坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2003年11月30日(日) 「怒り」爆発すると、止まらない

昨夜は仕事で帰宅が深夜になり、朝は直ぐに起きることができなかった。天候は小雨だった。今週は何とかしてやろうとしていたことをすることにしていた。
昼を買い出しするついでに、ホームセンターへ道具を買うために寄り道をした。
そこでのこと、屋根の上の掃除と修理の場所を見つけるために”脚立”、庭木の切り出しと片づけのために”チェーンソー”を買うことにした。
一つは店内にあり、一つは外にある。ついでに洗剤や小物も買い物かごに入れて、レジに向かう。
脚立は外にあるので、「一緒に脚立も精算して欲しい」そのようにレジ係の人に言うと、外で会計して欲しいと言う。面倒だと思いつつも仕方がないと、店の外へ出で外のレジに向かう途中のこと。
私の進行を制止するようにして『店内で会計をしてください』という。その態度は正に万引きでも捕まえたような慇懃無礼な対応に、遂に怒りが爆発をした。






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『そちらが外で会計をしろと言うから、出てきたのにその態度は一体何なんだ』
そのときに、レジの係員が防犯防止のキーを外しにきた。それなのに黙って突っ立っている。ますます怒りがエスカレートしてきて、こうなると怒りはとどまることが無くなっていた。外で会計をと言ったレジ係の若い女子店員、店長と相手は4名くらいになっていた。
こちらの怒りの原因をいくら言っても、言い訳ばかりを言うだけで謝ろうとしない。店長が謝罪の態度になってから、制止をした店員も謝り始めた。若い女子店員は泣き出しそうな顔で下向きになっているだけだった。これ以上、怒り続けると自分が悪者になって惨めな気持ちになりかけたので、腹立ちを納めて会計をして帰宅した。とてもイヤな気持ちになった。

屋根の上瓦の隙間の状態や、戸井の掃除をして、切り出した庭木をチェーンソーで短く切り刻んでゴミで捨てることができるようにした。小雨の中だったのでそれ以上はできなかった。
風呂場をカビキラーを吹き付けてから、床のふき掃除を始めた。途中で何度も脚の痛みで休んだかわからない。時には引きつりが出て途中で止めようと思ったかわからない。

はじめの怒りを鎮めるために、身体を動かして忘れようとしていたと思う。


2003年11月29日(土) 頼むから『痛み君』どこかへ行って!!

ガマンの限界のはずなのに、まだガマンをしている。本当の限界ってどこまで続くのだろう、ガマンできるから痛みが続くような気がする。
こんな時に思考の中でわき出てくるのは、ずーっとこのまま続くんだと誘惑の声が聞こえてくる。
痛みと痺れの混じった奇妙な脚の状態、言葉では伝えることができない。






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自律神経が暴れ回って、こんな症状を生み出す。下肢部分の筋肉か・・・・。
いいや頭の中かな?
私の思考回路が狂い始めているんだ、「神経科」の医師の薬はもうこりごり。あの吐き気や便秘の腹痛は耐えられない。これは、薬を止めることで止まる。

薬をいくら飲んでいても、食事量を減らしても糖尿は良くならない。合併症のことを知るたびに心の中で恐怖心がこもってしまう。

子供のことは少しずつ連絡がとれる回数が増えてきた。戻ってくる気は無いことははっきりとしていて、そのことはふれずにいようと決めた。そうするしかないのだと、考えることにした。仕方がないと気持ちがあることは認めるしかなくて、誰にも言えない自分自身の心のこと。人が生きてゆく事って、つくづく大変なことだと改めて考えてしまう。

健康で老後の心配もなく、仕事にも充実感があって毎日が楽しくて生きて行ける。死ぬことに対しても、苦痛が無くて保証されている。こんな空想をしてしまう。


2003年11月28日(金) 自己暗示か?!

とてつもなく耐えきれないほどの疼痛が襲ってきている。仕事でプッツンしそうな状態にある。
社内でのこと、社外の人とのつきあいで「一体何を考えて仕事をやってるんや!!」とか、「あんたに言われたくはないわ!!」などと口に出せない怒りが体中に貯まり、あふれそうになっている。
言っても何も解決しない。そんなことはわかっているから、言わずにいる。

病院へ行ってMRIの検査を受けることにしたことも、「また、無駄なことをするつもりか」という声と、「違う原因が見つかったら」とか「検査か治療かで入院になれば、仕事から逃げ出す口実になる」という声が両方ある。






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子供と時折、連絡が取れるときがある。
一度は病気なって、健康保険証が必要になったとき。今度は働き先の会社が倒産したと言ってきた。世間知らずと言えばそれまでで、経験と言えばそれも事実だと思う。その経験のまっただ中にいることがわかっていても、手助けができることはほとんど無い。「吸収合併される」とか「会社更生法の適用」で再建しようとしているなどと言って、それが何かも知らずに混沌としている様子だった。
連絡をしようとしても、連絡が取れない。黙って待っているしか無いのだろう。

これで脚の症状が悪化している。
これさえなければと考えてしまう。


2003年11月27日(木) 病院通いをやめる事は出来なかった

整形外科の予約を一ヶ月前にして、その日が今日だった。今までに出来る種類の検査は全てして異常なしだった。対処療法としての治療も入院までしたけれど、効果は出ていない。TMSの説明によれば、当然の事なのでしょう。
しかし、現実に私の身に起きている症状は一向に緩和されない。それどころか、ここ一ヶ月の間は入院を決意した頃と同じ位に辛い状態が続いている。
精神科の診療も受けてみたけれど、処方される薬の副作用でギブアップしている。





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整形外科でレントゲン撮影をやり直し、過去数回に渡って検査をしたMRI等の結果も眺めながら「もう一度MRIをやりますか?」と問いかけられた。
やっても意味がないと思いつつも、頼るところは他にはないので検査をする事になった。もう、何をしてもダメでこのままガマンをするしかないと、そんな気持ちになってしまった。

わかっていても、「病院へ行く事をやめる」ことは出来なかった。これからも自力で治す自信もなくなっている。


2003年11月25日(火) 一日が終わった

今日も一日がやっと終わった。何か特別なことがあったわけでもなく、悩み事が解決したわけでもない。ただ、今日の日が終わったことだけ。
風邪も少し和らいだ気がする。






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明日は何をしようか?
することはあるのだろうか、いいえ、しなければならないことがあるのだろうかと考えてしまう。何か自分の采配で動くことがあれば、あれば違いが出てくる気がする。


2003年11月24日(月) 全身筋肉痛?

庭木の切り落とし、道具の手入れなどで少し身体を動かしただけなのに。
情けないことに、今日は何をするにも身体がギクシャクしてロボットみたいな動き方になっている。
今日は残っていた枝を切り落として、昨日のやり残しを片づけた。
やりきれない気持ちをほかのことでごまかそうとしている。こんな事はしょっちゅうある。今まではそれで、一日が終われば忘れてしまうことができたのに・・・・。






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脚の症状のことに意識が行くたびに、入院していたときのいろんな事が思い出してしまう。それはイヤな気持ちになるよりも、今の仕事場に行くよりもあのころの方が良いような感じをしている。入院いていたときは、一日も早く回復をして帰りたかったのに気持ちの持ち方って勝手なものだ。


2003年11月23日(日) どこへも行けずに終わる

連休はどこかへ行こうと計画をしていた。風邪のために計画倒れとなってしまった。昨日の泊まり勤務の疲れもあわさって、身体の疲れはとれない。
午前中はゴロゴロしていただけだった。しんどいけれど、以前から気がかりだったことをなくそうと動き出した。
庭の木が隣の家にはみ出しているので、切り落とすことにした。のこぎりは錆びずに保管してあったけれど、花ばさみや鉈などがさび付いていた。面倒だと思いながら、道具の錆び落としから砥石での歯の研きなど次々と用事が増えていった。
おかげですべてを切り落とすことはできなかった。少し動くとしんどいのがガマンできずに、少ししては休みの繰り返しだった。






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押入の中にある不要物を片づけていた。いつか使うことがある、まだ使えるなんて思って入れていたものを、長い間使わずにいるのだから無くても良いと考えて、一つずつゴミ袋に入れていった。

今日は片づけと風邪の疲れの一日だった。


2003年11月22日(土) 弱り目に祟り目・・・・

左脚の痺れと痛みが強くなっている、糖尿の検査結果は悪化の方向へ、そんなときに風邪でくたくた。熱は出ていないのに、熱が出てきたときのような身体のだるさとふらつきがする。
今夜は泊まり勤務で急な変更が出来ない。なんとしても出なければならない、朝の調子では自信がなくて『何かできることは』と二日連続で内科へ行った。
点滴位ならと言う事で、それを受けて出社した。何が入っているのかは聞いていない。ビタミン剤かなんかだろう。
あまり効果を感じない。





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風邪は横になる方が楽だけれど、横になれば脚が痺れてこっちが辛い。

坐骨神経痛で辛いとき、『宙づりにして欲しい』と言った事を思い出した。
たかが風邪、されど風邪です。


2003年11月21日(金) 「しんどい」って通じる?

数日前から風邪かなって感じていて、昨日はのど痛くてうがいをしていた。今朝、おきたとき「これはあかん」って言う状態だった。土曜日は泊まりの勤務なので、どうしても休むわけにゆかないから、病院へ行った。
「風邪だから風邪薬をもらいに行く」ってよく考えれば、おかしな話と思う。症状を医師に伝えて、風邪(病名かな?)を決めるのは患者側ではないと思う。
理屈はどうでもよい。。。。。。かっ。そのときに、「とにかくしんどいのです」って言った。ホントにこれで症状が相手に伝わっているのかな?






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数少ない連休だから、車でどこかへ行ってみようと考えていた。休みになると何か症状が悪くなってしまう。今度は風邪だ。
脚の疼痛はますます酷くなっている。もしかして、TMSも違うのではと疑いの気持ちが出ていた。「糖尿病性神経障害」という症状がよく似ているので、もしもこれだったら、それなりの治療が必要になるはずだと。

加茂先生に聞いてみると、違うという返事が来た。


2003年11月20日(木) 最後に何が残るのだろう

子供達が次々と家にいなくなり、仕事も少しずつくなってゆく。それに伴ってつきあいの人数も少なくなって行く。いなくなっても、気持ちの中で残っている間は「いなくなった」と感じない。ストレスの感じるものを捨てて行こうとすると、心の中からも消えて行く気がする。
今の私には「自分のため」に生きている部分が、とても少ないように思い始めてきた。このまま無くなるものが増えて行くと、私には何が残るのだろう。





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「自分のした仕事」と言えるものを求めて、会社を変わっていった頃は自分のために生きていたように思う。そのことが挫折したと感じている今、仕事も自分のためではないのだと思う。
職場と家の往復、家では症状が辛くて睡眠剤の力を借りて寝る事が精一杯。それも決まって深夜に目が覚める、朝早くに目が覚めて終日疲れが残っている状態が続いている。

今の状態が続けば、私の中で何も残らない気がする。

まだ、末っ子がいるから頑張らなければいけないと思う気持ちも、自分に対してプレッシャーとなって来ている。段々と『子供に対してしてやれる限界』を知る事で、無能な自分が情けなくなってくる。


2003年11月19日(水) 何もかもダメな日

脚のこと、仕事のこと、プライベートなこと何を見つめてもすべてがダメな日。






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気のせいか、痛みが悪化している気がする。一番、辛かった頃に向かっている。
物事が悪い方へ考えてしまう。


2003年11月18日(火) 普通じゃない、異常でもない、どっちなのだろう?

坐骨神経痛は異常じゃ無いという。未だに疼痛は変化がない。それどころか最近では腰も痛みを感じている。
やっぱり普通じゃない。

糖尿病・・・・・
9月、そして今日、採血の結果を聞いてきた。すると、血糖値もヘモグロビンa1c共に過去にはないほど悪い状態になっている。グラフを見ると、仕事が異常なほど忙しくて、坐骨神経痛で入院と通院でブロックを続けていた頃が糖尿は正常値に近い。なんだか、すごく皮肉な気がする。






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痛みと痺れの違い。一番辛かった頃、症状をどのような表現で言えば医師に伝わるのかを毎日のように考えていた。

「痺れている」と言うと、
痺れは治療ではなかなかとれないから様子を見てみようと結果がでる。

「痛い」と言うと、
痛みの場所を確認して、治療の方法を考えてくれる。
それでも症状欄や治療方針を書く欄には、「下肢部疼痛緩和」として両方が書いてあった。医師は「硬膜外ブロックによる合併症に注意」と書き、看護婦の欄には「疼痛コントロールに努める」とあった。

食事の量を減らすことによって血糖値が下がることは、正常なのか異常なのか、どちらにしても『糖尿病』という病名は免れない。
私の死因は糖尿病による合併症。こんなところかな。。。。。寂しいものだ。
なんだか苦しそうな死に方だという気がする。
そういえば「ストレス」の中の一つに、自分の死に対する恐怖感があった。死ぬことでは無くて「死に方」が苦しんだり、周りに迷惑をかけるような事はしたくない。これだけは自分の力ではどうにもならないことだと思っている。


2003年11月16日(日) 親と子、気持ちのすれ違い

携帯ではいくら連絡をしても全く反応がない。支払い未納のメッセージが流れることもあった。あまり反応が無いのに、こちらからメールなどを出すのは逆効果かと考えて何もしない日が続いていた。
受け取っているのかどうかもわからなかったので、悩んだあげく手紙を書いた。
岸見先生の掲示板、ある人からからの意見なども受け入れて「どうして」とか「なんて゜」という言葉を使わないようにした。私の考えとして気持ちを伝えることにつとめた。






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投函後、しばらくして子供から手紙が返ってきた。半分以上、返事はこないと諦めていたので驚いた。手紙なんて書いたことがないから、慣れていないので何から書けば良いのかわからない。こんな事から始まっていた。
気持ちの中で驚きを感じたことは、私と末っ子の関係に関して「嫉妬感」を持っていたと言うことだった。私は、長男がなかなか話をしてくれないことに、寂しさすら感じていた事があるのに。全く逆の事を子供は感じていた。
まだまだ知らないことを、子供は自分が生きてゆく中でそれなりに感じてゆくのだろうと思った。せめて普通に、職をもって生活をしてくれていたらと願うしか無いのだろう。健康保険証の事で住所を知らせてくるように、携帯メールを出してから二ヶ月くらいでこんな状態までになった。
居所がわかったら安心して、見ていられると思っていた。けれども、次々と別の心配事がでてくる、それはどうすることもできないこと。


2003年11月15日(土) 良い人間関係は続かない

脚の痛みがTMSじゃない方が良かった。本を読んでも悩むばかりで何も解決しない。今の医師で治療ができる原因だったら、今頃は痛みから解放されていたのにと思う。おかげで哲学が精神学まで勉強することになり、訳がわからなくなっている。「よりよい人間関係」を気づくためにとか、素人にはなかなか理解できない脳の働きや「無意識」などという謎解きのような事を毎日考えることになっている。
痛みや痺れが自分の身体に感じていないとき、きっと答えなんて出なくても気にならなかったと思う。

苛立ちが無関係の人に対して、言動や行動に出てしまう。
きっと、相手は何がなんだかわからないことだろうとおもう。弁解、言い訳、すればするほど変な方へ行ってしまう。気持ちを相手に伝えることの難しさ、伝わっているはずなのに、黙っていればいいのにそうできない。






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子供たちと私、私と会社の同僚や役員たち、私を取り巻く取引先の人たち、悩み事のない人間関係なんて見つけることは、できないのかも知れない。
身体の痛みも消えることは無いような気がしている。希望を持つことが無意味なんだ。痛みが続こうが、場所が移動しようが、痛みが広がっても驚きはしない。
つらさは変わらない。

あれこれと考えなくて住むのなら、そうなりたい。


2003年11月13日(木) 生きてゆく事への挫折

仕事に対して挫折することにおそれている。そのことよりも、子供のことで挫折することを拒絶しているのだと思う。親を必要としていない状態になったとき、親の役割をしていた自分はなんものだろう。
楽しいと思う時間を少しでも良いから作るようにアドバイスを受けた。






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いくら考えても、今は答えが見つからない。

会社の中でも、誰も信じられなくなった。誰もが自分のために生きているのかも知れない。何もかもわかっているはずなのに、苛立ちが先に出てしまう。平然として笑っている人たちも、それが真実の顔とは限らない。会社の中の出来事はあきらめがつくと思う。
考えれば考えるほどわからなくなる。


2003年11月12日(水) 親と子供の不思議な関係

しばらくの間、日記も書く気がしなかった。脚の痺れが続く中で、毎日の生活が苦痛に感じていた。不眠も続いて、朝から身体が悲鳴をあげていた。
仕事に対しても気力が出なくて、ギリギリのところで身を置いていたと自分では感じていた。早く帰宅しても夕食をすませば、その日は終わり、睡眠剤を飲んでムリに寝る。こんな事が毎日同じパターンで繰り返しいた。
大げさに書けば生きてゆく目標を見失っていたと思う。今日でもあまり変わっていない。
朝から珍しく、午前中に取引先の会社の常務がふらりときた。午後からはバタバタしていて、今度は営業部長がきた。ともに最近感じている不満を伝えた。そして、社内では役員が電話で「そちらに行っても良いか?」というので、半分雑談のような会話をした。相手がこんな人たちではなかったら、人と会話をするのも気が重い状態だった。






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長男のことが一番気がかりで、何度か岸見先生の掲示板に書き込みをした。親が子供の生き方を押しつけることはできない。意見というか考え方を話すことは、親子関係でもかまわないと言っていた。決して考え方を押しつけてはいない。
話ができる状態だったら、どれだけ気が休まるのかと思うことが精一杯。3人の子供がいて、真ん中の子供だ。いろんな意味で難しいと感じた。
自分では3人とも「どうでもいい」とか「この子だけは」などという、差はつけずに接してきたつもりだった。でも、子供から見ると違うのだと、他人同士でも人間関係は難しいのだと思うしかない。
「家庭円満」という言葉はどんなものなのだろう。他人との関係でうまく行くために必要なことと、身内では違うものだろうか?

自分の子供に幸せをと思う気持ちは、行き過ぎになる親の身勝手なのだろうか?


2003年11月05日(水) 眠りたい

さわやかな朝を迎えたという日が、いつの事だったのか記憶にない。
毎日のようにイヤな夢や、腹立たしい夢で目が覚めて深夜や早朝に何度も時計を見る。その日の仕事の事を考えると、少しでも身体を休めておきたいという気持ちでギリギリまで横になっている。
夜は食事済ませると、何もする事が無いので時間に関係なく「寝よう」と考えてしまう。毎日がこんな事の繰り返しで、徐々に疲れが溜まってきている。
5時や6時に目が覚めても良いけれど、さわやかな気持ちで起きたいと思う。





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本を読み始めている。冒頭から驚いたのは、心理学のことでアドラーではなくて
フロイトのことが出てきた事だ。この両者の違いはさっぱり分からない。
けれどもなぜかアドラーの方を信じているものだと信じていた。
まだ読み始めたばかりなので、先の方を読みたい気持ちを抑えながら読んでいる。


2003年11月04日(火) 本が届いた

アマゾンは本当にすごい、昨日購入依頼をすると今日の昼頃に本が届いた。
同じ買うのなら「TMSジャパン」のホームページからと思って、そこから購入した・・・・。会社を配送先にしているので、まだ読んではいない。
TMSの掲示板は毎日見ているけれど、最近は読んでいるだけで書き込みはしていない。でも、見ていなかったら本を購入するどころか知らないままでいたかもしれない。
今の状態が悪いのでタイミングが良かったと思う。





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ズボンのファスナーがあがらないのに驚き、少しずつのストレッチを初めて約1ヶ月。体重の変化は全くない。
でも、今朝の状態で上まであがった。ストレッチが聞いてきたのか、或いは糖尿が悪化してきたのか迷うところ。何しろ9月末のHbA1cの数値が過去最悪だったから、今まで以上に食事制限をしている。(つもり)
そろそろ、採血をして検査をした方が良い気がしている。どうも、空腹感がなくて胃の調子が良くない。

たまには熟睡をしたと思える日が欲しい。


2003年11月03日(月) いたい

朝から両足が痛くてたまらない。ちょうど入院の決意をした頃と同じ状態の様に感じる。今日、お昼のパンを買いに行く途中で、アクセルを踏む右足がピクピクと引きつり始めて驚いた。ずーっと痛みが始まっても、左足の下肢部分だけだったのに、再び両足が痛くなってきた。それは、座っても寝ていても同じ、このことも2年前の辛い時期と一緒の症状なのだ。
こわい・・・・・、とてもこわい。また、ガマンができないほどに辛い状態になったらどうしよう・・・・・。






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終日雨で出かける気にもなれず、痺れと痛みを我慢しながら横になってTVを見ていた。見ていたと言っても画面に映っている内容は、時々頭にはいるだけで、脚のことや自分のふるーい頃の出来事を思い出していたように思う。

今日さえガマンすれば、明日には症状が変わっているかも知れない。でもそんな考えだけで1日を過ごすことに空しさを感じる。そして、明日は会社へ出かけなければいけないし、彼奴たちとも顔を合わせる必要がある。
諦めたはずの長男のことも、頭から離れない。どうしてこんな事になってしまったのだろう。何もかもが情けなく感じる。
思い起こせば5月の連休の時も、痛みが出てきたような気がする。そもそもが治っていないのだから、痛みが出てきても何も不思議がないのだろう。

ピリピリと痛みが休みなく両足に来るので、何に対しても集中ができない。頭痛がしたり肩こりが酷くなったりもする。まだ6時過ぎなので、今日が過ぎるのはまだまだ時間がいっぱいある。

明日になっても症状が変わらないときは、また、一日ガマンが続くことになる。
気が重くなるだけ・・・・・。


2003年11月02日(日) 痺れが再びよみがえってきた

脚の痺れが強く出ている。この状態が続いていると、いろいろと考えてしまう。

ストレスが原因だと思いそれを信じて、原因探しを繰り返している。調子の良いときは「何でも良いから」と思うことができるけれど、今はそう思うことができない。いすに座っていると、ピリピリとしているし、横になっても同じ事。
仕事のことでもあれこれと考えてみる。プライベートでもたくさん思い当たることが出てくる。共通点は自分ではどうしようもないことである。
何かすがりつけるものが少しでも良いから欲しいと思う。






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何かをして考えることを忘れることができるのではと、考える。そして、この休みに車でどこかへ行こうと考えていた。しかし、座ったときに脚の痺れが酷くて運転に集中ができないから躊躇してしまう。

結局、終日一人で家にいた。


2003年11月01日(土) 爪がはがれた

昨日はイライラが耐えきれず、少し爆発してしまった。いつどこでかは、ハッキリと分からないけれど、右の爪が半分ほどはがれて血だらけになっていた。
正常な精神状態の時であれば、おそらく痛みを感じただろうと思うほどだった。
とにかく、消毒位はしておこうと赤チンをぶっかけて包帯をした。見れば気分が悪くなるような気がした。その時でも息づかいが荒くて、気を静めるのに一苦労をした。





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1日経っても、痛みはさほど無い。けれど、脚の痺れはひどくなっていた。不思議だと思うのは、けがをした爪の所は痛みを感じないのに、どうして脚の痺れはひどくなるのだろう。

随分と昔の事、手首を骨折したとき。そのとき、手首に猛烈な痛みは感じたがそのままで家に帰り、あまりにも痛みが治まらないから救急へ行った。そして、レントゲンで骨折をしている事が分かったとたんに、今まで以上に痛みが強くなった。

少し、事情は違うけれど、痛みと精神状態に何か関連があるのだろうか?

長男が家出をしていなくなった事が、気づかないところで私の精神状態に傷を付けてしまっている気がした。それで末っ子が自分勝手な事を言うので、つい切れてしまい感情的になってしまった気がする。

情けないのは、自分が自分に対して持っている感情かも知れない。


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