坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2003年01月31日(金) おにごっこ、、、かくれんぼ?

痛みの場所が違ってくる事が痛み自身より気になって仕方がない。
これまでは、一貫して場所は「左臑の外側から親指の付け根」だったのが、下肢部分の内側や太股まで痛みが出てくる。
TMSの事は随分と意識の中に入ってきていた。それでも、N病院に頼る気持ちは捨てきれなかった。担当医師の曜日が違えば、また話が食い違うと思った。それで、28日までガマンをして電話をした。電話口に出てきたのが、親切な看護婦さんだったのが救い、最後まで面倒を見てくれて診察日の予約がとれた。





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痛みの場所が違ってきている事を話した。原因が分からないし、最初の痛みがブロックで効果が出ているのだから、もう一度検査からやり直そうと言ってきた。
2/7 MRI 、2/14 診察となった。約2週間、何も進展が無く待つだけの事になった。そして、仕切直しで再スタートかと思うとガッカリした。


2003年01月23日(木) 情けない誕生日

今日で50歳となる。いよいよ、大台だという気分で寂しく感じた。

昨年の大騒動の中、あいつのために積み残した仕事を早急に片づける必要が出てきた。そのための準備で午前中は打ち合わせとなった。
ブロックの予約が1時半だったので、仕事を昼前に抜けて病院へ行く事にした。

神経根ブロックも今回で9回目となる。この日は、はじめからO医師で主治医の姿はなかった。この医師の方が若いけれど、痛みの場所へ薬を入れる時間が短いので安心する気持ちがあった。太股の部分も痛いので、この日は4番と3番をする予定になった。4番を狙った針は耐え難い痛みが走った。今までで一番辛い痛みだったように思う。
前回と同じで2本目は、痛みと麻痺感の中で治療が行われるので、意識ももうろうとしていて、正直な気持ちは何がなんだか分からず、精神的にもグッタリしている状態になる。





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普段と同じでストレッチャーで外来の診察室へ移動。そこで脚の麻痺がとれるのまで寝ている。そして、ふらつきながらも歩けるようになれば帰る。看護婦さんは、外来がしまっても救急でなら休む事は出来ると言ってくれる。
救急は行く気がしないし、何とか座れる様になれば帰る方が良い。

この日は泊まり勤務の日でもあったので、夜になってから会社へ向かった。歩くと違和感もあったし、注射のあとも痛かったのでひどく惨めな気分だった。
こんな情けない思いをしていても、誕生日で深夜の勤務に就いた。


2003年01月21日(火) 痛みの場所が移動する

数日前から痛みの場所が変化していて不安になっていた。この事はずっと利用している『腰痛の広場』にも書いていた。

投稿した内容は次の様な内容だった。
長い間、左脛の外側と親指のつけ根から足の甲部分。これが痛みの中心的な部位でした。仙骨ブロックでもダメ、硬膜外ブロックでも効果なし、そこで5番の神経根ブロックを続けている。最近は、この部分の痛みが薄らいできて、その代わり脛の内側からくるぶしにかけて痛みが辛くなってきた。
この辺から、神経根ブロックの対象を4番と5番にしている。すると、今度は太股の前側や内側が痛くなってきました。まるで、身体の神経がブロック注射をあざ笑うようにして、鬼ごっこをしているようです。
疼痛管理の専門とする「ペイン」への進言は真摯に受け止めて、真剣に考えています。が、原因が特定できない以上このような治療の限界なのでしょうか?
こんな疑心暗鬼が出始めています。

つまり、ブロックをしたところの痛みが和らぐと別の場所を『痛み』が探し出して楽しんでいるみたい。





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これだけ長く通院していると、「ガマン出来る」と言えば処置はなしで「様子を見よう」というのが診察結果になる事が多い。だから何らかの事を考えて欲しいときは、多少大げさに伝える必要がある。すると、今度は自分自身で「痛み」に対して過敏になってしまう。

今回も主治医の言葉からは、「私がしてもあたらないし」とか「原因が特定出来ないから」、「忙しくて空き時間がないからなあ・・・」などなど拒絶するような言葉しか出てこない。


2003年01月07日(火) 今年も同じようになる予感

神経根ブロックの効果も出てこないためか、出術対象者にならないためか主治医の対応も段々と迷惑そうな感じがした。「もうすることはなしと言っているのだし、こなくても良いじゃないか」こんな言葉が聞こえてきそうな診察に感じていた。

診察室に入ると、カルテをみて「2日の救急の記録」について聞かれた。救急では、O医師が来てここでは何も出来ないからと言っていた事を伝えた。
独り言を言うような感じで(ブロックをする事を前提にして)、『今日はオペがあるから』とか『木曜なら・・・・』とか呟きながら空き状況を調べていた。
レントゲン室の予約状況を見て、1時半からなら出来るという事になった。





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今までに6度の根ブロックを受けて、左下肢部分(臑の外側)が楽になった事は一度もない。それは、その部分(左5番)にヒットしていないからだと「腰痛の広場」で聞いていたから。今回もダメの様な気がしながらも、他に方法が無かった。

1時半に間に合うようにいつものレントゲン室の前に着いた。いつもと同じ手順で始まって10分くらいで、『会議があるからO先生と交代するから』そういってその場から姿を消した。ここN病院で病棟の主治医がK医師、そのころは外来にも顔を出していたが、どうやら代わりに来たのがO医師の様だった。何かの会話の時に『大学ではこうしている』というやりとりを思い出した。

O医師に交代して、2〜3度目の位置確認で強烈に痛みが来た。
電気ショックでも痛みが走る線が細い糸の様に感じた。薬を入れて、麻痺したあしのまま次の神経へのブロック針が刺された。今度は、もっと短時間で刺激がきた。麻痺をしている脚に追い打ちをかけるように痛みが来た。あまりの痛みで、精神的にもヘトヘトになっていたので、ストレッチャーで外来から迎えに来たときも無言で動くのが精一杯だった。2時間近く外来で休んで変える事にした。
帰路の車での運転中に感じた感覚は、即日の効果を感じるものでなかった。

注射のあとがひどくいたい(腰)。
歩くと、おしりから膝の裏側にかけて痛みがある。これは、坐骨神経痛とは少し違う痛みのように感じた。
今日はどうしても避けれない仕事があったので、本当は休んで痛かったけれど治療が済んでから会社へ戻った。ホントに疲れた1日だった。


2003年01月02日(木) 今年は”救急”からはじまった

1日からの予定業務は、殆ど支障なく終わった。年末年始の休みがないので、年の区切りがあまり無い。でも考えれば、海外では日本のようにこの時期が特別じゃないのだから不思議ではない。最近はそんな風に考える事が出来るようになっていた。痛みは激痛ではない。それでもガマン出来ず、『何かあるのでは』と疑いと、期待感でN病院の救急センターへ出かけた。
この日は、直ぐにブロックで直ぐにヒットさせた事があるO医師がやってきた。
『休みの日だからレントゲン技師もいないから、何も出来ない』といって、仙骨部分に痛み止めのような注射をして改めて来院するようにとの事だった。





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7日に診察の予定を入れてくれたが、ブロックの事は『部長の指示で』と言う事で保留になった。ブロックに関しては、電気ショックを足元に感じていないので、もしかしてそれがあれば、という淡い期待感も捨てきれなかった。


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