うーんいいカンジ 毎日少しずつでも 必ず布に向かおう と思ってからまだ三日 だけど そのことが こんなにも安心をくれる
新たな決心はイロイロ なるべく早く 簡単にできるように これまでのこだわりを いくつも捨てて 定番のマイナーチェンジ
お陰で はや袖付けを残すのみとなり まだ迷っているが それもやはり 簡単バージョンにしてみようかと 傾いている
早く仕上げるということは ミシン多用になるのだけれど 苦手意識があった 柔らかモノの縫いテクが いつの間にか向上していて 嬉しいオドロキ
実はその前に 裁っておいた布でシャツをいざ と思ったら 布が弱っているのに初めて気付いて 立ち直れない位ガッカリ ってことがあった
それがあまりに悔しくて 別のを縫わずに居られなかった ワケなのだけど 後悔に注ぐエネルギーを 前向きに転換できたことで かなりスッキリもした
ひとつひとつの布への 思い入れはあるけれど あまり引き摺られてしまうと 先には進めない サクッと切り替えることも 時には必要なのだなあ
昨日はわたしが帰った後 バイト先で悶着があったらしい
やめてくれ とまで言われたと その話しを聞きながら 言われた本人は 今までの反応とは違って 随分と冷静だった
少し前まで ここしかない と思い詰めて 負荷を掛けていたのが 先の人生をどう生きるかを含め ブラッシュアップを始めた
結果そのことが 問題になったらしいのだが 突っつかれて過剰反応しても エネルギーの無駄ってことで 人間って変わるものだと つくづく感心
と 解ったように眺めているわたしも のんびりしている場合じゃない 新しい攻めはとりあえず置いといて 自分がもっとも望む 自分のイメージに向かって 努力しなければいけないと 連休のあれこれを反芻した結論
ちょっとまた駒を戻し 地道に製作を志す 引出しを増やさないとこの先 きっとすぐに涸れる 不安から行動すれば 別の不安を生むだけだから
ようやく 夫婦別姓が 実現しそうだ
上の子を身ごもった頃 できればそうしたい と思ったが 誰もそんなことなんて 考えてもいなかったし まして法制化は夢のまた夢
あれから20年近く経つが その間 家族崩壊につながる とか 家族の一体感を損なう なんて バカなコトを言っていた 前政権下では 延々と先送りされていた
姓を継ぐ そのことで 人生を犠牲にした人もいるだろう 外側を固めるだけで 家族がまとまるなんて論理を ひっくり返して まるで脅しのように語るなんて どっかのあくどい宗教みたいだ
お墓の問題も同じで 生きている人間よりも 死んだ人間が優先される 別姓が許されるようになったら きっとそんな歪みも 是正されて行くと思う
外側じゃなくて 本当の個々の中身を 大切にできる社会になって欲しい それに伴ってきっと パートナーの役割も 多様性を許容できるようになる
アクエリアスエイジ ようやくその言葉が 実感を持って響く 火でも水でも土でもなく 風の星座が中心になって 世の中を変えて行くのだ
子ども達それぞれが どういう生き方をするのか わたしからの視点では 気付かなかったことを 持ち帰り話しをした
けれども彼らは ちゃんと 自分の好きなことを握り締め それをテコに 少し先を見始めていた
わたし達が子どもの頃 まず乗り越えなければならなかった こうあるべきの父性 絡まり続ける母性 それをどうバランスするのかは わたしにとって 難しいテーマではあるのだが
少なくとも子ども達にとって 恐れていたそのことは 最初の障害にはならず もう一歩先を 歩んでいるように見えた
この田舎の 狭いヒエラルキーにはまらない その選択は 居心地の悪いこともあるだろう けれどどこにいたって ひとりで成立する何か を持っていれば 最低限の防波堤になる
それに気付くのに わたしは随分時間が掛かったけれど 彼らを育てながら 手探りしていたことも やっぱり意味があったのだ そう思いたい
帰省では 父の他に 親戚を見舞った
お正月には元気だったのに あと30分遅かったら ダメだったという大手術 髪はほとんど真っ白になって でもそれでも 頬には赤みが差していた
年齢は 父より遥かに若い けれどもこれまでに 倒れたりもあったし 危機というべき境を 何度か乗り越えてきた
人の命はわからない
もう俺はダメだ と電話で言っていた父には 命の終わりは 自分で決めるものじゃないよ と別れ際に言った
それはひょっとしたら ムチ打ちに近い 言葉だったかもしれない けれども あまりにも激しい人だったから その人生の最後にも きちんと向き合って欲しいと思った
余命の宣告があってもなくても 動けても動けなくても 生きながらに死ぬのではなく せめて今一瞬 自分が存在することを感じて欲しい
一口の水が美味しい 庭の木に鳥が止まった ここが痛い痒い そんな小さなことを 肉体とともにある時に
連休中 急遽独りで里帰り
まったく考えていなかったし 休みが取れるのかも ギリギリになったし チケットはキャンセル待ち でもなんつーか 引きが強いっていうのか
聞かされていたより 父の状態は ずっとよく見え 本人にとっては 誰かがやってくる と言うのが 張り合いになっていたようだ
お正月には 覚悟しなきゃと お墓の話やらが出て なんかぐちゃぐちゃだったが 今回はいろんな意味で 落ち着いた感もあった
そして 父が強大だった頃には 阻害されていて判らなかった 弟達それぞれの思いや だからこそ苦しんだ 父母の家系の暗部にまで じっくり踏み込んだ話しをした
親の子としての自分 子の親としての自分 ただ日々を生きるだけじゃなく そういう視点から 改めて今を映した時に これからの時間が また新しい意味を持ってくる
あまりにも近くて 距離の取り方が判らない 家族という存在に対して 今回初めて 大人らしい話しが できたような気がする
帰ってよかった だからって 現実に何が変わるわけじゃないが 魂を注入されたこの感じは これまでの帰省とは 全く違っていた
何度迎えても 子どもの誕生日は有難い
一向に変わらない自分 進んだように思えない状況でも ただ時間が経過したこと そのものが 人をこんなにも成長させるのだ と感じさせてくれる
もう既に下の子にとっては 家族三人での生活が それ以前より長くなった 上の子もこれで あと一年とちょっと
もう少しだね と 他人から言われるその言葉には 世間一般の時系列があって もちろん大きなキリには違いないが わたしにとっては 独りで育てた時間こそが重い
より大変だったとは言わない シェアできるひとがいるかいないか 子どもの成長のそれぞれの時期 それらは単純に 比較できるような類のことではない
そして何より お腹に命が宿ったその瞬間から ずっと初めての連続で たとえもうひとつ命を迎えても また別の初めてが 大きく重なっていく
そんな風に考えれば この人生の何もかもが新奇なのだが 授かった命を わたし独りの手のなかで 何事かで失うことのないよう その責任はいつも心のどこかにある
誰に対してなのか 彼らを見守る人たち全て というよりきっと わたしのところにもたらされた 計らい とでも言うものに対して
少なくとも 他の何に因っても生まれなかった 覚悟 を 初めて受け容れたのだ
楽しみに拝見している 着物リメイク関連の とあるブログに 解きもの画像が載っていた
まとめて10着強が 解いて洗って 綺麗に畳んで リボンで括って 棚に整然と積み重なって
何がコーフンするって そういう図が さぞかしこれから 素敵な服が誕生するに違いない 想像を掻き立てられ いいなーと思う
そこまでに どれ位の労力が必要だろう ただ着物が並んでいるだけでは 感じない ロマンに似たものを受けるのは ひたむきな時間が 傾けられているせいかもしれない
その整然さは 服を作るときの 細かな妥協ない仕事をも思わせ 会うことも 服を手に取ることも 恐らくないだろうけれど わたしを少し引き上げてくれる
いつか そんな風に なんて思ってはいけない 単純な日々の積み重ねの上に それらはあるのだから
増えるスパムメール対策に さよなら迷惑メール という無料ソフトを使っていた いちいち確認しなくても さくさくと 迷惑メールフォルダに分けられ これは使えると思っていた
30日の試用期間後も 制限付きで継続利用可能 ということだったが 購入しますかのポップアップが 煩わしくなった程度じゃん のはずが
世の中 タダでそんなわきゃない と今なら思えるし 有料版だって 安いとも言えるのだが
出したメールに広告が入っている ってそもそも 受信者から教えてもらえなければ 全く判らなかった こちらの送信済みメールには 記載がないのだ
で その広告文ってのが 明らかに広告ってよりは わたしが薦めているような 文面になっているのがモンダイ
私は から始まって これこれのソフトを使っていて これまでに○○通の迷惑メールを撃退した と しかもご丁寧に プロ版を購入したユーザーのメールには このメッセージはつかない と注釈まで
をいをい これってまるで嫌がらせじゃん ちなみに 一緒に載っているURLを見ると わたしもダウンロードしたサイトだったが そこにはこの件について これっぽっちも記載されていない
調べてみると 窓の社とかには フッターに広告が入る と載っていたが それを知っていたとしても まさかこういう文面とは 誰も思わないだろう
お陰で 有料版購入なんて気は 全くなくなり ましてやこのまま この迷惑ソフトを 使っていく気さえなくなった 速攻アンインストール
さよなら さよなら迷惑メール あーややこしい でもスッキリ お陰で立ち上がりが 早くなった気さえするわ
今週はバイト先に テレビの取材があって 確か今日の深夜が放映予定 関西テレビのサタうま でもたぶん起きていられない
馬券が当たったら 何が欲しいか のアンケートに うちの店で買い物がしたい と答えた人がいての取材
がしかし どういう内容になるのか 事前に何も判らず 子どものお年玉レベル の商品しか展示していなかった
高額商品を入れても 回転しないからで なんか 田舎のお店を茶化しに来たのか って感じもしたが まるでお芝居のようなやっつけ取材 一体どう料理されているだろう
後でDVDが来るらしいので それを見るとして しばらくぶりに 明日はゆっくり 日曜気分を味わえそう
その前に めっきり冷え込む夜なので 冬用の寝具を出さなきゃ ついこの間 仕舞ったばかりの気がするのに よく分からないまま 夏が過ぎてった
毎日少しずつやるしかない と覚悟したものの はや明日は 再び納品の内職
ようやくここに来て 本人に火が点いて またいつ失速するか知れない との不安もあるが とりあえずホッとした
しかしそれが お母さんが大変だから とかの ウツクシイ理由ではなく しっかり別の人参が 浮上したせいというワケで
はあ
でもいい 贅沢は望むまい やればできる のが判っている本人だからこそ 先延ばしにしたんだろうし 実際始めれば ただひたすら手を動かすしかない のだから
ゆっくり大人になれよ と思っているようには なかなか対応できないわたしも 彼の揺れに付き合いながら 少しは大人らしく なれているのだろうか
ともかく またダメダメになっても フォローできることはしよう なんだか 背中で語る的な ちょっとおやぢ気分も入って これも本領発揮ってトコか
いつだったか 独りでいる時に聞いた バイト先の店内奥で 本が落ちたような バサッという大きな音
いつものラップ音は パシパシと軽いので まあ 建物も古いし 湿気の加減とかで 物理的に鳴ることもあるだろう 位に思っていたのだが
何の疑問も感じずに その落ちたであろう物を 探しに奥へ行くと いつも掃除している床には 特に異変もなく そこで初めてぞーっとした ってコトがあった
そして今日 またバサッという同じ音が 連続して二回 しかも売り場にはふたりでいて いやもうこれは明らかに 何か落ちたに違いないと 先輩が確認しに立った
でもね やっぱり何もないワケよ んでひょっとしたらその奥の 二畳ぐらいの物入れスペースかと 扉を開けてすぐ 今朝とはなんか空気が違って 気持ちが悪い って言うのだ
その後 ふたりで一緒に開けてみると もう元に戻っていたらしいのだが 普段から あまりいい感じの空間ではないので 明日盛り塩をしようとなって とりあえず落着
なんかつい この所のゴタゴタと 結びつけてしまうのも どうかと思うが 先代の姿を 何度も目撃している人がいるのも 事実だったりするのだ
先日の休みに 棚廻りが少しだけ 整った
コンセプトはなく 縫い部屋の棚の中を 一部移しただけだけど その横に 背の低い衣桁を 75度くらいに広げて シワになった着物を掛けた
アイロン台の上には この夏ずっと眺めて過ごした 無地に近い細かな格子の さらっとした絹地があって 他を動かしたら余計に それがクローズアップされた
着物のままで着ようと 友人が買ったものだが いつ来るか判らないその時よりは やはり服だろうと 解いて洗ってしばし
大陸を渡る風を 孕んで翻るような たっぷりしたシャツが縫いたい あえて長袖で 袖口はストンと スリットだけを入れて
少しフェミニンな印象の服が 却って似合うような気もして 型紙なしの作り方で どうかなと思ったら 少しドキドキ
なんだかくるくると 乱されているこの頃 自分を落ち着かせるためにも 驀進する前に 呼吸をして シャツを縫おうか
今日の休みは 大事にしようと いろいろ計画していたが 何のことはない 子どもの内職フォローで 出足からガタガタ
なんでもいいから 自分で決めたことを きちんとやって欲しい と思うのだけど あーそれはわたしのことか と言う気もして 根気よく付き合って行かねば と考え直す
他人様を 切り捨てるのは簡単だが 結局そうやって 自分の中だけ綺麗にしても まるで相反するように 逃げ場のない状況がやってきて 立ち向かわざるを得なくなる
なんだか 蛇が自分の尻尾を 自分で飲み込んでいるような すごくヘンな気分になって 朝から何も 口にしていないのを思い出し 公園の藤棚の下で シュークリームを食べ コーヒーを飲んだ
空気は熱を帯びて カラダにまとわりついてくる 夏の名残があるうちに 棚のしつらえをやってしまおう こういう時には ともかく 進んだという実感が必要だ
なんか このところのごちゃごちゃは 要するに エネルギーの奪い合いだよな と考えてみて初めて いまいち判らなかったことが 見えたような気がした
だから 筋の通った説明とか 必然性とかを そこに求めてはいけない 一見社運を掛けた大事業に見えて まともな考えで理解できないのは そういうことなのだ
日頃同じような方法で 他人からエネルギーを奪っているなら まともにそこに巻き込まれる そうでない人は 自分なりの解釈で 同調しようとしても 結局はどこかで乗り切れない
昨日は改めてミーティングがあり しごく正論での突っ込みを さんざ入れさせてもらったので 同じ進むにしても 少しはバランスが取れたものになる と僅かな期待を抱いているが 果たしてどうなるか
わたしには そういうことに 差し上げるエネルギーはないので もう本当に外野に過ぎないが 傍観者でいることは それもまた 同じレベルの病に違いなく
泥舟と捨ててまた 泥舟に乗らないように ちょっとこれは 要注意のステージになった感アリ
まだ 暗いうちに目覚め そのまま眠れなかった
今の状態を見ていると 秋までもたないかもしれない 夕べの電話で母は そんなことを言っていた その言葉に 先日珍しくわたしを認識し オレは三ヶ月は無理だ という父の言葉が重なった
自分の家族のことで 精一杯で 何もしてあげられないわたしが 唯一できるとしたら 心配を掛けないこと だと思っているのに つい現状を口にしてしまった
何かいいことがあるといいのにね とため息をつく母に でも ちっちゃないいことは 毎日いっぱいあるよ と言った
そして 父と母の日々の中に 同じように 小さないいことを探した
手の届かない希望じゃなく 周囲が考えるいい方向じゃなく 少しずつ変化している父を 一番近くで見ている母なら 何が相応しいかを 刻々と感じ取っているはずだから
その時 には きっとまだわたしは 何の準備も できていないに違いない けれどそれでいいと思う きっと生きていくことに必死で でもそれでいい
折角コピーした後で 載せたアドレスの ハイフンが判り難くて 愕然としたチラシ
いっそのこと ネットなんか使わない層を メインターゲットにしようと 一行全部を修正テープで しこしこと消し ようやく終わった
いざとなってみると おおまかな構想はあるが ほとんど出たとこ勝負に近いので 本当にできるのかどうか 全く自信はないが もういよいよ そんなコトも言っていられない
というのも 今日の会議で突然 お店に定休日を作るとなり ってコトは ひとりでフルの出が減るから 稼ぎもそれに伴って 少なくなってしまう
本当なら 稼働日が少なく時間は多く 効率よく働きたいのだが これからは どんなに毎日積み重ねても 頭打ちとなるのだ
ただ いいのは 気兼ねなく休める日が 週に一度必ずあることで リズムもできるだろうし 定期の予定も入れられる 連休だって取りやすくなる
前もっての打診もなく あまりに突然だったので どう考えたもんかと思ったが 何がどうなっても そこから 恩恵だけを受るには これからの自分次第なのだ
頑張ろう リスクは限りなくゼロに近い それだけが わたしの強みなんだから
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