2012年05月29日(火) |
10年を振り返ろうか |
もうあと2日を残してこの5月も終わり。この月は季節の変化を実感することもあいまって、割と変化の大きな出来事などを経験する時。新年度や新学期のスタートからのひと月でもあり、流れが自然と身の回りに生じている時でもある。 この10年を思い出してみると、仕事を変わっての2年目の春を迎えて社会人の趣味サークルへ参加して、これまでやってみたかった社会参加を体験することで張り切っていた頃。2003年。 久留米人生活にもなじんできた。仕事ではすったもんだしていた。嫌われてはずされ、辞めてもらうレールの上に置かれた。 まじめに頑張ったので、許されはしたが。 結局それがずっと付きまといながらの職場で終ったわけだった。環をかけて私のほうが心底から相手のことがとても嫌いだった人がいた。その人と空気さえも交える事が嫌だったことも、私の我を張ったいけなさとして、評価されていたのも分かる。
この頃シャーリーマクレーンの著書に惹かれていた。その訳者の講演会というのが北九州であるので、出かけていって、近場の旅行気分を初めて満喫する経験をした。まだその頃は福岡より先の町へ何気に列車で出向くのはとても新鮮なお出かけに思えた。日頃がいかに行動がせまかったかを感じていた。 この経験からが小さなひとり旅の楽しみの始まりになったと思える。 そのあと年末には長崎のマジック喫茶へいける私になっていた。バックパッカーの安宿とかユースホステルとかもまだ知らないで、泊まった素泊まり旅館の部屋で一人寝る夜はテレビにかじりついて灯りは消せず、ビビッていたのを思い出す。 まだしっかり若者気分でいられた頃だなあ。
次の年の夏に 8年ぶりの京都への旅も思い立つ。 40代のうちに気ままな一人旅も最後だと言い聞かせたかもしれない。2004年。
眠たくて横になって、気持ちのよさにまどろんでいた。もう本格的にベットへ入って、寝る事にした。今日はネットもそこそこに、パッチワークは少しだけ、これといって、何も考えずに、時間を見送るけれど、なんだかもったいない事をしたような後悔を感じるのは自分でおかしいな・・。電話が鳴ったので、宅配からだと思って、眠気を必死で払って起き上がる。勧誘の若い女の人の声でがっかり。 眠りの夢を破ってもらえてラッキーといえそうだけどね。東京を一人見物しているというリアルな夢の中で、時間がないことへの不安とか焦りであまり良い夢ではなかった。 それで今この疲れた感じ、困ったもんだ・・。
外をみたら、かろうじての青い空色が出ている。ちょっと風は吹いているようだ。 パソコンから離れて部屋で過ごすと、いつもと違う感じで、また考えが過去へ迷い込んだり、これまで抱えてきた孤独感を思い出したりして、時間が重たい。 まさか弟はこんな気持ちを休日で感じたりしてないだろうかと想像したりする。
仕事を成功させて、人の信頼をうけ、仕事上の付き合いも多いという人なので、こんな私とは正反対。 男には仕事の世界がしっかいあるわけで、その中で人と繋がっていてくれているはずだ。 部屋に帰ればたった一人であること、それを案じる気持ちはある。弟とはいえ、実家という言葉が出れば、そこに私の存在はない。壁があるのを改めて感じたくは無かったけど、現実はそうである。
実家の両親と心の温まる繋がりが今、弟は持つ事を自分で拒否している。 本来ならば、もっと、若いときにそんな試練とぶつかり、乗り越えてしかるべきなのに、まだ80過ぎても元気な父が少しも折れようとせずに、嘘で固める自分の世界をあくまでも押し付けては人の心を傷つけることをくりかえす。
いつまでも続く人生ではない。 どうにかしたい、でもどうにもしようがない。 そんなもどかしさを抱えて、弟を思いやること。なんでこんな事になるんだろうね。 堂々巡りで過ぎていく。
今月ははりきって、外へお出かけできた。有田の陶器文化館もよかったし、湯布院の泊まりの旅もよかったし、大満足。そのあとの休日は休養だとして 部屋でうつろぐばかり、2日間の連休はのんびりを許すだけに始終した。
なんか胸騒ぎ・・。金環食まであと、3日だ。 神戸の震災のときの胸騒ぎは明らかだったなあ。今もちょっと似ている。 実際の話が、今のタイミングで何が起きたって何の不思議もないことであると誰もが心の中では思っているのではないかな。それをどうとらえて、願うかは人によって違うけど。
イギリスへ滞在中の両陛下。高齢であるにもかかわらず、公務を全うしようとしておられる。 世代の交代も誰の目にも明らかに迫っていることと、歴史上定期的に訪れてきた富士山の噴火や、東海地方の大地震のことが寄り添うようにして、目の前にあるように思える。
日曜の休日 もう部屋でじっとしてもいいかな このごろはしっかりと外出を続けた。なんたって、5月連休の真っ只中だったから。取り残されてはいられない。
きょうは図書館から続く庭園のバラがきっときれいだろうな。 空はなんとあいにくの薄曇か。 なんの責任もなく こうしてのんびりしていられる事を当たり前に思っていられる事の幸せには気づかされる。
職場に新しいスタッフとしてきた人はきちんとした若いお母さん。子供の学費を貯めようと働くらしい。10年OLをして、10年主婦をして、3人の娘を見ながらの共稼ぎ生活をスタートさせたという。 下の子は1歳過ぎで朝からミルクを飲ませて 家族の食事を作って、支度して車に乗り仕事へ出てくる。
私とは正反対の人がそばに来た。めぐり合わせの不思議さ、有り難さ、面白さ。現実は楽しいドラマだ。守ってくれている力には感謝を忘れてはいけないな。
左の手は少しずつ悪化しているようだ。もうわずかな湾曲が定まってしまった。うまくつきあっていくことを考えるしかないと思っている。左手に愛情を込めて接していきたい。
|