坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2003年10月31日(金) イライラばかり・・・・

昨日より今日、脚の痺れが強くなっている。今までの知識からすると、気づかないところで腹立ちを感じている。そして、うまく感情をコントロールできていないから疼痛となって出てきている。
岸見先生のBBSで得た知識とあわせて考えると、人間関係でストレスが出ている。仕事で症状が改善できないなら、なんとか切り口を見つけることが必要なのだろう。






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これ以上、仕事の進め方でストレスをたまるのは遠慮したい。自分の思いとは違う内容なのに、どうして決裁書類が書けるのだろう。これが必要だと思うからその理由や必要性を書いて決裁書類が書けるのだと思う。

あれこれと、何件かがたまってきている。


2003年10月30日(木) 病院の診察とくすり・・・・・

整形外科の診察と、神経科からの薬の処方箋だけ貰った。
整形外科は診察と言っても次の予約をするかどうかと、状況が変わっていない事を伝えただけでなので『診察料は無し』なのです。忙しい先生なのに例えわずかでも時間をとれば、診察料をとると思っていたのにずっとゼロが続いている。
神経科の処方はキッチリと請求が出ている。





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たくさんの薬が出ているけれど、寝る前の薬以外は飲んでいない。深夜に目が覚めて、早朝にも目が覚めるので日中はむちゃくちゃ眠い。
午後から事務所は一人だったので、ほとんど寝ていた。何かにつけても、積極的にやらねばと思いつつも身体がついてこない。
休みの日も大抵が何もしないで、時間が過ぎるのに任せているだけの日が続いている。何かきっかけが必要、これも自分で作らなければダメなんだろうと思う。

そろそろ病院へ行くのをやめようかと考える日が出てきた。整形外科は、予約をするだけだし、神経科は薬が出るだけで飲んでいるのは、睡眠剤だけでそれもあまり効果が無くなってきている。
脚の痺れに対して治療は何もしていない。原因が精神的なものであれば、今の状態では改善する事はない。

明日へつながる希望が欲しい。


2003年10月29日(水) あの作者は誰なのでしょうか?

「社長にガツンと言うたった」「心の中で言うたった」
「部長に言うたった」「聞こえんように言うたった」
とっても楽しいコマーシャル。一体誰が作ったのでしょう。こんなにもうまく作るには、気持ちがわからないとできないと思う。私も何かあるとこれを思い出してしまう。






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ここ数日、脚の痺れが止まらない。日に日に痺れが強くなっている様な気がする。岸見先生のBBSに仕事のことを書き込んだところ、ほとんどの場合が人間関係が絡んでいると教えてくれた。そして、『突破口が見つかれば良いのに』とも言われた。ホントにそうだと思う。

神経科の診察は止めたくなっている。だから、薬だけもらおうと思っている。


2003年10月28日(火) 精神状態は悪い

仕事に対して腹が立つ事なんて何十年と働いていれば、何度もやってくる。今日もある事から、カチンときて口に出してしまいそうになった。脚は痺れと痛みがあるし、仕事で腹立っていれば最悪になる。





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岸見先生のBBSに顔を初めて出して、薬の事はすぐに深く会話が出来ない事になった。少し、続けているのは「人生観」「人間関係」と言った会話になっている。
今日の出来事も、そのことを考えさせられた。若いときは、転職という切り札を持つ事が出来たけれど、この歳では切り札にもならない。諦めをつける程の事も無いように感じるし、『あんなヤツのせいで』私の人生をゆがめられてたまるか!!
とも考える。

ずーっと苦しんでいる症状、不眠と脚の痺れ・・・・これがなければと何度も思う。あれほど痛い目にあったのだから、治療方法が違ったとしても許して欲しいと思う。(いろんなブロック注射の事)
光が見えていないので、今夜もきっと同じ事になるだろう。


2003年10月27日(月) 価値観の違いと権限

今年の予定していた仕事に使う費用で、上司と意見が分かれた。完成物に対して高いのか安いのか。或いは、絶対額が高いと価値観以前の意識になってしまうのかと感じた。私は予算額に対して、かなり低めの総額にしたので了解して欲しいと頼んだ。
しかし、個別の仕事に対して高いか安いかで論議をしようとする。心の中で『あなたの好きにすればいいじゃないか!』と思いつつも、そうは言えずに説得かかる空しさ。それが終わったと思えば社長からの電話で、多くのことを一言で『簡単なことだろう』と問いかけてくる。そんなときに『費用がかかります』とは言えず、生返事をして電話を切った。






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一つ、不満があるとすれば部長から断片的に質問を受けた部下が、もう少し全体を把握して回答をしてくれていれば・・・・。改めて、私が質問を出すとほとんど返答に詰まる部下に苛立ちがある。でも、それを言える相手がいない。

今週の木曜日は『整形外科』へ予約をしている。今までの事を思い出せば、予約のキャンセルはしづらい。一度、キャンセルをすると次に行くのが難しくなるから。
全然違う話になる。
人差し指を扉に詰めてすごい内出血をした。しばらくのガマンと思い、ほぼ一ヶ月たって内出血のところは正常になったが、関節が痛くてぐーができない。そこで、近所の整形外科へ行くことにした。そこには、牽引のための道具や、電気治療のベッドが揃えてあった。きっと、ここで腰痛の診察を受けるとあの牽引をするのだろうなと想像すると、ここへは来ないだろうと思った。


2003年10月26日(日) うつ病のこと

岸見先生のBBSをみると、返事が書き込んでくれていた。うつの改善で坐骨神経痛も楽なる可能性があると一般論であった。カウンセリングももっとしないとわからない、そして、ネット上ではプライベートなカウンセリングはムリとのこと。当たり前のことですね。
しかし、神経科での薬での吐き気と便秘には耐えられない。病院での何時間にも及ぶ待ち時間にもついていけない。睡眠剤はどうしても欲しいので、投薬だけにして行っている。






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はじめに受診をした医師の説明によれば、現在飲んでいる眠剤は強いものらしい。この薬で耐性ができてしまうとあれば、困ったことになる。

痛みや痺れには負けていないと思っている。久しぶりに車の掃除をした。
驚いたことに、後部のドアを開けると蜂の巣ができていた。ドアミラーやあちこちに蜘蛛の巣ができているのは、普段からよくあることなので驚かないけれど、これにはびっくりした。


2003年10月25日(土) 突然寒くなった・・・・

きっと鬱に入っているから、こんな事を考えてしまうのだと思う。
それは、自分自身の人生についてです。思い出せば、楽しい事も辛い事、いろんな事があったのだと思う。それなのに、なんてつまらない人生を過ごしてしまったのだろうと考えてしまう。子供の事もそうだし、仕事の事についても今までの事が『これで良かった』とは思えない。その時々で、一生懸命やってきたと思っていた。ところが、今の症状に対して前向きに考えて、闘っているのかと言えば自信がない。





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何かに打ち込んで生きているときは、こんな事は考えないと思う。だらだらとその日を過ごすような日が続く時、考え込んで落ち込んでしまう。

何もかもやめて済むのなら、やめてしまいたい。


2003年10月24日(金) 話し相手がいない

TMSの原因が<抑圧されたストレス>だと理解していて、慢性化している疼痛で鬱病と見なされて神経科へ行くようになった。私の思考の中では切り離せないものの様に感じていた。でも、TMSの掲示板でこのことを出すと心理学の方へという。
ここでも大病院のように診療科目を細分化していて、一人の個性として相手をしてもらえない歯がゆい思いをする。これ以上踏み込むと、きっと「あなたのためにあるのではない」とか「人に頼るのではなく自分で治すものだ」とか言う、感情論になってしまう危険があるので話すことを止めてしまった。






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ここ数日、イヤな夢を見ては目が覚めてしまう。夢と現実の境目がとても薄くなっている。日によっては夢の中で、怖さを払い落とすために手を強く振り払うと、本当に手が動いていて寝床の横にあるタンスをたたいて痛みで気がつくこともある。

仕事でも、私の存在が非常に薄く感じることがある。そんなときほど何かをしようとする。イヤな性格だと思う。昨年の今頃作成をした5カ年計画を見直して、2年分の訂正をしている。必ずしも、それが通るかどうかはわからないのに真剣になって考えている。考えがまとまらないときに、もう一人の私が「どうせ、どうなるかわからないのだから、そのまま出してしまえ」といっている。
それでもそれができずに、理屈を整理しようと苦しんでしまう。気がつけば、周囲には誰もいない。締め切りぎりぎりまで出せずに、悩み続けている。


2003年10月23日(木) あれこれ

昨夜の深夜に子供から電話があった。しかし、無言電話である。
何かを言いたくて電話をしてきたのか、電話をしたものの言えずに黙っていたのか、無言だからわからない。15分程度待っていたが、諦めて電話を切った。






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離れたところで、一人で生きる道を選んだ子供。どんなことがあっても親子は変わらない。でも、子供は自分勝手にしたことだから、話はしづらいという。それも仕方がないと諦めていても、昨夜みたいな事があると気になって仕方がない。
他人が見てまともな姿で生きていって欲しいと思う。

不眠で辛い毎日と、脚がしびれる日が続いている。逃げ出したい気持ちが膨らんでくる。たかが痺れ、されど痺れというところ。終わりが見えないだけに、つらさが大きくなる。1ヶ月ほど前に、とある店の入り口で指を詰めてしまった。内出血が酷くて爪も含めて赤と紫ではれていた。
大丈夫と思いほっておいていた。爪の内出血の後はなくなったけれど、人差し指の第一関節の部分の痛みが未だに取れない。

TVで『白い巨塔』が始まった。山崎豊子の本はとても好きで、ほとんど読んでいる。そして、今でも売らずに本箱に入っている。本箱をのぞいて本を開いてみると、昭和49年発行とあった。何度も読み返した本の1冊に入っている。
今日は放送日なので、少し楽しみ。
でも、録画して寝ているかも知れない。


2003年10月22日(水) 存在価値を感じない。

朝・昼・晩、体内時計が狂っている。夜は眠いけれど、眠れない。昼は無性に眠い。人と会話をするのがすごく鬱陶しい。誰とも会いたくない、それなのに一人でいても安心感がない。突然何もかもイヤになるときがある。一瞬だけれど、明るく振る舞えるときがある。
もう、むちゃくちゃな精神状態だと思う。






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時折、入院していたときのことを思い出す。たまーに、看護婦さんがかまってくれたり、検査だとか治療だとか行って医師と過ごす時間が、今はとても懐かしい。
それが仕事だとわかっていても、自分を感じる時間であることは事実。
最近は、ほぼ同じ時間に起きて、同じ時刻の同じ車両の同じ位置に乗り込んで、誰もいない事務所の鍵を開けて一日が過ぎるのを待っている。
日によっては、誰とも会話をしない日もある。

今日は少しだけ変化があった。
コンシェルジュの人から頼み事を電話で受けて、調べごとをした。結果を出すことはできなかったけれど、人のために何かをしたという気持ちがあった。
そして、うまく行くことができなかったときは『残念』と感じた。
英語版のPCで、MacでYahoBBのダイアルアップ、すべてが始めてのことで対象物は人のものだから、さわるにも気がかりの気持ちでさわるからよけいにうまく行かなかった。

今夜はどうなったのだろう?


2003年10月21日(火) 些細な出来事の一日

毎日楽しく生きている人と、私のようにぶつくさ言いながら生きている人はどちらが多いのだろうか?
来期の予算作りで先週くらいから、あれこれと考えている。それも今週でいったん締め切りが来る。部署が売り上げ部門ではないので、出すのは支出ばかりだからどうしてもいやがられる。もう、1〜2日しか日がない。






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夢・・・・寝たときにみるやつの方です。
原始時代のような場所で、気味の悪い恐竜のような怖い生き物に追いかけられている。逃げても逃げても、様々な気味の悪い生き物が追いかけてくる。目が覚めたときは、薬の効果が残っていたのだろう。フラフラしながら、起きあがって顔を洗いに行った。こんな日は、会社へ行ってもろくなことはない。

楽に死ぬことができるのなら、なんだか思い残すことはないような気分がする。
楽しいことを考えることができない。
何かを思い起こしても、考えは悪い方へばかり行ってしまう。


2003年10月20日(月) 条件反射の条件はなんだ?

予定通り3冊の本を退院した同僚に貸してあげた。腰にはコルセットをして、下肢部分に痺れが残っているとのことだった。「ヘルニアは切らなかった」と聞いて、良かったねと励ましてしまった。私自身も左足の下肢部分の痺れは強くて、座っていると少し苛立ちを感じていた。でも、それは口にはしない。言っても誰にも伝わらないから。






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朝からしゃくに障る会議が二時間。午後からは、同時にいくつもの依頼ごとがやってきて、すごく不安定な一日だった。
まだまだ、何かわからないものに対して体が反応している。しびれていても仕方がない。それが何で起こるのかを知りたい。それはどうでもいいという気持ちになかなかなれない。


2003年10月19日(日) 今日はダメ

二日続けて寝るのが遅かったためか、昨日の怒りの一日が悪かったのか、今日はとても調子が悪い。脚の痺れが強い。普段は立っていたり、歩いているときは大丈夫だったけれど、今日はダメだ。






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脚が重いときは、まるで鉛板が張り付いている様だ。軽いときはそれがない。悪循環だとか、条件付けだとかいろいろ言われるけれど、痛みと痺れを感じているときは「理屈抜き」になる。
何かの缶コーヒーでコマーシャルがあったのを思い出す。『社長にゆうたった』『部長に聞こえん様に言うたった』というやつです。ところが、昨日は朝一から電話で理不尽なことで『ゆるさん』と、言われたので速攻で反発をして『きっぱり』と言った。いくら言ったところで、何も解決などしない。
しかし、ゆわずにはすまない。理屈に合わないことはガマンができない。
それでも抑圧されたストレスが体に入り込んで来るのか!!

明日は腰痛で二ヶ月間入院していた同僚が復帰してくる。彼に赤白の2冊の本と、夏樹静子の本を貸してあげるつもりで会社へ持ってゆく。ヘルニアが見つかったけれど、切らずに復帰してきたことで本当に良かったの思った。まだ、下肢部分に痺れが残っていると言っていた。私がそれが数え切れないほどのブロックを受けて、現在に至っているのだ。似たような症状で聞く耳ができたようなので、本を貸してあげようと思った。


2003年10月17日(金) 気が重い

昨夜は本当に調子が良く、「なんともない」感覚だったせいもあり久しぶりに、夜遅くまで起きていた。(と言っても11時には寝ていたけれど)

おなかの出っ張りはなかなかへこみません。でも、気のせいかズボンのファスナーが少しだけ上に進むようになった気がする。最後まですると、圧迫感で気分が悪くなりそうなので、不細工でも良いからベルトで止めている。





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イヤな事でも、気の持ちようで「自分から進んでやってみよう」と言うきもちになれば、案外気持ちの負担が変わる事がある。しかし、それも頻繁にあると通用しない。まさに今日がそれだし、来月は連休の中の土曜日。日曜日で無いだけましかも知れないけれど、一度そうなると人数の関係か分からないけれど、結構連続してしまう。

仕事は相変わらず、にっくきアイツに振り回されている。辞めるわけにも行かず、ブツブツ言ったり楽しそうな気配を見せながらやっている。こんな人生は詰まらないに決まっている。


2003年10月16日(木) 脱出したのかも・・・・

通院している「神経化」は予約診療ではないため、いままで約1時間は待ち時間が必要だった。それでも、順番待ちの患者さんは数人程度だった。
ところが、昨日は待ち人が10人をこえている。これでは何時なれば順番が来るのか想像しただけで疲れが出てきそう。それで診察を諦めて薬の処方箋だけを貰う事にした。
昨夜は夜遅くから痺れがきつくなり、不安で一杯だった。





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何の根拠もないのだけれど、症状は残っているけれど体内から悪者が出て行ったような気持ちがする。
不思議な気持ち。なんだろう・・・・・、これは。
朝、起きたときに時間を間違えて一時間早く起きてしまい、朝食を済ませても一時間以上時間が出来てしまった。睡眠時間は短いけれど、やけにさっぱりした気持ちがした。

腹を立てて、声にして感情を表に出すと体内にストレスは残らないのだろうか?


2003年10月14日(火) 諦めないこころ

今日はとても寒い。調子は良いのか悪いのかよくわからない。痺れが辛いと言うことはない、何ともないと言うこともない。気にするか、しないかの違いがあるだけなのかも知れない。
長男が体調が悪いからと行って、保険証を欲しくて連絡を入れてきたのが今月の初めだった。それから手続きに時間がかかったけれど、今日、郵送した。






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速達で保険証を出して、そのことをメールで伝えた。どうにか一人でやっている様子。気にし始めると、あれこれと考えてしまうので、少しだけのメモを同封しただけにした。

自分の腰と下肢部疼痛は、完治することを願っているから少しのことでも気にしている。悪くなる前の状態を願うことは普通の感情だと思う。
一度、座骨神経痛になると多少のことはガマンしなくてはいけないと言うのは、考えとして変だと思う。風邪は何度もかかるけれど、それと同じに考えることはできない。こんなことを考えなくてもいい日が来て欲しい。
不眠も同じと思う。夜中に目が覚めるのは、年のせいだと近くの開業医は言うけれど、そんなはずはないと思う。


2003年10月13日(月) 二日目の休日

2連休が少ないけれど、今回のようにカレンダーの赤い日が続くと連休になる。持ち帰った仕事は結局手つかずで鞄の中に入ったままだった。資料作りならたいしたことはない。昨日書いた内容が心の中で決心が付かないので、進めようがなかった。明日になっても、次の日になっても気持ちの変化は出ないように思う。最後は日がなくなって何かを出すことになるのだろう。






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妥協したときは、自分をきっと責める気持ちが出できて、それを受け入れなることができなくて、何かいいわけを考えることになるのだ。
しかし、毎日の仕事に影響が出ることに対して妥協をしたときは、自然と落ち込んでしまう。

今日の日が来るまでは、写真の撮影でアルプスの見えるところまで行こうと計画をしていた。休前日には三脚を購入して持ち帰っていた。望遠だとどうしても手ぶれがおきるので、以前から欲しいと思っていたけれど、きっかけがなく忘れていた。カメラも、レンズも用意していた。それでも、出かけることができなかった。
TVで黒部の三段紅葉の番組があった。ずいぶん昔に行ったことはあるけれど、紅葉の時期ではなかった。


2003年10月12日(日) 休みの日の過ごし方・・・・

休みの日なのに、考えることは仕事のこと。考えてみれば、なんだかバカバカしくなるときがある。それでも、そういう生活が続いているから理屈通りには行かない。目先のことでは、昨年の夏に導入したシステムの変更作業のこと。業者から出てきた見積もりがあまりにも予算との差が激しすぎるので、自分の手で止めていた。交渉も行き詰まり、部長からは督促が来るし、今までは自分で結論を出す直前まで調整作業をやってきた。
今、手元にある見積もり数値を手放せば楽になる。それなのに何とかなるところまでしてから、部長に渡そうと思うから苦しみが出てくる。






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自分の中で二つの顔があるように思う。何にも考えずに資料を渡して楽になる方法と、自分の思う形まで業者との交渉を続けてから結果が変わるまで抵抗する。
去年の苦しみは後者の仕事のやり方をしていたから、負担に潰されてしまって座骨神経痛が出てきたのかも知れない。今回の再発も、こんな仕事に対する迷いがしつこくさせている原因かも知れない。
症状が消えても、何度も痺れと痛みの顔が出てくるのだ。

おなかの出っ張り対策の運動であちこちが筋肉痛で痛い。


2003年10月11日(土) 少しだけ進んだと思う

昨日の疲れが尾を引いているのか、午前中は眠くて仕方がなかった。出勤者が少ない日だったので、気が付けば居眠りをしていたみたいだった。
昨日の残った内容をとにかくやっつけなくてはと、頭がふらふらする状態で済ませた。仕事の内容はすぐに結果が出るものではないので、今日の事がうまくいったかどうかはわからない。





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ぼんやりしている時間の方が多かったけれど、少しでも仕事が進んだので『良しとしよう』とする。


2003年10月10日(金) 久しぶりに忙しい日だった

午前中から何か不吉な予感めいたものがあって、状況を確認していた。はっきりと証拠があったわけではなくて、感覚がいやがっている。今までも似たようなことがあっても、「やる気がなくて」目を背けていた。
午後からは、本格的に放置できなくなって調べ始めた。こういうときに限って、別のことが同時にあふれてくる。夕刻には3つくらいの仕事が同時に襲ってきた。






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逃げていても仕方がなく、処置をする必要が出てきた。一段落ついたときは、9時を過ぎていた。久しぶりだったので、ひどく疲れた。
先に控えている仕事のことを考えると、少々憂鬱になる。進んでやっても、報われない仕事でも放置すれば、自分の気持ちがすまない。だから今まではムリを承知でやってきたけれど、「もうやめておこう」と思ったのにそれができずに、やってしまった。

北海道の地震。大丈夫と思っていたけれど、今でも影響が出ていることを実感した。○○さん、大丈夫ですか?


2003年10月09日(木) 人に伝えることの難しさ

仕事で上司も含めて、他部署の人と会話をすると内容を伝えることが、とっても難しくて疲れる。どうしても用語が伝わらず、すると仕事の困難さが伝わらない。
人間関係がうまく行かないと、相手は難しい単語を並べてごまかしていると言う。或いは、もっと簡素にまとめてはなせないのかと怒り出す。






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仕事でも「痛み」と同じく、相手に伝えることが難しい。体温計のように計りがあればいいのにと思う。脚の痺れや腰の痛みは、なかなか相手に伝えることができない。ガマンして普段通り過ごしていると、周囲は「最近、調子よいみたいだね」という。辛そうに歩いていると、自分自身の気持ちが落ち込んでゆく。

数日前、会社で「健康管理に関して」講習会があった。そのときの説明の中で、今、増加しているのは「うつ」と「エイズ」だという。エイズは無料で検査を受けられるという。「うつ」はそうは行かない。
なぜだろう?


2003年10月08日(水) 久しぶりに・・・・ねた!

昨夜も何もする気力が出なくて、パソコンの画面とにらめっこをしていただけだった。薬を飲んですぐにふとんにもぐった。(10時頃だったと思う)深夜の2時半頃に携帯のメールで起きたけれど、急ぎの用事ではなかったから直ぐにねた。
今度は朝まで眠りが続いて、6時半ごろにおきた。






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起きたときの気分がゆっくりと眠れたと感じた。このような気持ちになったのは、すごく久しぶりな気がする。確か、レム睡眠とノンレム睡眠は2時間半ごとに訪れると記憶しているから、2時間半以上眠ることができれば、寝た気がするのかも知れない。

脚の痺れは続いている。症状に意識は行くけれど、さほど気落ちはしていない。

ウニをネットで調べていると、東京で通販をしているところが見つかった。
でも、配送地域をみていると北海道のウニを北海道の人が注文するんだろうか?
なんとなく不思議な気持ちがした。そこをみていて利尻や礼文のことを思い出し、ロシア産として歯舞や国後などが出ているのも不思議な気がした。また、行きたいなぁと思った。


2003年10月07日(火) 去年の服が着られない

血糖値やヘモグロビンA1cが急激に悪化している。確かに体重は増えている。
急激な増加でもないし、少し増加しているだけだから大丈夫と思っていた。4K位だと思う。体重も減らすのは結構大変な事だと、経験から感じている。脚が痺れるからとか腰が痛いからと言って、運動不足の状態で普通食を食べ続けてきた結果だ。





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とりあえずの目標は、去年の服を普通に着る事が出来るようにしよう。出張った腹を縮めるためにすることを見つけて、続けようと思った。果たして何日続くか分からないけれど、毎日、着る服だから忘れる事はない。

急に頑張ってもイヤになってしまうから、少しだけの努力で出来る事にする。


2003年10月06日(月) しつこい症状

昨夜は少しだけ、ごそごそと用事をしていると0時前になってしまった。寝るのが遅かったせいか、ややこしい時間に目が覚める事は無かった。
そのかわり、午前中が眠くて堪らず仕事にならなかった。なんとかごまかして、お昼を済まして少しずつでもとおもい仕事をしていた。午後からの約1時間のコア集会も無事に座っている事ができた。





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この様に脚が痺れていると、本当に何もなかったときがうらやましいと思う。痺れが始まった事はショックを受けているけれど、痺れそのものには大きなショックはない。何れ治まるだろうという気がするから・・・・・。
短期間で修復する術があれば良いのにと、思うだけ。。。。。。。


2003年10月05日(日) 何もしない日曜日

何かの出来事に対して、不安になり家の中でじっとしていた。具体的になんなのかわからない。脚の調子は再発してから復帰はまだしていない。
おまけに風邪でのどが痛くてたまらない。無駄に一日を過ごした様子がよくわかる。これを書くとき一日のことを思い出すけれど、今日のような日は何もしていない、横になっているだけしかしていない。






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何もかもいやになる、けれど実際は何一つ止めることはできない。だからいやでもいやじゃない振りをする必要が出てしまう。その過程でストレスが生まれるのではないだろうか。


2003年10月04日(土) 立ち直れない・・・・かも・・・・

親戚の法事があり、大阪まで車で移動することになった。調子が良いときは何の不安もないけれど、最近の脚の痺れで少しは心配があった。それでも、一時みたいな不安ではなくて、運転中に脚に痺れがきたときに混雑していると困るから。






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法事が午後からだったので、朝一で採血の結果を聞くこともあったけれど、二日ほど前から風邪引きらしくのどが痛くて内科へ行った。
結果は酷く悪くて、ショックだった。神経科で出ている薬は関係ありますかと、聞いてみたが『神経科で出す薬は複雑だから、そちらで聞いて』とひどく愛想のない答えが戻ってきた。勝手な受け止めだけれど、ここにはあまりこなくてあっちの病院ばかり行っているのなら、どうしてそこで聞かないのかという感じだった。
医師同士の何かがあるみたいで、複雑な気持ちだった。以前にも、同じようないやな気分で病院を後にした。

採決の結果は、立ち直れない状態だった。


2003年10月03日(金) 再発の度に、やっかいなものだと思う

睡眠も相変わらずで、朝から脚の痺れが出ている。おまけにすねになまり板を張り付けたように重い。しばらく睡眠やその他の症状に悩まされていたけれど、脚の痺れは落ち着いていた。痺れが再発するたびに、何がストレスになっているのかと考え込んでしまう。
今日は午後から末っ子の中学から電話があり、『頭強く打ったので、救急へ連れて行った』とのこと。






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とりあえず携帯の電話番号を伝えて、連絡を待つことにした。
病院へ付き添いで行った教師からの電話で、検査中だと説明があった。心配だったので、上司に断って病院へ行くことにした。CTもレントゲンも異常はないとのことで、一日は様子を見るようにした方が良いとのことだった。
会社へ戻ると、進めていた仕事で社長への説明をする日だった。資料は午前中に渡してあった。しかし、先に説明を始めているとは思っていなかった。呼ばれて言ったときは、あれこれと会話のさなかだったので資料説明も非常にやりにくかった。

社長の予定があり、説明は中断した。それものぞんでいないような終わり方だったので、この後が大変になりそう。
今日の出来事の中に原因となるようなストレスがあるのだろうか?それとも、いくら考えても原因なんてわからないものなんだろうか?

ホントにやっかいなものだ。


2003年10月02日(木) ショック!!

二日連続でまともな睡眠がとれない。それで疲れがでていることは事実だとおもう。今日は「神経科」の診察の日だった、抗うつ剤で吐き気がしてギブアップをしたことを伝えた。すると、薬を前の状態に戻した。会話はしていても、カルテしかみていない。一度も顔を見て話をしようとしない。神経科を初めて受けたときの医師は開業するために退職したので、今の医師になった。






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話をすると必ず苛立ちを感じる相手がいるのだ。その相手と今日、話をしたのだが、やはり腹が立って苛立ちが始まり会話にならなかった。すると、とつぜん脚に痺れが電気ショックのように走った。心の中で『な、何で!!』と叫んでいた。

このことが原因で痺れが出たのではない、今までも何度も同じようにしてきて大丈夫だったのに・・・・・。


2003年10月01日(水) 犠牲者が出なければ良いのですが・・・・・

昨夜も食後、何もする気になれなくて22時には寝た。しかし、最初に目が覚めたのが0時半、時計をみてがっかりする。といっても、仕方がないので横になるけれど、2〜3時間ごとに目が覚めてしまう。こんな状態で会社へ出ても、体がだるくてよけいに何もする気になれない。






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会社の同僚が「腰痛」で入院をしていて、検査でヘルニアだと言われて手術をするらしい。そのことを伝えてくれた人に、「違うのに、しないほうがいいのに」と言った。やっぱり世の中はそのように動いているんだと、思い知らされた。TMSのことなど話を出しても、きっと「????」だと思う。自分が未だに完治できずに、あれこれとしているのだから人に何かを伝えられる状態じゃない。
脚の状態は良好で、つらかった痺れは長い間でていない。


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