銭ゲバを見ていると 今はもうお付き合いしなくなった ある人を思い出す
随分前に 病気でご主人を亡くした その人は子ども達と やっぱり大事なのはお金 そう話すのだそうだった
持ち家も 保険金も 土地建物の家賃収入もあり だからこそそう思うのか わたしには量り知れなかったが ブランドのバッグを持ち 無自覚にそういう話をするのを なんだか聞いていたくはなかった
本当は 何かを引き合いに 価値をうんぬんすること ではないはずなのに 話はドラマだけのことじゃなく 同じようなテーマは わたし達の周囲に溢れている
そういうわたしも 生きている限りは 経済活動のなかにいて どうしたらもっと自由になれるのか よく解らずにいるし 無自覚という点では 似たようなものかもしれない
例えば 稼いだお金で ちょっと子ども達に美味しいものをと そうできることが幸せだったりする けれども 野山を歩き回って 採ったものを食べてもらう時だって それはまた特別な幸せがある
どちらにもある幸せの共通項は 生きている感謝を分かち合える というところにあって だからって殊更に それを強調することはないけれど ただ 行為のなかに 全てが含まれているのだと思う
命を繋ぐためのあらゆること そのことどもが大切なのは何故か ロジックで順番を 間違えちゃいけない
毎日雨ばかりで どしゃどしゃと 飽きずによく降った 久々の晴れ間に じっとしていられなくなって バイトが終わってから 散歩に出かけた
いくら長居しても 独りでそっと過ごせるような 居心地のいいカフェは 都会のようには見つからないけれど そのかわり たっぷり滋養をくれる 豊かな自然がここにはある
土手まで歩いて 枯れた草の上を 子どもみたいに ざざーっと滑り降りると その先に 優しい黄色の菜の花が ぽつりぽつりと咲いていた
春がもっと進めば そこに大根の花も加わって 一面がお花畑になるはずだけれど まだそちらは 葉を大きく地面に広げるのに 一生懸命の様子だった
空高く上がっていく ひばりの声と 霞む里山の景色と 海の方角から吹いてくる風 そんな場所に ひとりで居られる幸運を 訪れるたびに思う
リスと人間のために 蕾の菜の花をおみやげに たっぷり癒された 僅かな時間だった
どうも 新しい仕事は これまで慣れ親しんでいた 自分の頭の使い方から まったく別の部分を 起動させねばならないようだ
常日頃 入ってきた情報に対し 無意識にフィルターを掛け 自分なりの処理を施している ワケなのだが そもそも 情報過多という状態が苦手なので かなり厚めのフィルターになっている
それを外そうとするのは 実はわたしにとって かなりの困難なのだと気づき けれどもたぶん この機会がなかったら それでも一見支障なく 自分のクセみたいなものに 寄りかかっていただろう
もしこの経験が 自分の中に浸透したら 例えば作った服を どんな風にプレゼンするのか それすら変わって行きそうだ
今更だが ずっとそのことには 引っ掛かりがあって 原因は解っているのに どうしても思うようにならずにいた それがスムーズにできたら どんなにいいだろう
外側の条件とか何とかよりも 全く別の部分で わたしにとって必要な事が やってきたのかもしれない
なんだか 目まぐるしい数日だった
特に昨日 新しい仕事の方を 締め切りまでに 余裕を持って終わらせよう と思って取り掛かったのだが 予期せぬ事態が起こり パニックになった
いやあもう たぶんこれまでの人生で いちばんの大失態 詳しく書けないのが申し訳ないが フォローしようとしても 手がガタガタ震えて思うように動かず うまく行くようにひたすら念じた
お陰で 日曜日の姫路行きを 癒すはずの休みが どんよりと疲れ 事態が収拾してからも その余韻は冷めやらず 一気に白髪が増えたみたいだ
なんか ひょっとして ミスへの耐性がないのかも っていうか 新しい事に向かう時の心持ちが 人生嘗めきっているせいで ゆるゆるになっているのかも
とか いろいろと反省するのだが またきっと 喉元過ぎればの わたしなんだろうなあ
遅い初詣で 願ったのは主に 仕事のことだったが その次の日 突然オファーをいただいて 今日は詳しい説明を伺ってきた
実は以前 縫い生活をワガママに続けるために とある求人を見て 履歴書と原稿を送った 結局あえなく敗れ その後 今のバイトを見つけたのだった
もうすっかりそのことは 忘れていたので どんな仕事の内容だったか 俄かには思い出せず しかも今の状況で どれ位時間が割けるものか 想像がつかなかった
けれども 一度は望んだことだし 先日お断りしたお誘いが 文章を書くというお話だったので それがなんだか布石のような気もして とりあえずやってみようかな と思ったワケなのだった
詳しく伺ってみると メインになる仕事は 特に頭を絞らなくても済み しかも家に居ながらできるので 長時間拘束されずに 僅かでも確実に収入になるのが有難い
わたしのことだから その分バイトを 減らしてしまいそうな気がするが 少しでも安定収入が増えれば ワガママな殿様リメイク道を 貫き通すことができるのだ
これはやっぱり ご利益 なのだろうか それとも 第二室の水瓶座木星に 沢山の星が 刺激を与えている今だからか
仕上がった綿入れを送ろうと 荷物を作っていたら お正月に見た反物が どっさり届いた
あの後 もっと他にも出てきて 全部一度に送ろうとしたら 用意した箱に入りきらず 何度かに分けるとのことだった
どれも未仕立てで ホシが出ているのや 合繊化繊もあったけれど 自分ならまずチョイスしないだろう と思うような バラエティーに跳んだ内容に イメージがくるくると舞った
きっとまた 直ぐには形にできず 発酵が必要かもしれないが 自分の中に眠っている まだ見ぬアイデアを引っ張り出して 素敵なものを作ろう
大きな山を超えた開放感と 新たな山を目前にした ワクワクするような緊張感 なんだか随分 遠ざかっていた気がする
ふう ようやく 綿入れが完成した
実に期間が掛かったが それはたぶん わたしが父の今を 受け容れるために 必要だったのだろう
夕べの夢のなかで なんて酷いことをするのかと わたしは父に訴えていた その行動は多分にデフォレメされて 現実にはあり得ないのだけれど 声を振り絞って責めていた
思うように声が出ないので 何度も同じ言葉を もっと強く 叫ぶように言わなければ 到底わたしの気持ちなんて 伝わる訳がない まるでそんな風だった
途中でふと眠りが浅くなり 自分の声で起きたのだと判り また眠りに落ちて続きを見た 父は病院に行って治療を受け 見違えるようになって これから平穏な老後を送れるだろうと わたしはほっとした
一連の物語となったその夢で ようやく自分の中で 何かが完結したと思えた まだ縫いの工程は 随分残っていたが きっと今日完成させられる これまで遅々として進まなかったのに 目覚めたときそんな予感がした
帰省から戻ってこっち 意識の上ではなんともなかったが たぶん無意識では 今までにない位深いところまで 潜ってクリアにしなければ 先には進めなかったのかもしれない
よく普通に 日常生活を送っていたと ようやく気づいた もっとも 停滞している感はつきまとい それが払拭できないのは何故か 苦しくて仕方がなかった
折しも昨日 年が明けて初めて 神社に参拝をした 清々しい気分に満たされて ようやく ようやく
バレンタインを前にして ちょっとしたドタバタがあった
好きな人を振り向かせるべく 小さな格闘をしていた友人が もう望みがないと 諦めたはずなのに その恋人達が盛り上がるだろう日を 妄想してじっとしていられなくなった
差しさわりがあるので 行動の内容については控えるが 相手はどこかで誰かと 甘い夜を過ごしているかもしれず それが一度は 冷静に諦められる理由でもあったのに ベクトルはマイナスから 超プラスへと転換したのだ
人間どおしだから これからだって 可能性がないとは思わない けれども 既にウザい女になっているかもしれず これまでの経過を考えると あまりにもアイタタなのだった
自発的な 好き という感情は 相手の事情を一切汲まない けれども 本当に双方向の想いを望むなら 溢れる好きに そっと蓋をすることも 時には必要なんじゃないだろうか
それはつらい修行かもしれないけど きっとあなたをもっと 素敵に大きくしてくれるはず 大好きな友人から届いた ロイズのチョコを頬張りながら この幸せをお裾分けしてあげよう なんて思うのだった
我が家はさいきん ナゼか再びの指輪ブーム ノーカット版を あらためて何度もエンドレス
辻褄の合わなかったことや 地名人名に人間関係の確認など 封切り直後よりもずうっと深く 観ながらの話しは尽きなくて 今更に 飽きないねえ と言い合っている
原作の文庫があるが 子ども達には 未だにハードルが高いらしい もっとも 昔コーフンして 友人に貸した時も 本草学が踏み絵のようで 面白さを分かち合えなかった
なので オマケ情報をいろいろ披露 特に指輪時代が終わったあとの 年表から読み取る 指輪の仲間の動向なぞ オプションネタには事欠かない
まったく 初めて指輪物語を読んだ頃 わたしは派遣社員で 今のバイトより はるかに高額の時給だった 子どもは一生産まないだろう と思っていたし 住んでいたのは千葉県だった
そして 偶然見つけた アニメ版のレンタルビデオを どきどきしながら観た それはちょっと地味なつくりで けれども大好きな世界が 映像になったことで満足し 続編がなかったことで がっかりもした
まさか 自分の子ども達と こういうヨロコビを シェアできるなんて 人生って本当にミラクルだわ
新聞を読んでいたら 芥川賞作家のひとが 自作について 出会わない系の物語 と表現していた
先日 とあるサイトから 参加のお誘いを受けて そのことで広がるだろう 新しい繋がりについて いろいろと考え あげくお断りした経緯があって その言葉がなんだか気に入った
もちろんこうして 日記やサイトを ネットで露出しているからには 不特定多数の眼に触れることが 前提になるワケで あえて出会わないとは言わない
けれど もっともっとと 蜘蛛の網をはりめぐらせるとしたら いくらチャンスを増やしても きっと足りることはないだろう そういう中での出会いを どこまで大切にできるか わたしには全く自信がない
そういう意味では 作ったものをたまに出し その上で出会った人に 誠実に対応する 今の歩みはわたしにできる 等身大のリズムなのだと思える
出会うことは そんなに簡単じゃない けれども 出会うことそのもの を目的に釣られるとしたら 自分の中の欠乏感をまず 精査した方がいい
ちくちくちくちく 手縫いをしていると ふと 祖母を想う
と言っても 縫っている姿は記憶にないが 小さい頃親に連れられて 海の近くの街で 雑貨屋をしているその家に帰省すると 綿入れのかいまきが沢山あった
それらは確か 所々で木綿の布を繋ぎ 襟元には 黒い生地を使っていて もちろん真綿ではなく 本綿の重みのあるものだった
沢山あったのは 母を長女として 兄弟姉妹が多かったのと ひょっとしたら帰省で 大人数が集まるのを思い 祖母がせっせと 縫っていたからかもしれない
それはおそらく特別のことではなく 北の地の冬を越すために 昔からなされていた 主婦の手仕事だったのだろう ひとがたに作られた綿入れは 布団の下でより身体に近く 添ってくれていたように思う
どんな風に縫われていたのか 今では直接訊くこともできないし 遺されたものを見ることも叶わない けれども なかなか進まない針目に へたりそうになると 祖母の仕事を思い出し 自分に喝を入れるのだった
なにか突然 カチッと音がするように 昨日から変わった気がしたのは 立春だったせいかもしれない
んで今日は 午後に陽射しが出たので お弁当持ちではなかったが ぶらぶらと歩いてみた
毎年恩恵を受けている 古い梅の木は 途中から大きく裂けて 折れてしまっているにも関わらず ちゃあんと赤く色づいた 固い蕾をつけていた
少し歩くと 汗ばむくらいに暖かく 大地もきっと 春に向かっているのだろう 雪はすっかり解けて 土は柔らかかったが 長靴でなくても 足が埋まることはない
まだ早いかもと思ったのに いつもの年には見つからない所に ふきのとうがもこもこと 顔を出していて いずれも 驚く程大きいのばかりで 一瞬それとは思わなかった
毎年採っているけれど こんなのは初めて ひょっとしたら 何年も地中の茎がちからを溜めて 一気に開花しようとしているのか すごい
なんだかちょっと その光景に気押されたが でもやっぱりと 勇気を奮い起こして 春いちばんのパワーを お裾分けしてもらったのだった
最近 お昼時になると お弁当が食べたい と思う
以前の売り場では 一日中席を外せなかったので よく手作り弁当を持って行ったが 今はフルタイムの出の日には 一時間休憩をもらえるので 家に帰ってお昼を食べている
その方がずっと経済的だし 日頃のおかずを 小分けに冷凍したり 保存しておくことを考えずに済んで すごく楽なのには違いないが あの小さな四角の箱に詰まった 手作りのお弁当には 他に変えがたい魅力がある
売っているお弁当には すぐ飽きるのに どうして毎日食べても飽きないのか そういう意味では 家で作るお惣菜も同じだが お皿にたっぷり盛られたのではなく 少しずつ詰まっているせいで 味わいの感度がより高まるのだろうか
冷たくなっても美味しいご飯に 厚焼き卵がふたきれぐらい 小さな手作りハンバーグと きんぴらごぼうとポテトサラダに ミニトマトをひとつ そんなのでいい 書いたらもっと食べたくなった
まだまだ寒いけれど 晴れた日に お弁当を持って 外に出よう あ もう少しで ふきのとうが見つかる頃だ
|