Espressoを飲みながら

2002年10月31日(木) 変な理由で落ちたバイトの面接

 一昨日フロムAを読んでると、短期のアルバイトで適当なのがあったので
申し込みました。11/1から中頃くらいまでの勤務。
時給は安めの派遣社員なみの1200円。仕事の内容は携帯のチェック。

 電話してみると募集中とのことなので、面接を予約しました。
今日の昼過ぎから面接。十分過ぎの面接が終わり、これで採用、不採用が
決まるのかと思いきや、一時間後にもう一度来てくれと担当者が言う。
みんなで勤務先のほうの面接も受けてもらうから、ということだ。
仕方ないのでラーメンを食べて時間をつぶす。

 一時間後に来てみると7人くらいの応募者。みんな、英語ができたり
留学してたり資格持ちだったり、今どきのフリータ−はインテリなのか
と思うくらい。

 逆に言えばそんな彼らでも望まざる失業状態にあらねばならない
今の日本の不況、特に関西の不況がそこまで深刻であるとも言えますが。

 たかだか二週間程度のバイトの面接に、

「将来はどうするつもりなのか?」
「今までの仕事では何をしてきたのか?」
「パソコンは何のために使っているか?」
「一月の携帯代はいくらか?」

いちいち細かいことをやたら根掘り葉掘り聞く。
なんでたかだか二週間のバイトの面接にこんなくだらない質問ばかり
一生懸命聞き出して時間を無駄遣いするのか?

現在斜陽の真っ最中とも言われる大阪に本社のある某有名大手家電メーカー
系のオフィスビルの中で、不快に時間が過ぎてゆく。

採用にあたってやたら神経質になるのは、新製品のチェックだからと
いうことだが、質問の内容はおよそそれとは関係無さそうなのだ。

2時に面接だったのに、終わったのは午後5時過ぎ。
すぐに面接結果を電話連絡するからと言われたので、みんな
携帯の待ち受け音の音量を、最大にして待っている。

やがて、JRの中で携帯が鳴る。非常時なので、通話することにした。
電話の内容は、落ちたということだった。

担当者が言うには、

「簡単に言うと、高学歴の方にこんなに単純な作業に協力していただけるか
 どうか不安だと勤務先の方が言われるので・・・。」

訳がわからん。あきれて物も言えん。
採用、不採用は人数枠があるから何人かが不採用になるのは当然で、
仕方の無いことだ。しかし、この言い種はなんなのだろう。

高学歴=非協力的なのか?

この発言は勤務先の担当者が学歴コンプレックスの固まりであることの
裏返しであることは間違いないだろう。

私の協調性に問題があると判断したのなら、学歴がどうのこうの言わずに
協調性に欠けると判断されましたと言ってくれればいい。
そういうのは言いにくいということであれば、何もいちいち理由を話して
もらわなくてもいい。

単純作業であることは、求人誌を見た段階で分かっているぞ。
高度な協調性がいるなら、「誰にもできる作業」などと書くでない。
私は働くにあたっては協調的だし、高学歴の人が低学歴の人よりも
非協調的だということは全くない。前の職場は国公立大出身の方が
かなり多かったが、非常に仲良く、チームワークがあって、協調的だった。

逆に神戸市の中の、柄が悪いと一般に認識されている某地域の引越屋で
バイトした時は、中卒と出来の悪いと一般に認識されている高校卒の
人が多かったが、先輩社員が後輩社員を怒鳴りつけたり、殴りつけたり
しながら仕事をしていて、とても恐ろしく感じたものだ。

これでは「逆学歴差別」だ。

そんなに高学歴が嫌なら(高学歴と言う程良い大学に行ってた訳でも
ないのだが)、求人広告に「大卒以上不可」とか、「TOEIC何点未満の
方希望」とか、はっきり書いてくれたらいい。そしたらわざわざ時間を
割いて面接を受けなくて良かったのに。

雇用情勢の厳しさを一面で感じはしたが、むしろ企業としては
この面接担当者のようなどうしようもない中高年の労働者をリストラして
人件費をもっと削減していくべきなのだろうなあという印象の方が
強く残った。


 



2002年10月26日(土) 声に出して読みたい日本語

 声に出して読みたい日本語 という本が、ちょっと前に巷で
流行っていた。この前、ジュンク堂−ほとんど私立図書館のように
使っているのだが−で目に付いたので、ちょっと読んでみたが、
あんまり声に出して読みたいとは感じられなかった。

 なんだか教科書のどこかで読まされた記憶がありそうな言葉
ばかり。名文であっても、良い思い出がない。

学生時代、国語の授業が余りに退屈なので文学年表のようなものを
1人でずーっと読んでいた。とっくに読み終わっているところに
ついての凡庸かつ単調な先生の解説を聞いて脳味噌が腐った死体
になるよりは、まだ古今東西の名文が載っているだけ刺激的だった
からだ。しかしながら、あくまで暇潰しなので、やはり良い思い出
ではない。刑務所に入って、たくさん読書する人がいるそうだが、
なんかそんな感じに近かった。

 「今さら声に出して読んでもなーっ」と思う。

 中原中也は別として。

 また、名文であっても時代背景が違いすぎて感覚が同調できない
というものもある。価値観とか生活感とか道徳観とか。

やっぱり空遊くらいになるとテレビ、漫画世代なのかもだし。

じゃあその中から声に出して読みたい日本語として挙げたいものは、
となると、大体が「ジョジョの奇妙な冒険(第1部)」からとなる。

一番記憶に残ってるのは、

「波紋の賛歌は人間賛歌!人間賛歌は勇気の賛歌ぁっ!!!」

です。さあ、みなさん御一緒に。声に出して読む、できれば叫んで
ください。せーの!

「波紋の賛歌は人間賛歌!人間賛歌は勇気の賛歌ぁっ!!!」

どうですか?すこし元気になったんじゃないですか?
え、訳がわからない。それは、、、本屋さんか漫画喫茶に行って
ジョジョの奇妙な冒険(集英社)の第一章を読んでくださいませ。

えっと、上のを読むのがためらわれる方は、、、

「震えるぞハート!燃え尽きるほどヒート!」

というのもあります、、、。
どっちも同程度かも。

 あと、英語だったら「ナイトライダー」でなんども出てくるのですが
ナイト氏が死ぬ間際にマイケルに語った、
"One man can change the world."
が印象に残ってます(笑)。

 なんだか昔読んだものばかりで、漫画ですら最近は読書を
さぼっているのかしらと反省したりして(汗)。 





 



2002年10月25日(金) カレー

 むかしむかし、空遊はインドに滞在してました。
そこでたくさんインドカレーを食べていました。
もちろん今でもインドカレーは大好きです。
神戸にはたくさんのインド人の経営する本格インドカレー店が
あり、ランチなら800円程度から美味しいのが食べれるのは
とても嬉しいことです。

 けれども、自分のお気に入りの店をよくチェックしてみると、
インドカレーより、ネパールカレーとかスリランカカレーのお店が
多かったりします。インドなようで微妙に違う感じ。

 ひょっとしたら、単にマイルドなのが好きなのかも知れません。
激辛とマイルドの共生。それこそがカレーの完成形の1つであると
固く信じるところです(笑)。

 自分でも、インドカレーっぽいのを作ってみようとスパイスとか
いろいろ買って作ってみましたが、美味しくはできても、本当に
インド的にはなかなかならなかったり。

インド料理店でカレーを作っている知人に聞いてみると、
水で煮込まないで、野菜の水分だけでカレーが出来上がるように
すると本当に美味しい、だって。

さすがプロだ。

 さて、インドカレー好きの方の中には日本のカレーライスなんか
カレーじゃないと言って好まない方もおりますが、
空遊は「美味しいものはみんな素晴らしい」が信条。

 たとえバーモントカレーで作っても、作り方次第でおいしい。
その辺は、各自の好みに合わせて思いっきりアレンジすればいいです。
自分が美味しければいいんだから。

空遊は、一度オレンジをかなり煮込んだカレーを作ったことがあります。
マンゴーチャツネの代用(になるのか?)のつもりでしたが、
甘味が綺麗にでて、予想外に美味しかったです。

最近は、おでんの出汁で残ったのをカレーに使うとか、
赤味噌と出汁を入れて片栗粉でとじたような純和風カレーを食べています。
和食系のアレンジ。こちらは、彼女に作ってもらってる分。

「日本化したカレー」を、さらに和風に。味噌と、出汁も取り込んで。

この次は、どんなネタを編み出そうか。ふふふ。




2002年10月22日(火) 負け犬も犬死にも許さない

 私の嫌いな言葉に、「負け犬」と「犬死に」がある。
理由は至って単純で、犬に対して非常にアンフェアであるからだ。

負けた人間のことを、「負け犬」と言う。
「あいつは負け犬だ」と言うように。

犬には何の責任もないことだ。負けてるのは人である。

しかも「負け犬」という言葉はあるのに「勝ち犬」と言う言葉はない。
こんな不当なことがあってよいのだろうか。
犬の喧嘩の相手は基本的に他の犬である。
だから、「負け犬」がいるなら必ず「勝ち犬」がいるはずだ。

人間が、「負け犬」を敗者を意味する言葉に対して使うのなら、
勝者や成功者に対して、ちゃんと「勝ち犬」と言うべきである。
そうでないと、決してフェアではない。
「負け犬の遠吠え」と表現するなら、例えば「勝ち犬の咆哮」
という表現も作ってあげてほしい。

一匹の負け犬がいるなら、必ず一匹は勝ち犬がいるはずなのだから。

 「犬死に」に至っては、もっと許せないものがある。
なぜ、地球上にこんなにたくさんの種類の動物がいるのに、
犬の死だけが、無駄死にの象徴にされなければならないのか?

猫や、猿や、猪の死に方は犬に比べてそんなに立派なのか?
そもそも人間が死ぬのと犬が死ぬのとではそんなに違うものなのか?

その前に、死に価値があるとか無いとか言えるものなのだろうか
とも思うが。

 何よりも、多くの場合、犬の死は「犬死に」などではないのだ。
身体が弱ってとても苦しいはずなのに、飼い主の方を変わらぬ優しい目で
見つめ、なおも遊んでくれようとしたり。健気なまでに最期の最期まで
人懐っこかったりもする。同じ時間、結構長い時間を人生と犬生として
一緒に過ごす最期の日々。たくさんの思いで。そしてさようなら。

それを何故に「犬死に」などという酷い言い方をする。

最近、使われなくなって滅びていく日本語の言葉が多いことが
危惧されているが、こういう言葉にはできるだけ早く消滅してほしいと
心底願うものである。







2002年10月16日(水) 自転車改造計画

 知人が琵琶湖を集団でツーリングしてきた。
そのレポ−トによると、平均時速30〜35キロと、なかなか高速
巡航だったようだ(一周180キロを走破したのだから!)。

どうもリカンベント(寝そべった姿勢で走る自転車で空気抵抗が少ない)
とか、高級小径スポーツ車とか、そういう速く走りたい人の乗る自転車
の集団だったようだ。

ペダルを回すのに必死で、景色をゆっくり楽しんだりする余裕がなかった
とかの話も。

 一時は空遊も行こうかなと思っていたけれども、行かなくてよかったの
かも。なにしろメトロ7はギア比が軽すぎて時速35キロとかになると、
ペダルを踏む足はくるくるくるくるハタ坊状態。

パーツを交換して、もう少し高速仕様にしようかと思う今日この頃。

差し当たっては変速を9速に。コンポーネントはシマノのMTB用のやつか、
今度小径車向けに発売されるカプリオに交換したい。

タイヤは幅1.35のプリモコメットから、1.125(インチ)のシュワルべ・
ステルビオに。

ペダルは軽量かつグリップの良いものに。いっそのことSPDを導入しよう
かしら。

そうすれば、後は足を鍛えれば快適な高速巡航(のはず)。

ふにゃあ。



2002年10月15日(火) 散髪とアンニュイなムード

 散髪に行った。
阪神御影駅の近くで、カット専門1000円の理髪店。
同じ1000円でも大手激安チェーン店(以前一度失敗したことあり)
と違って、丁寧で腕もいい。1000円に見えないと言われた。

生来の天の邪鬼なのだろうか、空遊には涼しくなると髪を切る習性がある。
中学か高校くらいの時からずっとそうしているのだ。理由はない。
涼しくなると、髪を切りたくなる。

 以前に就職する気をなくしたと書いたが、どうやら完全になくした
わけでもないらしい。FROM AとBEINGを買った。ひょっとしたら、
読んでいるうちに働きたくなるかもしれないし。

 今は、自分の中に二人の人間がいるみたい。
すぐに仕事見付けて働きたい自分と、もう何もしないでここの部屋を
速やかに引き払ってしまいたい自分が。求人を見て電話を掛けたり
面接を申し込んだり履歴書を書いたりしようとすると、何もしたくない
自分の止めが入り、動けなくなる。何もしないでごろごろしていると、
仕事見つけなくっちゃと働きたい自分に急かされる。

両方とも自分の中にある。これが他人なら、六甲山に埋めてしまうとか、
神戸湾に沈めるとか、それなりに対処法もあるのだろうが、本人であっては
どうしようもない。

すぐ仕事見付けて働いても、ここを引き払って実家に帰っても、
どちらにしても、現実としてそんなに困ったことにはならない。
即座に飯も食えなくなったり、死んだりする訳ではない。

ある意味、贅沢な悩みではある。
けれども、どちらの選択をしてもストレスは結構あるのだ。

二つの自分、二つの選択。
どちらにも本当に決定的なアドバンテージはない。
どちらにも新鮮な魅力は感じられない。

選択は、情熱と退屈の間にあるのではなく、
二つのアンニュイさの間に。

私自身のことだから、他の誰にも決められない。
でも私自身にも決められない。










2002年10月14日(月) 灘の酒蔵巡り〜御影郷〜

 いつもの散歩道を少し伸ばして、灘の酒蔵巡りへ。
参考にしたのは阪神電車の御影駅に置いていた、
酒蔵のガイドのようなもの。

とりあえず今日は、

「瀧鯉蔵元倶楽部酒匠館(NHK・甘辛しゃんのロケ地)」
(無料試飲あり 売店あり 有料試飲あり)

「泉勇之助商店(灘源泉) 」 (土日祝休みなので外から見た)

「神戸酒心館」(無料試飲あり レストラン・カフェ 売店などもあり)

の3つを回った。

 「瀧鯉蔵元倶楽部酒匠館」で試飲したお酒はしっかりした辛口だった。
「神戸酒心館」では数種類を試飲。新製品で、口当たりが非常に甘いやつ、
蔵出し生酒の純米と、吟醸のやつをそれぞれ。

神戸酒心館以外の2つは、建物は昔から受け継がれたであろう酒蔵。
工場や、倉庫の多い国道43号以南の神戸市東灘〜灘区にあっては、
目立つ存在であり、心の憩う建物だ。

 「神戸酒心館」で、厳重な試飲に継ぐ試飲の末に、蔵出し生酒を購入。
次回からは瓶を持っていくと、その分安くしてくれるそうな。

酒の肴にと、長崎屋御影店(これは名所でもなんでもないです、
念のため。地下食料品売場に美味しい魚が出てることがあります。)
で鮪のカマを購入。大トロ状態の部分が結構ある。脂がのりまくっている
ので、胸焼けしないように葱を必ず買うようにと店員さんに勧められる。
ネギトロ大好きの空遊には、願ってもない逸品。

ついでに99円ショップでわさびも(笑)。
どうでもいいが、明日の朝の食パンも6枚切りのが99円。

試飲に次ぐ試飲によるほろ酔いと、買物のビニール袋が重たいため
バスで帰る。手を脂だらけにしながら、カマから身をほじくり出して
ネギと混ぜてネギトロにする。

酒蔵の建物の写真ばかりを載せると、実際の街の感じと少し違うかも。
とりあえず撮ったのを載せておく。



























2002年10月13日(日) 人殺しを見たい人って多いと思う。

 子供の頃、私の父は食事時に殺人事件がからむようなサスペンスドラマを
観ることを極端に嫌がった。

「こんなテレビ観ながら飯が食えるか!」

と言ってチャンネルを変えてしまう。

プロレスに対しても基本的に同じで、当時金曜日の夜、ドラえもんの後に
やっていた新日本プロレスは、父が残業の日しか観ることができなかった。

「そんな野蛮で残酷なものを観るな。人間がおかしくなる。
 どうせ八百長に決まってんのに。」

などと言う。金曜日、ドラえもんを観ながら「お父さんが9時までに
帰ってきませんように」と願っていたのを覚えている。

 そんな家だったのだが、日曜日の午後8時からは、いつもNHKの
大河ドラマを観ていた。みんなあれをあたかも教養ある素晴らしい観るべき
番組のように思っていたし、今でも思っている人もいるかもしれない。

でも、よく考えてみると、残酷なTVは嫌いと断言する父と、それに同意
する母が、大河ドラマを観てもいいのだろうか?

サスペンスドラマで死ぬのは普通2、3人。多くても5人か6人。
大河ドラマでは毎週のように、数千、数万という兵が命を落す。

どっちが残酷なんだろう?

卍固めでギブアップを取るのが得意なアントニオ猪木と、
槍で人を串刺しにするのが得意な前田利家と、

どっちが野蛮なんだろう?

夫の愛人を殺すサスペンスドラマを酷い話というが、
実の息子にトリカブトという猛毒を盛って殺そうとした
伊達正宗の母のほうが、よほどえげつないと思うぞ。

 もちろん、こういうことを考えず、大河ドラマを好んで観る人は
私の両親だけではない。それはいいのだが、しばしば大河ドラマを
好んで観る人で、「戦争は嫌いだ」と言う人がいる。
「人と人が殺しあうのなんて絶対に見たくない」とまで言う。

 もし、
 
「野球は嫌いだ。ピッチャーがボールを投げてバッターが打つの
 なんて絶対に見たくない」

と主張する人がTVでナイターを毎晩のように観ていたら、
彼の自分が野球嫌いであるという発言は、真偽を疑われても仕方ない
だろう。

 私は、大河ドラマを観ることを楽しんで観る人は、基本的には
人と人が殺し合うことを観たい、あるいは少なくとも観ることを
避けようとはしないのだと思う。というのも、誰も大河ドラマを
強制されて観ている訳ではないのだし、観なかったからと言って
困ったことも起こらないのが普通であるのだから。

 戦争は嫌いだ、というそぶりを見せながら、人と人が殺しあうのを
深層心理の奥底では観たがっている。それが戦後の日本人だと思われ。
ベトナム戦争の残酷な物語や写真集、戦争の歴史的資料、そういった
ものを「平和の大切さを知るために」という名目、もっと言ってしまえば
建前をかかげながら観賞し、本音では結構残酷なシーンを本能的に歓んで
いる、傍目からはそのように見える。

なんてことをTV欄を読みながら、考えていた。

 




 



2002年10月12日(土) 青木のサンシャインワ−フ

 神戸市中央区にハーバーランドがあることを知っている人は多いと思う。
JR神戸駅降りて南にすぐだし。

 それにくらべると、神戸市東灘区にサンシャインワ−フがあることを
知っている人は少ないかも知れない。知っていても、行ったことがない
人が多いかも知れない。

 実は空遊も、今日初めて行った(笑)。

要するに、海の近くのショッピングモール。オートバックスがあったり、
スマートとかミニク−パーとか売ってたり、車関係のお店が多い。
駐車場の充実度に関しては(関してのみ?)ハーバーランドを上回る勢い。
店鋪面積並みの駐車場面積。

 リ−バイスが3900円と、しきりにジーパン安売りのアナウンスが
場内に響く。スニーカー売り場にも、アウトレットや、理由あり商品が
並んでいる。

場内の飲み物の自動販売機には、ほとんど全てにアイスクリームの
自動販売機が隣接している。椅子や机がぽつんぽつんと置いてある。
家族連れを考慮してのことなのだろう。

ハーバーランド=お洒落、カップル向け
サンシャインワ−フ=庶民的、家族的

と言ってしまってもいいくらい。
飲食店も、高級店は見えない。一番流行っていたのはびっくりドンキー。
1階のさぬきうどんのお店で食事をした。おろしなめたけうどんは
美味しかった。

スポーツデポの自転車売り場で格好良いペダルを探したけれども、
見付からなかった。その反面、オルトリーブのメッセンジャーバッグ等は
随分充実していた。

各商品の値段については、安いのか高いのかよくわからない。
その辺は、マリンピア神戸と同じであった。

なお、サンシャインワ−フから眺める海は、ハーバーランドから眺める
景色より少し寂し気で、ひとつ間違えるとさびれてしまいそうな、
もろさ、こわれやすさが良い雰囲気を醸し出している。

というか、だいじょうぶなのか?

 



2002年10月11日(金) TVを買い替える

 ここ数日、普段から考えると異様にアクセス数が増えている。
千客万来、の感あり。これがレストランとか喫茶店だったら、
忙しく接客に追われるが、ネット上の日記書きはいつもと同じように
日記を書いていれば良い。なんとも楽である(笑)。

 今日はTVを買った。近所のミドリ電器で。

昨日いきなり長年愛用してきたテレビデオが死んだのだ。

嗚呼、思えば震災の後、大学の生協設置の仮設寮(家賃月25000円、
4畳半、バス、トイレ、キッチン共用、夏暑く冬寒い)に引っ越さざる
を得なかったため、それまで使っていた21インチTVを実家に置き
(現在実家のメインTV)、代わりに実家から持ってきて以来約7年半
の付き合いであった。

これは12インチテレビデオの寿命としては短いのか長いのか?
ちょっと分からない。途中、色々あって天板に穴が開いたり、ビデオが
死んだり(ただのTVになってしまった)、満身創痍。

「ありがとう」と言って送ってあげたい。

 新しいTVは、やはりAIWA製。15インチにグレードアップ。
音声は、ステレオ。これも少しグレードアップ。ヒッキ−のDVD見ても、
ドラクエ7で遊んでも、断然音質が良くなった。中低音がしっかりと
出ている感じ(あくまでも12インチモノラルのテレビデオとの比較)。

後、以前と変わったのは画面が平らなこと。なんとなく高級感。

言っても中途半端が大嫌いなミドリ電化さんで税込み特価2万円のやつを

「もうちょっと安くならへん?」
「もうっちょっとでええから安くならへん?」
「もうちょっとでええから安くならへんかと小一時間問い詰めたい。」

と言っても折れへんから(すでに特価品だってば)仕方なく、

「持ち帰る。配達せえへんでええから、その分くらいは安しいや。」

と言って、ようやく気持ちだけ程度に税込みで19600円にまけさせた。
ミドリ電化さんの大嫌いな「中途半端な値段」に値引きさせた(笑)。

400円と言えど、安いに超したことはない。値切った自分をほめる。

 ほんと、この生活も残り1ヶ月と少しになっているのに、こんな時に
なってTVを買い替えることになるとは。







2002年10月10日(木) 脂がのってて次の客に出すスプーンにまで付いてくる、虫も食べたくなる美味しいデザート、コックさんは禿げてはいないお店

 誰でも、子供の頃には運動場や公園で、遊ぶ場所取りを
した記憶があるものだろうと思う。子供同士の力関係とか、
何時の間にか合意を取り付けてくる交渉能力とか、まあ
子供なりにいろいろな要素がからみあって、グラウンドの
大部分を占拠してたり、中庭の隅っこの方で遊んでたり、
様々だったような気がする。

要は子供の遊び。楽しく遊べていたならそれでよかった。

 大人の世界にも、やはり場所取りがあるようだ。
「会社」という集団単位での激しい場所取り競争もあるようだ。
こっちは無邪気なものではなくって、場所取りの出来映え1つで
どうしようもない最悪なファミレスでも繁盛できたり、良質な
サービスのお店でも閉店に追い込まれたりしてしまうようだ。

便利な場所にあって、誰でも知っていて、たくさんお客様が来店
しているからといって、まともなサービスを提供しているとは
限らない。油断はできない。いつ何時、油まみれのスプーンや、
髪の毛が入ったメインディッシュや、虫入りのデザートが
運ばれてくるかは分からない。

食べ歩きの心構えの初歩の初歩であるが、とかく人間基本を忘れがち。
1つ間違えると、大変不快な経験をしてしまうのが外食だということを、
最近お気に入りの良いお店しか行っていなかったので、すっかり忘れて
気がゆるんでいたのであろう。

自分1人なら自分が不快な思いをするだけだが、人を連れている時には
その人まで不快にさせてしまいかねない。細心の注意が必要。

外食は、店選びを間違えると大変なことになる。
フランチャイズは管理を怠ると、チェーン全体の信頼を損ねかねない。
(アメリカに居た時には、デニーズに対して好印象を抱いていたのだ。)
私にそのようなことを考える機会と場所を与えてくれた、神戸市東灘区の
デニーズ住吉店、一生懸命子供のために新しい料理を持ってくるように
店員にお願いされていた家族連れのお客様、率直にお皿の中の状態を
店員に指摘されていた若い女の子のお客様に感謝したい。

ありがとう。

また、デニーズの上にある青冥、周辺のお店で私が行ったことのない
お店にも、デニーズは感謝されてしかるべきである。
なぜなら、まさしくデニーズのサービスによって、私は次回からこの近辺で
お腹が空いたら、それらのまだ行ったことのないお店の方に入ってみよう
かなと思ったからである。潜在的顧客が増えた(笑)。




2002年10月09日(水) やーめーた!

 仕事探し、つかれた。
ハローワーク行っても、ろくなのないし。
求人雑誌は、嘘つきで充満してるし。
何より蟹より、モチベーション切れ。

来月の家賃とか、生活費とか。
いろいろあるが。

とりあえず、来月くらいに一度実家に帰ってしまおう。
どうせあそこからでも、一時間で難波と天王寺には出られるし。
もうちょっと時間を取れば、梅田だって大丈夫。

というわけで、空遊の神戸食べ歩きも、もうすぐ終わりだ。
この日記は何をネタにすればいいのか?

実家の環境を考えると、
・古墳レポート
・昆虫レポート
・峠越えサイクリングレポート

とか。

なんかなー。



2002年10月08日(火) ブルーハーツ

 ブルーハーツのBE NICE(人に優しく)を聴きながら
日記を書いている今。

実は、彼らが活躍していた頃、少年だった僕は全然彼らの
ことが好きではなかった。なんだか馬鹿の集まりのように
思えてしまったのだ。

最近は不思議と彼らの歌が好きである。ベスト盤をMP3にして
PCに放り込んで聴いている。あの時代にはやかましいとしか
感じられなかった彼らの音が、今は逆に元気づけてくれる
パワフルなものに感じられる。

ただただ勢いにまかせて突っ走る勢い。突き抜けた明るい空の
ようなTRAIN TRAIN(今聴いてる)。

他にも素晴らしいバンドは山程あるが、
ブルーハーツはその代わりになるバンドがないバンドだ。
今TVを付けっぱなしにしてても、ラジオを付けっぱなしに
してても、ブルーハーツのようにひたむきなパワーで
プッシュしてくれるバンドはなかなか流れてこない。

昔たくさん聴いてた曲なのに、今聴いても昔の曲の感じがしない。
まるで今そこに居て、歌ってくれているような感じだ。

全身全霊で歌える人の歌というのは、そういうものかも。



2002年10月06日(日) ドラクエ7

 昨日、ドラクエ7を買った。

ソフマップの中古で1800円。
これが発売された当時は、まだプレステを
手に入れていなかったような。
買わずにどんどん時が経ち、
気がつけば安値で中古が買えるようになっていた。

ドラクエは1から5くらいまでは最後までクリアーした。
6は、したのかしてないのか記憶が曖昧。
テリーの大冒険は、途中までやって放り出してしまった。

1の頃はファミコン時代で、今のように記憶メディアが
発達していなかったため、前回終わったところから始める
ために、復活の呪文というパスワードを入力する必要があった。

 人間、不必要なことほどよく覚えてしまうのか、
1のレベル30の復活の呪文は今でも覚えている。

しそつうな ぬこみここすた てざらばべ れすめ

これをファミコン版ドラクエ1に入力すれば、
レベル30から始められるはず。ファミコンとドラクエを
お持ちの方はどうぞ御自由に御試しあれ。
もちろん他人に教えようが、どこかの掲示板にこの呪文をコピぺ
しようが、全くかまいません。

ちなみに復活の呪文は、2になると異様に長くなってしまい、
ゲームが終わりに近付けば近付く程、写すのに必死で、
写した後に間違っていないかどうかの確認に更に必死になって
しまうのであった。なにしろ2はゲームが進行するにつれ、
次のレベルに上がるのに必要な経験値が異様にたくさんになる。
多分ユーザーからそういう苦情もあったのだろう、3ではもっと
レベルアップが簡単になっていた。

 さて、今回のドラクエ7であるが、やたらめったらパズルのような
洞窟が多い。それも中盤以降になって現われてくるのならわかるが、
いきなり初めっから、それもモンスターはスライムの一匹もまだ登場
しない内からややこしい謎解きと、パズルのような仕掛けの連続。
モンスターがいないなら、ややこしくても楽じゃない?と聞く人は
わかっていない。謎が解けないストレスをモンスターをどんどん殺して
ストレス解消しながら進んでいくからドラクエシリーズは楽しいのだ。
モンスターが来てくれないと、あっちに行ったりこっちに行ったり、
ストレスばかりがたまっていく。

 ひょっとして今日中にスライムが見れないのではないか、とか
モンスターに辿り着くまでに飽きて止めてしまうのではないか、
とかいろいろ危惧したが、とりあえずモンスターの出る辺りまでは
進めたので、今日も安心して寝れる次第である(今何時よ)。

3D画面はさすがプレステ。ただし逆に操作がややこしかったり、
方向音痴の身には辛かったり、ぐるぐる回している間に乗り物酔い
しそうになったりすることもあるかもしれない。

一度は卒業したかと思ったテレビゲームだけれども、
なんだか昔の情熱が再燃しそうな勢いである(笑)。



2002年10月05日(土) はかなき蟷螂(かまきり)



 路上で見付けた蟷螂(かまきり)。
小さい癖に随分と強気なやつで、人間にすら向かってくる。
いくら両手の鎌があるといっても、ちょっとなあ、、。
とにかく怖いもの知らずの感あり。

 空地か、人家の庭から飛び出してきてしまったのだろうか、
アスファルトの道を、あちらこちらに走り回っていた。

その様子が、可愛らしかったので、持っていたデジカメで、
写真を撮った。車が通行するので、なかなか落ち着いて撮れない。

被写体が小さいこともあるし。

 それでもようやく、何とかして1枚撮った。それが上の写真。

 そしてそれから30秒もしないうちに、
道路を一台の乗用車が通行した。運転していた人には、
何も見えなかったに違いない。

 走り去った車の後には、
パンに塗られたバターのように、
ペシャンコに、身体と体液が混ざってマーガリンのように、
アスファルトの凸凹を緑色で埋めるかのように、

哀れまったいらになってしまった、可愛らしかった
蟷螂の身体であったものが。

 ほんの少し前まで、そこで元気に生きていた。
 ほんの少し前まで、健気に飛び跳ねていた。

 1分前には、まさかこのような最期が訪れようとは
思ってもみなかった。こんなに早く。

 嗚呼、死は時に予測しなかった瞬間にやってくる。
時には蟷螂(かまきり)に、時には人に。



2002年10月01日(火) アビニョンの記憶

 押し入れの中を覗いていた。いわゆるひとつの雑多な状態。

 フランスを旅行した時の写真が目に入った。
アビニョンの法皇庁だっけ。一人で関空を飛び立ち、
シンガポール航空でパリを目指して飛ぶと、なぜか私は高熱を
出してしまい、英語の表記とスペイン語から類推して文を読む
以外には言葉のわからないフランスに、頭がぼうっとした状態で
降り立ってしまったのであった。

ユーレイルパスとかいうヨーロッパ数カ国の列車の乗り放題
チケットをあらかじめ手に入れていたのは幸いであった。

なにしろただでさえ電車の切符を買うのはどちらかというと
苦手で、特に東京なんかに行った日には、目的の駅がどこに
あるのかすら探すのに一苦労。それから乗り換えがどこなのか、
何色の電車に乗ったらいいのか、分かりにくいことこの上ない。

フランスで、1からチケットの購入だの、時刻表の確認だのして
いたら、どこか知らない国に行ってしまいそうだ。
でも駅の数は(日本と比較すると)そんなに多くないから、
迷いはしないだろうけど。

 年月というのは残酷なもので、5年も経つと、あんなに楽しかった
はずの旅行ですら記憶の中でおぼろげなものとなっている。
物持ちが悪い私なので、記念の品とか日記とか写真の大半は、
すでにどこか遠いところに散逸してしまったようだ。

 結局のところ、空港からすぐ電車に乗ってパリを出て、
(なぜかパリには全く興味がなかった)アビニョンを目指したのだった。
過剰なまでに一極集中したパリと違って、アビニョンに行けば、
自分のイメージの中にある、「綺麗なフランスの街」というものに
出会えるのでは、と思っていた。実際、あの街は綺麗だった。
ただし、道中は高熱+耳のひどい痛みで、アビニョンでホテルを
見付けた時にはふらふら。Ibizaとかいうチェーンのホテルに泊まった。

かの街の法王庁は、信者ではない私の目にも美しく映った。
法王庁から街を見下ろして、近くや遠くに見える小さな家々。

雑踏。声。犬の鳴き声。オープンカフェから漂うハーブの香り。
ピザにやたらオリーブオイルがまったりと塗られていたのが
まだ印象に残っている。

私は、なんだか魔法にかけられたように、酩酊したように、
感じられる印象の全てを吸収しようとしていたのか。

9月下旬のアビニョン。


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