ゆりゆり日記
ただ知ること
過去にあつめたカケラで出来る絵は
その瞬間瞬間ごと
いつも完璧だということ
そうして明日を未来を生きていく

2008年04月30日(水) 自分に還る時間

この夏用にと思って
ずっと掛けてあった
単の薄物を解きはじめた

地色は黒で
控えめなトーンで
ドット混じりの縞がある
一見着物の生地っぽくない
けれども
洋服の生地にはないような
薄く風を通す絹

何を縫うかは
決まっていないし
もう少しで出来上がる
紬のスーツも
ここ二ヶ月同じ状態のまま
全く進んでいない

なのに何故か
ふと手にする気になった
糸目に集中するうち
こころがたいらになって
ああそうなのか
とその理由が解った

布とわたし
ここには
外的な不確定要素が何もない

売るということを前提にしなければ
しょせんは趣味にすぎず
社会性に繋がるものにもならない
けれどそれでも
わたしにはこういう時間が必要なのだ

なんだか随分長いこと
いろんな出来事のなかで
くるくると自分を見失っていた
コントロールできない要素が
あまりにも不安で
何かをどうにかしさえすれば
解決するんじゃないかと思っていた

けれどもそうじゃない
他に何が変わろうが変わるまいが
わたしはわたしでいればいい
どうして忘れていたんだろう



2008年04月29日(火) 住まいの安心

折角連休になったというのに
家の中の修理を
頼まなければならない

他人を家に入れる
こういう時ほど
自分が世帯主で
他に頼れる大人がいない
という事実を
心もとなく思うことはない

気が進まないのには
他にも理由があるのだが
これに比べたら
まだ電話工事なんて
全然ノープロブレムだった

つくづく思うのだが
こころの平安は
安心して住める家とともにある
古い家だから
これでもまだ
ナニゴトもなく
住めていた方かもしれないと
せめて前向きに考えよう

はあ
それにしても
休みで弛んでしまいたいのに
できないこのつらさ
どこまで逞しくなったらいいんだろう
現実ってキビシイ



2008年04月24日(木) 断片のモヤモヤ

休日の今日
何もせずにゆっくり休むつもりが
あまりにカラダが重く
このまま家にゴロゴロしていても
昨日までのモヤモヤを
引きずったままになりそうで
朝から出かけてしまった

そのモヤモヤとは
断片の仕事ばかりしていて
一向に全体像が
把握できないまま
というところから来ている
忙しすぎて
毎日の反芻ができないこともあり
こころの充実感に乏しい

しょせん
時間を切り売りしているのだから
そういうことを望むのは
却ってよくないと思うものの
ただ目の前の仕事をこなすことから
もう少し進みたいのに進めない
だからどうしたらいいのか
解らないままに
友人とコーヒーを飲み
関係のないおしゃべりをあれこれ

そうしているうちにふと
いただいた着物の事を思い出し
連休にひとりで仕分けるつもりだったのを
広い場所に運んで
ふたりで済ませてしまおうとなった

お陰で
車いっぱいに積んだ袋の中身を
全部いっぺんに広げて
全貌を眺めたあと
ひとつずつ点検し
ありったけのハンガーを使って
あらゆる場所にぶら下げ終えた

その跡は
埃や塵やゴミだらけで
家でするのは
到底無理だったと解ってホッとした
値札はまた日を改めて
特別なお宝以外は
なるべく安くつけようとなった

お昼に家に戻ると
今朝の状態がウソのように爽快
そうなのだ
全部の過程がちゃんと頭に入っている
こういうことをするとき
例えいちどにキリがつかなくても
それは確実に満たされた気分をくれる

もう少し経ったら
まとまったことができる時間が
取れそうなので
それまでまた
断片は断片のままで頑張ろう



2008年04月19日(土) 神様からのおくりもの

昨日
お昼休みに家に戻ると
土間に
大量のゴミ袋が積んであった

べつに
うちが汚いからと言って
ゴミ捨て場にされたワケじゃなく
中身は全部古着物
まさに捨てるばかりにされたそれを
知人が持ち主から
いただいて来てくれたのだ

展示会のことは気になりつつ
個人的に今回は
目新しいのが出せそうにないかも
と思っていたので
神様からのおくりものと
お話があったときからドキドキ

急いでざっと点検しただけだが
ぼろぼろで状態の悪いものに混じって
そのまま着られそうな銘仙や
ナゼかポーランド製の麻クロスや
生成りの蚊帳生地なんかもありで
ゆっくり時間を取って
整理するのが楽しみな内容だった

んで
今朝はなんかコーフンしたせいか
早くに眼が覚め
いつもの時間に子どもを起こしたら
なんで起きなきゃいけないんだ
と言われてしまった

そう
今日は土曜日
部活はあるけど
もっと遅くていいんだったよ



2008年04月17日(木) 背比べ

日曜日は
片道一時間掛かる場所での
オシゴトがあり
月曜日は大阪へ出張と
少し前までは
考えられなかった生活

月に稼動できる
時間制限を申し出たものの
ともかく今の時期は
一年中で一番忙しいのと
人手が足りないのとで
やれるだけやらなきゃいけない

んで今日は
急遽休みをとって
ゆっくり
と思っていたのだけれど
電球は切れてるし
足りないものイロイロで
あちこち買い物に歩く

ついでに
いつも気になっていた
子どもたちの下着や靴下や服
自分は着たきりだけど
いつか縫えばいいやなんて思って
でもこの状態で
いつそんな時間が作れるのか
展示会向けにさえ無理かもだけど

家に着くと
中学生が帰ってきて
やばいぞオレ169cmだぞ
うへー
そりゃあなんでも小さくなるはずだ
ってことわ
兄貴の方はいったい何センチなんだろ
というと
たぶんオレより20cmぐらいはデカい

ってまさか
んなわけないだろと思うけど
ふたりとも
ちゃあんと伸びてよかった
柱で計っていた日は
あまりにも遠くなりにけりだ
服を共用できるまで
もう少しかな
でも恐らく嫌がるだろうな



2008年04月10日(木) 古い小皿

余韻に浸ることもなく
もう数日過ぎてしまったが
先日桜を観に行った先で
思いがけなく古物屋を見つけ
予定にない買い物をしたのだった

たまたま停めた駐車場の
すぐ脇にそのお店はあって
まずは外にかご盛りになっている
杯や小皿に引き寄せられ
靴を脱いで上がりこみ
ひと通り商品を見て回った

残念と言おうか
良かったと言った方がいいのか
着物はなかったので
かなり悩んで選び抜いて
白地に桐と鳳凰の手描き柄のと
青磁の小皿を二枚ずつ購入した

本当はもっと
揃いで買った方がいいのだろうが
今の状況は
とてもそんな散財できるはずもなく
しかも買ったあと
未だに忙しくて
荷解きもせずに放置してある

けれども
古物を見るときは
時間が止まってしまう
ちゃんと腰を据えて良い物を発見しようと
スイッチが違うところに入る
それがなんとも心地よくて
あーやっぱり好きだなーと
確認した瞬間なのだった



2008年04月09日(水) オシゴトの学び

相変わらず
リメイク服の製作を
仕事のリズムの中に
入れられずにいて
そのことを考えると
ちりちりして来るのだが

その一方で
与えられた仕事をこなすことに
すごく喜びを感じてもいる
一日8時間から9時間
その時目の前にある
小さな仕事の連続に集中し
終えたあとの爽快感に浸る

いただく仕事は全て
そこに向かって行くべき
完成形が既にあって
ただわたしは
いかに正確に迅速にこなすか
だけを考えればいいのだ

どうしてこれが
縫いでできないのだろう
例え最初からかたちを決めていても
そんなには集中力が持続しない
足りないものは何なのか
ただ意思のちからなんだろうか

誰かが決めるのではなく
自分で決めたゴールに向かう
その時に
生身の肉体と感情とに
引きずられるままにせず
もっと自分を
高みから見張る視点がなくては
ダメなのかもしれない

遠回りしているようだけれど
きっと大切なことを学んでいる
そんな気がしてならないこの頃なのだ



2008年04月03日(木) サクラサク

桜の蕾が
ようやくほころび始めた
まだ空気はつめたく
満開にはしばらく間がありそう
少しのオフを作って
どんどん変わって行くこの季節を
逃さず味わうために野山へ出た

ケモノだけが通った道を
抜け落ちた鹿の冬毛を踏みしめて
探検隊さながらに
いく手を阻む笹を掻き分け進む
まだこの春は
誰も手を触れていない株から
こごみを一本ずつ手折る

そんなに苦労するほど美味しいか
と聞かれたら
正直上手く答えられない
けれどもたぶんその味は
自分で採ったという実感と
分かちがたく繋がっている

バイト先でも同じく
やってきたお客さんと
きちんと顔を見ながら
会話を交わすことができる
そういう小さな実感が
日々必ずあるということは
わたしを元気にしてくれる

実感がいい循環を生み出す

しみじみ思うこの頃
そんな中
ちょっと遠かった分野でも
大きな実感を得ることができた
正直言って
これに勝るヨロコビなんてない

わたしの中で
いち早く桜が咲いたみたいだ


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ゆりすこ [MAIL] [吉祥堂]

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