坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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病院の事務手続きは、入院の時は10時に手続きをすることになっている。 今までの経験からブロックの時間を聞いていたから、10時に手続きをしても病室で時間を待つだけで内もない事は分かっていた。それが辛いので、病院へは11時頃に行った。 はじめの頃は、体調の事や入院時の病棟内の事分かっていてもいろいろと説明がある。ところが、この日は何もない。入院の受付へ行くと、病棟へ連絡があり迎えもなくていつもの病棟へ一人で行くようにと言われる。病棟のナースセンターへ行っても病室の部屋番号を言うだけ。考えても仕方がないので、病室で着替えをして待つ事にした。
ブロックの予定時刻より30分ほど遅れて看護婦さんが迎えに来た。病院内を移動するだけなのでオペ室への移動は歩いてゆく事にした。初めてのオペ室なので、少しドキドキしていた。入り口で手術着に変えて履き物も変えて、雑菌を遮断するんだと思った。帽子もつけた。 オペ室はすごく広い、ベットはレントゲン室のものよりまだ幅が狭くて横のなるのが精一杯のものだった。 血圧計、心電図、などの計器を身体に取り付けられて、次に身体を動かないように看護婦さんが押さえつけていた。 病棟の処置室でするのとは様子が違うので、不安感で終始ドキドキとしていた。 処置内容は同じなので、治療時間は殆ど同じくらいだと思う。
治療結果は気のせいか少し楽になったような気がした。オペ室で処置が終わった後、医師から退院はどうするか聞かれたので明日帰りたい事を伝えた。
21時頃(消灯時間)になって様子を見るために、病棟内を歩いてみたりロビーで座っていたりしていた。脚の症状はあまり変化がなく、座るとやはり痛みがあった。痛みを感じると今度もやっぱりダメなのかと思う。 様子がどちらになっても明日は退院するつもりでいた。考える事は毎回同じ事の繰り返しだった。 この日も眠る事が出来ず、23時ごろ、24時半頃に一錠ずつ追加して眠剤を飲んだ。日に3錠も飲んだのは初めてだったので、少し不安はあった。何かあっても、病院だからと言う安心感があったのかも知れない。 同室の人のいびきとTVの付けっぱなしのために、普段以上に眠れない夜を過ごした。
翌日、退院の意志を看護婦さんに伝えたけれど「当直の医師に聞きます」と言ったままなかなか返事がこない。同室の人のTVが気になって止めるかイヤホンにして貰う様に頼むが「はいはい」と言うだけで何もしない。 土曜日だから担当医師はいないし、脚の様子はあまり良くは無かったけれど言っても意味もなく退院が延びるだけだから、少し強行に退院の行動に出た。 初めての事だった。 ナースセンターの事務の係の人に、退院の準備を済ませた上で帰る事を伝えた。 初めて、あわてたように婦長さんと当直医が駆けつけてきた。 そこで、昨夜からの出来事を伝えると「看護婦さんもみんな知っている人だから」と言っていた。脚の痛みの事は会話の中に無かった事が残念だったけれど、少しイヤな気分で病棟を後にした。
今までと同じで、入院の一式を鞄にいれて病院へ診察へ向かった。 この頃は、部屋に入院に必要な一式を鞄に入れていつでも使えるように準備を していた。 予約診療なので、さほど待ち時間はなく(それでも1時間くらいはある)順番が 来たので診察室に入った。この日もブロックを依頼するつもりだったので、医師 との会話の中で依頼をした。 ところが、普段の様子とは違い「急に言われてもオペ室も空いていなし出来ない」 との事。まるで、今までの事なんて知らないと言わんばかりです。 「たかが脚が痛いだけで命を落としたくないでしょう」というのです、ブロックの 時の副作用で万一の場合、オペ室で無ければ出来ないと言うのです。
患者としては、言われるとおりするしかなく治療は、5/24に日が決まった。 正直な気持ちとしては、痛みが辛いからこうして来ているのに簡単に1週間日を のばしただけのような気持ちだった。
半信半疑の気持ちでアマゾンを使い、「ヒーリング・バックペイン」を入手したのが4/26だった。内容は驚きの連続で自分の症状や気になる部分に、ドンドンと赤線を引いていた。頭に入ろうが消えてゆこうがお構いなしに読み続けた。 治療方法だけはどうしても分からず、読んでいる途中で「腰痛は<怒り>である」も発注した。こちらが手に入ったのが5/6、今日だった。
これまでに、坐骨神経痛=年寄りの病気、とかヘルニアなどという事が身に付いていた知識であり私の中での常識だった。多くの知識を持ち合わせていないだけに、本に出ている内容は全てが意外な事ばかり。直ぐには受け入れる事は出来ない部分も多くあった。 しかし、その気になった事は『抑圧されたストレス』が原因となる。これだけは、納得が出来る事で、私には現在の仕事の事と社内の人間関係がこれに該当すると思えた。
正しく理解出来た自信は無かったけれど、違う道があると感じた事。痛みが発生する理屈にすごく興味を覚えた。
6時頃に目が覚めた。眠剤が残っているのか、すっきりとした感じはない。 脚の状態もたいした変化はなかった。脚の状態は職場で長時間座っている時に、 どのような症状になるのかが問題で病室での状態はあまり関係が無いような気がした。 午前中に、病棟の担当医がやってきて様子を聞かれた。 注射の内容を聞くといつもと同じ事をしたというので、効果があってもなくても退院が延びるだけでする事は同じなので、退院をしたいと言って許可が出た。 次回の診察の予約をして退院の手続きをした。もう、なれたもので「いつものように」と、こんな感じで全てが進んでゆく。
長女に電話をすると、今日は仕事の都合がつくからと言って迎えに来てくれた。 やはり、徒歩と電車で荷物を持って帰る事に比べれば雲泥の差があった。
治療内容に関しては、出来る事ならば持続期間が長くなる方法をとって欲しかった。薬剤の量を増やすとか、薬剤を変更するとか素人的な発想でやきもきしていた。治療の度に、L4とかL5とか聞かれるが分からない。分かるのは、左の 脛の外側から足の甲にかけて痛みと痺れがあって足首に力が入らずに歩きづらい と言う事だけだった。
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