武ニュースDiary


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目次前の記事新しい日記


2005年06月28日(火) アンドレ・モーガン語る(如果愛)・上

「Perhaps Love 如果・愛」のプロデューサー、アンドレ・モーガンが、
上海の撮影所で、マレーシアの記者のインタビューを受け、
この映画の成り立ちについて語っています。(原文は英語)
こう見ると、あ、アメリカのプロジェクトなんだ、と今さらながら思います。
2回に分けて。



壮麗な愛を通して中国ミュージカル映画を再生を

「Perhaps Love」のプロデューサー、アンドレ・モーガンが、
上海のセットでミュージカル映画の撮影について、
ジェーン・リティコスに語った。


アメリカンのベテランプロデューサー、アンドレ・モーガンは、
中国のミュージカル映画の死に幾分か責任があると告白した。
皮肉にも、彼は今、中国ミュージカルの再生に挑戦している。
もし、彼の最新のプロジェクト(「Perhaps Love」)が成功すれば、
1960年代以来製作されていないと彼の言う中国ミュージカルは、
映画産業へのドラマティックなカムバックへと動き始めるだろう。

1970年代初め、若きモーガンはゴールデン・ハーヴェストに入社し、
香港の映画産業を学んだ。
「燃えよドラゴン」「死亡遊戯」をプロデュースしたが、
この映画は伝説となったブルース・リーをスターにし、
香港のマーシャル・アーツを世界に知らしめた。
70年代はマーシャル・アーツ映画の最盛期であり、
これが中国ミュージカルの衰退を招いたのだと、彼は言う。

映画とテレビ番組、例えば(サモ・ハン・キンポーの名を米国に広めた)
アクションシリーズ「Martial Law」(CBS)を製作する
ルディ・モーガン・オーガニゼイション(RMO)の共同経営者であるモーガンは、
オスカーを獲った「ミリオン・ダラー・ベイビー」のプロデューサーの1人だ。

彼は、アジアの抱える問題は、紋切り型の映画の内容だと語る。
「幽霊物語でなければ、刑事物、でなけりゃマフィア物。
映画産業にとって、これは長い目で見たら、良くないことだ」

中国ミュージカルを創造しようという考えが出されたのは、
2002年、TVBとアストロの友人たちとのランチの席でのことだった。
彼らは、なぜ、ボリウッド(インドの映画界)には偉大なミュージカルの伝統があり、
ショウ・ブラザーズの作品群にはミュージカルの歴史があるのに、
60年代以降、香港では誰一人そういうものを作ってこなかったのか、
わからなかった。

「歌はたくさん入っているけれど、フルサイズのミュージカルは、
ショウ・ブラザーズの黄金期以降見られない。
私の70年代の仕事は、クンフー映画の製作と、ブルース・リー、
その後はジャッキー・チェンのプロモーションでした。
我々は、中国ミュージカルが息絶えたことに、
いくらか責任があるということができますね」と、
「Perhaps Love」のセットで行なわれたインタビューで、彼は冗談を言った。

彼は今、他の製作者や脚本家や俳優に、チャンスをつかみ、
忘れられたジャンルに命を与えるよう、鼓舞したいと思っている。
「アジアには創造力豊かな才能が大勢いるのに、
誰も彼らにミュージカルを手がける機会を与えない。
観客もまた、そういう映画を試してみるチャンスを与えられないでいます」
モーガンはこの状況を変えようと決心し、成功したいと考えているのだ。

彼の最新の爛潺螢ンダラー・ベイビー(金を生む子)瓩任△
「Perhaps Love」の製作費は7800万香港ドル、
香港、中国、台湾、韓国、ハリウッド、そしてインドの要素を統合する
野心的なプロジェクトだ。

ミュージカルは実績がなかったので、
こんな計画に危険を冒す出資者はほとんどいなかった。
モーガンにとって幸いだったことに、
同じようにこのジャンルの再生を心から願っていたTVBとアストロの仲間が、
この映画への経済的支援を約束してくれた。

モーガンは、「ムーラン・ルージュ」や「シカゴ」のような、
ハリウッドのヒットミュージカルのコピーをめざすことを否定する。
「我々は、香港、中国、インド、台湾、日本、韓国、
ハリウッドの要素を総合して、
中国ミュージカルが20世紀にあるべきだった姿を
有機的に創り出したいのだ」と彼は言う。

彼の次の仕事は、ぴったりの監督と脚本を見つけることだ。   (続く)
(The Star Online 2005.6.24)


7800万香港ドルは、約11億円なり。


BBS 0:30


2005年06月27日(月) NDDの頃(最終回)

霧から抜け出て、死ぬほど疲れて

もし、芸能界の仕事をしてなかったら、どんな仕事に就いてたと思います?

前はわからなかったけど、今はやりたいことがたくさんあります。
勉強を続けるとか、それはなんでもいいんだけど。
製作や、スタッフの仕事もやってみたい。

どうして?

スタッフなら、怒っていいから!(爆笑)
面白いからです。やってみるとすごく面白いし、楽しい。
でなければ、店を開く。ゲームのね。
世界を回って、動物園の飼育係になりたい。動物が大好きだから。
3年後にはきっとどこかの動物園で虎にえさをやってますよ。
で、もしかしたら自分をえさにくれてやってるかもしれない(笑)

ある年のミス香港に、ゲストとして、南アフリカにロケに行ったことがあります。
野生動物園を自動車で行って、ライオンにエサをやるところを見るんです。
たくさんのライオンがいました。
トラックの後部に鶏の肉が積んであって、1人が運転し、1人が肉を放る。
たくさんのライオンが行ったり来たりしていて。
見てると、ライオンは地面に放った肉は見ないで、
車の中の人間を見てるんですよ。
やつらは車の人間を食べたいんだなと思った。
ホントにおかしな風景でしたよ。

ぼくは仏教徒なので、仏教の勉強もしたい。
うまく行かなかったら、坊さんになって、寺を建てて金儲けする(笑)

じゃあ、撮影のないときはいつも何をしているの?

特に何というのはなくて、フラフラしてます。
ニューヨークでは、撮影のないときはセントラルパークでスケートをしたり、
映画を見たり、ゲームをしたりしています。
昔は球技が好きだったけれど、今はできませんね。
バレーボールもサッカーもバスケットも、1人じゃだめだから。

出演作にはアクションシーンがたくさんあるけれど、
アクションの基礎がある?


いや、できるだけそれらしく見せてる。
アクションシーンの撮影は本当に大変ですよ!
「暗黒街」なんか、天津と北京で撮影したんですけど、
零下15度の真夜中に撮るんです。
すごく大変。全然動けなくって、手足がマヒしてしまいました。
アクションはこの映画が一番多いです。
2年前に撮影して、今やっと上映になってる。

お父さんから何か影響を受けたことは?

DNAを。他はありません。

新作の「ニューヨーク・デイドリーム」では、どんな役?

ニューヨークの日本人留学生です。英語を話します。
ある日、死神に出会うんです。
死神は、あなたはあと12時間しか生きられないと言う。
ぼくが12時間に何をするかというのがストーリーの映画です。
ブラック・コメディですね。

ヒロインとはどう関わりあうんですか?

死神はミラ・ソルヴィーノですけど、
ぼくが演じるのは、ぼくが何をするかということが中心で、
死神はそれを監視しているけど、影響し合うことはない。
ひょっとしたら、戦争についてはぼくと話すときに、ぼくの感情に影響するかな? 
で、そのあと不意に姿を消してしまう。
でも、ぼくがすることには働きかけはなくて、話をするだけにとどまる。
それがどういうふうに編集されるかもわからないし。

「Misty」の役は?

ぼくは死んでしまう人を演じるんです。
ずっと木に縛られて、すごく演技の難しい映画でした。
どの役も、その重要さを表現するのが難しい役でしたね。

この2つの映画は、以前の作品ととても違っていますね。
人生の意味を語っている。


ぼくはなるべく違うものを演じたいと思うんです。
違うものを学びたい。
はい、あそこに立って、はい、爆死して、というのが一番いやかな。

次の、主な計画はどんなものでしょう?

ウォン・カーウァイの映画になるはずです。
タイトルは全然わからないけど。
この前、彼に会ったときは、ぼくは何をやるの、としか聞けなかった。
彼は、君はブルース・リーを演じるんだと言って、
ブルース・リーの武術書を取り出して、
これをよく勉強しておきたまえ、と言いました。
ぼくが、いやだ、絶対マスターできないと言うと、
彼は、必ずやっときなさい、と言う。
こんな話をするんですよ。
ブルース・リーは人気が出てから、香港に戻って師匠のもとを訪れ、
最後の技を習得した、死ぬ前にね。
ぼくは彼がまじめなのか、冗談を言ってるのか、全然わからなかった。

後になって、彼に会ったら、変えたと言うんです。
ぼくは「変えることはわかってましたよ、で、どんなふうに変えたんです?」
と聞きました。
彼は「君は新疆人かモンゴル人をやる。そしてミュージックバンドを組む。
だが、頭を丸めなくちゃならない。君は自由のために歌を歌うんだ」と言った。
ぼくは、やめてよと言いました。
おそろしいよね、頭を丸めるだなんて!  (完)
(台湾プレミア1997年8月号)



BBS   0:00


2005年06月26日(日) NDDの頃

霧から抜け出て、死ぬほど疲れて

何人もの違った監督と仕事をしているけど、その経験を聞かせてくれる?
例えばウォン・カーウァイとは?


武 実はね、ぼくはパイナップルがずっとダメなんですよ。
ウォン・カーウァイはとても特別で、とても聡明な人。
脚本家の出身なので、とても物を書く力がある。
ぼくにとって3作目の映画が「恋する惑星」でしたけど、
彼の映画に出て、たくさんのことを学びました。

それは、彼が、絶えず考えに考えなくちゃいけないような環境に
ぼくらを置くからなんです。
ほとんど何もわからない、うまく考えられないという感じで、
撮影が全部すんだときになって、
ぼくは初めて映画に対する興味が湧いてきました。
というのは、彼との仕事が終わって初めて、
映画っていい加減に撮っているようでも、
構成していくことで映画になると知ったからです。

「天使の涙」は実は「恋する惑星」の続編で、
本当はぼくの役はなかったんですよ。
「恋する惑星」は3つのストーリーがあり、
3番目が殺し屋の話のはずだったんですけど、時間がなくなってしまった。
でも、彼は殺し屋の話が撮りたくて、だけど殺し屋だけじゃ足りないから、
ぼくの役ができたというわけ。

それに「天使の涙」の台本には、ぼくのセリフはなくて、
そこで何をしているのかわからない。
でも、わけのわからないぼくの役にも、やっぱりストーリーはあるんです。
「恋する惑星」には別々の2つのストーリーがあったけど、
「天使の涙」の場合は、交錯する2つのエピソードでできている。
「恋する惑星」のエピソードが「天使の涙」で、
「天使の涙」を2つの話に分けたのが、つまり「恋する惑星」。
彼はすごく特別な構成の仕方をしている。
この映画はでたらめに撮れるけど、
でもやっぱりウォン・カーウァイの精神が生きている。

ぼくの初めてのキスシーンが「天使の涙」にあるんですよ。
2回、1回はチャーリーと、もう1回はミシェル・リーと。
でも、両方ともカットされちゃった。
チャーリーとのシーンはぼくはとても好きで、
背景も雰囲気もすごくロマンティックだったのに、
カットされてしまっていた。

ぼくは、なぜなのって助監督に聞いたんですよ。
そうしたら、助監督は、自分ならこうカットして編集するっていうのを話してくれた。
それで、わかったんです、編集する人がどう編集しようと思うか、
どんなモノローグを書いて画面と合わせようと考えるか、
その考え方次第なんだって。
編集にはその才能が必要なんだってことをね。

ウォン・カーウァイの映画を、ぼくはまだわかっていない。
その2本しか見ていないから。他は全部見てないんです。
それは彼のやり方がわかって、他の俳優に影響されたくないからです。
ぼくはいつも違う演技をしたいと思う。
この人のやり方は承知しているから、ただ自動的に彼がほしいものをやる、
そういうやり方はしたくないですね。

自分の出た映画は全部見てる?

全部見ますよ。いいものはあまりないけど。

自分ではどれがいいと思ってる?

それって、何が良くないか言うのと変わらないよね?
クリストファー・ドイルをまねて、こう言いますよ。
「一番いいのは次の作品」(爆笑)
朱延平のシリーズに、割と好きな「危険な天使たち」という、
ニッキー・ウー、チャーリー・ヤンと共演した映画があります。
これは一番おかしい映画。

自分が出た映画を見て、その映画が伝えたいものを感じとるって、
すごく難しいんです。だから別の見方をする。
例えば、監督はなぜこんなふうに編集したのかとか、
普通の観客があまり見ないところを見ます。
だけど、「危険な天使たち」のときはずっと笑いっぱなしだったんです。
「天使の涙」もそうでしたね。

ウォン・カーウァイの映画はちょっと独特で、
撮影中は他の部分はどうやっているのか、全然わからない。
だから、他の人の出てるところや、
どうしてこういうふうに編集したのかとか、新しいものを見ます。  (あと1回)
(台湾プレミア1997年8月号)



BBS   0:10


2005年06月25日(土) NDDの頃Αキリ番記念品のお知らせ

霧から抜け出て、死ぬほど疲れて

少し前、安室奈美恵が台湾に来たとき、
ボディーガードと記者が衝突して腕力沙汰があったらしく、
ぼくにどう思うか聞いてきた人がいました。
ぼくは文化や考え方の違いが引き起こしたことだと思いました。
ちょうど、ぼくにアメリカ人のジョークがわからないように。
もしアメリカに住んでいるなら、ぼくもわかるけど。

日本では、記者が写真を撮りたいときは、1枚でもですよ、
撮っていいか聞きに来るんです。
もしだめだといったら、こう言うでしょう、
それならまた時間を打ち合わせて出直しますと。
香港では違います。
スターを見かけたら最後、カシャカシャ撮り続ける。
そして、あとでその写真を売るんです。手の下しようがないんです。
これもやっぱり1つの環境で、こうあるべきだ、とは誰にも言えない。

少なくとも、こちらを尊重して、聞いてほしい、
そうしたらぼくはいいよと言うでしょう。
だって、それがあの人たちの仕事で、写真を撮って初めて仕事になるんだから。
お互いに尊重するといいと思う。
もし、相手が尊重してくれないなら、ぼくもその人を尊重したくない。

中国と日本の記者とボディーガードとの衝突は、お互いのことを知らないからで、
誰がいい、誰が悪いと言うことはとても難しいです。
もちろん香港では、記者たちは、写真を撮ることで
顔を売る手助けをしてやってる、宣伝にもなってる、
写真がみんなに行きわたるからいいじゃないかと思ってます。
ずっと前から、みんなあきらめて、いいや、
撮らして、悪口を言わせないでおこうと思ってしまってる。

日本に行って仕事をしたとき、どういう環境かわかったので、
どうしたらいいかがわかりました。
台湾と香港では、割に人情味があるけれど、日本とアメリカではたぶん少ないと思う。
日本の撮影現場では、誰も遊ばないんですよ。
香港や台北ではみんな楽しくやる。アメリカもダメです。
でもすべて良いところ悪いところがあります。

例をあげてみましょうか。
今、マルボロライトの映画を撮るとしたら、日本人は煙草ケースを作り、
中にタバコを20本入れ、きちんと包んでから、撮る。
中国人は映画に必要なケースの見える面だけ作り、お金と時間を節約する。
だから見た効果は同じ。
どっちがいいよと言うのはすごく難しいですね。
日本人はとても素直に自分のすべきことをします。細心で質がいい。
台湾人はどちらかというと、うまく立ち回るのを知ってる。
ぼくは両方でどちらもできるだけ学ぶようにしました。

「Misty」の戦いのシーンでは、武術の決まりごとがあって、
片手で刀を持ってはいけない、両手で持つように言われました。
それは武士の身分というものがあり、どの身分の者はどんな持ち方をし、
どんな刀捌きをするかが決まっていて、歴史に照らしてやっているからです。

でも、そうだと、とても動きにくいんですよ。アクションにいい効果が出ない。
香港ならアクションには動きや速さや美しさを求めます。
日本人はこういうことをして、何をやろうとしているんだろうと思いました。
年配の人でなければ、誰もわからない。ぼくだって全然わからない。
ぼくにとっては映画は娯楽で、ただ文化というものじゃないから、
そんなことにこだわっていられない。
水に入っての戦いもあったんです。
で、聞きましたよ。
片手でやっていいですか? 変わった侍ということでもいいですか?  (続く)
(台湾プレミア1997年8月号)




キリ番記念品のお知らせ

150万とその前後賞各2ということで、次の記念品をお送りします。
ヒットした方は、カウンターの数字を保存して、メールでお送り下さい。
ヒットはお1人1回まで。
品物はいずれも中古品なので、きれいではありますが、
売り物同様でないのはご容赦下さい。

1500000  VAIOのポスター3枚セット(下の絵柄の縦長のものです)



前後賞です。

1499998  2004年JAAのポスター赤(下の絵柄で縦長のもの)


1499999  2004年JAAのポスター緑(同じく)


1500001  2003年のJAAメイキングビデオ(台湾へ通おう!)


1500002  「ターンレフトターンライト」写真集(紙ケースのある台湾版)
 

この写真集は、さくらさんのご提供です。ありがとうございます。
さくらさんからは、貴重な雑誌もたくさんいただきました。BBSのキリ番でおわけしたいと思います。



BBS 1:20


2005年06月24日(金) NDDの頃

霧から抜け出て、死ぬほど疲れて

台湾、香港、大陸、日本、アメリカと映画に出てきて、
その経験から、それぞれどんな違いがあると思う?


 ぼくに言わせれば、文化が違いますね。
中国人の考えは日本人とは全く違うし、アメリカ人の考えはもっと違う。
アメリカ人が一番こまごまして、制度は一番整っている。
中国人社会は一番制度化されていないけど、
良いところも悪いところもあって、一番融通が利く。
それは映画撮影がだけじゃなく、普通の仕事でもそう。
アメリカは一番保障がある。
日本もそうだけど、アメリカのほうがもっときちんとしている。
中国といってもいろいろあって、香港が多分、割にきちんとしているほうで、
その次が台湾、おしまいが大陸。
融通が利くかどうかということになると、その反対で、アメリカが一番不便。
いいとも悪いとも言えないですね。

俳優としては、どの環境で仕事したい?

もちろんアメリカです。日本もいい。
制度がきちんと整っていて、気をもまななくていい。
保障があるし、スケジュールができれば、その通りに進みます。
だけど、きっちりして変わらない。
あるケースについて最後まで話をしておいたら、その通りに進む。

台湾や中国では、突然キャンセルになったりする。
でも、突然、何か仕事が入ってくるかもしれない。
打ち合わせなんかなしで、チャンスが訪れたら行ってやればいいんです。
こんなことは日本やアメリカでは起こり得ない。
必ず打ち合わせが必要で、それがなければやれません。

日本では、映画はおそらく1年以上前から話が始まり、
脚本には細かく全てが書き込まれます。
俳優は今年は何をするのか、何月から何月まで、何と何をやるのか、
今年の稼ぎはいくらになるのか、知ることができます。
でも、今年はこれだけ稼げるけれど、それ以上にはならない、
他のの新しい仕事はないこともわかってしまう。
もし、新しい話が来ても、それは次の年に回されるんです。

台湾では、ぼくは今年自分が何をやるのか知らない。
けど、もしかしたら、急にいろいろやることが出てくるかもしれない。
保障がなくて、不意にいろんなことが出てくるかもしれないということ。
めぐりあわせなんですね。

ぼくは3つの土地で映画を撮っています。
最初が台湾でテレビドラマ(「草地状元」)に出ました。
ぼくは新人で演技ができなかった。
監督は林福地です。
第1日からめちゃくちゃ怒鳴られました。
そのとき、馬如風とか石英とかが出演していて、有名なスターばかりで、
ぼくがその人たちのスケジュールを遅らせてしまうのを心配してた。
だって、NGばっかりだったから。

本当のところ、何がNGなのかも、
監督が何を怒っているのかもわからなかったんだけど、
でも20回以上ダメを出されて、
「誰がこいつを連れてきたんだ」って怒鳴られました。
辛かったですよ。いつも家に帰りたいと思ってました。
あのときは電車で嘉義朴子まで1人で撮影に通ってた。哀れですよ。
1日50元ちょっともらってね。

そのころは、何がいいのか悪いのかもわからなかった。
もしかしたら、それが当時のテレビの世界だったのかもしれませんけど。
ぼくはもちろんうまくなんてできなかった。
次が、香港での映画出演で、前よりはちょっといい状況でした……

初めて出た香港映画はジョニー・トーの「ワンダーガールズ2」だね?

そう、いわゆる映画ですけど、何をしているのかもわからなかったんです。
はい、そこに立って、はい、あそこで爆死して、
全部で4つか5つのカットだけだから、
もし映画館に入るのが遅れたら、ぼくはもういない!

あのときは何を演技というのか、わかっていなかったんですけど、
アンソニー・ウォンと会って、すごくいいと思いました。
演技のできる人を見ると違う。
彼は化粧室に入ったとたんに変わる。
すごく変わった人だけど、それは彼の個性なんでしょう。
当時ぼくもすごく恥ずかしがりだったから、
「この人はどうしてこんなに恥ずかしがらないでやれるんだろう、
なんでこうできるんだろう」と思ったけど、感服していました。

僕に関しては、演ずることはどんどんいいなとなっていったと思う。
条件も環境もよくなって。
国ということでは、ぼくは日本文化がわかるから、何もいやなことはなく、
とてもやりやすいし、保証があるし、
間違いが起こったときでも、話し合って理解しあえる。
やりにくいやつだなんて思われない。だって制度の問題なんですから。

例えば、今日シーンを増やすとか、減らすとかとなれば、
ぼくのところにその問題について話しに来る。尊重してくれるんです。
台湾では違います――お前のことなんか構ってられないよ、さあ、撮るぞ!
これは長所でもありますよ。撮影が急になくなったときは、休めるわけだし、
いいこととか悪いこととかは言えないんです。
中国人社会では、つまりこういう便利さがあります。

それに中国人はとても賢くて、こういう言い方があります。
1人の中国人は3人のアメリカ人に勝つ。
しかし、3人の中国人は1人のアメリカ人に負ける。
まず内輪もめをしてしまうから。
だから、1人の中国人は1頭の龍だけども、
3人の中国人は3匹の虫というわけ。
1人の日本人は1頭の豚だが、3人の日本人は3頭の龍になる。
日本人は団結力が強いですからね。   (続く)
(台湾プレミア1997年8月号)



BBS 0:00


2005年06月23日(木) NDDの頃

霧から抜け出て、死ぬほど疲れて

この仕事に就く前、子どものころ、芸能界の仕事をしたいと思ってた?

 いいえ、芸能人になりたいなんて全然思わなかったし、
だから何かきらびやかなものだとかは思っていなかった。
もちろん、今映画に出られて、CDを出せるのはとてもうれしいし、
素敵なことだけど。
でも、芸能人とか有名人とかになろうなんて、考えたことがなくて、
ただ、縁があってこうなっただけなんです。

日本人学校を卒業するとき、他の友達は、どこの高校に行くかとか、
大学は進学するかとか、みんな考えていました。
ぼくはどこに行こうと考えたことがなかった。
小さいときから、アメリカンスクールに進学するんだとわかっていましたから。
たぶん、お父さんがそう言ったんでしょう。だから考えなくてよかった。

アメリカンスクールを卒業するとき、みんな、どの大学に行こうかとか、
勉強を続けるなら試験を受けなくちゃとか考えていて、
ぼくも遊んでいようとは思わなかったけど、積極的じゃなく、
点数がどうとか、あの科目は落とさなかっただろうかとか、気にしてなかった。

やがて歌を歌うようになって、今の事務所と出会い、
演技をするチャンスが与えられました。
いろんなことが、本当に順繰りに起きてきて、
もちろん、どんなものも大切に、吸収して、学ぶようになったんです。
いい仕事でもそうでない仕事でも。

歌に出合ってから、創作にとても興味を持つようになりました。
アルバムを作るとき、ぼくは思い切り楽しんで、物事を吸収する。
映画も、いくつか出たあとは、製作に興味が湧き、
勉強してみたいと思うようになりました。
勉強とは、たくさんの違った環境、違ったいいものと悪いものに触れることです。

多文化を背景に成長してきた目から、同年齢の台湾人を見ると、
自分とはどこか違うところがあると思う?


今、同年代の人とは考えることや見方が違ってしまっていますね。
というのは、一緒に仕事をする人がみんな年上だから。
CDの宣伝の人とか、みんな年上ですから。
同年齢の人とは、考えることやものの見方が同じじゃない。

将来のことは漠然としていて、何をやりたいとも思っていないけど、
ぼくはとても幸運。
いろんな人や物事と出会って、今までずっと順調に来た。
そう、日本で宮沢りえとテレビドラマに出ましたけど、
あの人の考え方と割に近いと思います。

どんな考え方が?

ものの見方と人に対する態度、人間関係の持ち方とか、
たくさんのことがとても似ていると思う。ぼくと彼女は同い年ですから。
彼女は同年代の他の女の子よりちょっと大人だと思います。
それは、子どものころから仕事を始めて、
それが順調であればあるほど、空間が狭くなるような環境にいるから。
良いことも悪いことも、吸収するのが人より早い。
同い年だから、彼女のしていることがわかるんです。  (まだ続く)
(台湾プレミア1997年8月号)



BBS 1:00


2005年06月22日(水) 「夜宴」には出演せず

……らしいです。
今日の新聞晨報によると、
世界進出をめざすフォン・シャオガンは
チャン・ツーイー、ダニエル・ウー、葛優を主演に内定しているとのこと。

これに対し、製作会社は、まだ交渉中だと真相を明かしていませんが、
チャン・ツーイーの名は、今月初めあたりにあがっていて、
ム……と思っていたんですよね。
もし、これが本当なら、期待していたので残念だけど、
チャン・ツーイーとの共演になるなら、
出なくて良かったかな。


BBS  12:00


2005年06月21日(火) NDDの頃(台湾プレミア)&上海の監督発言について

霧から抜け出て、死ぬほど疲れて

CMから始めて、歌、演技と何年も経ったけど、
どの段階があなたにとって大きい変化だった?


 ずっと変わり続けていますよ。
ぼく自身、いつも違うものをやりたいと思っています。
同じことばかりはやりたくない。

この2年、台湾と香港では、映画出演のない人が多く、歌に転向する人もいます。
なのにあなたは次から次へと出演作が続いている。どんな気持ちですか?


運がいいんでしょう。うまいことやってると言うべきかな(笑)。
本当を言えば、こう思うこともあります。
疲れた、撮影はいい、休もうよ!って。
振り返ってみると、長いこと全然休んでいないような気がするから。
でも、考え方を変えれば、仕事があるのはいいよね。
ずっと出る映画があるという、こんなに運がよくない人もいることを思わなくちゃ。
もしかしたら、いつかぼくもそうなるのかもしれない。
だってすべては過程なんだから。永久に映画に出続けることはできませんよ。
ぼくは、すごく疲れてる。でも、できるだけ大事にしたい。

どの仕事も楽しくやれればいいと思っています。
例えば、台湾映画で、ぼくはいつも朱延平の映画に出ているけど、
初めて彼と会って以来、もし、彼から話があれば、
彼の映画にこれからも出て行きたいとずっと思っているんです。
よく言われますよ、あー、彼の映画は質が低いとか何とか。
でも、ぼくにとっては、彼の映画に出るのは、
彼と仕事をしていると、とても楽しいからなんです。

多分、それは監督の人柄なんだと思う。
あの人は、現場の人間をみんな楽しくさせる。くたびれてほしくないんですよ。
彼はとても特別で、徹夜なんか絶対しない。
「疲れすぎるな、疲れすぎるな、そんなくたびれたって、売れ行きは同じだよ。
そんなに疲れる必要はないんだ」
彼の考え方はとてもシンプルで、つまり、お金も労力も節約して、
だけど売れるものを作る。
芸術映画を撮る監督に、あなたたちのおかげで食べられて
ありがとうと言いたいって言ってますよ。

撮影の時、いやだなと思うことはある?

もちろんあります。殺してやりたいと思ったり。
でも、その人自身が悪いというのじゃなくて、その人との関係の問題なんです。
いわゆる芸能人は、ある環境にあって、テレビで歌を歌おうと映画で演技しようと、
不愉快に思ったとき、それを口に出すのはすごく難しいように思います。
それが正しかろうとそうでなかろうと、口に出してしまうと、すぐこう言われる。
「おうおう、スターぶって、なんてやりにくいんだろう」ってね。

でも、ぼくはそんなのは気にしない。
だって、悪いのは君だろ!って思うから。
あなたの手配が間違っていたからこういうことになって、ぼくは不愉快ですって、
言ってどうして悪いの?
だけど、大勢の人は我慢しているのを知ってます。ぼくも前はそうでした。
今は前より言うようになった。我慢したくないから。
我慢したら良くなります?

仕事で不愉快なことにぶつかったときは、どう解決しているの?

前は我慢しました。今は我慢して、考え直して、それでもだめならバッと出す。

そうなったことはある?

はい。かまわないって思うんです、
どうせ物事はすべて1つの過程なんですから、ぼくは楽しくやる過程を選びたい。
誰も結果がどうなるかはわからない。もちろん、いい結果であることを望みます。
でも、我慢してもまずい結果しか出ないかもしれないでしょう。
それなら、ぼくが今日我慢するのは、何のためなの?
誰かを怒らせたくない? 人に「何てヤツだ」と思われたくない?
それも何のため?
あらゆることは過ぎていくものでしょう。
もっと考えれば、永久にこの仕事を続けるわけでもないんです。
なら、いい、やっぱりあなたが間違ってるって。   (続く)
(プレミア台湾版 1997年8月号)



ところで、上海映画祭でのピーター・チャンの発言で、
金城武に触れた部分、これまでの記事にない部分が今日の大公報にありました。
例の、つきあいが一番難しかったという話で、
8日目になって非常に心が通じ合うようになったというのに続く部分です。

優とこのような心の通じ合いができたことはめったにありません。
映画では彼が演じたのは虚構の役だけれど、
今までの彼の作品の中で一番彼自身に似ている役です」

ちゃんと全部紹介してくれなくちゃね。


BBS 23:50


2005年06月20日(月) 上海映画祭での監督の話(如果・愛)●NDDの頃

上海映画祭での「Perhaps Love 如果・愛」

昨日閉幕した上海映画祭で、ピーター・チャンが記者会見を開き、
「如果・愛」の宣伝を行ないました。
いっぱいニュースが出ていますが、内容が少しずつずれつつ重複していますので、
気のついたところをまとめて、ご紹介します。


公開時期について
年末年始期には、チェン・カイコーやチャン・イーモウらの大作、注目作がそろい、
この時期で大丈夫かという質問には、
カンヌ映画祭中、秘密裏に映画の一部を海外のバイヤーたちに見せたが、
その結果は、非常に売れ行きが良く、最も高い値段で売れた中国語映画の1つとなった。
これで自信を持ったことと、
海外の上映がみな年末に決まったため、中国での上映も
それに合わせざるを得なくなったことが理由だと、答えています。

宣伝は?
同じお正月映画の「無極」(チェン・カイコー)はすでに宣伝を始めており、
「如果・愛」も8月から世界規模で開始する。
だんだんと犧までにないやり方瓩納 垢叛訶噌鏡を打つそうです。
最初の強力なカードはジャッキー・チュンで、監督はこのように話しています。
「我々はすでに国際的なレコード会社と契約を済ませており、
映画の主要な出演者全員のアルバムを世界規模でリリースする。
最初がジャッキー・チュンだ。
ジャッキーの歌を聞いた外国人が『イタリア歌劇を聞くようで、
何を歌っているかはわからなくとも、味わえる』と賞賛した」

4人の主演者評
監督の話。
中で一番つきあいが難しかったのは金城武だった。
撮影開始前、7、8日間、私はもっぱら彼を観察し、理解するのに専念した。
7日間は彼との間にほとんどコミュニケーションはなかったが、
8日目になって、私たちは非常に仲よくなった。
その後、撮影は大変親しい状態で進めることが出来た。
彼は自分の感覚を役柄に非常にこめていく俳優だ。
ジョウ・シュンについては今さら言うまでもない。
心理演技が非常にうまい。
ジャッキー・チュンは、私自身が反映している監督役を、きわめて適切に演じた。
チ・ジニについては他の者ほど多くを知っていなかったが、一番の嬉しい驚きだった。
(他の3人についてはかなり省略しました。すみません)
――と、自分のキャスティングの成果に非常に満足しているそうです。

スターを使うことについて
映画祭の会期中、スター映画への批判が出ていたようで
(スターは使いづらい、高い出演料の影響など)、
それについて質問された監督の答え。
「私は第1作からスターを使ってきた。スターを使うことは悪いことなんかじゃない。
出演料の高さについては、それは市場論理だと思っている。
私の起用したスターたちは、みんな高くなかった。
それには双方の理解と信頼が必要だ。
あるスターが高い出演料を要求するなら、それは多分、
その映画にあまり出たくないからだろう。
いい監督なら高すぎるスターは使わないものだ」

映画の題名について
これは、ジョン・デンバーの歌のタイトルから取っているそうです。
「この歌のメロディーがこの映画に合うとは思っていないので、
映画には使っていない。ただタイトルを映画のタイトルにした」(監督)

そして、監督は、この映画にはすべてを出し尽くした。
自分の最良の映画になると確信している、と述べています。
まだまだ謎が多いけれど、楽しみです。



霧から抜け出て、死ぬほど疲れて

人並みすぐれた独特な容姿のせいで、十五、六歳でスカウトされた彼は、
「アルバイト」でCMに出演するようになった。
19歳でファーストアルバムをリリース、
その後、ずっと順調で、歌も映画もオファーが絶えない。
CDは、1年に1度、納得のゆくものを出すやり方を貫いている。
映画は、レスリー・チャンやアニタ・ユン、マギー・チャンら
香港のスターたちと同じように、「数をこなして演技を磨く」訓練の最中で、
勉強にいそしんでいる。

ここ2年間、香港・台湾の映画界は不景気で、他の者はみな半分お休み状態なのに、
彼は台湾、香港、中国、日本、アメリカといたるところで
出演してもしても契約は終わらず、
7月以降は、台湾・香港のトップ映画界会社の龍祥、学者、嘉禾の3社が
相次いで彼の出演作「パラダイス!」「暗黒街」「ダウンタウン・シャドー」を
公開する上、さらに年代が、まもなく日本映画「Mysty」を上映の予定だ。
これが彼の人気ぶりを証明するものであることは言うまでもない。

もし、夏休み時期にこれだけの数の出演映画があることに驚かないというなら、
彼が仕事をした監督のリストを見てみるといい。
朱延平、ジョニー・トー、ウォン・カーウァイといった、最もコマーシャルな監督から
最もアーティスティックなクリエイターまで、
そろって金城武に大スターの素質を見出し、磨き上げる手をますます速めており、
まばゆい光芒があたりに放たれる日も近い。

7月、天気雨の降るニューヨーク、タイムズスクエアには、
7色のネオンの看板がきらめき、濡れた道路に反射して、金を流したパレットのようだ。
ミラ・ソルヴィーノと「ニューヨーク・デイドリーム」を撮影中の金城武は、
製作会社の手配で、ポストモダン風建築のパラマウントホテルに滞在している。

タイムズスクエアの中心部にあるこのホテルは、門構えも看板もなく、
ひっそりと目立たないことに誇りを持つ。
2つのガラスドアが、外の定まらない天気と俗世間の騒がしさから隔離しており、
ものの値打ちのわかる人間なら、自然に探し当てて来るだろう。

金城武は上の階の部屋から降りてきた。
日に焼けた健康な肌に長髪、1カ月あまりの撮影にも少しも疲れが見えず、
若さこそ、この世界で食っていくための最良の元手だということを証明している。

彼が朗らかに笑うとき、首にかけた仏像のペンダントが揺れる。
まさに日一日と成熟していく男は、取材中、
しばしば子どものような率直さといたずらっ子ぶりを発揮し、
神仏さえおとなしくさせておくことはできない。
コーヒーをすすりながら、低くて太い、少し鼻にかかった人をひきつける声で、
金城武は「プレミア」との対話を始めた。   (続く)
(プレミア台湾版 1997年8月号)


BBS 23:50


2005年06月19日(日) NDDの頃(台湾プレミア)

大きな動きはなさそうなので、こんなときは昔の記事を……
と思い、1997年の台湾版「プレミア」を引っ張り出しました。
前にもやってみようかと思いつつ、その長さにめげていたのですが、
ほんの少しずつ。

ちょうど「ニューヨーク・デイドリーム」を撮影中の武を、
アメリカにたずねて実施したロング・インタビュー。
アメリカという土地で語られた話というところに
興味があります。
とりあえず、今日は、助走ということで、
とびらページのリードだけを……



盛夏青春金城武
霧(Misty)から抜け出て、死ぬほど疲れて(Too Tired to Die)

姓は金城、名は武、眉濃く唇薄く、頬はそげ髪は厚く、
見る者はみな、日本のマンガから抜け出たようなスターだと言う。
父親が日本人、母親が台湾人であるゆえに、幼い頃から2つの言葉を話した。
家庭で、父親とは日本語で、母親とは台湾語で。
高校はアメリカンスクールに進んで英語を話し、
香港に進出するとき、広東語を学んだ。
もちろん、北京語も流暢に話す。
言語能力に恵まれ、幼児から多重文化の中で育ち、
早くから多様な角度から物事を考え分析する力を磨いたことが、
彼が台湾・香港から国際舞台へと足を踏み出し、
映画界と歌謡界とをまたにかけることになるための
この上ない優れた条件を作ったのだ。
(文・王志成/プレミア台湾版 1997年8月号)


BBS 23:50


2005年06月17日(金) 落札者との演技・2

今朝になりましたら、各紙報道がありました!
武のことにも触れています、というか、彼が見出しになってます。
朝、元気を出すのに十分なスチールがまた1枚あり、
演技する落札者の写真もありますので、ご覧になりたい方は、今日の香港の成報へ。

昨日のニュースに付け加える部分だけ、各紙から拾うと――

金城武との共演を落札したのは北京から来た男性ファン、
容貌は狆年版ジャッキー・チュン瓩両康。
ほんとに若い、男の子、という感じのようです。
バーのウェイター役として金城武に酒を供するのが主な役目ですが、
あまりに緊張しすぎてグラスを割ってしまいました。
が、金城武はとても優しく、責めないどころか、
緊張しなくていいからと何度も声をかけていました。

また、金城武の映画のポスターが、今回の上海映画祭で初めて公開されました。
タキシードの衣裳を着たものすごく素敵なもので、
張り出された当日になくなってしまったそうです。
この人気振りを見て、映画会社は、予定を早め、
夏に香港の映画館でポスターを展示することに決めたということです。
(台湾でも張ってほしい!)


BBS 9:00


2005年06月16日(木) オークション落札者演技する(如果・愛)

みんなが「あれはどうなったのだろう」と思っていた、
「Perhaps Love」のオークションによる出演者のその後が、
撮影終了の今になって、大陸の新聞に出ていました。
金城武自身については書かれていないのがちょっぴり残念ですが。


1度酒を注いで2万元
「如果・愛」の3つの役が演じられた


ピーター・チャン監督とジャッキー・チュン、金城武、ジョウ・シュン、
チ・ジニら多くのスターたちが参加したミュージカル映画
「Perhaps Love 如果・愛」が、先日クランクアップした。
この映画は、先にe-Bayと提携して役をオークションにかけたことで物議をかもしたが、
それでも熱心なファンの「アイドルと一緒に映画に出たい」という熱い気持ちを
押しとどめることはできなかった。
最終的に3人の幸運児が望みをかなえたのである。

21600元の最高額で金城武との演技の機会を獲得した北京の青年、
小康の興奮は一通りではなかった。
彼は映画の中でバーのサービス係を演じ、その主な役目は金城武に酒を注ぐことだった。
初めてカメラの前に立った小康は大変緊張し、
てんてこ舞いで小道具のグラスを割ってしまうということさえあった。

ジョウ・シュンとの共演を落札した栄児はずっとリラックスしていた。
映画では金持ちの夫人役で、イブニングを着て、
パーティーでジョウ・シュン扮する孫納とあいさつを交わす。
「私はずっとジョウ・シュンが大好きだったので、
入札するのに少しもためらいはなく、
ジョウ・シュンと一緒に演技するチャンスを得たのです」
ジョウ・シュンの印象について、栄児は口を極めて賞賛した。
「私は彼女とかなりおしゃべりしました。
彼女は親しみやすく、少しもスターぶっていません。
撮影のときには、私にどうやったら自然にできるか教えてもくれました」

ジャッキー・チュンと共演の落札者の劉女士は、
初めは映画撮影への好奇心からオークションに参加したが、
実際に撮影班に加わってみると、スターたちのきらびやかさの背後の
非常な苦労を身をもって知ったと述べる。
「撮影は本当に大変でした。
ジャッキー・チュンのまじめさに私はとても感動しました。
本当に簡単なシーン1つを、違う角度から何度も取り直しても、
彼は少しも文句を言いませんでした。
スピードアップのため、彼はいつも徹夜で仕事をし、
50時間ぶっ続けでやったこともあるくらいです。
あんなに仕事に対して熱心で謙虚なのですもの、
彼が人々の心の中の永遠のスターでいるのももっともです」
(羊城晩報 2005.6.16)


BBS 22:00


2005年06月13日(月) 「夜宴」狎什酥表瓠追記

今日の華商晨報は、
昨日、華誼兄弟公司は限られた範囲の記者たちに声をかけ、
フォン・シャオガンの新作「夜宴」の製作発表会を行なったと伝えています。

その内容によると、この映画についてはいろいろと言われてきましたが、
今年10月にクランクイン、撮影に5ヶ月、ポストプロダクションイ5ヶ月かけ、
来年の夏か、秋の国慶節の時期に公開の予定とのこと。
製作費は1500万米ドル、フォン監督にとっては初めての大作で、
準備もそのため長くかけているそうです。

スタッフも一流の人々が参集、出演者については、
5人の主演者がいるが、契約が完全に済んでいないため、
目下はまだ明らかにできない、
ただし、長年のパートナーである葛優は出演、
またこの新聞が以前伝えた金城武、マギー・チャンらの大スターは、
いずれも出演すると書いています。
(コン・リーではなく、マギーと書いてある。
もっとも、葛優以外の出演者の名前に言及しているのはこの新聞ぐらいです)


ストーリーは、監督によると、中国の古画から取ったものでもなく、
中国版ハムレットでもなく、中国の物語。
人間の欲望を宮廷を背景に描き出すものだと語っています。

撮影は浙江で開始後、北京他の各地で行なわれるそうです。


追記 

「夜宴」製作発表については、参加したマスコミから次々とニュースが出ています。
それをざっと見ると、クランクインは9月という方が多いですね。
9月中旬、あるいは9月15日と書いてあるもあります。
夏の公開なら、10ヶ月の製作期間と言っているのですから、
9月クランクインの方がありそうに思えます。

この映画については、宮廷闘争と、人間の欲望――欲望は全ての創造の元にも、
破壊の元にもなるという道理を語るもので、
伝奇的色彩が強く、人間関係は独特で物語性が非常に強い。
古代の歌舞のシーンや、アクションシーン、殺し合いのシーンもあるが、
武侠映画ではない。

関心の的の出演者については、5人の主役に実力あるスターであり、
役に合った俳優を配し、脇役に新人女優を起用すると書いているものもあれば、
主役と脇役にそれぞれ1人ずつ新人を用いると書くものもあります。
出演者名は、契約がまだ済んでいないので、1ヵ月後に正式発表すると、
名前は出ませんでしたが、長年のパートナーの葛優について聞かれたとき、
非常に演技の幅の広い、優秀な俳優だと答えた感触では、
出演の可能性が高いのではないかと言われています。
出演者について明らかなことは、一時噂のあったアンディ・ラウは、
同じ製作会社の別の映画に、ほぼ同時期に出ることから、
出演は不可能ということぐらいです。

この映画は、明らかに国際市場をねらっており、スタッフも精鋭を集めたほか、
俳優も全アジアからふさわしい者を選ぶそうですが、
細かいことについては、武の出演が確定してからにします。
出ないなら、この話はこれでおしまいということになるでしょう。(23:30)


BBS 9:00


2005年06月12日(日) 「当代歌壇」最新号から

カクタスクラブさんからお知らせが来ていた中で気になっていた、
大陸の雑誌「当代歌壇」、昨日、渋谷に行ったのでついでに見て、
購入、ビオテルムの両手をおろした正面のポーズのポスターが付録について、
巻頭に同じくビオテルムの白Tシャツの写真2枚が見開きに、
ビオテルム関連記事が写真つきで1ページ、
「如果・愛」関連記事が1ページで、これは買ってよかったです。
以下、その記事から。
1本目「男色日記」と題するものは、連載コラムなのかしら?



男色日記・金城武



私は、自分が色好みであるのを隠しはしない。
素敵な男性を見れば、鼻血を出すには至らなくとも、
動悸が激しくなるのはまぬがれない。
色好みは人間に本来備わるものであるから、少しも恥ずかしいとは思わない。
それどころか、自分の好色ぶりを自慢に思うぐらいだ。

男でも、実は、ありふれた顔と、個性的な要望と、本当の超美形とを見分けるのであり、
本物の美形に対しては、男でも女でもその魅力には抗し難いものだ。
金城武はこの絶世の美形に入る。
だからこそ、彼が上海にやってくるという話が流れた後、
そういうイベントには慣れているはずの編集部の女性たちが、
たちまち浮き足立つ様子が見られたのだった。


1985年、ビオテルムが世界で初めて男性用高級化粧品を世に出して、
今年でちょうど20年。
この重要な年に、ビオテルムは全く新しい
狠羚颪離ぅ瓠璽賢瓮ャラクターを送り出した。
彼は、自然で、スタイリッシュで、抜きん出た風格を持ち、
1つの商品のみならず、生活理念と精神的な目標をも表しているという。
自然でシンプルで、きわだつエレガンス、
スタイリッシュな動的感覚、充ち充ちる男性的な力強さ、
こうした全てが現代都市のエリート男性の完璧なイメージを体現すると。

彼とはすなわち金城武。
アジアで最も勢いのある人気スターとして、一流の監督達の寵児であり、
美貌であると同時に深みのある男として、
控えめな生き方を選び、自由な暮らしを求める。
このようなシンプルでしっかりした男性である彼の魅力には、
誰であろうと抗うことはできない。

これは武にとって初めての化粧品のCMであり、
それまでの商品とは違っている。
化粧品のCMは他の商品よりさらに入念な作りが要求されるが、
プロの俳優にとって、もちろんそれは問題にならない。
風格がブランドの求めるものに応えられさえすれば、
彼はシンプルに、軽やかに表現しうる。
しかし、化粧品ブランドのイメージキャラクターでありながら、
武自身は、何が爐しゃれ瓩任△襪里わからないと言うのだ。
人はそれぞれ自分の風格を持つべきで、
自然に自分がおしゃれだと考えるようにすればいいのではないかと、彼は言う。
自分自身のことで唯一おしゃれな習慣と言えるものは
ジャズを聴くことぐらいだと言って、その場を煙に巻いた。

彼はまた、美容について、1つの生活態度であり、
各人の価値観を表しているものにすぎないと答えた。
以前は美容、例えば髪型を工夫したり、
肌を手入れしたりするのは女性の特権だった。
今日では、美容を試す男性はますます多くなっているが、
これはその人が求めてするもので、回りがあれこれ言うべきことではない、と。

1人のスターとして、武は、自分も白粉や眉を描いたりなどの
メイクをしなければならず、デビューの頃は奇妙に思ったが、
俳優としてこれらは仕事上必要であることが、
だんだんとわかるようになったと語った。

武の肌は大変きれいで、浅黒く、つやがあり、
手入れにはかなり心を砕いているのではないかと思わせるが、
実は、彼自身が美容に関してすることは洗顔だけなのだ。
しかも洗顔のたび、周りじゅう水びたしにしてしまうと話す、
その一言一言が、人に様々な思いを引き起こす、
そのセクシーさには誰も及ばない。


もう1つは、「Perhaps Love 如果・愛」の4月20日の会見関連の記事です。
映画のタイトルにひっかけて、「もし、……なら」という小見出しを使い、
武とジョウ・シュンについて書かれていますが、武の部分だけ訳出。


もし、彼が来ていれば……



大勢の人が金城武がやってくるのを楽しみにしていた。
発表会にはふだんほとんど行かない、
私のような芸能記者さえ出かけていった。
だが残念ながら、彼はついに姿を現さなかった。

考えてみれば意外なことではなかったのだ。
彼はいつも控えめで、万やむを得ず、というとき以外は、
出なくてすむものには出ようとしないのだから。
こうして今カメラを逃げることが、ひょっとしたら、
次の機会に、よけいに追い回されることになっているのかもしれないけれど。

こういう点が監督ピーター・チャンをひきつけたのでもあるから、
いつまでかわからないが、人に神秘的な感じを与えるのは良いことであるのがわかる。
チャン監督は言っている。
「金城武はあんなに若いのに、どこに出かけるでもなく、
香港のパパラッチでさえ写真の1枚も撮れない。まさに神秘的だ」

そう思って、ピーター・チャンは、金城武のために1つのストーリーを作り上げ、
一風変わったロマンティックな愛を彼に背負わせた。
架空の人物ではあるが、その役には金城武の影がある。
「彼には生きることの中で生まれてくる憤りがある。
映画の中の役は、彼のあの何びとにも何物にも
なじもうとしないような感覚を持ったものになる」

考えて見れば、もし彼が来ていたら、
この発表会はおそらく彼1人のためのものとなっただろう。
誰もが様々な質問を繰り出して、
彼はいつもの通り、淡々と、愛想よく、他人行儀に、
自分にとって大したことではないことについて話しただろう。

もし彼が来ていたら、ひょっとしたらかえって良くなかったかもしれない。
特に、今のような、その身分と血筋が人にいろいろ考えさせるような時期には、
来ないことも良かったのかもしれないのだ。
翌日の芸能新聞の記事は中身の足りないものになったけれども、
聞いて嫌にならない内容が多くなることにはなった。
どうせ、映画が公開されれば、
彼はいつでも我々の前にすがたを見せてくれるのだから。
(当代歌壇 2005年5月25日号)


ところで、昨日、香港の東方日報に出た「Inerview」に関する記事から、
聯合報と重複しない部分を抜き書き。


ガーフェルドは金城武の顔の輪郭がくっきりしており、
足のつま先もすごくいいと絶賛した」

ネジャーのヤオ・イージュンによると、
カール・ラガーフェルドと仕事をすると知った金城武は、
この巨匠がどんな人かわからないので大変緊張した。
しかし、会ってみると、とても親しみやすく
つきあいよい人であることがわかったという」

城武は、巨匠がこのように自分を気に入って認めてくれるので、
もちろん非常に嬉しかったし、彼がプロフェッショナルで、
仕事もきびきびしていることをとてもいいと思った。
撮影が終わってからインタビューになったが、
ラガーフェルドは立ち去る時、わざわざ金城武のところまで来て
別れの挨拶をしたので、彼はラガーフェルドを大変気さくで
少しも偉そうなところのない人だと思った」

撮影は2時間。
たくさんのオファーについて、ヤオさんは、
慎重に選び、あわてて決めることはしないと語っていたそうです。


BBS 16:00


2005年06月10日(金) Interview撮影の裏話

金城武の素足を、ラガーフェルドは超お気に入り

国際的に知られるシャネルのデザイナー、カール・ラガーフェルドも
金城武が気に入った。
一番気に入ったのは彼の裸足の足である。

アメリカの流行雑誌「Interview」の最新号は東京特集。
なんとラガーフェルドをカメラマンとして、
国際性を最もよく象徴する金城武の撮影を依頼した。
撮影は東京のシャネルビルの最上階で行なわれた。
金城武がカジュアルなA&Fの私服でスタジオに入ってきた姿を見るや、
ラガーフェルドは言った。「撮影を始めよう」
金城武が「着替えは?」といぶかると、
ラガーフェルドは「その服で撮る」と答えた。

ラガーフェルドは金城武を「So Hollywood」と、絶えず誉め続け、
頭から足先までカメラに収めた。
顔のクローズアップ、全身、果てはプラダのスーツを着せながら
裸足のままでいることを要求、なぜなら金城武のつまさきは特別だからというのだ。
金城武はラガーフェルドの仕事振りはプロフェッショナルできびきびして、
とてもNiceなおじさんだと思った。

「Intereview」は金城武はアジア映画界の、多言語をあやつり、
マルチな才能を持ち、多文化を身につけた主役男優だと賞賛する。
彼はインタビューに応え、父親は日本人でシアトルにおり、母親は台湾人、
自分自身は18歳で初めて日本に来たと語った。

彼は、日本の方が気楽で、街を歩いていてサインを求められても、
丁寧に断れば大丈夫だが、
もし台湾や香港、大陸でノーと言ったらおしまいだと述べる。
また、以前はパパラッチは香港にしかいなかったが、
今は台湾でも至るところにいるようになってしまったと語っている。

30本の映画に出演している金城武だが、一番満足しているのは「恋する惑星」で、
ウォン・カーウァイが映画に対する感覚を変えてくれたという。
ただ、1つ1つの映画全てに学ぶことはdたくさんあるから、
どの映画が重要だということは言えないと強調した。

中国語の学校に行っていない金城武ではあるが、
中国語、英語、日本語を駆使して演技をする。
ハリウッドへの進出希望について聞かれたとき、彼は率直にこう答えた。
ハリウッドにはアジア人に合った役は非常に少ない、
もしいい脚本があればやってみたい、
ハリウッドはやっぱりどの国々の俳優にとっても夢であるから。
しかし、もし旧態依然の役しかないのなら、自分はむしろ観客でいたい、と。

金城武は、ジョウ・シュン、ジャッキー・チュン、チ・ジニと共演した
ピーター・チャン監督「Perhaps Love 如果・愛」の撮影を終えて、
今はまとまった休暇の最中である。
(聯合報 2005.6.10)


Interviewの感想は、ネタバレDiayへ。

BBS 8:30


2005年06月09日(木) 撮影終えたピーター・チャン語る

「Perhaps Love 如果・愛」が無事クランクアップしたので、
監督のピーター・チャンもほっとして、今まで話せなかったことなど
いろいろインタビューに応えてもらしているようです。


「如果・愛」無事クランクアップ

「如果・愛」は60日間にわたる撮影の後、
このほどついにクランクアップを迎えた。
ピーター・チャンは、この映画のためには、
心に抱いていた金城武の主役起用を30年待っても惜しくなかったと、
笑いながら語った。

ピーター・チャンは、金城武とジャッキー・チュンは、
自分がずっと一緒に仕事をしたいと思い続けてきた俳優だと言う。
彼は狎捗娜撚茘瓩呂曚箸鵑瓢らないため、
金城武と仕事をする機会がずっとなかった。
今、ようやく金城武が30歳になり、経験も積み、
その上、良い脚本に出あったことから、
当然の成り行きとして彼にオファーをすることになったのだった。

「ジャッキー・チュンとは、すでに1年前に交渉をしている。
彼は一番最初に私が話を持っていった出演者だ。
しかし、当時ちょうど彼の夫人の出産にぶつかり、
こんなに長く待つことになった。
最後まで彼を待ったが、それだけの値打ちはあった」

劇中のジョウ・シュンについて聞かれたピーター・チャンは、
ジョウ・シュンを、あまりない特質を備えた女優だと表現した。
以前彼女の映画を見たとき、非常にレンズの中にはまっており、
その目は実に様々な物語を映しているようだと思ったという。

「如果・愛」は、クリスマスシーズンに公開される。
(東南快報 2005.6.8)

2つ目の記事は、金城武の部分だけ抜粋。



数少なく、ふだん消息もめったにわからない金城武は、
ピーター・チャンに爛灰潺絅縫院璽轡腑鵑難しい瓩
気をもませたことがあったけれども、
映画の撮影が終わったとき、監督はこう感嘆せざるを得なかった。
「金城武はこの映画では、最も作品を創り上げることに打ち込んだ俳優だった。
重要なセリフのいくつかは、彼が書いているよ」

映画のラストシーンのために、ピーター・チャンは
セリフを原稿用紙2枚分も書いたが、どうしても満足が行かなかった。
金城武がそれを読んで、3文字のセリフを書くと、
監督のところに持ってきてたずねた。
「こんなの、どうでしょう?」

ピーター・チャンは嬉しそうに言った。
「この3文字のセリフで、役のすべての感情をはっきり表わしている。
前の2枚のセリフよりずっといいよ」
(新聞晩報より 2005.6.8)


BBS 0:50


2005年06月08日(水) 「如果・愛」撮影終了、ポスプロへ

7日22時に、外出先からBBSに書き込んだ記事ですが、
スペースがないので、8日の項にアップします。(6月9日記)


「如果・愛」昨日、上海でクランクアップ
4人の主演者を牋Δ靴討靴泙辰伸瓮圈璽拭次Ε船礇


昨日、ミュージカルラブロマンスの大作「如果・愛」が、上海でクランクアップした。
ピーター・チャンは4人の主演者、金城武、ジャッキー・チュン、ジョウ・シュン、
そしてチ・ジニの演技と歌の実力に大変満足し、興奮して言った。
「急に撮影がすごく短かったような気になってしまった。
俳優たちに惚れてしまったように思う」

記者 あなたにとって初めて内地で撮影した映画でしたが、どんな感じでしたか?
一番大変だったことは何ですか? また、それをどう解決しましたか?

監督 初めて内地で撮ってみて、とても新鮮だった。
こんなに大勢の国内、それに世界各地の映画のプロが力を合わせた映画は
初めてで、大変光栄に思う。
またそのことによって、最大級の火花の散るものになっているといいと思う。
今回の撮影で一番大変だったのは、主に天気関係だ。
特に北京では、気温が零下にまで下がり、みんなひどく苦労した。
上海では、撮影時間が非常に押していて、
毎日時間と競争しているようだった。

記者 ジャッキー・チュン他、俳優とはみんな初めての仕事でしたが、
彼らの演技をどう評価しますか?

監督 いずれにも大変満足しているし、そのプロ精神に敬服してもいる。
ジャッキー・チュンの最後の出演の日、彼は40時間近くも不眠不休だった。
ジョウ・シュンも度胸があり、宙に吊られてのダンスシーンがいくつもあったが、
自分自身で演じた。
金城武の役柄は大変難しく、無邪気さから成熟に至る
内面の過程を表現しなければならなかったが、見事やりとげ、
ラストシーンの演技が終わったときには、
我々スタッフ全員が賞賛の拍手を送ったほどだった。
そして、チ・ジニは、言葉の面での障害を完全に克服し、
歌と踊りを十分に完璧にやりぬいた。
その新しいイメージは、きっと一目見れば忘れられないだろう。

記者 撮影が終わったところで、自作に対し何を期待していますか?

監督 「如果・愛」は、私が10年前に撮った「ラヴソング」以来の長編恋愛映画だ。
しかし、この数年間、何もしなかったわけではなく、
休むことなく質のよい映画をアジアの観客に提供し続けてきた。
私が一番望んでいるのは、全世界の観客にも、
同じように私の全作品を喜んでほしいということだ。
(新聞晨報 2005.6.7)

これからいよいよ、編集や音入れやCG処理などのポスプロに入るわけですが、
劇中で歌われる歌はすべて録音がすんでおり、
きっと、まもなくお聞かせすることになるだろうとのことです。

スチールやメイキング写真も少し出始めたようだけど、
ジャッキーとジョウ・シュンだけですね、今のところは。


BBS  


2005年06月07日(火) 昔の話

金城武の初恋

金城武の初恋は、クラスのダンスパーティーでの初恋相手との出会いだった。
喧騒の中で、その少女は片隅に静かに座っていて、金城武の注意を引いた。
そのあと、少女はぜんそくの発作を起こし、
これが武にとっては、家まで送り届ける絶好の機会を作ってくれた。

こうして幼い無邪気なつきあいが始まった。
学校でランチを一緒にしたり、また、帰りにはバスで一緒に家まで送って行ったりした。
残念ながら、少女は高校を卒業するとすぐ、アメリカに渡って進学し、
2人の「純粋この上ない愛」もまた、ゆっくりと「友情」へと変化していった。

天秤座の金城武は、恋人づきあいについては、
「縁があるかないか」「気持ちに正直に」という姿勢だ。
しかし、今は仕事で毎日東奔西走しており、安定した感情を保つのは大変困難である。
だから、彼はあきらめ顔で言うのだ。
「いいなと思う女の子に会っても、いつも狄瓦涼罎濃廚Ν畸奮で
止まってしまうから、それ以上進まない」


呉念真(ウー・ニエンジェン)は、
「夏天的代誌」の作者と言った方が通りがいいでしょうか?
台湾の優れた脚本家であり監督であり俳優もしています。
国民党時代の様変わりした台湾になじめなかった実父を題材にした
映画「多桑(とうさん)」は、心に残る映画です。
テレビ番組で武と対談もしていますね。


呉念真の見た金城武

――今の新世代のアイドルの中で、一番いいと思うのは誰ですか? その理由は?

 金城武だね。彼はその内側にしっかりした基盤をもっているからだ。
アメリカと日本の教育を受けていることに関係があるのかもしれないね。
それに彼にはある種、風変わりな魅力がある。
非常に若いのに、多くの経験を積んで視野が広い。
彼が自分で自分をダメにすることがなければ、大いに期待できるアイドルだ。


ウォン・カーウァイとのことを語ったインタビューの記録ですが、
クレジットの書き方を見ると、かなり忠実に紹介しているように思えます。


スター・インタビュー

ぼくが香港にちょうど戻ってきたとき、ウォン・カーウァイから電話がありました。
「出て来いよ、ちょっと話がある」って。
いいですよ、と会って、あれこれたくさんおしゃべりをしました。
ぼくは、彼が、新作の「北京の夏」の今の状況を
話してくれるんじゃないかと思っていたんです。
なのに、もう別れようかというときになっても、それについては一言も言わない。
とうとうがまんできなくなって言いました。
「また変えるのはわかっているけれど、ぼくは一体どんな役なのか、
ちょっと教えてくださいよ」って。

いいですか、これが彼が言ったことです。理解してくれるといいけど。
「君がやるのは音楽バンドの団長だ。
時は200年後の北京。君が生涯をかけて手に入れようとしているのは、
1本のきらめくような素敵なギターなんだ。
『ジュラシック・パーク2』に出てくるような、
子どもの恐竜が君を手助けする」

ぼくが一番なりたいのが、動物園の管理人なんで、
彼はこの役で、ぼくの夢をかなえてくれようとしたのかな。
彼はカンヌ映画祭で最優秀監督賞を取りました。最優秀監督ですよ!
ぼくがウォン・カーウァイから学んだ一番重要なことは、こういうことです。

「映画は気ままに撮ってもかまわない! どうせカメラを回すのだから。
でもぼくは気ままには演じない。
文字で書かれたストーリーはなくても、
ぼくの心は、彼がほしいのがどんなものか感じ取ることができる。
彼のストーリーは毎日変わる。
でも、ぼくは彼がほしい感覚がどういうものか、もうわかっている。

監督が本当に優れているところは、言葉がとても生き生きしていること。
だからこそ、バラバラのシーンを積み重ね、
最後には1つの素晴らしい映画やラブストーリーに仕上げることができる。
実は彼のストーリーは、とてもシンプルで、いつも暮らしの小さな部分を描いている。
だから、彼に語らせるかどうかだけなのだ」

人についても物事についても、すべて、どう語るかなんです。
(金城武口述/張靚蓓記録整理)

以上3編、出典はわかりません。
時代は同じく96〜97年だと思います。



BBS  0:05


2005年06月06日(月) 「Perhaps Love」クランクアップ●007プロスナンの後釜●韓国の投票

「Perhaps Love」クランクアップ?

上海のファンが上海の武を追って6回、撮影所等に通った経緯を
Derrickのサイトで報告してくれていますが、
その涙ぐましい努力には、本当に心から応援したくなります。
その話によれば、「如果・愛」は、今日クランクアップになるようです。

撮影所のセットで、彼らがやっとの思いで見ることのできた武は、
ボヘミアン風の衣裳を着て、
ジャッキーやジョウ・シュンと一緒だったそうですが、
雑誌が書く孤独癖のある彼とは全然違って、
気持ちのよい健康的な青年で、背が高く、
笑ってないときは「不夜城」に登場した時のようなクールな感じだが、
とても朗らかで子どものようにいたずらっぽく、
スタッフともとてもよい関係のように見えたとのこと。
5月の下旬には1度日本に戻ったらしいです。

このあと、ポストプロダクションを経て、
次にニュースを目にするのは、何かの映画祭のときでしょうか。
年末までに、またびっくりするようなこと、ないかな。



次は少し前の記事です。

金城武はリターナーとなれ

ピアース・プロスナンが「007が嫌になり」、出演辞退を申し出てのち、
欧米の映画界は、誰を彼の代わりにすえるか頭を痛めている。
ジョージ・クルーニーがいいと言う者あり、コリン・ファレルだと言う者あり、
またジュード・ロウが一番かっこいいと言う者あり、
ブラッド・ピットかジョニー・デップのどちらかしかないと言う者もいる。

さらには、「レオン」のフランスのスター、ジャン・レノを提案、
非常にかっこよく、表面は冷ややかだが心は優しく、最高にたくましい、
別のタイプの007候補だと言う。
そして欧米人があげた新ジェームズ・ボンド候補リストには、
なんと日本の金城武の名が上がっている。
金城武は彫りの深い顔立ちで、鼻はすっと高い。
腕も立つし、英語も十分水準に達している。
東洋風ジェームズ・ボンドとしたら、上々のキャスティングだ。
もし香港で金城武に対抗できる者をあげるとすれば、
もちろんダニエル・ウーだろう。

身の上を語りたがらない

台湾と日本のハーフである金城武は、
日本のマスコミに、常に十指にあげられるスターだが、
人柄はとても変わっていて、大変控えめであり、
自分の身の上について語りたがらない。
仕事をしゃかりきで取るわけでもなく、名利を追い求めようとしない。
ギャラやクレジットも全然重視せず、
名声と実益を争う場にある芸能人らしくなく、
逆に俗世間を離れた高貴な人間のようだ。

「日本の金という姓の者は、みなひっそりと控えめである」という説がある。
なぜなら、日本では、姓が金や崔の者は多くが朝鮮人の後裔だと
盛んに言われているからだ。
そして朝鮮人は50年代には一段低い人間とみなされ、
「賤民」に列せられて、その多くは肉体労働者として
清掃や土木工事の仕事にたずさわった。
そこで、金という姓の朝鮮人の多くが、日本に帰化するとき、
姓を「金子」「金大」「金木」などの日本式に改めたのだった。
例えば、日本で成功した香港のスター、アグネス・チャンの夫の名は金子力で、
彼もまた昔の朝鮮人の子孫である。
また、日本の人気俳優、金子信雄も同じであることがおのずからわかるだろう。

階級観念の強い日本

日本人の階級観念は非常に強く、今なお、富裕な家では
韓国・朝鮮の血を引く者との結婚を喜ばない。
韓国・朝鮮人は日本では非常にひっそりと控えめで、家族のことを言いたがらない。
金城武も姓が金である。
彼の父親は早くから日本を離れ、台湾で身を立てた。
これも韓国・朝鮮系だったからかもしれない。
だから、金城武は日本で「神様、もう少しだけ」「二千年の恋」など
高視聴率のドラマを持ち、「不夜城」「リターナー」など著名な映画に
出ているにもかかわらず、半ば身を隠すようにして、あまり活動しない。
したがって、本当にボンド役に選ばれても、必ずしもOKするとは限らないだろう。

目下、韓流が東アジアを席巻している。
韓国の男性スター、ペ・ヨンジュン、イ・ビョンホン、チャン・ドンゴン、
クオン・サンウは、日本で21世紀の4大天王瓩半里気譴討い襦
だが、それが在日韓国・朝鮮人の地位を高めることには少しもなっていない。
階級意識は根深いのだ。
金城武はやはり香港や台湾に帰ってきて、
心を開いてこそ、真の心の喜びはあるように思える。
(新報 2005.4.30)

「リターナー」となれ、というのは、つまりあちらのタイトル「武者回帰」のことで、
金城武は香港台湾に帰って(回帰)こいという意味です。
彼が姿を現すのを好まないことが、このような解釈になるというのには
ちょっとびっくりしました。

内容的には、金のつく日本の姓がすべて大陸由来ではないし、
特に、ここに例に挙げてある金子姓は、日本の古い姓だとも、言われています。
ご存知の通り、金城は沖縄の姓です。
金大という姓も私は聞いたことがない。

だから、内容の信憑性はかなり怪しいのですが、それはそれとして、
これが印象に残ったのは、最後のくだりがあったから。
韓流といって韓国物が日本でも大いにもてはやされているけれど、
それが在日韓国朝鮮人の地位を改善することにつながっているのか――
ここは日本人じゃないから、できた指摘だと感じました。

姓のことが出てきたので、ざっとですが、ネットで日本の姓について調べてみたとき、
昔から聞いている、あの芸能人は実は韓国・朝鮮人……式の話が
今も盛んに言われていることを知りました。
こうしたことの底に流れる日本人の意識・感情は変わりつつあるのか、
相変わらずなのか……

金城武が日本で成功したことについて語るとき、
あちらの新聞では、よく猗鷯錣貿啾湘な日本で瓩箸いι集修鮖箸辰董
その快挙を強調します。
日本人は「日本人論」が大好きだと言われますが、
それはほとんど欧米人が語る日本人論、もしくは欧米人と比較した日本人論です。
アジア人がどう見ているかには関心はないというのが、
本当のところじゃないのでしょうか。
でも、自分が何者か知りたかったら、一見似ているように見える
同じアジアの国どうしと比べ合わせてみた方が、
ずっとよくわかるだろうと思います。

間違いだらけの記事だけど、いろいろなことを考えさせられたので、
ご紹介してみました。
(それとここでの五十年代というのが何をさすか、よくわかりません。
ご教示下さい)



国つながりで、
「大長今(チャングムの誓い)」の主演女優、
李英愛が香港の映画スターを共演するなら誰がいいか
というウェブ投票を、韓国最大の芸能ファンサイトでやったそうですが、
1位 トニー・レオン、2位 アンディ・ラウ、3位 レオン・ライ、
4位 金城武、5位 チャウ・シンチー、6位 ダニエル・ウー
という結果だったとか。

香港の新聞がこんなたぐいのニュースを大々的にとりあげるというのは、
この女優の人気がかなり高いということなんでしょうか、
私にはわかりませんが、ここで気がついたのは、
金城武が「香港スター」のくくりに入っているということ。
「恋する惑星」で韓国に登場した彼は、
いまだに韓国人にとっては香港スターなのかなと思いました。


BBS 0:05


2005年06月05日(日) 昔の話

96年から97年ぐらいの話ですかね、
KIMIKOさんが、主に中国時報からいっぱい拾ってくれている中から、
今、大した動きもないし、少しアップしてみます。

1つはスターストーリーとして、
穏やかな金城武にも、こんなことあったよ、というもの。出典不明。

もう1つは、ウォン・カーウァイ映画のプロモで来日していたときのじゃ
ないかと思います。



城武の手には小さな傷跡がある。
小さく、人は気が付かないが、金城武にとっては、少年の日の成長の刻印だ。

金城武は上品で、裏表がなく、たとえ怒り心頭に発しても、
決して荒々しい言葉で人を罵ったりしない。
が、彼は、自分も子どものころ、かっとしたとき、
激するままに自動車のガラス窓をたたき割って
うっぷんを晴らしたことがあったと言う。
ひどく出血して、傷跡は今も残っている。
しかし、この流血経験のあと、彼は心を平らかに持って
冷静に人と社会に対することを学び始めたのだった。

彼は、そのとき、腹が立ってどうしようもなかったのだという。
友達と言い争いをしたか、ひどいことを言われたか、
でなければ相手の言ったことが彼の自尊心をひどく傷つけたかで、
気持ちがコントロールできなくなってしまったのだ。

なかなか血が止まらず、医者に行って止血してもらったと、
彼はそのときの様子を語る。

彼が言うには、今はもうそんなに腹を立てることはないし、
下品な言葉を口にもしない。
というのは、子どものころにそういう経験をしたことで、
不適切な言い方をするだけで簡単に人を傷つけること、
まして荒っぽい言葉を投げつけたらどういうことになるかを、理解したからだ。
このころの刻印は、傷の痛みという代償を払ったけれども、
大きく彼を成長させ、得るところは多かったと金城武は語った。


が高くハンサムな金城武は、口数が少ないが、
一度口を開けば必ず人をびっくりさせることを言う。
周囲の人何人もの話を聞くと、彼の考え方は確かに普通の人と違っている。
例を挙げれば、もっとよくわかるだろう。

あるとき、彼が東京で、翌々日受ける予定の
日本のマスコミの取材の準備をしていたとき、
不意に、新しい靴を用意して、マスコミの人たちにいい印象を与えなければと
ひらめいた。そこで、泊まっていた新宿の旅館の近くで、
かっこいい新しいバスケットシューズを買った。

新しい靴を履いてみると、今度は靴が新しすぎて足を痛めると思い、
人に笑われながら、新宿の街を疾走し始めた。
靴を履き慣らして緩めつつ、ついでに町を見物するつもりだった。

ところがなんと、その夜金城武はどんどん遠くに行ってしまい、
あんなに大きい新宿の街だから、道に迷って旅館に帰れなくなってしまった。
公営民営の地下鉄に行ってみても、どれも運行は終わっており、
街頭の人影もすでにない。
彼は一人ぼっちで街中を歩いた。
生存本能を頼りに、最後には月の明かりのおかげで道を見つけて帰りついた。
もちろん、靴はとっくに緩んでいた。

旅館に着いたとき、金城武の両足はマヒ状態で感覚がなく、
部屋に入ると、すぐ棒のように布団に倒れこんで、動くこともできなかった。
2日後、その靴を履いて彼は日本のマスコミの取材を受けたのだったが、
足はまだ棒のようにマヒしたまま、顔には憂いのような表情があらわれて、
逆に一種の魅力を生み出していた。

金城武の考え方は変わっていて、たまたま飛び出した一言二言でも、
人を驚かしてやまないといった感じだ。
以前、ある人が彼に「おい、最近すごく景気がいいな」と言ったところ、
彼は間髪を入れず、答えた。「いつもこうじゃない?」
(科芸百代)


BBS  13:45


2005年06月03日(金) 「夜宴」について監督は?

「夜宴」の話が昨日出ましたが、監督本人はどう言っているのか?
大陸紙のインタビューから、それに触れた部分を抜書きし、
探ってみますと……


フォン・シャオガンへの独占インタビューから

新作の計画は犹爐鵑任盡世┐覆

新作の話になると、思い出すのが、2日前に噂の出たばかりの、
フォン・シャオガンは“パパラッチ”たちをあてこすった内容の作品
「娯楽大家」を取りたいと思っているという話だ。
これに触れるや、フォン・シャオガンは吹き出した。

「あのとき、ほんとに内輪の範囲でその話をしたのに、
翌日になったら、もうニュースになってるんだ。
おまけに葛優やカリーナ・ラウといった人選の話まで、すっぱ抜かれてる。
本当は、この映画の脚本はまだ影も形もない。撮影なんか遠い先の話なんだ。
君達マスコミは、きっと華誼兄弟会社に手先を送り込んでるに違いないよ」

噂では、以前香港の「東周刊」に昔撮られたヌード写真を公開され、
非常なプレッシャーに苦しんだカリーナ・ラウは、見事トップ女優となったが、
「娯楽大家」でそれを反映した役柄を演ずるとも言われている。
これについて、フォン・シャオガンは真顔で
「それはあるはずがないよ、あまりにそれは……あるはずない」

火のないところに煙は立たず、フォン・シャオガンの話は、
少なくとも、噂にあげられた新作はすべて彼の計画にはある、
ということは証明するものだ。
ただ、まだ意向の段階で、いつ実現するかは知るよしもない。

しかし、中国の人々にとって、お正月映画に「フォン・シャオガン出品」と
銘打たれた映画があるというのはならわしになってしまっている。
現在既に6月、フォン監督は半年間で、
お正月のごちそうをでっち上げることができるのだろうか?
「うーん、これはね、責任をもって言えるよ」
とフォン・シャオガンはまたもや「天下無賊」の瑰媾猫瓩
有名なセリフを思い出した。
「それはない! 以前、みんなが言っていた『貴族』だとか『娯楽大家』だとかは、
全部検討中で、脚本は何もないんだ。今年は不可能だね」

今回、長沙に来て盛和と会った目的――「夜宴」について、
フォン・シャオガンは率直に犂弁してほしい瓩箸海Ω譴辰拭
「これは本当に言えないんだ。私たちは出資会社と契約をした、
彼らのスケジュールに合わせなければならない。
時機が来たら、すべてお話しすると約束するよ」
時機が来るとはいつのことをいうのか?
「もちろん、脚本、資金、出演者が全部決定して、
明確に契約が交わされ、本決まりになったときだよ」

先に華誼兄弟会社の責任者、王中軍が明かしたところによれば、
「夜宴」は国際的な出資のもと、製作費は3000万米ドルを超え、
さらに出演者の候補としてコン・リー、金城武、チャン・ドンゴンら
国際的知名度のある俳優が顔をそろえるという、実に大々的なものだ。
フォン・シャオガンは、国際舞台への進出の意志があるのだろうか?

これに対しては、フォン・シャオガンは完全に否定はしなかった。
「ハハハ、私は人民のために仕事をしている。
もちろん、国内10億を超える人民に十分尽くしたあと、
世界の人民にも尽くせる力があれば、それもいいことだ」
(瀟湘晨報 2005.6.3)

うーん、何となく、これは決まりかしらという気がしてきますが、
もう少し待たなくちゃいけないでしょうね。


BBS  23:50


2005年06月01日(水) 「夜宴」情報再び

フォン・シャオガンの新作にまた新しい動き
「夜宴」に名脚本家を依頼


「貴族」の脚本がなかなか出来上がらないことが理由で、
フォン・シャオガンはお正月映画戦線に加わらないことを発表。
彼が今年どんな題材の映画を撮るのか、あれこれと推測が飛んでいるが、
昨日の夜、フォン・シャオガンはひそかに長沙を訪れ、
著名な脚本家盛和と面会し、新作「夜宴」について打ち合わせを行なった。
今回の長沙行きには、親友の監督、張黎と、
狠羚颪離肇奪廛侫ルム編集者瓩噺討个譴詢苗苗を同行、
ファン・シャオガンのこの脚本に対する重視のほどがうかがわれる。

昨夜、フォン・シャオガンは友人達とともに長沙に到着すると、
すぐ盛和と脚本について打ち合わせを開始した。
これまで、フォン・シャオガンの今年の作品は、
香港のパパラッチ族をあてこする「娯楽大家」であるとか、
風刺性にとんだ「貴族」であるとか、いろいろと言われてきたが、
しかしこれらは全て煙幕だったのだ。
フォン・シャオガンが今年、本気で撮影をめざしているのは、
銀川金鶏百花映画祭の折、噂として名前の漏れた「夜宴」であり、
ただ、脚本担当は、この盛和なのである。

内容が漏れるのを防ぐため、フォン・シャオガンは記者に対し、
余り詳しいことは明かさなかったが、記者は他にも取材を重ね、
「夜宴」は中国版「ハムレット」と言われており、
作中には「ハムレット」と相似する部分がかなりあること、
また、五代十国時代の有名な絵物語「韓煕載夜宴図」を種本とし、
中国の宮廷闘争における牴子の復讐譚瓩鯢舛ことなどを聞き出した。
ある事情通は、この作品の持ち味は、
フォン・シャオガンのこれまでの作風とは大きく隔たり、
コメディ風味は全くないとも明かしており、彼にとっては大きな挑戦となる。
さらに、製作費も今までの最高で、3000万米ドルになると予想されている。

盛和が昨日語ったところによると、
もともと彼が北京に行ってフォン・シャオガンと会い、
脚本について相談することになっていたのだが、
湖南テレビ局の会議があり、局と契約をしている彼は抜けるわけにいかない。
そこでフォン・シャオガンが、自ら彼に会いに長沙に来たのだという。
フォン監督が脚本を非常に重視していることがわかる。

「夜宴」の全体的雰囲気について、盛和は狢臺兪饅鏑瓩箸い4文字で表現する。
そして、ちょうど日本の監督黒沢明がシェイクスピア物を日本化し、
「リア王」を「乱」に生まれ変わらせたのと同様に、
今回ファン・シャオガンは「ハムレット」の中国化をしようとしており、
全く新しい感覚を与えるものになるに違いないと説明した。
現在、脚本は既に完成しており、今回のフォン・シャオガンの長沙訪問は、
脚本中の比較的細部の打ち合わせを行ったものである。
具体的な内容については、盛和は今のところはまだ公表できないと述べた。

盛和は、中国の脚本分野では、ずっと重厚な歴史物で有名だ。
その「走向共和」などの作品は、大好評を博している。
一方フォン・シャオガンはユーモア喜劇に長けており、
作風のかけ離れた2人が今回どんな火花を散らすか、
この点だけでも映画ファンは大いに期待できる。
「夜宴」のストーリーは、盛唐もしくは五代十国時代を背景に、
華やかな夜毎の歌舞音曲の陰で殺気漂う
宮廷闘争を映したものになるとのことだ。

この他、フォン・シャオガンの御用達俳優、葛優が今度も出演し、
時代衣装姿に挑戦すること、コン・リーも出演の可能性があること、
金城武、チャン・ドンゴンとも密接に連絡を取っていることもわかった。
このような顔ぶれから、フォン・シャオガンは明らかに
より広大な国際映画市場に野心を燃やしていると見られる。
(新聞午報 2005.6.1)


BBS  15:00


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