坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2002年10月24日(木) 今度こそはと、心に決めていた。

『腰痛の広場』を中心にして、懸命になって知識を収集した。やはり、”電気ショック”と造影剤がキーワードに思えた。今回はどんなに痛くても、電気ショックを感じるまでは医師に続けて貰う決心をしていた。レントゲン台の上で、痛みに集中出るように目を閉じた。医師の行動が見えると、ブロック針を刺すところが分かるだけでも、痛いような気がするので脚の刺激だけに集中した。
何度か『どうですか?』と聞かれたが、ダメですと声に出して返事をした。腰の部分と、ベットが堅いので膝が痛くなってくる。ガマンをして続けていると、今まで経験をした事が無い刺激(痛み)が左脚を襲ってきた。”これかな”と思ったが返事も出来ずに頷くのが精一杯だった。気になったのは、激痛を感じた場所と疼痛の場所が微妙に違う事だった。





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脚の親指の方へは痛みが来なかったので、別の場所へ2本目をする事になった。既に時間も経っていて腰も痛いし、脚も麻痺している様子だったので疲れが出ていた。なんだか分からない内に次の場所へのブロックは終了してしまった。

記憶に残っているのは、ブロック針を途中で長いものに変更した事と”キシロカイン”と言う薬剤名が聞こえた事だった。様子だけでは造影剤の注入は無かったように感じた。臑の部分の引きつり感は麻痺して無くなっている気がした。でも、足の甲から親指にかけては変化が無いと感じた。
3回目になるけれど、どうしてもきっちりとした治療結果になっていないように思う事と、それを伝える事が出来ない自分が悔しく思った。


2002年10月11日(金) 2度目の挑戦。。。神経根ブロック

『腰痛の広場』で得た知識もあり、ブロックの時の注射の痛みと効果に期待して2度目の挑戦を決意した。仙骨ブロックの時も相当な痛みがあったので、それと比較してどうなんだろうと考えていた。
午前中は仕事をして午後から外出として病院へ行く事にした。受付を済ませてレントゲン室の待合いについてのは、15時少し前。そこで医師が到着するのをしばし待つ。時間が来て前回と同じ手順でレントゲン台の上で、準備の様子を眺めていた。痛みの度合いが予測出来ないので、心の準備が出来ない。最初の麻酔だけでも結構痛い。何度かトライしてして途中でブロック針を長いものと交換した様子だった。その後、2〜3度目の時に薬剤の注入が始まった。





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”電気ショックが走る”と聞いていたが、脚への痛みがあったのは”鈍痛”の様な痛みだった。「どうですか?」とは聞かれるけれど、いまだ経験が無いので返事に困っていた。ただ、何かが違うと言う気がしてならない。
治療が済んで、外来から看護婦さんが車いすで迎えに来てくれて1時間程度、外来の診察室で休憩していた。

外来での診察は午前中の筈だけれど、何人か診察を受けている人がいた。「何だろう」と不思議な感じだった。それでも、5時には外来の全ての診察室は閉じられ無人になる。


2002年10月08日(火) 神経根ブロックの治療がはじまる

病棟での担当医も同席での診察だった。前回のした神経根ブロックの時にとったレントゲン写真を見ての診察は、久しぶりの事だった。『腰痛の広場』に投稿した事があるけれど、ここN病院での診察は検査と検査結果を見るけれど私の体を診察する事は無かった。
写真を見て、「痛みの神経にあたっているのは間違いない」と言い、それでも原因がわからないから・・・・、とも言う。





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(とりあえず)痛み止めの薬を処方するから飲むようにと言う。その場の雰囲気としては、「やる事は何もないけれど、何かをしないと」とそんな雰囲気がした。
それまでに得ていた知識で、神経根ブロックは”電気ショック”の様な痛みがあると聞いていたし、前回はそれがなかったので、再度やり直して貰う事にした。依頼した事に対して拒絶はなく、入院の必要も無いのでレントゲン室の予約状況を確認して、11日にする事となった。


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