まる一日を掛けて製作した 商品の紹介文は どういう訳かそのままアップできず 縦横に2段組で作った表が ヤフオク画面では 全部縦にずらっと並んでしまい しかも画面の左端に寄っている
ビルダーのhtmlを見てみると センターに配置するタグは ちゃんと入っているようなのに そもそも知識がないので原因が解らない やり直しているうちに今度は 貼り付けた方のhtmlの文章部分が 始まりから終わりまで ぐちゃぐちゃの順番になってしまった
コピーした元のビルダーを見ると 作った編集ページは 作った時のままなんの変わりもないのに htmlではやはり順番がめちゃくちゃ どう考えてもそんな訳あるはずもなく あちこちいじったりしたが ビルダーはミスとは認識していないようで どうにも是正のしようがない
仕方がないので 横2段組みは諦めて ページ真ん中寄せはそのままに 新たに縦組みでずらずらと文章を作り直し 再度アップするも やはり左寄せにしかならず これはもう直接入力しかないかと 改行タグだけを入れながら 途中まで打ちかけたが疲れてダウンの午前2時
来週頭ぐらいには 入札終了としたいので いくら遅れても今日中になんとかせねば やはり直接入力するのはくやしく ビルダーでの文字の配置方法を調べると 結局いつも作っている自由度の高いモードではなく 標準モードで作った方がよさそうなのだった
本当は何か他に方法があるかもしれないが もうすがるようにまたまた作り直し なんとかお昼前にアップ完了 給食なしで帰った上のコに ちびの方のカメが死んでいるとの報告を受け 下のコの授業参観に小学校へ 終わるとすぐコウノピアへ棚卸しに
さすがにショックが大きい下のコは 今日は卓球を休むというので 一緒にかめ吉を埋葬した あまりにめまぐるしい一日 印象てんこ盛りだけど 疲れすぎて浸りきることもできないや
ちょっとイメチェンを図った ですます調だけどフレンドリーな 前回の日記だったのだが 数少ない愛読者から 思いのほか不評だったため 相変わらずの語気強めで行くことに
なんでも コアなファンとしては よくそこら辺にある日記と 変わらない感じになってしまうのが 許せないようなのだ なるほど 頑なに同じスタイルを続けて行くと それはそれで必然となるらしい
で 今日はヤフオクの口座の準備など ひと通り終わったので さっそく商品アップに向けて 文章を作成したのだった 直接入れればいいと思っていたけれど それだと改行なしのずるずる文になるそうで またビルダーと格闘ということに
でもやっぱり 何度使っても思うようには行かず 結局たったふたつの商品を紹介するのに まる一日掛かってしまった けれどこんな調子でも 繰り返しやっていたら 苦手意識がなくなるかもしれない できればなくなって欲しい
未だにウェブショップの商品ページには 取り掛かっていないのだが 今日の作業で具体的に見えてきたことがあった それは他ならぬ何を売りにしたいかということ ちょっと素敵な商品写真が撮れて それでもうサイトのイメージは ほとんど決まってしまったと思っていたけれど そうではなかった
わたしが一番伝えたいことは 自分が惚れた布についてなのだ この日記にも度々書いているように かつてそれを選んだ誰かの選択を 今再びよしとして 新たに選びなおした理由を 何よりも知って欲しいし その上で商品を選んで欲しい
リメイクはたぶん ほとんどが布のちからに頼っている それを損なうものがあるとすれば 他ならぬわたしが手を掛けているという事実 もちろん文章で布の素晴らしさが 全て伝わるわけではないけれど リメイクに至るまでの わたしが知りうるだけのことを 書かずにはいられない
それは 世の中に溢れている 安価で完成度の高い均一の商品や 既に名前だけで売れてしまうブランド品が 決して持つことのできない たったひとつだけの物語 素敵なリメイク服もたくさんあるけれど 稚拙な技術のわたしが リメイクをすることの意義は たぶんそこにこそあるのだ
月曜日に展示会へ出かけ 火曜日は破竹を採って 水曜日に着物を解いて 木金はいそがし売り場 ちゅらちゅらちゅら〜♪
そんな最近でしたが 破竹のアクが思いのほか強く すっかり胃をやられてしまいました 何故かお腹が空くと痛いので 常に何か入れておかないとつらいという まるでつわりのような状態です
ここまで読んで お? とか思わないように (って誰に言ってんだ) 痛みのせいか 思考能力に限界があるようで 文章を書く気になれませんでした
楽しいこともいろいろ そしてまたまた 滞っていることもあり その一方で着々と(?) オークションの準備もしています どのジャンルに出そうか いくらからのスタートにしようか まだ何も決まっていませんが
リメイク品は多数出品されており 本当に素敵な服もたくさんあります そこに自分の作ったものを並べると思うと もう謙虚にならざるを得ず 突然のですます調でそのあたり お察しくださいませ(だから誰に?)
いやそれよりも 手持ちで一番高額になると思われる 豪華刺繍花いっぱい ピンクの袷と羽織を出品してしまおうかとか 格子柄の男物銘仙はどうだろうとか 着物をお米と換えるがごとく 考えてしまう今日この頃です
先日ホタルを見に行ったときに 近くのカトリック教会で 日曜のミサの時間を確認し 今日は朝から身を清めて 自転車で出かけた 日曜日にからだが空いたら 絶対行こうと思っていたのだ
周りをぐるりと白壁に囲まれ 通りから中は覗い知れなかったが ホタルのいる水路にかかる 小さなコンクリートの橋から 斜面を上ると まっすぐ奥にマリア像が迎えてくれる
左手には素敵な庭が広がり 右手にある建物の二階でミサが行われていた 神父さまは白髪の外国人で 少したどたどしい日本語で話された 集まった信者さんたちは 全部で30人程だったろうか いつも集まる数は決まっているらしく 用意された椅子のほとんどは埋まっていた
わたしは洗礼を受けた訳ではないので なんとなく紛れて 参加させてもらうつもりだったのだが 知っているカトリックのミサとは 随分雰囲気が違って ひたすら静かで厳粛な感じに戸惑った
以前行ったのは 都内にある教会の英語のミサで 賛美歌もおばさんの聖歌隊を中心に 高らかに唄い みんな手に手に素敵なロザリオを持って 随分賑やかな印象だったのだ
けれど今日は フィリピーナのお母さんと 日本人のお父さんが まだ首も座らない赤ちゃんの洗礼を受けたり これから出産を迎える お腹の大きな女性への 出産前の祈りがあったり 亡くなった信者の遺影を前に お焼香があったりした
そのお焼香の前に退席してきたが 人生のいろんな場面を 眼の前に祈りながら イベントみたいなミサとはまた違って ひとりひとりに寄り添うキリストを 身近に感じられたような気がした
帰り際 一階の奥にある聖堂を覗くと 簡素な折りたたみの椅子と 小さなステンドグラスが見えた 今度はミサとは関係なしに ここに座りに来てみようと思った
下のコがお風呂に入るというので 浴槽にぬるいお湯を準備した 新しいゴーグルを 先日友人から買ってもらったので それを着けて 潜って遊ぶのが楽しいらしい
亀太郎と亀吉の アカミミガメコンビも連れて来て 別々の洗面器に入れて待機させ まずは自分が入ってから お湯加減を見たムスコが カメたちには熱すぎるというので 洗濯に少し取って水を足した
それから 二匹を浴槽に入れて自由に泳がせながら ムスコはムスコで どぷんと思いっきり お湯の中に沈んでは浮かぶを繰り返す 勢いがすごいので 時折ちびの亀吉を巻き込みそうになり 潰さないかと気が気でない
先輩の亀太郎はさすがにちから強く 後ろ足をひとかきするだけで すいーっと上手に進んで行く まだほんの3センチの亀吉は 一生懸命手足をバタつかせ ててててて と音がしてきそうなよちよち泳ぎ
ムスコの起こす水流で 二匹が衝突したり それぞれが底に向かって潜ったり いつもは顔を伸ばせば 水面に出る程度の深さで過ごしているやつらも なんだか生き生きとしていて 本当に気持ちよさそう
亀太郎は泳ぎながら 何度も太いうんちをし その度に掬い上げては流すムスコ こいつうんちばっかしてる とこぼすのを聞きながら 彼が赤ちゃんのとき 川遊びで水に入ったとたん なさったのを思い出した
もうこうなったら お風呂場で飼っちゃおうか わたしの思いつきをさらっと流しながら 自分の身体がすっかり冷え切るまで カメたちとの泳ぎを堪能したのだった
あまりの暑さに ぼーっとしながら 暇な売り場で解きを 着物ではなく 昔懐かしいモンペなのだが 生地の両耳の幅から察するに これもたぶん 着物からのリメイクと思われる
生地の裏側は黒で 一ヵ所小さな家紋がついている 表はろうけつ染みたいな 細かな花模様 一見してよくモンペにありそうな柄だが ひょっとしたら 後から型染めを加えたのかもしれない
このデザインが実に合理的で ウエストの両脇が 15センチ程開いていて そこはボタンもファスナーもなく 前後の紐で縛って調節するだけ 確か袴もこんなつくりだった気がする
ダーツが前と後ろに4箇所ずつと 開いた脇に斜めに折りこんだ分のお陰で シルエットがとても綺麗 そのまま紐になる 少し幅の広いウエスト部分には 白い木綿を芯地にして しっかりさせてあった
全て手縫いで いろんな動きに耐えられるように 縫い代は袋縫いに仕上げてある 幅の足りない股下部分には 三角の布を継いで 裾はふたつ折りにして縫ってから ゴム入れ分をもう一度折り込んで縫ってある
所々接ぎあての跡もあるので 長年着られていたのだろう どういう訳か 後ろのポケットだけが ミシン縫いなのは そこだけしばらく経ってから 付けたのだろうか
こんなシルエットで そのままスカートだったら ちょっと素敵かもしれない 調子に乗って うっかり全部解いてしまうところ その前に 製図を計って記録しておかなきゃ
昨日の印象があまりにも強く 夕べは疲れているのに なんだか落ち着かなかった これから とても楽しみな何かが 待っている時みたいに 誰かに恋した時みたいに 胸が苦しいのだった
あの豊かさはどこから来るのか 思い出しながら考えていた そして気付いたのは たくさんのリメイク服はひとつとして 同じ物がなかったということ 似たような形のものはあっても どれもその布だからこその 使い方がされていたような気がする
ショーの中で 身に付けたリメイク服について どこを工夫したか どんな経緯で その形や布合わせになったか メンバーによる細かな説明があった 機械的に同じ形に それぞれの布を当てはめた訳ではなかった
作った人が 作ったときの想いを加えながら わたしに届けてくれるとき それは圧倒的なちからを持って伝わってくる 取り上げられなかった他の沢山の服も ひとつひとつ創作の時の 物語を持っているのだ
裏話やそれにどんな苦労があったか そんな事は表に出さず むしろ商品だけを見て欲しい という考え方もあるだろう 実際に商品を見るだけでも 見えない何かが そこに込められているからこそ 豊かな気持ちになれたのかもしれない
けれど やっぱりわたしは そこに確かにひとの存在を感じたい 誰かの試行錯誤こそを よしとしてお金を払いたい 作り手が見えない商品は なんだかヌケガラみたいで寂しい
誰かに着られていた着物 既にひとりの人間の 人生のいっときの物語をともにしていた着物 そこに作り手が 自分とその着物でしか生まれない 物語を紡いでひとつの服を作りあげる
だからこそ こんなにも充実した気分になれた まるでいっぺんに 何百人ものひとのオーラを感じたみたいに
着物リメイクの 布風賦というグループによる ファッションショーに行ってきた 気比にある民宿のの花の玄関を入ると あかるい木肌のフロアがあり すぐ眼をひくのは ピンクの花柄の絽で作った 涼しげなノースリーブブラウス
受付で名前を書いていると さっそくメンバーの人が わたしのスカートに注目し これは和布ではないかと聞かれる 既製品のアジア製の巻きスカートに 着物の生地を繋いだだけなのに やっぱり好きな人には解るらしい
ハンガーに掛かっているのや テーブルに並んでいるたくさんのリメイク服は どれもこれからの季節にふさわしく 麻や綿や絽などを中心に さらっとした感触のものばかり デザインはたっぷりと風をはらむような シンプルなものが多い
端から見ていると いつの間にかメンバーの手によって ふわりと商品を着せられて 鏡を見て来るように勧められる 一緒に行った友人たちが それぞれ纏っているのを見ては シンプルなシルエットが 着る人によって表情を変えるのが面白い
意外だったのはその価格で ブラウスやシャツやベストなら だいたい5千円程度 シンプルなワンピースで一万円 ちょっと凝って別布を切りばめたのや 染めを施したものでも2万円以下と なんだか随分安い印象 けれどどの服も 10年着ても古臭く見えないような気がした
6〜7人いただろうか メンバー全員によるショーの後で ちょっとお話を聞いてみた 価格は確かに安くしていて 中にはそれでは合わないものもあるそう けれどグループの主な目的は たくさんの人に リメイクを広めることだと言う
メンバーは聾学校で教鞭をとったあと 退職してリメイクを始めた方が数人 特に代表の郡山さんは 来年で77歳になるという 白髪の混じったショートカットに リメイク服の重ね着がよく似合い 彼女を中心にみんな明るく 楽しんでやっているのが伝わってくる
みんなグループに入ってから 初めて洋裁を始めたひとばかり 普段はそれぞれ自宅で 作りたいものを試行錯誤しながら進め 定期的に集まって お互いに見せ合うのだそう
布合わせを考えていると どんどん迷い始め しばらく別のことをして 頭を切り替えてからまた見てみることや 裁って縫い始めるまでが 一番大変だということなど 心から共感できるお話しばかりだった
参考に グループで出している リメイクの本を買ってきた そこからまた新たな刺激をもらって もっともっと沢山縫わなきゃ
友人からの再三の勧めもあって オークションに出してみることに なんだか味も素っ気もない 場所のように思っていたのだが 自分の中であれこれ考えているより 実際に見えてくることが たくさんありそうだ
ウェブショップに商品を アップするにあたって 一番迷っているのは価格について ひとつを仕上げるのに あまりに時間が掛かりすぎて それを商品に反映させようとすると とんでもないことになる
客観的に見た適正価格のラインは なんとなく自分の中にあるのだが 決めてしまう前に お客さんに問い掛けてみよう 果たして 誰かが欲しいと思えるようなものなのか その反応次第では これから作るものも変わって行くかもしれない
そう思えるようになるまでは ちょっと時間が掛かった いちど決めた 売る場所を自分で作るということに いつの間にか縛られていて そこに向かうのも苦痛なら 退くこともできずに ぐるぐるしていた
進めない時は何か理由があると いつも無理はしないのがゆりゆり流 けれど 延々続くマンネリのループのなかで このままじゃまずいと思いながら 理想はほど遠く 日々のヨロコビさえ失ってしまいそう
ループの重心を 少しだけずらしたら 同じ運動から抜け出すことができるのに そのずらし方が解らなかった たぶんその方がいいだろうと思いながら 友人の投げた石を ループのどこに落としたらいいのか 持て余していた
あまりに自分が固まりすぎて ちょっと苦労したけれど やっとその場所が見つかった 中心を少しずれた所だけど だからこそ ループは螺旋へと かたちを変えて行けそうな気がする
チャイナワンピースが あろうことか型紙を置き違え 後ろ見頃の4分の一を 同じ方向から2枚取ってしまった 茶けているところが多いので 悩みながら何度も置きなおしているうち 薄いハトロン紙に写した 字の裏表を見落としたらしい
同じのを他に取れる余裕はないので そのまま丈を短くして ブラウスに変更するしかない けれどそれでも 変色した部分を避けるのは難しく なんだかもうテンション切れ
それは途中のまま半ばやけくそで 色むらや擦れの激しい ボロボロの麻布を縫い始めた 解いた状態で頂いた時は 糊が効いているかと思うほどゴワゴワで 洗ってみてもその風合いは変わらず しっかりした太い麻糸で 織ってあるせいかもしれなかった
濃い藍染の糸だけを横糸に 縦糸には染めていない糸も入れて 全体が縞柄になっている布は 昔好んで着ていたスカートによく似ている あちこち糸玉が出ていて 布の端は薄くなって大きな穴だらけ どういい所取りをしようにも難しいので もう自分で着てしまおうと思った
穴の空いた端だけは切り落として 残りはもう全部そっくり 使い切ってしまいたい 粗野なぐらいのこんな太い糸の麻生地は ノレン用のアジア産ぐらいしか見たことがない しかも何度も水をくぐっているはずなのに 藍色は少しも薄くなっていない
見頃を4分の一に眼見当で裁って とりあえず4枚を袋縫いで繋げ 縞の濃い部分がひとつおきに見えるように これも眼見当の長さまでタックを入れる それからまた一枚を繋げ タックを入れて幅を確認してはまた繋げ いつものように縫いながら考えて行く
4分の一では膝までの長さなので タックの上端にぐるりとヨークを繋げた ヨークの端はわざと 布の耳を外に出してラフな感じに ウエストは3段にゴムを入れ 裾は横糸を解いて これもラフなフリンジ仕上げ
ほとんど出来たと思ったけれど タックの折り目が出た 裏側の方が意外に素敵なのにヒントを得て 表のタックの端っこをつまんで 裾までをステッチ ごわついた布はステッチを掛ける事で ピンと折り目正しく綺麗になる
やっぱり麻はいいな 縫っているだけで解放される そしていつもみたいに とりあえず繋げながら次を考えて行く こんなライブみたいな縫い方が やっぱりわたしには似合っている 出来上がりの形が決まっていると 過程の楽しみが半減しちゃうんだな
2004年06月07日(月) |
オークションで知ること |
先日オークションデビューをした友人 試しにといつもはギフトに使われている 自社製品を軒並みアップ 写真はきちんとしているし 使っている素材の説明も これ以上はないという程の丁寧さ
大量ロットで捌けて 初めて成り立っている卸業者としては オークションでひとつ売れたからって 一体何になるのか そんな突っ込みを自分自身で入れつつ それでも 既に成り立っている流通形態とは 全く違う場所に置いてみて 初めて見えてくるものがある
何故売れるのか または 何故売れないのか その理由は複雑に絡み合っていて 到底ひとつの方程式に 当てはめられるようなものではない 買い手のひとりひとりが違うように 百人いれば百の理由があるのかもしれない
だとすると 提供できうる限りの商品情報を 丁寧に提示することは その中から 買い手に欲しい理由を探してもらうための 正攻法なのだと思える これだけモノが溢れている中で 成熟してきた消費者なら 自分なりの価値観と照らし合わせて 情報を読み取ることができる
わざわざオークションで 商品を探そうという人の 動機はさまざまだろうけれど 消費に対して積極的であるのは間違いない 雰囲気やイメージで商品を買うなら もっと別の買い方をするだろう 商品本位で勝負するにふさわしいのが オークションなのかもしれない
下のコが子ガメを捕ってきた まだほんの3センチ程度のアカミミガメ 先に飼っている亀太郎と少し違って 頭の真ん中にも赤い筋がある あまりに小さくて こんなのが人の眼に触れるような場所に いたなんて
亀太郎はどんどん元気で 食欲も旺盛 顆粒のカメの餌よりも 煮干しに頭からかぶりつく 水槽の中にある偽とまり木に登って 甲羅干しをしていても 人の気配を感じると バシャッと水に飛び込んで寄ってくる
水槽を洗うときは 上のコもわたしも巻き込んで 大騒ぎだったヤツも ある程度段取りをしてあげれば 玄関の外の水道を使って ひとりで出来るようになった そんなとき つばめは巣に帰れず様子を見ている
新しい巣ができて 古い巣を壊した 縁が欠けていて もう用をなさないと思った なのに わずかに残る土の跡に 別のつばめがやってきて 一所懸命新しい土を盛っている
新しい巣からは 雛が一羽落ちていた 近くには半分に割れた卵の殻もあって ほとんど生まれたてみたいだった 自分から落ちることは不可能 狭い新居に卵の数が多すぎて 親つばめが間引いたのだろうか
いのち
生の魚が亀太郎に必要と下のコ 今では貴重なメダカを捕ってきては 水槽に入れる 素早い動きのメダカに ただ眺めるだけだった亀太郎も 獰猛に喰らい付くようになった
いのちのふしぎ
売り場にMさんがやってきて しばしおしゃべりをした コウノトリとともに何十年も歩んできて 今は飼育の現場を離れ コウノトリのことを沢山の人に 知ってもらえるよう さまざまな活動をされている
まだ現実的ではないけれど リタイアした後の展望から 陶芸のことに話が及んだ 意外に投資が必要なので ある程度余裕のできる リタイア後に陶芸を始める人も多い Mさんのお知り合いにもそんな人がいて やってみないかと勧められるそうだ
ご自身は陶器が好きで 旅行に出かけた先でも 見て廻ったりされるらしい けれど好きだからこそ いざ自分で作るとなると その難しさがよく解るので 気軽に手を出せるようなものではないとのこと
世の中に溢れている陶芸作品のなかで これはと思えるようなものは そこに至るまで 全く同じものをいくつも作れるような 下積み時代があってこそ初めて出来上がる なのに今のひとは 最初から作品として作ってしまう
たまたまできたものが 唯一のものなのではなく オーダーされれば同じ物ができる技術があって あえてそれをしないというこだわり そういう人が作ったものは 作品を見ただけで 他との違いは一目瞭然だそうなのだ
一足飛びに自分だけの表現をしようとしても 下地がなければ ただ奇をてらったようなものに過ぎない Mさんのお話は今のわたしにとって あまりにもタイムリーな内容で 重く重くこころに響いた
結局たまたまひとつ出来上がったとしても 技量が未熟だから 常に限界を感じている 例えば同じ布で同じ形を作っても きちんと同じ仕上がりになるような そういう修練がどうしても必要だ
ゆっくり進もうと思いながら 実際の内容は はるか先を行こうとしていた そのギャップを埋めるために もう一度仕切りなおさなきゃいけないな
ちょっとだけ写真をいじってみた いちばん気に入っている 朽ちたベンチのスカートをとった日の およそ20枚あまり のきなみ彩度を落としてあるので それを少し上げて 逆に明度を落としてみる
その後実物を手にしながら色の調節 しょせんはどういじっても 実際の色とは違うけれど それなりにここという一点が じぶんの中で決まって行った 以前のモニターでの補正作業 その感触を思い出そうとするのだが どうもうまく行かない
いくつかは無理やり 決定したものの 戻って改めて見てみると またいじりたくなる この程度の決まり方ではたぶんキリがないので やっぱり時間を置こうと思った 納得が行かないままに進むと 結局またやり直しになるのだから
それで 気分を切り替えようと 次に作ろうと思っている チャイナワンピースに向かう 正確にはチャイナというより モンゴル風の打ち合わせにしたい もうこれは型紙なしでは無理なので 初めてお手本ありの作業になる
パターンはもう作ってあるので 後はそれを解いた着物の生地の どこに配置して切るかというところ ここまでは簡単だったのだが 結局生地のいいところだけを取ろうとすると どうしても身頃二枚では足りない 少し茶けたあたりも含めて 果たして売り物になるかどうかが難しい
他にも同じような形にふさわしい柄の 着物があるのだけれど どうしてもこれが捨てがたい ちょっと紫がかったピンクの地に 所々薄い色の花が 手まりのように集まっている柄 他の着物の生地を足して補おうにも この色を引き立たせるようなのが見つからない
ひょっとしたら ただ試作品としてだけの作業になるかも いつもいつも 売れて初めて報われるということが 錘のようについて廻る だからせかっく使った労力が そこに繋がらないことがなにより怖い けれどそれはコントロールできないことなのだ
じぶんのちからでできることは ものを作って写真を撮ってアップするまで そこまでの過程の中でわたしは自由だ もちろん仕上がりには限度があるけれど そのどこで納得するかも自分次第 だったらせめてその自由を できるだけ享受していたい
そうしてとことん楽しんだら 初めて自分のコントロールの及ばない所へ 手放すことができる 誰かのためではなく まずはわたしのためにある今の過程 繰り返し反芻することが とても大切だからこそ いちどクリアしたかに見えるものも また形を変えて戻って来るんだろうな
牛の歩み 迷わずどっしりとそうありたい 自分の不器用さを全て愛してあげよう
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