坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2002年12月31日(火) 退職勧告とおなじこと。

年末で間際になって2名の退職者が出た。
会社の再建計画のリストラでは退職者募集をして、優遇処置があったが今回は違う。人事異動の内容を見ると降格人事もあり、「イヤなら辞めて頂いて結構」と言わんばかりの内容だった。その内の二人が退職を選択したようだった。
そう言えば、義兄も同じような目にあっていた。あの大手の企業でさえそうなのだから、いつ我が身に来るのか不安で一杯の気持ちだった。
経営者からすれば、僅かの従業員を犠牲にしても企業として生き残るためには非常な事も平気でする事が日常になっている気がした。昇給は無し、賃金カットは当たり前、全て「会社が無くなればそんな事を言っていられない」と言う事を名目にしている。





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今年最後の日、翌日から実施をする必要がある仕事があり、結構朝からバタバタとしていた。31日と1日は例年出勤なので、仕事で出る事はさほど抵抗は無かった。
なかなか完治の兆しのない坐骨神経痛も、またしても少しずつ悪化していた。


2002年12月27日(金) 越年が確定した

部下の一人が退職する事になって送別会をした。交代人員は了解して貰えない事が確定して、戦力ダウンの状態で仕事をこなす必要が出ていた。社内の人間関係で苦しんでいる対象者が送別会にいたので、形式張った形で少し残念だった。
新しい仕事も増えている中で、一人減り、翌月は結婚のために休暇を申請している部下もいる。この状態で抱えている仕事をどうして切り抜けるか、それを考えると気が重くて仕方がなかった。





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治療について診察を受けなくても、電話だけで治療日を決める事が出来たので安心していた。ガマン出来なくなれば、電話をすれば良いと思っていた。
「手術が入っているからどうにもならない」「外来の処置室で出来る範囲なら」とかで、この日は診察だけで終わった。ブロックの事を話として出したけれど、予定を決める事も受け入れて貰えなかった。

仕事の事とあわせて気落ちがひどく、痛みも悪化している様な気持ちになった。


2002年12月17日(火) 治療する医師が交代

神経根ブロックもこれで7回目になる。
15時の予定だったけれど少し遅れて、主治医が来た。『今日はうまく当たらないから、別の先生にして貰う』そう言って、O医師が準備に入った。
今日は、足の前が痛いので自分の方から4番からして欲しいと依頼をした。麻酔をして、ブロックを入れるとあっという間に初めて経験する激痛が左脚に走った。
あまりの激痛でガマンしている間中、痛くて涙が止まらなかった。痛いと言えず、叫んでいたと思う。薬を入れ終わって痛みは引いたけれど、ぐったりとしていた。

続いて、5番に移った。こちらは、先ほどのような激痛は来なかった。痛みはあったけれど『痛みの感じが違う』、医師は「このへんのはずなのに」と言った。
既に、膝から下が麻痺して感覚が無かった。





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2本目は、この辺だという事で薬を入れる事になって治療は終わった。
激痛で心底疲れたという気持ちだった。外来の診察室へ戻るストレッチャーの上でもぐったりとしていた。いつもと同じで、外来が閉まる5時前まで休んでいた。
帰りが大変なので来るまで通院していた。会計へ行く時に駐車券を車の中に忘れている事に気がつく。歩くのが辛いけれど、仕方がなく駐車場まで取りに行った。
往復だけで疲れが出てしまった。


2002年12月06日(金) 何かが違っている気がする

14時10分頃いつものレントゲン室の前に着く。
予定時刻に主治医が来て治療がはじまる。『この人はなかなか当たらない、写真を持ってきて』と看護婦さんに言って治療がはじまった。

左の5番から・・・・・、やはり一回で決まらない。
  造影剤は入れていない。
何回目のトライか分からないけれど、左脚の甲に痛みを感じた。”電気ショック”ではない。文字で書けば”ジーン”とか”ズシン”とかの方が強い。痛みを感じている事は間違いないので、そこで薬剤の注入をした。
暫くすると、痛みが麻痺感覚に変化して足首付近から下が感覚が無くなっていた。

次に右脚に移った。
  最後まで、左脚のような痛みは来なかった。
麻痺感覚と、腰の痛みで何がなんだか分からない状態なのがホンネだった。
痛みのガマンをして想定していた刺激が来るのを待っていた。けれど、この辺だというあたりで薬を入れた。





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前回との違いは、左脚の麻痺感覚が非常に強かった事。両脚だったので、立ち上がる事に不安があり外来の病室まで、ストレッチャーで運ばれた。2時間近く横になって休んでいた。何とか歩けるような状態になって、精算するために会計窓口へ。
その途中で、使用した薬を見た。
  1% キシロカイン 10ml × 2
     デカドロン   2mg × 2A
と、書かれていた。


2002年12月03日(火) 転院して何が変わったのだろう?

思えば、Y整形外科でさじを投げられて転院して一体何が変わったと言うのだろう。入院をして治療方法も変わってきているけれど、症状は回復しない。1年前に比べれば少しは楽になっているのかも知れない。そして、精神病かもとさえ思い始めている。





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6日にブロックの予約をして、17日に次回の診察予約をしただけで何もない。
痛みを兎に角消して欲しいと訴えてもダメ、眠剤の事を切り出しても精神科でなければ分からないと言う。他に頼るところが無いから、こちらから逃げ出す事も出来ない。


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