家にいるときの一日って どうしてこんなに早いんでしょ
取り掛かるのが遅いのがよくないと まだ霧の立ち込めるうちに 朝の空気を味わいながら しばし散歩をし さあてのつもりだったのだけど
難物の着物の途中で またテンションが落ち 気がついたら居眠りをしていた ようやく終わって 次は立湧模様の錦紗の袷 こっちはらくらく〜と思ったら もう夕飯のお米を研ぐ時間
外で仕事をするみたいに 9時5時が理想なのに キチンとできた試しがない でも乗ってくるのは むしろ夕飯後だったりするので そうギチギチに考えることもないか
家が好き
それはもうホントに間違いないですええ
着物フリマで買うときに 木綿ですかと聞いたら 何か混じっていると言われた 500円の着物 単でヘリンボーンみたいな ちょっと着物っぽくない生地だった
解いているうちに 麻が混じっているのが判ったのが ちょっとラッキーの気分だったが これがかつて解いた中でも いちばんの難物で ともかく縫い目に リッパーの先が入りやしない
要所はミシン縫いで しかもその針目がミリもない位細かくて ふっくらした生地の中に すっかり埋もれている 厚物じゃあるまいし ここまでする必要がどこにあるのか だいいち洗い張りができないじゃないか 格闘するうちに腹が立ってくる
苦労して少しずつ丁寧に解いたのに 縫い目がきつすぎて その痕がくっきり残ってしまい 折角使おうと思っていた耳端までを 幅一杯に使うのは到底無理と判断 なので とうとう自分的にご法度だった 布を引っ張りばりばりと裂く方法に切り替えた
けれどそれでも 短く切れた糸はすんなりとは抜けず 裏糸を細かく切りつつ 力を入れてひっぱるを繰り返し すっかり肩が凝り凝り終わる気配がない まるでリメイクを 拒否しているようにも思えてくる
いつも着物を解くときは 縫い手の個性なんかが分かって それはそれでしみじみ嬉しいもの ミシン縫いはそれだけで ちょっとがっかりなんだけど これって一体 誰がどんな考えで縫ったんだか
いくら機械を使っても ふっくらした生地を壊さないというのが 最低限の愛情だろうと思う なんかもうあんまり悔しいので 耳端の細い幅を 甘さを抑えたフリルなんかに使いたい 待ってろよの気分が ふつふつと煮えたぎる
ああ やっぱり 怒りがわたしのエネルギーなのか
以前からブックマークしていた 薩摩ボタンのサイトに久々訪問したら ショップページに商品がアップされていた
それがちょっとオドロキの価格で まあ手描きだし この時代の唯一職人だし と思ってはみるが 以前オークションで手に入れた 本物6個セットを かるーく上回る値段だった
うーむ
あれが手元にきてから ボタンとして作られたものなら 使ってあげてナンボと考えていた けれどボタンとして縫い付けてしまうと 洗濯する度に はずしては縫うをしなければならず 実用的ではない
復刻版のカフスボタンを見ていて ふとひらめいた あんな風に 裏に細長のボタンをつけたら 取り外しは簡単 そのためには ボタンホール同士が重なるような 服を作ればいいのだ
でも勿体ないから つける薩摩ボタンはひとつ 小さな金襴で縁取られた桜が ブローチみたいに 胸元で輝く服だ 見てみたいぞそれは絶対
今のボタンでさえ2万円前後 復刻版ボタンはひとつ2300円 それで作ったカフスボタンは 二個で2万8千円 さあどうよ 本当ならコレクションものの薩摩ボタンを 脇役に使うというこの贅沢
ひょっとしたら 粋ってそういうことじゃないだろうか なんて思いつつ 誰も実現しないだろうアイデアに ひとりコーフンしているバカタレなわたし 問題は それに相応しい主役なんだけどさ
調子に乗って 今日は二着
ゴミ箱を脇に置いて 鼻をかみながら 糸くずを捨てながら着物を解いていると まるでポップコーンマシーンのように 突然ゴミ箱の中身がぽこぽこ上下し始め ひどくビックリする
しばらくすると 鼻の頭に糸くずをつけて リス様が現れ 今度は着物の中に突入し 出ては入るを繰り返す なんか最近はトンネル系行動に ハマっているご様子
既にバッグの底をボロボロにされ どうも鼻の頭が赤いと思ったら 巾着の中の小さなブラシで擦れたらしい 禁じ手なのは承知だが 自然の成り行きで もうすっかり放し飼い状態
なので 解いた着物はさっさと お仕事の部屋へ そりゃあ穴開きのだってあるけれど ヤツの仕事への集中力が 着物へ向いたらと思うと油断できない
そういやキクも小さい頃 買ったばかりのジャケットのインナーを 齧ってボロボロにしてくれたっけ 放っておいたわたしが悪いのに 叱られてしばらくしゅんとなって 二度とそんなイタズラはしなかった
今キクがいたら きっとうまく共存してくれたろうな 写真の前にあげてあるキク用のお水を いつもペロペロ舐めているリス わたしが出す指先には 優しい甘噛みで留めてくれるから 親バカにもついそんな事を思ってしまう
昨日と今日と ゆっくり丁寧に 一着ずつ着物を解いた
丸紋模様のある 深緑のモールみたいな生地の道行と 黒地に立湧花柄の可愛い袷
道行の方は 緞子や繻子など 質のいい絹をパイピングして クラシックなジャケットがイメージ 袷は思いの他穴が多いので 生地を縦横に組み合わせて チュニック分が取れるかどうか
解きながら こうやって構想を膨らませているときが いちばんお気楽でいられる いざ作るときは ウンウン苦しんで お披露目は緊張感のある楽しみ
営業もいいけど また オークションのスリルを味わってみたい 展示会よりもサイトよりも 遥かに反応が多くて 見てくれる人の目的もシンプルな あの場所で シビアな評価に晒されてみたい
そう思うことで ようやく 縫いへのエネルギーが 少しずつ充電されていく
全ては自ら仕掛けなければ 何も始まらないし どう仕掛けるかも完全に自由 それがどれだけ嬉しいか なのにあの売り場で どれだけフタをしてきたか
商売として成り立たせるための 細かな計算や戦略以前に この感覚こそがわたしにとっての真実だ 囚われているように感じたら また別の方法を試せばいい
さて 明日は何を解こうか
本格的な風邪症状で ダメダメの日々 ちょっと長すぎ
こうなると この経過が なくてはならないものに思え どんだけチャージが必要なんだろと 自虐的な楽しみすら感じる
今年は営業に行きたい そう思ったら レンアイの初めみたいに 胸がキュンとして すぐにでも名刺振りかざして 走り出したくなった
その前に 去年のまとめをしなきゃ 営業するためのモノだって沢山なきゃ 駒はいくつも戻って 一回休み しかもまだ 他の盤のゲームが終わっちゃいない
前のオトコときちんと切れなきゃ ダメってことかしら
もう跡形もなくなってしまった 旧豊岡病院の場所を 横目に見ながら坂道を上るとき ここで いったい何人が亡くなったのだろうと いつも思ってしまう
ずうっと以前 住んでいた街の病院には 敷地の中に小さな祠があって いつもその前を無意識に通っていたが 今考えると そういう人たちの 魂沈めのためだったのかもしれない
坂道と堤防の下の更地は なんだかすり鉢の底みたいで いくつもの重機が荒々しく動いているのが 墓を暴いているようにも見える 遺すにしても 新しい施設をつくるにしても ここは難しい場所だと思えてしまう
力を入れて自転車を漕いで ようやくてっぺんの橋に差し掛かると 遠くの山々の辺りが 少しだけ白く明るくなっている 以前いっちゃんの教室から見た 虹の掛かった山だ
詰めていた息が そこでほおっと開放される
6年同じ道 でもいつか そこに何があったかなんて 覚えている人もいなくなる
買ったままになっていた 駄菓子屋さんのケースに 溜まったハギレを詰めてみた
検めてみると まだ生地の違いも判らなかった頃の 化繊のシミありや 黄ばんだ木綿の胴裏なんかがあって かなり悩みながら 思い切って捨てる選別もした
それらは適当に袋に入っていたのだけれど その間じゅうリスがまとわりついて 何かと思ったら 出て来る出て来る隠し餌 既に変色したヒマワリの種の中身は 箪笥に仕舞っていたような臭いで お前も諦めが肝心と掃除機で吸い込んだ
そうして ハギレの中から 小さな一片を切り取って名刺作製 昨年春に初めて作ったぶんは あっという間に配り終えたのに 売り場の忙しさにかまけて すっかりお留守になっていたわをんのこと
差し出すときの 嬉しい気持ちをまた味わいたい この一枚一枚とともに わたしのやりたいことが どこまでも広がって行きますように
ドキドキしている
この地に来て最初 新しく作り出すヨロコビに溢れていたころ
数年前 着物を素材にと決めて あれもこれもできると 可能性がどんどん広がったころ
新しい海に漕ぎ出す前のような
ジェットコースターが ゆっくり最初の坂を登るときのような
かつて感じたことのある あのワクワクするキモチ
この先に何が待っているか解らない 不安とプレッシャーがセットになって でもそれは 決してマイナスへの錘じゃなくて 却ってわたしを冒険へと駆り立てる
今度こそと思う
自分だけが知っている どこにもない新しい種を 今度こそ大切に育てよう
すぐにでも駆け出してしまいそうな 逸る気持ちを存分に味わって けれど ひとつひとつを注意深く かたちにすることをあせらずに
それでも失われない熱を からだの奥底から呼び起こそう
この感覚 これこそがわたし自身なんだきっと 大好きな 大好きなわたしが ようやく孵った
つかの間の晴れに 用事をまとめて済ませ ゆっくり本屋に寄った
天然 自然 ナチュラル 素材 心地いい
そんなキーワードの 同じような雑誌が沢山並んで 読者の部屋も ちょっとした雑貨屋さんのように ホーローやガラスや 白ペンキやリネンで飾られている
手芸屋さんに寄った
リネンの生地がたくさんあって 自分で簡単に作れる ポーチやがま口キットも豊富 少し前まで見なかった リネンのテープや 木綿のトーションも並んでいた
そういう雰囲気はわたしも好きだが もういい加減食傷ぎみで しかも寒い冬には見たくない 今の気分は 深い色合いの こっくりとした手仕事だ
モン族の古布ジャケットとバッグを買った いくつもの古い民族衣装の端布を 繋ぎ合せて作ったそれらは ゆったりとした時間の流れと 山々に抱かれて生活する人々の 息づかいを感じさせてくれる
古い着物の生地で そんな仕事ができたらと思う
泣いたり笑ったり傷付け合ったり 泥臭く生々しい人間の総てを おおらかに包み込んでくれるような 好きという言葉で表現するには軽すぎる 絡め取られてしまうような いくつもの手仕事の集まりを
それはただ もっと濃く生きたいという 気持ちのあらわれなのかもしれないが
熱が下がってからというもの なあんか気持ち悪くて お腹が空くという感覚がない もちろんお酒も飲みたくなく それだけでも不健康な気がしてしまう
お陰で いつもとテンションの違う日々 ちょっと大人しく 冷静に過ごしている訳なのだが それは意外と悪くない 特にこの頃 売り場後の展開を真剣に考える
限られた括りの商品を いくつも見ていると 立っていける商品と そうでないものの違いというのは 明らかに存在していて その条件の中から あの場所だからこそ求められることを 引き算したとき どこでも通用する大切なポイントが残る
とはいえ 世の中に溢れる 様々なカテゴリーの商品の中から ひとつの括りのものを 選んでもらうという 初動のための法則は また別のことになるのだが これから どう表現して行くかを自分に問う
判り易さ 選び易さ それを支えるクオリティ
言ってみれば ひとつの商品の キャッチとボディコピーを考えるときのように 何が売りかをひねり出すのでなく もう最初からそれがある みたいな そんな感じで
折角それがあるのに 盛り込みすぎて 何を伝えたいのか判らない 他所の商品の陥り易い欠点は すごく明確に解るのだけれど さて
書評家が本を書くにも似て
気になっていた申告を ソフトでやろうと思ったら このPCには対応していない事が判明
サイトをきちんとする準備に デジカメを買い替えたり いろいろやったつもりの去年末 今年になって 新しい画像処理ソフトを入れただけで 日記の変換すら遅くなっていた
以前から ビルダーを立ち上げただけで うんうん言っていたので とうとう潮時がきたのかもしれない
日進月歩の機械の世界にあっては いつまでも古いものにしがみつくワケに行かず 自分のしたいことを計りにかけ 溢れるくらいのモノと情報の中から お財布と相談しながらの選択
PCはお任せだから有難いけれど デジカメには迷いに迷い いろんな人に 何を使っているのか聞き 選択の決め手を絞り込むまで 途方もなく時間が掛かった
けれどそのお陰で どうやらやりたいことが ストレスなくできそうとあって 表現以前の段階に手を取られていたこれまでが まるで嘘みたいに思えるのだ
なんだか チェンジすることどもは 一向に明けないわたしを 少しずつ先へ推し進めてくれるようで ゆっくりそれに適応できるように わたしのOSも変わって行くのだった
ナンだか判らない 茶色のかたまりが 掃きだし窓から入ってきたので 脅したらぶっとい尻尾が出て行った
ほっとして あれはイタチかと 床の上の足跡を見ながら ネット画像を調べていたら 再び入って来ようとした 今度は眼が合った
朝の5時に オオキナ叫び声を上げた
はー 恐らく ご近所に轟き渡ったと思え 前にも同じ事があったような
っていうか 家の中入ってくる前に ネズミ捕れっつーの っていうか 手っ取り早く 隣のスナックの トロ箱狙いだろうな
というわたしは 夕方まで熱で寝て寝て 寝すぎて寝られず 冴えた頭で ちょいと調べものをしていた
こういうとき 必ず解決とは成らず 無知の闇が さらに広がるのを感じるばかり イタチのことは言えない またちまちまと いちから始めるしかないのだった
今日から新学期 学校で 教えてくれないことの 勉強の仕方は どこで習ったらいいんだろう
ギリギリと歯噛みするみたいに どうしてもこうでなきゃ と ずうっと思っていたことども
それは 願いとか 望みとか 柔らかい言葉で始まり いつしか呪縛のようになってしまう
そこに絡め取られている ばかさ加減を意識しつつ 時には 焼けるような思いに焦がされ またある時には すうっと嘘のように沈まる
その繰り返しのなかで 思いの源であったはずの いちばん大切なこと は くるくると入れ替わり 自分の欲の深さを知る
けれど 本当は順番がつけられないくらい それら全てが大切なのかもしれない
現実が まるでばらばらのことになっているのは わたしの中で いつもそれぞれに戸を立てて 小さな仕切りを作っているせいなのか
もっと巨きな 全体を包み込むことのできる何か それを自分の中に見つけたい どこにいても 何をしていても 矛盾なくいられるように
謹賀新年 & 初売り大盛況御礼
暇かもな〜 なんて思っていたら とんでもない賑わいで お正月ボケもすっ飛んだ 締めの残務も一発で済んで 気持ちのいい幕開けとなった
ぐるりと 忙しい一年を経験して 新たな一日は まるで当たり前の日常のように 自分の中に組み込まれていて ひょっとしたらもう 売り場だけにウンウンしなくてもいい位 キャパが広がったのかも
なんて
ただ カウントダウンを待つだけじゃなく 日常を超えることも一緒に やっていけなきゃウソだろうと 気のせいかもしれないその感覚に乗じて ふと思った年明け
また 同じテーマで出発
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