今、夜食のラーメンを食べたところ。すっかり昼夜逆転。
休日の過ごし方は至ってルーズ。あんまり動き回らない。 まるで冬眠中の天道虫のように。
時々買物に行ったり、御茶を飲んだりくらいはするけれども。
退屈な仕事と動きの少ない休日の繰り返しで生活が構成されている。 仕事は退屈ではあるがストレスはそれなりに多い。 空遊は物音に敏感だ。それも人の話し声にはとりわけ敏感。 周りで3人の人が電話で会話していると全部聞き取ろうとしてしまう。 癖みたいなものでどうしても聞いてしまうのだ。どれもろくに内容のある 会話ではないし、自分と関係もない。それでも勝手に全部聞いてしまうので 疲れてしまう。 最近仕事で1日中入力をしていることが多い。頭は痛くなるし、 首も肩も腰もだるくなるし画面から電磁波が出てるのか放射能が出てるのか すら疑問に思うくらいコンピューターストレスは苦手。 御陰で自分のHPを更新するのもすっかり億劫になってしまった。 職場に気の合う人が全くいない。中年以降の歳をとった人が多い。 色であらわすなら灰色って感じ。この雰囲気で毎日気が滅入ってくる。
幸いなのはこの仕事も来年の3月できれいさっぱり終わるということ。 次の仕事がどうなるかわからないし、いま暮している生活が維持できるか どうかもわからない。最悪の場合家賃や生活費が払えなくなって実家に 帰らざるを得なくなるかもしれない。 それでもこの仕事が来年3月できっちり終わってくれるのはありがたいことだ。 もしこれが続くものだったらこの不況の中やめる勇気を持てずにだらだら続けて しまっていたかもしれない。
今の仕事をはじめてから1年半。1年半も同じことをしているとどんどん 無気力になって、身も心も重たく感じるようになってしまう。 なんというか人生の内の1年半を丸ごとどぶに捨てたような気すらする。
次はもう少し活気のある仕事がいいなとおもったり。
本当は遊ぶのが一番好き。仕事はどんな仕事もそれが仕事であるという理由できらい。
働かなくて遊んでいられる人生に心底あこがれるのであった。
2001年09月26日(水) |
ネクタイと右翼と西域回族神風特攻隊 |
ずーっと寝てた甲斐があって、ようやく起きて仕事に行けた。 で、また今日から入力の山。山。山。ぐったり。あーっネクタイ締めてる から首が締まる。こんな無意味なもん一体誰が発明したのやら。 冷静に考えてみるとこれ程不必要なもの他にないと思うのだ。 ビジネスに必要?仕事に必要?江戸以前の商人はそんなものなくても 立派に仕事してたです。お茶の間でお馴染み謝国明さんももちろんしてない ですね。ついでに言えば皮靴もいらないです。足がむれるだけです。 皮靴を廃止すれば日本人の水虫が減って医療保険の赤字が少しは解消されます。 少しだと言って馬鹿にすることなかれ。小さなお金も積もれば山です。
あの無茶苦茶な予算をいきなり通すアメリカの軍事費も、元を辿れば 多くは時給5ドルとか6ドルの人達が一生懸命働いたお金からぶんどってる 訳です。まさしく血と汗なわけで。その血と汗を何に使うかってこんどは 遠い国のもっと貧しい人達の頭の上に爆弾を落とそうって話なわけです。 血と汗の結晶は血を流すために使われてしまうわけです。この分ではその内 イスラム原理主義じゃなくってアメリカの被抑圧階級がテロを起こすようになるかも知れないです。
小泉首相に至ってはつい先日靖国神社参拝にあたって特攻隊を讃美されて おりました。命を捨てて自分の国、民族のために戦う者を特攻隊と定義する なら今回のアメリカ同時多発テロを起こしたイスラム原理主義者こそ立派な 特攻隊であり、さらにその命はアラーの神に捧げられているので文字どおり 神風特攻隊でございます。小泉総理、一言くらいジハードの戦士をほめてや ったらどうでしょうか?「痛みに耐えてよくがんばった!感動した!!!」 とか。飛行機でビルに突っ込んで死ぬのは貴ノ花の痛めた膝より痛かったの は間違いないでしょう。 さらに小泉首相と右派自民党の大好きな大平洋戦争の日本軍のコンセプト は白人の支配からのアジアの解放でしたね。だったらウサマ・ビン・ラディンと 組んでパレスチナを解放してやる!とくらい言えないもんでしょうか? だーれもひ、と、こ、と、も言わないねー。
言われてもこまるが(笑)。
そんなこんな。なんかすっきりしたぞ。
2001年09月25日(火) |
なーんにもないかも魚をさばこう |
実は なーんにも書くことが 思いつかない 火曜日の夜。 結構先週なんかはこの日記さぼりまくってしまったのだが、 今週に入ってなーんか気候の変化でだるくって日記どころか なにもしていない。
今日に至っては仕事まで休んじゃった。
それでひたすら寝てたり瞑想してたりリビングの掃除をしてたり etc.etc.で1日が過ぎていったわけさ。自分の中では特に何もして いなくてもそれなりに快適に過ごせるというか有意義に過ごしてる んだけど、いざ日記なんかに書こうと思うとなーんにも書くことが なかったりするのだー。
やっぱり人に読んでもらうにゃなんか事件があったり、新しい事 をしてたり、なんか一生懸命考えてたり、直感的にメッセージが 降りてきたりしないと書きにくいもの。
この事件が無い日が無いという御時世に、あたいが最近やった新しい ことって、一昨日に生まれて初めてサンマを刺身にさばいたことくらい。
まずサンマを買ったのはこの日記にもよく出てくる長崎屋の阪神御影 店。阪神御影駅ってのは兵庫県神戸市東灘区にあります。ここの地下は お魚がなかなかよろしい。刺身OKのサンマが割安で売っていたので 買っちゃいました。えっとここは頼めば調理してくれます。まあ今回は 自分でやろうと思ってサンマを買って帰宅。包丁を出し、刃を研いで、 サンマのおなかをちょっと切って内臓を出し、頭を落として三枚におろす。 おいらは料理は小中学校の家庭科以降は独学なもんでめっちゃ適当な三枚 おろし。包丁をいれるより指を使った方がスムーズにはがれたりするので そうしたり、皮は本来むくそうですが、ビタミン・ミネラルが結構含まれて いるそうなので皮をあえて付けたままにしておいたり、要は適当。
こうやって自分でさばいてみると寿司屋の板前さんというのは超人的だ とつくづく感心いたします。一体どうやったらあんなに綺麗に魚が切れる のでしょうか。おいらのはぶつ切りとかぶっちぎりって感じでした。まあ 客に金取って出すわけじゃ無いしいいだろうということでなんとか食卓に のって差し支えない程度に切り分けました。ワサビをつけて醤油につけて 日本酒菊水と一緒に食べます。形はどうあれおいしい。よかった。中落ち の部分は骨ごと火にあぶって後で食べました。こっちもおいしい。
今がサンマの美味しい季節。塩焼きとかが多いけれども新鮮な魚が手に 入るならだんとつ美味しいのが刺身。この秋のおすすめ。
ブッシュさんと小泉さんが報復の秋を過ごされてる間に、こちらは呑気に 食欲の秋を過ごさせてもらいやす。どうしてもほうふくってんなら抱腹絶倒 の方があっしらの好みでやんす。
ところで勉強の秋、とかスポーツの秋、とか読書の秋ってのもあったよね (笑)。細雪前刊読んだまま次読んでないし、、、(汗)。
気が付けばこの日記もようやくアクセスが1000を超えている。
嬉しい限り。
最初は違和感もあったがだんだんと慣れてきた。 「日記とはそもそも人に見せるものではないのでは?」という 疑問も最近ではめっきり首をもたげなくなった。
よくよく思い直してみると、最初に書いた日記は、小学校とかで 書かされた日記であった。書いている内容が先生の気に入らないと 呼び出されて怒られる。「なんでこんな考え方をするのだ?」とか 「どうしてこんなことばかりしてるのか?」とか。
例えば空遊の家では休日に車で出掛けることがよくあった。 出掛け先でおいしいものを食べたりする。それを日記に書く。
今日は、家族でドライブに行きました。伊賀上野に行きました。 おいしいすき焼きを食べました。
先生に呼び出されて怒られる。「こんな贅沢をしていると人間駄目になる」と 言った論調である。そんなこと言ったってこっちにどうこう出来る話じゃない。 家族の習慣である。小学1年生がどうやって家族全体の休日のレジャーの 習慣を変えさせることができるのか?それにもし出掛けないとしたら休日に 何をしろと言うのだろう?勉強はその頃はどれも申し分なかったし、休日に まですることでもなかった。みんなもそれぞれ家族や予定があるから日曜は 友達とドッジボールという訳にもいかない。先生はそういうことには答えず 単に僕のことを「ぜいたくな子供」として責め立てるのであった。
念のために書いておくけれども、家は別に金持ちではない。中の中の中 くらいの家で、周りの家々とほとんど何も変わるところはなかった。
先ず日記を書け、日々起こったことを書けと言われ、次に書いたことに ついて呼び出され怒られる。次第に都合の悪いことは書かない、自分の個人的 な考え方などについては書かなくなり、できるだけ無難なことのみを書くように なってしまった。
子供の夏休みにありがちな夏休みのあさがお絵日記みたいなものが一番無難で 良いと思っていた。文句のつけようがないから。
思想統制という言葉は当時は知らなかったが今思うとその言葉が一番ふさわしいように思う。 それは創造性と個性に対する暴力だった。
阪神タイガースが優勝を目指しているのかリーグ第6位をノルマとしているのか わからないように、民主主義国家の小学校なのかタリバンなのかわからないような 教育だった。
あれからいくばくかの年月がたって、今の小学生達にもいろいろ厄介な問題は あるだろうけど、僕が経験していたような問題は少なくなっているだろうと思う。 というか同世代においても僕の小学校のような例は比較的珍しかった。
何故自分があのような災難に遭わなければならなかったのか、わからない。 ただ国や地方自治体と言った「公的」機関は往々にして嘘つきで、残酷で、 支配欲の亡者であるということを人生の早期において学んだのは、決して マイナスのみでは無い気がする。
例えば今回のテロ事件みたいな事があったときに、 「アメリカの正義って大統領が言ってるけど怪しいなあ?政治家が正義って 言い出したら警戒せなあかんで。ブッシュの資金源どこやろ?おやおや、 軍事産業やないか。余計怪しいなあ。戦争は長期化するだろうって、戦争が 長期化したら誰が得するんやろ?少なくとも渇きと砂漠の寒さ暑さに耐えなあかん米兵やないのはたしかやなあ、税金から金なくなっていろんなとこに 影響を受ける国民でないのもたしかやなあ」 ととりあえず考える習慣がつく。
権力がいつも嘘をつくわけではないとしても、嘘をついていたとしたらと 言う前提で毎回考えること。必要とおもう。
今はネット上の日記で書きたいことを書いている、上のように個人的な考え方を 書いても呼び出されて尋問されたりしない。大人になって人生ましになった 部分も少なからずあると思える。
子供が自由に感じたこと、考えたことを表現できる世界でありますように。
けっこう今流行ってると思う。
道を歩いてても、電車に乗ってても、オフィスでも よく話題になっている。
発芽玄米、ビタミン剤、ざくろジュース、銀杏、ビール酵母。 数え上げるときりがないみたい。
ダイエットだったり、免疫力アップだったり、美容だったり。 人によって飲む理由も様々。空遊は仕事の肉体的ストレスを やわらげるためにビタミンCをよく飲んだりする。カルシウムとかも 時々飲む。そんなものいらない食事ができれば一番なのだろうが 眠たくてぎりぎりまで寝ててパンしか(しかも職場で)朝に食べられ なかったり、昼外食だったりしてどうしても偏りがち。
はっきりと効果が確認できたこと:
ビタミンC→肌がきれいになる カルシウム→爪が固くなる
効果がでるということは、やっぱり以前は足りてなかったのかな? と思った。
2001年09月16日(日) |
「政治家」と「狂人」 |
TVを見ると、相変わらずテロのニュースやコメント。 「イスラム教自体は本来平和を旨とする宗教であり、今回の様なテロは たとえ犯人がイスラム原理主義者であったとしても、それには政治が からんでいて純粋に宗教が原因ということはありえない。」 という専門家のコメントがあった。
それはそうだろう。イスラエルや中東諸国に対するアメリカの外交政策 の問題抜きにはいかに原理主義者であろうと命懸けのテロなどしないはず。
政治とは実にややこしいものだとあらためて思う。
インドの神秘家OSHOは政治家とは劣等感の裏返しで自分を偉大に見せよう とするために、いとも簡単に戦争すら起こす厄介で危険なものであると 言う。その原動力は劣等感に満ちたエゴである。
OSHOの言う政治家とは、職業的な政治家にとどまらない。劣等感に満ちた マインドを持っていて、何かを現実化させることで人々に自分が偉大である ことを認めさせようとする者のことを彼は「政治家」と呼ぶ。
同様に劣等感に満ちたマインドを持ってはいるが、何かを実現して人々に 自分が偉大であることを認めさせる代わりに、最初から自分が偉大だと信じ てしまう人のことをOSHOは「狂人」と呼んでいる。
OSHOによると政治家の方が狂人より危険らしい。例えばヒトラーがただの 狂人なだけで政治家にならなかったら世界にとってはずっとましだったはず だろう。1人の狂人の費用と言えばせいぜい精神病院の病棟にベッドが1つ と治療費があれば事足りるからだ。
この意味での「政治家」と「狂人」はひとりひとりの人間のマインドの 中に住んでいる。ただ人によって片方の割合がもう片方の割合より大きか ったり小さかったりする。
今回のテロに対する報復の結果がどのようなものになるか、今はまだ 予測がつかない。ただはっきりしているのは人類の多くがこのマインドの 仕組みについて、各自の内に潜む「政治家」と「狂人」の仕組みについて 理解しない限り、争いも混乱も決して終わりはしないだろうということ。 それについては空遊は確信がある。
2001年09月15日(土) |
ちょっとつかれるはなし |
昨日から両親宅に行ってた。
敬老の日ということで病院に長い間入院している祖父の見舞いが 第一目的。2日前に80才になった祖父。日本人男性の平均年齢が 76才だから、取り立てて病気でなくても、死んでもおかしくない 歳と言ってもいいのかもしれない。
ある日突然家族や親戚が死んでしまうのと、重い病状のまま時間が 過ぎていくこと。両方とも辛いだろうが、どちらが大変かとあえて 聞くなら、個人的には後者の方が大変だと感じる。最初はすんなり 行けていたお見舞いも症状が好転しないことによって見舞う方の気持ちも どんどん重たくなっていくものだ。
まあそんなこんなでどうにかお見舞いをすませる。
両親宅は父母妹の3人暮し。この内特に父と妹の仲が悪い。 常に一触即発と言った感じで、車に乗っていてもレストランにいても どこにいても何かの拍子でどなりあいの大喧嘩をはじめてしまうので 一緒にいるとものすごい疲れるのだ。土曜や日曜に両親宅を訪れ、月曜から 職場に戻ると、「オフィスって平和でほのぼのしていいところだなー」と 思ってしまう(笑)。
時々実家に暮している友人とかの話を聞いていると、家賃等がかからない のがうらやましくなる。そしたらもっとたくさん遊べるなーとか車だって 買えないことはないよねーとか思うが、両親宅に帰る度に「ああ、一瞬でも こんなところに住めるかもと思った自分が馬鹿だった」と反省するのだった。
嗚呼、大和の国は自分には合わぬ。六甲山に帰らせていただくよ。
そんなこんなで休息と癒しのために今日はこの辺で寝る。
2001年09月13日(木) |
トーアウエスト付近の某カフェのあまり肯定的でない感想 |
昨日、トーアウエスト付近の某カフェでランチを食べた。
トーアウエストというのは神戸市中央区のJRの線路より北側の 三宮と元町のまんなか辺りのエリア。感じの良い店が結構並んでいる。
その某カフェというのは地元では有名で、知ってる限り三宮に1件、 トーアウエスト付近に2件の店がある。三宮のお店は空が近くて素敵。 映画の後にちょうど良いかも。今回行ったのはその内の1件。 ケーキやデザートが主体のお店のほう。
ランチはサンドウィッチとドリンクとケーキのセットで950円。 サンドウィッチは数種類ある中からピリ辛ソースのチキンサンドを 選んだ。ドリンクはアイスハ−ブティー。
味はそつなくまとまっていて、コストパフォーマンス的にも許容範囲内 だし、アイスハーブティーは夏むきなテイストで満足。
ただ、なんというか・・・。すごいやな感じのウェイトレスだった。 普通やなウェイトレスと言うと注文取りに来るのが遅いとか、言葉使いが 悪いとか、何かの理由がある。今回のはそういう質のものではなくって ただいるだけで異様にうっとうしくなってくるタイプのウェイトレス。 言葉使いもサービスも取り立てておかしなところはない。
ただ彼女の存在だけで1000円のランチの価値が500円以下に 下がってしまいそうなくらいに・・・。
なぜなんだろう?身なりも平均以上に清潔にしているし、ぶさいくな わけでもないのに。そんなこともあるんだなあ、という感じ。
まあまた違う日に行ったらお店も全然違う感じかも知れない。 また真昼間から甘いもの食べたくなったら行こう。
大阪ではお笑いがさかん。
大阪の人はよく笑う。万事につけ忙しい商人の街だけど、 結構笑うことには時間とエナジーを費やしている。
わははははははははは。わははははははははは。
考えようによっては滅茶無駄なことのようにも思われる。 ただただ笑い続けたところで何になる?人を笑わせればひょっとすると 金になるかもしれない。でも自分が笑って何の得になる?
これが実は得になるんだ。
笑うと健康になる。冗談ではない。岡山県に癌等の重病患者に対して 「生きがい療法」という独自の療法を行う伊丹医師という人がいる。 ポジティブに、上手に目的意識を持つことによって免疫力と自然治癒力を 強めると言う。伊丹医師は多くの癌患者をエベレストに登らせたことで 有名だ。
伊丹医師は笑いと免疫力の関係を実験で確かめた。二つのグループを 作って片方には笑えるお笑いを見せ、もう一方のグループは退屈させた。 その前後の血液中のナチュラルキラー細胞(免疫力の一つの指標となる) を調べると、二つのグループには差が見られた。たくさん笑わされた方の グループでは明らかにナチュラルキラー細胞が増えていたのだ。
そういうわけで伊丹医師を慕う患者さん達はよく笑う。癌とは思えない くらい元気な人もたくさんいる。文字どおり命がけで笑っているのだ。 郭林気功や森田療法やその他の療法と合わせて治らないと言われていた癌が 治った人もいる。
もしあなたが今健康で、将来も健康でいたいなら、病気の予防として 笑うことも勧められるかもしれない。もしたくさん笑って健康でいられる ならそれに越したことはない。国民健康保険が改悪されて医療費が高額に なりかねない政治的情勢の今では病気の予防はなおさら重要だ。健康で いられれば働いたり遊んだりできるし高い医療費も払わなくて済む。
よく笑うことは実に採算のとれる話だったのだ。
2001年09月10日(月) |
キャリアデザインといっても、、、 |
次の仕事なにをしようかなとか、何か勉強しようかなとか、 気になりはするのだけれども、はっきりした意志は決まらない。
かといって今までと同じように誰でも取ってくれそうなところに 行き当たりばったりで応募してすぐに退屈するというパターンからは そろそろ脱却したいなあとも思う。
何かの参考にはなるかなと思って本を買った。「グローバル化時代の キャリアデザインブック」(アルク地球人ムック)という本。結構内容が あるかなと思った。起業家から派遣、フリータ−まで幅広く取り扱っている。
22ページから23ページにかけて、「自分にあったワークスタイルを知ろう」 という自己診断のためのコーナーがあった。 AからEまであって、
A 会社員度チェック B 起業家度チェック C フリーランサー度チェック D 派遣社員度チェック E フリータ−度チェック
となっていて、それぞれ15個の項目がある。自分がそうだと思うものに チェックをするようになっている。例えば、会社員度チェックのところには
・組織の一員であることで、メリットと安心感が得られると思う
起業家度チェックのところには
・「刺激に欠けるが、安定は保証される人生」より、「安定は保証されない が、刺激がある人生」に魅力を感じる
という項目がある。
早速このシートの全設問に答えた。ところがAからEまでほとんど数が 変わらない。A,C,Dが7つ、B,Eが6つだった。
しかも23ページの説明を読んでみると、「8個以上チェックが入れば、 あなたはその「働き方」に対して適性があるということ」と書いてある。 空遊はどこにも8個もチェックが入らなかった・・・(笑)。
これってどういうことなんだろう?
この5つのカテゴリーには向いていませんってことなのかなあ? まさかとは思うけれども。
う〜ん、、、、、
朝起きてマンションのベランダから外を眺めた。 晴々とした空、朝の清涼な空気、窓を開けて彼女と一緒に 外を眺めた。
次の瞬間、空の向こうの方から黄緑色の光がやってきた。 そして爆発のような現象が起こって、大量の光線の照射を 浴びてしまった。
気が付くと太ももとか腕がただれている。彼女にも同じ 症状がでている。ベランダの外を眺めると、朝の散歩や通勤 の途中の人が倒れている。 何がどうなっているのかわからずに混乱している自分は、 とりあえず近所の人達と話をするのだが彼等もやはり何が何だか わかっていない。一体どういうことが起こったらこんなことに なるんだろうと記憶の糸を手繰って考えてみる。
しばらくして、僕は「フェフェ」というものを思い出した。 多分雑誌の軍事関係の記事か何かで読んだんだと思う。
それはある種の化学兵器で、核兵器のように瞬時に都市を 滅ぼしてしまうものではなく、多くの人間に数日間の間、 動けなくなる程度のダメージを負わせるものである。 核戦争が危険すぎるので使われなくなった現在、短期間の 内に勝利を収めるには先ずフェフェで敵国の人間を麻痺させて おいて、通常兵器で攻め込んでいくという手法が用いられる。
確かこんなことが書いていたはず。
ということは、これは終わりではない。この後に攻撃や爆撃が 続くのはほぼ間違いない。なんとかとりとめた命だ、今更落とし たくはない。さあ、どうしよう?頭は回転し続ける、胸はどきどきと 高鳴ったままだ。
「どこか安全な場所は?」 「傷の手当てはどうしよう?」 「どこからの攻撃なんだろう?」
そんなことがぐるぐるする。
さっき空から一撃をくらったので、まだ空を見るのがこわい。 また何か落ちてきそうな気がするのだ。今度はフェフェよりもっと おそろしい爆弾が落ちてくるんじゃないか、毒ガスは苦しむから嫌だ、 色んなことを考えてしまう。
どうしよう?という恐怖がクライマックスに達する。 心無しか遠くからヒューン、、、と音がする!!! 嗚呼、あの調子じゃ3秒後には落ちるぞ!身体が凍り付く、、、、
というところで目が覚めた(笑)。 起きてもしばらくの間なんとなく空がこわかった。
ひさしぶりに恐い夢を見ました。
再び長期睡眠状態。火曜、水曜と仕事を休んだ。 疲れたり、病気になったりした際にどこまで出勤してどこから休むか 人それぞれに基準があると思うが、空遊の場合は感覚的に身体が動かない という感じになる。なんかこのまま行ってしまうと丸一日地獄になって しまいそうな、そんな感じがする。たとえ今日休んで首になってしまっても いいから休もう、そんな感じ。
明日は行けるかなー?
要するに陸の孤島のようなもの。
午前9時から午後5時15分まで、仕事中ほとんど人と話さない。 周りに人がいないわけではなく、話したい人も話したいこともないからだ。 係は6人から成り立っているが、一番若いのが27才の僕なのは良いとしても その次がいきなり40才(!)にとんでしまうので共通の話題というものが 持てない。
いわゆるひとつの陸の孤島状態@オフィスで、これを机の孤島と呼んでいる。
空遊はしゃべる人とはしゃべりまくるが調子の合わない人とは フリーズしたマックのようになってしまう。これは老若男女を問わない。 仲良くなれる人の数が少ない分、仲良くなった友達は大切にする(ほんまか?)。
ただし仲良くなった友達でも、相性が合わなくなったらすっぱりと連絡しなく なったりするのでそういう風には見えないかも知れない(笑)。
しかも信頼しているからこそ別にいちいち連絡しなくてもいいや、という具合に なってしまう時も多々あるので本当にわれながらややこしく、そして誤解されやすい。
今の職場の場合は、お互い横や前に座ってはいても冥王星とM78星雲くらいは 距離があって、何兆年経っても一瞬かすかに触れ合うことすらないんだろう なと真摯に感じる。「礼儀は礼儀」と思って「おはようございます」と挨拶 するのが精一杯というのが正直なところ。
「嫌な人達」というのではなく、「とことん無関係な人達」という印象。 自分の方がいるところをまちがっているのだ、と毎日感じさせられる。 給料が多くはないこともあるし、早くもう少し自分にあったところに 移ることができたらいいなと思う。だけどここより酷いところがたくさん 存在するのもまた事実。今回は慎重さも必要かなとも思うのであった。
2001年09月01日(土) |
よくねたよくねたよくねた |
金曜から寝っぱなし。
月〜木の疲れはすっきり取れた。 目が覚めるとひんやり涼しいのが嬉しい。 8月が8月だっただけに涼しいのが奇跡のように感じる。
ひさしぶりに音楽を聴く。 マイルス デイビスのスケッチ オブ スペイン。 アランフェス協奏曲をジャズ トランペットで忠実にその雰囲気を 再現したこのアルバムはいつ聴いても新鮮だ。
彼の自伝によると、このアルバムの評判は非常に高く、 数々の伝説が生まれたと言う。
その内の一つ。
もと闘牛士のスペイン人がこのアルバムのことを 耳にしたのだが、最初は「アメリカの黒人にスペインの何が分かる」と いった具合で相手にしていなかった。 しかし聴くだけは聴いてみることに。
アルバムを聴き終わったあと、彼は血が騒いで家の裏で飼っている 牛を殺してしまった。
マイルス自身、この話は「伝説の一つ」と言っている。 本当かどうかは誰にも定かではない。ただ、たとえ伝説にしても これだけの伝説が生まれるには、やはり相当の力と魅力を持った 作品であることが必要なことは言うまでもないだろう。
手放したくない一枚である。
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