**In my heart of hearts**
心の奥のこころ


2011年09月28日(水) 自省してみた

前の職場での自分のこと、言動や物の見方、心の奥にあったものやなんかがこうして一歩離れてみてよく見えてきたりするものだ。

慣れの中で出てくる甘えとか他人への批判とかの垢をためていたこと。批判する前に自分のいい加減さで周りの人はうんざりしていることを見てみぬふりもした。

そんな風にして何年かが過ぎていたわけだ。結論を出さずには要られない状況は自然に自分の止まらないミスの連続の中で積み重ねられて行く。 

それでも口だけは生意気に そして自分かわいいさでの甘えた話。 誰もが嫌っていながらも私の前では思いやりを示してくれて、そして肝心のところでは繫がりをしっかりと遮断する。賢い冷静な人たちだった。

言葉の大事さ その使い方の大事さが今 身にしみて感じられてきた。簡単なようで難しく その影響力の強さというものも。やっと気がつくのかこの年で。

盛り場でお酒の席で酔って男性をもてなし憂さを晴らしてあげることでお金をもらっていた時期が20歳代の大半だった私と 高校生時代の家庭の陰りを人に隠していた心の偏りとが私の人格の中に成熟しない部分を残している。

それともそれは建前であってもっと何か単純に自分の器量の悪さとか頭の悪さとかの問題なのかなとも思えるけど、
それが私の人生を動かす一つの鍵かもしれない。けっきょのところはね・・。



2011年09月03日(土) 9がついてくる話

風邪は2,3日もすれば治るものだと思っていたが
なんと半月以上をその症状のままに過ごしている。

さすがに薬はもらった。しかしかんじんの頭痛は一向に
治らない。 今朝はやっとまともな思考力がありそうで
こうして日記をつけようと思った。ノートの日記帳が
紙が終わったので ちょっとしかたなく・・・。

気分はだいぶんいい朝だけど起きた時の立ちくらみは
初めてだったので気になるな・・。

お盆参りをした次の日からおかしくなっているので
なにかあるのは間違いないだろうけど 深く気にしても
切りはないし どうにもならないだろうから 普通にして
いようっと。先祖への感謝と愛情だけを忘れずにいいのだ。

目は心の鏡というけど 本当に体調と気持ちは顔に映って
いるわね。

新しい職業は精神科の看護助手。 7月まで精神科で病院調理員を
していた。9年と9ヶ月ちょうど。そして翌月の8月1日からは
希望していたこの職へ横滑りのごとくして入る。前職の退職を
決意したのは5月9日 頭の中にふっと考えがまさに飛び込んでくる
ようにして そのまま私は決心も変わらず流れを進めた。月末に
東京へ行くつもりで連休をとっていたが、この状態で無理と思った。

心を落ち着けて仕事を調べてみるのには最適の時間だった。
その日すぐに 通勤も近いし希望に適うものが見つかり 6月にはいり
面接を受ける。内定の連絡がついたのが6月9日であった。

9日という日は祖父の月命日。
新しい職場は 父親の住んでいる家のすぐそばである・・。

このブログを始めたのがちょうど10年前のことになる。
私は次の月から前職についている。このころに父は70歳にして
法政大の通信部に入り9年間も在籍していることをしったのが
去年の5月のこと。

まともに会って話しをして以来20年近く別れている父へコンタクトを
取ろうと決心をし、気まぐれにネットで名前を検索してみた。
実際は9歳の時に両親の別居が始まっている。
ここまでの話には”9”という数字がつきまとう・・。

ネットの中から現れた父に、私は驚愕した。 いきなりくるとは・・まさかの驚き。しかもそれは 法政大の通信部の宮城県支部の掲示板への投稿文。
ついでに書けばその日付が3月11日。今年に起きた震災になんでかぶるんだろう・・。 父がその年齢で大学での勉強をしていたことにも驚くし
そのことを知った日は東京から帰った夜のこと。その日午前中に私は
たまたま市ヶ谷の駅側からいく道を選んで靖国神社をめざしていたから 
途中の道でビルの壁に大きく"法政大学”の文字を見て ん?なにこれ 
ここに大学があったのね・・。と思って見ていた。

その日の夜の出来事は涙に咽ぶ経験となった。心の中に隠れていた涙が
開放されたようでもあった。 新しい流れがここから始まった。



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