武ニュースDiary


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2003年04月29日(火) RE:衛斯理伝奇 ●「英雄2」についてもう少し(新華網)

RE:衛斯理伝奇

今頃ですが――
ここで出演する、と書かれていた映画「衛斯理伝奇」は、
上海生まれで香港のSF作家、倪匡の小説の映画化のようです。
衛斯理を主人公としてたくさんの物語があります。
向こうでは有名な人らしい。
倪匡で検索しても衛斯理で検索しても、いっぱい出てきます。

金城武が出る予定(?)とあったのは、どの映画かわかりませんが、
この名の映画は1987年に公開されてます。
年が全然合わないけど。
同じシリーズからは、チョウ・ユンファが86年に1本とってるし(邦題「セブンス・カース」)、
アンディ・ラウ主演の話が2002年にありました。(「藍血人」Happy Time)
テレビドラマでも、98年にニッキー・ウーがこのシリーズをやっています。
タイトルは「冒険王」!

で、冒険王といえば、リー・リンチェーと共演の映画(1996)、
主人公のDr.Wai(ワイ博士)は「衛博士」なんですよね・・・
なんだかよくわからなくなってきたので、この辺で・・・


「英雄2」についてもう少し(新華網)

新型肺炎で金曲奨の式典も延期だし、
1人死者が出たとはいえ、今のところ、何とか食い止めている台湾でも、
映画館の入場者数はガタ落ちだそうで、
このままで行くと、「向左走〜」も公開が延期されるかもしれませんね。
まさに、静かに見守っていくしかないと思います。

さて、「英雄2」。大陸ではその後も相変わらずニュースが出ています。

「英雄2」、まだある、3つのミステリー

映画「英雄」によって国内で話題の中心となったばかりのチャン・イーモウが、
続編を製作する。
あるニュースは「チャンイーモウの次の武侠映画のタイトルは<英雄2>。
金城武とチャンズーイーの出演で、
著名な劇作家、邹静之が脚本の練り直しを担当する」と伝えている。

「英雄」とチャン・イーモウ次回作のプロデューサー張偉平は、この噂を否定。
新作は武侠映画で、今年初めに、すでに四川でロケハンを行っていると明かした。
この作品もまた、秦漢時代の武侠物語を題材とするが、
決して「英雄」の物語の続きではなく、タイトルも「英雄2」ではありえない。
脚本がまだ最終的完成を見ていないので、キャスティングもまだあれこれいう段階にない。
チャン・ズーイーと金城武の2人の�犲臾鬮瓩砲弔い討蓮�張偉平は肯定も否定もしなかった。
彼はまた、この作品は脚本にかなり力を入れるが、
脚本家の選考はまだ最終的に決まっていないとも語った。

ミステリーその1:それは「英雄」の続編なのか?

たとえ張偉平の否定がなくとも、答えは「続編ではありえない」である。
まず、映画がシリーズ物たりうるには、2つの大きな条件がある。
1つは、パターン化しうるストーリーラインを持っていること、
2つには、個性のはっきりした登場人物があることだ。
これまでシリーズ物として最も成功したといえる「007」「ダイ・ハード」
「インディ・ジョーンズ」「寅次郎」が、その典型例であるが、
「英雄」のストーリーには、こうというタイプが全然なく、
ずっと活躍できるような作中人物も皆無、
第一、みんな話の最後で死んでしまうのだから、どうにもならない。
続編でない以上、「英雄2」のタイトルは話にならない。

ミステリーその2:映画の主演は誰か?

チャン監督の次の武侠映画の主演者については、
ネット上ではチャン・ズーイーの�犖討喟辞瓩�最も高い。
しかし、チャン・ズーイーのマネージャー、章子南はインタビューにこう語っている。
「チャン・ズーイーには10編近くのオファーが来ています。
その中には2本の韓国映画も含まれます。
今は<茉莉花開>の撮影中で、その最中に次の映画のことを考えることはできません。
それに、今年は映画の予定はもういっぱいで、
5月に<茉莉花開>がアップすると、次は王家衛の「2046」が控えています。
この映画は撮影がゆっくりなので、完成は年末になるでしょうから、
今年はもう他の映画に出るのは無理です」
つまり、チャン・ズーイー再登板の可能性は低いということだ。

金城武に関しては、チャン・ズーイーよりは可能性がある。
彼はチャン・イーモウとは仕事をしたことがない。
それなのに彼が主役だという噂が流れるというのは、
「火のないところに煙は立たない」というふうにも考えられるからだ。
そのほか、チャン監督は「英雄」で仕事をした者たち――俳優をはじめ、
カメラ、美術、音楽などのスタッフを次回作でも重用するだろう。

ミステリーその3:ロケ地はどこか?

チャン・イーモウはすでに四川に赴いて、ロケを行うことを決めているが、こんな話もある。
ウクライナが関係する話にして、ロケの主要部分をウクライナで行うというものだ。
ウクライナのマスコミによると、チャン監督は17日、北京でウクライナ大使レズニックを訪ね、
今年の9月にウクライナで新作のロケをするので、
ビザなど、必要な手続き面で大使館の協力がほしいと希望を伝えたという。
さらに、
昨年秋、チャン監督の新作撮影クルーはウクライナでロケハンを行い、
ウクライナの秋の美しい自然と、現地の映画関係者のレベルの高さに非常に引きつけられた。
チャン監督は最終的に、ウクライナの観光名所イヴァン・フランキスク州の
カルパチア山地を新作のロケ地に選定、新作の70%のロケをここで行うことにした。
撮影班はすでに前準備を終え、ロケ場所にはたくさんの花が植えられた――という。
(2003.4.23)


BBS


2003年04月26日(土) 香港進出――初めてのリサイタル(1993)

古い記事を読んで面白いのは、思いがけない人たちの名前が出てくることです。
様々な人との接触があり、
それが後に、何らかの形に結びついてくるのがうかがえます。
私たちが感じる以上に中華圏の芸能人なのですね。

4月22日の項の、香港での初めての小コンサートがいよいよ開かれました。
さて、その結果は――?

金城武の魅力はアンディ、レオンにひけをとらず

金城武は昨日、香港の大専会堂で、ミニコンサートを行った。
ちょうどこの日、香港無線テレビ局主催のコンサートも行われ、
アンデイ・ラウ、レオン・ライらが出演。
だが、香港の2大天王の共演にぶつかりながらも、
金城武のコンサートは満員の盛況であった。

彼は台湾の歌手として香港に出撃し攻略、
さらに、台湾語の持ち歌「夏天的代誌」を歌い、
香港のファンも熱狂して、武のあとにつきながら、台湾語で歌った。

           *

金城武はジミー・リン、ニッキー・ウーに続き、
香港進出のアイドル歌手としては3人目になる。
国籍は日本だが、北京語と台湾語によって香港ファンの心をつかんだ。
12日、彼は香港の大専会堂で初めてのミニリサイタルを行なったが、
連日、プロモーションがびっしりで、リハーサルの時間があまりとれなかった上、
同じ12日に、無線テレビ局によるアンディ・ラウ、レオン・ライらを擁しての
コンサートがあることも、プレッシャーになっていた。

開演前、アンディ・ラウが大きなバラの花かごを武の成功を祝して送ってよこした。
アンディはまた、武に電話をかけてきて、あまり緊張しないように、
支持してくれる人たちを失望させないようにと、アドバイスを与えた。
アンディの時を得た励ましは、武の大きな助けとなり、
舞台は満場のファンの喝采を浴びた。
武はその言語能力を活用し、北京語のほか、
台湾語、広東語、日本語、英語の歌を披露したが、
彼が1曲歌うたび、香港のファンは声を合わせて一緒に歌い、会場は熱気に包まれた。

この香港での初めてのミニコンサートに、
金城武は特別にL.A.BOYSにゲスト出演を依頼したが、
L.A.BOYSの激しい歌と踊りは、観客を圧倒した。
金城武もコンサート中、かれらからステップを習う一幕もあり、
武は、今年後半は、歌の勉強のほかに、ダンスもまじめに勉強するつもりであり、
次のアルバムにはダンス曲も加えてみたいと語った。
コンサート中、武はすべて口パクなしでやりとげ、
アイドル歌手も生歌で歌いきる実力のあることを示した。
マネジャーの葛福鴻は、この日の出来に大変満足、
その夜行われた祝賀会には、コン・リーも特別に出席し、金城武の成功を祝った。


BBS


2003年04月25日(金) 「ラベンダー」を使ったMTV(韓国)

22日の続きを書いていましたが、今夜は眠すぎ!……で、
以前、保存したと思っていたのにどこか行ってしまっていた、
「ラベンダー」のMTVのアドレスが、韓国の人の書き込みでわかったので、
初めての人のために張って、もう寝ます。
韓国で「ラベンダー」が公開された頃、
韓国の歌手・俳優、イム・チャンジョンが自分の歌「結婚してくれ」(デュエット)の
MTVの映像を「ラベンダー」の各シーンで構成したものです。
けっこうハマってしまっているのが面白い――

こちら。真っ白になったら、エンコードを韓国語に。

あ、違う話ですけど、「台湾りんご日報」が5月2日、創刊されるそうですね。


BBS


2003年04月24日(木) 無照青春

ファーストアルバム中の台湾語の歌です。
武が気に入っていると言っていたもの。
日本の現代のポップスの歌詞と同じように、
厳密な意味はわかりません(あちらの人にも)。
ROXYというのは、台北の、パブのような店(の名前)のことじゃないかと思います。

無免許の青春  陳昇

平凡な庶民の暮らしも 長くやってりゃサビが出る
やりくりに四苦八苦してる お前の話を聴いてやろう
勇気があれば泣き言いわず 一緒に向かい風に立ち向かおう
ポケットが空っぽだって それもまたサッパリ、いいじゃないか

電信柱の数なら、俺に聞いとくれ
おまわりがなんでいないかって ここが安全だからさ
オートバイがガス欠なら 歩くのもいい
車の免許証がなければ 身分証でOK

忠孝東路にくりだして 楽しくやろう
働かないでブラブラしてる奴らは 墓穴に放り込め
不真面目な奴とはつきあうな
金を貸して返ってこなかったら、いったいどうするさ?

ROXY 1、2、3、4、5 少しは知ってる奴がいる
台北の神話 美人がたくさんいるなんてほんとうか?
オートバイがガス欠なら 歩くのもいい
車の免許証がなければ 身分証でOK


BBS


2003年04月23日(水) ギャランサイト、再び更新

ギャランのサイトが更新されたとお知らせいただきました。、
テレビ放映版のCMが、下の「金城武最新電視広告欣賞」から見られます。
ダウンロードもできるけど、画質が少し落ちますね。

先日のCF図書館のものとは、少し違っていて、
画面も音楽の入り方も違う気がするけれど、確かめていません。
セリフが増えています。(青の部分)

 我従台北南下、走14號公路、進入中央山脈
 她的黒色GALANT、従高雄走東部海岸線、進入中央山脈

 離她説的時間、地點、還有45分鐘
  
 她給我一張Debussy的月光
 我給她一張Bill Evans 的 Waltz for Debby。

 The Way I am.
 三菱 New Galant 

(俺は台北を南下し、14号線を通って中央山脈に入る。
 君の黒いギャランは、高雄から東部海岸線を抜けて
 中央山脈に入る。
 彼女の言った時間と場所まで、あと45分
 彼女はドビュッシーの「月の光」のCDをくれ、
 俺はビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビイ」を渡す)

それから、新しい懸賞で、ギャランをモチーフにした
愛についての500字以上の小説を募集しています。
これはちょっと応募できない・・・


BBS


2003年04月22日(火) 香港進出の頃・初のコンサートに向けて

また10年前に戻ります。
香港進出が着々と進む金城武。彼にとっては大きなステップだったのだろうなと思います。
ここで出てくるL.A.BOYSは、全員ABC(American Born Chinese 
アメリカ生まれの中国人)の若手グループです。

金城武、香港へ
12日のミニコンサートで感触を探る


ジミー・リン、ニッキー・ウーの香港歌謡界進出に続き、
台湾四小天王の1人、金城武は、新アルバムを香港で正式に発売すると同時に、
12日、香港にて小さなコンサートを開き、大型コンサートの可能性を探る。
このコンサートにはL.A.BOYSが特別ゲストとして出演、
力を合わせて香港のファンの心を征服する。

父親が日本人で日本国籍を持つ金城武の状況は、
L.A.BOYSが歌謡界に入ったときと少し似ている。
金城武は小さいころから日本人学校とアメリカン・スクールで学んだので、
日本語、英語、台湾語はしゃべれるが、北京語は歌謡界に入ってから習い始めた言葉だ。
彼の北京語の話し方がゆっくりで、あまり口が回らないことを知っているファンは多いが、
台湾語が上手かどうかは知られていない。
金城武の台湾語はどのくらいうまいのか?

L.A.BOYSの台湾語は生粋の台湾語じゃないよ、というのが彼の言い方だ。
つまり、武の台湾語は、彼らに比べ、遥かに本物だという意味が含まれている。
しかし、残念なことに、観衆は、テレビでL.A.BOYSが、
北京語がうまくしゃべれず台湾語に替えるのは見ても、
金城武は子どものころから台北で暮らしているので、
だれも彼が北京語を話せないとは信じない。
それで彼は台湾語の実力を披露する機会がなく、
苦労して北京語を覚えるしかないのだ。(1993)

コンサートの結果は次回に――


BBS


2003年04月20日(日) 鬼武者中国語版 (民生報)●「英雄」は続編なし?(羊城晩報)

鬼武者中国語版 (民生報)

今月末に発売される、鬼武者の中国語版(PC版)のケースについて。

「金城武が主役を勤めるゲーム<鬼武者>の(中国語版の)発売元、
美商芸電(エレクトロニック・アーツ・タイワン)が、ケースのデザインを公開した。
日本のカプコンはPS版と同じものを希望していたが、
金城武の人気を考えて、最終的にはゲーム中の金城武の姿を
使用することになった」(4.19)

↓




「英雄」は続編なし?(羊城晩報)

「英雄」の続編はいったいあるのだろうか?
最近、頻々と流れる続編の噂に対する、別の記事です。

********

最近ネット上で「英雄2」についての噂が絶えない。
「チャン・イーモウ監督<英雄2>は日本・韓国を含むアジアの市場を見込んで、
日本で最も影響力のある中国スター、金城武にオファーされる」というものあり、
「チャン・イーモウは、すでにチャン・ズーイーをヒロインに考えている」
というものあり。
また、昨日は「<英雄>の製作会社は、この勢いをかって2億3千万元を投資し、
続編を製作する。8月に製作は開始されるだろう」との報道が流れた。
この記事は、また、このように伝えている。
「<英雄>続編は、リー・リンチェー、チャン・ズーイー、陳道明らの出演者を
そのまま残し、アクション指導もチン・シウトンが引き続き担当する。
このほか、チャン・イーモウはアンディ・ラウのアクション演技を
大変評価しており、アンディも口頭段階で出演を承諾した」

昨日午後、記者は<英雄>出資・製作会社である北京新画面公司の社長、
張偉平に電話で取材し、否定の談話を得た。
「はっきり申しますが、<英雄2>あるいは他のタイトルでも
続編は製作いたしません。
武侠映画を一編製作することは確かですが、英雄とは全く無関係です」
彼はさらに「現在、唯一確定しているのは、それが武侠映画であり、
監督がチャン・イーモウ、プロデューサーが私だということだけで、
出演者も全然決まっていません。
具体的なストーリーや設定については、まだ明らかにする段階ではありません」、
撮影開始時期については、今年であるとだけ、語った。

つまり、映画のタイトルがなんであれ、「英雄」の続編はないということだ。
だが、それではなぜ「英雄2」について、こんなにいろいろと話が出るのだろうか。
張偉平のアシスタントにたずねてみた。
「どこか他のルートから流しているのでしょうかね」
アシスタントの答えは、
「いや、わが社には無責任に話を流すような者はおりません」というものだった。

北京のある配給会社のトップは、記者に対し次のような推測を話してくれた。
「<英雄>はアメリカと香港の大きな映画賞レースでは一敗地にまみれたが、
興行的には成功した。つまり一番大きな成功を収めた」
広報戦略について精通するこの人物は、こう分析する。
「もし私なら、やはり世間の<英雄>に対する関心を利用して、
ニュースをたくさん流し、マスメディアの注目を絶えず引き続けるだろう。
そして最終的に出てくるのは文芸映画だ。
前作の宣伝を利用して、新作の名を広く知らしめる商業目的だね」
(2003.4.19)


BBS


2003年04月19日(土) RE:映画界で引っ張りだこ

これを訳していたときに、「英雄2」のニュースが出たのでした。
チャン・イーモウとは既に面識があって、監督の方でも
いつか使いたいという気持ちを持っていたということのようですね。

このニュースにはウォン・カーウァイの名も出てきています。
彼との仕事も実現したし、ここにはないけれど、
あのシルヴィア・チャンも武がまだ17のときに注目して
映画に使ってみたいと思ったけれど、まだ余りに若すぎて、
その役はニッキー・ウーになっています。
しかし、それも「君のいた永遠」で実を結びました。
チャン・イーモウの映画出演の話も、だから、武が今、日本で人気があるから
というだけではないということですね?

ツイ・ハークの映画というのは、「青蛇」で、
やはり僧侶の役でしたが、役の形象を少し変えてあり、
頭を丸めなくてもいいようになっていたので、
これに出られなかったのは剃髪のせいではなく、
スケジュールの都合だったようです。
武はこのチャンスを逃した事を、当時非常に残念がっています。

もう1つ、気になる部分は「中国語がわからない」という記述ですが、
他の新聞にも北京語がよくしゃべれないと書いたものがあります。
台湾語はすごく上手だが、北京語はゆっくりしゃべる、というのもあります。
また別の雑誌などを見ると、北京語は問題なかったように書いてあるのもあるし、
よくわかりません。
日本国籍がセールスポイントの1つとなって、
誇張されているのかもしれないし、
実際、台湾の学校には行っていないわけですから、
読み書きについては、充分でなかったことも考えられます。

「ワンダーガールズ2」「青蛇」、チョウ・ユンファの映画と、
どれもお坊さん役なのが、おもしろいとも書かれていました。


BBS


2003年04月18日(金) 映画界で引っ張りだこ(1993年の台湾紙)

アイドル歌手金城武は、アクション女優ミシェール・ヨーの推薦で
映画デビューを飾ると、たちまち「あまたの寵愛を一身に受ける」こととなった。
チョウ・ユンファは長らく銀幕を遠ざかって久方ぶりの新作に、
このハンサムな青年の共演を望んできた。
名監督のツイ・ハーク、ウォン・カーウァイから果てはチャン・イーモウまで、
この歌からスクリーンへと活動の場を広げつつあるアイドル歌手に
非常な関心を抱いている。
永盛公司はもっと具体的な行動として、3作の契約を結ぶなど、
映画界では引っ張りだこだ。

香港の大スター、チョウ・ユンファは、
今年後半クランクインする新作の準備を大変慎重に進めている。
もともとアンディ・ラウに共演を依頼する予定だったが、
配給関係で複雑な問題が生じて取りやめになった。
現在は金城武を、この新作の中でいつも行動を共にする
若い僧の役に迎えたいとしている。
年齢の違う2人の「いい男」同士の組み合わせは
大変愉快な共演となるだろう。

事実、優れた容貌のおかげで銀幕に登場した金城武は、
抜きんでた幸運に恵まれている。
彼を映画の世界へと導きいれたのは、
実は大アクション女優のミシェール・ヨーなのだ。
ヨーによると、このアイドル歌手を彼女は知らなかったのだが、
ある映画のプレミアに出席したとき、
この身長180センチの優れた容貌の若者に強く目を惹かれた。
その後、「ワンダーガールズ2(東方三侠2)」が製作されることになったとき、
彼女から進んでこの青年を推薦したのである。

「ワンダーガールズ2」撮影期間中、初めて映画に出演する金城武にとって
一番の乗り越えるべき壁は、中国語がわからないため
自分で脚本が読めないことだった。
監督のジョニー・トーが彼に詳しく説明をして、
幸い、みんなを満足させる演技ができた。

金城武は映画界で人に羨まれるほど恵まれている。
大監督のツイ・ハークやウォン・カーウァイからも声がかかった。
あいにく、ちょうどCD製作に忙殺されている時で、
その上8回連続ドラマを日本で撮影する予定もあった。
ぜひともやってみたい気持ちはあっても、どうにも手が空かず、
次の機会のあることを願いながら、諦めるしかなかった。
金城武の「監督運」には、以前顔を合わせたチャン・イーモウも含まれる。
チャン・イーモウは、近々、このようなハンサムな若手俳優を使うような
映画の予定はないが、それでも
いつか違う作風の作品を撮るときには、一緒に仕事をする機会があるだろう。


BBS


2003年04月17日(木) 「向左走、向右走」アフレコ終わる(民生報)

先週3日間、台北に戻り、アフレコを済ませたそうです。
ということで、この映画の広東語版、北京語版とも金城武の声が聞けます。
ただし、セリフは少ないとのことですが。
(4.17付けによる)

その他のあれこれ細かいニュースについてはBBSで。


BBS


2003年04月16日(水) 「英雄�供廖 糞�華時報)

金城武が「英雄�供廚悗僚弍蕕魄様蠅気譴討い襪�
大陸で記事が出ています。
この新聞の記者の独自の取材のようで、他に見当たりませんが、
URLを教えて下さった方は、よくチェックなさっていますね〜。(感謝)
ちょうど、書きたいと思っていたものと、
少しつながりがあるので、まず先にこちらをご紹介してみます。

チャン・イーモウ、金城武を気に入る
「英雄�供廝厳郢1導�始


ベールに包まれたチャン・イーモウの次回作が、最近ようやく面を現しつつある。
秦漢時代の武侠物語「英雄�供廚竜嗚棆箸�
結局、著名な詩人である鄒静之と決まったが、
記者が香港から情報入手したところによると、
有名映画スター、金城武の事務所が、今年初めに
チャン・イーモウからのオファーを受けているという。
ただし、契約するかどうかは、まだ最終的な協議の段階にある。
主演はチャン・ズーイーに間違いないだろう。

チャン・イーモウの「英雄」は、中国本土で2億元を越す興収をあげ、
彼の次回作が何になるかは最大の注目の的である。
年初め、チャン監督は、早くも四川にロケハンに赴き、
次の作品は武侠映画だと明かした。
プロデューサーの張偉平は、新作は「英雄」の続編ではないとずっと否認しているが、
映画界の技術スタッフの多くが、
6月以降、チャン・イーモウのためにすでに契約をしている事実から、
チャン・イーモウ8月クランク・イン説があっというまに広まったものだ。

記者が、匿名の関係者より聞いたところによると、
この映画は「英雄�供廚箸いΕ織ぅ肇襪砲覆襪世蹐Δ�、
「英雄」の続きの話ではない。
「英雄」はストーリー性が弱かったため、
今回チャン・イーモウは脚本に力を注ぎ、
著名作家の鄒静之に手直しを依頼して、現在その最終段階にある。

「英雄」の資金は主に香港を通じて国際銀行の融資を受けた。
米国で興行成績がどこまで伸び、
資金が回収できるかまだはっきりしない状態では、さらなる借り入れはしづらい。
だが、日本に500万米ドルで売れたことも、チャン・イーモウの自信を深めている。
そういうわけで、「英雄�供廚�
日本と韓国を含めたアジア市場での成績を最重要視することになるが、
このこともまた、目下日本で最も有名な中国スターである
金城武にオファーをした主な理由である。
(2003.4.14 記者・楊勁松)


BBS


2003年04月15日(火) 歌手デビュー前の出演CM

ギャランのCFとデビュー時期のお話の、両方つながりで、
資料館からもう1つ、珍しいCFです。
これも教えていただきました。ありがとうございます。m(__)m

ちなみに台湾CF資料館について、よそ様で話題になっているようですが、
以前、他のBBSでここをご紹介したときにも書いたように、
私設サイトではあるけれど、オープンにされているものと思います。
ご紹介するにあたって、このサイトに記されていることをずっと読みましたが、
それらの各文面から読み取る限り、
広告主の企業に対しても公開しており、
台湾の著作権関係の役所にも問い合わせ、
営利目的でなく、研究のための資料を整備提供する、
要するに図書館として著作権問題をクリアしているようです。
これは私の判断です。

というわけで、私たちも個人の私的資料として、
そっと利用させていただくようにしたいと思います。


さて、このCFは、黒松沙士という清涼飲料水の広告で、
1992年のもの。内容から言って、夏の放映と思われますので、
歌手デビュー前ということになります。
資料館の中は、索引はあるものの、とても迷いやすいので、
ここから入って、0017 黒松企業 81年黒松沙士‐放生篇へ。
「放生」は生き物の命を助けて放してやること。
黒松「汽水」ではありません。
画像もきれいです(相変わらず重いけど……)。


BBS


2003年04月14日(月) GALANT クイズの答え●GALANTのテレビCM ●更新

GALANT クイズの答え

とっても謎な、ギャラン新サイトのクイズですが、
実は、これはテレビで放映されており、
しかも、ネット上の映像とは少し異なっていて、
そちらに答えのカギがあるのだそうです。

テレビで見た台湾のファンの教えてくれたところでは、
武のせりふ入りだということ、
また、武がCDを手にしている映像があるとか。

ヒロインは武にドビュッシーの「月の光」のCDを贈り、
彼女の好きな海を贈れない武は、かわりに”Ocean”を贈るのだと・・・

わからないの当たり前だわ〜〜〜
だから、香港と大陸のファンも手がかりがなかったんですね。
そう言われてみると、質問の画面の右、
CDデッキのオプションの宣伝が関係あるのかな、と思えます。
どなたか、このCMをうまくキャッチしてくださると嬉しいけれど。
懸賞はともかくとして、見てみたいです。
CF資料館でいずれは見られるのでしょうか?


GALANTのテレビCM

↑で資料館に出ないかな、と書きましたら、
もう出ているとお知らせいただきました。
この枠の左下の花から入って、BBSを見て下さい。

ギャランサイトでの素敵だけど、武が少ないCMでやや物足りなかった方、
今度はきっと満足できると思います。

そこで話している武の言葉は、多分・・・

  我従台北南下、走14號公路、進入中央山脈。
  她的黒色GALANT、従高雄走東部海岸線、進入中央山脈。

  她給我一張Debussy的月光
  我給她一張Bill Evans 的 Waltz for Debby。

  The Way I am.
  三菱 New Galant 

(俺は台北を南下し、14号線を通って中央山脈に入る。
 彼女の黒いギャランは、高雄から東部海岸線を抜けて
 中央山脈に入る。
 彼女はドビュッシーの「月の光」をくれ、
 俺はビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビイ」を渡す)

私の聞き取り、特に我給爵士楽(爵士王?)は怪しいので、分かる方、直して下さい、
お願いします。

(↑誤りを訂正しました。K様、R様、ありがとうございました)

●テレビCM(mpeg, 6.9MB 2007.10.28更新)


BBS


2003年04月13日(日) アイドル時代……映画撮影準備に香港へ● 期待される2本の映画(「向左走、向右走」)(星報)

アイドル時代……映画撮影準備に香港へ

デビューの年、1992年の、多分11月28日付けの台湾の新聞記事です。

金城武、クリスマスは不在
――映画出演準備のため明日香港へ
  だが、ファンのために日本でブロマイド撮影
 

人気上昇中の新人アイドル歌手、金城武は新アルバムのプロモーションを終え、
明日29日、映画撮影のため香港に発つ。
1、2ヶ月ほど滞在予定のため、
今年のクリスマスは台湾のファンとは過ごせない。
今年、歌謡界にデビューしたアイドル歌手金城武は、
秀でた容姿のおかげで、たちまちファンを獲得、
人気が出るのがあまりに早すぎて、
「外国人労働者」で検挙事件まで起きた。
金曲奨の受賞式典に出演したとき、
ファンが舞台前まで殺到したことからもうかがえるように、
その人気振りは、ジミー・リンにもひけをとらない。

このわずか数ヶ月で、無名の青年からアイドルスターとなり、
気持ちの方は、その変化についていけているのだろうか。
彼は、「まあまあですね。大勢のファンに取り囲まれ、
サインを求められたりしたときは怖くなることもあるけれど、
人に好かれるのが一番と考えるようになってからは、
こういう状況にも慣れるように努力しています」と言う。
有名になって、一番慣れないのは、いつでもどこでも写真を撮られることだ。
しかし、このような過渡期を、ゆっくりでも、
きっと乗り切っていけると彼は考えている。

歌謡界に入って、彼はもう1人のアイドル歌手、
ニッキー・ウーと親しくなった。
「出演するときは、いつもニッキーと一緒なんです。
ニッキーはもう何年か経験があるけど、
ぼくはどうやったらいいか全然わからないし、
すごく緊張してしまうこともあります。
でも彼が、出番の前に、カメラにどう向かえばよいのか、
どう応対すればよいのか、どう舞台を歩けばよいのか、教えてくれる。
それで、いつのまにか、ぼくたちはいい友達になったんです」
彼とニッキー・ウーは所属事務所が違うが、
彼はいつか、ニッキーと一緒のコンサートを開けたらと思っている。
もちろん、自分自身が国際的な大スターになって、
世界各地で活動できたらとも思っているわけだが。

明日、彼は香港に発ち、しばらく帰国できない。
クリスマスも向こうで過ごすことになる。
国内のファンをがっかりさせないため、
彼は、クリスマス前にあいまをぬって、日本でクリスマス用の写真を撮影し、
不在であっても心は共にクリスマスを祝いたいとのことだ。


期待される2本の映画(「向左走、向右走」) (星報)

人々を映画館に再び向かわせる方法はないものだろうか?
優れた脚本、良いキャストは必要な2大条件だ。
今、映画界は、「映画館に行きましょう、中国映画を観ましょう」と
呼びかけ続けると同時に、国産映画が本当に観客を引きつけ、
映画館へ足を運ばせる力を持っているのか、見直し中。
今年、上映される2本の国産映画「20、30、40」、「向左走、向右走」は、
この2つの条件を満たして、興業的成功を予測させる。
シルビア・チャン、ジョニー・トー、ワイ・カーファイの各監督もまた、
観客を映画館に取り戻すために努力を傾けている。

(「20、30、40」については省略)

もう1本はラブストーリー的要素の強い「向左走、向右走」。
アメリカの映画会社が投資することで、資金面の心配がないため、
金城武、ジジ・リョンの2人をキャスティング、
都会に暮らす男女の孤独な心情と愛への渇望を描き出す。
トーはジミーのストーリーを原作に選んだ。
2人は同じビルに住んでいて、
1人はいつでも左に行き、1人は必ず右へと向かう。
2本の平行線は地球上のある1点で交わる。
トー監督によれば、台北を舞台に選んだ理由はただ1つ、
台湾の観客に慣れ親しんだ場所を見せるためだ。

「香港の観客で中国語映画を見る人は多いし、
映画マーケットはともかくもまだ存在している。
だが、台湾では国産映画は見られていない。
台北を舞台とした目的の1つは、台湾の観客を映画館に連れ戻すことだ」とトーは言う。
この映画はすでにポストプロダクションを修了し、夏休みシーズンに公開の予定。
この映画を観た人は、映し出された街の感じが東京のようだと言う。
というのは、台北の変化が激しすぎるからで、
多くの人の持っているイメージは10年前のままなのだ。
「10年前の西門町と今の西門町、台北駅、MRTの駅、すべてが違っている。
実を言うと、もし実際に台北で撮影を行わなかったら、
私だって台北があんなに変わったことを知らないままだったろう」。

(星報 2003.4.9)



BBS


2003年04月10日(木) RE:GALANTサイト新CMの質問

[問い]

このストーリー中の、
金城武はNEW GALANT、ヒロインは別のGALANTを操ってのデートは、
行動で、互いの心を伝え合っているのです。
ふたりが心を通じ合わせたしるしの品はなんでしょうか?

・カシミヤのマフラー
・マーガレットの花束
・村上春樹の小説本
・古典ジャズのCD
・1カラットのダイヤモンド

************

えええ???……おわかりですか……???!


BBS


2003年04月08日(火) 「暗黒街」撮影の頃 ●GALANTのサイト更新

「暗黒街」撮影の頃

1998年に「ダウンタウンシャドー」が公開されたときは、
レイトショーでもあったので行かなかったのですが、
(今なら考えられない)
同じレイトショー、しかも歌舞伎町のど真ん中の映画館での上映だというのに、
なぜか「暗黒街」は行ったんです。どこかで評判を読んだのでしょうか。
あのどきどきするような斧の刃、血だらけの香港アクションの連続に、
見ていて体中力が入ってしまい、終わったときは疲れたけれど、面白かった。
こんなに笑えるとは思いませんでしたし。
終了後、ロビーに出てきた若い女性3人連れが
「すっげー、面白かった〜! ビデオ出たら買う!」と言ってましたね。^^
武の動きはとにかく軽くて、気持ちよかった。思い切りがいいし、きれいでした。
血は嫌いだけど、こういう映画、けっこう好きです。
でも、他の人の主演だったら行かないかな。やっぱり怖い。

96年に香港で公開されたころの新聞記事です。(紙名・日付不明)
写真は台湾のCOLOR誌のもの。

「金城武、ユン・ピョウを師とする」
金城武とユン・ピョウがクンフーの腕を競う?
金城武のためにリメイクされた映画「暗黒街」は、
今年初め、彼が大陸におもむいて撮影した作品だ。
劇中、かなり高度のクンフーシーンがあるので、演技に迫真性を持たせるため、
武は特別にクンフーを習ったほか、ひそかにユン・ピョウを師とした。
契約解除問題でもめるユン・ピョウだが、アクション映画はお手のもの、
武は撮影中、いつも彼に教えを請うていた。

主人公・馬永貞は情あり義あり、あらゆる感情・欲望豊かな人物で、
優れた容姿で敏捷な金城武はまさに適役といえる。
劇中、彼のアクションシーンは大変多い。
監督のコーリー・ユエンは、彼のために馬車上でのコイン争いから
ダンスホールでの乱闘まで用意、
武はクンフーの流れるような素早さを体験した。
何事も現場で実地に学ぶ金城武はこれらのシーンの撮影で疲れ、
1日休みをとったため、スタッフも1日の休暇を楽しむことになった。
現在アメリカでミラ・ソルヴィーノと共演中の金城武は、
「暗黒街」がまもなく上映されると聞いて非常に喜んでいる。

       真剣な面持ちで監督の指導を聞く武


GALANTのサイト更新

もうご存知かもしれないけど、すっごく素敵です。
懸賞クイズのようです。

とりあえず、「ムーンリバー」にのせて語られるストーリーだけ。
なんか・・・難しい。
こちら

************

Moonrise
金城武 対 GALANT
二号月光円舞曲


俺は覚えている、
一番好きなのは太陽の光に目覚める海、と言った君の言葉を。
俺は夜景を見つめては、恋しさにまた火をともす。
言いたくないが、忘れられない。君が・・・
俺達とした約束。
君はいつも言っていた、俺が一番好きなのは俺のギャランだと。
知ってるか?
そいつがまるで君のようだったからさ。君のように好き嫌いのはっきりした奴。
夜と昼の境界線のように。

4月7日、早朝、俺達の約束まで、わずか12時間。
俺の銀色のギャランも、再会を楽しみにしている。
台北から南に下り、君との約束に向かって進む。
14号線を通り、中央山脈に入る。
君の黒いギャランは、まるで一条の流れゆくきらめきのようだ。
高雄から東部海岸を抜け、中央山脈に入る。
君の言う時間と場所へ、あと45分。

ようやく俺達は出会った。
君は、月光の下、ふたり、ただ踊ろうと言う。
こんなふうに、
夜の色に染まり、
銀河をただよう、
くるくると輪を描きながら。

ありがとう、君のくれたもの・・・
俺は・・・俺は君にあげることができない・・・君の一番好きな海を。
だが、俺が渡したいもの、それは・・・?

***********

このあと質問が出ます。
景品は例のDVD他です。


BBS


2003年04月06日(日) ひと休み

春のせいもあるでしょうか、なんだかくたびれた、という感じがしますので、
いつも心を優しく、熱くしてくれるイメージを今日は張りまして少しお休みします。
情報が多くても少なくても、結局ファンってくたびれるものかしら。


           



                        記事の種類によってはBBSの方にアップすることもあります。


  BBS


2003年04月05日(土) 金城武自伝 完結編 「仏との出会い」

20歳の誕生日を迎えてから、自分はもう大人だ、と強く感じ、
多くのことについて自分なりの考えを持つようになった。

そのころ、たまたま哲学というものに出合った。
哲学は奇妙なほどぼくをひきつけ、様々な興味深い思想にぼくは夢中になった。
哲学書への関心は少しずつ深まっていったが、
それはすごく啓発されたからというわけではなく、
いろいろと読めば読むほど、とても面白いものだとわかったからだ。
少し抽象的かも知れないが、これらの本は、多くのことは表面に現れた意味の他に、
深層に別の意味をもっているのだと悟らせてくれたのだ。
たとえば、「愛の反対」という簡単な命題に対して、
一般的な答えはたいてい「愛の反対は憎しみである」というものだ。
しかし哲学書は思いもよらない答えをする。
その意味を探り出すのがよけいに面白くなる。

その後、ぼくは密教を信奉するようになり、
リチャード・ギアやアニタ・ムイと同じ門下に入った。
実はぼくは仏教とは、小さい頃から切っても切れぬ縁があったのだ。
ぼくはいたずら好きで、お母さんとお参りに行くといつも、
バスに乗ったとたん、あちこち歩き回って、じっと座っていることができなかった。
ある日、お参りをすませ、バスで帰るとき、
お母さんはさっき使った数珠をぼくの手に持たせた。
すると、ぼくはいつもとは打って変わって、歩き回ったりしないばかりか、一言も喋らず、
じっと席にすわって、ときどき念仏の文句を口にしたので、
お母さんはひどく不思議に思ったという。

密教に入信してからは、人生や日常生活のことが違った見方で見えてきた。
以前よりもっと楽観的になり、縁に身を任せるようになった。
25歳になった今、昔の自分を振り返ると、ずいぶん成長したと思う。
ぼくは常に変化している。少しずつ大人になり、
新しいことに出あっていつも何かが変わっていく。

今一番願っているのは、もう少しプライベートな空間がほしいということだ。
どんなふうに私生活をマスコミから守っているのか聞かれることがあるが、
守る方法なんかない、とぼくは思う。相手にしないようにするだけだ。
人はどうしたって生活していかなきゃならないのだから。
あることから逃げるために、その自分の生活の仕方を無理して変えようとすれば、
不健康にならざるを得ないだろう。


BBS


2003年04月04日(金) 金城武自伝 第3回

このページは武「ニュース」と麗々しく掲げてはおりますが、
国内ニュースは全くといっていいほどフォローしていませんので、
ご了解ください。
何しろ、たまに自分がお知らせすることのできたTV番組さえ、
見逃すような人間ですので。

様々なニュースに心騒ぎ浮き足立つ今日この頃ですが、
心を落ち着けたい方は、どうぞ立ち寄って
いにしえの話をお楽しみ下さい。

金城武自伝 第3回「バイクのために身売りする」

芸能界の仕事やきらびやかなスターの暮らしは、
本当はぼくの理想ではない。
もともとあまり自己表現欲のない人間で、
だから、スターになりたいと憧れたことはなかった。
だがそれも、惚れこんでいたバイクがぼくの前に現れるまではだ。
それを手に入れるために、他のことは何も考えず、ぼくは芸能界に入ることを決めた。

同級生のお母さんがCM会社に勤めていて、
ぼくにCMに出るようずっと声をかけてきていた。
その人があまり勧めるものだから、とうとうぼくも清涼飲料水のCMに出ることを承知した。
CMが放映されると、今の事務所がぼくに注目して、
素質があるからタレント契約をしないかと言ってきた。

そのとき、ぼくは自分に芸能人としての素質があるかどうかなんて、
よくわからなかったし、この業界のことも知らなかった。
でも事務所はとても誠意ある態度で、彼らのファミリーに加わらないかと誘った。
お父さんとお母さんはぼくが芸能界に入ることに反対しなかった。
ぼくは自分自身で事務所と契約するかどうかを決めた。

ぼくがまだ心を決めかねていたとき、
なんと、ずっと夢にまで見るほど欲しかったバイクが売りに出たのだ。
「こいつは絶対、買いだぞ」とぼくは自分に言い聞かせた。
ところが、家からお金をもらう考えは全然なかったが、
といって自分の貯金だけでは足りない。
あれやこれや考えた結果、唯一の手だてが芸能界に入ることだったのだ。

事務所と契約した後も、ぼくにはこの道でやっていける自信がなかった。
これはぼくの最初の正式な就職だった。
前にレストランで夏休みに働いたことはあるが、短期のアルバイトだったから。
オーナーは厳しかったし、仕事もとても辛く、つまらなかった。
芸能界に入って初めの頃は、やっぱりこの仕事も、辛いのはしょうがないんだろうかと、
いつも思っていたものだ。

初めてのテレビドラマ「草地状元」に出演したときのこと、
もう何十回もNGを出し、頭を地面につっこみたい気持ちだったし、
本当に人の顔が見られなかった。
初めてカメラの前に立つと、道を歩くだけのことが、
どうやっていいか全くわからず、体がカチカチになってしまう。
その後、経験を積む中で、このような心理的な面を少しずつ克服していくのだが。

本当は、ぼくはずっと幸運だったと思っている。
デビューしてすぐ、マスコミはぼくを台湾四小天王にまつりあげ、
大物の芸能界の先輩、アニタ・ムイ、マギー・チャン、ミシェール・ヨーと
「ワンダーガールズ2(東方三侠2)」で共演することができ、
さらに運のよいことには陳昇がCDをプロデュースしてくれた。
演技も歌も、たくさんのことを学べたのは言うまでもない。
中でも師である陳昇のもとで、ぼくは音楽をやる深い喜びを知った。
彼がぼくの人格的成長に与えた影響はとても大きい。
ぼくは彼のように自分自身の音楽を数多く作っていければと思う。
今は映画やドラマに時間がとられ、アルバム製作にあてる余裕がないけれど、
音楽は決して捨てないだろう。


BBS


2003年04月03日(木) 金城武自伝 第2回 「恋人より友達」

子どもの頃一緒に遊んだ仲良しの友達は、ほとんどが日本人学校の同級生だ。
毎日放課後になると、一緒に近所で遊んだ。
あるとき、彼らとこっそり学校の講堂に入り込んで、
紙に火をつけて、あったまったことがあった。
ものすごく面白かったけれど、講堂の床を焦がしてしまい、先生につかまってひどく叱られた。
今、当時やったことを思い出すと、確かにとても危険だよね。

小学校生活は日本人学校で送った。
高校に上がるとき、今度はアメリカンスクールに移った。
日本人学校とアメリカンスクールは互いに近くて、両方ともぼくの家のある天母区にあった。
新しい学校は静かできれいで、設備も完備していた。

ぼくのパスポートは日本のものだ。台湾では戸籍も身分証も持っていない。
だからお父さんは考えて、ぼくを日本人学校とアメリカンスクールに通わせることにした。
インターナショナルスクールの教育制度は、台湾の学校とは全く違っていた。
自由で開放的であり、四角四面過ぎるところがなかった。
束縛されるのが嫌いで、自由な生き方に憧れるぼくの性格は、その影響を受けている。

小さい頃からぼくは球技が大好きで、学校チームのメンバーにもなった。
サッカー、バスケットボール、バレーボール、みな好きで、
どのチームにも顔を出していた。
おかしなことに、直接自分の手足を使ってする球技はなんでも得意なのに、
バットやラケットを使ってするものは下手だった。
たとえばバドミントンなんか、実はとても簡単で、やる人も多いけれど、
ぼくが打とうとすると、いつも力が入らず、コントロールもきかない。

初恋はアメリカンスクール在学中の、まだ十何歳のころ。
相手の子は同級生で、彼女と一緒に過ごしたときのことは、
今でも、1つ1つ、はっきり覚えている。
初めてのデート、初めて手を握ったこと、初めて抱き合ったこと、初めてのキス。
喜びと痛みとともに、すべて記憶の中にある。
残念なことに、ぼくと彼女がつきあった時間は短い。
彼女が外国の学校に進むことになり、ぼくらは離れ離れになったから。

その後もぼくたちはずっとよい友達で、よく電話で話をする。
彼女があちらで新しい恋人ができると、ぼくに電話してくる。
もちろん、ぼくは彼女のために喜ぶ。
彼女が彼とけんかすると、彼女は電話で泣いて訴える。
ぼくは愛の相談相手になって、彼女を慰める役目だ。
ぼくは別れてしまった恋人同士も友達になれると思っている。

ぼくは気持ちの整理が下手で、ときどき、愛なんてなんになる、と思うことがある。
誰かを愛することは喜びで、そして悩みや不安の種でもある。
ぼくは恋愛至上主義じゃない。ぼくの中では友達の占める位置の方が比重が大きい。
ぼくの一番の友人は、みんな昔のクラスメートであり、
学校で培われた友情こそ本物だ。彼らは永遠にぼくの友達なのだ。


BBS


2003年04月02日(水) 金城武自伝 第1回

これは、文字通り、金城武自らが語ったもので、
いくつものサイトにアップされて、日本語訳もすでにあるかも知れません。
が、そういう、いわば武ファンの「基礎知識」を、
新しいファンの方もいらっしゃることだし、ここはここで、ご紹介しておこうかなと思いました。

元々は、香港の芸能誌「YES! IDOL」に載った、4回完結の連載です。
第1回が1998年10月16日号に掲載されたことは確認済みです。
ただし、なぜ香港の雑誌か? という疑問もあり、
先行して台湾の雑誌に載ったものである可能性もあります。
ご存じの方がいらっしゃいましたら、お教えください。

第1回 「十と一の謎」

10月はぼくにとって、いつまでも大事な時だ。10月が来るたび、1つ年をとるから。
そう、ぼくは10月11日に台湾で生まれた。
お父さんは日本人だが、お母さんが日本の生活習慣になじめなかったので、
ぼくとお母さんは台北に住み、お父さんはいつも日本と台湾を行ったり来たりして、
ウナギの養殖会社の経営の仕事をしていた。
ぼくの「武」という名前には、意味があるとお父さんから聞いた。
ぼくは11日に生まれたが、十と一の字を組み合わせると「士」になる。
それでお父さんは合わせて「武士」となるよう、ぼくの名を「武」としたんだという。

小さい頃から今に至るまで、ぼくは台北の天母という地域に住んでいる。
そこは在台の外国人が多い地区で、環境がよく、とても静かだ。
お父さんは事業のために台湾に来て、お母さんと知り合った。
結婚し、お兄さんとぼくが生まれ、天母に家を構えた。

お父さんは台湾と日本での仕事が忙しく、
家でぼくらと一緒に過ごす時間はとても少なかったから、
子育ての責任はお母さんとおばあさんの肩にかかっていた。
そういうわけで、ぼくはめったにお父さんを見ることがなかった。
言葉もお母さんから習ったから、まず覚えたのは台湾語だ。
お母さんとおばあさんは台湾語で話すのを好んだから。
北京語と日本語は、後になって学校で覚えた。
今でも、自分では台湾語が一番うまく話せると思う。

ぼくは腕白な子だった。
あるとき大勢の人が家に来て食事をし、酒を飲み、談笑し、とてもにぎやかだったことがある。
ぼくも楽しくなってしまい、もともと遊びたくて仕方ないから、
その本性がおとなしく隠れているわけもなく、
食べ終わって何もすることがなくなると、すぐコインを持ってきて、茶碗めがけて投げ入れた。
今になってみると、何が面白いのかわからないが、
小さい子は何に対しても好奇心が強いものだ。

あるとき、コインがどこかへいってしまい、
他に何も新しいことを思いつかないので、ぼくは大人のまねをして酒を飲んだ。
勝手に杯をとって胃袋に流し込んだんだ。
ところがなんと! まるでのどを何かにかみつかれたように、苦しくてたまらない。
ぼくは、それがさっき放り投げたコインだとわかった。
まもなく、周りの人がぼくの様子がただならぬのに気がついた。
ぼくが何かをのどにひっかけて息ができないのを知って、急いで病院にかつぎこんだ。
お母さんはお父さんに帰ってきてくれるよう電話をした。
お父さんが病院に駆けつけたときには、ぼくはもうなんともなくなって、
ピンピンしていたけど、お母さんは気の毒だった。
お父さんに、大人がそろっていて子ども1人を見ていられないなんてと、
きつく叱られたのだ。
ぼくはといえば、そのとき危うく命を落とすところだったとも知らず、
見慣れぬ輪っか(手につける患者識別用のリングだったのだが)の観察に余念がなかった。

お父さんは仕事のため、いつもそばにいてくれることはできなかったけれど、
でも心のうちではぼくたちを深く愛してくれていることが、ぼくにはよくわかっていた。
そして家に帰ってくると必ず、遊びに連れて行ってくれた。
一家揃って遊園地にでかけ、遊んだ楽しい日々が一番懐かしい。

ぼくの中では、お母さんは典型的な母親で、いつまでも子供が一番という人だ。
お父さんはというと、これは特別な父親だ。
以前はぼくたち兄弟にとても厳しかったけれど、
ぼくたちが大きくなるにつれ、次第に寛大になり、
ぼくらを友人のように扱って、何でも話をするようになった。
こういう父親を持ったことは、天の恵みだと思っている。


BBS


2003年04月01日(火) レスリー・チャンと金城武 (小話)

数年前、ある陽差しの明るい午後に、
私はクラスで一番の仲よしの麗麗と、什刹湖にボートに乗りに行った。
この一学期の間、一度行ってみたいとずっと思っていて、それがようやくかなうのだ。
心も軽くそこに着き、まっすぐ貸しボート屋に行った私達は、値段を聞いて呆然とした。
保証金が50元必要だというではないか。
2人でポケットを引っくり返したが、合わせてみても50元には足りない。
私達はしょげ返ってしまった。
どうする? 引き返すか? いや、そんな気にはなれない。
私が考え込んでいると、麗麗が口を開いた。
麗麗は小さなビニールの財布から、1枚のレスリー・チャンのピンナップをうやうやしく取り出した。
それを両手でささげ持ち、貸しボート屋の番人のおじいさんに差し出すと、厳かに言った。
「これは私の一番大切なものなんです。これを保証としておいていきます。
必ず戻ってきますから」
おじいさんはそれを聞いて声をあげて笑った。
そして麗麗の心からの言葉に打たれたのかどうか、
どにかく保証金を預けず、ボートに乗ってもよいと言ってくれたのだ。
ボートに乗り、ドキッとはしたが願いはかなった今、私は彼女への「尋問」を開始した。
「あんたの一番好きなのは、今でも彼?」
麗麗は謎めいた笑いを見せると、あの財布を開き、別のポケットから金城武の写真をのぞかせた。
そして得意げに声をひそめて言った。
「彼(金城武)が、今は一番好きなの」
今になっても、話があのときのことに及ぶと、私達はやっぱり、クスッと笑ってしまうのである。

*********

別に武でなくてもいい話なんですけどね。
去年の北京娯楽信報に載った小話です。(2002.9.4)


BBS


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