坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2002年11月27日(水) 気持ちの切替が出来ない

大きな期待を持って、使用機器のメーカをH社からN社に変える事に勢力を使ってやってきた。H社との交渉がなかなか進まない事は、ある程度予測もついていたし諦めもついた。しかし、同じようにN社に対して交渉をすることに、情けなく感じる時がある。社内の人間関係も複雑で、治療が思うように行かないのは精神的に参っているからだと感じていた。
「こんなことなら、ムリしてメーカを変える努力なんてするんじゃ無かった」
こんな風に思う気持ちが捨てきれなかった。





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この日の夜、ひどく疲れたと落ち込み救いが無い気がした。仕事の事、身体の事、加えてプライベートの事もいろいろと重なっていた。毎日、症状を付けていた日記を見ていても、何も無い日は一日もない。


2002年11月21日(木) 神経根ブロックも効果なしか?

19日に診察を受けた。ほんの数分で、会話はブロックの予約を入れただけで何も無かった。『これでガマンが出来る』という状態ではなかったので、ブロックを受けるしか方法がなかった。症状は一定ではなかった。最近は両脚に症状が出ていた。3度目に一度だけ”電気ショック”を感じただけで、今回で5回目になる。
「腰痛の広場」で知った知識では、一度に2カ所の神経にするなんて考えられない。私は何度も2カ所同時にしている。





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この日は症状が両脚に出ているので、両脚の5番を対象にしてブロックをした。
左脚から初めて感じた痛みは、筋を引っ張られたような痛みだった。既に腰の痛みと、左脚の麻痺、精神的なダメージとあわせて2カ所目は大抵分からないままで終わっていた。


2002年11月07日(木) 足の甲から親指にかけて

24日のブロックがヒットしたのか脛部分の痛みが楽になったように感じた。特に先月末までは、このくらいならガマン出来るかも知れないと何度か思った。
でも、どうしても足の甲から親指のつけ根にかけての痺れが強くて、座っている事が苦痛だった。
神経根ブロックについても、どんな治療で効果はどうかと情報集めをしていた。これでダメなら、もう諦めるしかないのかと追い込まれていた。『腰痛の広場』の整形外科の掲示板に経過を書き始めていた。





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予約時間は14時だった。この日は治療時間が気になったので、腕時計を付けたままで時々見るようにしていた。レントゲン室の中にいた時間は、丁度30分だった。最初の麻酔がめっちゃ痛かった。
何度目かのトライで腰に鈍痛が走り、次にかかとの部分に刺激があった。しかし、ホームページでの知識では足先か足の裏に電気ショックがあるはずだあった。そんな刺激は一度もなく、造影剤も入れている様子はなかった。
結局、この辺に間違いないと言う付近に薬を入れる事で治療は終わってしまった。
前回の様な痛みでは無かったので、ダメな気がした。30分近くの間に麻酔も含めると、腰に何度針を刺させたのか数え切れない。

注射の跡とベットが堅いため膝が痛くなっただけだった。部屋を出る時に、様子を見てダメなら外来の担当の曜日に電話をしてくるように言われた。


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