武ニュースDiary

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| 2003年05月31日(土) |
「恋する惑星」のエピソード・1 |
千里馬と伯楽にたとえられる、金城武とウォン・カーウァイの出会い―― 2人の最初の仕事である「恋する惑星」のエピソードを、 いくつかの記事に見てみます。
ウォン・カーウァイ、金城武に命を与える
最近、香港で初めての広東語アルバムを出した金城武は、 ウォン・カーウァイ監督「恋する惑星」で優れた演技を見せ、 いっそうその人気を高めている。 いたるところで香港のファンが彼の姿を求め、待ち受けているだけでなく、 台湾のファンまでがグループを組んで、彼の応援をしに香港に行っている。 人気に演技の実力が加わって光彩を放ち、彼は一気に香港映画界の話題の人物となった。
「恋する惑星」は金城武のほか、ブリジット・リン、トニー・レオン、 フェイ・ウォンなどが出演しているが、この映画のプレミアが香港で行われたとき、 金城武の演技に、観客は声をあげ、笑い、拍手をするなど、反応はすごかった。 周星馳(チャウ・シンチー)はじめ、映画関係者たちは、 「金城武はすごく生き生きしてきたね!」と口々に言ったものだ。 監督のウォン・カーウァイはなおさらこのハンサムな青年に大満足で、 実に斬新な演技をすると言った。 この誉め言葉に、金城武は感慨深かった。 なぜなら「恋する惑星」ではさんざん大変な思いをしたからだ。 逃走した犯人を追跡し捕まえるシーンだけで、何度NGになったかしれない。 ウォンはしまいに2人に本当に殴り合えと命じた。 「できません」と武は答えた。ウォンはが怒って、なぜだとたずねると、 今まで腕力で解決しなきゃいけない羽目になったことがないし、 それに自分は天秤座で、平和を愛するからだというのが武の答えだった。 それを聞くや、ウォンは、エキストラに武を殴らせた。 思わず武も手を出し、結局、2人ともケガをして、 武は眉のあたりとあごを殴られ血を流した。幸い、ウォン監督は満足してくれたが。
ウォン・カーウァイは、俳優の持つ力を最大限に引き出すことができる、 名監督だと言われている。 金城武はどう感じているのか? 「実は、ぼくは毎日一体何を演じるのか全然知らないんです。 昨日演じたやり方が、次の日になるとダメだから変えるように言われたりします。 だからぼくは言いました。あなたは昨日、こう演じろっていいましたよって。 そしたら監督は言うんですよ、誰が昨日、俺を信じろって言ったんだ?」 金城武は笑いながら話すが、言葉の調子には監督への尊敬がうかがえる。 (以下略) (民生報 1994.7.13)
BBS
| 2003年05月29日(木) |
金城武とその父 (1) |
「天使の涙」の話になったので、ウォン・カーウァイとの仕事のことを 少し続けようかと思ったのですが、1つ、ご紹介したいものが出てきて、 どうしても先にやりたくなって……。話が飛びますが、ご容赦を。
心路基金会のCMに初めて出演したときのこと、 お父さんと一緒にインタビューを受けているようです。 新聞の家庭欄(!)に載った記事で、長めなので、2回に分けます。
********
金城武が台北アメリカンスクールに通っていたときのこと、 上級生や友達が髪の毛を染めているのを見て、興味をそそられ、 自分も真似して金髪にしたことがある。 家に帰ると、父親が色の変わった彼の頭を見て、かんかんに怒った。 「これは不良のすることだ。なんで同じことをするんだ!」 少年・武は内心不満でいっぱいだった。 悪いことなんかしていない、髪の色が変わっただけじゃないか、 なんでお父さんはわからないんだ!
「子どものころ、ぼくはとても聞き分けのいい子だったんですけど、 ただ、いつも友達と外で遊びまわってて。 両親が心配してるのはわかっていましたけど、 そのころは、本当に友達と遊びたかっただけなんです。 男の子ってそういうもんじゃないですか。 でも、お父さんもお母さんも機嫌が悪かったですね」 息子が成長途中に感じた小さなうらみごとを話すのを聞きながら、 金城節も微笑を禁じえない。
金城節は日本人で、今回初めて息子と一緒に「父子関係」のエピソードを公開した。 「私はいつも彼に、これはどう考えるべきか、あれはどう処理すべきか、 話して聞かせます。彼が理解したかどうかはわかりません。 父と子は、ある時がくれば、友人として互いに対せるようになるものです」 武の父は北京語で自分の考えを説明しようとする。
金城武の、父親に対する印象は、厳格な父だ。 子どものころは、父親はいつも外国にいて不在だった。 家にいるとき、もしも彼を怒らしたりしたら、大変だった。 体罰を加えることはなかったけれど、延々と叱責と説教を食らうことになった。
「だから、ぼくたちはお父さんが帰国すると聞くやいなや、 部屋に飛び込んで、机を整頓し、きれいに掃除しましたよ。 お母さんはお化粧をして、ぼくたちには新しい服を着せ、 一緒に飛行場に迎えに行きました。 お父さんが家にいるときは、ぼくたちはすごく素直できちんとして、 机で勉強しているふりをしていました」 父親の肩にもたれて、金城武は子ども時代の思い出を笑いながら話す。
金城武の母親は、台湾生まれの台湾人だ。 父母の国籍が異なることは、子どもの教育に影響があっただろうか? 「多かれ少なかれあるものですよ。 ですから、子どものことで言い争うことも時にはありました。 例えば私は子どもの責任感というものを重視します。 武が子どものとき、私が会議中に、突然家から電話がかかってきたことがあります。 武が朝スクールバスに乗って出て行ったのに、30分たってもまだ学校に着かない、 途中で降りてしまったんだと言うんです。 母親は、武がこのままいなくなってしまうのではないかとひどく心配していました。 私は言いました。かまわない、いなくなるならいなくなるだけだ。 男の子は自分で自分の責任は取れると信じるんだ。小さなことですぐ心配するなと」
結局、こういうことだった。武はスクールバスで学校の生徒と喧嘩をし、 頭に来て、さっさとバスを降りてしまったのである。 大人達は心配したが、午後になって、武はかなりの長い距離を歩き通し、 1人で家に戻ったのだった。
BBS
--------------------------------------------------- 金城武とその父 (2) - (続きです)
「子どものころから、ぼくは両親とあまり話したことがありませんでした。 嬉しいとか悲しいとか、すべて心の中にしまいこんでいたし、 痛いとか辛いとか、他の人に話すこともなかったんです。 今でも、他人に心の内を話す習慣はありません。 相手と長いこと話して、気持ちが通じてからでないと、話さないですね」 そのため、少年時代の金城武は、父母に「自分は何国人なのか」という 疑問をぶつけたこともほとんどなかった。
「子どものとき、人はぼくを見て、台湾人とは違うとわかるんですよね。 で、お父さんは何人? と聞いてくる。ぼくが日本人だと答えると、 じゃあ、君は日本人だねと言うんです。 でも、ぼくは台湾に暮らしていて、日本のことは全然知らない。 だから自分が一体何人かは、あまり考えないことにしました」
18歳のとき、彼は初めて日本を訪れた。 飛行機を降り、空港の「お帰りなさい」という看板を目にしてひどく戸惑った。 「ぼくはずっとその看板を見ていました。よくわからなかった。 台湾がぼくの家だ。なぜこの見知らぬ土地が、 ぼくを<お帰りなさい>と迎えるのだろう?」
成長するにつれて、金城武と父親は少しずつ距離を縮め、意見を交わし、 「友達父子(おやこ)」として心を通わせるようになった。 武が父親に、芸能界の仕事につきたいと話したとき、父親は初めは賛成しなかった。 息子を心配したからだ。
「彼は今はもう20歳を過ぎているけれど、 それでも私にはまだ子どもに思えて、とても心配です。 芸能界については、あまり良くない話をたくさん聞いていました。 それに、行き詰まったとき、何の保障もない。 それまでの努力は無駄になってしまうんです。ですから、心配しました。 しかし、私は思いました。彼を信じよう。 今は、彼がこんなに努力しているのを目にしていますから、もう反対していません」
今年の父の日、武は父親にゴルフクラブをプレゼントした。 初めての父の日のプレゼントだった。 父親が嬉しそうに笑ったのを見て、武は満足と、ある成就感も感じていた。 「ぼくはお父さんに知ってもらいたかったんです。 ぼくがもう大人になって、ものを買ってあげられるようになったんだって」
男前に成長した息子を眺めながら、金城節はこう言う。 小さい頃、武が間違ったことをして叱るとき、「視線は下を向いていた」と、 彼はてのひらを下に向けて、膝頭の辺りに手をやった。 「それから、このぐらいになって」と、手は肩の高さに上がった。 「目の高さが私と同じになったとき、私達は友達になったんです」 このとき、てのひらは眉の高さまで上げられていた。 「今、私が彼と話をするときは、こう言わなきゃならないんですよ ……すわりなさい、すわりなさい!とね」
成長した金城武は父母の心が前よりもよくわかる。 「両親がぼくを気にかけてくれているのはわかっています。 ときどき、やっぱりぼくの考えを本当にはわかってくれてないと思うこともあります。 でも、ぼくはこう言いたい。 心配しないでください、ぼくはもう大人ですから。 今は遊びまわったりしないし、悪いこともしない。一生懸命勉強しています。 これがぼくの選んだ道で、努力しながら歩いている。 失敗したって、別の道を選べます。 あなた方に、この子を生んだことで失望はさせない、 将来、必ず誇りに思えるようにしますからって」
親は、しかし子どもが健康でいさえすれば嬉しいのだ。 「彼の生活は昼夜逆転しており、日が出てようやく帰ってきて、 午後3時か4時ごろまた出かけていくという状態です。 彼が自分の身体を大事にして、それから自分の好きなことをしてくれさえすれば、 他に何も言うことはありません」
自分より頭半分ほども高くなった息子と並んだ父は、 息子と同じ色の普段着を着ている。 父が初めて息子と一緒にカメラの前に立ったわけは、 心路基金会のための公益CMのゆえだ。 心の中を語り合う父と子は、ますます友達同士のように見えた。 (民生報 1995.9.9)
BBS
| 2003年05月27日(火) |
金紫荊奨へのノミネート(1996年「天使の涙」) |
「天使の涙」つながり?になりますが、 3月5日の項(「無冠の帝王?」)で、この映画の演技により、 香港の金紫荊奨の最優秀主演男優賞にノミネートされたと書きました。 そのとき、武はものすごく喜んだそうです。
「天使」で金紫荊奨最優秀主演男優賞ノミネート 演技を認められ、金城武興奮
大陸で「馬永貞(暗黒街)」を撮影中の金城武は、 最近「天使の涙」で第1回金紫荊奨最優秀主演男優にノミネートされたと知らされた。 これは金城武の生まれて初めての映画賞ノミネートで、 撮影現場にいながら、思わず躍り上がって喜んだそうだ。 彼は台湾のマネージャーに電話を入れ、 月末には受賞式典に出席したいという希望を伝えた。
金紫荊奨の権威については疑問をさしはさむ向きもあるが、 金城武にとっては、初めて演技が正当に評価されたことであり、 また香港映画評論家協会が主催団体の1つであるから、 自分のやり方が認められたことに、彼は興奮し、喜んでいる。 この賞は優れた演技を表彰するもので、 本当に力がなくてはノミネートされない点で、 一般の賞とは違っていると、彼は受け止めている。 「演技派」をめざして頑張ってきた彼にとって、まさにタイムリーな励ましだ。
現在、ニューヨークではウォン・カーウァイの「恋する惑星」が上映中で、 武個人のポスターも出現して、雑誌広告にまで載っている。 彼は今、日本、香港、台湾、韓国などで大人気ではあるが、 機会があればアジアから外に踏み出して、 いろいろ違った作品に触れてみたいと望んでいる。 (民生報 1996.4.10)
努力をしてきた後だからうれしかったんでしょうね。 彼は、本当に素直に喜びますよね。 かといって、賞にとらわれることもないようですけど。
BBS
| 2003年05月26日(月) |
「鬼武者」中国語版売り出し●まぶたの話は昔から |
昨日、台北と高雄で「鬼武者」中国語版の発売が開始されました。 金城武は宣伝に来られなかったけれども、それでも 大勢のゲーマーが列を作り、SARS流行以来、珍しいにぎわいとなりました。
今回金城武の参加がセールスポイントになっていることで、 女性の購買者が増えるだろうと予測はされていましたが、 実際統計では、普通9割が男性のところ、 女性と男性の比率が3対7であったとのこと。
実際現場でも、行列の1番は4時間前から並んだ大学2年の女子学生。 ストーリーと配役がいいというのが、その理由だそうです。
このところのSARSの影響で、企業は大型のイベントは差し控えていますが、 発売元の藝電は、マスク500個を用意して臨ました。 今回、人気を呼んで売り切れという好成績を残した事で、 疲弊気味のゲーム業界には、一服の強心剤になるのではと言われています。 (星報より 2002.5.26)

BBS
--------------------------------------------------- まぶたの話は昔から - 8年前の台湾紙に、二重瞼になった写真とともに、 掲載された短い記事のそのまた一部――。
<一重瞼の金城武がどうして二重になっているのだろう? 実は武の二重瞼の謎の真相は、ウォン・カーウァイのせいで、 整形したわけではないということが明らかになった。
金城武のマネージャー、ヤウ・イージュンは、 「武が二重になるのは、いつも撮影が徹夜になったときなんです」と言う。 なるほど、この写真は「天使の涙」の現場で撮ったものなのだ> (民生報 1995.8.16)
しかし……不思議なのは、日本でもあちらでも、 武が整形したんじゃないかと思う人がいるんだなあってことですね。 確かにある意味、別人みたいな変わり方ではあるけれど、 彼の顔をよく知っている人なら(たとえ写真ででも)、わかると思うんですけど。 第一、瞼が一重になったり二重になったりって、 いろんな理由でよくあることだし。 それより何より、金城武が整形する人間かどうかっていったら、 まず、世界中の人がしたって、しない部類じゃないでしょうかね……
BBS
| 2003年05月25日(日) |
RE:ボツ(?)企画・ エドワード・ヤンとウォン・カーウァイ |
ボツ(?)企画・ エドワード・ヤンとウォン・カーウァイ - エドワード・ヤンとの話が具体的にあがっていた同じ1998年、 もう1本の映画が出演予定に入っていました。王家衛の「花様年華」です。 この年の8月の新聞記事によると、1年の後半にヤンとカーウァイの映画の予定がぶつかってしまい、 調整のためにマネージャーのヤウさんが香港に赴いたとあります。 その結果、先に出演の決まっていたウォン監督の作品に9月末に参加して、 その後、12月にヤン監督の新作に出ると話がつきました。
「花様年華」の武の役どころについて、ウォン監督は、 ほとんどできあがっているが、まだ明らかにはできない、 しかし武にとってこれまでにない、やりがいのある新しいものになるだろうと 言っています。 ヤン監督の方は、作品タイトルは未定、武の役についても 監督はまだ何も明らかにしていません。
これだけ具体的に報じられていたものが、結局、いずれも実現せず、 実際には「君のいた永遠」への出演となるわけです。 11月、シルビア・チャンが東京の武を訪ねて新作の話を詰め、 同月25日にクランク・イン。 憶測するに、シルビア・チャンのオファーはもっと前に行われていたのでしょうから、 上の両監督の話が原因はわからないながら、頓挫して、 こちらの浮上が可能になったのではないでしょうか。 カーウァイ作品の場合は、監督に原因がありそうですけれど。^^
そんな、こんな、見てくると、単なる風聞止まりのものも多いでしょうが、 彼もやたらに選り好みして断っているのではない気がします。 やはり、彼のよく言う「縁」……時期、様々なめぐりあわせが その仕事を可能にするかどうかに、大きくかかわってきているのでは? 映画もドラマも時間のかかる大きな仕事だけに、よけいそういうものに 左右されそうですし。 彼が出演した作品は、そういう中の幸運な実りであり、 大切に味わいたいと思うと同時に、このようにしてまかれてきた種が、 どこかで再び芽となって、花開く可能性も楽しみに見守りたいと思うわけです。
BBS
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この事情について報じた記事がありました。
金城武はウォン・カーウァイにかわいがられて、 その2年前に「北京之夏」に出演する約束になっていました。 この作品が改名して「花様年華」になったのですが、製作開始が例のごとく遅れ、 11月末からになってしまいました。 ところが、武は既に同じ11月末から「心動」の撮影に入ることが決まっており、 「花様年華」から降りざるをえなくなってしまったということだそうです。
エドワード・ヤンのほうですが、 武はこのころ台北にいて、朱延平とよく台北の喫茶店で話をしていました。 武は朱監督との間にもう1本映画を撮る契約になっていて、 監督は、ヤンに武のための映画を作らせようということだったのです。 ところが朱監督とヤン監督のこの仕事についての考え方にずれがあることがわかり、 さらに、ヤン監督はスタンリー・クワン、岩井俊二らとの日本映画の仕事を 先にすることになったため、武とヤン監督の仕事の話はストップしてしまいました。 朱延平は、「武に気の乗らない映画を無理にやらせようとは思わない、 仕事はあわてて一気に進めるのでなく、細く長くやっていけばいい」と話した―― ということです。 (聯合報 1998.11.18)
BBS
| 2003年05月24日(土) |
新携帯CM・海外の報道(二重まぶた編)(鉄アレイ編)(ユーモアCM) |
新携帯CM・海外の報道1(二重まぶた編) - Docomo505iのCMについて、台湾各紙(香港も一部)が早くも報道。 あちこちでごらんになったかと思いますが、 いろいろ出た中から、面白かったのを2つご紹介してみます。 ひとつは民生報によるものです。
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金城武は最近日本で、また携帯電話(三菱)のCMに出演した。 クローズアップの写真を見ると、彼の掘りの深い眼の二重瞼は いっそうくっきりとしたものになっている。 「昔は金城武は一重瞼ではなかったっけ?」と不思議に思うファンは多い。 なかには整形手術をしたのではないかと疑う者までいて、 それを聞いた彼はおなかを抱えて笑ったという。
日本の芸能雑誌「日経エンタテイメント」の2002年の調査によると、 金城武は少ない露出にもかかわらず、日本の視聴者が最も好感を持つ男性スターである。 神秘的で控えめな雰囲気でありながら、一方ドラマや映画では 親近感のある、気さくな感じがファンや消費者の好奇心をかきたててやまない 最大の原因であるとされている。
金城武自身、ハイテク製品の愛好者なのだ。 3年連続で全アジアのエリクソン携帯CMのイメージキャラクターを務めたが、 成功を収め、退いた後は、あまりにこのCMが視聴者に強い印象を与えたことから、 金城武自身さえ、携帯のCMはおそらくこれが最後だろうと思っていた。 今回日本の三菱電機がそのような事情をものともせず、日本での携帯CM出演を依頼したことで、 一番喜んでいるのは金城本人だろう。というのも最新型の携帯が使えるからだ。 ポスター、テレビCMはすべて5月下旬からスタートする。 台湾の視聴者は見られないけれども、近日中に大手の各芸能ニュース番組で CMのメイキングが放送されるから、ファンはチャンスを逃さないように。
ところで金城武はどうして一重瞼から二重瞼になったのか? アシスタントが多くの人に代わって彼にたずねると、 彼はわざと彼女に艶かしい視線を送ってから、 ふうっとため息をついて口を開いた、「年のせいだよ」。 四小天王時代の武は、切れ長の目が非常に印象的だったが、疲れると二重になっていた。 武は、今や年をとり、二重が普通になってしまったんだと言う。
彼は最近機嫌が良い。映画「向左走、向右走」の公開が延期になり、 プロモーションをするはずだった期間が、思いがけず休暇に変わってしまったからだ。 (2002.5.23)
BBS
--------------------------------------------------- 新携帯CM・海外の報道2(鉄アレイ編)
もう1つは台湾りんご日報の記事です。
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三菱自動車はこれまでスターをCMに使ったことはなかったが、 昨年、金城武を自動車のCMに起用した。 三菱電機は、金城武が以前、エリクソンのCMに出演していたことを意に介さず、 携帯のCMをオファーした。 もしかすると、この2大メーカーが慣例を破る気になったのは、 彼の向かうところ敵なしの人気あればこそなのかもしれない。
スタントなしで 去年の11月、金城武は三菱自動車の1本目のCMで、 ワイヤーにぶらさがり、台湾中を車で走り回り、一貫してクールな姿を見せ、 CMは熱い反響を呼んだ。 この最初のCM「The Way I Am」の中で、金城武は自らジャンプをし、 逆さにぶら下がるなど高度のアクションを見せている。 聯旭広告業務の総監督・��博文はこう明かしている。 「もともとの構想は、彼がさかさにぶら下がり、 腹筋で身体を起こすというだけのものだったのですが、 ディレクターが、現場で効果が薄いと感じ、 アレイを持ってくれるようにと彼に頼んだんです。それも本物の鉄アレイですよ!」 このシーンだけで、午前中全部を使った。 「金城武は非常に仕事熱心で、疲れなど決して口にしないばかりか、 その、良いものを作りたいという気持ちは、ディレクター以上でさえありました」 と��は言う。
金城武へのCM出演依頼には莫大な費用がいる。 一説によると、この2本のCMの製作費は5000万台湾ドル、 そのうち彼のギャラが1300万台湾ドルであるという。 メイクやスタイリストは、彼の指定する日本人スタッフ、ポスター等の撮影も日本人カメラマン。 ただし、テレビCFの製作班はすべて台湾スタッフ。��博文は言っている。 「それに加え香港の専門家がアクション指導にあたり、ポスプロは香港で行いました。 金城武のこのCMシリーズに投入された人と資源は台湾、中国、香港、日本にまたがり、 これらはすべて彼の仕事上の活動圏であるということができます」
携帯電話のCM出演
そして2本目のCM「月光舞曲」シリーズだが、 今回は金城武の外面的な魅力だけに頼っていないのがはっきりわかる。 CM中、彼の「声の出演」(「台北を南下し、14号線に入る……」)が比較的多い。 ��博文によると、「"The Way I Am"は上海で撮影しました。 「月光舞曲」の金城武のシーンも去年、同時に撮影が済んでおり、 今年になってポスプロで合成した」のだそうだ。
このほか三菱電機が金城武に携帯電話のCMへの出演を依頼、 ポスター、テレビCFとも5月下旬に日本で公開される。 台湾の視聴者は見ることができないが、6月放送の芸能ニュースで楽しめよう。 (2002.5.23)
BBS
--------------------------------------------------- 新携帯CM・海外の報道3(ユーモアCM) - CMの内容がうかがえるコマ送り写真をよそ様で教えていただきましたが、 昨日の星報によると、
「CMは日本の丸の内の街頭でロケ、金城武はサラリーマンに扮し、 クールな表情で決めて、バシャバシャシャッターを切っている。 と、上司から電話が入り、とたんに顔付きががらりと変わって、 ペコペコお辞儀をしながら「ハイ、ハイ」と繰り返す―― というもので、再び、金城武独特のコメディータッチが展開される」
とあるので、これもお笑い系のようですね。 早く実物で確かめたいです。
BBS
| 2003年05月23日(金) |
ボツ(?)企画・ エドワード・ヤンとの仕事 |
一覧には洩れていましたが、同じ頃、台湾の監督、エドワード・ヤンとの仕事も 予定に上っていました。 プロデュースに朱延平が一枚かんでいます。 スターというものを使わず、自らの作品でチャン・チェンなどの新しいスターを 生み出してきたヤンが、初めて金城武というスターを使うということで、 彼は「新しい金城武をお見せできるだろう」と言ったそうです。 以下、1998年8月の民生報から。
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エドワード・ヤンと金城武は今回の話の前に、すでに2回接触をしている。 1回はヤンが香港で、友人のクリストファー・ドイルを 「初恋」の撮影現場に尋ねたときのこと。金城武はこの映画に主演していたたが、 このときはまだ一緒にというようなことではなかった。 2回目は、まさに仕事のため、2人は東京で会い、かなり話をし、お互いに理解を深めた。
ヤンは武を評して、新しい世代の俳優の中ではかなり安定してしっかりした演技をする、 すでに人気を得ているが、まだまだ伸びると語っている。
新しい金城武を発掘するため、ヤンは日本で武の最初の外国映画 「ニューヨーク・デイドリーム」と、放映中のドラマ「神様、もう少しだけ」を鑑賞。 「ニューヨーク〜」の武の演技は大変良く、英語のセリフも流暢だ、 ドラマの彼も同じくらい良いと、ヤンは言う。「金城武には非常に才能がある」。 そして新作でも、彼は武に素晴らしい役を与え、それは大変興味深い挑戦となるだろう。
ヤンと初めて仕事をする金城武は、実現を強く希望するだけでなく、 オファーの絶えない彼も、国際的な大監督ヤンと良い仕事をしたいと願っている。 これまでは、あまりの忙しさに、切れ切れのスケジュールしか組めなかったが、 今回はヤンとの新作のために、まるまる2ヵ月をとった。 武がヤンに非常に期待しているのは言うまでもない。 (1998.8.3)
この項、まだ続きます。
BBS
| 2003年05月22日(木) |
ボツ(?)企画・「グリーン・デスティニー」の場合●ジジ、「向左走、向右走」の出来に満足 |
ボツ企画のことをもう少し。 アン・リー(李安)の「グリーン・デスティニー」への出演話は かなり具体的なものだったらしいですね。 台湾の女性人気歌手ココ・リーとのコンビで考えられていたのだとか。 プロデューサーの徐立功が1998年3月に、金城武を考えており、 彼には無限の演技の才能があると言っています。
「グリーン・デスティニー」の盗賊、若いヒーロー、羅小虎の役です。 当時、金城武はわずか24歳で24作の映画に出演しており、ココ・リーは1歳年下。 以下、98年の新聞記事より。
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アン・リー監督は武術の心得があることを最も重視している。 金城武は「死角都市・香港」「暗黒街」でアクションシーンをこなし、 ことにサモハン・キンポーやコーリー・ユエンなどの優れた師に手ほどきを受けており、 名手とはいえないかもしれないが、クンフーの素地は十分にある。 彼は最近、映画「ニューヨークデイドリーム」出演でアメリカに進出し、 欧米の映画界での知名度も高まろうし、 日本での人気も上昇中で、徐立功は非常に満足している。
徐立功の話では、縦横国際映画会社はもともと金城武のための時代物映画を 一部製作するつもりでいた。 ところが、友人であり、金馬奨受賞者のラン・シャンが「不夜城」で金城武と共演し 非常に良い感触を得ていた。武侠小説ファンのラン・シャンは 「グリーン・デスティニー」の原作をよく知っていたので、 武を「グリーン〜」に強く推薦したのである。
徐立功は、ココ・リーに合う相手役の若い男性スターを 探すのに苦労していたところだったが、 考えてみれば、武は様々な点でこの役にぴったりだったのである。 フーロンのマネジャー、ヤウ・イージュンによると、 武は日本に滞在中、自分が「グリーン〜」の配役候補にあがっている噂を耳にしていたが、 アン・リーファンの彼は、大監督の新作に出られることに非常に興奮しているという。 (民生報 1998.3.18)
ボツ企画の話、次回に続きます。
BBS
--------------------------------------------------- ジジ、「向左走、向右走」の出来に満足 - いよいよ武がイメージキャラクターを務める携帯がお目見えですね。 私は今のところは携帯持たない人間なので、もっぱらCMを楽しみにしています。 武が動く、TVCMだけは外さず、キャッチしたいな。 今回は提供番組があり、スケジュールも明らかにされたので、わりに楽だとは思いますが。
ところで、「向左走、向右走」について、ジジのコメントが少し。 今日の星島日報と成報の内容を合わせて…… 期待は高まります。
***********
昨日ジジ・リョンはインタビューにこたえ、「向左走、向右走」について話しました。 「すてきな映画です。脚本がすばらしいし、映画としての全体のストーリーがとてもいい」 この映画にとても期待しているという彼女に、主演女優賞が狙えますかとたずねると、 「まだそういうことを言うのは早すぎます。 これは私自身非常に満足のいく作品で、 女優賞にノミネートされるかどうかは見た人が判断するでしょう」と答えました。 また、金城武とは数年、共演がなかったが、今回、彼はすっかり成熟して、 しかも以前と同様ハンサムだった、と語りました。
ジジは、本来なら今頃はこの作品のプロモーションで、 大陸、シンガポール、マレーシア各地を訪れる予定で、スケジュールをとっていました。 上映延期で暇ができてしまい、家で作曲をしているそうです。 上映予定については、ジジは、夏休み以降になるかもしれないという 言い方をしています。
BBS
| 2003年05月21日(水) |
美しい横顔 (One 2 Free) |
気持ちと材料はあるんだけど、仕事がヤバ過ぎて…… とりあえず、今回もヴィジュアルで。

いつも感嘆してる横顔のラインです。
BBS
| 2003年05月18日(日) |
心の耳を澄ます (turn left, turn right) |

みなさん、元気ですか?
(発売延期になっていた「鬼武者」中国語版は、 5月24日午後4時、台北と高雄で売り出し決定。 先着でメイキングDVD他、様々な特典がつくそうです。 SARS問題、日本にも及んできたとき、外国人差別、感染者差別が あからさまに起きそうで恐いですね。 自分達が試されているのだと思って、最善の対処の仕方をしたいものです。)
BBS
| 2003年05月17日(土) |
「向左走、向右走」のプロモーション(台湾)●きょうは雨 |
台湾のファンからのお知らせです。 新型肺炎の勢いはまだおさまらず、心配ですが、 開始された「向左走、向右走」のプロモーションが 一条の光のように、少し明るい気持ちにしてくれます。
現在、台湾では各セブンイレブンの店頭にこんなポスターが張られているとか。

博客来ネット書店のキャンペーン「誰かとめぐりあう」。こちら ポスターの文句は、 「良い本を買えば、誰かとめぐりあう、 雑誌を買えば誰かとめぐりあう、 CDを買えば誰かとめぐりあう」 このネット書店を通じて本などを購入すると、 「向左走〜」の試写会やポスター、ジミーグッズなどがあたるようです。 (自分が参加できるわけでないので、いいかげん読みです)
試写会の日どりは未定。早くすべてが落ち着いて、台湾でも日本でも、 沢山の人が、穏やかな心でこの映画を鑑賞できる日が来ますように。
BBS
--------------------------------------------------- きょうは雨 (turn left, turn right) - 
BBS
| 2003年05月15日(木) |
プラダの広告はいつ撮影されたか? |
プラダからフーロンに接触があり、 すぐ話が成立して、武は秋にイタリアへ飛ぶのですが、 そのときが、前準備として行っただけなのか、実際撮影されたのか・・・ これが、この項を書いたとき、はっきりしていませんでした。 髪の長さからいうと、「不夜城」撮了後の2月か3月ということになるのですが、 よくよく考えると、春夏キャンペーンのための作業としては遅すぎます。 このあたりの「謎」、ならびに、2月20日紹介の記事と重ならないエピソードを 伝える記事がありました。
金城武、プラダを着て全世界にお目見え(民生報 1998.1.14)
金城武は7桁(台湾元)を越える報酬で、イタリアのブランド、プラダの 最新CMキャラクターをつとめることになった。 プラダは1913年以来初めてアジア人スターを起用する。 今月から世界60言語の1000点近いファッション雑誌と、 ミラノ、パリ、ニューヨークなどのファッション都市の超大型看板に いっせいに金城武の広告が使われ、彼の人気は全世界で沸騰する。
プラダは過去にトム・クルーズ、ニコラス・ケイジ、ジョン・マルコビッチという 大スターを起用しているが、金城武はプラダが選んだイギリスのカメラマン、 グレン・ラッチフォードが担当する4番目の男性芸能人であり、初めてのアジアスターでもある。 金城武はいったい、どういうわけでプラダの注意を惹くことになったのか?
プラダの総裁ミウッチャ・プラダが、王家衛監督、金城武主演の映画「天使の涙」を見て、 武を98年のキャラクターに使いたいと考えたのだ。
(これについて、同じ日の聯合報にはこうあります。 <97年の秋に「天使の涙」がイタリアで上映されたとき、ミウッチャは ちょうど98年春夏の男性キャラクターモデルを誰にするか検討している最中だった。 モデルは「リラックスした中にどこか退廃的なムードを持っている」ことが条件だったが、 映画を見たミウッチャは、武を見るや、スクリーンを指差し、 「彼よ! 彼こそ私がほしいと思ってるモデルそのものだわ」と言った> とあります。このとき彼女は、武が日本・台湾で人気のスターであることを知らず、 「カネシロタケシ」という彼の日本名だけを頼りに、八方手を尽くし、 何度も国際電話をかけたあげく、武の事務所を探し出したということです)
そこで、ミラノのプラダのオフィスには、武の写真が張りめぐらされることになった。 ミウッチャは「タケシの持っているものは、私たちのスタイルにぴったりだ」と言う。
昨年9月のミラノのプラダ本部と金城武の事務所フーロンの接触後、すぐ、 グレンは香港に飛び、武と会って試し撮りをした。 11月初めには武は秘密裏にミラノとローマに渡り、試着と撮影を行った。
撮影場所はローマにある廃棄された工場で、内部は広くがらんとして暗い。 そこでライティングをして、1日に1シーン、1着の服、1つのポーズだけを撮っていった。 顔の表情まで、打ち合わせ通りにしなくてはならず、武はこう言っている。 「彼らの要求の厳しさは想像を絶していた。いつも僕はポーズを取るのが好きじゃないが、 彼らはポーズを変えるなと言った。7,8時間も同じポーズを取ると、 全身が麻痺してしまう。ほんとに姿勢を変えたかった」
実は、撮影開始前にこんなエピソードがあった。 プラダは武の髪が長すぎると思ったのだが、当時武は映画の撮影にかかっていて、 切るわけにいかなかった。そこでプラダも譲歩せざるを得ず、 最終的には髪をはさみこむような形で、CMに必要な効果を出すことができたのだった。
プラダのキャラクターになると、7けた台湾元の高額ギャラや、全世界に露出できるほか、 いろいろよいことがある。プラダは金城武に、以後、公の場に出席するときは すべてプラダの服を着ることを要求し、武のために服飾一式を空輸してきた。 ということは、プラダのキャラクターである間は、武は高い衣装代を節約できるうえ、 有名なプロに似合う服を見立ててもらうことができるという、 実に手間もお金も省けて、なおかつおしゃれでいられるというわけである。
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長くなりましたが、つまり、あのときは、「不夜城」クランクイン直前の 長い髪のままだったということです……ちょっと驚き。
BBS
| 2003年05月12日(月) |
初めてのファンのつどい(1992年、in 台湾) |
日本のテレビでミュージシャンデビューの映像が流れたのは 見落としてました。男優デビューはチェックしたんですけど。 おかげさまで今になってみせていただくことができましたが、 若い、きれい、初々しい……人気も出るわけですね〜〜〜 このファンのつどいがどういうものだったか、 当時の新聞記事をいくつかつなぎあわせて、ちょっとご紹介してみます。
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金城武の初めてのファンのつどい(歌友会)は1992年11月1日午後2時、 台北の幼獅文芸センターで行われた「金城武 A LI GA TO 歓楽会」。 当時所属していた寶麗金レコードの他、 テレビ局華視の「金曲竜虎榜」、民生報の共催で、テレビ中継もしたそうな。 600枚あまりの入場券は、あっというまに完売。 会場に入れないファンのために、テレビ中継車で中の様子を見られるように準備し、 彼女らのためのサイン入りブロマイドも多数用意しています。
武はこの会のために、北京語と、舞台でのパフォーマンスの練習にいそしみ、 初めての正式な舞台がファンを失望させることのないよう、努力を重ねました。
このとき、宣伝のために4種類の衣装で写真を撮ったのですが、 これがその1つ。ポーズはいろいろあります。

このカーレーサースタイルの他に、セーラー服、学生服、パイロットがありました。 (時間が今日はなくて1つだけですみません。 多分どこかで見ている方が多いと思います)
当日は手違いで開演が30分遅れたものの、 ファンはイライラするどころか、逆に期待感が高まる結果に。 いよいよ武が登場、場内のライトがいっせいに消え、「瀟灑的走開」が始まると、 歓声が上がり、武と声を合わせ、場内は熱狂に包まれました。 ファンへの、武の感謝の言葉に、 「武、大好き!」「武、かっこいい!」と叫び声が絶えず、 武が、話を聞いてよとわざと怒ってみせると、少女達はクールだと、熱はよけいに上がります。
この日、シンガーソングライターを目指す武は、 自らギターをとって未発表の自作を2曲披露、低い声がやわらかな旋律に乗って、 ファンはに新鮮な驚きを与えました。 ゲームコーナーでは武へのキスや、武の着た服、使ったカップなどの賞をめざし、 10歳の女の子から女生徒、OLまでが競ったそうです。 最後の曲は「夏天的代誌」。ファンは手を振り、唱和し、 歌が終わってもアンコールの声やまず、 武はもう1曲歌って、歌友会は成功のうちに幕をおろしました。 (民生報による)
BBS
| 2003年05月11日(日) |
中年のホークァン (我的藍月・戴立忍) |
「心動(君のいた永遠)」で、現実の浩君を演じたのは 台湾の戴立忍(ダイリーレン)。 (戴という苗字は、「スクール・デイズ」のタカの名前でしたね♪)
この中年浩君は、金城ファンの間では、どうも評判悪い。 何しろファンは金城映画と思って行ってるから、 終わりの方にせよ、見知らぬ俳優さんに変わってしまったというだけでショックでしょう。 しかも、特に空港での別れのときの浩君の描き方が、今ひとつ ナゾなところがあって・・・ というのは、中年小柔(=監督自身)に比べて、 浩君がいつまでも未練がありそうに見えるのと、 変わらぬ長髪のことをからかわれたり、 最後に結婚のことを言われて、ハッという感じで とっさにしたお辞儀が、我々日本人から見ると、 なにか場違いであるばかりか、卑屈な感じさえして、 ちょっと監督に比べて、みじめっぽい印象があるんです。 それが余計、印象を悪くしているのかも。
最後まで、武でやってほしかったという声も多々ありますが、 しかし、これについては小柔がシルビア・チャンになった以上、 相手も変わらざるを得ないし、 何より、武‐ジジはあくまでフィクションの中の人物なのだから、 ここに出てきてはおかしいわけです。
映画の中の現実がシルビア&戴立忍。 現実を基にしたフィクション(だから現実そのままではないはず)が武&ジジ。 これだけは、いかに武ファンでも押さえなければ、作品鑑賞はできません。
で、お辞儀ホークァンの悲しさに混乱しながらも、 私が気になっていたのは、フィクション中の浩君のキャスティングに あんなにこだわっていた(映画製作の前提条件が武出演。 実質主役は小柔だと思いますが、 映画そのものは、武の成長を待って製作開始されたものだし、 彼との話し合いで、脚本を書き直してまで出演を希望していた) シルビアが、現実のホークァン役をいい加減に選んだはずはないだろうということです。
雑念を払ってみれば、この人は、かなりハンサムだし、 ジジがシルビアになったくらい、あるいはそれ以上には、 武のその後役には納得できる感じです。
そして、その後、台湾の芸能ニュースを見ていると、 たびたびこの名前にぶつかるのに気が付き、 向こうでは、かなりの位置を占めている人なんだろうとわかりました。 シルビアの友人でもあるそうで、だから出演してもらったと 監督は言っていますが、それだけでは当然ないでしょう。
で、本題は、この戴立忍に魅せられて、応援している 日本のサイトをご紹介したいということなんです。 我的藍月・戴立忍 最近、台湾の新聞にとりあげられ、日本の女性ファンが、 中国語を勉強し、すばらしいファンサイトを作って応援している。 彼の業績を知りたかったら、ここに行くといい。 何本作品に出演したか、本人さえわからないのに、きちんと記録されている と、紹介しています。(リンクが貼れなかったので、概要だけ) そして、彼女からプレゼントされたライター (「天空の城ラピュタ」に出てくるロボットの絵付き)を 手に笑顔の戴立忍の写真↓も掲載。
この記事で知って、私もお邪魔しましたが、 こういう人だったのかと、とても興味深かったです。 中でも、「心動」についてのページで、 小柔を思って、空の写真を撮る浩君のモノクロ写真に添えられた、 家主のsienさんの言葉が、何より素敵! (他の出演映画にも同じように写真と言葉が添えられて、 映画は知らないなりに、詩のようにいい感じなのですが、 「心動」は映画を知っているから、なお感動します) 映画紹介のページは、「Playground」に行って、 海の絵のボタンから入ります(裏サイトになっている)。
以上は、sienさんのご了解を得て、ご紹介しています。 お辞儀(映画の解釈にもつながるのでこだわってますが)の 意味(見たまんま受け取ればいいのか、 外国人だから、ああいう表現に�爐覆辰討靴泙辰伸瓩里�)について、 いつかsienさんの解釈も聞かせていただけることも希望しつつ……(*)

聯合新聞網より
(*)ここのBBSに、すぐ書いてくださいました。ありがとうございます。^^
BBS
| 2003年05月09日(金) |
「向左走、向右走」公開延期 (大成影劇報) |
10月に延期というのは、これですね。 6日付けのニュースらしいのですが、気が付きませんでした。 3段落目、ジジが日本に来るのは問題ないはずで、 実際、ポスター撮りをしたと、昨日の香港各紙で報じられていました。
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新型肺炎(SARS)の新たな犠牲者が現れた。金城武とジジ・リョン! だ。. ご心配なく、彼等は感染していない。 が、2人が共演した今年のロマン大作「向左走、向右走」が、 本来夏期休暇中の第一陣として華々しく公開の予定だったのが、 現在、ポストプロダクションとプロモーションがストップせざるを得なくなり、 従って上映も10月に延期されることになったのだから、間接的被害者ということになる。
今回のSARS流行は映画館の客足に影響しただけでなく、 ジョニー・トー監督の「向左走、向右走」はスケジュールを乱され、 ポスプロは停止状態に陥ってしまった。 例えば、金城武とジジ・リョンの共演部分は早くに撮影修了していたものの、 撮影は広東語の同時録音だったから、ジジはもう1度台湾におもむいて 北京語でのアフレコをする必要があった。 問題は、現在香港と台湾が感染地区となったことだ。 ジジが台湾に行けば、10日間の隔離は免れない。 香港での仕事が目白押しのジジ・リョンに、アフレコを終えて帰ってきて 都合20日も隔離されるのを頼むなどということができようか?
金城武のほうはまだ運がよかった。 彼の活動範囲はもともと台北と日本だ。 早々とアフレコを済ませて、日本に戻ったあとすぐ、SARS情勢が急激に悪化した。 台北の様子が非常に気にかかるものの、感染を避けて日本でじっとしているしかない。 ただ、金城武の今回日本に戻ったのは、 もともとジジとの映画の宣伝写真の撮影の準備のためだったのだが、 結果的にアフレコも、2人一緒の写真撮影さえできなかったことになる。
ひとところに集まれないのは、武とジジだけではない。 主題歌の1つを歌うスター歌手、孫燕姿も、 中程度感染地区であるシンガポールにいるため、 台湾に来て録音を終わらせることができないでいる。 さらに、監督は、特殊効果にかかわるポスプロを台湾で行い、 武とジジのロマンチックなシーンとジミーの絵本を融合させる 作業を行なうつもりでいたのだが、 スタッフは現在全員香港で身動きがとれず、ポスプロを完成することができない。 映画はゴールデンシーズンを諦めて、10月公開に変えざるを得なくなったのである。
「向左走、向右走」は、アジア同時上映の予定で、 武とジジは公開時期にあわせ、台湾、香港、大陸の各地を回る。 そのときにはSARSが2人を分かつことのないよう望みたい。 (2003.5.6)
BBS
| 2003年05月07日(水) |
新型肺炎の影響と映画 |
香港では新たな発症者の数が次第に少なくなり、 沈静化してきたようです。 それとともに、映画館への入場者も少しずつ回復しつつあるとか。(明報) 「向左走、向右走」の公開日については、 ネットではまちまちで、6月5日というのもありますが、 これはないのでは? 6月27日とあるのが何によるのかはわかりませんし、 また、「未定」としてあるのもあります。
一方台湾では、死者がまだ増えている状況で、 映画館は防疫対策につとめていますが、観客数は減る一方で、 興行成績は4割から5割減。 ワーナー秀影城では館内を消毒し、入場者は各出入り口で検温し、 マスクを配るなどしており、業績は落ちるのにコストは増えるという 苦しい状況にあります。 5月末に公開予定だった「戦場のピアニスト」は延期決定、 状況によってはジュリア・ロバーツの新作や 「向左走、向右走」などの5〜6月予定の作品も、 延期の可能性があると、台湾のニュースは伝えています。(民生報)
(なお、香港衛生局や香港大学他の合同調査によると、 香港の新型肺炎患者の平均年齢は50歳、 死亡率は60歳以下が7〜13%なのに対して、 60歳以上では43から55%にもなるそうです)
ところで今日発売の「CREA」では、さすがワーナー、 日本は秋公開予定となっていましたね。 日本では新型肺炎はまだ見つかっていないので、 このまま行けば延期の必要はないはず。 香港、台湾が延期されたとして、できるだけ近い時期に 一緒に公開されればうれしいのですけれど。
「CREA」の記事については、この時期に数ページ組める内容が 用意できるはずはなく、予想通りで、でもうれしい。 新しいスチール1点と、日本語での回答内容、その他、 香港・台湾の報道とは最小限におさえた内容面のだぶりが、 独自性を出すべく工夫したあとをうかがわせます。
BBS
| 2003年05月06日(火) |
ボツ(?)企画リスト・その2 |
2001年 ●「三少爺的剣」 ツイ・ハーク準備中の映画。竹野内豊が予定されていたが、中国奥地での撮影と、 長期間日本を離れることを嫌って辞退したため、金城武を考慮中と。 (東方日報 6.19) この映画はレスリー・チャンが主演と言われていましたが、 その後、二転三転して、まだ決まっていないようです。
●「脱軌的女人」 スタンリー・クワン監督、コン・リーと金城武で準備。 金のために金持ちの老人に嫁いだ女が、すごく性的魅力のある男とであい、 夫を殺して駆け落ちしようとする。だが、男にはもう1人の女との関係があり、 それは女の義理の娘だった。 監督は、コン・リーと武は年齢からいっても、外見からいっても非常によい組み合わせで、 2人の共演は「爆発力」に満ちていると言う。 コン・リーは興味を示し、金城武は日本での仕事のスケジュールを見なければならないと。 (新浪娯楽01.8.2)
●サミー・チェンと サミーが来日時に記者会見で、ジョニー・トー監督で金城武と02年に共演予定と話す。 (深圳商報01・9.28)
●「脱軌」 日本の小説「脱軌的女人」の映画化。スタンリー・クワン監督。 ミシェール・リー、サミー・チェン共演。1人の男をめぐる2人の女の愛欲の話。 男は既婚の女性をひっかけるプロ。2002年2月撮影開始。 少し前にコン・リー主演で伝えられたのと同じもののようです。 日本の小説といいますが、詳細がわかりません。 11月12日の大成報では金城武がトニー・レオンが候補とありますが、 翌日の太陽報ではトニーの名は見えません。 ●「英雄」 撮影中のチャン・イーモウ監督作品に出演か? と伝えられる。 (東方日報01.11.25)
●「Swordsman」 ワーナーと寰宇電影公司の合作。林超賢監督。日本の武士が大陸を放浪する物語。 2002年後半クランクイン。主演に金城武を希望している。(東方日報01.11.27) 翌日の星報は、武が最有力候補として交渉中と。 これは、撮影中の例の映画?
2002年 ●テレビドラマ「世紀末の鐘」 黄健中、佐藤純弥が共同監督で、黄の同名小説をドラマ化。 題材も俳優も国際的。陳道明主演、金城武共演。日中の女優陣。 ストーリーは「緊張激烈」とある。5月日本で撮影開始。 (新華網02.2.17)
●「空港」 香港の英皇が柴門ふみの脚本で国際合作映画を企画。 柴門ふみは唯一、「主演は必ず金城武であること」の条件で快諾。 空港を舞台にした物語で、東京、ソウル、上海、香港の4つの空港を舞台に、 若者の慌しく、孤独で愛に飢えた心を描く。 武側は驚いたが光栄と答え、とにかく早く脚本を見たい、それから話し合いたいと。 (民生報02.4.3)
●「白秋」 伊集院静の小説「殺手蘭丸」(原題わからず)の映画化を日中合作で。 日本で生まれ育った華僑の子蘭丸は生きていくためにやくざの世界に入り、 能力により重用されるようになるが、その世界に嫌気が差し、抜けようとする。 追っ手を逃れて亡命の旅に出る。夢の祖国中国に渡り、愛を知るが・・・ 武を主役の最有力候補として交渉中。特に日本側は武の出演を強く希望している。 (新華網02.7.30)
このほか、過去には、 ●ルビー・リンとスコットランドロケ なんてのもありましたし、 ●「グリーン・デステニー」 の候補になっていたことも、実際あったようです。今は、 ●ひょっとしたらハリウッドの「鬼武者」に出る可能性もあるとか、また ●「キャプテン・ハーロック」実写版 は、フランスなどで、実際に名前が挙がっているようですから、 まだまだ話題を提供し続けるでしょう。 (おしまい)
BBS
| 2003年05月05日(月) |
ボツ(?)企画リスト・その1 |
記事の翻訳もちょっと疲れましたので(読むほうもだと思いますが)、 ちょっとお遊び。 これまで、武が出演と噂に上りながら、いまだ実現していない作品を調べてみました。 まったくのガセもあるし、可能性のあるものもあるし、といった いいかげんなリストですが、実現していたらどうだったろうと 想像してみるのもわるくないかも。 すべて伝聞としてお読み下さい。 いろいろな媒体で報じられていますが、出所としては1ヶ所だけ選んで記載しました。
1998年 ●チャイニーズ・ゴースト・ストーリー (レスリー・チャン、ジョイ・ウォン主演で知られる作品を、 年代公司が監督・王晶で来年リメイクを計画、 主役には、それぞれ武と深田恭子が候補に上がっていると。 記者の質問に王晶は、「計画はある。金城武も当然候補だが、 最近彼は日本での仕事が主になっているので難しいかもしれない。 他にアンディ・ラウ、レオン・ライなども考えている」と。 (りんご日報98.12.27)
●中山美穂と東宝で映画 レオ・グーが日本映画で日本の有名女優と共演すると話したので、 東宝にたずねると、中山美穂にオファーしており、相手役に金城武を交渉中と。 レオ・グーは二番手の男優として殺し屋役。撮影は香港で行われる。 これに対し武マネジャーは、オファーはたくさんきている、 まだ決まっていないので明らかにできないと。 (りんご日報98.1.4)
1999年 ●マギー・チャン共演、ジェイコブ・チャン監督で香港のラブストーリーに 早ければ99年末クランクイン(製作は飛図)。マギー、武双方とも興味を示していると。 香港の武のマネジャー「話はまだ初めの段階で、武はまだ脚本を見ていない。 武は監督を高く評価しているけれど、脚本を見てから決めることになるだろう」 (りんご日報99.4.24)
●年末クランクイン「今夜星光燦爛」 ジェイコブ・チャン監督。製作会社、飛図娯楽電影公司の担当者は、 「チャン監督の映画を撮るのは確か。監督もマギーと武を使いたいと思っているが、 まだ何も決まっていない」。 武側マネジャーは、話は聞いており、武も監督をいいと思っているので、 もし脚本が気に入れば、可能性は大きいと。(東方日報99.6.25) 4月の�爛薀屮好函璽蝓辞瓩両楮戮�このニュースでしょうか。
●メイベル・チャン監督、スーチーと武で三国時代を背景にラブストーリーを 監督は「ずっと武を気に入っているが、日本で人気が出て、前より依頼が難しくなった。 彼のために脚本を書いて、いつか映画を撮りたい」と。(東方日報99.7.12)
●台湾のテレビ連続ドラマ「楚留香」 かつて鄭少秋が主演し、一世を風靡したテレビドラマのリメイク。 金城武、ニコラス・チェ、スティーブン・フォンが主役候補。(星報99.12.18) (後にリッチー・レンが王晶の製作で2001年に主演します。 2001.7.20の天府早報は、鄭少秋本人に、 もしあなたが「楚留香」を製作するとしたら、誰を主役にするかと聞いています。 熟考のあげくの鄭少秋の答えは「金城武。それ以外ならやらない」)
2000年 ●「鄭成功」 台湾・中影公司が米、日と合作で。 在台オランダ提督役にショーン・コネリーを希望しているが、とにかくギャラが高いのが難点。 (太陽報00.1.13) 同じ頃、中国大陸でも鄭成功映画を企画。 チョウ・マンタク主演で、こちらは日本でも公開されましたが(池袋シネ・リーブルですね)、 台湾版のほうは、この後、ジョン・ローンも鄭成功役を熱望しているとの話があったりして、 現在に至るまで製作は実現していません。
●「The Twins」 アメリカで休養中の武、香港に戻り、ニコラス・ツェー、ダニエル・ウーら、 同世代の若手スターと共演か。英皇集団がオファー。 武はまだ承諾していないが、休暇後、香港で映画を撮るのは確か。 (星報00.5.16) これはガセだったようです。休暇後の香港映画が、「ラベンダー」になりました。
(続く)
BBS
| 2003年05月04日(日) |
金城武のすべてを探る(下)(聯合報) |
芸能界入りの理由は「バイク」
金城武は1973年、台北で生まれた。 父親は台湾でウナギの養殖を始めた事業家で、母親は台湾人、兄がいる。 武は小さい頃から整った容貌で、 日本のお笑いスター、志村けんのコメディが大好きだったが、 スターになりたいなどとは思ったこともなかった。 バスケットボール、バレーボールなどスポーツが得意で、 スポーツマンになろうと考えたこともある。 が、15歳のとき、同級生と軽い気持ちでCMのアルバイトをしたことが、 一生を変えることになった。
金城武のクラスメイトの母親が広告会社に勤めていて、 少年達を清涼飲料水のCMに出演させたのである。 思いがけず、このCMがフーロンの社長葛福鴻の目に留まることになった。 葛福鴻は一目で武が気に入り、契約するよう何度も説得したが、 武は芸能界がどんなものか、全然しらなかったし、興味も無かった。 彼女は武にこう言った。 「バイクを買いたいんじゃないの? 芸能界で�爛▲襯丱ぅ鉢瓩垢譴弌△垢闇磴┐襪茲Δ砲覆襪錣茵� その結果、バイクを買いたいがために、金城武はようやく契約を承知したのだった。
事務所のアレンジメントのもと、武はCDを出し、演技をし、 その後香港に進出して王家衛監督の映画「恋する惑星」に出演する。 日本でこの映画が上映されることになり、宣伝のための記者会見が終わった後、 金城武と会社の仲間は街でラーメンを立ち食いした。 食べ終わってすっかりリラックスした武は、 今、通りに大の字になってゆっくり寝たいなあと言いだした。 仲間は、彼がまだ余り人に知られていないのを幸い、急いで寝そべらしてやった。 人気が出てしまったらもうできないからと言って。 まさかそれが本当になるとは。 金城武はまもなく日本でブレイクし、 1人で新宿駅に行くこともできないような状態になった。
武は日本映画「リターナー」を撮り終わり、 目下、ドラマ「ゴールデンボウル」の撮影中だ。 「日本で最も美しいオバサン(中年女性)」である黒木瞳と、 年上の女性との恋を演じる。 このドラマは、木村拓哉の「空から降る一億の星」と同時期の放映となるが、 武は「子どものころからボウリングは好き。 今、趣味と仕事を兼ねられることになったのだから、 もちろん全力でやります。他の人との比較はあまり考えません」と語る。
初めはバイクが欲しくて芸能界に入った武だが、 今の彼はとっくに百台でも千台でもバイクを買うことができる。 だからといって引退するつもりはない。 今はたくさんよい映画に出たいということのほかに、 監督になることが、彼が30歳前後に一番実現したい願いの1つなのだ。
BBS
| 2003年05月03日(土) |
金城武のすべてを探る(上)(聯合報) |
台湾の新聞の娯楽欄では、たまに1ページ全部使って あるスターの特集にあてることがありますが、 これは昨年、日本でゴールデンボウルが始まった頃に組まれた記事。 ドラマと映画「Returner」の紹介もしています。 そのときの本文を、長いので2回に分けて載せます。
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金城武を見た人は、みな、「なんてかっこいいんだろう!」と驚いて声をあげる。 実はただ、かっこいいだけではないのだ。 彼の忍耐力、人への気持ち、奥に秘めたもの、 すべてが深く探索する価値がある。
試練に耐え 金城武が芸能界に入ったばかりのとき、厳しいことで有名な監督、 林福地の「草地状元」に出演し、NGを30回以上も出した。 そのたびに怒鳴られ、怒鳴られるのが終わるとまた演じ、 よくなければまた怒鳴られ、これが監督の気に入るまで続いた。 当時武はわずか17歳。 しかし、泣きもせず、事務所であるフーロンのスタッフにこぼすこともなかった。 彼は自分が生まれ付いての演技者ではないことを身をもって知った。 だが、学ぶ機会さえ得られれば、彼は間違いなく、どんどん進歩していくだろう。
飢えに耐え デビューしたてのころの武は、いつも監督に叱られてばかりいたが、 うらみごとは一切口にしなかった。 スタッフは彼をいじめやすいと思い、50元の弁当代を渡して、 みんなにコーラをおごってくれと、わざと言った。 武はにっこりして大丈夫です、と言い、そのお昼代を犠牲にした。 空腹でお腹を鳴らせながら、しかし精神力はこうしてますます強くなっていった。
寂しさに耐える 金城武は仕事以外の時間は、コンピューター、ゲーム、デジタルビデオに費やされる。 彼はコンピューターの前に1度すわると 10数時間もぶっつづけで、ゲームの中で勇ましく戦う刺激を楽しむ。 自分でもゲームを作り、CGでマンガを描き、ビデオで実験映画を撮り、 コンピューターで編集して完成させる。 これらのお気に入りのおもちゃがあれば、武は女の子がいなくてもかまわないし、 友達づきあいも、なくても何とかなる。 孤独に耐える能力はスーパークラスだ。
愛があり 武は典型的な、「外はクールで中は熱い」男で、 口数は少ないが、あらゆるところで気配りをする。 フーロンのスタッフが病気になると、武は友人に電話をかけ、 医者をそのスタッフの家に連れて行ってみてもらうよう頼む。 金城武とフーロンとのつきあいは長く、 フーロンの人間を家族のように思い、大事にしている。
気さくで 武は台湾に帰るといつもフーロンに顔を出す。 国際スターだから豪華なレストランでごちそうを食べたいなどとは言わず、 スタッフにルーロー飯を買ってきてくれるよう頼むのだ。 そして缶コーヒーを配って一緒においしご飯を楽しむ。 お高くとまったり、見栄を張ったりすることはなく、非常に気さくで親密だ。
おだやか 金城武のような、気取らず、おだやかでやさしい新タイプの男性が、 なんと今は恋人がいない。 好きになった人はたくさんいると正直に認めるが、 普通の人と同じように自由に付き合うわけに行かないから、 仕事に集中するしかないと、武は冗談めかしてこう言う。 「デートはすごくしたいよ、でも今はクラス会にようやく出られるぐらいかな」 彼はまた相手の条件として大事なのは「女性」であること、と言ったが、 それは以前、ある仕事で責任者の男性につきまとわれたことがあったからで、 同性間の愛情はぼくはもともとだめ、ということだ。 (2002.4.21)
BBS
| 2003年05月02日(金) |
鬼武者中国語版発売延期(星報) |
4月末発売予定でしたが、最終チェックでバグが発見されたため、 修正のため、延期になりました。 早くても5月中に出せるかどうかだということです。
このニュースには、発売元では、宣伝のため、 金城武の来台を事務所に打診していたそうですが、 武の「影藝工作」がほんとに忙しくて、時間を捻出できない…… とあります。 仕事しているようですね。 (2003.5.2)
BBS
| 2003年05月01日(木) |
宋姐(ソンジエ)の生徒 ●男之魅惑(i-weekly) |
宋姐(ソンジエ)の生徒
台湾に、放送業界では知らぬ人のない、宋姐と親しみを込めて呼ばれる女性がいます。 番組の司会や映画のナレーション等々で30年余りにわたって活躍し、 非常に人をひきつける声の持ち主でした。 以下、2001年の新聞記事から。
「彼女は結婚後、アメリカに移住し、放送関係とはほとんど接触がありませんでした。 が、2000年になって、年代の社長、葛福鴻の依頼で帰国し、 発音技術を教えることになりました。 例えば、TVBS−Nのアナウンサー陳雅林、周守訓、年代の黄凱聖、何戎、 芸能人の金城武、李康宜などは、みな彼女の生徒です。 宋姐の授業は週1回のみ、教材もそこらの新聞や雑誌、脚本などを用いるだけですが、 彼女は、発音の矯正は言語学習と同じで、 発音技術の伝授は1つのコツの伝授にすぎず、 その後の自分自身の練習が大事なのだと強調します。
この1年あまり、宋姐は無数の放送界の有名人を指導してきましたが、 なかで一番深く印象に残っているのが、大スターの金城武です。 宋姐が言うには、金城武は1回しか授業を受けなかったけれども、 それでも一番優秀な生徒でした。 長年の習慣になっている発音をその場で直すのは、大変難しいことです。 ところが金城武は授業中、発音のあやまりをただされると、 目を閉じ、静かに精神を集中して練習をし、 そして速やかにコツをつかんでしまうというのです。
宋姐は、このような、すぐれた天賦の才能を持ちながら、 かつ進んで努力をし、自らを磨く生徒は、1度授業を受けさえすれば、 その精髄をすべて把握することができるものだと言います。 彼女は、若い人にはこの話をし、何をするにも金城武の精神を学ぶべし、と 訓戒を垂れるのだということです」 (2001.7.8 大成報)
男之魅惑(i-weekly)
あちらのサイトで紹介されていたのですが、 シンガポールの雑誌「i-weekly」に「男之魅惑」なる記事がありまして、 �猯�に落ちずにいられない�畫播┐蔽棒�5人の魅力を述べております。 5人とは、金城武、F4の言承旭、トニー・レオン、張東健、 そして王力宏。もちろん、初めの1人の分だけをご紹介します。
takeshi kaneshiro 金城武
その優雅さは生まれついてのもの。 容貌だけでも人の目をたやすく惹いてしまう。 はっきりした濃い眉、美しい目、まっすぐな鼻すじ、薄い唇、 完璧な美しさはさながら博物館のギリシア彫刻のようだ。 活動範囲は台湾、香港から日本にまで広がるが、 スターのきらびやかさには少しも心を動かされない。 あいかわらず、他の者が名利を求めて争う中には加わろうとせず、 あいかわらず、家の中でひっそりとコンピュータ・ゲームをして満足し、 あいかわらず物事にこだわらず、気の向くまま、むとんちゃくであり、 あいかわらずがつがつせず、隠し立てのないさっぱりした態度で、 少年の心をうしなわない。 名を遂げる前も遂げたあとも、まったく同じ。 人は、このように徹底して自己に忠実に生きられる者が 存在しうるとは信じられないから、 彼を神秘的で測りがたいと感じ、ますますそばに近づいてみたいと渇望する。 本人が気にしないから、かえってりっぱに見える。 それらが、次第に、ある種の、俗世の高みに立つ超然とした様子となっているのだ。 (2002.11.6)
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