Catty 日和
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ドライブがてら、日帰り温泉に行った。 途中、ペットショップの大きな看板が目に付いたので、寄ってみた。 入り口を入ってすぐのところにケージが3つ置いてあり、その中の2つに子猫がいた。 真ん中にグレーっぽいのが1匹、元気にケージによじのぼっている。右側にトラと黒が 2頭くっついて寝ていた。 このケージには「さしあげます」の紙が張ってあった。 子猫を飼おうなんて、まだまだ考えていなかったのに・・・
温泉の帰りの車の中に、生後42日のグレーの子猫が乗っていた。 でも、この仔はペルシャの血が混じっているとかで、3000円だった。 うちでお金を出したはじめての仔だ。離乳食も買った。
きょうからうちの仔、「さくら」と名づけました。
ペットロス症候群という言葉を検索して、いくつかのホームページをみた。 モモちゃんと同じようなネコの写真があったりすると、おもわず涙がこぼれた。 ネコを亡くした方たちの思いがひしひしと伝わってきて、泣きながら読んだ。
モモが手術をしてから亡くなるまで、その後、日記に残そう、という気持ちに なるまでのたった2週間のことなのに、なかなかはかどらない。 こんなに辛い作業になるとは思わなかった。
・・モモに逢いたい・・・
ようやく泣かなくなった。 冷静にいろいろなことが考えられるようになって、モモのことをきちんと 残してあげようという気持ちになった。 モモが亡くなるまでのほとんどパニック状態だった日々と、亡くなってからの 気が変になりそうなほどの悲しみの日々を振り返っていきたいと思う。
・・・ということで8月25日からの日記はきょうから書いていったものです。
きょう、本棚の整理をしていたら、ミニアルバムがたくさんでてきた。 その中にモモちゃんたちのアルバムが何冊もあった。 そういえば、ちょっと写真が少ないなあと思ってたのよね。
うちに来たばかりの頃は、やせっぽっちで、貧弱な仔だった。のみも条虫もいた。 外が好きで、最初の頃はよくベランダから脱走していたっけ。 でも何回か引越しもして、完全室内飼いにしたけれど、外には出たがっていた。
5歳の時、行方不明になったこともあった。どうせ遠くには行けないから、すぐに 見つかるだろうと思っていたのに、なかなか見つからなくて、心配した。 毎日、毎晩、探し回った。ペット探偵の方にアドバイスしていただいて、ビラを 作ったりもした。 1週間目の朝、土管の中にいたのを夫が見つけてきた。 あの時の大きな泣き声は今でも覚えている。 家から5メートルも離れていないところだった。 痩せこけて、瞬膜も出ていた。 毎日病院に連れて行って、点滴してもらったっけ・・・ すっかり良くなった頃、病院の先生に、 「よく助かったなあ、最初はダメかと思ったけど」 と言われ、そんなにひどい状態だったんだとはじめて知った。 肝臓の数値がかなり悪かったらしい。 もしかしたら、その時死んでいたかもしれなかったんだよね。
しあわせそうにしている写真がたくさんあった。それらを見ながら、少し納得した。 ももちゃんは幸せだったんだよね、自由にお外には出れなかったけれど、でも 幸せだったよね。
本当に幸せだったのはわたしだったのかもしれない・・・
きょうモモを火葬した。
夫は仕事だったが、ペット火葬の事務所まで一緒に行った。 火葬場まで少し遠かった。火葬し終わるのに2時間くらいかかるということだったが、 わたしはどうしてもお骨を拾いたかったので、そこまで行って、いったん帰って、 また行くことにした。 最後のお別れをした。
家に帰ろうとしたが、近くに友人の家があったので、彼女の家に行って、 いろいろと話をした。 気がまぎれてよかった。 モモを迎えに行った。細い骨だった。小さな骨壷に収めて、家に連れて帰った。
骨壷を抱いて、泣いた。わぁわぁ泣いた。
写真を飾る額をもらったので、そこにいれる写真を選ぼうと思い、アルバムを さがした。 それを見ながら、また泣いた。 「モモちゃんとアタシは一心同体だからね、だから長生きしようね」 って、いつも言っていたのに・・・どうして先に逝ってしまったの・・・
モモは朝までふとんの足元にいた。というより動けなかったのだと思う。 朝、スポイトでミルクを飲ませようとしたが、モモは口をあけようとしなかった。 それでも少しだが、なんとか口に入れた。
少し涼しかったので、エアコンはつけずに、窓を少し開けて、仕事に出かけた。 でも、昼間はだいぶ暑くなってきた。30分早引けして帰ってきた。
「モモちゃんただいまー」 ふとんの上にモモの姿がみえない。 押入れの中、トイレのそば、さがしたが、見当たらない。 もうひとつある押入れの戸があいていて、のぞくと、中でモモが倒れていた。 まわりが濡れている。あわてて抱き上げた。目は開いている。 まだ生きているのか死んでいるのかわからない。 やわらかいし、少し暖かかったし、 「モモ、モモちゃん!!」 呼びかけたり、さすったりしてみたが、反応はない。 なんとなく心臓が「クックッ」と音がしているような気がしたので、人工呼吸もしてみた。 でも息は吹き返さなかった。 ・・・・・どのくらい抱いていただろう。死後硬直がはじまってきたようなので、ソファの上に寝かせた。
夫に電話をした。 その後、ペットの葬儀屋に電話をして、火葬の予約をした。
すっかりかたくなってしまったモモを箱の中に入れて、一緒にハーブやネコ草も入れた。 今夜はモモのお通夜です。
きょうは夫が休みだったので、一緒に午前中に、モモを病院に連れて行く。 また預けて、夕方迎えに行った。
もうほとんど歩けない。トイレに行こうとして、手前で倒れた。 押入れの下に敷いてある長座布団の上に連れて行くと、いつもそこで寝るのに 横のふとんを積んである少し高いところに上った。
夜中に音がしたので、見ると、夫のふとんの足元のところにきている。 夫が気がついて、蹴飛ばすといけないと言うので、わたしとふとんを変わった。 わたしもそのままにしておいた。 わたしはとても疲れていた。
きょうは日曜日なので病院はお休みした。 モモは朝からぐったりしている。 もう目がうつろになってきている。 おとといくらいまではもっとしっかりしていたのに・・・ スポイトでスープやミルクを無理やり口に流し込む。
夕方、モモを抱いて、ベランダに出る。 ときどき飛んでいる鳥を目で追っているようだった。
「モモちゃん、今までありがとうね、ごめんね、ごめんね」 何回も何回も言った。
夜、友人にメールをした。 彼女も今年愛猫を亡くしている。 「モモちゃんはきっと感謝しているよ。キャティさんのそばにいて、しあわせだったよ。」
そうかなあ・・・モモは幸せだったかなぁ・・・
夕方4時前に病院に連れて行く。 「血が薄いなあ、水みたいだ」 と、細い腕の細い血管に点滴の針を刺しながら先生が言った。 点滴が3分の2くらい終わった頃、急に 「あ〜お〜ぅ〜」 と、とても苦しそうに大きな声で鳴きだした。 鼻の頭や肉球が、普段はピンク色なのにずいぶん白くなっていた。 先生があわてて、 「もしかしたら、おなかの中で出血してるのかもしれないから、ちょっと ようすをみながらゆっくり点滴をしましょう」 というので、モモを預けて帰った。
6時半ごろ迎えに行った。少し色が戻ったので帰れるそうだ。
夜中に目がさめて、モモの姿を確かめる。隣のリビングの窓枠の上で寝て いるのがわかる。 カーテンの端からしっぽがたれているから。
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