精神的に受け入れる事ができない。
仕事としてする事だけはした。用件が済み次第、まるで、逃げるようにその場を立ち去って帰路についた。
新幹線の中でも、こうしてPCと向き合っていても、考えている事は「痛みの治療に対する先生の考え方」だった。治療はHPに出ていた。

手首を骨折したときは、入院はしていないけれどギブスがとれるまで3ヶ月、その後で半年近くかかった。こんな痛みの治療とは根本的に違いうだろう。
やはり、ネックになっているのは「入院期間」だと思う。


2004年02月27日(金) 入院期間

今の症状を回復させるために、自力ではムリだと思い「回復する可能性」と「入院期間」について、○○先生にメールを出した。
1〜2週間なら思い切って休む事も考えていた。坐骨神経痛の検査入院で2週間、このときも相当な決心が必要だった。仕事の事だけではなくて、生活の事やいざとなるといろんな事が、決心を鈍らせる。そんな状態なのに、1〜2ヶ月は必要と教えて貰って、正直なところショックを受けた。あまりにも自分が思っていた内容と、結果に開きがありすぎた。






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専門家の口から出た言葉だから、素直に受け止めざるを得ない。その上で、答えを出して行かなければならない。今日も悩んでいるだけで、答えは出ていない。
職を失う事は無いだろうけれど、病欠に対して会社はそんなに個人の事は考えてはくれない。露骨な事はシナイだろうけれど、何をされるかわからない不安がある。
仕事の事だけではなくて、いざとなると頭の中にいろんな事が、わいては無くなり悩みが増えて行く。
返事をくれた事へのお礼だけでも、そう思ってもなかなか返事が出来ない。
このままの状態で、ノイローゼ気味な状態でいつまで、気持ちが持ちこたえるのか、それも自信がない。

どうしよう・・・・・?


2004年02月26日(木) 投げ出す事がなぜできないのだろう

幾度と無く「もう、これでいい」と、投げやりな気持ちになった。それなのに、実際には何も出来ず、痛みを抱えながら同じ事を繰り返している。何とかなると思う気持ちがあったときもあったし、努力をした時期も記憶にある。休みの日には、家の周囲を散歩して脚の痛みを忘れていた事を思い出す。
それなのに今は、気持ちがついてこない。諦めてもあきらめても、何も出来ない自分が悔しくなる。






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どうすればいい、ほとんど毎日、自問自答して答えが見つからないでいる。迷いばかりで、何も出てこない。少しずつ気力も無くなって行く事が、気づいていてその事が恐怖になっている。


2004年02月25日(水) パニック状態

大声で叫びたくなるほど、仕事も身体もパニック状態になっている。
事務所引っ越しが2カ所同時で、それぞれが何らかの問題点をもっていて、1つずつ自分の手で消して行く状態。そんなときにも、別件が次々と飛び込んでくる。
そんな状態で決算処理が舞い込んできて、待ったなしの時間との勝負。一言二言で理解してくれる人がいれば、仕事を割り振り出来るけれど、周囲には誰もいない。





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仕事の忙しさも納得が行かないから、怒りを感じてしまう、脚の痛みも同じなんだろう。痛みを感じる事に対して、納得が出来ていないから、ガマンが出来ないと言う気持ちになっている。
今年になってから、忙しさに対して、同じような気持ちが続いている。毎日、逃げ出せるものなら、逃げ出したい、投げ出したいと思っている。


2004年02月24日(火) ショックは隠せない

ダメもとで通院していてる病院で、診察時に「どうしようもない」「外来で出来る事は薬を出すか、痛み止めの注射をする位しかない」こんな通告を受けた。
と言っても、こんな会話は初めてのことじゃないから、ガッカリはしないはずなのに病院を出て行くときは、ショックを受けた事は間違いない。心の中では、これからどうしようと迷い、これを機会にここへ来るのは止めようとか考えていた。





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歩きながらも脚は、やっぱり痛みがあり力が入らない。会社へ戻って忙しさで走り回っていても、痛みを忘れる事は決してない。事務中は座っていると、いつでも脚がピリピリと痺れている。
この症状や鬱病など精神的な事が原因だと、決めつけている自分がいる、そして、それを理由に痛みから解放されないと信じ込んでいる自分がいる。

今日は何がなんだか分からない気持ちになっている。仕事も身勝手な人たちに、相変わらず振り回されている。


2004年02月23日(月) 迷いから抜け出す事ができない

仕事でのトラブルがあるたびに、この事が痛みの根元だと信じていた。これは思いこみなのかもしれない。家族の事や心配事が原因だとも考えていた事もある。
精神的な事が原因なら、受け止めている自分自身が原因なのだ。






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どうでもいいと投げやりになったり、踏みとどまって考え直したり、自分自身に対してあれこれ考えても、結局痛みから解放されないでいる。
こうして日記を書いていても、自分の気持ちに正直になれない何かがある。痛いから注射をすると、痛みがなくなる。こんな風に解決すれば、わかりやすいのにどうして難しい事になるのだろう?


2004年02月22日(日) 痛みがまとわりついてくる

意識が脚の痺れにゆくから、姿勢に関係なく麻痺して痛みになって、私の身体にまとわりついてくる。少し考える余裕みたいなものが、日曜日にはあるので、つい考えてしまう。病院からは離れる事ができないから、一ヶ月に一度くらいの頻度で通院をしている。
医師との会話も、もう長い間同じ事を繰り返している。痛みを強く訴えると、ブロックを受ける事になる。効果はほとんど無いけれど、ここではこれ以外に出来る事がない。ブロック注射の手技は、何人かの医師から受けているけれど、比較すると決してうまくしてくれるとは、思えない。
でも、もともと期待感が強く持っている訳じゃないから、ブロックそのものはあまり重要視していない。精一杯私に接してくれているし、何とかしようともしてくれる。それが何となく安心感につながっているのだと思っている。






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不眠、便秘、症状が正常に向かっている。睡眠剤は手放す事ができずいるけれど、深夜や早朝に目覚める事は少なくなっている。

先週の事。知り合いの人が函館、札幌に行っていたので話を聞いた。若い頃に何度も言った事がある「冬の北海道」・・・・・、行きたいなぁとうらやましく話を聞いていた。


2004年02月19日(木) 理屈なんていらない

とにかく痛い。ただ、単に痛いのであって、理屈なんてどうでも良い。朝からこの時間まで、何人分の仕事をしたのかわからないくらい忙しかった。
肉体的にも精神的にも、クタクタになって帰ってきた。






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「最近、調子良さそうみたいですね」
痛みが酷くて、入院を覚悟した頃に話をした人に、こんな声をかけられた。「痛くても、痛そうにしていてはいけないから」と、返事をすると笑っていた。

仕事の忙しさは、まだしばらく続きそうである。


2004年02月18日(水) 情緒不安定な事が自分でわかる

怒りが頂点に達したときの、自分自身の行動。あまりにも会話にならず、仕事に対する姿勢も納得が出来なくて、ちぎれた気持ちを幾度もつなぎ合わせて、持ちこたえていたものが、復旧できないところまで来た。
「もう、顔を見るのもイヤだから、生きすぐ目の前から立ち去ってくれ」
大声で怒鳴りつけた。こんな時は、すっきりするのではなくて、かえってイヤな気持ちが心の中に残ってしまう。

気持ちは誰とも会いたくない。現実にはできっこない。






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こころ、きもち、精神的な事って一体何なのだろう。わからない事が多すぎる。


2004年02月17日(火) 徐々に痛みが強くなってくる

仕事が始まると直ぐに、「こんな無茶がなんで通用するのだ」という出来事が起こる。総務から一本の電話が入って、出来事がはじまる。
何も聞いていない物件の納品に対する連絡がきて、誰が事務手続きをしたのか尋ねると、体よく他部署のせいにして逃げられた。
調べるとA役員が社内決済の手続きもせずに、電話で発注をしている事が判明した。その事をB役員に伝えると、「私はその件に対しては、もの申す立場にない」と逃げ口上を言い始める。上司の部長に話をすると、そこまで面倒を見ずに総務にやらせておけば良いという。誰に話しても、筋の通った答えをするでなく、面倒から逃げる事ばかり。普段は私に対して、一見正論を言うくせにいざとなれば、面倒はゴメンだと逃げてしまう。






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仕方なく事後処理で事務手続きをする事になり、半日がつぶれて、もうやる気も何も無くなってしまっていた。一息つけば既に9時過ぎになっていた。
バカバカしいと思いながらも、結局は誰にも作業を押しつける事ができずに、自分で片づける羽目になっている。

脚は日に日に痛みが強くなっている。それで苛立ちが余計に強くなっている。所詮、会社内での事なんてこんなものだと、諦めていても悔しさだけが残る。


2004年02月16日(月) むなしい一日

一日が過ぎてほっとしている。仕事をしていたはずなのに、なにも完成物がないし、満足感もない。ただ予定をしていた事をこなして、時間が過ぎて一日が終わっただけに過ぎない。自分の存在感を感じる時間が無かったからだ。午前中に一人、午後から一人、約束をしていた人との面談をしていた。その間に事務処理をした、これも事後処理で何かを考えてしなければならない仕事ではない。






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自分のおもいを表面に出そうとすればするほど、現実との開きが大きい事に気がついて、むなしくなってくる。老いを感じ始めるって、こんな状態を言うのかなって感じた。会社の中では私には、先行きはあまり無くて、残された日々を何のために使うのか、それを考える時間を作ってくれているように感じる。
とても寂しいものだ。
会社の中であっても、プライベートでも期待されていると感じる事が、生きて行くためには必要なのだ。二人の子供は既に自分で生きる道を見つけているようだし、あと一人、末っ子がいる。かわいそうな気がするけれど、何かをしてやる事はできそうにない。親としての役目もそろそろ終わろうとしている。


2004年02月15日(日) 異常なし

いろいろと気をもんだけれど、検査の結果は異常なしと出た。坐骨神経痛で入院をして検査をしたとき、「異常なし」と医師に言われても嬉しくなかった。
今度もそれとよく似ている、それは、膵臓に腫瘍が見つからなかった事は、それなりにほっとした。
けれども、背中のおもだるい症状は何も変化がないから。風邪の漢方薬を出してくれただけだった。私は「すいぞうに異常があるかないか」を知りたいのではなくて、この背中の辛い症状を改善して欲しいのだ。ガンじゃないからそれでいい、坐骨神経痛でかかっている医師に「内科所見は異常なしだから」と言って、相談すればと言う。






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なんとなく、坐骨神経痛で散々苦しんでいる時の医師の処置によく似ている。
今も苦しみは続いているけれど、この背中の重いだるいと言う症状も、元は一緒なのだろうか?

職場環境は日に日に悪くなって行く。逃げ場のない私にとっては、針のむしろにさえ感じる。バブルの時期に多くの借金をつくり、返済不可能な事業計画を出して親会社やメインバンクが進めてきて、一度は債権放棄をしたり自社の土地建物をほとんど売りさばき、家賃暮らしして再建計画を出した。
それさえも推進する事ができず、家賃が経営の足かせとなっている。その交渉で親会社とメインバンクで思惑がぶつかり、決着はついたものの社内は生半可な状態では無くなってきている。
この影響での仕事がほぼ毎日の仕事になっている。

こんな毎日を過ごしていて、仕事を忘れてリフレッシュをする気分にはなれない。
脚の症状、糖尿の悪化、そして今度は背中ときて全身がボロボロになってきている気がする。


2004年02月14日(土) 検査前日

仕事をしていても、どことなく落ち着かない。検査そのものは大層なものじゃない・・・・らしい。落ち着かないためか、脚も普段より痛みと痺れが強くて、背中もだるい。本当に痛みの原因は、この不安から来る苛立ちなのだろうか?






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今までも幾度か、背中が重くてだるいと訴えて来たのに、どうして今になって「すいぞう」に疑いを持って検査をすると言い出したのだろう。一度の症状だったら、医師は疑いを持たないのだろう。脚の痛みの時だって、直ぐには検査をしない。簡単な処置をして様子を見ると言っていた。
人の身体なんてこんなもんなのだろうか?

今夜は何も考えたくないのに、時間があるとイヤな事ばかり考えてしまう。


2004年02月13日(金) 不安のかたまり

日曜日に受ける検査が終わるまでは、不安ばかりが先にたつ。検査の結果がダメだったときの事や、大丈夫と言って貰えたときの事、どちらも考えてしまう。
坐骨神経痛でミエロの検査で入院したときよりも、不安が大きいと思う。あの時は、異常が見つかって治療して貰う事で、痛みから解放されるかも知れないと、期待する気持ちがあった。
異常が無かったと言われて、逆にガッカリした事を思い出す。
不安が不安を呼び込んで、脚も痛みも強くなっている気がする。






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もしも、異常がみつかったらどうしよう。考えても仕方がないのだろう。
わかっていても、悪い方へ考えが行ってしまう。

腰痛・・・・そして、坐骨神経痛、今度は「すいぞう」なんなんだ、この身体は!!


2004年02月12日(木) 心配事は絶えない

一週間ほど位前から、背中がだるくて日曜日に内科へ行った。風邪の症状はほとんど無いのに、風邪薬を出して貰っていた。ほとんど変化が無く、今日も仕事中、とても辛かったので、もう一度病院へ行く事にした。仕事はたくさん残っていたけれど、それどころでは無かった。
血液検査の結果が出ていたので、結果を見ると糖尿の数値は悪くて、少しショックを感じた。食事量も減らして体重も減少しているのに、結果は良くない。






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多くの仕事が重なり、遅れているものが、思惑通りに進まない。こんな時に、病院へ行くと「膵臓」の検査をする事になった。今までいろんな検査を受けているけれど、膵臓に疑いを持つ事になったのは初めての事。
家に帰って、早速、インターネットで「膵臓ガン」で探すとおびえてしまうような内容ばかり。一番ショックの内容は「早期で見つかる事はほとんど無い」と書いてあった事。
一体、この先どうなるのだろう・・・・・・。


2004年02月11日(水) 精神的な苦痛

今日の休みも何もできずに終わろうとしている。仕事で少し気がかりな事をメールで伝えて、後は前向きな事は何もしていない。身体を動かす事をする気力が全く出てこない、最初の一歩を踏み出せば何かが変わる気がしている、けれども、それができない。できない事がずいぶんと続いているので、自分自身に対して嫌悪感が出てきている。
脚が痛いからできないのか、何もできない理由を脚の痛みにしているのか、わからない。






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仕事で私が欲しいと思っている事。
それは、結果だけじゃなくて、そのプロセスも思惑通りに進めたい。一人でできる事出はないのだから、部下や上司、取引先なども含めて失敗をせずに、順序立てて進めて行かなければならない。
誰だって失敗をするし、わからない事も出てくる。そのときに、その出来事の受け止め方で、私の中にストレスという巣が増えて行っている。本当にストレスが痛みを生み出しているのだろうか?
今までに何度も同じ事を考えてきた。答えは疑心暗鬼のままで、痛みが続いている。


2004年02月09日(月) 痛みはつづく

今日もじんわりと痛みが続いている。この事を考えるたびに、答えは一つ。
いつまでも、同じような痛みが続いて完治する事はない。痛みが和らぐ事があっても、一度身体で覚えた痛みは身体が覚えてしまっている。
脚の痛みとしびれ、もう新しい治療法は無い気がする。整形外科ではダメだと言うけれど、神経科の薬での治療は私には耐えきれない。






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一病息災 : 持病が一つくらいある方が,無病の人よりも健康に注意し,
かえって長生きであるということ.
無病息災 : まったく病気をせず,健康であること

今年、親戚から届いた年賀状の事を思い出した。


2004年02月08日(日) にちよう

最近の休み、その度に辛い状態が続いている様な気がする。朝は、普段通りの時間になると目が覚める。風邪気味だったのと糖尿の採血に行くつもりだったから、朝食をとらずに病院が開くのを、寝たままで待つ事にした。背中全体がだるくて、のども痛い。脚の痛みが辛い日は、こんな軽い風邪の症状も精神的なダメージがある。
病院とお昼の買い出しで、あっと言ういう間に午前中が終わった。






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「坐骨神経痛」・・・・これは完治する事は無いもののような気がしてきた。
「いたみ」が身にしみこんでしまっていて、じわーっと、滲み出てくる。それを止める術はない。強烈な痛みになる事が無い事で、これでガマンするしか無い。
本を読んでいても、TVを見ていても何をしていても、痛みに意識がとられてしまって何にも集中ができない。その上に風邪で身体がだるくて、気力もわいてこない日曜だった。


2004年02月05日(木) へそまがり

自分の気持ちに素直になれない。わかっていても、うなずく事ができなくて逆らってしまう。「俺が悪いんじゃない、悪いのはおまえだ」と、必死に伝えていても、それが違っている事がわかっている。
誰が悪いのか、それがわからないから苛立ちが広がって行く。そんなときの発言は八つ当たりになっている。






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精神的な安定なんて、今の会社にいる間は、きっと無いだろうと感じている。
脚の痛みも無くなる事はなくて、今までしてきた事を、繰り返しているだけの気がする。


2004年02月03日(火) 人それぞれ

T常務から電話があり、話をすることになった。何の話かは聞かなくてもわかったので、電話口では仕掛かりの仕事を中断して直ぐに席をたった。
話し始めると前置きなしで本題に入ってきた。役員任期の途中で、それも株主総会を待たずして非常勤相談役になる事になったという。これでは、実際は首切り人事と同じではないかと思った。建前はもっともらしい理由にするのだろう。
ご本人の意志がどれほど入っていたのか、それはわからないけれど、メインバンクから来た人だから、銀行と親会社との確執の渦中での犠牲なんだと思った。
お互いに経営責任を押しつけようとして、出てきた結果が銀行側が勝ちをとった。その代わりに人を追い出したのだ。
常務が私にそんな秘密事項を話す義理は無いのに、「役に立てずにお先に出て行く」と言い、銀行との交渉毎は一人で抱え込む必要は無いからと忠告をくれた。






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この人も、前任の常務も、退職しても銀行という立場でここで働き、そして銀行の意向で出て行く事になる。「人は人、私は私」、生きて行くために人を頼ってはいけないのだと、改めて認識させられた。
設備投資に対する中期計画に対して、融資に対する理解をしてくれた一人が、いなくなってしまう。残った役員に対して、今までのように説得する努力をして行く気力は、既に無くなっている。
私はこの人のようなバックを持ち合わせていない。私だけの力で生きて行かなければならない。

大切な事は気づかないストレスを持つ事にならないように、どうすれば良いのか、その事だけを考えていた。


2004年02月01日(日) 眠くて・・・ねむくて・・・・

宿直明けで家に帰って、着替えをすませてようやく一息つく。
ただ理由もなく「疲れ」が出たと感じて、横になっていると眠ってしまった。遅れた昼食をすませて、再び同じ事の繰り返しを過ごす。不眠で悩んでいる最中でも、こんな事は記憶にない。数時間起きていると、眠くなり、小一時間寝ていての繰り返し。
不眠もストレスと関連があるのだろうか?
脚は良くもなく悪くもなく、進行が止まっている様子。






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ストレスの事を日々考える事が多い、それは、口に出す事も怖くなる事。まだ、もう少し考える期間はあるのに、どうしても定年の事が不安でたまらない。
一番下の子供がまだいるし、ローンも残っている。転職を繰り返しているから、今の勤務先でも大した年数にならない。本当に生きて行けるのだろうか?
お金の事だけではなくて、「自分のために生きていけるのか」とっても自信がない。楽天的に物事を考える事が出来ない。


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