なべて世はこともなし
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2002年09月30日(月) 日曜日のナイトクラブ。そこでの劣情の戦いとは?

昨日、「嫌だ嫌だ」と連行されたZanzibar。そこでのお話です。


午後9時、川沿いにに車を停めてH’Penny Bridgeの脇にあるZanzibarへ数年ぶりに行く。


…空いている。


いつもげろ混み状態で見えるは人の頭ばかりだったので、いったいどんな内装かも知らなかったのだが、インドかどこかのアジア風に統一してありなかなかいい感じ。


空いていると言っても空席はない。立っている人がいないというだけ。そこで自分の「サヨナラパーティー」を自分で企画したうちのフランス人住人ナディア(仮名)は、カウンターに行き胸を張り


「今日9時にテーブルを予約したナディアだけど、私の席はどこ?」


何でも日曜だというのに30人だかそれ以上の人が来ることを見込んでいるらしい。…元気すぎる。


で、バーマンは予約台帳らしきものをぱらぱらめくりひとこと。


「忘れてた。えへっ」


…お約束通りの結果。


まあ、ここで怒ったり、落ち込んだりしてはアイルランドには住めません。どうやら二階席はまだ空いていない様子だったので、急遽開けてもらう。


私、昨日の日記に書いた通り、風邪を引き、頭がぼーっとしており、かなり非友好的な態度でおりました。自分から誰かに話しかけることはせず、初めて会った人とは握手をしただけ。今ごろ「Boring Bastard」などと悪口を言われていると思いますが仕方ない。とりあえず反省してるから許してね…とここで言っても仕方ないか。


で、しばらくほとんど動かないしゃべらない置物状態になっておりますと、何時の間にかナディアは階下のダンスホールへ。


…踊っております。しかも派手に。


繰り返しますがこの日は日曜日。ダンスホールも人はまばら。そんな中で彼女はひとりで踊ってます。で、彼女、日本人にすれば当然、こっちの人にすれば激やせの体…小柄でカーリーヘアが結構かわいいです。ダンスホールで踊っていると目立ちます。そりゃもう目立ちます。


他は知りませんがアイルランドのナイトクラブという場所、


やりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたいやりたい



…というすごく人間の本能を感じるところです。だから私は嫌いなんだけどさ。ドイツ人女性の証言:


「アイルランドのディスコ(ドイツ人はこの言葉を使います)って(女性)ひとりで踊っているとすぐに男がやってきて、顔や体をひっつけんばかりにして踊るのよね。私は踊りたいだけなのに、口は臭いし、たいがいめっちゃ不細工だし嫌になる」


別のドイツ人女性の証言:


「ディスコも2時ごろになるともうめちゃくちゃ。中には固くなったXXをくっつけて踊ってくる馬鹿もいるし…」


うちはアダルトサイトではない、少年少女でも安心して読んでいただける健全サイトを目指してますので(嘘つけ)これ以上は自粛しますが、まあ、とにかく私はナイトクラブと呼ばれる場所が大嫌いです。昨日の日記と併せて、どうやら「Snigelはうるさいパブやナイトクラブが嫌いらしい」というきわめて老化した性格を読み取っていただけるかと思います。


で、話は昨日のZanzibarに戻ります。そんな人間の劣情欲望渦巻くナイトクラブも、日曜日のしかも午後11時となると実に静かです。そりゃそうです。普通の人間は月曜からの仕事に備えて家でゆっくりしてるはずですから。そんな中踊り狂うナディアと、階上のソファーで「帰りたいよー。頭重いよー」と置物化している私。まさに対照的な風景。


ナディアがしばらくして二階に戻ってきて、ソファーで置物化してる私を発見。


「Snigel!ほら!行くよ」


…ダンスホールへ連行されました。


ナディアは私の手を取って階段を降り、そのままダンスホールの中央へ。私は「♪ダーンスはうまくおどれーない」(このネタで笑ったあなたは立派なおじさんおばさん、わからないという方は健全な若者です。はい)なので、こういう状況は最悪です。彼女に合わせて踊った…というか動いた…というかなんというか…その…まあそんな感じ。


で、彼女が私の手の中で器用にまわっている間、私はなんだか背中に人の視線を感じた。私の踊りが下手だからかともろに自意識過剰に陥っていると、実は帰りの車の中でそれは自意識過剰でなかったことが判明。うちの別の住人のドイツ人女性が後部座席でころころ笑いながら言うのだ。


「Snigel。あなたたった1曲だけナディアと踊ったじゃない。あれ、大爆笑だったわよ。ナディアのことねえ、3人くらいの男が狙っていたのよ。ナディアが突然いなくなって、あなたの手を取って二階から戻ってきた時には男たちががっかりしてたよ。踊っている時もずっと見てたもの」


…あのー、私とナディアには何ら後ろ暗い関係はないのですが。で、その時は私もつられて笑っていたのだが、翌朝になってふと気がついた。


「待てよ。男たちがガッカリした理由って、『なんでおれ(たち)があんな不細工な男(←私のこと)に負けるんだ』じゃないの」


…と、その疑問をドイツ人の女性にぶつけてみた。すると彼女は再びころころ笑いながら


「大丈夫よ。その男たち不細工だったから」


…その「も」ってなんですが、「も」って。


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2002年09月29日(日) ノーベル賞ゲット確実?「アイルランドのパブの発展と低所得の因果関係における一考察」

ここ数日体調がよろしくない。27年間の人生経験を元に言わせてもらうとこれは風邪というやつ。なんとなく頭が重くのどが渇きっぱなし。のどが渇くからビールを飲み、ビールを飲むから頭はますます重くなり…という悪循環の元この週末を過ごしております。で、困ったことには今夜うちのフランス人住人のお別れパーティーが街であるとやらで、私強制参加の模様。


い、行きたくない…。


このフランス人、昨夜も朝帰りで今日の昼頃ピンクのキティちゃんのシルクのパジャマという別の意味での悩殺姿で階下の台所に降りてきて(注:繰り返しますが彼女はフランス人です)


「もう絶対飲まない」


と言っていたはずなのだがすでに回復した模様。…若いって素晴らしいねえ(はあぁ)。


だいたい彼女と私の性格は正反対といって良いくらいに違う。…少なくともパブを選ぶセンスについては。私にとってパブとは「飲みながら話をするところ」。つまり、音楽はかかっていても良いが、話に支障がないほどでなければいけない。


とにかく、なぜかは知らんがダブリンの街のパブはうるさい。いい加減にしてくれというくらいにうるさい。耳元で怒鳴り合わねば聞こえないほどのうるさい音楽がかかっている。いや、それで踊るというならまあいい。ところが客は踊るスペースがないほど詰め込まれている。東京に数年住んでいた私に言わせりゃすかすかの朝のDART(近郊列車)を「げろ混み」と文句を言うくせに、人波を掻き分けねばカウンターに近づけないげろ込みのパブをこっちの人間は好むのだから私にはまさに理解しがたい状況。


…はい。もうお分かりですね。本日の集合場所はザンジバーとかいう町の中にあるパブです。私、このパブうるさいことをよく知っているので数年前に一二度つきあいで行ったっきり近寄ってもいません。地下はナイトクラブになっているそうですが行ったことはございません。出かける前にパブの名前を暴露しましたので今晩こちらへお出かけの方は一声お声をお掛けください。


い、行きたくないよー。


今更私が言うまでのないことですがアイルランドはパブ文化の国です。「歴史は夜作られる」ならぬ「歴史はパブで作られる」と言ってもいいような国。でも、これって実はアイルランドが貧乏な国であったことと表裏一体のような気がしてならない。


「風が吹けば桶屋が儲かる」の論理と言われそうですが、アイルランドが貧乏な国であったこととパブの発展には因果関係がある。私はこの論を証明してそのうちノーベル賞を頂きます。概論をここで説明しますのでまあ聞いてくださいよ。


なぜアイルランド人は人(友人)に会うのにパブへ行くのか?


なぜだか考えたことはありますか?「そこにパブがあるから」では答えになってませんよ。それでは「ニワトリが先かタマゴが先か」の論になってしまいます。「そこに酒があるから」もダメ。酒なら買って家に持ってかえればよろしい。


私の答えは「家が狭いから」家が狭いから人を招待する場所がない(なかった)からだと思うのです。


未だにダブリンの一部の地区(ちゅうか多くの地区)では夜になると、行き場のない子供たちが夜の10時11時に住宅地の公園などに何をしているんだか知りませんが集まってます。これって、家が狭いからだと思う。4人も5人も兄弟がいてベッドが2つしかなかった…とかいうのは良く聞く話。家の中に居場所がないから外へ行く。で、大人になると(あるいは歴史的にはコドモでも)パブという場所で時間を潰すようになった。これがアイルランドのパブの起こりのような気がしてならないのです。


だって考えてみれば、自分の家にスペースがあればそこに友人を招待する方が安上がりだし、自分のやりたいことができる。パーティーの中で見つけたお気に入りの異性のお持ち帰りも階上に行けばよろしい。なんと楽な方法。わざわざパブからタクシーを使って家に帰ったり飲酒運転をする必要もない。


それができないのはまさにスペースの問題だと思う。ね、「貧乏で家が小さかったからパブが発展した」という仮説、そりゃ、比較文化論とかをまじめに勉強した方は今ごろコンピュータの前で腹を抱えて笑っているだろうけど、そうでもなければ肯けない話でもないでしょ?


実はこのアイディアを持ったのはずいぶん昔の話でして。その昔私がスウェーデンに足繁く通っていたころ。スウェーデンという国、パブの数が本当に少ない。あっても酒は新宿のアイリッシュパブ並みの「ぼったくり」に近い値段をとる。で、スウェーデンの学生はどうするかというと、自宅にみんなを招待するのです。


スウェーデンでは酒は官売。システムというお役所に行って銀行のように順番待ちのチケットを取り窓口で買う。しかも25歳以下の人間は身分証明署の提示が法律で義務づけられている。…話はそれたけど、そのシステムで買う方がパブに行くよりはるかに安い。と言うわけで飲むのは自宅で、パーティーは自宅で…というのがスウェーデン文化。


で、これがスウェーデンだけのことかと思いきや、ドイツもそれに近い。田舎の一軒家にはほぼ例外なく地下室があり、その地下室にはビールがいつもダースで保存されている。ホームバーを持っている家も多い(都会の事情は私は知りませんので異論・抗議のある方は掲示板までどうぞ)。


…うーん、今日の日記、かなりツッコミ所満載だなあ。異論反論オブジェクション歓迎ですのでどうぞ掲示板まで。ただし、あまり喧嘩腰にならないでね。また、オフ会参加のご希望の方は↓を参照の上メールをくださいませ。「男性でも参加をしてもいいのでしょうか」というお尋ねをいただきましたが、もちろんです(掲示板に「女性歓迎」としつこく書きすぎたかな)。男性女性、老若男女、みんな歓迎です。


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2002年09月28日(土) ひでかす洪水のチェコを逝く(その8)

8回にわたりだらだらと続いてきたひでかす旅行記。ついに感動の完結編。

ひできすがゆく--プラハ途中まで一人旅(7)--




―――国境、そして… (最終回)―――


 列車は2両編成のディーゼル車。定刻に出発した列車はのろのろと草原を行く。列車の中で僕らはおもむろにごそごそと食べ物や飲み物を探し始める。腹が減ってきたのだ。


 旅の伴となった二人組は、聞くとあのドレスデンから来たそうだ。家は郊外にあり無事だが、なにせ全てのドレスデン行きの列車が運休。とりあえず国境まで行き、そこで父親が車で迎えにきてくれる予定なんだそうな。「大変ですねえ」とひできす+Sがため息をつく。ドイツ語の会話に疲れたひできすは客室を出てデッキに立ち、ドアの窓をあける。風が気持ちい。窓から顔を出して前方を見ると、川があり鉄橋が大きなカーブを描いてかかっている。


「これかな、国境。」
…というのは、乗客のほとんどが一つ前の駅で降りてしまったからだ。
 橋をこえると、列車は教会のある小さな街の駅に滑り込む。ホームの向こう側にドイツ国鉄のぴかぴかの赤い新車が止まっている。まがいも無くここはドイツの街Zittau(ツィッタウ)。感無量だ。


 僕らが着いたプラットホームはまだチェコ側。その先に入国審査と思われる掘建て小屋のようなのが立っている。僕ら4人がそこへ進むと、おっさんがぼーっと立っていて実はそのひとが入国審査官。むすっとして僕のパスポートそ睨みこむ。…ずいぶん睨んだね、このひとは、と思っていると、あごをしゃくって「行け」と言う。さあドイツだ。パスポートをしまって歩き出すと、異様にフレンドリーな兄ちゃんが


「パスポート見せて、えへ。」


と言う。「ん?今見せたぞ」と思ったが、この人は見慣れたドイツ警察の制服を着ていたので、


「ははあ、さっきのはチェコの出国審査で、こちらはドイツの入国審査というわけか」と気づいた。まあEU以外の国から入国するのだから当然と言えば当然か。


 パンパカパーン。おめでとうございます。チェコ脱出及びドイツ入国達成記念。ぷかーっと記念にタバコをやりましょう(駅はもちろん喫煙可)。


 さっきの二人組とはここでお別れ。僕らはドイツ製のぴかぴか列車の車掌に列車の状況を聞く。


「このルートは、ここからあそこまで運休。そちらのルートは20分遅れ。あちらのルートは、洪水の影響のある地域を通るが、今のところ定時運行。」…実に明瞭詳細。さすがと言える。僕らは「あちらルート」をとることにし、とりあえず最短区間の切符を買って列車内で清算することにする。


 列車は2階建てで、外がぴかぴかなら車内もぴっかぴか。この手の新車は東部ドイツで多くみられる。列車は静かにZittauを出発した。車内はきれいで新しいが、どうもやはり列車の旅は、窓を開けて外の風を感じながらごとごと揺られていく方が楽しい。そういう意味ではチェコの列車は楽しかったなあ。なんてことを思いながらしばらく行くと、列車は川が線路すれすれまで増水しているところをゆっくり進んでいく。「ここもそのうち運休かなあ。」


 ここでドイツ国鉄の車掌氏登場。


 歳にして30歳くらいだろうか。わりとつくりの良い顔にご立派なヒゲ、そしてかわいらしい目が2つのっかている好男子(僕にその気はありません)。
 このヒゲ氏がとにかくすごいのなんのって。何がすごいのかって? 今にわかります。


 まずこのヒゲ氏、僕らのチケットを手に取り「どちらまで?」
Sが「ベルリンに行きたいんですが」というと、腰からぶら下げていた特製の計算機をピッポッパとやりはじめた。ヒゲ氏真剣。沈黙のひととき。時々ヒゲは「ベルリンのどの辺ですか」なんてことを言いながら一瞬にこりと微笑み、また真顔で計算機に戻る。10分くらい経ったろうか、突然ヒゲ氏「ちょいと失礼」
と言って、切符を持ったまま行ってしまった。トイレかな?


 外を見ると列車はとある駅に着いている。ヒゲは列車のドアを開けに行ったのでした。列車が動き出すとヒゲ氏はまた戻ってきて、「もうすぐだからね」とか言いながらまたピッポッパッ。


 こんな事を2度繰り返し、とうとうヒゲ氏は僕に3枚の切符を渡したのでした。僕がほけえーっとしていると、ヒゲ氏はSに


「えー、いろいろな種類の切符を検討し、可能な組み合わせを考慮した結果、普通の片道切符より5ユーロばかり安くやりくりできました。こちらがその切符達であります。まず一枚目がなんとか駅までの片道切符です。そこからはザクセン州周遊切符が使えます。これが2枚目。そして3枚目はベルリン市内フリー切符。これは路面電車も含まれているのであなたの家の前まで行けますよ。おっと、列車が次の駅に到着します。私はこれにて失礼。」


僕は目が点。ぽかんとしながら追加分の料金を払うと、自慢のヒゲをたなびかせて、風のように去っていった。


 マニアック。国鉄職員はイギリス同様、最も安いチケットを探す義務があることは知っていたが、しかしたった5ユーロの事で20分1車両に留まってピッポッパは、好きじゃないとなかなか出来ないと思う。いやあ、驚いたのなんの。しかし、文句はありません。ドイツ国鉄は高い。これくらいやらないと乗客からいいイメージを得る事が出来ないのかもしれません。


 ベルリンに行くには、GoerlitzとCottbusで列車を乗りかえる。最後のCottbusをでれば、Berlin-Alexanderplatzまで直行。やれやれ、シートに座ると安心感でどっと疲れが感じられた。一眠りしたい。


 僕が一眠りする直前、女性の車掌さんが検札にやってきた。
「これで最後だなあ」
そう思いながら僕は先ほど別の列車でヒゲ氏に渡された3枚の切符を差し出した。それを受け取るとこの女性車掌、しばらくじーっと切符を睨みこんで一言、


「あたしならもっと安くできたわ。この前の車掌はまだまだ青いわね。」


だーっ、このマニアック集団。もうほっといて(懇願)。


 僕らがベルリンに着いたのは夜の11時すぎ。プラハからここまで実に約11時間。つまり普段の2倍近くの時間がかかったわけです。いやはや短い期間にいろんな事が起こったのでくたくたになってしまいましたが、なかなかこんな経験は出来ず、忘れられない思い出の一つになった事は間違いありません。

 
 この長い物語も今終わろうとしていますが、
「洪水の写真ばかり撮って、美しいプラハの絵はないんかい?」と言う君やあなたのために1枚写真を載せておこうと思います。

 プラハは、それはいい所ですよ。

 ひできすがゆく--プラハ途中まで一人旅…(おわり)。

(写真:Snigel紛失!)

(あとがき)
昨日仕事中、プラハの旅行会社から電話。電話の先の多分絶世の美女のお姉さんに
「その後どうですか」
と聞くと、
「まだまだ大変なのよ。市内の橋は2つを除いて全て閉鎖しているし、車での市内の走行は禁止されているわ。ただ、時計台は直ったわよ。」
地下鉄はどうなったんだろう(聞くの忘れた)。おそらく他のドイツ、ハンガリーの街でも復旧には相当の時間がかかるのでしょう。あの日プラハで黙々と土嚢を積み上げつづけていたボランティアの人達の事が目に浮んできました。
ひでかす大先生8回にわたる連載お疲れ様でした。掲示板への御感想をお待ち致しております。




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2002年09月27日(金) オフ会告知

日本の奇特な「アイルランド真実紀行」読者の皆様にお知らせです。やりますよ。オフ会。詳しくはこちらへ。

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2002年09月26日(木) 代打日記(1)コンタクトレンズ購入必勝法

日記「なべて世はこともなし」のてこ入れ策の一環として、不定期連載で「代打日記」を掲載します。...というか誰かゴーストライターになってくれませんか(笑)。私の変わり映えのない文章ではない掲示板常連「ひよこさん」の文章をお楽しみください。このボケとツッコミのスピードからして言うまでもなく、ひよこさんはこてこての関西人です。

コンタクトレンズ購入必勝法--



私のコンタクトレンズは、相当古い。
今は車に乗ってるけど、バス通勤をしてたときは、
『いやーん、バスの番号が見えへーん。』と、思いながら、目を細めて眉間にしわを寄せてバスを待ってたのでした。【こわっ】


毎日コンピューターを使って仕事してるので、視力がかなり落ちてるのは実感してましたが...バスの番号が見えないのは、ダブリンでバス通勤する人にとって、死活問題と言えるのです。


『え?何番が来たん?(半泣き)』【焦る。焦る。】
これでかなりのストレスが生じます。【それでなくてもバスがいつ来るかわからない。見逃せない。見逃したら、次のバスがいつ来るかわからない。
必死のぱっち!!!】


そーゆーわけで、やっとこコンタクトを買う事にしました。
うちのダンナさん〈以下、あくび君〉と2人で、シティーセンターのメガネやを片っ端からあたりました。【一番安いのを探すぞー!!】
『あのー。おたくでコンタクト、酸素透過性のは、いくらします?』


5件以上あったたかなぁ、グラフトンストリートから、ヘンリーストリートまで、“オプティシャン”と書いてあれば、とりあえず突撃。
で、結局1番安かったのが、ジーピーオーアーケードにあるメガネやでした。
【いうても、10ユーロぐらいの違いやねんけど。】


突撃しました。
あくび君もメガネを買うー。ということで、このメガネや、ただいまセール中。
“1つメガネを買うともう1つタダになるよ〜ん。”と書いてある。
2人で簡単な目の検査を受け、あくび君はメガネを選び、私はコンタクトの為、まだ眼科の先生の個室の中。
イギリス英語なまりの、女の先生。
『ちょっと、あなたの目の検査をするわね。』といって、部屋を暗くし、ちっちゃいライトにレンズが着いたもので、私の目をあらゆる角度から大接近してのぞきこむ。

彼女の鼻息、荒い。荒い。ほんで、えらい丁寧に時間かけて調べる。
必死で笑いを抑える為に、【えっと。。2Xの二乗マイナスー...ワイ.えっと。。。シグマ。。えー。コサイン。。。】とかなんとか、とりあえずわけのわからん事を考えて笑いをこらえたのでした。


『じゃ、今日は土曜日だから、来週の金曜日ぐらいには注文したコンタクトが届きますので、こちらから電話しますね。』
と、言われ、無事終了。


……
………
……………………………。


2週間たっても電話が来ない。【アイルランドお決まりコースに見事決定!!ありがとうーございまーす。】
あくび君のメガネの件に関しても、電話が無い。
あくび君は、すでにメガネ代全額払い、私は41ユーロのデポジットを払ってる。


でました。やってくれました。
ここで、ジンセイこうろう【どんな字か忘れたぁ。】の登場。
『コラー!責任者ででこんかいっー!!』(今は亡き関西の漫才師)(Snigel注:これって横山やすしのこと?掲示板での突っ込み求む)
あくび君、早速電話攻撃。
『これこれこーで、2週間も待ってるのに、なんで電話ナイネン。マネージャーだして。』
メガネやのねーちゃん、『いえ、注文したんですけど、えっと。えー。いや、注文してなかったようです。あ!じゃなくて、なくしてしまったようです。』【どっちやネン。】
あくび君、『?なくした??あんたはいいから、マネージャーだして!』
【いいわけはいいから。電話くらいしてこいよ。】
と、いうわけで、その週末に“届きました”というので、いってきました。
【はい。これで2回目。】


『はい。これがあなたのコンタクト。そこで手を洗ってつけてね。』
【はいはい。なんでも自分でさせてもらいますぅ。アイルランド流セルフサービス】
そこにマネージャー、レシートを持って登場。
『このたびは、申し訳なかったわねー。で、トータルこの値段なんですけど、25%オフにさせてもらって、41ユーロ(デポジット)引いて、これが残りの金額になります。で、どうですか?つけ心地は?』


やりました。マネージャーに文句言ったら、25%オフ!!
しかも、あくび君のVHI(任意健康保険)で、70ユーロほど返ってくるという。【イエーィ!高島忠雄デス。】
そのうえ、コンタクトの洗浄液や、タンパク分解剤など、おみやげにもらちゃったもんねー。


つけ心地?
『なんか、右がちょっと変な感じですけど。左右の視力に差があるかんじで。』といったら、また眼科の先生ルームにいかされ、(前と違う先生だった)また同じ事を説明。
簡単な視力検査をして、『んー。いまつけたばっかりだから、ちょっと違和感あるかもしれないわね。右のは、ちょっとまばたきした時に動くけど、私はそのほうが自然でいいと思うわ。とにかく2週間後にもう一度検査することになってるから、スケジュールを見て予約しましょう。』と言われ、帰宅。


2日後の月曜日、車の税金を自分で直接払う為、タックスオフィスに仕事を休んで行ってきました。【日本では考えられませんな。】
郵便でも受け付けてるんですが、なんせ、この4年間ダブリンで、何につけてもいいかげんなんで、チェックを送るのに、POSTなんぞ信用できません。
月曜の昼で、そんなにこんでないやろなーと思ったのが、あまかった。


70人以上すでに並んでる。

みんなが働く月曜日、憂鬱な月曜日、やったー、休みやー、自由な自分の時間ができたー!と思ったのもつかの間。
ここで、アイルランドお決まりスペシャルコースに見事決定。
今日1日、これで潰されるぅ…【号泣】
スニーゲルさんの言う“恐怖の館”(イミグレーションオフィス)とおなじパターンでございます。
あごが床に着きそうなのを押さえて、並びました。暇をつぶす為の小道具を持って行ってなかったので、ぼーっとしながら長蛇の列に身を任せておりました。振り返ると、さらに30人くらい増えてます。【アーララー】


人の読んでる新聞を、さりげなく読んでると、【おいおい】
やっぱり読みにくい。なんか、へん。


【モータータックスオフィスで働いてるにーちゃん、ねーちゃんは、(なぜか若い人が多い。)なんでそんなにカジュアルやのん?きみら、お役所勤めでしょーが。Tシャツ、ジーンズ、パーカー…】


税金を払い終えて、例のメガネやに直行。
【はい、これで3回目でございます。】
コンタクトコーナーに行くところで、例のマネージャーにばったり。
『あら!どうしたの?あなたの事おぼえてるわ。』と言われ、これこれこーで、やっぱ見にくいネン、というと、すばやく段取りしてくれ、また、眼科の先生待ち。【またまた待たなあかんがな。】
結局、右のコンタクトを再発注し、1週間後に電話してくれるらしい。
【もう信じませんよ。】
10日たって、こちらから電話。
もう私のコンタクトが来てるらしい。【電話せんかいぃ!!】


行かせてもらいました。
【はい。これで4回目。】
やっと、適切なコンタクトをゲット!!!


はぁー。【ため息】せめて、2回でできんのんか??



代打日記。あわよくば1週間に一度くらいの割で掲載したいのですが。と言うわけで代打日記のライター募集!資格は...特にありません。が、やはりアイルランドに関するネタがいいなあ。言い方を変えると、アイルランドに住んでいる必要はありません。行ったことがある方や憧れさんも大歓迎。ただし、掲載の決定権は私Snigelが握ってますのであしからず。




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2002年09月25日(水) アイルランドの会社での6ヶ月目でのハードル

早いもんで…と言うべきかようやく…と言うべきかちょっと判断がつかないのですが、今の会社に勤めてはや半年が経ちました。この半年というのは、他は知りませんが多くのアイルランドの会社にとって大きな節目です。たいがいの会社では最初の半年を「仮採用期間」(英語ではprobation time)としています。つまり、雇用者、被雇用者双方から「辞める(クビにする)」権利を持った状態が半年続くわけです。


もう少しわかりやすく言うと、会社を辞めよう、あるいは社員をクビにしようという場合、この仮採用期間の半年なら、双方7日間の猶予(辞表提出日から辞めるまで)があれば会社を辞めることが、あるいは社員をクビにすることができます。ところがこれが、仮採用期間が終わると、社員側からは1ヶ月の猶予が必要となり、また、会社側からは社員をクビにするためには(社費の使い込みとかそういう次元の話でもない限り)、口頭警告、文書警告、そして最後通牒と3段階のステップを経なければ社員をクビにすることができません。ちなみにだいぶ前の日記でも書いたとおり、この会社、実は結構薄情で、社員をクビにした例もあたりするのです。


で、昨日、上役と面接がありました。お題は、「試用期間終了にあたって」


つまり、可能性としては(1)クビ(2)試用期間延長(首の皮一枚状態)(3)本採用…という3つのシナリオがあり得るわけで。


まあ、心配はしてませんでした。仮に(1)や(2)のシナリオに行くなら、多分会社はそれなりのサインを私に前から出しているはずで。私は確かに鈍感な人間ですが、いくらなんでもそういうサインを見逃すことはないかと。


で、上役のおねえさんと、北アイルランド出身の例の上司との三者面談。で、渡されたのはこんな紙。(10段階評価とかいうオチはなく5段階評価です)





システムに対する理解 くだらない間違いが多い
商品に対する理解よく理解している
カスタマーサービスいいスキルを持っているがたまに英語が下手
イニシアチブ上司の命令を待たずに自分から仕事を探している
出社率いつも定時に出社しほぼ病欠もない
社内での人間関係フレンドリーで他の社員にも受けがいい



結論:本採用


…なんなんですかねえ。これは。上役いわく「なかなかいい成績よ」なんて言ってましたが…。これを要約すると「人当たりの良いSnigelは欠勤などもないが英語が下手でくだらない間違いばかりをしているマヌケ…」ってことですよね。
それにしても「英語が下手」って。はあああああ。

あのー、これ書いたの、私の直の上司の北アイルランド出身の男ですよね。私はお客に聞いてみたい。「私の英語と(北アイルランド出身の)彼の英語とどっちがわかりやすいですか」って。結構いい勝負になりそうな気がするぞ。

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2002年09月24日(火) ビジネスパークに革命起こる

なんかぱっとしませんねえ。


「…え?何の話?」とおっしゃってくださった読者様は優しい読者様です。が、たいがいの人はお気づきのはず。作者本人が言ってしまえば身も蓋もないのですが、日記がここ数週間つまらない。これ、作者自身がはっきりと感じています。


まあ人生には波があって、現在日記を書く気力が下がっている…と言ってしまえばそれまでの話なんですがねえ。日記がぱっとしないと掲示板もぱっとしない(静かになる)。さらには「日記才人」の投票の数も減る。そして作者はさらにやる気を無くす…という悪循環に陥っております。何とかせねば。作者も頑張りますので、良かったら投票してやってくださいませ。


私の会社、だいぶ前の日記に書いたとおり、とんでもない広大なビジネスパークの中にあります。で、この「バブルの遺物」としか形容のしようのないビジネスパーク、その8割方のビルは未だに空。テナント不在。ここに来られると、そこはかとない脱力感を味わえます。


で、このビジネスパークにきのう「革命」が起こりました。


「SPARオープン」


そう、ビジネスパーク内にコンビニがオープンしたのです。これは私たちにとってまさに革命のような出来事です。今までガムが欲しければ車で片道10分以上かかる(それもすごいよな)店まで行かねばならなかったのが、今日からは同じビジネスパーク内でことが済む。前の会社では当たり前だったことが、今、ここでもようやく当たり前になる!何とすばらしいことか。


で、アホだと言われるでしょうが、お昼休みに同僚数人を引き連れてSPARに行ってきました。すると、SPARの方角に向かいなんと人の流れができている。で、その人の流れについていくと、何時の間にかビジネスパークの端の方に来てしまい、そこで、工事現場の兄ちゃんに言われたこと。


「SPAR?こっちじゃないよ!そこの地下駐車場をぬけて…」


迷うこと10分以上、ようやく辿り着いたSPARは何のことはない、会社からすぐ近所でした。こんな近所で工事が会ったのに気がつかない私もすごいと思った。


中に入ってみると、おお、すばらしい、日本の平均的なコンビニの3倍くらいの売場面積がある(品揃えがすばらしいとは一言も言っていない)。で、ワインも売っていれば、デリカウンターもある。


何せ財布の中に3ユーロくらいしか入っていない(しかもその3ユーロは明日街に行ったときに駐車料金として消える予定)スーパー貧乏な私はそのまま何も買わずに出てきたのだが、その数分後、会社の休憩室では大騒ぎが起こることに。


「見てみて、バナナ1本80セント!(90円)」
「この3.8ユーロ(430円)もしたサンドイッチ、チキンがひいふうみい3切れしか入ってないわ!」
「ポテトチップス他のニュースエージェントでは36セントなのにSPARでは50セント」
「このちいさなサラダが3ユーロ(330円)はあんまりじゃない?」



…もうお気づきですね。このSPAR、他にライバルがいない独占状態を悪用して殿様商売を始めたのです。田舎に来たサーカスの中では自動販売機のカンコーラがなぜか250円もするのと同じ原理。「文句があるなら他に行っとくれ」といわれても、私たちには行くところがない。


…ただねえ、SPARさん、確かにライバル店はないけど、その代わりお客の数も少ないのよ。私たちにそっぽをむかれたら明日はないよ。ちゅうかうちの会社のマネージャーさん、そろそろ社員食堂、作りませんか?

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2002年09月22日(日) 車が凹めば心も凹む。玉突き事故顛末記(3)

先週から書き始めた追突事故の話。お待たせを致しました。続きです。


で、事故を起こした翌日。とっても鬱な状態で会社に出社。ほどなく保険会社から電話がかかってきた。


「保険、カバーされてます」


…当たり前だっつうの。


反面、一晩いろいろ考えているうちに、保険を使うのは得策ではないと思ってきた。アイルランドでの自動車保険は「ぼったくり」の一言に尽きる。…と言うのも、仮にここで保険を使うと、確かに私の財布は痛まずにすべての処理を済ませることができる。反面、ここで保険を使うと、来年の掛け金が倍くらいに跳ね上がる。実は私の保険料は、「3年間の無事故」と言う前提で掛け金が設定されている。で、外の人に比べると私の保険料は安い。ところが一度保険を使うと、来年の保険料は「3年間の無事故」という前提が崩れ、保険料が自動的に跳ね上がってしまうわけ。じゃあ再来年はどうなるかというと、「1年間の無事故」と言う扱いになり、やはり保険料は高くなる。まあ感覚的にいえば、今の保険料が50なら来年は100、再来年は90という感じか。つまり中長期的に見れば、保険を使った方がいいのか使わなかった方がいいのかというのは微妙な問題になるわけ。


で、その日の午後、同僚が「ここは安い!」と太鼓判を押す板金工場(ちなみに英語では”Crash Repairer”と呼ぶようですが)に車を持っていってみる。すると、


「これなら600ユーロでいいよ」


とのこと。うーん、バンパーは凹み、ボンネットは捲れあがっているような状況で600ユーロかあ。…ということは相手の車は私の車ほどダメージを受けてなかったから、私の車以上に修理費用がかかるとは思えない。この瞬間に保険を使わないことが確定。


で、それからおよそ1週間、相手の車から何も言ってくることもなく日々は過ぎる。事故から10日くらい経ったある日、相手の車の持ち主から電話がかかってきた。


「保険使いたくないなら現金で600ユーロでいいよ」


…翌日私は現金を持って相手宅に行きました。…と言うわけで、時速10キロ程度の玉突きは1200ユーロでカタがつきました。それにしてもCDのこうかんがこんなに高くつくなんてねえ。トホホ。


事故は一瞬。気をつけましょう。はい。

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2002年09月21日(土) ひでかす洪水のチェコを逝く(その7)

ひでかすはヒコーキオタクのみならず、鉄道オタクではないか...そういう疑念がわかずにはおれないその7です。

ひできすがゆく--プラハ途中まで一人旅(7)--




―――さよならプラハ―――

 駅の2階でひできすはカプチーノを、Sはコーヒーフロートを飲む。この駅は古く、ドーム状になったコンコースは2階まで吹き抜けになっていて、その円状になった壁に沿って昔の切符売り場窓口が今も残っている。ここは一見の価値ありなのに写真を撮らなかったのが悔やまれる。


 土産物屋で時間をつぶし、出発20分前にプラットホームへ。ドレスデン、ベルリン経由、ハンブルグ行きの国際特急( Euro City )は今日は国境までしか行かないのに、食堂車付きのフル編成で乗客を待っている。この路線はチェコの列車とドイツの列車が交代で運行していて、僕らの列車はチェコ製のそれ(たしかPorta Bohemica号)。チェコ製の方がドイツ製のよりゆったりしていて、豪華に見える。


ところで、ドイツではいろんな国の列車が入ってくるので面白いですが、ドイツの友人が言うにはクロアチアの列車が一番良いそうです。興味のある方は、ザグレブ発ミュンヘン経由ベルリン行きの国際特急Mimara号というのがそれです。


 プラットホームで乗客と車掌の会話が聞こえてきた。
「…線路が浸水していて、列車は国境の手前のDeci(デッチン)までしか行きません。そこから先はいつ再開するか分かりません。」


ゑえええ?ぞんなあ、話がちが―う。(タイトルに‘さよならプラハ’と書いてしまったぞ。)


 こんな時皆さんはどうしますか?ひできすはもちろんタバコをぷかーっとやって考えます。そしてポケットをまさぐる僕の目の前にはしかし、でかでかとNo Smokingのサインが。悲しい、あんまりだ。イギリスでは最近禁煙の駅が増えました。しかしドイツではどこの駅でも地上なら吸えます(Snigel謹告。それはウソだと思う。たぶん地上でも指定されたエリア以外吸えない。ツッコミ求む)。ドイツで吸えるのならチェコでも同じだろうと思っていました。あ、ちなみにダブリンでは市内バスの中でも吸っている阿呆がいっぱいいますが。


 ひできすが悲しみにむせび泣いている間に、Sはさっき車掌と話していたカップルのところへ行って何やら話し込んでいる。どうやら彼等はドイツ人のようです。Sが戻ってきて言う。


「隣りにとまっているローカル列車で北に向かうと別の国境まで行けるそうよ。どうする?」
列車は5分後に出発。チケットはBad Schandau行きだが、知るか。わし等の知った事じゃない。「よし、乗っちまえ」。


 さよならプラハ、ひできすはまた来る。きっと来る、洪水でない時にまた来るぞ。こう心に誓ったひできすとSを乗せた列車はプラットホームを滑り出した。


 乗った列車は3両編成のTurnov(トゥルノフ)行き。ボロくて恐ろしくのろい列車だが、洪水と関係の無い北部高地を確実に国境に向けて走っていく。検札に来た車掌にチケットについて説明するがいまいちわかってない感じ。隣りにいたチェコ人が親切に翻訳してくれた。すると車掌のおばさんは「ああ、このままでいいですよ」と言って行ってしまった。隣りのチェコ人も肩をすくめるばかり。「ま、いっか。」


 列車はのどかな草原地帯をとことこ走る。交差する踏み切り一つ一つに赤い帽子を被った係員がいて、列車に合図を送っている。こういう景色、たしかポルトガルのローカル線で見たことがある。時々交差する小さめの川も所々であふれている。二時間ほどの旅で列車は終点に到着。ここで国境近くのLiberec(リバレッチ)行きに乗りかえる。


 駅は線路が10本くらいだーっとあるだけで、プラットホームが無い。そのど真ん中に止まった列車から降りた僕らは向こーの方にある駅舎まで線路を何本もまたいで歩いていく。駅舎から列車の方を振りかえる。しかしこれじゃどの列車がどこへ行くのかさっぱり分からないねえ。…と思っていると、あっ、列車から車掌が降りてきてプラハと書かれた黄色い看板を列車の横に置いている。なるほどね、そう言う事ですか。



 ところで次のLiberec行きの列車はすぐ発車するはずなのに姿が見えない。駅員に聞くと、こちらへ来いと言う。駅長室らしきところに案内された僕らに駅員は時刻表を見ながら、「ああ、その列車はこわれました」。


 「こわれたああ?」
こわれたって、壊れちゃったの?


 「壊れた」はドイツ語で「カプート」。駅員は口をすぼめてこの「カプート」を繰り返すので、何かおもちゃを壊してしまった子供のようでかわいかった。いや、そんなこと言っている場合ではない。みんなが時刻表とにらめっこしている間ひできすは、駅の外に出てバスの時刻を調べてみる。Liberec行き、あったあった。…一日一本。うーん、使えん。


 駅舎へ戻るとSが次の列車は30分後に出ると言う。何だ、大騒ぎする事無かった。


 出発まで時間がある。僕はみんなを残してさっき駅前にみつけたスーパーマーケットへ行く。車内で食べる果物と、お土産用のビスケットとウォッカを買って駅へ戻ると列車はもう入線していて、Liberec行きの看板が立っている。この列車はドイツ国境近くへ向けて山をぐんぐん登っていく。


 僕はひと寝入りしたようだ。目がさめると列車は終点の駅に入ろうとしていた。Liberec駅は大きい。ちゃんとプラットホームもあり、線路をまたいで歩くこともない。街も大きく、駅前には路面電車が走っている。ちょっとした観光地という感じ。冬はスキーリゾートにでもなるのだろう。ここでホットドッグとチェコビールを買いこんで、チェコで最後になる列車、Zittau行きに乗りこむ。最後であってほしい。

(次回、最終回に続く)


あれ?最終回じゃあなかったの?どうやら、次回こそが最終回です。




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2002年09月19日(木) ひでかす洪水のチェコを逝く(その6)

ひでかすのチェコ旅行記、その6まできました。

ひできすがゆく--プラハ途中まで一人旅(6)--



―――3日目―――

 この長い物語も、いよいよ3日目に突入。ひできすも速く書き終えないと、記憶がどんどん曖昧になってきています。
 さて、9時すぎにチェックアウトした僕らは外に出て少し驚く。バスも路面電車も普通に動いている。洪水の話はどこへやら。天気も曇ってはいるが空は明るく雨は降っていない。何かいいことありそう(きゃぴっ)。
 階段を下り、地下鉄の駅へ。

…まだ全線閉鎖(だよ―ん)。

ひできす+S、ふにゃふにゃふにゃ…。
 駅員は「街に行くのなら26番の市電に乗りなさい」と言うので停留所へ。あー、ちょうど一本逃した。でも電車は超ド満員。次の電車も満員で来たが、数人降りたのでそこへ割り入る。電車はしばらく丘の上を走るとS字を描いて街へと下りていく。橋を渡り旧市街へ入ったので、僕らはブザーを押して電車を止め、道路へ降り立った。地図上では電車はその先まっすぐ進むはずなのに右へ曲がっていった。僕らの目指すのはこの先まっすぐ行くとあるFlorenc駅横の国際バスターミナル。
 高速道路の陸橋が見える。ひできす対策本部推奨のバスルートはあれを通る筈だ。橋をくぐった先のひろばがFlorenc駅のある広場。路面電車の線路はここから左へカーブし…

 …水の中へ

 ここはベニスか、バングラデシュか?広場から左側方向は全て水、水。そりゃあ右に曲がりたい路面電車の気持ちもわかるというもの。今もボートで救出された老人が到着したところ。そして右側を見るとそこはまだ全線閉鎖中の地下鉄の駅入口。バスセンターはその先の道を一本入るとある。ここであまりぶらぶらしているわけにはいかないので、先を急ごうとした時、さらに僕らは信じられない光景を目の当たりにした。(写真)

 地下鉄に下りる階段は、2,3段下りるともう水。そこには注意書きも何も無く、ぼーっとしてると水の中へぼちゃん、ということになる。全線不通は当たり前だぁ。駅も電線も全て水の中。これにはひできすおったまげてしまった。こういうときは防水シャッターかなにかがあって、地下区間は守られるんじゃないかと勝手に思っていた。迷い込んだ魚もいい迷惑だろう。どうやって復旧するんだろう。別の観光客も[オー、マイガッ!]とかいって集まってくる。
 僕らは先を急がねばならない。この先を右に曲がって、バスセンターはこの道…


Welcome to Venice. あかん、バス、のれへん…(ため息)。関西弁の分からないSにも状況はよく飲み込めたようだ。対策本部推奨の国際バスというアイデアはいまくずれた。

 へこんでいるひまの無い僕らは、きびすを返しプラハ中央駅に向かった。駅及び路線は丘の上にあり、列車が出入りしているのが見える。ひできす本部長はSを外渉部長に任命。駅前の旅行会社で列車の状況を聞いてもらう。
 国際列車のベルリン行きはドレスデンが閉鎖のためBad Schandauまで。そこからはドイツ国鉄がバスを出しているそうだ。さすがドイツ。しかし、列車の状況は刻時変わるので駅の案内で聞いたほうがいいという。別ルートのニュルンベルグ経由はやはりとんでもなく高い。「あの、バスは走っていますか」と聞いてみた。
「走ってませんよ。バスセンターは水の中だし、営業所もみんな避難してしまっているし。」はい、聞いてみただけです。
 駅の案内へ。「Bad Schandauからは、ドイツ国鉄のバスでベルリンまで行けます。」と、さっきと同じ事を言われたので、とりあえずチケットを国境まで購入。列車は40分遅れで出発すると書いてある。ああ、でもよかった。帰れる。

(次回、さよならプラハをお楽しみに。)

ついに!ようやく!とうとう!(やっと)次回、感動の最終回です。




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2002年09月18日(水) ウソはやはりバレるもの...何が起こるか分かったもんじゃない

疲れ果てて家に帰ってくると、ポストにはあからさまに請求書かダイレクトメールとしか思えない私宛ての郵便物。たまには請求書以外の郵便物をどきどきしながら開けてみたいなあ…なんてわけの分からんことを考えながら封を切ると(その時は炭素菌に違いないとかいうツッコミは不要)案の定Bank of Irelandからのダイレクトメール。ただ、その内容に私は仰天してしまった。


「家建てませんか。お金貸しますよー」


…アイルランドに住みいつの間にか4年の月日が経った。で、ついにここまで来たのかという感じ。bank of Irelandは忘れたころにこういうダイレクトメールを送ってくる。最近では、「車買いませんか」(これはエッセイに詳しく書いているのでそちらを参考にしてください)から「アメックスカード持ちませんか」などなど。で、だんだん話のスケールが大きくなっているなあ…なんて感慨深げに思っていたらついに話は家まで来た。


買わんっつうの!


何度も何度もしつこく書きますが、私、アイルランドに骨を埋めるつもりはありません。ゆえに、家など買いません。


最近になってこういうダイレクトメールがとみに増えてきた。たぶん絶対の確率で、私の給料の額だとか支出額が通帳から全部ばれているからだろうなあ…と思う。たぶん日本のそれほどはあからさまでないにせよ。ただ、それなら私に貯蓄がないことくらい気がついてよ…。


で、まあ、この私の友人が住む地区の回覧板並の地元紙、これを読んでいただければ、なぜ私がアイルランドに骨を埋める気にならないかお分かりいただけるかと思います。すごい内容なので、ぜひオフラインにして読んでやってください。ただし、A4サイズの紙をスキャンしたので画像は330キロバイトと少し重めですので電話回線の方はご注意を。ちなみにこの地区、私が「ダブリン家がない!」でネタにしたEastwallのお隣りの地区です。読んでいて「よくもまあこんなとこに住んでいたなあ」と笑ってしまいました。


話は飛びますが、今日、会社で私は同僚の何気ないひとことでほとんど即死状態にされました。先週末、金曜日に病欠を使いドイツに行ったのですが、これ、思わぬところで思わぬ事態になってしまいました。コールセンターで、小忙しく働いてくると、隣りの班の主任(アイルランド人の女性)さんがやってきて、コールセンターのマネージャーの前で…


主任:「ねえねえSnigel、先週の日曜日の夜空港で何をしていたの?」


ぐふっ(即死)


私:「え?」
主任:「日曜日の夜、空港の到着口のところであなたを見かけたわよ。どこか行ってきたの?」
私:「…え?いつの日曜日?」(←完全にとぼけている)
主任:「先週。どこ行ってきたの?」
私:「え?え?あー、うー、いー、家にいたけど」(大ウソ)
主任:「ええ、あれ、Snigelだったわよ」
私:「ええ?中国人だったんじゃあないの?」(←都合のいい時だけ中国人のせいにしたりして)
主任:「ええ?あれは間違いなくSnigelだったわよ。グリーンのアーミーパンツをはいて



グリーンのアーミーパンツ?んな趣味の悪いもの私は履きません。軍隊とか規律とか協調とか言う言葉が私は大嫌いです。そう、この主任さん、肝心なところで記憶違いを起こしてくれたのです。私はここぞとばかりに逆襲。


私:「グリーンのアーミーパンツ?そんな趣味の悪いパンツボクは持ってないよ。それ、絶対人違いだよ。ほら、そんなの履いてるの見たことないでしょ?」
主任:「うん、いつもスーツだもんね」



轟沈


最後までしらばっくれましたが、いやー、どこで悪事がばれるか分かったもんじゃあありません。これでヒコーキの中で出張帰りの部長とかにあった日には目も当てられません。皆様もウソをつく時は十分に御注意を。




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2002年09月17日(火) 「無料航空券」を100万席乱発するとんでもない航空会社

このへたれなホムペを運営してほぼ1年半が経ちました。このホムペをやっていて一番ありがたいことは、読者の皆様からの掲示板への書き込み、さらにはメールですね。このおかげでアイルランド国内はもとより、日本、さらには世界中にまさに「薄く広い」ネットワークができつつあります。本当にありがたいことです。

昨日も仕事中にこんなメールが舞い込んできました。


「Ryanairがまた『無料』キャンペーンをやっているよ日記のネタになるかもよ。」


…読者さん、ネタの心配までしてくださっています。ありがたいことです。


で、行って見ました。Ryanairのサイト。…繋がらない。アクセス殺到中。


で、なんとかアクセスに成功しフライトをチェックしてみると、…なんとまあ、本当に片道1セント(1円)で売っている。


ちなみに私Ryanair、嫌いです。いくらか余計払ってでも、古き良きサービスのある航空会社で飛びたい。だけど、そんな願望も「1円」の前にはなす術もないわけで。


で。結局、10月の半ばの土・日にマンチェスターに行くことにしました。税金等は自分で払うので結局往復36ユーロ。…フェリーより安い。どうなってんだか。


で、別の読者様の報告によると、どうも昨日はインターネット自体が繋がりにくかったそうな。原因は…Ryanairのサイトにアクセスが集中したから以外には考えられないわけで。


昼休みが終わったので、途中ですが今日はここまで。




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2002年09月16日(月) 今さらながらドイツ人の几帳面さを語る

ドイツ。土曜日から急に寒くなりまして、ドイツでも秋の訪れを感じました(アイルランドは8月の頭から秋ですが)。それにしてもドイツ人のあの几帳面さはもう日本人の私ですらびっくりです。Hannoverの中央駅からいつも某駅に向かって1時間に1本の各駅停車に乗るのですが、この電車、本当に定刻通りです。15時36分発なら15時36分00秒を時計の秒針が指した瞬間にぴったしドアが閉まります。最初は偶然かと思っていたのですがいつもなのでたぶんそういうことなんでしょう。


そういえば前の会社のマネージャーがこんなことを言ってました。


マネ:「ハンブルグで特急に乗り遅れちゃったわ」
私:「着くのが遅かったんですか?」
マネ:「定刻通りにホームに行ったのに列車が30秒早く出ちゃったのよ」



…んなばかなと思いますが、実話です。世界広しと言えど、定刻より早く列車が出るのはドイツだけではないかと思います。


で、今日の帰り道、同僚のドイツ人の車の後ろを間に一台はさんで走っていたのだが、私は信じられないものを見てしまった。


彼女が窓を開けて右手をまっすぐ伸ばすのだ。最初はたばこでも吸っているのかと思ったがそうではない。次の交差点でもやはり右手をまっすぐ伸ばす。


手信号。


…確かに「交通の教則」には手信号のやり方が書いてあるけど本当にやる人は洋の東西を問わず初めて見た。旧東のベルリン出身だそうだが、…いったいどんな人生を送ってきたんだ?


話はぶっ飛びますが(いつものこと)、今週、私はついにコールセンターに拉致されてしまいました。いつもコールセンターの仕事を仰せつかっても自分の机で電話を取っていたのですが、今週はなぜかコールセンターの専用室でやるように命令されてしまいました。行ったはいいが…ダメですね。自分の机でないと。自分の机、特にコンピュータは自分がやりやすいようにデザインされています。デスクトップのショートカットやドキュメントの履歴機能その他。で、コールセンターのマネージャーは、日本のお局OLのような方でして。「机をきれいにしろ」だの「今の答え方はおかしい」だの正しいだけにあまり強くは言えませんが、疲れます。ついでに日本語をサポートしていないので仕事中に掲示板のお返事すらできない(できなくて当然言うな)。


追突記、続きはまだありますのでよろしく。ひでかす大先生もチェコの旅行記を鋭意執筆中ですのでこちらもよろしくです。




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2002年09月12日(木) 計算機...あれこれ

アイルランド人女性の新人教育係を仰せつかった…というのは先先週くらいの日記でのお話でしたが、その後彼女もようやくひとりで仕事ができるようになってきました。が、たまに人知を超越した質問をしてきてあごが外れそうになります。


ある日。


「ねえ、Snigel。上海ってどこの国?」


まあこれくらいならいい。…というか、国名と首都は私の弱点でもあるのであまり偉そうなことを言うとあとで墓穴を掘るのが目に見えている。が、この発言はどうしたらいいでしょう。昨日のことですが、彼女が突如計算機を持ってきて


「ねえ、Snigel、450ユーロの20%引きって、どうやって計算すれば良いの」


…唖然。あんたそんなことも知らずにどうやって今まで仕事してきたの?


唖然としつつも平然を装い、


「それはね、450x0.8でいいんだよ」


と言うと、


「0.8ってどこから出てきたの?この%のマークを使って計算したいのよ!」


ここで私のばかさ加減が暴露されてしまうのだが、私はこの質問の前に凍りついてしまった。自慢にならないが%ボタンを使ったことがない。私は平静を装いつつ、


「450-20%だよ」


と言って実際にやってみると、…何のことはない、合っている。


ここまで書いていて思い出したのですが、過去の日記に単発的に書いていますが、私、その昔某大手家電量販店でお仕事をしていたことがあります。あそこで仕事をしていると、よく


「まけて」


というお客さんに出くわします。まあ人間の心理、少しでも安く買いたいと思うのは当然でして。で、値引き交渉をしたことのある人ならご存知でしょうが、そう言うと店員は困った顔をしつつ、かつ「いや、これでも頑張ってるんですよ」と言いつつ計算機をパチパチします。あの時、店員がどういう計算をしているかご存知ですか?他の人は知りませんが、私の場合単なるハッタリ(おい)。単に計算機で遊んでいるだけでした。…とまで言うと実際大げさですが、こんな感じです。例えば39800円の商品の場合。


39800x1.05x0.9=37611


(39800円の税込みの10%引き=37611円)をまず計算してそのあと


39800x1.05x0.85=35521


このあとは本当に計算機で遊んでました。たいがい検算してましたけどね。で、おもむろに、


「税込みで38000円でどうですか」


と言います。するとたいがいのお客さんは、


「ええ、ポイントカード使った方がいいじゃん」


と言います。その通りです。それがポイントカードのポイントカード足るゆえんです。家電量販店の多くがやっているあのポイントカード、今どの店がいくらの還元をしているか私は知りませんが、あのポイント値引き、その出所はここだけの話店ではないらしいです。実は、メーカーから「販売協賛金」とかいう名目で、半ばカツアゲのようにふんだくっている金らしいです。つまり店にとって痛くも痒くもない金。


メーカーは家電量販店の圧倒的な販売力の前にそういう金を出さざるを得ないらしいのです。…というわけで、10%のポイント還元と10%の値引きはお金の出所が違うのです。ほら、この一文を読んだだけで今日の日記を読んだ価値があろうというもの。


で、私のようなヒラ販売員に許された値引き幅なんて10%がいいところです。これ以上の値引きは責任者の承認がいります。ただ、仮に責任者の承認を得たとしても15%以上の値引きなんて商品にもよりますがまず考えられません。


というわけで、上の例だと37500円を砦にして交渉。それで決裂した場合は、上司に後で文句を言われるのを覚悟で最後の砦を35500円にしようと考えていたわけです。繰り返しますが、私が取り扱っていた商品で15%引きはまずまれのまれな事態です。


ただ、私の場合、値引き交渉はあまり好きではなかったので、ハナから支離滅裂な値引きを仕掛けてくるお客さんに対してははっきり「無理です」と言っていました。で、結構口がうまかったので、たいがい値引きなしで話をまとめていましたが。


「販売報奨金」の話はあくまで伝聞系です。さらに、現在どういう形態で家電量販店が商売をしているか私には一切分かりかねますのであしからず…と逃げを打っておきます。


最後に。明日からドイツに行ってきますので(またかよ)、次の更新は月曜日。メールのお返事大幅に遅れています。来週必ずお返事しますのでしばらくお待ちくださいませ。




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2002年09月10日(火) 車が凹めば心も凹む。玉突き事故顛末記(2)

おとといの日記の続きです)


生まれて初めて回した112番(ケータイからのGSMネットワーク共通の緊急番号)。ところが待てど暮らせどケーサツは来ません。で、保険に入っているかも謎という状態。


後続の車が好奇の目で見ていく中私は頭の中で何が起こったのかを一生懸命再構成しようとしました。覚えている限りでは、信号待ちの列の5番目から6番目になり、信号が青になり、ゆっくり進みはじめ、ちょっとCDを入れようとした瞬間にドン。…たぶん、前が止まったか何かしたんだろうけど、何せ脇見をしていたわけだから何も言えない。


保険番号や住所の交換も終わり、まさに手持ちぶさたになった私を含む3人の運転手。私はともかく外の運転手はイライラしてるのが分かる。


30分経過。さあどうしたもんかと思っているとようやく白バイ警官登場。さっそうと現れた警官は


「車移動!追越車線に車を放置しといたらさらに事故が起こるだろうが!」


…ちゅうかここ、およそ1キロにわたって直線なんだぞ。こんなとこで追突する馬鹿がいるかいな…と思ったら実はそれは自分だったのでかなり鬱になる。


そもそも日本だったら、「事故処理車」とか書いたバンがやってきて、中から数人の警官が現れておもむろにチョークや巻尺を使いながら、何やら現場検証をするというのが当たり前で、私の中にその感覚が「常識」として染みついていたのだが。そう、日本で培った常識がまた壊されて瞬間でした。


で、警官はひっきりなしにやってくる交通を遮断して、私たち3台の車を路肩に移動させ、事情聴取。


事情聴取…とかいうと響きはいいが、実際にやったのはひとりひとりの運転手の住所と名前を聞き、保険番号を控えただけ。一番前の車の運転手の事情聴取、2番目の車の運転手の事情聴取と来て、警官の到着後たった3分で私の番がやってきた。


警官:「この付近でこの1時間で3件目の事故だよ。あーあーあー、派手にやったねえ」
私:「ははは」
警官:「ええと、保険番号は…12345678、で、住所は…この免許証の住所でいいの?」
私:「いいえ。XXX…」



そこで鳴る警官のケータイ。


警官:「ああ。うん。じゃあ、今日は北京ダックとタケノコでいいや」


…こっちが事故を起こして真っ青だってのに、あんたいま今晩の出前中華料理の相談をしてたでしょ…。


このあと、数分間「立ち話」(どう考えてもあれは「事情聴取」とは呼べない)をしていたのですが、この警官、最初はもろに無愛想だと思っていたのですが、実はかなり親身に相談に乗ってくださいまして。


警官:「むろん、あなた次第だけど、これくらいの事故なら保険を使わない方がいいねえ。ところで、この保険のステッカーではなく証書の方、今度本署に持ってきてくれる?」


なぜ?と聞くと、警官、日本で言う警察手帳のようなものの中に貼り付けたたくさんの保険や税金のステッカーを見せてくれる。


警官:「これ全部ニセモノ。ニセモノが出回っているんだよ」


確かに、このステッカー、カラーコピーで一発でニセモノが作れそうな単純な造り。


警官:「では、今回の事故、行政処分もないから、気をつけて運転するように。」


…ああ、そろそろ出前の中華料理が届く頃なんだろうなあと思いつつ、私はボンネットがひしゃげたボロがますますボロになった我が愛車に乗り、黄昏を背にし自宅へ向かったのでした。トホホ。


この話、さらに続きます。




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2002年09月09日(月) ひでかす洪水のチェコを逝く(その5)

ひでかす大先生、土日に続きを書いてくださいました。ま、どぞお読みください。

ひできすがゆく--プラハ途中まで一人旅(5)--



――ひできす洪水対策本部――

 …ドレスデン中央駅、床上浸水で全滅。

 恐れていた事が起こった。ドレスデンはチェコに国境が近いドイツの古都。ほとんどの国際列車がここを通る。これが全滅。僕の予定は陸路でSとドイツへ向かい、数日そこで過ごした後Dublinへ飛ぶというもの。Sがべそをかき始めた。
「パーティーに帰れない」
「いや、道は開ける。ドイツへ帰る道はある。心配するな。」
僕はそう余り説得力の無い事を行ってみる。

この時点で、僕の脳みそは“ひできす洪水対策本部”と化し、活発な活動をし始めていた。もし列車が動かなかったら…。

対策1:もう一つの国際列車ルートを使う。これはチェコ南西部のピルゼンを経由して、ドイツはニュルンベルグへ入るルート。しかし、ニュルンベルグから僕らの向かうベルリンは遠く、運賃がかなり高くなるので出来れば避けたい。

対策2:鉄道がだめでも高速道路は大丈夫だろう。プラハにはベルリンから国際特急バスが確か二社運行している。バスは普通は列車よりかなり運賃が安い。列車の方が旅は面白いと思うけど、この状態では最も現実的対策。

 対策3:線路は続くよどこまでも。チェコ―ドイツの国境がだめなら山を越えてポーランドに入り、そこからドイツに入る路線がある。列車代が高いのはドイツに入ってからなのでポーランドの国境から近いベルリンへは、経済的には問題なさそう。けれども、こんなに回り道してその日のうちにドイツに着けるのかは疑問。

夜9時頃になって僕らは街に飲みに出た。いつものように地下鉄に乗ると、途中の駅には止まらずに、なんと街までノンストップ。途中の駅は洪水で閉鎖されたそうだ。開いてるんだかよく分からない薄暗いビルの入口の奥にひなびたバーがあって、客が結構いる。おいしいチェコのビール(チェコビールは多分世界一でしょう)を飲みながら明日の対策を練る。

「朝イチで、国際バスが出るバスセンターに行ってみよう」

それと、インターネットで情報を得ようと思ったが、どこも10時には閉まってしまうので、この夜は他には何もせず飲んだだけ。

さて、僕らは12時すぎの最終電車に間に合うように駅に向かう事にした。すると、

 (ガガーン)全線閉鎖。

恐れていた事(その2)が起こった。おいおい、どうやって帰るんだよ。

このピンチにひできすの頭に浮かんだのは“タクシー”、でSは“路面電車”。はいはい、乗りますよ路面電車。プラハはそこらじゅうに路面電車が走っていて便利。しかしこの夜、僕らは走っている路面電車を一度も見ていない。それどころか、街は明かりのついているビルも無く気味が悪ければ、タクシーなんか一台も走っていない。異様に暗く静かな通りを行くと、数人の人影が。こっ、この人達は、…やはりボランティアの人達でした。黙々と土嚢を積んでいる。表情は暗く、会話も無い。これを過ぎて橋のたもと(カレル橋より一つ下流の橋)へ行くと橋は閉まっていて、警官が立っている。

「あの、路面電車は走っていますか。」と聞くと、
「街は9時以降停電。交通機関は全てストップ。」

ひえー。こいつは歩くしかなさそうだ。足、まだ痛いのに。

 歩くにしても、僕らはどうしても橋を渡って向こう側に行かなければならない。
「次の橋なら渡れるよ」
警官氏がもう一つ下流の橋を指差してくれた。

 その橋の上では、テレビカメラを持ったおっさん達がうろうろしている。暗闇の中で、洪水中のモルダウ川はざあざあと気味の悪い音を立てている。対岸へ着いて左へ。ここからは地図を見ながら行かないといけない。が、

…真っ暗。

想像してもらいたい。一国の首都中心部が、まるっきり地図も見えないくらいに真っ暗になってしまうんです。

ライターで照らしながら、「うん、ここを多分左だ」…ありゃ、通行止め。その向こうは水。うーん、これはまるでゲームだ。“ひできす、奇跡の首都脱出!”あほなこと言ってないで、そこのガード氏に道を聞いてみよう。

「あのう、Dejvickaにはどうやって行けば良いですか。」と英語で聞くと、ガード氏、ろこつにいやそうな顔をした。はいはい、どうせ僕らは洪水のモルダウ川の橋の上でシャンペンを飲んでいた阿呆な観光客ですよ。しかしガード氏、つたない英語で懸命に説明を始めたではないか。

「ここらへんの道は、んと全て、えー(洪水ってなんて言うんだっけ)…フルート、フルート。ようするに、Close、Close。」

ひできすもSもピンときた。要するにこの人は英語で説明するのがおっくうだったらしい。Sが「ドイツ語を話されますか?」と聞くと、ガード氏急に元気になった。地図を持っていたひできす、蘇生したこのガード氏にドイツ語で

「ここをこう行くと帰れませんかね」と聞くと、
「ああ、そこなら通れますよ。それ、そこの道です。」

と、指差した。なんでい、全てClose,Closeなのじゃあなかったのかい、え?と、あごを人差し指でしゃくってやりたい気持ちをおさえて、指差した方向を見る。

道は広いが、真っ暗な上り坂がうぞぞーんと口をあけて僕らを待っている感じ。道は一つしかない。急に親切になったガード氏にお礼を言って対策本部長ひできすは「よしS、行くぞ」…ってあれ、Sは?「あ、ちょっと、待って、おいてかないでー」。

 道は急な上り坂で、暗くて長い。足取りも重くひたすら登る、登る。カーブを曲がりきると、
「おい、S。見ろ、明かりだ。」

視界の先に、信号機が懐かしく青色に輝いている。その周りには、ビルの明かりが見える。そこはまるで砂漠のオアシス、宇宙の大銀河、浅草花やしきのお化け屋敷の出口。走り出したい気持ちを押さえて坂を登りきる。二人とももうホテルに着いたような感覚。地図を見る。ここからはあと10分ほど。ひできすはもうそこのバーで一杯引っかけていく気分になっている。しかし明日は早い。ここで飲んでは本部長の名が廃る。緩やかな下り坂を下りきるとホテルに着いた。長い一日だった。


しっかしまあ、よくもここまで告ぐ次と事件が起こるもんだ。というか、こういう時期にプラハを訪れる羽目になるひでかすの人生っていったい...。




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2002年09月08日(日) 車が凹めば心も凹む。玉突き事故顛末記(1)

先週から書く書くと大騒ぎしていた「大事件」、ついに、とうとう、ようやく、書く気になったのでご報告です。


話は先週の木曜日、つまり8/29までさかのぼります。会社が終わり、ちょっとだけジムに顔をだして、いつもの通勤路を自宅に向かって走っておりました。夕方の通勤ラッシュの中、私はゆっくりと走っていました。で、Heuston Station駅近所のN4(国道4号線)のアイルランドにしては珍しく片側3車線ある大通りの追い越し車線で信号待ちをしていました。


で、信号が青に変わりゆっくりと動きはじめたのですが、なぜか次の瞬間


ドン!


というすごい衝撃。やってしまいました。追突事故。


で、私がハザードをつけて車から降りると、前の結構新しいフォードに乗ったおばさんが降りてきて、私の顔を見るやいなら


「もう一台前のにぶつかったわよ!」


車3台が絡む玉突き追突事故…というやつです。しかも突っ込んだのは私。


言い訳にもなりませんが、私、アイルランドでは日本に比べてかなり気をつけて運転しているつもりです。特にこの日は会社帰りで慌てていなかったので、かなりのんびり運転してました。事故とはそんな時に限って起こるもので…。白状するとCDを替えようとしていたんですよね。そのコンマ何秒の脇見をしたばかりに…。


車から降りると…あーあーあー、私のボロ車、バンパーは潰れ、ボンネットまで捲れあがっています。相手の車は私のほどではないにせよ、後ろのバンパーに傷がしっかり入っています。

で、一番前の車のおじさんが降りてきたところで私は…


「とりあえずケーサツを呼びましょう」


自分でも結構驚いたのですが、意外なほど落ち着いていました。自分を客観的に見ているのがよく分かります。で、アイルランドで初のエマージェンシーコール。(ちなみにケータイからは112です。)


で、とりあえずどうすべえかと思い、何はともあれ自分の保険会社に連絡。電話の向こうのおねえさんは


「保険番号12345678ですか?今探してるんですけどねえ。見つからないんですよ」


…あんたなあ、3ヶ月前から保険に入っているはずだよ?つまり私は無保険で運転していたとでも言いたいの?日本同様、無保険運行はアイルランドでも重罪です。


で、私が特攻隊した前の車、中には同乗者…子供が二名。12歳くらいの女の子と8歳くらいの女の子。なぜか自分用のケータイを持ってます。とりあえず怪我はしてなさそうなので一安心。


で、一番前の車といえば…どこに傷が入ったかわからない。たぶん触ったくらいなんだろうなあ。


で、混んだN4の追い越し車線にハザードをつけたまま放置する3台の車。3人で保険番号や住所の交換をしたものの、ケーサツはやってきません。


確かに物損のみの事故の場合、ケーサツを呼ぶ義務はありません。とはいえ、私の頭の中ではあとでのごたごたを防ぐためには「証人」としてケーサツを呼んでおいた方が賢いと思ったのです。


さあ、ケーサツは来ない。保険は入っているかどうかもわからない。このあと私はどうなるか…はその2に続く。




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2002年09月06日(金) ひでかす洪水のチェコを逝く(その4)

だらだらと続いておりますひでかす旅行記ももはやその4です。...この先どうなりますやら。

ひできすがゆく--プラハ途中まで一人旅(4)--



――プラハ、ここから二人旅。――


 キスシーンを期待していた方、紙面字数制限の関係上、残念ながらカットしました(Snigel謹告:うちはゲテモノ小説の発表の場ではありませんので当然です。)。再開した僕らは、Sが駅の売店で買ってきたというシャンペンで、夜のスッポットライトで美しく映し出されたプラハ城をバック橋の上でに乾杯をした。その時僕らの後方5mくらいの所から僕らは、いきなりライトで照らし出されて、目が慣れてくるとそれがテレビの中継だということが分かった。


15秒くらいの出来事にあっけに取られていると、ライトは消され、テレビ関係者達は一言も言わずに去っていった。ちなみにひできすはマスコミが嫌いです。街中でいきなりテレビに出てくれなんて言われた日には、思いっきり断ります。以前コメントを求められて数分間出演した時、テレビ関係者達は態度横柄、「映してやっているんだ」という態度で、終わるとテレホンカード一枚僕に渡し、「どうだ嬉しいか」という感じ。今回も、カメラに猛然と向かっていって、「やい、誰が映していいと言った?」と怒って然るべきところ。


しかし今回は雰囲気に酔いしれていたのと、中継が洪水関係と分かっていたので、悪質なものではない確信があったから放っておいた。きっと、“避難勧告が出されているプラハのカレル橋でシャンペンを飲む阿呆な観光客”とでも言われているのだろう。しかし一言もなしとは無礼な。ぶつぶつ…。この後はさっさと地下鉄に乗ってホテルに戻りました。


――二日目――


朝ニュースをつけると、プラハはまだ水位が上昇するという。ドイツではドレスデンなどがやばいらしい。ホテルは二泊とったし、1泊でこの美しいプラハを去るのはもったいない。とりあえず出かけようか。


Sが歩いて行ってみたいというので、地下鉄の駅とは逆方向に歩き出した。徒歩10分でもう昨日橋から見ていたプラハ城の反対側の入口に着いてしまった。公園を一回りして城壁の入口をくぐると、城の中庭へ。建物の内部の調度品等には興味が無かったので素通り。先へ進むと教会があり、Sが入りたそうだったけど、今日はDublinで同居人のPに会う予定なのでこれも通りすぎ、一気に反対側の出口へ向かう。


城を出るとそこはがけの上。プラハが一望できる。遠くに見える高層ビルを無視すれば、城下町はまさに中世の世界。しばらくこの美しい景色を堪能した後、坂を下って市街地へ入ってPに電話する。


「いやー、ひできす、久しぶりだねえ。いや実はね、プラハに行く列車が洪水で止まってしまって、会いに行けないんだよ。残念だねえ。」
そりゃ残念だ。ものすごく残念だぞ。Sも残念そうにしながら
「ところで私達は帰れるのかしら…」。
サーッと血の気が引いた。


 「ときにS,君はここに何泊したいんだい?」と聞いてみた。今回僕ら、本当に何も決めてこなかった。1泊って事は無いだろうから、とりあえず2泊ホテルをとっただけ。それも僕が勝手にとった。ただSはこの後ドイツで誕生日パーティーが控えている。20人ほど招待しているので、ばっくれるわけには行かない。


「明日帰るか?」
「そうね、それがいいわね。」
たった今、帰りの日取りが決まりました。


 街は昨日とはうってかわって人通りが少ない。カフェもレストランもほとんど閉まっていて、ボランティアの人達がせっせと土嚢を積み上げて洪水に備えている。「本当にこんなところまで水が来るんだろうか?」と思いながら見物する。腹が減ったので昨日目をつけておいた繁華街のMustekに向かう。ここはデパートなどが並び、地形も少し高めなのか洪水対策も必要無いらしい。店もほとんどが営業している。パスタを昼食にとった後、


「あの橋へ戻って反対側の街を見に行こう」
と言って、昨日の橋の入口へ向かう。


(ガーン)…通行止め。


あれ、Sはいずこに?ああ、いたいた。人垣にまみれて、川の様子をうかがっている。昨日は暗くてよく見えなかったが、対岸の大きなカジノの建物が2階まで埋もれていて(写真)、川の濁流には上流から流れてきたいろんな物が浮き沈みしている。対岸のカジノがかわいそうなくらいに浸水している(写真)。


 川沿いに駅に向かって歩くけど、Sは10歩歩いては立ち止まり濁流を眺める。ひできすにとって実は洪水というのはそんなに珍しいものではない。ひできすは高知県の生まれ。“土佐の高知のはりまや橋で―”のあの高知です。高知は台風銀座と呼ばれており、毎年のように近所の比島川があふれる。その為、うちの周りは道路の側溝が深い。洪水はしかし床下で終わる事が多く、台風が過ぎると少年だった僕はプールのようになった家の前の道の側溝に入って遊んでいたものだ(ばっちいなあ)。


 ともあれ、猫も飛ばされる台風銀座で生まれた僕には10歩進んで立ち止まるSの気が知れない。一度ホテルに戻り夜になったらのみに行こうということになった。ホテル着。二人ともニュースが見たい。CNN“本日の平均株価は…”「ふん、興味無いね」。ZDB(ドイツのNHK)ああやってる、やってる。…と、この時僕らの目には、とんでもない映像が飛び込んできたのだああ。

作者に起こった大事件、明日こそ書きます。気力がある限り。ははは。




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2002年09月05日(木) ひとりごと

仕事でまともな日本語を話そうとすると英語を話すときよりよほど緊張する。まともに日本語が話せない。困ったもんだ。

(↓にまともな(?)日記を更新してます。)




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2002年09月04日(水) 大陸の反対の端から主張する!「東海」が論理的でないと思うわけ

ダブリンでも今週から新学期です。ゆえに大迷惑を被っています。何のことか分からないという方。こういう図式です。


新学期が始まる

子供が学校に行きはじめる

朝の移動人口が爆発的に増える

道路が大渋滞する


ダブリンには、地下鉄も路面電車もありません(路面電車は今更工事中)。つまり、南北に走る郊外の鉄道DART以外はバスのみが公共の交通手段になります。まあ強いて言えばArrowとかいうこれまた郊外の鉄道が走っているようですが、1時間に1本とかそれ以下の運行しかないので使い物になりません。


で、まあ、当然バスも混むのですが、なぜか道路も恐ろしく混みます。これ、推理ですが、たぶんばか親がばか息子・ばか娘を学校まで車で送っているのではないかと思っています。まあ、それにしても通常35分の通勤時間が45分になったのは痛い。


というわけで、実験もかねて今日はいつもより30分早く出社することにし、さらに、いつもと違う道を使うことに。いつもはNorth Circular Road使うところ、今日はPhoenix Park経由にしてみました。


大渋滞


そりゃあもう大渋滞。「譲り合い」とはどこの国の言葉でい!てな感じのマナーの悪い運転でみんないらいらしているのが手に取るようにわかる。結果いつもの道で45分かかるところ今日は65分。しかもストレス2倍。二度と使わんわ。この道。


話はころっと変わりますが、最近韓国あたりが「日本海」 「東海」にしようとしているそうで。ちなみにイギリスが「アイルランド海」「西海」にしようという主張は聞いたことがありません。アイルランドがなければ「アイルランド海」「大西洋」だったように、日本がなければ「日本海」「太平洋」だったわけで。こう考えると「東海」の主張は筋が通っていないのですが。まあ、こんなへ理屈が通るなら日本政府は「東シナ海」「南西日本海」に変えるよう主張すると面白いかもしれませんね。



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2002年09月03日(火) 腐った牛乳にマネージャーに戦々恐々とする

朝の職場。取り合えず朝ご飯代わりにホットチョコレート(ココア)を作ることに。自販機(無料) のパウダーのホットチョコレートをお湯で溶かずにわざわざ台所まで持っていって台所にある巨大な(多分20リットルくらい)牛乳のポットから牛乳を取り出して、それをパウダーのホットチョコレートに入れて賃すること90秒。ほーら、自販機には遠く及ばないおいしいホットチョコレートの出来上がり。


で、それを自分の机に持ち込み、日記の更新を開始(仕事しろよ)。半分くらい飲んだところで、私の同僚のドイツ人がやってきて、


ドイツ:「ねえ、牛乳飲んだ?」
私:「あ?今飲んでるよ。半分くらい飲んだかな」
ドイツ:「それ、腐ってるよ」



何でも彼女いわくにおいがあからさまに腐っており、彼女は飲まずに捨てたそうな。私はホットチョコレートに混ぜたから、その異臭にまったく気がつかなかった次第。


私はいつ「お腹の急降下」が怒るか戦々恐々。子供の頃から牛乳を飲み過ぎるとやばい体質をしている。今回、量は少ないとはいえ腐っているとなると...。が、10分経っても何も起こらない。30分経っても、1時間経っても何も起こらない。そのうちにその問題自体を忘れてしまった。ともあれ、牛乳は腐っているかどうか確かめてからホットチョコレートを作ることにしよう。


その数時間後。突然にマネージャーに個室に呼ばれました。まあ、私、突っ込まれどころにはこと欠きません。仕事上の間違いに私用電話にインターネットの使いすぎにセクハラ(←こらこら)。さあ、どこでどう突っ込まれるのかとこれまた戦々恐々として、個室に向かいました。個室に入るやいなや、


マネージャー:「配置転換!」
私:「はあ?」



ついにコールセンターに辞令か?そうなったら仕事を辞めてやる!…などと思ったのですが、同じ部署内でのちょっとした配置転換でした。で、主任さんと机の位置が変わります。気になることは、私のみがなぜか配置転換の対象。で、それはともかく


その机、社内ではすごく珍しい窓際の机なのよねん。


「窓際族」という概念がアイルランドにはあるのだろうか。うーん。




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2002年09月02日(月) 破壊された電話ボックスとドラッグサーチ

会社の近所はお世辞にもあまりガラのいいエリアとはいえません。はっきり言えばガラの悪いエリアです。とはいえ通勤路なのでそこを避けるわけにもいかず、当然の帰結としてそのガラの悪いエリアでガソリンを入れる羽目になったりします。人がガソリン代を払うのに並んでいるのにその横からガキが割り込んでくるような感じでして。


で、数日前もそこでガソリンを入れていました。で、ガソリンを入れおわっていざ出発しようとすると珍しくケータイが鳴ります。電話の向こうはドイツの友人。国際電話だったので、かけ直すことにしました。何せ国際電話のケータイ向けの発信は高くつきますので。


で、ふと見まわすと、ガソリンスタンドから50メートルくらい行った路上に公衆電話発見。そこまで車で行き(歩けよ)、そこから国際テレカでかけ直すことにしました。


その電話ボックス、行って見るとあるべきガラスがありません。どうやらクソガキに割られてそのままの模様。のみならずボックスの中はアル中がいたのかサイダーのビンが割れて転がっています。キケン。こういう電話ボックスは避けて他に行けばいいのですが、「すぐにかけ直す」といった手前、仕方なくそこからかけ直すことにしました。


外は珍しく快晴。電話はすぐにつながります。


で、話をしながらふと何気なくガソリンスタンドの隣のこれまたガラの悪そうなパブの駐車場を見ると、ケーサツのバンが止まっています。その横には乗用車。何だなんだなんだ?乗用車から降りてきた若い男ふたり車の屋根に両手をつかされているぞ。で、警察官がふたりで後ろから身体検査。


さらに警察官は車の中を徹底的に捜索。トランクのスペアタイヤの収納部まで捜索。その時間所要10分。


そうです。これはまさにドラッグサーチ。ここから先は推理ですが、この二人は約の売人か何かとして当局にマークされているのではないでしょうか。まあ、あまり平和な風景ではなかったです。


で、昨日のラジオでなんだか信じられないことを言っていました。


「…調査したドライバー10人中4人から薬物反応が見つかり、全員から基準を超えるアルコールが検出されました」


聞いていなかったので誰をどう検査したらそういう結果が出たのか分かりませんが、実際のところドラッグやアルコールを使用して運転している人間は帆かの国に比べてはるかに多いそうです。どうか皆様御用心を。




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