昨日も今日も編み修行 ちょっと慣れてきたら 絞めが足りず弛んでいるものがあって そのポイントに注意しながらのいちにち それでもピッチはさらに早まった さすがに 怠け者がいきなりこんなに働いて 終わる頃には首が上がらない状態
それを 師匠の佐藤さんは 6時過ぎまでやって 食事とお風呂を済ませてから また2時間 その後テレビを見ながら 30分ぐらい別の作業をするのだそう
昔は呉服屋をやっていたと奥さん 佐藤さんの親の代からの仕事を辞めて 途中からかばん業を始めたそうだ それで3人の子どもを育て 自分達が住んでる家の他にあと2軒 家を持っているのだと言う
身体を壊してから 座り仕事はできないという奥さんは 昔は和裁に洋裁に編物 今は詩吟に踊りと なんだか多趣味のひとで お昼休みなんかにちょいちょいわたしを呼んでは そんな片鱗を披露してくれた
若い頃に頑張ったらいいことがあるから と奥さん わたしがいっとき頑張れたとしても 未だに身体を粉にして 毎日同じ作業を続ける佐藤さんには どう頑張っても及ばない
ちょうどうちの父も同世代 まるで機械みたいに身体を使って 安い工賃で働いてきた もしわたしが継いだなら きっとどこかで 下請けのままじゃない道を 模索したに違いない
言うほど簡単ではないにしろ この時代だからこそ 別の価値観で生きることが可能だと思う しょせんわたしはわたしでしかなく わたしなりの頑張り方で やっていくしかなかったろう
朝から夕方まで びっちりバスケット編みをした 昼休みには 編み図を完成させたし 続けて編んだことで なんとなく要所の感じが掴めてきた
まだリズミカルにとまでは行かないが 紐を動かす右手と 編み目を押さえる左手の 両方が同時に使えるようになって ちょっぴり職人になった気分
先日は留守だった奥さんが 昔作っていたバージョンの 一番大きいものを見せてくれた 蓋は今みたいにゴブラン生地ではなく 全部編み紐で仕上げてあり 縁も留め具も籐製で なんだかとても雰囲気がいい
かなり大きさがあるけれど その分日常裁縫に必要な 細々したものが全部入りそうで わたしが買うなら迷わずこの大きさと思う 当時は大中小と三種類作っていて 職人も沢山いたため 何とかメーカーに採用してもらおうと 差別化のため凝ったデザインを作っていたそう
いいなーそんな時代 細々とでもいいから いろんな種類のものを 少しずつ作って売れたらな 密かに自分用のイメージはできていて それには繻子の白い帯地を使いたい 蓋裏のピンクッションと中生地は 雪が降ったような白い羽尺で
延々同じ作業を繰り返していながら ひとつが終わるたびに得られる充実感が まるで麻薬のように次へと誘う 形が決まっているって 思いのほか楽しいことだったんだ いつか考えずに 身体中が手となって さくさく編める日が来るかな
売り場にて 用事があってやってきたHさんと 商品を見ながら話をした ちょうどお盆の間のお客さんに 買って貰った商品が 見本とデザイン変更になっていたのに 気付かずそのまま売ってしまったのだ
ちょっとした違いなのだけれど 開けた時の気持ちを考えると申し訳なく かといって連絡のつけようもない 納品時にきちんと箱の中身を 確認しなかったのが悪いのだけれど 新デザインに変更になることを せめて業者から予め教えて欲しいと思う
特にその商品に関しては これまでにも何度か変わっていて その都度内容が落ちている 要するに価格は変わらないまま 作り易い単純なかたちになり 使っている材料も 次第に安っぽくなっているのだ
お客さんはそんな経緯を知らないけれど 最初はもっと手が込んでいて 素敵だったのにと思うと 扱っているこちらのテンションは だだ下がりになってしまう 正直言ってそんな商品 売っていながら買いたくはない
クラフト感が売りの個人の業者のものは 変更があるときは 却ってこだわりを盛り込んで来る 決してそれがいいとも言えないのだけれど 価格はそのままに 工夫や手間を掛けようとする心意気を やっぱりわたしは応援したい
結局 組織が大きくなると それを維持していくためにも より多くの利潤が必要になって 商品のコストを抑えることで 利幅を得ようとするしかないんだろう
けれど いちばん大切なのは やっぱり商品そのものだと思う メーカーにとって生命線のはずの商品の 質を落として行くってことは どう考えても本末転到だ 何かが狂ってしまっていることを どうにもできない自分がくやしい
ソーイングバスケットの蓋裏に付く ピンクッションの製作を覚えた後 今日は本体の編み部分を 師匠の佐藤さんの作業場で教わった
途中何度も紐の色が変わり 編み方も変化するので どこで紐を切ったらいいのかが なかなか覚えられず まあそれは 編み図を作ればいいとして 後は縦と横の締め具合
特に下から編んで 真ん中辺りが一番膨らんで その上に行くに従って 角々を徐々に締めていく加減は 編み自体がたどたどしい状態では なかなか一遍に気が廻らない
それでも もう何十年も作り続けて ほとんど工賃が変わらないため ギリギリまで簡略化した工程が 今のものだと聞いた けれどそれで 数が捌けなければ成り立たない現状は なんだか悪循環のようにも思える
例えば本体部分を 自然素材に変えることはできるのか聞いてみた すると何と以前は 籐を手染めして作っていたことがあるそう その場合は 今の商品の底脇のように金属に釘打ちせず 全て籐で作るのだと言う
ブレードまで手染めしていたと 既に色褪せたのを見せてくれた ピンクッションの古いものは 今使っている人絹より はるかに柔らかくふっくらした素材で 工程も複雑 持っている着物の生地のなかに 似たようなのを思い浮かべた
うーん なんだか夢が膨らむ けれどたぶん 籐での作り方を教わるには 納期に追いかけられている状態ではとても無理 まずはわたしも数をこなせるようになって 同じ工程の中で 少しずつアレンジを考えるかな
扶養手当の現況届をしに行った 毎年のことだが 子どもの父親からもらった 養育費を申告することになっていて 去年はみごとにゼロだった
窓口で初めて知ったのが 平成20年度からは 今の手当てが軒並み半額になるということ 既に減額にはなっていて その時は新聞で読んだ覚えがあるけど そんな一大事いつの間に決まったんだろう
要するに 只でもらえるお金を充てにせず もっと働け働けってこと 確か細木数子も言っていた 保護すれば離婚が増えるだけだって 救うべき離婚の場合にだけ 手を差し伸べればいいと
うーんでも 扶養手当があるからと 確信犯みたいに離婚する人がいるんだろか または それがもらえないからと 離婚を踏みとどまる人が どれだけいるんだろか
けれど 法の改正で 別れた妻も元夫の年金の半分を もらえることになったら 改正前の離婚が減っているそうだから 国の政策としては 今回も同じ狙いがあるんだろう
でもそれって サラリーマンの妻はいいけれど 自営業者の妻はどうなんだ なんだか 結婚っていう制度には ピラミッド式の構図があって 男次第の女の人生は この時代になっても変わらないみたいだ
自立支援のアンケート用紙を出され 元夫との金銭の取り決めとか 公営住宅への入居とか 子どもの就学に対する貸し付けとか 目新しくもない希望項目を見ながら だんだん 重い気分になって行った
着々と着物を解くなか ひょんなことから 職人修行をする展開になった 事の起こりはソーイングバスケットから 一部材料は代わりつつ 未だ大手通販などでの需要はあり メーカーにいる友人から わたしが売っていれば 収入源になったのにと言われた
せっかくの申し出を うまく繋げられなかったのは いちから職人さんの手作りという 今どき貴重な品なのに 使っている材料がケミカルで 同じものが大量にあるという そのアンバランスさを 自分の中でうまくまとめられなかったせい
最初に作られた昭和の時代に 大衆に歓迎された理由は 想像の域を出ないけれど 洋服を着ることが当たり前になり ミシンの家庭への普及も相まって 欧風の香りのする裁縫箱が 家庭の主婦の日常に ちょっとした夢を与えたんだろうと思う
メーカーは外国の製品をモデルに いかにそれに似せてコストを抑え 大量にできるようにするかが重要で 買う側も 誰かが持っている同じものを買うことに なんの躊躇もなく それはあらゆる製品に共通していたんだろう
当時の売れた理由が失われている今 同じ物を売ろうとすれば 単にレトロで懐かしいものという括りしかない せっかく手作りされているのなら 今の時代に相応しく 例えば自然素材で 例えば多様な好みに合わせた ひとつひとつ違うものということで 売ることができないかと思う
オリジナルを真似ることから始まった 本当の国産オリジナルのソーイングバスケット 新たな価値を構築するという観点から そんな商品を生み出して行けないものだろうか 相変わらず需要がある流れとは別に もしそれをするなら まずは現存の技術を習得することから始まる
今や全工程を製作できるのは たったひとりの職人さんしか残っていない 特に伝統の技とかでもないから いつか消えてしまう運命にある ならばわたしがと思う程 使命感にかられる訳ではないけれど 着物リメイクの可能性のひとつとして 方向を探ってみたい
もう随分前から 手作り雑貨を委託販売していて たくさんの作家を抱えている サイトがあった 人が人を呼ぶというのか そこはいつも賑わっていて画像も可愛く 再三訪問していた
まだ自分のサイトを立ち上げる前 既に集客の多いそこに 委託の問い合わせをした 悩んでいるうちに やっぱり商品は手元に置いておきたく それなら自分でサイトを作ってしまえ となったのだった
先のサイトは次第に更新が滞り 管理人の体調不良やPCの故障などで なかなか復活しないようだった あれだけの数の商品を抱え ひとりで掲載から発送までこなすのは 並大抵のことじゃない こうなってみると どこかで壊れるのは必至だった気もする
BBSには最初のうちこそ 彼女の体調を気遣う声があったが 次第に 預けた商品はどうなるのかとか どうにか連絡をもらえないかとか 作家達の心配する書き込みが続くも 一切レスはつかないまま
ある日突然 期限を切って 必ず連絡をさせてもらうという 言葉とともにサイトは閉じられた もうその期限もとうにすぎ 今ではアクセスしても サーバー側のページしか出て来ない
もちろん 個々への連絡は済んでいるんだろう けれど 預かる側預ける側 両方の立場に自分を重ねていたわたしには あまりにも心痛い成り行きだった お互い顔を見知っている間柄だって 文字だけのやりとりでは どこかですれ違わないとも限らない
確かに存在していたはずの誰かが あっという間に消えてしまう ネット上での自由さは そんな不確かさにも繋がっている
実家から荷物がふたつ届いた 食品が詰まったクール便と 置いてきた着替えや 下のコのルービックキューブ こちらでは売っていない用紙類とともに 着物が4着たとう紙にくるまれて
それは 母が懇意にしている 小さなリサイクルショップで わたしが帰郷している間に たくさん入荷したうちの4着だという 自転車で買い物に出た折に その前を通りかかっておきながら 結局覗かずに帰ってきた
もっと早くに一緒に行っていれば いいのが選べたのにと悔しがる母に みんなが欲しいと思うようなのでなくて構わない と言いつつ 果たしてどんなものが届くのか もちろん楽しみではあった
ひとつは綸子ぽい地紋のある絹で ちょっと使い方が難しそう 他の3着は大好きなしゃきっとした紬風 織った横糸が所々節のようにふくらんで 手触り感があるのは まさにわたしのツボ
淡い藤色が徐々に色変わりして 織ってある無地のもの 黒地に大きく絞り模様が入ったもの 落ち着いた藤色に絣模様が入ったもの どれも生地はしっかりしていて すとんとしたシルエットが 綺麗なスカートが作れそうだ
一向に製作への意欲が湧かないこの頃 もう夏物は途中のまま 寝かせておきたい気分だった 毎年繰り返しては思うけれど 慎重さを要求される作業は この季節にはやっぱり向かない
けれど 何も考えず ひたすら解くことならできる この生地で作ったスカートなら 気に入ってくれるだろうお客さんの顔も浮かぶ 次の展示会も視野に入れて そろそろ始動のタイミングかな
忙しかったお盆の売り場後遺症で ぼーっとしたまま テレビ番組数珠つなぎのいちにち
高校野球を観ていると こころの状態が 如実にプレーに繋がっていて ある意味感心してしまう 何が起こるか解らないというのは 柔らかい彼らだからこそか
恨みを持った霊は そういう固まっていない 一家の中の高校生を使って 霊現象を起こしていたらしい 霊能者は彼に除霊をしたあと 守護霊をつけてあげると言った
22歳から30年間 戦い続けた小野田さん その強い強い信念は ただお国のためということに 支えられていた 戦争が終わった情報を得ても マインドコントロールよろしく 全く違った世界観でそれを解釈していた
魂の柔軟さ 弱さのぶんだけ強くもなれる 宗教や国や守護霊や 自分の外側にそんな存在を置かず 日々を生きて行くとしたら 何をちからにすればいいんだろう
流した汗 いつか来た道 悔いた過去 あなたを思う誰か あなたが思う誰か 幸せだった瞬間
何もなくたって きっと誰にもある そんな普通のことを大切にしたい 危なっかしく揺らいでいても そうやって少しずつ 強くなれたらいい 柔らかさを失わないままに
ピロリ菌根絶を祝して 友人とお酒を飲んだ 前回は確か退院して間もなくの 投薬が始まる前だった なんとか切らずに済ませたものの 長く患っている病状の原因が ピロリ菌にあるかもしれず 医者はデータ−がないと言ったようだが それは絶対必要だと思えた
もちろん 保菌者の全てが 同じ症状を発症する訳ではないから それ以外の固有の要因も無視できない だからこそ 考えうる改善策を ひとつずつ試していくよりない これでもしまた症状が出るようなら その症状を少しでも軽減できるように 変えられるものを変えたらいい
誰もが同じ環境に置かれて 同じように身体症状を発するとは限らない けれどだからこそ カラダのサインがあったときは 人とは違う自分の個性を見つめる 大切なきっかけになる そのきっかけは一度逃しても 本当にその人らしい生き方ができるまで 何度でも症状というかたちで表れるのだと思う
うそのように落ち着いた この頃の上のコを見ても たぶん同じことへ繋がっている気がする 無意識に攻められる 当たり前にこうあるべきという方向ではなく 彼は彼なりの何かを探している この狭い価値観の田舎で そこから一度自由になって 自ら主体的に何かを選びとることは 大人になってからこの地にきたわたしより 遥かに大変だろうと思う
その繋がりを 友人に感じていたのかどうか 近くに友人が入院していたとき 自分の通院のあと 今日は寄らないのと お見舞いに行くのが常だった だからって何を話す訳ではないけれど 中学の頃から暗黒時代が始まったという友人に 他の人には理解できない 共通の何かを感じていたのかもしれない
どんなに選びようがないことの前にいても その都度選択権は自分自身にある こころから素敵だと思える自分像は 他の誰にも解らない だからせめて 楽しい時間や 痛みとは無縁の時間を重ねる中で 少しずつ探して行けないだろうかと願う
はー 留守中に 大好きなサイトが更新されていて 知らずに今日訪問したら 既に夏休みに入ってしまっていた
前回の更新時も出遅れ 欲しいと思ったものは既に売り切れ で 今回それが再販だった 帰郷もしたし余裕はないので しばし悩む
サイトには反映されていなくても もう在庫切れかもしれず ままよと注文してしまった 注文したからには 買えるといいなと思い どこから捻出しようかとまた悩む
そこで初めて買い物をしたのは 今年の1月のこと それまでも何度もサイトに通い 焦がれ焦がれてやっと注文 いろんな陶器を見てはきたけれど こんなにもわたしを惹き付けるのは他にない その品とは 底の方から放射状にしのぎの入った 粉引きの器だった
その粉引きシリーズは いろんな陶器をつくったあとに 残ったつちを少しずつ 大切に集めてこしらえてある 石膏にもう少し手触り感を加えたような さらさらとした肌で 色は白のようでいて グレイやアイボリーが入った印象
今回注文したのはタンブラーで 本当はこのシリーズが出るたびに 買い集めたいぐらい 他にも可愛い水玉の器や 手びねりのシリーズもあるのだけれど 作者のモノ作りへの丁寧な姿勢が 全て表れている気がするのと 凛としてどこか優しい佇まいがツボなのだ
わをんにリンクをお願いしたい ブログに画像も載せたい そう思いながら でも誰にも教えたくないような フクザツな気分を今日も味わった
帰郷の一週間の印象を組み入れ 自分の中で再構築を あれやこれやと試みてみるものの なんだかまとまらず 飲んで歌って話して 全放出した後のフヌケ状態
こういうとき 何も考えず そこにいれば自然と仕事になる そういう場所があるのは有難い 自発的に動かなければ 何も始まらない仕事だけだったら 反芻だけで終始するだろな
ウェットな盆地の暑さは ちょっときついけど からだの芯はすっきりと軽く なのにモヤッてしまうのは わたしの人生このままでいいのかと 突っ込みが入るからなのだった
その突っ込みは 帰る前の晩 まるで以前働いていたスナックの 同窓会みたいになった席で ママがわたしに囁いた言葉に代表される 親もたぶん同じような気持ちで いつまでもやくざみたいな暮らしを 心配しているに違いないと思えるような まっとうな言葉
そういう視点を持ち込むと 未来は俄かに曇り まるで方向を失いはじめる これまでも迷いながら 僅かに希望が感じられる方へと 手探りしてきた全てのことが 意味のない横道へと消えそうになる
でもきっと どんなにわたし自身が 確かさを感じ満足の行く生き方をしても 別のスケールを当てたら 測りようのない人生になってしまう 本当はきちんと測れることなんて何もないのに 幻想の尺度の中に 他人も自分も納めておきたくて それが相手にとっても幸せと思う人はいるのだ
帰ってからしばらく そのスケールを借りてみて辟易した なんの着地点も シアワセな構図も浮かばない 4年を過ぎた今だから こんな洗礼も必要だったのかもしれない
実家での一週間は なんだか次第に長く感じられ その長さは わたしを 落ち着かない気分にさせた
もちろん 久しぶりの友人と こころのつながりを確かめ合い 離れていた間に生まれた子どもの成長に驚き パートナーとの関係に安心し 幸せな気分にたっぷり浸ることができた
そして かつての地に 自分が生活していたことの確かさを 街の通りや公園や 好きだったお店に身を置いて感じ それでいて 狭い田舎とは違う 自分を誰も知らないという自由を味わった
それはとても心地よい感覚だけれど ただひとつ わたしを重くするのは そこでは結局 自分の人生に責任を持てなかったという事実 その半端さが 日ごとに圧し掛かって来るのだった
いつか帰ってくるの そう聞かれながら たぶん今のままのわたしでは 戻ってもまた何処かへ出て行くだろう それだけは間違いない気がした だからって 何をどうすればいいのかは定かでない
一週間が過ぎ 再び深い山々を見ながら それでも かつて初めてこの土地に来たわたしとは 少しだけ違っていることが 手掛かりなのだと思えた
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