2002年11月23日(土) |
失意の修学旅行生(嵐山・嵯峨の紅葉画象その6付き) |
京都のお寺には、拝観料というものがある。 良い仏像や紅葉の景色などが敷地内にあると、 寺はそれをネタにお金儲けをするのだ。
1つの場所につき、500円とか1000円とか。 1ケ所ならどうってこともないかもしれないが、そこは京都。 満足に観て行こうとすると、かなりの金額が掛かってしまう。 文化財級の仏像や、美しい紅葉のある庭の前で、 残念そうにUターンして帰っていく自由時間中の修学旅行生を 見掛けるのは、そのせいである。
おそらく遠いところから来たであろう修学旅行生の 親は、学生の修学旅行にそんなにお小遣いをあげなくても 良いと思ったのかもしれないし、あげられなかったのかも しれない。たくさんお金を渡したら却って悪いことに使ったり 無駄遣いするかもと思ったのかもしれない。
理由はどうあれ、結果として次はいつ京都に来られるかも わからない修学旅行生は失意の中、故郷へと帰っていく。
京都の古刹名刹は、各宗派の総本山であるようなところが多い。 たくさんの観光客が訪れ、お賽銭を放り込んだりお守りを買ったり 各種祈祷を申し込んだりする人も他とくらべれば多いだろう。 もちろん、観光客ではない信者さんも相当数いるはずである。 お金に窮しているとは、とうてい考えにくい。
ついでに言えば、宗教法人なので、税金が掛からない。
何年かに一度しか見せない秘仏を見せるから、お金を払いなさい というお寺もかなりある。
しかし見る人がいなければ、仏像にはなんの価値もないのではないか。 勿体ぶることがどう衆生救済の役に立つのか? 私は仏教は一切合切信じていないから別に構わない。 私が寺を見に行くのは100パーセントの物見湯山。 けれども、信じている人は、可哀想じゃないか。 例えば、浄土宗の檀家さんで、生まれてこのかたずーっと信者で、 法事も葬式もずーっと浄土宗でやって、お坊さんにお布施もはずんできた 人が、総本山に来てもやっぱりあらためて拝観料よこせ。 なんか、ひどくない?
紅葉はいたって綺麗なのだけれども。 この世のものではないかもしれないくらい綺麗に見えたりもするけれども。 京都の僧侶の心が冷たいから京の冬もこんなに冷たくなって、 温度差で紅葉がこんなに綺麗になったのかな、と思ってしまいそうな こともなきにしもあらず。
光と影のライン、45度に、まっぷたつ。
2002年11月22日(金) |
怪し気で不吉な小室の結婚式(嵐山〜嵯峨画象その5付) |
暗くなってから目が覚めた。 TVを付けたら、小室哲哉とKEIKOの結婚式。
小室氏にとって結婚式が大事なのか、大事でないのか、 よくわからない。なぜに森前首相のような縁起の悪いものを 結婚式の場に呼べるのか?石橋も叩いて壊れそう。
もとい、なぜ挙式が靖国神社なのか? それでは毎年年始に神戸市灘区の護国神社にお参りする 山口組様御一行と似たようなものではないか。 (というか日本にはもっと良い神社がたくさんあったでしょうに。)
おまけ、なぜYOSHIKIのピアノがKAWAIなのか? スタインウェイをかりるとやっぱり値が張るのか? 金持ちぶって、結局その辺ではけちるのか? (注:カワイのピアノの品質に文句がある訳ではありません。)
ついで、ホテルの料理、不味そうだった。 峰竜太でさえ、途中で食べるのをやめてしまった。
覚えておこう。高級ホテルだから、美味しい料理だとは限らない。 (注:中継されたホテルがまずいと言ってる訳ではない。)
追記:南こうせつに「木根でいいのか?」発言。 そんな粗末な物みたいに木根さんのことを扱わなくても、、。
ま、他の点はどうでもいいとして、やはり森と靖国という おぞましいコンビネーションだけは何とかならなかったのか。 傾国の自民党政治家達が、国民に靖国神社のいいイメージを 植え付けようとして小室に結婚式という華やかな場で靖国を 使うように要請していたのではないか?と勘ぐってしまう。
以前にも今は離婚したTRFのSAMが国の広告に利用されていたことがある。 それを考えるとなんだか小室ファミリーは怪し気だ。
芸能人を通じた国民の洗脳は、政治家達が直接的な国民の反感を 浴びないで済むので今後多々利用される可能性がある。 最悪、再軍備化から戦争への道に国民を導くことに利用されるかも。
芸能人のイベントも、のんきに観てはいられない世の中。
紅くならない木も、山を彩る。
2002年11月21日(木) |
武庫川の青(嵐山の紅葉画象NO.4付) |
朝から武庫川まで走りにいった。 途中の景色の中にも、綺麗な紅葉のあるところがあった。 気温が低いので、走ってると耳が痛くなった。 明日から自転車に乗る時はトルコ帽をかぶろうっと。
武庫川の西岸は、関西でも指折りのサイクリングロード。 以前は通学に使っていた。今日はただ走りに来ただけだから 全コースをゆっくりニ往復できた。
下流の方は、ホームレスの方々の青いテント、テント、テント。 昔からいくらかはあったけれども、いつからこんなに増えたのだろう。 淀川河岸や、武庫川沿いどころか、最近では御影や、大阪だと本町の 靫公園や、挙げ句の果てには阪神間最果ての地、666、悪魔の申し子 デミアンの数字が郵便番号最初の3桁の川西市の川西能勢口にまで ホームレスがいるという。川西能勢口でホームレスが外気に耐えて 生きていけるのか、ホームレスというより採集狩猟生活になってしまう のではないか、とか心配してしまう。
余談であるが、本で読んだところによると、ああいうテントが青いのは 青色で作るのが一番コストが少なくて済むからだそうな。 更に話が脇にそれるけれども、阿刀田高のエッセイで、昔の画家の青年期 の作品に青色を主体とした青っぽい絵が多いのは、当時は赤色の絵具が 高価でまだお金のない若手画家は好きなだけ赤色を使うことができなかった ことが大きく影響しているという話に阿刀田氏が驚くというくだりがあった。
なんだか、青色ってお金を節約することと関係のある色なのかも、とか。
武庫川を出て、西宮アクタに行く。ジュンク堂書店で、大学時代の恩師の 新しい本を発見。元気にしているみたいだ。
本屋を出て一階のうどんの四國で生醤油うどんを食べた。 パスタで有名な「壁の穴」系列の讃岐うどん専門店。饂飩屋の割に お洒落な感じでよろしい。
さて、それでは嵐山の画像4枚目。これは結構映りが綺麗かな。
2002年11月17日(日) |
「ファン、松井に最後の別れ」(京都は嵐山紅葉画象3枚目付) |
さっき、ヤフ−のホームページに行ったら、 「松井、ファンに最後の別れ」とニュースの欄に書かれていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021117-00020808-jij-spo
成程、松井は来シーズンはアメリカ行き。 ファンの中にはアメリカまで試合を見に行く人もいるだろうし、 少なくとも松井が活躍する度にテレビで流れるのは間違いないので 「最後の別れ」というのは大袈裟な気がしなくもないが、 東京ドームその他の国内球場で松井の姿を見ることを喜びとしていた ファンの方々にとっては、確かに最後の別れのように感じられるの かもしれない。
ところで、松井あっての松井ファン、ファンあっての松井である。 別にファンがいなくても、松井ならガンガン打って、巨人も彼を手放しは しないかもしれないが、とりあえずファンあっての選手、選手あっての ファンである。しかも松井は、常にファンのことを大事に思っていると よく報道されてもいる。
仮にファンが最後の別れのように感じていても、松井は日本で応援して くれていたファンを、決して忘れないだろうと思う。いつも日本のファンの ことは彼の心の中にあると思う。
多分、最後の別れと感じているのはファンの方ではないだろうか。 すると、「松井、ファンに最後の別れ」というよりは、
「ファン、松井に最後の別れ」と言うほうが適当なはずである。
しかしながら、もし記事の見出しが「ファン、松井に最後の別れ」(!) だとしたら、何だかとても縁起が悪い。なんだか松井のお通夜のような 感じがしてくる。全国の野球少年の泣き声まで聴こえてきそうだ。
「ファン、松井に最後の別れ」
「長島元監督、いま涙ながらに御焼香をすませました。」
「ファン、松井に最後の別れ」
「原監督も泣いています。」
「ファン、松井に最後の別れ」
「外にはファンの長い列ができています。訃報を聞いて新幹線で駆け付けた というファンの方に話を伺ってみます。」
(以上、ワイドショー風に)
やっぱり縁起でもない。 「ファン、松井に最後の別れ」では困る。
念のために書いておくが、私は巨人ファンでもなければ、アンチ巨人でも ない。ただし読売新聞は嫌いである。これは感覚的なものなのだが。
それと、中村に対して髪を黒く染めるようにとの発言は非常に不快である。
もっと言えば、ここで金をけちって中村をとりにいかない阪神の球団幹部は 人間のくずである。
「黄色と黒のトラ刈りにして、うちに来てくれたらええ」
くらいは言ってほしかった(笑)。
銭無い、銭無いて言うとるみたいやけど、あんなけ百貨店流行ってて、 毎日電車に人乗せとって、金ない訳ないやろ。ケチなだけとしか思えん。
こうなったら、阪神はどうすればいいのか? もはや東大阪あたりの町工場で「メカバース」でも作るしかないのでは? ハイテク野球の最たるものとして。
そうせえへんと、このままでは大阪、破滅してまうんとちゃうやろか。 「食い倒れの街」が「飯も食えない行き倒れの街」になるのは見たくない。 大阪があかんようになったら、どこで働こう?京都、、、かな。 今の内に京都を研究、、。というわけで、嵐山の紅葉写真3枚目。
2002年11月16日(土) |
記憶を携えしもの(嵐山の紅葉画象2枚目付) |
10年位前の友達の夢を見て、目が覚めた。 心斎橋界隈の、楽器屋やライブハウスや飲み屋で遊んでいた友達で、 大学進学を蹴ってヤマハ音楽院に進学したやつなのだが、 なぜそんな夢を見たのかは、わからない。すっかり忘れていたのだから。
朝起きたらすぐ顔を洗って、歯を磨いて、着替えて、朝御飯を食べて、 出掛けて、という暮らしをしていれば、夢のことなどすぐに意識から 消えてしまうことも多いのだけれども、最近の空遊のように睡眠と日常生活 の境界がかなり曖昧な暮らしをしていると、前の晩に見た夢は、 半日か1日くらい思考のバックグラウンドを漂っていたりする。
記憶、記憶、記憶。 記憶は突然戻ってくる。自分の記憶、遺伝的な記憶、過去生の記憶。 集合無意識の記憶、普遍的無意識の記憶。
記憶を振払いたい人もいれば、記憶を集めたい人もいる。
クリスタル・ヒ−リングを行う人々は、 アトランティスやム−大陸の記憶を携えたレコード・キーパーという 特別なクリスタル、内部に三角形の印のあるクリスタルがあるという。
仮に、そのクリスタルを手にした人々が様々な記憶を取り戻したとして、 クリスタルの内部に記憶が封じ込められているのか、それともその種の クリスタルに、人の記憶を司る中枢を刺激する働きがあるのか?
意識のある特定の層に触れると、通常ではコンタクトできない 記憶を呼び起こすことがある。それは必ずしもクリスタルを必要としない。 しかし、催眠、瞑想等の心理学的実験を行っている人達にレコードキーパーを 試してもらったら、ひょっとしたら興味深い結果が得られるかもしれない。
チベットには時代の必要性に応えて地中より現れる埋蔵経典というものがある。 どうしてそんなことが有り得るのか、説明することは難しいが、最近日本でも よく話題になる「チベット死者の書」も、埋蔵経典の1つだそうだ。
さて、嵐山の写真の2枚目。
テレビでも京都が連日で特集されている。行ったばかりだけれども、 結構見てきたつもりだったけれども、行ってないところがたくさんありすぎ と思った。街全体が紅葉に染まるような、そんな感じの紅葉巨大都市。
2002年11月14日(木) |
京都の紅葉(嵐山の紅葉画象その1付き) |
京都まで、紅葉を見に行った。 京都は、広い。というか、余りにも見るところが多い。 とりあえず、嵐山と東山界隈に行くことにした。
神戸から京都まで、どうやって行くか。 この時期だと、スルっと関西3daysチケットがお得みたいだ。 5000円で、近畿エリア(一部を除く)のほとんどのJR以外の 私鉄、市バス、その他のバス等に3日間乗れる。
ヤフ−で時刻表を調べる。嵯峨のトロッコ列車に乗りたい。 紅葉の京都は混雑するものだから、朝一番の列車に乗ることにする。 嵯峨駅8時28分発。午前5時台に家を出発することになった。
まだ暗い中、家を出る。まだそんなに人も乗っていない電車から 外を眺めている内に、すこしずつ明るみが増してくる。
十三から大宮までは通勤電車状態。周りは通勤の方々で溢れている。 私達は、喜びに満ちて、遊びに行く(笑)。
大宮から京福電車。途中で車内から、今年のノーベル賞受賞者田中さんの 勤める、島津製作所が見える。
京福の嵯峨駅前で降りる。「嵯峨駅前」という名前の駅である。 私は他に「駅前」と名の付く駅の名を知らない。 もしここの駅前で待ち合わせしたかったら、 「嵯峨駅前駅前で会いましょう」とでも言えばいいのだろうか。 若干の疑問が残るが、私が悩む必要のあることでもないので 放っておくことにする。
嵯峨駅前駅から歩いてすぐ、JR嵯峨駅とトロッコ列車の嵯峨駅。 ここは無敵のスルっと関西も通じない。嵐山〜亀岡までで片道600円 という非常に恐ろしい高額料金地帯である。それでも紅葉は見たいから 乗るし、亀岡に出ても何もすることを考えられなかったので往復券を 購入した。
トロッコ列車にはオープン席の車両と普通の車両がある。 寒いから片道だけオープン席、帰りはのんびり室内席にした。 この日の京都の寒さといえば、身を切るようだった。 車掌さんは、オープンの5号車をさわやかだと言う。 「紅葉なら5号車、風邪ひくのも5号車」とも言う。
確かに紅葉はめっちゃ綺麗だった。赤さが違う。ディープレッド。 お陰でトロッコ列車と天竜寺界隈と嵐山で私のデジカメBandaiC@Mailの 容量、20枚を軽く使い切ってしまった。
その20枚を紹介したいが、一度に貼ると容量が容量なので、 今日はその内の一枚を貼り、今後更新時に残りを一枚ずつ上げていこう かなと思う。
では、今日の一枚。
トロッコ列車の後は、嵐山散策。修学旅行生が多い。 人が余りに増えてきたので、昼食を食べに河原町まで出る。 河原町で飲茶を食べて、次は東山界隈へ。地下鉄東西線で蹴上まで。
南禅時などの古刹名刹とか、哲学の道の紅葉を楽しむ。 紅葉ってこんなに美しかったのかしらと思う程。
銀閣寺まで歩き、途中で御茶してバスで出町柳に出た。 そろそろ暗くなってきたし、朝早かったので眠たくなってきたので 家に帰ることに。
珍しく、23時にはバタンキューッ。
もみじの、夢を、見た。
なんかねー、月曜日に実家から帰ってきてからずーっとだるいような 状態。実家がほこりっぽ過ぎて一晩中くしゃみが出て目が痛かった。 朝起きたら目が真っ赤。これはたまらんと思って、早々に脱出した。
実家を出てから10年以上になるから、すっかり忘れていた。 大学に入って一人暮らしを始めた途端、急に健康状態が良くなったことを。
この分では、実家に帰ったりしたら、何日生きていられるかわからない。 コンピューターと同じく精密機械である空遊は、ほこりと熱が大の苦手 なのだ。
かといって、こちらでやっていこうにも、最近は求人誌とかネットの 求人検索とか、ざーっと掛けてもため息しか出てこないし、、。
とにかくこの下ないってくらい、ローな状態なわけです。月曜までは 元気だったのですが。今は、御飯食べるのも面倒ってくらいの感じ。
こたつに座ってるのと寝るのとの繰り返しで1日が過ぎて行きます。 取り立ててやりたいことも、行きたい場所も、食べたいものも無いので、 何事もただただ面倒なだけ。
2002年11月05日(火) |
丹波篠山〜猪肉を求めて自転車で神戸から〜 |
連日のドラクエ7漬けの結果、夜型生活が染み付いてしまった 今日この頃。なにしろ目が覚めてテレビを付けると「ちちんぷいぷい」 (関西限定のワイドショー)がやっているのだから重症である。 寒くなってきたので「こたつむり」化してきて外に一歩も出ない日も。
仕事や勉強をしている時の運動不足は無自覚の内に進行していくが たいした事をしていない時の運動不足はエネルギーを燃焼していないので 身体がなんだか気持ち悪くなる。
モンスター倒しまくって経験値あげて、モンスターじいさんのとこに いろいろ魔物を送って、みかがみの盾も購入して一息ついて 午前6時、火曜日朝のゴミ(午前5〜8時に出すルール)を出して さあこれから寝ようという時になって(昼夜逆転)突如、 「今日は篠山までサイクリングしよう」と決めた。
寝ないで走りに行くのは流石に辛いので、2時間程度眠った。 目を覚まして、ユニクロの(一昨年買った)フリースとジーパンという 完全に街乗りスタイルで出発。一応サングラスだけは目の健康のために 着用。1つは紫外線から目を保護するため、もう1つは車道を走っていると 黒いカスというか煤のようなものが前から飛んできて、目に入ると涙が出て 来るので、それから目を守るためである。
神戸市東灘区から山手幹線を通って芦屋、西宮を抜け、武庫川の河原の サイクリングロードを北に登り、橋を渡って宝塚へと向かう。 ここまでは、かつて通学時に通っていたコースが大部分で、慣れたもの。
宝塚駅の手前くらいから、国道176号線に入った。 篠山に行くには、いくつかの道があるが、今回自転車で行くのが初めて なので、道に迷いにくい国道一本で行くコースを選んだ。 以前にも、途中までは通ったことがある176(いなろく)だが、 今日はなぜかダンプや大型トラックが多いと思ったら、以前に来たのは 土日だった。
宝塚市から、西宮市の北部に入る。生瀬から名塩のあたりが一番交通量が 多いようだ。ひどいところでは半渋滞状態。歩道によけたり、大型トラック だとわかったら、幅に余裕のあるところで先に行かせたり。トラックには 内輪差というものがあるので、できるだけ直線で抜いていってもらえた方が ありがたい。
普段から神戸市内で、2号線等の大きな国道を走ることが多いが、 市街地の国道より、ちょっと田舎の片道1車線でセンターラインが黄色の 国道の方がはるかに厄介だ。大型トラックに抜かされる自転車の身としては 切にそう感じる。
ちょっと精神的に疲れたので名塩駅前の阪急オアシスのミスタードーナツ で休憩。まだ朝の10時台なのでとても空いている。家を出る前に御飯を 食べたのが午前2時か3時かそんなもんなので、朝食か昼食かブランチか なんなのかよくわからないけど、とにかくドーナツで朝御飯。
176に入ってからのことを思い返すと、スクーターに抜かれなかった ことに気が付いた。普通神戸で走っている時にはよく制限速度をはるかに 超えて走るスクーターに抜かされるものなのに(抜かされる私の自転車の スピードメーターが30〜40キロを指しているのだからかなり速いはず) 176に入ってからは一台も見ていない。名塩には住宅地も多いし、坂の 街だからスクーターも多いはず。思うに、現地の人もスクーターでは176 は危ないから余り走らないのではないだろうか(あくまで名塩付近に限って のことだが)。
地図を開いてコースを再考する。176は車が多いので、付近の住宅地の 道を経由することにした。坂道ははるかに増えることになるが、空気は良く なるし、なによりも交通がほとんどなく、自然が豊かで景色がきれいので はるかにサイクリングとして充実したものになるからだ。
登ったり、下ったり、登ったり、下ったりが続く。
途中、何ケ所かでふたたび176を通ったり、また脇の道を走ったり。 脇の道はなかなかよろしい田園地帯。
西宮北を越えて三田市に入るころになると、大型トラックの数はかなり 減った。176もなかなか快適。軽いアップダウンの繰り返しもあるが、 平坦と言えば平坦なほうだ。
とにかく田園地帯。途中で三田工業団地という表示があったから、 一瞬ぞっとしたのだが、実際に見てみると非常に小規模な可愛いもので あった。
しばらく走ると前に丹波篠山地方独特の、とんがった形の山々が 見えてくる。そして、灰色の雨雲が(汗)。ちょうど雲の下が山の頂上 あたり。山の天気は変わりやすい。あの雲でにわか雨でも降ったら、、 いや、雷雨なんか降られた日には、、、。背筋が寒くなる。幸い向い風。 できるだけ早く、私の進行方向と逆に移動してくれるように、文字通り 天に祈る。一時期、ぱらぱらとしてたが、幸いすぐに止んでくれた。
小さな峠を越えて、どんどん進むと篠山市の表示が。「やったー」と 思って先に進むが、目的地はまだまだ先のよう。そう、篠山市はもともと 4つの町だったのが、合併して1つになったのだ。だから結構広い。
JR篠山口の手前で、176から離れる。篠山城跡を目指す。 普通に名産物を買ったり、丹波杜氏の博物館を見学したりするような ことは前回に篠山に行った時にしたので、今回はそういうことは省いた。 城跡や、その回りの街並を眺めながらゆっくりと走った。
とはいえ、西宮北〜三田〜篠山はそれ自身である種観光である。 ちゃんと調べればいろいろ見物はあると思う。何よりもその田園風景は 田舎好きにはたまらないだろう。思わず同じ県であることを疑ってしまう。 (以上、褒め言葉なのでくれぐれも誤解のないように。)
さて、前回来た時に忘れられなかったのは、おいしい猪肉。 今回も、猟師さんから直接買っていると言う専門店で購入した。
先程の雨雲が気になるのと、日が暮れない内に帰りたかったので、 帰りは電車。こんな時に折り畳み自転車は楽でいい。 BikeFriday(バイクフライデー)のMetro7(メトロ7)を駅前で 折り畳み、プジョ−のBD3WayBag(バックパックにもなる輪行袋)に 放り込む。
駅のホームで丹波路快速を待つ。次の電車が20分先というのも 旅先的な風情があってたまには良い。始発駅だからと安心しきっていたら 乗り換えのお客さんが発車直前に乗り込んできた。大した数ではない。 ラッシュ前で良かった。
丹波路快速と銘打ってはいるものの、篠山口から三田までは普通である。 結構時間がかかる。JRのこの手の名称の電車としては大和路快速があるが (加茂〜奈良〜王寺〜大阪)あちらはずっと速かったのに。 豊かな自然の中に暮らす人々は、あんまり細かい時間を追ってせかせかと しないからなのだろうか。それとも単にJRのサービスの不備か(笑)。
まあいい、JRも最近は自転車の車内持ち込みを無料にしてくれたことだし 文句は言うまい。
大阪行きの丹波路快速はやがて尼崎に着く。神戸方面に向かう電車に乗り 換える。住吉で降りて自転車を組み立て、牡丹鍋用の野菜とうどんを打つ ための小麦粉を買って家に帰る。ちょっと疲れてたのか、いつもより一段 軽いギアを使って登った。
帰宅後、牡丹鍋。うどんを打つ。鍋に入れるので、ちょっと固めの太め。 それくらいがちょうどいい。買ってきた味噌に、家で漬けてたにんにく味噌 を足す。さらに良い感じ。産地で買った猪肉は流石に美味しい。スーパー とかで売っている冷凍の猪肉とはまったく別の種類の食べ物と言っていいと 思う。300グラムがあっという間になくなってしまった。
満足、満足、大満足。
久しぶりに23時には眠たくなって深い眠り(死んだわけではない)に ついたのであった。
連休をほぼどこにも行かず過ごした。
ドラクエ7のやり過ぎで、普段なら「大阪に行きたい」とか 「宝塚に行きたい」と思うところが、 「ダークパレスに行きたい」とか「ダーマの神殿に戻らないと」に、 「次の仕事探さないと、事務でも営業でもいいから」が、 「上級職3つ極めて勇者に転職しないと」になっている(爆)。
そのせいか元々ずれている日にち感覚がさらにおかしくなって、 土曜日にあった会合を日曜日にあるものと勘違いしてしまい、 めったに会わない友人に会う機会を逃してしまった(涙)。
食糧の買い出しと喫茶店くらいにしか出掛けていないここ数日間。 その近所の散歩ですら、普段なら「静かで散歩にいいところ」と 思うところが「静かで魔物も出ないいいところ」と思うようになっている。
明らかにはまり過ぎなので、明日は何か別の事をして過ごそうと思う。
もうゲームを始めてから110時間以上が経過している。 私は面接のある日以外はほぼ暇な求職中の身であるのだが、 普通の学生や社会人がドラクエ7を忙しい日々の生活の中でやったら、 いったいどれくらいの日数がかかるんだろうと思った。
それにしても最近寒くなった。炬燵とホットプレートの鍋物で 寒さをしのいでいる今日この頃。昨日は味噌煮込みうどんを作った。 うどんの麺は適当に自分で打ってみる。中力粉と水と塩さえあれば楽々。 パンみたいに発酵させる手間もないし。家で食べる分には十分美味しい。 コツは切り分ける時に生地を折り畳む前に、十分に打ち粉をしておくこと。 これが不十分だと、麺と麺がくっついてしまってすいとんのように(爆) なったりします。
具のメインはいかりスーパーの割り引きで買った豚バラ肉のブロック。 高級スーパーの代名詞のようになってしまっているいかりスーパーですが 特売品には安売りスーパー以上にお買得なものが時々出てきたりします。
ちなみに今日はホットプレートでラーメンでした(笑)。 おかずには鶏肉と大根をじっくりと煮込んだものを食べました。
毎年、寒くなると鍋路線が続くのであります(笑)。
明日はシチューです(爆)。
数日前にお気に入りの漫画のセリフについて書きましたが、 もう1つ思い出しました。漫画よりもレンタルビデオや映画で有名かも。 「ミナミの帝王」って十一の金貸しの漫画で、主人公の萬田銀次郎が 飲み屋で普通のサラリーマンの飲み仲間と話した後に独り、
「わても普通の人生歩めるんやったら歩んでみたかったでっせえ!」
と言うのですが、なんだかそのセリフが妙に気に入ってます。 どこか共感できるところがあるのでしょう。
あと、心境の変化というか、最近以前と比べて自分のこれからとか お金のこととかに関して、随分と肩の力を抜けるようになりました。 「前からじゃないのか」とか、「力を抜き過ぎじゃないのか」と 思う方もおられるかも知れませんが。
「稼いでない」は「稼いでない」、「仕事ない」は「仕事ない」で そのまま受けとめていくより他にない事実であることに、ようやく 気付けるようになったのかもしれません。
これは諦めたというのとは違うことなのです。不必要なところで エネルギーを消耗しないようになったということ。
ある種の「落ち着き」。
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