2002年03月19日(火) |
林檎試練の行き着く先 |
昨日までの続きです。我ながらエエ加減あきてきた。
用意するのはソフトフランスとサワークリーム。 ソフトフランスとは、フランスパン(バゲット)の皮が、 バリバリではなく、ヘなっとした感触に焼き上がったモノ。
1センチ位にスライスしたソフトフランスの上に サワークリームをてんこ盛りに塗る。 そして、ベタ甘い、林檎のシャンパン煮をやはり、けちらず盛大にのせる。 これがね、もう本当に絶妙の組み合わせ。
この組み合わせの妙を最大限に味わうには、 バゲットのバリバリ食感というか、触感はちとうるさい。 ソフトフランスの中の白い箇所は、普通のバゲットを想像していただきたい。 あの、やわやわで、しっとりむちむちした味。 へなっとした皮だと、じゃまになる触感はなく、 ほんのり香ばしい味わいが、噛みしめた時に楽しめる。 それに、ベタ甘いはずの林檎煮が、 サワークリームの酸味と合わさった具合がコレまた!! 林檎煮のベタベタ感はサワークリームの酸味で解消され、 サワークリームの「すっぱぁ〜(>。<)」は、 林檎のとろりとした甘い煮汁と合わさり、すっきりとした風味に。
あぁ、幻の幻の・・・くやしいなぁ、もう。
あ〜、なんか書いているだけで美味しい。 ところがこの食べ方、今や幻・・・。
このソフトフランスというパンは10数年前、 神戸のイスズベーカリーで販売していたパンだ。 この記を書くにあたって、あの妙を再び味わいたいと、 イスズベーカリーに問い合わせした。 が、残念ながら現在では作ってないそうな。
神戸を離れて以来、林檎を手にする度、シャンパンで煮た。 その都度、バゲットやら食パンやら、いろんなパンで代用してみたものの、 あれほどの組み合わせの妙を感じた事はない。
林檎試練の行き着く先にあったのは、幻の想い出だけでした。 神様って、意地悪。
2002年03月18日(月) |
林檎試練に関する考察、ベクトル変更 |
幼稚園の頃ね、こんなポケットティッシュを持たされてまして。 「こんなかわいらしいのん・・・恥ずかしいなぁ、かなんわぁ」 とか思ってました。 たぶん、本当はうれしかったんだろうと思うんですけど。 なんとも可愛くない、素直じゃないお子でした。
アチラ、コチラ、ソチラで、 林檎の食べ方について思考を巡らす特異体質K。 己の奇癖による試練と、いかにして付き合うのであろうか・・・。
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もうイイではないか。私は充分に頑張った。 ここらで一つ、思考のベクトルを変えてみよう。
問題になるのは、試練との関わり方だ。 私は今まで試練を回避する事ばかりに思考を巡らしてきた。 しかし、これは神が私に与えたもうた崇高な課題だと思ってはどうか。 ヨシ、そうだ。今こそ、試練を試練として受け止め、 林檎の味わいに辿り着いてこそ、喜びが増すというものだ。
今一度、腹をくくらねばなるまい。 鳥肌を立てながら、調理するのだ。 そうしてこそ、口福至福に辿り着く。
例のアレを作ろう。
鳥肌をたてながら、林檎を櫛形に16等分くらいに切る。 ひとつひとつを横倒しにして、扇方に薄くスライス。 鍋に林檎スライス、林檎が浸る程度にシャンパンを注ぎ、 レモン果汁、砂糖を適当に入れる。 後は火にかけて煮るだけ。シャンパンの泡に踊る林檎。 程よく林檎が透けて、煮汁がとろり、少々残る程度で完成。
コレにはとっておきの食べ方があって、 その食べ方を最大限に美味しく味わうための加減がある。
ポイントは砂糖を大目に使う事。 ベタベタに甘く、かつ、レモンの酸味を効かせて。 そして、林檎の歯触りも若干残っていれば言う事ナシ。
では、その食べ方であるのだが。
ここまで剥くのに「ギィャ〜!ギョェ〜!!」大騒ぎ。 食い意地道を真っ当するのも大変です。イヤ、マジで。
アチラ、コチラに記される、林檎に関する一連の苦悩。 生林檎を噛る時の、あの爽やかな 「シャクシャリ」という音を聞くと鳥肌がたつ女K。
以下は、そんな奇癖を持つ女が、林檎なんて食わなきゃイイのに、 「そんでも食べんねん!!林檎の味好きやねん!!食べたいねん!!」と、 呆れる程の食への執着が故に、いかにして試練を回避し、 林檎を味わうかを真剣に検討する悪あがき考である。
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例えば、おろし林檎。 アレは本当に美味しい。 風邪をひいた時など、だんぜんに食べたくなる。 おろし林檎を口にいれると、 熱で火照った身体にすんなりと染み渡り、身も心もほぐしてくれる。 せっかく風邪もひき、身体もだるい事だ。 そうだ!皮を剥く必要などない。 この際、有機栽培だかなんだかの林檎を使って、 皮剥きを省こうじゃないか。 ただすりおろせばいいだけだ。 …………………て!
賢明な方も、そうでない方だって、お気づきであろう。 そう、すりおろしている間中、「シャクシャリ」と音がする。 それが問題なのではないか。 ひょっとして…………………阿呆?私?
それは私にとって、地獄の責め苦のようなもの。 皮剥きを省いたところで、何のメリットもないどころか、試練増幅。
駄目じゃん。
例えば、焼き林檎。 たっぷりバターにほんのり甘味のついた焼き林檎。 寒い冬、暖かくした部屋の中、 ストレートの紅茶といただくのは中々に旨い。 頻繁に食べたいものではないが、一冬に一度は口にしたい。 オーブンから焼き林檎を取り出す。 熱で皺のよった林檎の回りに、グズグズと音を立て、 砂糖の絡まったバターが小さな泡をたてている。 熱々の焼き林檎を一匙すくい、回りのソースをからめる。 火傷しないよう、充分に注意して口にほうばる。 うンまっ!!
…………………しかしその至福を味わうためには、 林檎の芯をくり抜き、中にバターと砂糖、 そして少量のレモン果汁をほおりこまねばならない。 もちろん芯をくり抜く際、しっかりと「シャクシャリ」を耳にする。 …………………はぁ。
駄目だ。
結果。
例え有機栽培だかなんだかの林檎を使って、 皮剥きを省いたところで、絶対的に試練はあるという事だ。 どれもこれも皮をむかなくったって、 最低限、林檎を切らねば、先の調理には進めないのだ。 その際、「シャクシャリ」という、 多くの人々には小気味イイ、例の音を伴って。
皮を途中で切らずに剥けると、イイ事があるような気がするよね?
私が林檎を味わう際には、ひとつの試練が待ち受けている。 その試練を想像すると少々憂鬱になる。
実は私、生林檎を噛る時の、 あの爽やかな「シャクシャリ」という音を聞くと鳥肌がたつのだ。 ちょうど、多くの人が黒板に爪を立てた音を聞いた時のように。 いえ、私は黒板に爪を立てた音では鳥肌はたたないのだが。
子供の頃、私の奇癖を知る兄が面白がり、 耳元で「シャクシャリ」言いに来た。 もうそれだけで、鳥肌が立っていた。 最近はマシになってきて、林檎もなしに、 人が口で「シャクシャリ」言うくらいでは鳥肌は立たない。
最近はマシになってきたって、想像力が欠如してきたって事か? いーや、少しは身体に免疫ができたって事にしとこう。 そうしておいてくれ。
林檎の音が苦手で、味にも何の執着がないというのなら、 実際何の問題もない。 「私は林檎が嫌いだ」それだけで済む。 ところが、林檎の味は大好き。 ならば、出来上がった林檎菓子を買ってくればヨイ。
が、事はそんなに簡単ではない。 林檎は昨日付けの日記にも書いた通り、 『お裾分けに都合のイイ食品ランキング』でかなりの上位に位置する。 私はなにがしの縁があって、手許に食材が来た以上、 自分で調理したくてたまらないのだ。
林檎の調理法は、たんとある 。 林檎ジュース、アップルパイ、林檎ジャムに、 林檎のコンポート、タルトタタン、その他モロモロ……。
そのいづれを味わおうとしても、 最低限、皮剥きという作業がある。 「シャクシャリ」という、私にとっての試練を伴って。
では極力試練をさける為、皮剥きを省ける林檎調理を考えてみよう。
「リンゴをかじると歯茎から……」って御存知? ゆがみ林檎ですね
目の前にひとつ、林檎がある。 同じアパートに住む、友人からのお裾分けだ。
食品をお裾分けしていただくのは、とても嬉しい。
食べ物の好き嫌いもそうないので、たいがいのものは、 よほどのゲテもの以外はウマウマといただく。
だが私にはたったひとつ、いただきものをして、 嬉しくて、そして困ったような複雑な心境になる物がある。 それが今、目の前にある。
一般的に林檎というものは、 「お好みに合うかどうか……」などの前置きがなく、 気がねなく差し上げられる食品だろう。 私にだって、嬉しい気持ちはちゃんとある。 ただし複雑な心境と共に。
林檎、リンゴ、りんご。
ぱかっとふたつに割る。 と、同時にあの爽やかな香りが辺りに漂い、 蜜をたっぷりと含んだ様を目で確かめようものなら。 誰もが櫛形の一片を、一刻も早く口に頬張りたくなるというものだろう。
人々の間でお裾分けに使い、喜ばれる食品として 確約たる位置を占めるもののひとつ、それが林檎。
さて、私は今、林檎を目の前にして、 何故に嬉しくもあり、困ったような複雑な心境になるのか…。
2002年03月14日(木) |
ホワイトディだったらしい |
昨日の献立?
世の中にはホワイトディというものがあったらしい。 一月前のイベントに参加しなかった私に、 もちろんこの日、 参加資格があるハズもない……。 が、以外な形でちょっぴり参加。
ホワイトディのお返しに悩む友人に、 何点かお薦めのスイートを紹介する。
少しは役にたったかな?
今日はお茶を濁す感じの更新でした。 どうぞまた遊びにきてください。
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