夕べ ムスコの将来について あれこれ話しをした
間近の来年から もう少し先の数年 或いはもっと未来まで 彼の興味を中心に 夢と現実を織りながら
すると突然 うんそれがいいな と瞳を輝かせ独りごちた きっと彼の中で パズルのピースが 全部嵌るような 一本の道が未来まで すーっと光るような瞬間が あったに違いない
それを見ていてつくづく ここまでの道のりは けっして無駄じゃなかった と思えた むしろ 他人と違う日々を送ったからこそ 彼だけへの贈り物を 受け取ることができたのだ
子どもはそれぞれに なりたいかたちを 持って生まれて来る シュタイナーのその精神は 簡単には答えが出せない迷路の中での たったひとつのよすがになった
わたしは随分回り道をして 依然なりたいかたちに 辿り着いていないけれど ひょっとしたらその経験さえ 子どもにとっては 必要なことだったかもしれない
報われる
そういう言葉で 想像していた瞬間は あまりにも俗世間っぽくて なのに本当に訪れたのは いかにも世間から外れたあげくの こんな不意打ちだったとは
ミミズクに乗ってきたの
どうやって来たのかという わたしの問いに そのひとは答えた
乙女の祈り 流浪の民 子守り歌 思いつくままに 楽譜を乞われて 会計になったら 他のも一緒に後で払うと言い 高額商品を欲しがった
途中で素性が判明 支店の方に訪れる 噂を聞いたことがある 頭に毛糸の花をつけ 犬を連れてやってくるおばあさん ともかくぶっ飛んでいる
犬はいなかったので 電車に乗ったのかもしれない けれども お金を持っている様子もないので どうやって来たかは謎 社長とアポを取った事務所では わたしは魔法使いなの と言っていたらしい
赤い傘を開いたまま 店先にボンと放置して 早番だったけど 彼女が帰るまで 一緒に付き合うつもりだった 何度か話しは行ったり来たりして ようやく次の目的地にと去った
やれやれと タイムカードを押して 買い物に向かう途中 その赤い傘は 近所の帽子屋にあり 帰りには もう少し駅寄りの 靴屋の前で開いていた
傘畳むの嫌いなの と言うのを 通行の妨げになるのでと 閉じてもらっちゃったけど ひょっとしたらそれは わたしがここにいる というシルシかもしれない
なんだか 映画のシーンを観るようで もしお母さんがそんなんなったら とムスコに報告 ふふ と笑って終わりだった
帰って思わず ワインを注いでしまったのは けっして ヒトゴトではないせいか 先のことは 誰にも判らない
なんだか 枯渇しきって からっからだった
ようやく休みだった昨日 本当なら 温泉に浸かるとかしないと 復活できそうにない なんて思っていたのに 自転車で走り廻っているうち すーっとしてきちゃった
そして 無駄な一日にしないために 日付けが変わるまで アイロン掛けをして 布の準備も あと一着分を残すのみとなった いやー長かった
そういう自分改造は なかなか進まないが 密かにダイエット進行中 急激な何かは 一時効果が出ても続かないので 無理のないように 食生活改善をして一ヶ月
たまに準備できるときだけ ご飯をお粥に変えるだけだが そのお陰で食べたいものが変わり いつの間にか 身体の内側が軽くなって 腰への負担も 感じなくなってきた
この調子で行きたい ナニゴトも 結果をあせらずゆっくりと
ひっさびさの連休 そして 久々の着物洗い 今日を逃したら また先になること必至だ
ひたすら潜伏し 目的に向かって精進する なんてもうホントにできなく 鬱屈した気分が とぐろ巻いていたこの頃
昨日観た映画 ディアドクターで まあしゃーないか と少しだけ思えた
何故そうするのか 整合性とか筋の通ったことを 人はあまり意識せず 正しいかそうでないかすら 照らし出す部分によって くるくると入れ替わる
それはまさしく この田舎の日常でもあって もっと大きな自治体レベルでは どこかで線引きしなければ お互いに不便なことも 許容し合って進んで行く
白黒はっきりしろ とか ポリシー哲学がない とか およそ左脳思考に偏っていた この頃の自分に気付かされる
もっと奥を辿ってみれば そう考えることの発端には 無意識に感じるままに動きたい 対極の部分があって その欠乏を思考で埋めようと 隙のない論理で フォローしようとしているのだ
それをせずに 放置していくことは わたしにとって苦しい
けれども 他人の不可解さや矛盾に 許容しきれなさを感じるとき それは誰かのことじゃなく 自分を転嫁していたのだと ぐるり廻って思い至る
この映画のワンシーン 車のフロントガラスに映る 反転の三日月みたいに 満ちる月と欠ける月は いつも同胞なのかもしれない
雨が止んだので 少し遠くのスーパーへ 竹輪が一本10円にびっくり 各種練り物も安かったし いつものキャノーラ油が これまた大特価だった
そこへ行くには ちょっとだけ 頑張る気分が必要なのだけど 行くと必ず やっぱり来なきゃダメだなー と思いながら帰ることになる
うっかり食材を切らして フル終わりに 近くのスーパーへ寄ると ただでさえ品数が少ない上 チラシなんか入っていようものなら 既に目ぼしいものはなく 結局高い買い物をすることになる
ちゃんと 明るいうちに買い物に行ければ 数時間分の時給をもらうより 遥かに経済的なのを考えると 仮に専業主婦だとしても それはなかなかに 創造的な仕事なのだ
もっとも そういう立場のときには あまり意識がなかったわたしだし 入るものがなきゃ 節約だってできないワケだけど 戦闘終わりの気分で 自転車をこぐのは悪くない
ってワケで 今夜は急遽おでんに決定
しばらくの間 子どもの通院は続くが 各種検査画像を持って 掛かり付けに戻った昨日は 装具をつける話しが出て かといって 無感覚な自分が ちょっと不思議だった
症状としては重症 と言われたときもそうだが 親として もっと心配しなければいけない ような気がするものの 命に関わる事態ではないし 日常は普通に送れている
たぶん 本人が病院に行く と言わなければ そのままだったろう と思うと ちゃんと自分のことは 自分で把握できるのだと 妙な感心もして
お陰で 何か予兆を探ろうとか 義務感に囚われることもなく 本人には無理なことだけ フォローすればいいやと 親としての意識は 随分気楽でいられる
いつまでも 同じ感情を強要する 息苦しい親子関係を知っているから 子どもが自立し 親が子離れするのは こういう感覚かもしれないと その片鱗を思う
お互いの間に 澄んだ空気が満ちていて 自由に呼吸することができる 子育てには いろんな段階があるけど そこへ向かうとしたら 尚更素敵だ
先日訪れた雑貨屋さんで 子ども達にと購入した お箸の象嵌部分が 洗って二度目で あっけなく取れた
むしろよくある 色落ちが心配だったのに それはまるで予期せずで さすがのアジア雑貨 油断してはいけないのだ
しかも恐らく現地では 10円20円のものだろうが 直接買い付けているせいか 300円とそこそこの値段
これなら100均の方が 同じアジア製でも 日本人の目が入っているだけ まだましかもしれない
他人の作ったものを 売るのは難しい
安く仕入れられるからって いっぱい乗っけても ただモノを右から左にするだけで 簡単に稼げるワケじゃなく 出すだけの責任が掛かってくる
もちろん クレームをもらってから どう対応するか がキモなのだろうけど 残念ながら遠いので わざわざこの箸のために 再び訪問することもない
着物を解くのを 楽しみにしていた今日 朝一の予約で 子どもの病院に付き合ったら 終わったのは夕暮れ時だった
それはともかく R.I.PのPVがアップされていて その最後の方に お墓が連なる画像 いやーもうこれは デジャヴなんてもんじゃなく
そのお墓を臨む 手前の道とかまで かつて夢に見ていて あまりにも印象深く 確か日記にも 書いていたはず
そうそう しかもその夢を 三丁目の夕日のことで 突然思い出していたのだ 続編ではバンプが曲を提供するも それは観ていない
墓の夢はそれきりで 何故よくある日本の墓石じゃなく 緑の大地に連なる まさしくあの風景だったのか 今もってよくは解らない
ただくっきりと鮮明な印象が ありありと思い出せるのは きっと集合無意識に近い 誰もが共有できる場所から 取り出してきたせいと思っていた
だからなんだな わたしのは結局 それだけで終わったけれど ちゃんとアクセスしたら いくらでも 創作のための種が 広がっているに違いない
大量の 着物の山から 自由に選んでいい となったときの チョイスは如何に
もちろん 誰が見ても 良い物はイイのだけど 紬だなんだと 騒いでいたのはもう過去で こんなんでました だったのが今日
最初は あの どこをどう取っても 一着にならない生地に 合わせる赤銅色の着物 だけがあればいい と思っていた
それが無理だな と早々に悟ってからは いきなり白紙から すると 終わってみれば ゴシック風の服ができそうな ブレないラインナップに
もちろん いつだって 好きな生地を選んではいるけど 目の前にあるひとつが リアルにかたちに結びつき それはそれで完結 ってのが普通だったのに
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辞めたコが 突然遊びに来て 誰かに遇う前にと 急いで帰って行った
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遊びに行きましょうよ って お酒は飲めないんだったし ならまた 少年のような声でも 聴かせてもらおうかな
夕べは どうしてもの気分で 歌いに行った
いくつものフレーズが 頭に渦巻いていたくせに 思うほどには 上手く歌えなかったメーデー いやもうでもホントに この歌詞もすごい
んでその作詞の作業を この歌詞に例えて 語ってるインタビュウがあって これまたすごい 作って行くうちに 以前よりもっと深くまで 潜れるようになるって
どこか自分の 奥の奥の 計り知れない深みから 取り出してきた言葉 それはただ自己満足じゃなく ちゃんと誰かに伝わっていく
だからこそ 彼らに共感できる 多くの若い子たちを その感性を 素敵だと思う いずれ担う世界は きっと今より素敵になる そんな気さえする
こんな社会に子供を持つことを 逡巡していたくせに 当の子ども達は わたし達が一向に変えられない 古い枠組みを超えて もっともっと先に進んでいる
だから 自分の小さな欲望の 何が叶わなくったって それでもいいじゃんと思える ヤツらの未来のために 今に埋没して 捨て石になっても きっと浮かばれるよ
再び呼吸をするときは きみといっしょに
34歳の 結婚詐欺疑惑の女性は いったいどんな風にして ターゲットと出会ったのか なんて友人と話した
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ちゃんと利用するには 会員にならなきゃなのだけど ざっと見ただけでも 興味を惹かれる人が数名 ほとんど第一印象に近い部分で そんな風に誰かを 判断すること自体が新鮮
いずれもどこか練れた 修行僧タイプだった うーん なんか 自分を律してる感のある人に コンプレックスでも 抱いているかのようだわ
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何かを 持たない自分が 持つ相手を探す ってトコで
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