しむちゃんのつれづれ日記
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2003年08月31日(日) 小泉再選支持

今日はとりあえず近づいてきた自民党総裁選挙について。

小泉再選。

候補者が揃っていないので何とも言えませんが、立候補を宣言している
亀さん印が対抗馬としては有力でしょうが、彼が総裁になったら自民党を
ますます悲劇的にすると思うので、個人的には亀さんに対しては否定的。

真面目で堅そうで一本気な人もいそうですが、それで国民が支持するとは
言えません。政治家としては信頼性も重要ですが、より政治を身近にする
には、わかりやすい言動や行動も必要です。要するに説明責任なんですが、
これをストレートに伝えるだけではなく、知的なユーモアのある説明が、
そして普段の行動がより身近に感じさせる手法だと思います。

国民を動かす何かがないと政治家としてはその役割をまっとうすることが
できませんから、それをカネではなく言動から動かしていける人が政治家
としては正しい方向だと思います。

ただ、大きな観点でいえば、少々の裏金とか闇ルートだとかいった方法は
目的が全体を良くするためのものであるならば、個人に入るお金のことに
ついてとやかく言う必要も無いと思っています。法的な観点ではなくて、
世論としてはね。悪いことを悪いと言って全てを封じ込めてしまえば、
正面からでは動かせなかったことに別の方法を考え出さねばならない。
このエネルギーに費やすコストや時間のことを考えると、必ずしも封じる
ことが正しい行動だとは思いません。

こういうと悪いこと(だと思われていること)を支持しているんじゃないか
と思われるかもしれませんが、そのことに全面的には否定しません。対案が
ないから肯定はしないけど否定はしないということです。否定をするためには
その対案を示す必要がありますから。ただ否定するだけでは問題の解決には
決してなりません。言いっぱなしではダメなんです。

今の政権は、従来のようにやりっぱなしではなくて、かならずチェック機能が
働いています。だからこそできていること、そうでないことが問題視されるん
です。従来であれば闇に葬られていたようなことも、問題点として表に出て
きていますからね。問題点を隠そうとしないところが小泉内閣のいいところ
です。きちんとやっているところ、そうでないところが明確になることが、
政治に対しての信頼感に繋がると思います。残念ながら、従来は都合の悪い
ことは伏せられてきました。

政治が身近になることは必ずしも正しいとは思いませんが、政治に対する
感心が遠ざかって久しいこの世の中では、将来の政治が正しく行なわれるとは
これも必ずしも言いがたい。自分が生きているこの世の中に感心がなくなれば、
いったい政治って何なんだと問うことすらできなくなります。これが一番怖い。

無関心でも誰かがやってくれる政治に安住している日本は本当の意味で平和と
言えるのでしょうか?自身や子孫の生命と財産を守ることを政治に託すだけで
いいのでしょうか?政治が歪んだ場合の防衛策は国民側だけでできるでしょうか?

自身の生命や財産を将来に渡って守っていける国を作るのは国民の義務です。
政治家に責任を転嫁しても何にも返ってきません。国民が賢くなることで、
政治家はもっと賢くなるようにがんばるのです。官僚を動かせるようにがんばる
のです。これらは全てが対立軸にあるのではなくて、共存すべきなのです。
その中で、あるべき目標に向かって進むのです。

あるべき姿を見失って自己防衛、自己満足を求めるようになってしまうことは
国の没落に繋がる行動です。そういったものがはびこったいろんな組織を
改めていこうとするのが小泉内閣です。困難はまだまだたくさんありますから
結果もなかなか出てこないでしょう。でもここで止める訳にはいかないんです。

今回のバブルとその崩壊によりいろんな問題が出てきました。
その中でキーワードとなるのは「先送り」です。別の言葉では「甘え」とか
「保身」と言い替えることができます。これらをなくしていこうとするのが
構造改革です。右肩上がりの経済の中でできあがってしまった日本の構造です。
これを改善しなければ、いくらじゃぶじゃぶカネを注ぎ込んでも消えていくのみ。
まったくもって税金のムダ使い、民間にとっては投資のムダです。

効率的な投資をするのが優先事項ではなくて、こういったムダを省くことが
優先事項なのです。金の使い方が問題の全てではなくて、組織のあり方と、
そこに在籍する人の意識の問題なんです。だからこそ構造改革は難しい。

このような困難な問題は継続性が必要です。人が代われば方針も変わるから、
今までやってきたことが一瞬のうちに消えてなくなるかもしれません。
少なくとも、総理大臣であり、自民党総裁である人間を再選後にこき下ろす
ぐらいの気持ちがわれわれにあれば、抵抗勢力もそれを放って置くわけには
いきませんから動かざるを得ません。他の人間を自民党総裁にしてしまっては、
今までと違った政策をまた検証しなければなりません。そこでまた数年経過
してしまいます。この方がムダではないでしょうか。

そういったわけで小泉再選は後ろ向きではなくて前向きなんです。

はい。今日は曇りところにより一時雨。(東京地方)



2003年08月30日(土) 個人的なサイン会?

昨夜は朝まで生テレビを最後まで見たので、今日は昼までゆっくり寝て、昼過ぎに
起きてからシャワーを浴び、その後首の牽引と薬をもらいに医者へ、そして夕方
から新宿で友人に会うために出掛けました。

こちらから待ち合わせ時間に南口を指定して、すごい喧騒の中待っていましたが、
予定時刻を過ぎてからメールが入ってきまして、東南口で待ってると。えー?
そりゃ東南口の方が人の数が少ないのは分かってはいたけど、南口って言った
じゃん!と言ったところで仕方がないので東南口へ向かうことに。

ま、それはさておき、南口で15分ぐらいキョロキョロしておりますと、色んな
人たちが目の前を通り過ぎて行きました。老若男女、人種も様々。さすが新宿。
多くの人が待ち合わせだったようで、

「あーらひさしぶりー」「まったぁ?」「元気だった?」

なんて声があちらからこちらから。
夕方6時だったので、待ち合わせとしては集中していたんでしょう。
10分過ぎぐらいから波が引いたように人がいなくなった。予定されていたかの
ように。ということは、待ち合わせ時間をちょっとずらせば探しやすいわけだ。
次からはそうしよう。

さて今日友人と会ったのは、彼が訳している本にサインをもらうため。
実は2冊目です。1冊目は自分用に買ったものですが、今回は知人のため。
どういう理由で欲しいのかは詳しくは聞いていませんが、メジャーかどうかは
別にして、一般的にサイン本はなかなか手に入らないから、もらえるものは
もらっておけってことかな。でもロードオブザリングは何回か見たとは言って
いましたから、興味がなくて欲しいと言っている訳ではなさそう。というか、
興味がなくて欲しいと言うだけならば自分もわざわざサインをもらうために
友人に足を運んでもらうことはしません。失礼だから。

彼は、早めに言ってくれれば本を用意したと言ってくれましたが、出版物は
買ってなんぼのものですから、タダでもらうわけにはいきません。お金は
流通して初めて価値が出るものですから。というところから話は始まりました。

話の中で「予定説」とか「カルヴァン」の残した言葉とかいう、キリスト教の
醍醐味に言及することになりました。そりゃあちらはクリスチャンですから、
わたくしめのいう言葉なんか見透かしているでしょうが、お互いに社会人として
学問をしている者同志ですから、筋が通らない話はしたくない。当然ながら
会話の中で衝突する場面もありました。

でもそれはお互いに考えを持っての衝突ですから、いい刺激にはなりました。
こういった熱い思いの衝突は学生時代にはあってしかりですが、社会人になると
なかなかそういったぶつかりはなくなります。衝突はなるだけ避けたいからね。
でも、仲がいいからこそ言えるってものです。衝突したから関係が壊れるなんて
ことはありません。同じ思想、同じ考えだから仲がいいというわけではありま
せんしね。

今度はご自宅へご招待をお受けしましたが、次は成田有里恵さんのライブを
見に行こうオフをコトウさんと約束していますので、その旨を伝えてから別れ
ました。9月の下旬か10月になって。もちろん、お宅訪問はするつもり。
奥様にもお会いしたいし。

そういったわけで、今日は飲んで帰っていい気分で寝るとします。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年08月29日(金) 愛国心と国益

今日の「朝まで生テレビ」のテーマです。

さて、みなさんは「国」「国家」とはどういうイメージを持っていますか?
恐らく一言では言い表せないと思いますが、誤解を恐れず言わせてもらうと、

「個人に介入しない形式的な絶対的権力」

こう言いたいと思います。これは実は近代国家のモデルだと言われています。
そういう意味では日本は近代国家になり切れなかった。日本は近代国家では
ないんです。国家が個人に介入するものは古代国家、つまり専制国家です。
封建制度を引きずった国家です。日本においては明治維新においてもこれは
崩れなかった。個人の生き方にまで国家が口を出していた。教育勅語以降の
文部省なんかは最たるものです。年少期の育成を国家が定めていた。これは
今でも続いています。「ゆとり」なんてふざけるなと言いたい。

国は枠組みを作り強制力を持つけども、個人の自由までは拘束するもんじゃない。
国民の行動規範を国が定める(あれはいい、これはいけないとか)のは、これは
徳川時代と何ら変わらぬ支配制であり、自由主義でも民主主義でもない。
でも我々の中には支配されてきた歴史が脈々と精神の根底に流れているんです。

だから国を愛すると言うと、ある意味権力の肩を持つというイメージで極力
避けてきたようですが、本来愛国心とは素直で純粋な意味であると思います。
純粋というのは、キリストに忠実であることを意味していると思います。だから、
日本には愛国心の精神が生まれなかった。少なくとも馴染まない精神である。
こう理解しています。戦時中のナショナリズムは誤解の最たるものでした。

繰り返しますが、日本はキリスト教を背景に生きてきた国ではありませんから、
決して近代国家ではありません。天皇制を廃止し象徴にして、国家の骨格を
アメリカに作られて表面的には近代国家のように振舞っていても、精神的には
封建制の名残を引きずった古代国家です。ここに愛国心を語るだけの環境が
あるとは思えません。

オレは愛国心を持っていると胸を張って主張する人もいますが、何を根拠にそう
言っているのか自身でも整理できていない人が多いんじゃないでしょうか。
それは単にナショナリズムのことを指しているんじゃないでしょうか。あるいは
日本の四季、つまり自然を愛する心のことを指しているんじゃないでしょうか。

国とは何なのか、国を愛するとはどういうことか。
みなさんも一緒に考えてみましょう。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2003年08月28日(木) しわ寄せ

今日の仕事は一点集中。
昨日依頼されていて、今日中に提出してくれというもの。

実は昨日、自分は会社を休んでおりましたが、関係部門の誰もが
昨日のうちにやれるであろうことを何にもしないで放置。

今朝、会社に出てきてからそのことを知った自分と上司は、事の
重大さを担当部門の責任者と担当者に伝えましたが、動く気配が
なく、仕方がないので、午前中やることがあった自分に代わり、
上司が作業をやるとは言ってくれたものの、そのやり方もネタの
収拾の仕方もわからず、やったとしてもアナログな人ですから
作業効率がすこぶる悪い。結局、自分がネタを集めて作業をする
ことにしました。

他の仕事をやりながらですから、ちょっと手のかかる作業ならば
通常2〜3日はかかるところを、この件に関しては急を要していた
ので、他の仕事はそこそこに、昼前から本件に没頭することに
しました。今日中に終える自信はありませんでしたけど。

9月末の調査をもって精査をすればいいのだから、今回はとにかく
8月末の最新版を作って出すことが大事で、きちんと正確に作ることが
大事ではない。とにかく時間との闘いだ、と上司は言いますが、資料の
作り方が問題なんですと言うと、その作り方をメモして置けと言いますが、
そんなメモをする余裕なんてない。結果を出すことが優先です。

※何を作るのかは言及を控えます。ごめんなさい。

今日、今、この時にやるべきことじゃないと考え、上司の指示は無視。
上司もあきらめたか、定時が過ぎたらいつもの通りさっさと帰って
しまいました。少々後ろめたさはあったようですけどね。

5時ごろにはある程度目処がついてきていたから、そんなことはどうでも
よかった。結局8時前に何とか作り上げ、メールをしてから帰りました。

明日の会議では、それを見た交渉相手がどういう顔で出てくるのか、
すごく興味があります。なにせ5千万円以上のカネを引き出すための
資料ですから。渋い顔をしてくるのか、明るい顔をしてくるのか。
こちらとしては約束通り、合意した計算式で算出した金額を提示して
いるんだから、受けて当然という考えです。

以前から、この交渉相手には物騒な脅しを冗談交じりに投げかけて
いましたが(自分がね)、あまりに情けないことを言い出したら、
もしかしたらわたくし、お縄頂戴になっているかもしれません。
マジで腹が立つことがあるんですよね。この交渉相手。

ま、そういう熱い思いは明日に持ち越すとしよう。
今日はとにかく疲れました。いろいろと考えることもあるし。
ほんじゃまた。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年08月27日(水) 残りわずか

下手に切られた髪の毛が伸びてくると、いつもは伸びると鬱陶しいと
思っているのが逆にうれしくなるね。まだまだ短いんですけどね。

さて、今月もそろそろ終わりに近づいてきました。
ウチの職場の存続もあとひとつきとなってしまったわけですが、
10月以降の運営をどうしていいのかは正直言ってまだイメージが
沸きません。数人が残って残務処理をすることになりますが、実務を
誰から誰に引継ぐかといった問題は切実です。なにせ地域をまたいで
いるし、派遣さんにもやってもらっていることがるし、残る社員だけで
こなしていくには相当苦労することが予想されます。

残ることが決まっているのは自分を含めて4人。
担当職が2人で管理職が2人。
9月一杯で仕事を終えるのですから、そのうち残務もなくなるのですが、
当分は従来の仕事をやらざるを得ないので、仕事の減り具合を見ながら
残る人間の異動も考えなければなりません。

昨年度末までは社員18人と派遣さん3人の21人体制で運営していた
ところを、受注業務がなくなるとはいえ、4人(派遣さんが1人いるかも)
体制になるのは諸々負荷が高くなるし、書類の所在すらわからなくなる
かもしれません。まぁとにかく事業の終了にはいろいろと細かいものが
残りますので、従来の仕事にはなかったことが都度出てきます。

これらをこなしていくことが10月以降の我々のミッションですから、
誰でもいいっていうわけではありません。こういう仕事は知識と経験が
モノを言いますから、新入社員にはできない仕事ではあります。しかし
前向きではないのでやりがいはあんまりないですよね。ただ、ひとつの
区切りをつけて、次の職場へスッキリとした気分で異動することにしたい
ので、これはこれで与えられた使命を全うするのみ。

この1ヶ月は、なにかと動くことになりそうだなぁ。頭も身体も。
バテている場合ではなさそうです。

はい。今日は曇り一時晴れ。(東京地方)



2003年08月26日(火) ちょっとイライラしているかも

明日は秋雨前線の停滞でお天気が良くないから火星が見られるのも
限られますね、だと。火星が6万年ぶりに大接近するらしい。

というか、自分にとっては火星のことよりも、「秋雨前線」という
表現が天気図に表われたことが驚きです。まだ8月だよ。とはいえ、
立秋を過ぎているから表現としては正しいんだけど。

さて今日はどうしても確認したいことがあったけど、都合が悪くて
できませんでした。今日確認したいことは今日のうちに確認したい。
それができない時は精神的によろしくないね。でも自分の生活リズムも
崩したくないから、そのあたりは深く追求しないお約束。

だからというわけではありませんが、飲みに行こうと誘ったこと3件。
1日のうちに誘いをかけた件数としては過去最高。(笑)
3件とも3週間のうちには実行できそうです。あわよくばもう1件。
予算の山場が過ぎたから気が抜けたか。

職場のみんなが恐らく9月一杯をもって他の職場へ異動していくことに
なります。自分はといえば、恐らく12月までは引っ張られそうです。
みんなが動いていく中で取り残されるのはある意味辛いものがあります。
動くことにはなっていますが、自分がどこへ動かされるのかはまだ告げ
られていません。あまりに早過ぎる通告はよろしくないという上司の
判断なのでしょうか。もし自分が上司の立場でも、やはり早過ぎる通告は
避けると思います。次の職場が気になって仕事に身が入らないかもしれ
ないから。そういう意味では銀行のように通告されて1週間以内に異動
させられる方が、考える余裕もなくていいのかもしれません。そのあたりは
組合が強いかそうでないかでしょうね。組合が強いところは家族を理由に
本人の合意だけではいけないとクレームしますからね。

要するに家族にとって異動が幸せかどうかという評価になるんです。
異動はサラリーマンにとって一概に出世への階段とは言えないからです。
家族を持たぬ自分は自分の価値観だけでモノ申していますけどね。でも
結局毎度のことですが、その時々の上司から説得されて受け入れているん
ですが、結果的には正解だったと後から思います。たまたま悪い上司に
当たらなかったと言うべきでしょうかねぇ。

でもまぁ今回は役割がはっきりしているから、生殺しではありません。
周りから見るとそう見えるかもしれませんけど、本人がそう思っていないの
だからそれでいい。流れに身を任せるのみ。そう考えましょう。

ウチの会社は来年度から給与体系が変わるようです。
とはいっても、世間の動きについていっているというだけかも。
まだ決まっていることではないので、このあたりは別の機会ということで。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年08月25日(月) 資本主義の精神

キリスト教における「予定説」の本質。資本主義の精神を生み出すに当たって最も
決定的な役割を果たしたもの。ちょっと引用させていただきますと、

”「神は己が栄光を顕わさんとして、世界の礎が据えられる前に、自らの決意に
よってある人々を永遠の生命に預定し、他の人々を永遠の死滅に預定し給うた。」
ある人々の選ばれたのは、決して彼らの「信仰、あるいは善行為、あるいはその他
被造物のもついかなるものも条件あるいは原因とし」てではなく、すべて神の
「自由な恩恵と愛」に基づくものである。(大塚久雄『宗教改革と近代社会』
みすず書房 71頁)”

恐るべき説教です。
自分は救われる側なのか、救われない側なのか、そのいずれかを知りたくても
人間の知力ではそれを知ることができない。ここにカルバンの一言が救いとなった。

「神に救われる予定の人は、そのことを証明するように振舞うであろう」

キリスト教では何が正しいのかを言っていませんし、正しいことをしたからといって
神が救うとも書いていません。ですが、神が救うと予定した人は何が正しいかを
教えられなくても自分では分かるはずであって、絶対にそれを行うはずであるという
気持ちになる、と。ここにはカトリックにある懺悔は存在しません。

ここから目的合理的精神が生まれました。
伝統主義的エトス(行動様式)の変換が行なわれたのです。
目的合理的とは、ある目的を達成するために全ての手段を整合するという意味。
伝統主義ではあり得なかった利潤の最大がここに成立できるようになったのです。
伝統だとかしきたりだとか掟だとか、そんなことには構っていられなくなったのです。

これが資本主義の精神です。何が何でも効用を最大化すると考えるのです。
資本主義的人間というのは、伝統主義を打破するという意味で、ものすごく特殊な
人間であると言う人もいます。この目的合理性の意識こそが中産的生産者層に
属する人々を伝統主義とそれにまつわる様々な非合理性から離脱させ、近代の
合理的産業経営の建設に適合的な思想と行動の様式を身に付けさせる方向に作用
したと言えるということです。

資本主義の根源を調べてみると、キリスト教のエトスの転換にぶち当たる。
誤解を恐れずに申しますと、カトリックの教えをプロテスタントが追い払ったから
こそ、資本主義が作られました。伝統や儀式を絶対的なものとしたカトリックを
否定し、本来のキリスト教に立ち戻らせた、この「予定説」こそが資本主義の根源
であると言えるでしょう。そういう意味では、本来の資本主義は日本には馴染んで
いないかもしれません。

とはいえ、仏教はもはや「葬式仏教」に落ちぶれてしまった感がありますから、
そのあたりは現在の方が臨機応変に対応できるのかもしれません。そもそも仏教は
日本に存在していた宗教ではありませんしね。聖徳太子まで遡る歴史はあるとはいえ
脈々と受け継がれてきたのは「神」の存在。つまり天皇の存在です。アメリカは
この「神」の存在を否定しなかった。日本を再建する際に、国民の心の拠り所と
考えたからでしょう。現人神ではあるけど、神には違いない。日本の歴史をよく
知り尽くしていたと言ってもいいでしょう。

ただ、これが行き過ぎると原理主義に陥ってしまうわけで、日本では右翼になって
しまうわけで、民主主義の世の中では融合できません。資本主義と民主主義は必ず
しも一致しないんです。これがまた。

日本の場合でいうと、やはり戦後は「一生懸命に働くこと」がひとつのエトスと
なっていたんでしょう。家族のために汗をかいて働くことが、たとえ家族を犠牲に
したとしても美徳とされていたんでしょう。生活の向上のためにね。

さて、生活が向上した今となっては、何が今の日本にとってエトスとなるのか。
少なくとも自分の中にはそんなものないんですよ。おほほ。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2003年08月24日(日) 今日は軽く読み流してください

やっぱり早めに手を打って良かったと思います。
以前の自分だったら、痛いところを放って置いて「痛い痛い」と
グチっていただけだったから。もちろん、放って置いたとしても、
そのうち治ってしまう回復力もありましたけどね。

実は今でも回復力はあると思っています。
でも今回のことで普段の手入れが大事だとわかりました。
放って置くと、積もり積もって手のかかることになってしまったから。
自分の身体にあまりに無頓着だったと反省しています。
小さい頃から壊れにくい身体だったから、少々のことでは医者にかから
なかった。生活パターンが変わったんだから身体も変わったようです。

今日から当分は毎週、整体に行くことにしました。
身体中のアンバランスを一気に治してしまうと、それがかえって
疲れや痛みを生じさせてしまうそうですから、少しずつになります。

これはどういうことかというと、脳が身体のバランスを覚えてしまって、
今の姿を元に戻すことは、脳が覚えているバランスを崩してしまうことに
なるそうです。だから、一気に元に戻してしまうと脳がついていかなくて
頭痛になってしまったりするそうです。そういう意味でも身体はいろんな
ネットワークで守られていると感じます。生活病というのは、少しずつ
悪いことをしているのにそれに気付かずに少しずつ悪い方向にバランス
していった結果であると言えるでしょう。身体が許容の限界に耐える
ことができなくなった結果です。

幸い、今回は環境が良かった。
1.主治医のいる医者へ行く時間が取れて、原因が判明した。
2.土日もやっている整体(カイロプラクテイック)が近くにあった。
3.その整体はリーズナブルな治療費だった。
4.土曜日もやっている整形外科が近所にあった。
5.その整形外科はリハビリ施設が充実している。
  トレーナーは不在ですが、自分の症状には必要ない。
6.仕事の種類が減ってきて、重なってパンク状態になっていない。

どれひとつ抜けても治療にかける意気込みがなくなります。
環境が悪ければ、途中で放り出してしまうことにもなります。

知っているつもりでも結構知らない自分の身体。
だからこういったことがきっかけで自分の身体を知ることになります。
近くに誰も身体のことを心配する人がいないから、こうやって自己防衛して
いくしかありません。とりあえず、その手段を知ることができただけでも
良かったと言うべきだと思っています。

まぁ、こういうことは他人に言っても仕方のないことですが、自分がいかに
自分の身体に無頓着であったかを知らしめるために記録に残しておきたいと
思いました。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2003年08月23日(土) もう50代の身体なのか

今日は久しぶりにお日様が出て暑い一日になりました。

さて、月曜日に書いた頚椎の話の続き。
面倒くさがりの自分ですが、やはり自分の身体のことですから、
せっかくネットで探した近所の整形外科へ行きました。これは、
先日、主治医に告げられた、近所で首を牽引をしてくれる医者を
探せ、という指示によるものです。

幸い最寄駅のすぐ近くにありまして、そこはまだ新しいんですが、
リハビリ用の治療用具も充実しているようです。車でも行くことが
できますから、近いとはいえ歩いて20分ぐらいかかるところ。
車もたまには動かす必要があったので、車で向かいました。

自覚症状を伝え、同じくレントゲンを撮りました。
結果は主治医に告げられた時と同じ。第三頚椎が少し前にズレている
症状が確認できました。今回は主治医の病院で撮影した時よりも
ズレ具合が少なめでした。もしかしたら整体に行って周囲の筋肉や
筋がほぐされたのかもしれません。それによって、無理してバランス
していた骨や筋肉が、本来あるべき姿に戻ったから、骨ももとのサヤに
戻ろうとしているかも。そういえば、昨日今日は少しばかり痛みが
緩和しています。

そこで、治療に関して、主治医の言う牽引のことを尋ねてみましたが、
ここの先生曰く、牽引はやってみないと効果が分からないから(つまり
逆効果の場合もある)、当面は軽めの重さで引っ張ってみて、調子が
良ければやや重めに引っ張ってみようとのこと。痛みが出てくれば、即
取り止めということでね。

今日生まれて初めて牽引というものをしてみましたが、確か以前は砂の
入ったオモシの袋をぶら下げて、それで引っ張っていたと記憶していますが、
ここの牽引はデジタル機器。つまり、張力を電気で制御する機械です。
シンプルな仕組みではありますが、一定時間が過ぎると一旦緩める動作を
します。これは従来のオモシ式では味わえない感覚ですね。

どうやら自分の場合、牽引は悪くはなさそうです。引っ張られても痛くも
かゆくもない。むしろ気持ちよく、眠気さえ覚えました。

特段処置が必要なわけではないそうですが、やはり日常生活の姿勢として
頭をガクっと前に倒すことは止めろと。会社で席に座っている時も、電車で
眠っている時も、それから部屋で寝る時も、頭を前に倒すのは敢えて自分の
首を自分でいじめていることになるので、気を遣うように、と。

でも前に倒すのはあまり痛くないんだよね。むしろ後ろに倒す方が痛い。
ブリッジするほど曲げると良くないけど、上を向く程度であれば大した
問題じゃないと医者は言うんだけど、そう言われても上を向いただけで
痛いのにー。痛い動きは良くない動きらしいけど、それって論理的に
おかしいんじゃないかと思いつつも、ま、素直に聞くとしよう。

この医者曰く、この症状は40代か50代の症状だ、30代にしては早い、
だと。ムッときたね。これは生活病じゃないって。10数年前に食らった
車の追突か、ラグビーしてた頃の衝撃かどっちかだって。きっと。

当時はそんなに気にならなかったので調べなかったけど、今ごろになって
痛みを覚えるとは。もし追突事故に会った方は、その時には痛くなくても
必ず病院でレントゲンを撮ってもらうようにして下さい。後から来ます。
原因が分からずに困りますから。

処方薬として治療の後に薬をもらってきましたが、それが2種類。
ひとつは痛み止め、もうひとつはビタミンB12。ビタミンB12がどんな効用か
知りませんでしたのでネットで調べてみました。

【主な働き】
● 神経の機能維持に関与し、肩こり・腰痛の緩和に役立ちます。
● 赤血球の形成に役立ち、貧血に効果があります。

【補給を特に心がけた方がよい人】
● 貧血ぎみの人
● 妊婦・授乳婦
● 野菜だけの食事に偏りがちな人

だそうな。一般薬では「神経痛、腰痛、手足のしびれに」という文句で
謳っているものがあります。これらを緩和する専門薬だそうです。
末梢神経障害の治療薬だそうです。貧血だけではないのね。

とにかく、他のことは犠牲にしても自分の身体は自分で大事にしないと。
誰から言われるまでもなく・・・。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2003年08月22日(金) 待ちぼうけ(本文とはあまり関係なし)

待っているものが来ないって、寂しさを越えて苛立ちを覚えて来たり。
それでも救いがひとつあるのは他言無用ってことで。

さて、今日は予算書提出日。BSを残し、他の数字は作り上げていたし、
課題方策書は上司にお願いしてあったし、後ははちまき巻いて仕上げる
のみでした。「でした」と書くと出せなかったように見えますが、書式は
定時には間に合いませんでしたが、とにかく出しました。

本来、予算書とは事業部内の責任者を呼び集めて、各々の立場のネタを
出させて、業績管理をしている側の都合を合わせて無理やり合意を取って
いく合議という手続きを行ないます。管理側の都合とはまさしく会社側の
都合を反映しているから、各々の責任者も真っ向から対立してすべての
数字を否定するわけにはいきません。なぜなら、責任者は管理職という
会社側の人間なので、会社の命令には背けないからです。

会社の命令ですが、誰が会社なのかという問題もはらんでおりますので
詳しくはまた別途ということで。

ウチの職場の場合は、今年度には店をたたむことになっておりますので、
業界の環境がどうだとか、利益を上積みするとかいったことはなく、
ただただ撤退コストのミニマム化を続けることが命題です。とはいえ、
閉めた時の結果は出ますから、それがどれだけなのかを予測することは
求められます。その予測値を最小限にするために何をやればどれだけ
少なくなるのかといったことを抽出して数字目標を作り、実行する。

そういうことをやっていますから、毎月報告する数字が変わります。
ですが会社としてはそうコロコロ数字が変わっては困るので、どこかに
ターゲットを置き、それを守らせる方向で指示をしてきます。会社と
いうのは、事業の数字責任をもつ部門の責任者のことです。ウチの事業の
場合は、本来事業本部にあったのですが、新規事業として本社が4年前に
立ち上げた部門ですから、事業本部に組織変更した今でも、その数字責任
は本社が持つことになっています。そういうわけで本社の事業管理部門長
が責任を取ることになります。(疑わしいですけど)

とはいえ、今日提出する約束だった書式は2種類でしたが、その2つとも
出してしまったので、土日に仕事をすることは避けられました。ホッとして
ついウダウダ書いてしまいました。スンマセン。

さて、明日は首の牽引にでも行ってこようかな。
明後日は整体が待っているし。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年08月21日(木) ちょっとした言葉ひとつでも

本日は小千谷にある客先を訪問。
とりたててお話することはありませんので昨日の話でもひとつ。

欲しい本があったので、web会員登録をしているジュンク堂書店のネット
注文をしました。web上では在庫ありとあったので、これは即納だなと
思っておりました。

が、ジュンク堂からメールが来まして、”店頭に美本がなく、至急版本から
取り寄せますが、場合によっては1〜4週間ほど納期がかかります。もし
お急ぎでしたら「不本意ですが」美本でない現品の出荷は可能ですので
ご検討の上メールでの連絡をお願いします。書籍の状態はカバー上部に
ややヨレ、カバー裏表紙にややスレ跡があります。”といった内容でした。
(本文からエキスだけ抽出。カッコはわたくしが加筆。)

「不本意ですが」っていうのは余計だよね。
不本意だろうがそうでなかろうが、事実を伝え、それをどうするかを客に
判断を仰げばいいだけのこと。せっかく訳者にサインをもらおうと連絡を
入れて時間を割いてもらえることになったのに・・・。

まあ、でも冷静になって考えると、直接店頭に買いに行けば、そのキズもの
しかその店には置いてないわけだから、結局同じことになります。という
ことは、足を運ばなくても美本を取り寄せてくれる手はずを整えてくれた
と思えば、かえって気が利いているのかなと考える方が正しいかも。

気持ちとしては「不本意ながら」という言葉を使いたくなるのは分かります
が、あくまで事務作業だからクールに文章を書いてくれればいいだけ。

言っていること、やっていることは至極まともで誠意のあることだから、
ちょっとした一言で気分を害されてしまったことが残念です。

どこの言語でもそうですが、副詞や副詞句、副詞節は骨格をなす文章へ付け
足した発話者の主観ですから、これが相手に正しく伝わるとは限りません。
程度の問題は人それぞれですからね。特に顔の見えない(つまり過去に話も
したことのない)人に文字を送るわけですから、主観は極力差し控える方が
お仕事としては無難です。

なーんてことを言っておきながら自分はどうかというと・・・。
結構後ろめたい経験もありますので、発言は差し控えさせていただきます。

はい。今日は曇り。(上越地方)



2003年08月20日(水) こんなときは手短かに

予算書は結局、金曜日の提出になったので、今日はできるところまで
やって、明日は客先訪問、金曜日に上司との数字の調整をすることに
しました。身体の調子が悪い時に根詰めてやってもいいことないので、
とりあえずひと区切り。

それにしても頚椎からくる痛みは今のところは和らいでいるものの、
また元の痛みに戻るかわかりませんから、しばらくは姿勢に気を遣って
いかなくてはなりません。普段の姿勢の悪さもひとつの要因ですから、
まあ仕方がないというか。

しばらくは早めに寝るようにと指導されていますので、短いですが
今日はこのへんで終わります。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年08月19日(火) 出張のち診察および整体

午前中の客先打ち合わせが終わって、その足で主治医のいる整形外科へ
向かいました。30分ぐらいのところにあるんでね。
目的は左ひざの術後定期検診と背中痛。

左ひざに関しては今年の3月に診察を受ける予定でしたが、カルテに
登録してあった電話番号が引越し前であったため、診察日変更の連絡を
受けることができず、診察予約していた日には主治医不在で受けられず、
次回を聞くと近く独立なさるとのことで、その病院での診察は不可能。
そこで住所と連絡先を聞いておき、ようやく8月になって行くことが
できました。ついでに背中が痛いので診てもらうことにしました。

左ひざは相変わらず経過良好。問題なし。(外科的にはね)
背中に関しては、これは背骨の問題ではなく、頚椎がガタガタにズレており、
そのせいで神経に悪さをしているとのこと。何らかの衝撃で頚椎がズレて
いるようです。レントゲンの写真を見て先生から「ガタガタだね」と言われ、
看護婦さんが笑ってしまうほど。自分も笑うしかありませんでした。
(まぁ笑える程度ということで。)

何せシロウトの自分が見ても分かるほどズレていたんですから。(2ヶ所)
首のレントゲン写真は始めて撮りましたが、まさかズレているとは。
主治医は牽引を勧めましたが、牽引のできる病院が近所にありません。
なにせ主治医の病院は東京の限りなく千葉寄り。自分の家は限りなく所沢
寄りですから、東京の正反対。これじゃ通院できないということで、どこか
便利のいいところをネットで探すことにしました。とりあえず左ひざの
経過診察は引き続き行なうそうなので、3ヶ月後に行くことにしました。

それでは今の痛みが取れないので、その後、昨日予約をしていた整体へ
向かいました。ここはネットで見つけた初めてのところ。整体は善し悪しが
激しいので、ダメだったら別のところへ行こうと思っていましたから、そう
気が重いわけではありませんでした。(ちなみに宍戸開も患者の一人)

整体は健康保険が利かないので、下手をすると高額な医療費を請求される
ことがありますが、ここはリーズナブルで、初診の時だけ1500円を
取られますが、通常は1回に付き3500円。世間的には5000円前後
ですから安いです。担当も資格を持っている人たちだからボッタクリでは
なさそうです。で、受けてみました。

細かいところまで色々と問診し、それでいてアドバイスも親切。
悪いところとそれによる影響をきちんと説明してくれました。
整体は患部の治癒が目的ではないこともきちんと説明してくれました。
整術後の影響も併せてね。

これって大事なんです。患者への説明。

あれこれ試しながらどこがどうなっているのかをしらみつぶしに調べてくれ、
その結果は腰骨の歪みと頚椎のズレ。要するに日常の生活スタイルの結果。
足を組んだり、座る時の姿勢が悪かったり、寝る時の枕が悪かったり。
それらの積み重ねで筋や筋肉が歪んだ骨をかばうために、通常とは違う
バランスを保とうと無理してがんばった結果、限度を越えてしまった。

整体は本来のバランスに戻すため、患部があれば本来の患部の痛みが戻って
くるため、整体を受けた後は痛みが伴うこともあるそうです。そして本来の
治療を受けることになる、と。

今日の治療の結果は早いうちに見る必要があるため、次の日曜日に予約を
入れて帰りました。ここは水曜日が休診日なので会社勤めには助かります。

それはそれとして、頚椎の牽引をしてくれる病院を探さなきゃ。
しばらくネットサーフィンすることにします。

なんだか今のところ体はいい感じです。

はい。今日は曇りときどき雨。(東京地方)



2003年08月18日(月) ま、たまには短くてもいいか

少々髪を短く切りすぎました。
正しく言えば、短く切られた。昨日会った人からは「中学生のよう」と
言われる始末。しかも毛先が揃っていないから言いたい放題。

昨日行った理髪店(「床屋」は表現としてはよろしくないようです)は、
いつも行っているところですが、昨日はたまたまご主人が他の人について
いたので、奥さんがやってくれました。奥さんにやってもらったのは初めて。

そのせいか自分の伝え方の悪さのせいかは分かりませんが、ご主人からの
アドバイスをもらいながらの処置でした。自分はあまり気にしていなかった
ので、ご主人にいつも言っているような簡単なことだけ(バッサリ切って)
伝えたので、いつもなら横と後ろを短く切るところを、前と上まで同じく
短く切ってしまった後に鏡を見て確認された(それまで寝ていた)ので、
もうその時点ではどうしようもありません。

自分の返した言葉が、「諦めました」。
奥さん、それが聞こえたかそうではないか、ニコニコしていました。

しばらくして髪が伸びたら、こんどはご主人に切ってもらおう。
ちなみに奥さん理容師の資格を持っているかどうかは不明ですが、剃刀の
使い方はうまいです。クシの使い方はどうやらうまくありません。何回も
床に落としていたからな。

さて今週は見直予算書を提出する忙しい週なんですが、明日は朝から客先へ
行った後に病院と整体へ行くために半日休暇。明後日は事務所ですが、また
その次は朝から新潟へ向かって終日。残るは金曜日だけですが、既にその時は
提出期限が来ているから事実上、水曜日が期限です。自分以外に予算書を
作れる人が組織内にいないからね。恐らく金曜日は作り直しとかなんとかで
まともには帰れないでしょう。

コトウさん、ごめん。そういうわけでイベントには行けません。
とはいえ、これから結婚を考えている人に対する嫌がらせ(笑)の意味合いも
あるようだから、行かぬ方が身のためとも思ったりして。いやいや。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年08月17日(日) 予定調和ふたたび

「予定調和」

この言葉を見聞きすると、去年の冬のこと(秘密)を思い出してしまうんですが、
その当時はまるで理解できなかった言葉です。

当時の日記にはこう書いています。

”分業と自由競争は神の見えざる手の様に予定調和を実現する、という
アダム・スミスの出発点は道徳哲学だった。アダム・スミスにおける
自由は、封建社会や教会勢力の権威による理不尽さへの突破口だった、
と解説しています。彼にとっては神の意志である「調和」が経済の
ビジョンであることは自明だった、と。”(2002年1月17日分)

今見ても良く分からないことを引用して書いていますが、意味は文字通りです。
つまり、「予定されていた調和」です。

ここで問題なのは主語が誰かということです。
誰によって予定されていたかというと、キリスト教でいう「神」なんです。

絶対的な「神」が決めたことは人がどうあがこうとも変えることはできない。
神に決められたとおりに物事は収斂していくということです。

これだけでは舌足らずなんですが、エキスだけを言うとそういうことなんです。

決められているんだったら、何にもしなくてもその通りになるんだったら、
別に何をしなくてもいじゃないかと思いますが、その決められたものが何なのか
予め分かっているのならそうですが、先のことなんか誰にも分からないんだから、
ひとつの目標に向かってそうなるように行動する、その行動が神の予定した
ところに収斂していくというものです。自由市場とは神の見えざる手によって
正しいところで調和していくと考えるのです。ここに人間の意思と操作は
関与してはならないという考えから、政府の市場への関与は良くないと考える
わけです。

決めたのは神であって人間ではない。でも正しいかどうかは問われない。
神が決めたことだから正しい。そして人間の価値観が介入する余地はない。

この思想に基づくのが、いわゆる古典派と言われる人たち。
これに異論を唱えたのがケインズであり、その流れを汲んだ人たち。

これを数学の言葉で言うと、以前(2003年7月27日分)申し上げました、

方程式=ケインズ派理論
恒等式=古典派(新古典派)理論

となるわけです。

教えてくれる人がいないと時間がかかって仕方がないんですが、たとえ1年半
経ったとしても、いいじゃないですか。字面だけで分かった振りをしていた
学生時代とはワケが違いますから。

さて、学術的にはどう書いたらいいんでしょうかねぇ。
え?ここで書く必要はないって? おっしゃる通りです。
今年は学生らしい勉強の仕方をしていないもんね。読書のしっぱなしです。(苦笑)

それにしても経済用語ひとつとっても幅がありますね。

はい。今日は曇りところにより一時雨。(東京地方)



2003年08月16日(土) 計画倒れ

今日は土曜日。連休もあとわずかになってきました。

休み前の計画では、盆休み中は打ちっぱなしの毎日のはずでした。
帰省もしないから、風邪が治ったら浸ってみようと思っていました。
なにせ9月には久しぶりのコンペがあるからね。練習すれば飛躍的に
うまくなるわけではないけど、少しでも迷惑をかけないようにと思って。

なんで迷惑かけられないかっていうと、そのコンペには会社の会長とか
副社長とか出るんだよね。なにせ副社長が主催のコンペですが、彼が平取の
頃からやっているコンペ。前の職場にいた頃からの付き合いのコンペです。
(なんでヒラが参加できるかっていうと、まぁ色々ありまして・・・)

本来なら組織内での召集だから自分は呼ばれる対象ではないけど、声をかけて
くれる人がいるから今でも参加しています。この声をかけてくれるってことが
大事で、会社のコンペであるかどうかは関係なし。参加する方も気を遣うし。

お付き合いゴルフっていうものほどイヤなものはありませんが、建前では
お遊びだとみんな思っているし、参加者は幹事の特権で決められるから、
対象外だろうが関係ありません。

上司がいるからとか、この人にいい顔しておきたいとかいう気持ちのある人が
ウヨウヨしているのであれば、このコンペには参加していません。好き嫌いで
言えば嫌いな人もたくさんいますが、そういうこと関係なしにやらせてくれる
から参加する。(ちなみにこのコンペには自分の上司は参加しません。)

でも、いくら部外者だとはいえ同じ会社の社員だから、それなりの気遣いは
必要です。そんな気遣いも自分のプレーがむちゃくちゃだと気遣う余裕も
なくなるから、そういう意味でも迷惑をかけないプレーをしなくてはなりません。

ま、練習していないとはいえ、むちゃくちゃに壊れてしまうことにはならない
とは思うので、そんなに気にしているわけではありませんけどね。

背中が痛いので、練習をすると余計に痛めると思っているから練習を避けて
いるんです。休みが明けた来週のどこかでヒマを見つけてお世話になっている
整形外科と整体に行ってみます。今週は盆休みだったからね。
(どうやらいろんなところが痛んでいる様子。オーバーホールが必要か?)

はい。今日は雨。(東京地方)



2003年08月15日(金) 終戦日に際し

今日は終戦日。(記念日と付けるのは自分にとって馴染まないので外しました)

長崎や広島の代表される傷跡を残しながら、武力を放棄することで経済に邁進することが
できました。(戦争コストを経済コストに配分したと言います。)生活を取り戻すことに
必至になる環境ができたのです。そのことができたのは日米安保と憲法9条のおかげです。

細かい点ではいろいろと論議がありますが、現在の日本の生活を守るならば、このふたつは
壊してはならない聖域だと思っています。日米安保を批判するならば、憲法9条を改正し、
明白に武力を保持することを宣言すべきですし、経済的な安定を犠牲にしてでも武力保持を
行なう覚悟をしなければなりません。こうして始めてアメリカから自由になるわけです。

自由とは自身に責任を持つことであるのは充分ご存知だと思いますが、国家という領域で
考えるならば、その国家を守るのは国です。そしてその国を動かしている政府です。この
政府に国家を守る責任を感じ、そしてそれができる自負があるならば、それはどういう形で
表せるのでしょうか?それは外交と武力としか言えないんじゃないでしょうか。
(これが極端になると北朝鮮になるんですけどね。いいとか悪いとかの問題じゃなく。)

もし国民の大きな声でそのひとつである武力を無くしてしまうことになれば、残るものは
外交ひとつになりますが、日本の外交が目を覆うばかりであることはご承知のとおりです。
となると、国民を守るものは何も無くなってしまいます。国民一人一人が普段から身を守る
方法と手段を覚えなければなりません。これは防災訓練にかかるコストと比べるまでもなく
莫大なコストがかかります。恐らく自衛隊を抱えるコストよりも高いんじゃないでしょうか。

日本が経済的に成り立っているのは、アメリカ抜きには考えられません。
いわば日米安保と憲法9条は両輪なのです。どちらがなくなっても成り立たない。

どちらも形骸化して実情にあっていないと批判されていますが、そうであるならば現在の
状況を変えずに違った形で国家を守る、経済を成立させるような対案(実現できる)でも
あるのでしょうか。敗戦国だということを忘れてはなりません。過去の清算はできていない
と思っています。アメリカに対してもアジア諸国に対してでも。

そういった国が独立して閉鎖的な国になるのなら別にして、他国との関係を持ちつつ繁栄を
願って生きていくのなら、平和な国家を続けていくのなら、かつては敵国であったアメリカ
と共存をしていくことが日本にとって平和をもたらすことであり、そして生活向上を願う
アジア諸国とアメリカとの仲介役に徹することがもっとも日本に求められていることでは
ないのでしょうか。(要するにいまの状態を大きく変えることは望ましくない)

体制を批判するのは大いに結構で、それがあるからこそ均衡した状態が保たれます。
バランスしている状態が健全なのです。主流が大き過ぎて均衡が取れなくなると、それこそ
痛ましい過去の繰り返しになります。そういう意味でも55年体制が崩れた今は民主党や
自由党(自由党は民主党に合流しましたが)が自民党の対抗となるべきです。裏を返せば
社会党はもはや必要ないということですけどね。

そしてそれらの政党が将来の日本をどれだけ真剣に考えているのか。
有権者はそのあたりを考えるべきなんです。決して地元のことだけを国会議員に求めては
ならないんです。国会議員には国会議員の役割を果たしてもらわなければなりません。

戦争は政治です。経済戦争も国をまたいだ政治戦争です。武力の行使も政治の結果です。
そして政治家を選ぶのは国民です。国民がアホだと政治家もアホな人が選ばれます。
間違った政策が作られるのも、そのアホな政治家がアホな政治家とグルになって官僚を
丸め込んで作り上げるのですから、結局はアホな政治家を選んだ国民の責任です。

ですから、まともな国を作るには国民自らがまともになる必要があるわけです。
いい加減な政治を行なっていることに対して批判はできますが、これを変えるためには
やはりまともな議員を永田町に送り込むことが必要です。国民の1票の力によって実現が
できることです。遠い存在の人たちも我々の1票の積み上げの上に成り立っているわけです。

戦争を抑止する力は政治の原動になっている国民一人一人の力によるんです。
決して他人に頼ろうとせず、自分には何ができるのかということを考えて、普段の行動、
つまり投票によって自分の思いを反映してくれる人を選ぶようにしていくことになります。

経済的な政策に加え、イラク戦争と北朝鮮問題で政治的な課題ができました。
この秋から来年にかけて政治的な動きが出てくるでしょうから、これをいい機会にして
みんなで日本の将来ってものを考えてみませんか。みんなが自分の懐のことばかりを叫ぶと
みんなが沈没して行くことになることを忘れてはなりません。蜘蛛の糸を思い出しましょう。

エゴの結果が長崎や広島の惨劇となって返ってきたことを忘れてはいけません。
長崎や広島の原爆投下日に加えて、終戦日に思うのはそういったことです。

今の日本は、何はともあれ平和です。

はい。今日は雨ときどき曇り。(東京地方)



2003年08月14日(木) ガウスの定理?

逸話をちょっと。

ガウスが小学三年生の時、先生が問題を出しました。
1から100までを加えたらいくつになるかというもの。
先生はこれで30分はたっぷり休めるなと思いきや、ガウス少年が
あっという間に答えを出したもんだからたまったもんじゃない。

彼はこれを等差級数の和の公式(Sn = 項数 * (初項 + 末項)/2 
つまり端と端を順々に足していって最後に2で割るというやつ)を
使って解きました。

さて、答えはいくつになるでしょうか?(答えは最下部に)

かつて「伊東家の食卓」で紹介された”計算の達人に見える裏技”。

117から126までの10コの数を足すといくつになるか。
番組の紹介した裏技は、5つめの数を10倍して5を足すというもの。
確かにそうなりますが、5つめまでを書かなくては結果が出ません。
しかも解説はなく、ガウスの定理を使ったのだと言います。

これは、例えば1番目を(a-4)、5番目の数をaとすると、

(a-4)+(a-3)+(a-2)+(a-1)+a+(a+1)+(a+2)+(a+3)+(a+4)+(a+5)
= a * 10 + 5

ですから、これで答えが出ます。4番目の121を10倍して5を足すの
ですから、それで1215が導かれます。ガウスの定理などと言わずとも
普通に説明ができます。というか、これがガウスの定理なのでしょうか?

前述の逸話にもあるように、ガウスが小学生の頃にはすでにできあがって
いた公式です。あるいはガウスが小学生の時に作り出したものではありま
せん。ということは、これはガウスの定理ではないことになります。番組の
制作者は、前述の逸話を定理と勘違いしたのでしょう。

と思っていて、ネットでいろいろ調べていると、このことを指摘している
人がすでにいらっしゃいました。ガウスの定理にはこんなものないってね。
自分は文系なので詳しくありませんが、ガウスの業績は、ガウスの公式・
ガウス平面・ガウス分布といったところでしょうか。

そういえば、ノーベル物理学賞を受けた湯川博士も、小学三年生の頃に
等差級数の和を求める公式とそっくりの計算法を作り出したといいます。
時代的にはガウスの方が100年以上早いですけどね。

ただ、等差級数の和の公式は誰が作っていつから扱われているのかを
知りません。会社の同僚に聞いてみます。(知ってるかな?)

はい。今日は曇りのち雨。(東京地方

<答え>5050



2003年08月13日(水) 見栄っ張りシンドローム

風邪がなかなか治りません。
鼻はグスグス、セキが止まらない。
昨日ご一緒した人はノドが痛いといっていますから、もしかしたら
うつしてしまったかもしれません。申し訳ないやら。

さて、今日は親父の田舎である佐賀県から鳥栖商業が出場しました。
そして強豪の愛工大名電に打ち勝ちました。地元は大変な騒ぎです。

親父の出身校は鳥栖高校ですが、今年は商業の方が強かった。
実はこの鳥栖商業は、松雪泰子の母校です。
松雪という苗字は鳥栖では特徴的な苗字です。(つまり多い)

お笑いの「はなわ」は、彼女は佐賀出身であることを公表していないと
歌詞の中で謳っていますが、彼女の公式HPではきちんと佐賀が出身地で
あることを書いています。ちなみに牧瀬里穂は福岡出身と彼女の公式HP
には書いていますが、高校に入る前は佐賀にいたようですから、あながち
「佐賀」の歌詞は間違っていないわけです。

かくいう本人は出身地は埼玉県春日部市。その後千葉へ移って、その後に
佐賀へ引越したといいますから、本当の意味での出身地は埼玉県。だから
佐賀県に次ぐ歌は埼玉県になっているようです。ちなみに佐賀西高校卒業。

ところで出身地の定義は何でしょうか?
という疑問を持った人が投票で調査した結果があります。

(1)生まれた場所だから 33票
(2)育った場所だから 34票
(3)一番長く住んでたから 1票
(4)本籍地だから 0票
(5)親の出身地だから 1票
(6)そこの学校を出たから 1票
(7)住んでいるから 0票
総投票数 70票

調査の母数が少ないので信頼性の点ではいささか低いのですが、参考数値
としては無視できないと思います。要するに生まれた場所か育った場所か、
どちらだと思いますか、という質問に集約されます。

自分はどちらでも構わないと思います。何に思い入れがあるかという基準で
判断すればいい問題だと思うからです。どうしても上記の選択肢からひとつ
選べと言われれば、生まれた場所と言うでしょうね。自分の場合はたまたま
生まれも育ちも久留米ですから、出身地は久留米、あるいは福岡県という
ことになります。両親の出身地や本籍となるといささか難しくなるし、現在
住んでいるところとなると、選挙にでも出ない限りただの現住所だし。

もしこれを「ルーツ」ということにすると話はもっとややこしくなります。
どこまで遡ればいいのかってことになりますからね。ほとんどの方が数代
遡れればいい方でしょう。例えば自分の家系はどこそこの武将だから、その
地域が出身だと言う方もいらっしゃいます。それでもいいんじゃないですか。
はっきりしているんであればね。(何だか腑に落ちない気はしますが)

出身地がどこであれいいじゃないですか。
仮にそれがその人のアイデンティティ−を表すものであれ何であれ。
もしそれが地方であるから恥ずかしいという思いがあるのならば捨てた方が
いいと思います。どこに対して地方かと言えば東京に対してですが、所詮、
東京に住んでいる人の多くは三代前から東京に住んでいる人であるわけでは
ないのですから、本当の江戸っ子からすれば新参者であり、よそ者なんです。

そしてかつては空っ風しか吹いていなかった地方が政治的に中央になった
だけで、それまでは僻地もいいところだった。江戸っ子は京都や大阪人に
対抗したい気持ちが強いから、「東京人は見栄っ張り」と言われるのです。
しかも東京の周辺にいる人も東京人を語り、地方の人を田舎者呼ばわり
したがるのですから手に負えません。あたかも自分は田舎者ではないかの
ごとくのたまうのですから、勘違いもいいところです。きっと余裕がないの
でしょうね。そういう人たちを自分は可哀想だと思うから無視します。

こういう意識は恐らく経済成長における東京への出稼ぎの悪影響だと思い
ます。東京で働くこと、引いては東京に住むことがステイタスだと思って
しまっている人が多いのも事実です。機能の中枢、情報の中枢と化している
東京に住んでいる、働いていることがステイタスだと思うからこそ、物価の
高い、特に土地や建物の価格が高くても我慢して住んでいるのでしょう。

自分はこの現象を「見栄っ張りシンドローム(症候群)」と呼んでいます。

はなわの「佐賀」が一時的にもヒットしたのは、今までは隠れていた佐賀の
人たちが自己主張をしたからだと思います。認知度が一番低い県であった
佐賀県人が表に出てくるきっかけになったと思います。そういう意味では
はなわは佐賀県のPRに貢献したひとりとして表彰されてもいいかも。
(プロモでは県知事も出ていますけどね)

タラタラ書いてきましたが、とにかく鳥栖商業が勝ち進んで佐賀県の知名度
が上がることを期待しています。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年08月12日(火) 実はデートだったり

今日は六本木ヒルズへ行ってきたわけですが、何がどこにあるのやら
さっぱり分からず、とりあえずフロアごとにウロウロするしかありま
せんでした。2Fからくまなく散策しましたが、連立するショップを
眺めて終わりという、ただの素通りに近い行動しかできませんでした。

どこの店を眺めても、やはり女性をターゲットにしているところばか
りです。お値段もリーズナブルな域を越えている、要するに富裕層を
ターゲットにしているように思えました。ここでしか買えないといった
商品も見当たらず、店舗としてはいまひとつ。何回も来ようかなという
思いはしませんでした。

もし時間が余って散歩しに来るのなら、1Fのテレビ朝日前の広場で
ボーっとしているのがいいかも。屋根はあるし椅子もテーブルもあるし
1時間ごとに噴水が上がるし、大きなモニターを眺めていてもいいし。

今日行った店で、"Bali Cafe PUTRI"というバリスタイルカフェがあり
ますが、ここのエアコンが利いている店内の窓際席には注意です。
外気と店内の温度差が激しいからか、エアコンの噴出し口から露が
滴り落ちてきます。窓際席だけが注意です。ヒルサイドのB103と
いう位置にありますが、フロアはB1です。もし窓際席に通されたら
きっぱり断りましょう。窓際の1席だけだから、確率は低いですけど。
傘でもさそうかと思いましたよ。

感想は色々ありますが、とにかくどこに何があるのかが分かりにくい。
せめてそれだけでも解消してくれると、訪問客も安心して来れると
思うんですけどね。ショップとレストランしかないから、一人で来る
には辛いかもね。特に男性諸氏。

建物に飽きたので周辺を回りましたが、六本木ヒルズのショップより
虎屋のカフェができていたことに驚きを覚えたり。まだ未完成である
ベルサーチのとなりです。六本木ヒルズ裏のけやき通り沿いです。
行列のできる店だったので入りませんでした。羊羹屋がカフェとは。

少々期待を裏切られたので、お口直しに上野で一杯引っ掛けて帰り
ました。え?帰る方向が違うって?それは聞かないお約束。(笑)

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年08月11日(月) 世界最速の歩道

ひさびさに時間をかけて近くを歩いてみました。
いつもはプラプラと車で回っているルートです。

歩いてみると結構な距離と時間がかかります。
でも、いつもは車で通っていると見えてこない部分が、意外な部分が、
見落としている部分が見えてきます。車であれば15分程度である
ところを徒歩で1時間かけるんだから当然と言えば当然です。

近所の取引銀行は、残念ながら駐車場がないので歩いていくか近くに
車をおいてそこから歩いていくかどちらか。でも近くに公共の駐車場
がないんですよ。駅に近いとはいえ、駅の反対側の西友駐車場にしか
ないんですね。北口なんですが、こちらは諸事情により再開発が行な
われたわけで、結果的には車の通行がスムーズになりましたが、一方
南口は昔ながらのまんまで、車の乗り入れが難しい。

自分が転勤してきた10年前は、この駅の北口はバスが乗り入れる
のも難しかったぐらい。西友なんてなかったから買い物はとなりの
駅か、池袋や所沢へ行ってしまうことになっていました。もちろん
駅前の商店街にも個人スーパーや大型スーパーもありましたが、時代
の流れにはついて行けなくなっています。西友ができてからは大型
スーパーはマンションに建ち変わっています。駐車場も狭かったし。

あとは開かずの踏み切りと乗り入れ不能な道路整備ができればね。
この駅の南口はね。

ところでテレビ東京のWBSの中のコーナー「トレたま」で紹介され
ていましたが、パリのモンパルナス駅にある世界最高速の動く歩道。
モンパルナス駅はフランス国鉄のTGVが発着する駅です。この国鉄
と地下鉄を結ぶ通路に設置されています。増える通行人をさばくため
高速の動く歩道が必要になるとの見込みで開発したようです。

これは2002年7月に約5億円をかけてパリ市交通公団が開発した
ものですが、4日目にはケガ人続出で運行中止になったことで有名に
なりました。紹介されたということは復活したわけですね。

日本でも新宿で大騒ぎになったあの動く歩道も、空港なんかで導入が
進められ、あちこちで見かけるようになったんじゃないでしょうか。
通常我々が使用している動く歩道は、時速3km程度。これは早歩き
するぐらいの速さです。これに比べパリの動く歩道は最速11km。
入口と出口は9kmで、それ以外は11km。これは駆け足の早さ。

これはせっかちの日本人であっても面食らう速さだと思います。
特に、ご老人、子供、そしてハイヒールを履いた女性。パリのものは
ハイヒールを履いた女性の怪我人が多かったという事実からも、この
高速動く歩道の導入には使用場所の検討が必要です。つまり使用者を
限定せざるを得ないことになります。

ただ技術的には、歩道の速度を一定ではなく入出口と本道に速度差を
持たせるのは簡単ではありません。どうやら変速させるために、複数
のベルトを使っているようです。入口で乗り込む時よりも変速する時
のベルトの移動の地点で足をすくわれて転倒するようです。

まぁ問題こそあれ、全世界的に注目されている移動方法ですから、
もしこれが日本だったらどこに使えばいいのか考えてしまいます。
50年後の山手線といった具合。(当面は使われないでしょう)

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2003年08月10日(日) 帰省しないって

回復力は決して早い方ではありませんが、今回の風邪はどうやら
治りが早いです。セキはまだ出ていますが、調子は悪くありません。
タバコの味も悪くありません。

タバコはいずれ止めるつもりですが、今は健康のバロメーターと
して重宝しています。調子が悪い時には吸ってもマズイですしね。
体がニコチンを欲しませんから。

それはそうと、今日は帰省しないことを地元の友人、義姉、母親へ
連絡をしました。友人と義姉へはメールで済ませましたが、母親へは
電話をして声の具合を聞いてみました。こちらの声の様子を聞かせる
意図もありますし。

半年に一度会うか会わないかですから、1時間以上は話していたかな。
いろいろと話すことがありましたから。こちらもあるし、あちらもある。
特別話すことはなくとも、普段思っていることなんかを話すことが大事。

自分には自分に、母親には母親に、お互い話したいことがあるもんです。
でもやはり母親は歳を取りました。自分の体に自身が持てなくなった
ことをつらづらと言うようになりました。それでも息子の体の具合を
心配するのは親子の間の会話でしか成立しないからでしょうね。親で
あることを自覚しているんでしょうね。(息子にしか言えないこと故)

オヤジはどうかっていうと、それなりに健康みたいなので話はしません
でした。話をすると、少々ケンカ腰になりそうだったので、あえてね。

ウチの家族の男どもはあんまり関係が良くないから、女性を間に立てて
話をしないとスムーズにいきません。親父の場合は母親と、兄貴の場合は
義姉と。直接話をするとギスギスしてしまう。いつからそうなったのかは
よく分かりませんが、それぞれが自立してからでしょうか。ま、色々と
歴史があるからそれほど単純じゃないけどね。

そう言っている間に義姉からメールの返事が返ってきました。
なんだかまた夫婦間の関係がよろしくないようで・・・。
そちらの返事を書くことにします。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2003年08月09日(土) 帰省しないからいいんだけど

静かにしています。
じっとしてろのひとことを言われて、本当にじっとしています。

熱が出ているわけではないので頭はしっかりしています。
熱っぽいのはエアコンをつけていないからでしょう。

おなかの具合とノド・鼻の調子が良くなくセキをするのは多分寝冷えです。
暑さに負けてエアコンを付けっ放しで寝たから体が冷えてしまったのかも
しれません。エアコンは体が起きている時だけにしておいて方がいいようです。

それにしても今年は初っ端から激しい天気です。
新幹線はそれなりに運転しているようですが、その他の交通機関は天候不純
で様子見を強いられているようです。飛行機はもちろん、高速道路も一部は
通行止めになっているようです。

いつぞやに自分が車で帰省した時に、ちょうど台風とかち合って、東名高速の
清水の先では海岸際で「波注意」の文字盤にあったように、海の波が高速まで
押し寄せていて、どうか自分が通る時は車が塩水のシャワーを浴びないようにと
祈って通ったし、関門大橋では強風のために通行止めになり、全ての自動車が
下に降ろされ関門トンネルを通行させられました。そのときはまぁ久しぶりだから
と思い直して、北九州からは高速に乗らずに国道3号線から冷水峠を通るルートで
久留米に向かいました。つまり福岡市を通るルートではなく、昔なら久留米から
北九州の最短ルートとして使われたルートです。地元の人なら知っているよね。
(山越えになり冬場は辛いですが、夏場は面白い)

夕方になりました。水平線際から太陽が現れてきました。→部屋からの画像
明日は天候が回復するといいですね。まだまだ風は強いです。

はい。今日は雨ときどき曇り。(東京地方)



2003年08月08日(金) なんとか持った

非常に気だるい日が続きます。

今日は特に風邪薬を飲んだから、昼からうつらうつら。
どうやら風邪を引いてしまって、鼻水は出るわノドは痛いわ
頭は痛いわ節々は痛いわセキは出るわ、全くもって風邪の症状。

高熱が出ない分だけまだマシですが、土日はゆっくり寝てるとしよう。
明日から1週間は夏休みです。帰省はしません。東京でのんびり。

もしかすると様子を見て軽井沢へジョッキ牛乳を飲みに行くかも。
天気が良ければいいんだけど。

んじゃ調子が悪いんでこのあたりで。

はい。今日は曇り一時雨。(東京地方)



2003年08月07日(木) 久しぶりの国際電話

いやぁ、何年振りでしょうか。
国際電話というものをかけてみました。
つーか、かけざるを得ない状況になりました。

時代遅れになっていました。
かけ方が変わっていました。
001の次に010が加わったんですね。
会社の電話からは000に続いて国番号だから面食らいました。

ようやくかかりましたが、相手から「もしもし」と出られた時には
またしも面食らいました。アメリカの会社にかけたのだからハロー
と言ってくるかと思ったら・・・。

思わず言っちゃいましたよ。”ラーメンの出前をお願いしたいんです
けど。”意外な人間から電話がかかってきたからびっくりしたみたい。
かけた先はアメリカの会社ですが、相手は日本人。電話をかけたことは
この3年間ありませんでした。結構音質はクリアで良かったですね。

切羽詰って電話をかけたのですが、結論としてはこちらが考えていた
通りになりました。つまりいい結論ではなかったということ。相手から
判断を引き出すことができず、こちら側で努力するしかないという結論
になりました。細かい内容は申し上げられませんが。

その話の後は、工場の管理部門の人間と予算数値の相談。
日付け変更線を越えても帰れないと言ってたな。電話が終わったのも
23時のことだったし。日付け変更線を過ぎても帰りの電車があると
いうのも考えものですねぇ。

さて、そろそろ賞味期限の過ぎたアリナミン・ダイナミックでも飲んで
寝るとしますかね。(なんだか苦いんですけど・・・)

夏休み前最後の明日は、かなり忙しい1日になりそうです。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2003年08月06日(水) 北条政子のイデオロギー

日本史もただ年代と出来事だけを覚えていたんじゃイカンね。

1192年は源頼朝が鎌倉幕府を起こしたことは誰もが知っています。
でもその後の承久の乱で日本の思想が180度転換したことはあまり
知られていません。(自分も気に止めていませんでした)

承久の乱を振り返りましょう。
承久元年(1219年)後鳥羽上皇に従順であった三代将軍源実朝が暗殺
されて源氏の正統が消滅しました。北条氏は藤原氏を迎えて将軍として、
実権は執権の北条氏が握りました。

後鳥羽上皇に従順でなかった執権北条義時に対し、上皇は幕府征伐を決意
しました。後鳥羽上皇は承久三年に兵を動員して討伐計画を発動しました。

ここまでは歴史の教科書通り。

鎌倉幕府の創始者源頼朝は天皇信奉者。天皇の勅命にはひざまずいてうや
うやしく承る姿勢を取りました。この頼朝の権威とともに世の武士たちは
同じく天皇信奉の考えであったと考えられます。従って、幕府のトップで
ある泰時をはじめ鎌倉の武士たちは朝廷へ弓を引くことは心理的に困難で
ありました。

この状況を打ち破ったのが頼朝の妻である北条政子。義時の姉でもあります。
この人の力は絶大でしたから、関東の武士を呼び集め、そして言いました。

「一同の者、よくよく承れ。汝ら、今日の収入といい、官位といい、すべて
頼朝公のおかげではないか。その御恩は山よりも高く海よりも深いであろう。
それを忘れて京へ参り官軍につくか、それとも頼朝公への御恩を考えて鎌倉
方として御奉公するか、態度をはっきり決めて、ただ今ここで申し切れ。」

その結果、

「並びいる大名小名、これを聞いて涙を流し鎌倉への忠誠を誓います。」

そうです。天皇に弓を引いて戦争をすることを納得したのです。源頼朝の
天皇信奉の考えはここに転換を向かえるのです。

専門用語で「予定説」という言葉があります。これは神が決めたことはその
善し悪しに関わらず正しいことであり、人はそれに従うことになるという
考え。その善し悪しは神が決めることであって臣下が決めることではない。
神が正しいことを決めるのではなく、神が決めたことだからこそ正しい。
故に神は絶対的な存在であるというのがキリスト教の考え。かつての日本は
(鎌倉以前の日本は)キリスト教と同じ予定説に従った考えが支配的でした。

その日本を支配してきた予定説をくつがえしたのが北条政子の考え、言い替
えれば彼女のイデオロギーでした。このイデオロギーはその後約600年に
渡って武家政治の基本思想となりました。つまり明治維新まで続いたという
ことです。ご存知の通り、明治になってからは天皇は全てにおいて絶対的な
存在になりましたから、形式上は元に戻ったことになります。なにせ天皇は
教育勅語に見られるように「朕」でしたからね。

イデオロギーの転換は急速に行なわれるものではないと言われていますが、
その点については今回は省略します。泰時は承久の乱の後に苦しんだそう
ですよ。人間はそう簡単には変われないのは昔も今も同じこと。

さて、今日は58回目の広島原爆投下日。
犠牲者の皆様にご冥福をお祈りするとともに、今尚続く被害者のご苦労に
対して、何もできない自分の無能さを感じています。国連の常任理事国は
すべて核保有国であることに疑問の念を感じながら。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2003年08月05日(火) ひがみ、か?

官僚が腐敗しているのはナゼかという疑問に対するひとつの答えが、今
読んでいる本に書いてあります。それは「私的な利害というものが存在
しないということは、私的なものと公的なものが無制限に結び合っている」
ということ。これは丸山真男教授が論じた、いわゆる「丸山モデル」の
ひとつです。平たく言えば、公私混同のことです。

※ちなみに「モデル」とは必ずしも現実に即したものではありません。
 モデルを実践して初めて現実になるのです。

丸山モデルでは日本の腐敗はどこから起きているのかを分析してますが、
丸山教授のゼミ卒業生である東大法学部卒の上級官僚は、そのモデルの
意味を理解できずに卒業したようです。あるいは自分だけは例外と勝手に
考えてしまっているようです。(一流企業や有名企業の社員の一部にも
この手の勘違いを犯しているものもいますけどね)

こんなことを書くと、自分があたかも丸山モデルを理解しているかの様に
見えますが、解説本を見ているからこそこう言えるのであって、原本だけ
ではそうはいかなかったでしょう。というのも、丸山真男教授の著書は
非常に難しい。そもそも彼の著書は大学で講義用に作られたもので、彼の
死後に講義集とか著作集が発表されることによって世に広まったわけで、
世に広がったおかげで彼のモデルがどういうものであったのか、彼がどう
いうモデルで考えているのかがはっきりしたという背景があります。

実はちょっとした丸山アレルギーが自分の中にはあります。
というのも、自分が大学受験の時に現代国語の試験で引用されたのが彼の
文章。特にいわゆる一流私立大といわれる大学の政経学部系でよく出題され
ていました。

自分は一浪しましたが、予備校の授業の中で、丸山真男の文章を読めない
人間は一流大学には通らないとまで言われており、予備校生内でも彼の
文章が読めないヤツは頭が悪いとまで言われました。かくいう自分はその
頭の悪いヤツの部類でした。これが非常に悔しかった。

でも今思えば、その読解問題とは国語問題であって、その意味するところ
を出題するところまでは至っていなかったと思います。というのも、出題
する側も彼の意図するところを理解していなかったと思われるからです。
仮に理解していたとしても、東大の学生ですら理解できないことを受験生
に試すなんてことをする方が間違っています。出題の適正の観点からね。

ま、それはいいとして、ちょっと彼の著書をいくつか読んでみようかと
思います。なんで彼の文章が理解できなかったのかという理由は自分では
分かっています。テクニックではなく本質で読もうとしていたからです。

負け犬の遠吠えに聞こえますからこれ以上言いません。
丸山教授の思想は経済を学ぶ上で必要だと感じるので、研究課題として
位置付けようと思います。ただいま大学生もやっているんでね。

はい。今日は曇りのち一時雨。(東京地方)



2003年08月04日(月) 何かが動き出した

何とかしなきゃと思っていることがあります。

長い間放ったらかしにしておいたこと。
実現できずに悩んでいたこと。
強い思いが湧かずに見逃してきたこと。
本当にそうするつもりがあるのかと疑われてきたこと。

これだけ言えば分かる人には分かるでしょう。
このままでいいのかと考えると自分を放っておけなくなりました。
すっかり冷めてしまった時期もありましたが、自分を盛り上げる
ことをようやく思い出しました。誰かに触発されたわけではありま
せんが、自分のためにもこのままじゃイカンと思ってね。

今年は動きますよ。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2003年08月03日(日) 富士重工業の社長は分かっている

どこかで見たような名前がテレビで流れていたのでしばらく眺めていましたが、
やっぱりそうでした。スバル360を開発した百瀬晋六氏でした。

確か以前見たのはNHKのプロジェクトXでの開発物語でした。
今回はテレビ朝日の「企業サムライ伝」という番組。最後には新型レガシーの
紹介も忘れていません。スバリストとしては見逃してはならない番組。

スバル360の誕生物語はプロジェクトXで既に見ていたのであらかた知って
いましたが、今回良かったと思うのは、現在の社長である竹中恭二氏の口から
「レガシ−病」という言葉を聞けたこと。

これはつまり初代レガシ−で成功してから技術者の驕りが始まったということ。
これが一番、オレが一番という技術者特有の罠に陥ってしまったことです。

技術者のプライドは自分の技術ですが、それが一番だと思ってしまった瞬間に
技術の進歩が止まってしまうということです。これはサンロク(スバル360)
を作り出した時や、初代レガシ−を作り出した時のエネルギーや情熱が失われて
しまったことを意味します。現状維持で満足している、あるいは現状を失いたく
ないといった、まるで官僚思考と同じです。現状を変えていく、壊してしまう
ことに抵抗していく考えです。

製造業に必要なのは、ひた向きな姿勢と情熱(もちろんそこには才能がついて
くれば言うことなし)ですが、これを失ってしまった瞬間に企業は衰退の道を
辿る運命にあるということを誰もが分かっていながら、現状を変えたくないと
いう心をどこかに持っています。

「絶え間なき挑戦を続けます」

なんてスローガンを掲げているのも、それを実行することが難しいからです。
失敗を許さない企業風土ではこれは実現できません。失敗をした人はその時点で
その人の会社におけるサラリーマン人生は終わりです。敗者復活のチャンスが
与えられないからです。失敗の経験も次に生かせることができません。こういう
環境では、いかに失敗しないかが評価対象になってしまい、思いきったことを
やろうという人がでにくいものです。

これを社会に広げてみると、倒産した会社の経営者は再び起業することが難しい
という環境が日本にはあります。環境とは法制度のこともあるし、社会的な認知
として、失敗者は所詮敗者であるというレッテルを貼り、信用がおけないと見な
してしまうこともあります。個人保証や担保の観点からも、中小企業の経営者は
失敗後のやり直しが非常に難しい。会社のために個人の財産を差し押さえられて
次のチャンスがないからです。失敗した人に銀行はお金を貸さないからです。

つまり失敗=倒産であり、失敗した後の再生という制度も思想もない日本では
企業再生の環境が整うのに長い時間がかかるんでしょうね。だからこそ小泉首相
が在任するこの厳しい時期に、立て直しを是とする議論の中で、この再生という
考えを現実とするためには、ひとつの例として、再生ビジネスを育てることが
あると思います。ハゲタカファンドは必ずしも買い叩きだけではありません。
買って儲けることが使命ですから、彼らは再生ビジネスにも力を入れています。

このような再生ビジネスが日本で堂々とできる法制度を作ってあげることも必要
です。灰色な場合は監督官庁に確認をするわけですが、全ての責任は相談をする
個人や企業側に押し付けて、事前相談に対する責任を取ることをしないことも
問題で、これは少しずつですが「ノン・アクション・レター」(事前に法律上の
取扱いを行政当局に相談し、その判断を示した文書。事後の判断変更はない。)を
取り入れている行政当局もあるようで改善しつつありますが、それでも大勢として
役人は責任を取らないことが原則。これじゃ不安を持たざるをえないことになり、
前向きに商売を始めることを阻害してしまいます。特に従来の手法では扱って
いなかった新しい金融商品を取り扱う場合、売り手も買い手も行政当局の判断が
どうなるのか分からないから取り扱いに躊躇します。商品としての汎用性がなけ
れば、特殊な商品として消えてしまうことになります。不安が大きければリスクを
最大限に見るしかないから魅力のある商品なんか作れませんよね。

とまぁお堅いことを少々書きましたが、正直な思いとして新型レガシ−欲しい。
それを言いたかっただけ。

でも今年は残念ながら社会人になって初めての車検を受ける覚悟。もし来年の
給料が以前の水準にまで戻ればまた考えよう。車の他にもお金がいるかもしれ
ないしね。排気量がそのままなのに3ナンバーになったのは気になる点だし。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2003年08月02日(土) 朝寝も当然だね

今日は久しぶりに晴れたので、そろそろ汗臭くなってきた毛布を洗濯。
ウチの洗濯機は洗濯漕が結構大きいタイプだから毛布も洗濯できるのね。
一人暮らしなのに4人家族用の贅沢さ。日干しもして完璧です。

さて、昨日の朝まで生テレビは久しぶりに最後まで起きて見てました。
タイトルは「若者の暴走・獣性と無責任大人で日本沈没?」。

刑事罰に対する年齢の仕切りだとか、教育法だとか、団塊の世代とか、
モデルの喪失だとか、少年に対する大人の論理が飛び交っていました。

極めてまれな事件を社会現象として捉えるのは構わないのですが、そ
れがあたかも世の少年たちの標準がごとく論じられるのは暴論です。

ただ、そのあたりは冷静に発言している人もいて、議論としてはまあ
それなりに聞けたのですが、自分が注目したのは次期総裁選候補の
熊代昭彦議員の発言。どうやら彼は他人の発言を冷静に聞く姿勢に
欠けています。自己主張が強いのは政治家の性ですが、それにしても
国民受けしない人ですね。少なくとも自分にはそう思えます。

橋本派3人衆のひとりですが、小泉首相の対抗馬にはなりませんね。
他の橋本派の二人も同じこと。永田町の論理、ことさら自民党の論理は
全く分かりません。誰の方に向かって物事を決めているんでしょうね。

ま、そんな中での出演でしたが、反って彼の印象を悪くしたのではない
でしょうか。そもそも対抗馬にはなりえないのだからどうでもいいの
ですけどね。なんで彼に出演依頼を出したのか、テレ朝の意図が不明。
ってか、田原総一郎の希望なんだろうね。

最後まで見たんですが、あんまり記憶に残る番組にはなりませんでした。
というのも、どこに結論付けていくのかが分からなかったから。そも
そも、結論の出ない話題をガタガタ議論しているんだから結論なんて
ないのかもしれませんけどね。だから1時間枠では話せないようなこと
を敢えて話題にしている。わかっててもテレビなんだからひとつの結論を
出してくれてもいいんじゃないかと思うのは自分だけでしょうか。

そういえば、評論家の宮崎哲弥昭和37年生まれというのを始めて知り
ました。結構自分と年が近いと分かって親密感を覚えたりして。(笑)

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2003年08月01日(金) ひとやすみ

ただ今少々情緒不安定、精神異常あるいは欲求不満。
こんな状態じゃ何を書くか分かりません。

そういうわけで今日はひとやすみ。

はい。今日は曇り。(東京地方)


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