なべて世はこともなし
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2002年08月31日(土) ひでかす洪水のチェコを逝く(その3)

おとといのひでかす大先生の日記中、「プラハでは毎日ヒコーキが墜落しているらしい」というくだりがありましたが、その証拠写真です。







ひできすがゆく--プラハ途中まで一人旅(3)--


――プラハの夏…まだ一人旅――


 「決めた」と、二泊分の予約をしてもらいお金を払いました。ここでは全額を払い、手数料も取られない。引換券をもらいホテルに向かうという仕組み。 


 すでに僕はプラハの旅のしやすさを実感し始めていました。市内では割合英語が通じやすいし、通じにくい時でも片言のドイツ語が通じる。交通システムもわかりやすく安いし、人は親切。残念な事に今回ひできすはチェコ語を勉強するひまが無かった。「ありがとう」すら知らないで旅行するのは恥ですね。今度来る時はもっと勉強してこようと強く思いました(ひできすは、この物語の後編で「近いうちにまた来るぞ」と決心する事になる)。


 地下鉄に乗り込み指定された駅に着くと…なあんだ、さっき空港からのバスを乗換えた場所じゃんか。ホテルまでは歩いて3分。すぐわかりました。入り口はロックされていたのでブザーを押そうとするけど、ボタンがずらりと並んでいてその全部にホテルの名前が書いてある。なんだあ、こりゃ?首をかしげながらその一つを押すが、何も起こらない。「ふむ」、片っ端からボタンを押しながら、よく見ると一番端っこに「受付」用のボタンがあるじゃんか。ということは他のボタンは各部屋直通のベル。ああひできすはなんと全ての部屋のベルを鳴らしまくっていたのでした。すまん他の客。


 203号室のカギをもらい部屋に入るとベッドにごろん。落ち着くひととき。大きなベッドを右へ左へごろんごろんとやってみる(普段やる機会が無いから)。窓を明けて「ふう」と外の空気を吸い込む。湿った空気だ。


 シャワーを浴びた後ベッドに寝転んでテレビのスイッチを入れる。ほとんどのチャンネルはチェコ語かドイツ語。おっ、CNNがニュースをやっている。これを見てから出かけよう。


“…至上最悪の洪水となる模様です。すでにある地域では床上浸水しており、(あれま)…これから水位は更に上昇する見込みで(ほう、そりゃ大変ね)…市内には避難勧告が出されました。以上、わたくし何がしがプラハからお送りしました。”


硬直。


…今、プラハって言ったよな。何だこのオチは? もう一度外を見ると、雨は降っているがたいした事は無い。他人事のような外の様子に、僕の頭の中には「?」が並ぶ。現在4時前、待ち合わせまでまだ4時間弱ある。街を散歩してこよう。


 受付氏に洪水について聞くと「この辺は大丈夫らしいよ」。「街は?」…「知らない、えへ」…(うーん、使えん)。同じ地下鉄でさっきの広場に戻る。地下鉄の駅から広場までは旧市街の狭い道が続き、両側に気の利いたカフェや小物屋が並ぶ(途中にSex Machine Museumというのがあったが見ない振りして通りすぎる。通り過ぎたってば、本当に)。先ほどは案内所を目指していたので気づかなかったが、広場には多くのカフェが並び、通りにテントを張って外で飲食が出来るようにしている。テントの中でウェイトレスが機嫌悪そうに箒でテントを内側からつついてたまった水を落としている。突然ざばっと落ちてきた水に驚いて観光客が飛び下がる。広場の中心には有名な時計台があり、上に付いている二つの小窓は時報のたびに何かが起こる事を予想させる。


 雨はさらさら降っている。とりあえずあの有名なカレル橋へ行ってみよう。石畳の旧街道をモルダウ川に向けて進む。雨で道がつるつるすべる。観光客が多い。雨傘の列が橋の方へと続く。5分ほど歩くと道が開け、橋の入口が現れた。橋の付け根の両側に石造りの塔が立っていて、人々が雨宿りをしている。その近くには人だかりができていて、面白そうなのでそこに分け入って見ると、



ありゃ、本当に洪水してるわ。


橋は高いところにあってそのたもとのレストランの入口がもう見えないくらいに水が上がっている。ありゃりゃ、ニュースは本当でした。モルダウ川の流れは速く、茶色に濁っている。このレストランだけが低いところにあるようで、他のほとんどの場所は無事。


 橋の入口を過ぎて対岸へ向けて歩き出す。橋は長くて横幅も広い。話によると橋の上にはお土産屋さんのテントが並び人で賑わうらしいが、今日はいないようです。橋の両側には数メートルおきに彫刻の像が並んでいる。おお、あそこには有名なSt. Krystofの像が、うへぇ、こっちにはあのSt. Vaclavの像が…(注:ひできすは歴史には疎いので、全て見栄です)。橋の反対側は丘になっていて、その丘の上には美しいプラハ城がそびえたっている。橋を渡りきって向こう側に行ってみようと思う。橋から城を眺めながら「美しいなあ」とゆっくり足を進めた。入口にもあった塔がこちら側にもあり、それをくぐると橋はおわり。こちら側の端の袂では人々がせっせと土嚢を積み上げて洪水対策をしている。いいかげん歩き疲れていた。滑りやすい地面で足をかばいながら歩いていたので、足首が痛くなってきたのだ。


 あのカフェに入ろう。ラテン系の曲がかかっていて良い感じのそのカフェの入口近くの席に座り一服する。「’&%#$”!?」とおねえさん、多分絶対「何にいたしますか?」と言っているのだろうと思い顔を上げると、先ほどから登場している例の絶世の美女達の一人がそこに立っていて微笑んでいるでわないかあああ!


「かっ、カプチーノをくださいっっ!(カチチ)」


心拍数2000 / 1秒。はあぁ、「こんにちは」くらい言えばよかった。チェコで通常使われる「こんにちは」は、Ahoi。あの海軍の人が使うあれです。なんか気恥ずかしいじゃないですか「アホイ」なんて(哀)。


 何をやっているんでしょうか、僕は。もうすぐ彼女と会うというのに。外を眺める。雨はもうやんだようだ。道歩く人は傘をさしていない。だされたカプチーノについてきたビスケットをそれに浸してしみこませて食べる。そしてカプチーノをスプーンですくってちびちび飲むのがスタイル。疲れた足を前に放り出して休めながら、人々の会話に耳を傾けるが、「!@<#&$!=%」…無駄な事は止めましょう。


 待ち合わせ10分前に店を出て、橋へ戻る。待ち合わせの場所は…知らん(汗)。始めの予定で僕は「橋で会おう」とだけ言った。しかし行った事のある人は知っているように、橋は広くて長い。それを知っているSは「橋の中心の右側にしよう」といってきた。「雨が降ったらどうするんでい」と思った僕は、「では塔の下にしよう」と言うと、「いや橋の中心」と言い張る。結局どこに決まったんだか二人ともわからずにここまできてしまった。実はひできす、これにはちょっと自信があった。何故かというと、ひできすは背が高い。きっとSを見つけられる自信があった。Sが橋を上ってくる。ひできすが反対側から近づいてくる。シーンはスローモーションになりまわりの音は聞こえなくなる。僕を見つけたSの顔がくしゃくしゃになる。ひできすの白い歯がきらりと光る。そして二人は磁石のように吸い寄せられていく。


 ゴン(ひできすが橋の彫刻に頭をぶつける音)。…漫画の読み過ぎでした。実際はどうなったかと言うと、…橋の反対側に着いちまいました、これが。これは予想した範囲内の事でして、まずSが駅からここへ来るのに手間どう可能性がある。両替に時間がかかる可能性がある。さらに、この雨で列車が遅れる事も有りうる。ここでたばこを一服。そして橋をもと来た方向へ歩き出す。橋の真ん中をゆっくりと、人を見落とさないように雄々歩く。反対側に到着。片道約10分。また一服。
 何度往復しただろうか。不安は無かったけど歩き疲れてきた。もうすぐ9時になる。外が暗くなってきた。あっ、しまった。僕は重大な事を忘れていた事に今気づいた。


 ひできすは鳥目。


Night Blindと言って、夜になると目が利かなくなる。Snigelとドライブする時も、夜は決まって彼の担当。あっちゃあ、こいつは予想してなかった。再び橋を戻るけど、悠々というよりは目を皿のようにして、すれ違う人にガンをとばすようにして見定めながら歩く。洪水なのに人通りはまだ多い。雨もまた降り出した。しかしひできすに他の選択は残されていない。Sの奴、脅かそうと思って、間抜け顔のひできすの後ろをついて来ているんじゃないか?と思って振りかえるが、犬がこちらを見上げているだけで何も起こらない。肩をすくめて再び歩き出すと、「いた!」。人ごみの中でいつもより小さく見えるS(普段がでかいと言う事ではない)が、すでにこちらに気づいていて微笑んでいる。


 こうして僕達は二ヶ月ぶりの再開をしたのでした。

作者の大事件の話、明日あたりに書けるかな...あーあーネタの尽きない生活をしているなあ(素泣)。



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2002年08月29日(木) ひでかす洪水のチェコを逝く(その2)

ひでかす大先生の旅行記、第2段が届きましたのでお届けします。ちなみに私は昨日大事件に遭ってしまいました。このことは状況が落ち着いたらゆっくり書きますね。

ひできすがゆく--プラハ途中まで一人旅(2)--


--プラハ着--

 じゃーん。ついでに、じゃじゃーん。来ました。着きました。プラハ。外は雨。なーに、気にしない。雨はいつかは止む。ダブリンなど西ヨーロッパの空港でEU,NON-EUに分かれている入国審査場は、プラハではVISA,NO-VISAに分かれている。そうだ、日本人はもうビザが要らなくなったんだ。感慨深くNO-VISAのカウンターへ。係員はさも面倒くさそうにパスポートの一番最後のページへスタンプをぺたん。


荷物をピックアップする必要の無いひできすは、しかもダブリンでチェコの通貨(コルナ)を両替してしまっている用意周到なひできすは.....どこへ行くでしょう。タバコ屋です。EU加盟を控えるチェコといっても、物価はとても安い。僕は物価が安いからその国へ行くという旅行はしませんが、しかしうれしいじゃあありませんか。日本では今290円くらいでしょうか。タバコはアイルランドでは600円ほどします。それがプラハではたったの180円てすよ。 


 さくっとマルボロライトを1カートン買い込んだひできすの次の目的地は、何のことはない、同じ店。チューインガムとミネラルウォーターを買いこむと、パス代にちょうどいい小銭がちゃらちゃら帰ってきた。


 さて次は市内へ、とはいかない(ずいぶんひっぱるなあ)。このあとは、空港ビルの外に出てベンチを見つけ,荷物を降ろし,買った煙草をぷかーっとやる。僕がヘビースモーカーなのではなくて、好きなんです、このスタイルが。見知らぬ町の空港や駅に着いて、まず外へ出てぷかーっとやる。すぐに歩き出したりしない。ぷかーっとやりながら周りを眺めているうちに、雰囲気に酔ってくるし周りがもっと見えてくる。人々の習慣が見えてくる。これがいい。Snigelには解らないだろうなあ(彼のエッセイ、世界一周旅行−ニューヨークの頁参照)。


 おっと、Sに電話だ。別に忘れていたわけではありません。着いてすぐクレジットカードで電話しようとしたのにどの電話も僕のカードを読み取ってくれない。だから、小銭が手に入ったら電話しようと思ったのです。ベルリンまでは国際電話。うーん小銭足りるかなあ。ピッポッパッ、げっ、話し中。三度目でやっとSがでると電話機は目がさめたように次から次へとコインを飲み込んでいく。「Sかい?ひできす、今着いた。列車にすぐ乗れ、さあ乗れ。7時半に会おう。」がちゃん。ふう、なんとか小銭間に合った。ちえっ、ほんとは「うん、いまブダペスト。」とか冗談かましたり、もうちょっとロマンチックな会話とかしたかったのに。
 ちなみに,プラハの空港で気がついたこと。この空港では毎日飛行機が墜落するそうです。まあ、この写真をご覧ください。




--プラハの夏--

ベルリンからプラハまではそんなに遠くありません。両都市を結ぶ国際列車の所要時間は約5時間半。待ち合わせまで約7時間ある。外は未だに雨。


 市バスで一番近い地下鉄の駅へ。プラハの交通はとても便がよく,チケットはバス,地下鉄,市電共通で、8コルナ(約30円)が15分(乗り換えなし)、12コルナ(約50円)が1時間(乗り換え可)という仕組み。12コルナのチケットを買おうと売り場に行くと、「釣りはない」と言われた。「近くの店でチューインガムでも買ってくれば?」…もう買ったわい。しょうがない、小銭は電話で使ってしまったのでまた店に戻り,絵葉書を数枚買い小銭をゲット。買ったチケットを持ってバス乗り場に行くと、そこには長蛇の列。


時刻表を見ると次のバスは15分後。迷わず次のにしました。バス停のチケットマシンに寄りかかってタバコを吸って,…ん?チケットマシン?おお、チケットはここで買えたのか。しかもおつりが出る(当たり前)。早く言ってよー。


 雨の中を満員のバスは走り出す。道はよく整備されていて、乗り心地も良い。バスの運ちゃんは彼の英語とスペイン語とドイツ語を駆使して,客とくっちゃべりながら運転している。Dejvicka駅に着くと、チケットは共通なのでそのままプラットホームへ。電車は昼間は5分おきに運行されていて便利。駅4つで市中心部に到着。


 外は…まだ雨。アイルランド在住のひできすは、傘というものを持ち歩く習慣がない。このホムペに初めて来られるあなたは「へえ、アイルランドはいつも天気が良いんだ」と言い、よく来られるあなたは「へ?アイルランドは雨が多いのに何で?」と言い、毎日来られるあなたは「うん、うん、わかる、わかる」と言うでしょう。アイルランドは雨が多いですが、日本のようにどっさり降らない。雨の密度が低いと言えば解り易いでしょうか。傘がなくてもそんなにずぶぬれになったりしないんです。ダブリンで傘をさしている人は少ない。


ところでプラハ、駅を出てちょっと歩き回っただけでもうドザエモン。プラハの夏はドザエモン(おしまい)。


…いえ、終わりません。しょうがない、買いましたよ、傘。傘買って、歩き出した古都プラハ。ひできすが目指すは、旧市街広場にあると教えてもらった観光案内所。しかし地図くらい持ってくるんだった。とっても自信が無いけどこれだと思う道をとると、ビンゴ。多分最短距離でその広場に到着。


 ところで、プラハは美人が多いです。おっ、という絶世の美女をしょっちゅう見かけます。地下鉄の中で、通りで、カフェで、美女に出会います。スタイルも抜群、鼻の下が地面につきそうです。今彼女がここにいたら僕の命は無いでしょう。血筋でしょうか、食べているものが違うんでしょうか、この人達は苦労なくスタイルを保っている感じがします。もう一つ気づいたことは、僕の気のせいかもしれませんが、プラハは男の方が多い気がします。ダブリンはおんなの数人連れが多いのに対し、プラハは男の二人連れが多い。そして犬が多い。だから女性が映えるのでしょうか?なんか解らなくなってきました。


 再び観光案内所。宿泊のコーナーへ行き、ホテルのリストを頼むと、おねえさんが向こうのカウンターへ行けという。向こうのカウンターへ行ってリストをもらうと、値段と場所のチェックをし、めぼしいホテルを見つけ出し、宿泊のコーナーへ戻る。戻るけど、さっきのおねえさんがいない。隣に座っている男に聞くと、ちょっと出ていていないという。トイレかな?


 5分、10分、ふむ、ながいトイレだ。15分。これはただごとではない。トイレで何が起こっているんだ(トイレと決め付けている)。


 20分後、戻ってきたおねえさんに「ご苦労様」とは言わず、「町から近くてきれいなホテル、値段はこの位まで」と頼むと、「便利な場所に☆☆☆ホテルが半額キャンペーンをやってるけどどうですか?」。ははあ、場所は地下鉄で駅4つ。トイレ、バス、衛星放送に朝食付のダブルルームが破格。

「評判が悪かったら打ち切り」と脅したせいか(そう思いたい)ひでかすへの応援のカキコが数件掲示板にありました。ひでかすに成り代わりお礼申し上げます。なお、この連載、私のカンだと、全5回くらいになりそうです。




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2002年08月28日(水) アホな上司はどこにでもいるようで...

北アイルランド出身の私の直属の上司が昨日の夕方にこにこしながらやってきました。私の中で「キケンアラーム」がピコピコ鳴ります。案の定…


「悪いけど、明日とあさってコールセンターねっ」


というわけで本日は再びコールセンター。最近コールセンターに回される頻度が高くなってきた気がする。「どっちにも使える便利要員」の地位を本人はまったく望んでいないのに確実に手に入れようとしている気がする。


今日は最悪でした。電話を待っている人がいつもよりはるかに多い。そんな中お客様のひとりの女性は泣き出す騒ぎになるし。で、なぜ私が忙しいかは、この泣き出したお客様を何とかしてあげようと別室のコールセンターのスーパーバイザーのところに行った時にすべてが分かりました。


上司:「だから!そんなばかなことがあって良いの!私はマネージャーと話したいわ。マネージャーを出してちょうだい!」


何やらおっそろしい剣幕で叫んでます。どうやらコールセンターのマネージャーが私用電話で相手の会社のコールセンターのマネージャーを出せと叫んでいるようです。なんともこっけいな風景。あんた、いつもお客が「マネージャーを出せ」って言うのを嫌っているくせに…。


数分後そのマネージャーがコールセンターの専用室から出てきて、


「あったま来たわ!タバコ吸ってくる!」


と私の前を駆け抜けていきます。…とても話ができる状況でなし。


で、数分後の泣いているお客様の話をしたものの、私の判断はやはり正しく、「できんもんはできん」との冷たいお言葉。詳しく書けないのがなんとももどかしいですが、確かに無理な相談だったのです。とはいえお客様の過失でもないし私としては何とかしてあげたかったのですが、百万円近いお金が動く話で私の力ではなんともできませんでした。


で、数時間後、今度はクレーム電話。どうしたもんかとコールセンターの別室に行くとマネージャー氏、


「だから、そうじゃないって言ってるでしょう!OOOがXXXしたのは私のせいじゃないのよ!」


…おーい、まださっきの私用クレーム電話の続きをしてるよ。あんたが私用クレーム電話をするのは勝手だけど、電話を待っている人がたくさんいることに気がついているのかねえ?このお方は。あんたが電話を取らないだけで私はパニクってるよ。


で、あと1時間で仕事も終わりという段階になってそのマネージャー氏が私のところにやってきて、


「ちょっと。今日は仕事の効率が悪いわよ(=電話の待ち時間が長い)。もっとしっかりやってちょうだい」


…Dilbert(アメリカのマンガ。どの新聞にも掲載されている)のアホ上司をふっと思い浮かべました。こんなアホ上司には付合ってられんと午後4時の退社時間の時点で電話を待っている人がいましたが、私は見なかったことにして早々とコンピュータの電源を切りました。知ったことかい。


で、まあ、嫌なことはいろいろまとめて起こるもので。昨日インターネットで自分の口座の残高を調べたら、会社の給与振り込みが先月に比べて数万円多い。「やったー。日本行きのチケットもこれで何とか償還の目処が立つかもしれない」と思っていたのもつかの間、総務のマネージャーから直メールが来て


「給料過払いあり。至急返金されたし」


ふ…ふざけんな!


というわけで今日は私は飲んできます。明日起きれなくて遅刻しても私の知ったことじゃあないね。




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2002年08月27日(火) ひでかす洪水のチェコを逝く(その1)

本日よりひでかすのチェコ旅行記をお送りします。ひでかす大先生におきましては、会社の隣のパブに行ったり、訳のわからんコンピューターのプログラムの制作に忙しい中、玉稿を賜り感謝をいたしております。ひでかす大先生はただいま続きを鋭意執筆中につき、続きは不定期連載になることをご承知おきください。なお、本文中に自分の名前を「ひできす」と呼ぶなどのあからさまな誤字脱字が見うけられますが、私も人のことは言えないくらい誤字脱字が多いですし、ひでかす大先生の意向を尊重するという意味でもあえて添削はせずにそのまま掲載させていただきます。

ひできすがゆく--プラハ途中まで一人旅--


...違います。何度も言いますが、僕の名前はひでかすではなくて、ひできすです。ちょっと気の利いたかわいい子から、ちょっとこうつまって「ひできっす」なあんて呼ばれちったら、もうなんちゅうか...(でれれ)。
 何の話でしたかね?..そうです、このごろはSnigelに「ひでかすう」とか呼ばれると、「なあにー」なんて返事までしてしまっていたりする。いけません、親しき仲にも礼儀ありです。けじめはつけなければいけません。〔その時階下から〕「おーい、ひでかすう。ビール飲まない?」「うん、飲むう。」...

 わかってますよ、プラハでしょう。行ってきましたよ。何度も延期に延期を重ねたプラハ旅行。会社の同僚の誰に聞いても「あんた、そら一度は行かなあかんでー」と言われるプラハ旅行。うまいことに同居人のチェコ人が帰省中で、「プラハで会おう」なんておいしい話もあるプラハ旅行。今回は延期は絶対はさせまいと、旅行は完全に僕主体で計画されました。と言うことは、つまり旅行は行き当たりばったり。だいたい宿の予約なぞしていくのは僕の性にあわない(めんどうくさいんですね、つまり)。

 お茶の間のみなさんの何人かは知っているひできすは、某航空会社に勤めており、旅行はいつも社員割引のきくスタンバイ(つまり空席待ち、でも安い)。そもそも、旅行が延期に延期を重ねたのは、僕の彼女Sの都合が原因。Sはシュヌーキ(これも仮名)の略。Sは卒論真っ只中で、金も時間もないかわいそうなドイツの学生。今回「足りない分は俺が出す」(日本では当たり前という噂もある)とのたまったはいいが、何せスタンバイの身分、飛行機に乗れる保証が無い。だからSには、「プラハに着いたら電話するから、荷造りだけしといてすぐ列車に飛び乗れるようにしておけ。あの例の橋の上で会おう」なあんてかっこいいことを言って、旅行は始まったのでした。
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--まずは一人旅--

今回は僕とSnigelが共に愛するSAS;スカンジナビア航空でコペンハーゲン経由プラハという旅程。SASが好きな理由はサービスのレベルの高さ、食事のおいしさ、非常にリラックスしていて笑顔を惜しまないデンマーク人の気質、そしてカーストラップ(コペンハーゲン)空港は世界一の空港だと思うからです。

 特にSASの食事の質の高さは、多くの航空会社が財政難で食事の質を落としたり、カットしたりしているなかで、もう意固地になっているとしか言いようの無いほどのもので、まあこの話はおいおいしましょう。

 朝6:30テイクオフという、定期便ではダブリンで一番朝早い(だから滑走路が渋滞しないのがいい)便で飛ぶというと、Snigelが「車で送ったげる」と何と嬉しい事を言ってくれるではありませんか。

 8月12日、月曜日です。いつもぎりぎりまで荷造りが出来ないひでかすは今日も寝不足で、お目目半開き能面状態。5時に起こされてそのまま車に乗り込み、何で自分がここにいるのかよく分かってないような顔をして、しかしとりあえず車を運転しているSnigelと共に朝のダブリン空港へ。このくそ朝早いのに空港はいつもどうり混んでいる。チェックインカウンターで出発の15分前まで待たされて、ゲートに着いたのは出発5分前。いつも僕には...{乗れないかもしれない}...というリスクが付きまとうので空港ではいつもドキドキです。

 ダブリンは今日はいい天気。何かいい事ありそう(うふっ)。飛行機は定刻に出発。西向きに離陸したボーイング(旧ダグラス)MD83は、上空数百メートルに達すると機体を大きく右に傾けてUターン。あとはコペンハーゲンまでほぼ直線コースで東へ。

 そのまま死んだように眠ってしまいたかったけど、何しろ腹が減っている。お待ちかねの朝食はSASにもかかわらず.....シケている。そこでひできすは気がついた。この便はダブリンに着いて一泊し、朝一でコペンハーゲン(ホーム)に戻る便。当然デンマーク発の便のようなすばらしい食材は積んでないのでした(えーん)。腹3分くらいの朝食後、ひできすは完全に夢の中の人。気づいたら着陸のアナウンス。あ、時計の針を1時間進めなければ。...あ、もうやってあった。ひできすは時差のある国へ飛ぶ場合は飛行機に乗ったらすぐ時計を合わせる。なぜかはよく知らないがそうする。ここで気づいた........飛行機が遅れている。へ?なじぇ?

 外を見ると、ダブリンとはうってかわってどんより雲が空を覆っている。天気最悪。ひできす、へなへなへな。そう言えば今までここに来た時は決まっていい天気。雨のコペンハーゲンなど僕の脳みそには受け入れがたい事実なのでした。

 ひえー。なぜ「ひえー」かと言うと、実はこの便の到着予定は9:35で、次のプラハ行きが10:10発。コペンハーゲンの最低乗り継ぎ所要時間はたしか1時間。何度も来たことのあるひできっすは、空港をよく知っているのと、客室用手荷物しか持っていないということもあて、あえてこの不法乗り継ぎを敢行しようとしたのでした。 

 で、ひえーの続きはどうなったかというと、着いてほぼ一番で出てきた僕は、いつもの乗り換えデスクへ。預け荷物がないのはいいものです。航空会社職員のスタンバイ旅行は、乗り換えのたびにいちいち荷物を再チェックインしなければならず、一度入国して荷物を取り、また出国という、もうパスポートのページがいくらあっても足りなくなりそうな事を繰り返さねばならないんです。結局、荷物の無いひできすの乗り換えにかかった時間は、

10分。

ははは、心配無用でした。

 プラハ行きの飛行機はMD83よりちょっと小さいボーイング737。ダブリン―コペンハーゲン間の約半分の1時間のフライト。10:10発という朝食とも昼食とも言いがたいビミョーな時間。なのにSASはやってくれます。始めの便より百倍はおいしいサーモンの食事がどーんと出ました。ここが僕が「SASは意固地になっている」と言う所以です。この時間帯、しかもこの短いフライト、食事なんぞ言ってみれば不要なんです。そう思いませんか? もちろん文句を言っているのではありません。うーん、北欧産のおいしいサーモン。なにかいい事ありそうな...(えへ)。

 ここで機内アナウンス。「えー機長のなにがしです。プラハの天候は雨。東ヨーロッパはひどい天気で、この低気圧はしばらく停滞しそうです。あ、ところでこの飛行機は到着時間が20分ほど遅れます。」...ひできす、へにゃへにゃへにゃ。

私の現在の予定では、明日は私の通常の日記にしようかなと思っていますがまだ未定。この連載、評判が悪かったら打ち切ります(笑)。ちなみにコペンハーゲンの空港は、私は世界一だと信じて疑っておりません。なお、コペンハーゲンの最低乗り継ぎ所要時間は確か国際線間で40分だったような...。




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2002年08月26日(月) アイリッシュの狂暴新人教育係を仰せつかる

先週4日にもわたって日記をおサボりしてしまったわけは、実は私の会社にあります。先先週から数週間前に辞めたイタリア人の代わりにイタリア語の話せるアイリッシュ女性が入社してきたのです。まあこれ自体はいい。問題は彼女の席が私のとなりになったこと。


先週末に北アイルランド出身の上司がにこにこしながらやってきた。彼がにこにこしてやってくるとろくなことがないということは私は経験上知っている。案の定…


「Snigel、悪いんだけど、新人の教育係をやってくれる?」


…あーのーなー。私だってまだ6ヶ月しか働いてないんですけど。それで新人の教育係?おまえ、トレーニングセッションをオーガナイズするのがめんどくさいだけだろ?(あまりカタカナ英語を使いたくないのですがどうしても日本語が浮かばなかった。すいません)そう思った瞬間…


「いやさ、Snigelは本当に優秀だからさ。頼むよひとつ」


承諾。…ブタもおだてりゃ木に登るの典型的な例。この上司も私がおだてに弱いことをすでに掌握している模様。おそるべし。


で、引き受けた彼女のトレーニング、ドイツから帰ってきた火曜日、休みボケが全然直らないうちから始まりました。


私:「んじゃあ、一番基本になるこのデータ入力から始めましょうか。これ、他のセクションの人がやってくれるけど、まあ最初だし、一番簡単な仕事から始めましょう、ほい、まず日付ね。そこにこの日付、七月十日と入れて…」
彼女:「6月10日…」
私:「七月十日だってば…」
彼女:「あはははは、JunとJulって似てるもんね」
私:「あんたネィティブじゃあないの?」
彼女:「そんなことよりさあ、私の彼ったらさあ、OOOでXXXで…」



一時が万事こんな感じ。何度教えても同じとこでつまづくし、まじめに教えようとしてもすぐに世間話を始めるし。まあ、上司もこれに輪をかけて困った人で…


私:「今から1時間会議に行かねばならないんですが、その間彼女、どうしましょう?まだひとりで仕事はできないかと思うんですが」
上司:「んじゃあ、インターネットでもやってもらえば?」



で、週の終わりになって、


上司:「おう、Snigel、新人の彼女はどうだ?使えるだろう?」


…あんたどこ見てそんなこと言ってんだよ?それともアイリッシュの新人ってこの程度なの?


というわけで先週は、彼女につきっきりだったので日記の更新ができなかったわけです。もっとも、これでは土曜日にサボったわけの説明にはならないわけですが。しかも、会社で更新するなよ(今も会社だったりするのだが)。


で、今週になって彼女のトレーニングをしなくていいと喜んでいたのもつかの間、彼女は5分毎に質問に来る。いえいえ、新人なので分からないのは当たり前。聞いてくれるのは大歓迎。でもねえ、お願いだから、同じことばかり何度も聞かないで。


明日はちょっといつもとだいぶ違う日記です。お題は「洪水」。ご期待くださいませ。




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2002年08月25日(日) 女性の腋毛について考える(その2)

あーあーあー、気がつけば4日も日記をサボってしまいました。もし期待されていた奇特な方がいらっしゃったならお詫び致します。いえ別に病気だったわけでもどこかに行っていたわけでもありません。なんとなく他のことが忙しかったんですよね。まあこの話はおいおいのちほど。取り合えず今日はドイツのお話の続きを。


で、無くされた荷物はルフトハンサの職員によってちゃんと翌朝届けられました。土曜日の朝7時に。これを「ドイツ人的まじめな気質」と言うかどうかは意見の分かれるところかと。


で、アイルランド以外の北半球では8月は夏です。暑いです。というわけで、Mausiと私は湖へ湖水浴へ行く。ハノーバー近郊の村のMausiの家から南に速度無制限の高速道路Autobahnを南に走ること小1時間。そこには、それは美しいHarz Mountainという山があります。そこの湖。


駐車場から歩くこと15分。林の中から急に視界が開けたと思うとそこには美しい湖。その脇の芝生の上には日光浴をしている人多数。


うーん、トップレス。


そう、アイルランドでは見ることのできない(もっとも生ハムなど見たくもないが)トップレスの女性もちらほら。


おーおーおー!


と、隣にMausiがいるのに無節操に興奮する私。が、その興奮は…。


ええ、ええ、確かにトップレスの女性はおられました。間違いありません。が、ねえ、下手をしたら私のくらいの年齢や、下手をすると私のくらいの女性のトップレスを見ても何も興奮する要素はないわけで。そう、興奮は幻滅へと変わりました。まあ、世の中そんなもんですよね。


で、このトップレスの人々を見つつ、私はドイツでは暮らせないなあとつくづく思う。だってトップレスのご婦人の隣ではそのダンナと思しき人が着替えをしている。タオルで局部を隠すこともせずに堂々とナマコをぶらぶらさせながら。これって日本のビーチで同じことをしたらそのままケーサツ直行だと思うのだが。このおっさんがナマコをぶらぶらさせていても誰も気に留めるでなし。よく言えばオープンな社会。悪く言えば恥知らずな社会。


で、ドイツ女性。化粧をしないすっぴんの女性が多い他よりはるかに多い気がする。足も腋も剃らない女性も珍しくない。トップレスのご婦人にはたいそうご立派な脛毛が生えているが本人気に留めるご様子もなく。


まあ考えてみるとなぜ女性だけ足や腋を剃らなければいけないか…と言う質問に答えられる人はいるのだろうか。「その方が見栄えがいい」…確かにそのとおり。でもそれは男性も同じはずで。なぜ女性ばかりが痛い思いをして脱毛クリームだなんだを使わねばならないか…という答えにはならないような。


さらに「なぜ女性は足は剃っても腕は剃らないのか」というのも私の素朴な疑問。これに対しては私の友人のフランス人の女の子が非常に単純明快説得力のある答えをくれた。


「だって男の人は足は見ても腕は見ないでしょ」


…そのとおりでございます。はい。


ちなみに湖の水は少し冷たかったものの、泳ぎはじめると快適そのものでした。




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2002年08月20日(火) 女性の脇毛について考える(その1)

SASのダブリン発コペンハーゲン行きは一日3便。第一便は朝の6時30分というスーパー早朝にダブリンを出る。で、今回私が乗ったのはこの朝一便のコペンハーゲン行き。


この日はハイシーズンということもあって早朝にもかかわらずほぼ満席。チェックインカウンターでは


「あいにくお客様のご希望の席は窓際も通路側も空いておりませんで、中央の席になります」


と言われる。文句は言えない。何せチェックインカウンターが閉まる数分前駆け込みでチェックインしているのだから。で、いざ搭乗すると


うわっ!両側に巨漢!


まあ相撲取りのような…とまでは言いませんが、それに近い体の隅々まで栄養の行き届いた中年男性が通路際に、窓際にはそこまでいかないまでもこちたもなかなかの女性が一名。私の席はその間。すかさず私は肘掛けの下をチェック。


肘掛けの下から男性の脂肪がこちらの席にはみ出してきている


人の肉体的特徴をぐだぐだいうのはあまりフェアじゃあないことは分かってます。が、私だって安くない運賃を払っているわけだし、ついでに言うと確かアメリカのどこかの航空会社は肘掛けのしたから肉がはみ出す場合は二席分チャージするんじゃなかったっけ?


私はあたかもその席が自分の席ではないかのように通り過ごし、そのまま一番後ろのギャレイのスッチーさんに泣き付く。するとスッチーさんはご親切にも


「ここならいいわよ」


と別の通路際の席を教えてくれる。なるほど、窓際と通路際にはカップルと思しき男女。中央席の女性は小柄でついでにけっこうかわいい。で、通路側の席は確かに空いている。


でそこに座ったのだが、実はこの席、確かに肘掛けの下からの脂肪攻撃はなかったものの、その代わりに、「いちゃいちゃカップル早朝キス攻撃」に遭ってしまう。どうもこのカップル新婚さんらしく、もうその愛の力はどうにも止まらない。二人で見つめあい、熱いディープキス(推定)をし、…いつまでも止めない。「まあまあ半年もすれば顔もみたくなるから」と言いたいのをじっとこらえ、ようやく着いたコペンハーゲン。実際この二人、食事の時以外はずっとキスしていた(30分くらい私は寝ていたのでその間は定かではないが)。


ようやく着いたコペンハーゲン。入国審査は相変わらずパスポートの表紙を見るだけでやる気なし。どうやら日本のパスポートを持ってさえいれば、犬でも入国できそうな趣。


この日の私の楽しみはコペンハーゲンの街に行くこと。実は乗換えに5時間もあり、そんなに長い時間を空港でつぶすのはもったいないと思い、電車でわずか10分で着く街まで行ってみようと決めたわけ。


駅に行って私は大いに感動してしまった。


「10:05分発Malmö行き」


はいはいはい。これじゃあ何も分からないですね。


Malmöとはコペンハーゲンの対岸にあるスウェーデンの街。そこまで直通列車が走っている。前回来た時にはなかった東京湾アクアラインばりの橋が完成したらしい。私は何度も市内からフェリーでMalmöに行っていただけに、その便利になった状況に感慨もひとしお。


ついとその列車に乗って私の愛するスウェーデンに行ってしまいそうになる誘惑を押さえつつ、私は逆方向の列車でコペンハーゲンへ。考えてみれば、自分の彼女を取るか、愛するスウェーデンを取るかという究極の選択。おもわずスウェーデンを取りそうになる自分が恐い。


ここではガイドブックではないので、詳細は省くけど(詳細のご覧になりたい方はこちらへ。こちらのページは私も大いに参考にして本当に役に立ちました)、中央駅から目抜き通りを歩いていると何時の間にか海まで来てしまっていた。そこで目についたのは、観光バス三台に分乗した日本人観光客の軍団。彼らの行く先には観光客用のボート。時間もあるし、歩くのも面倒だし、というわけで乗りました。ボート。


このボート、物価が高いことでお馴染みの北欧諸国にしては信じられないくらい安いツアー。一時間のツアーでなんと300円程度。なるほど、乗ってみると、ガイドのおねえさんは冗談の一つも言わない脱力系ガイドで、手を伸ばした時にタンクトップの腕の下から見える剃っていない脇毛がそこはかとない脱力感を助長してくれる。


…蛇足ながら作者は足などを剃らない女性でもあまり気になりません。というかドイツやスウェーデンでは私の知る限りでもそらない人は結構いる。慣らされたというのが本当のところか。


閑話休題。ともあれ、この写真がすべてを物語る



日本の観光バスでバスガイドさんが、この脱力やる気なしポーズでガイドしてたら、…たぶん翌日以降の仕事はないでしょう。


この脱力ボートツアーのあと、私は表通りのパブへ。天気のよい外で私の愛するカールズバーグが飲めるとなると、これを飲まずしてコペンハーゲンを去ることは私の人生に大きな遺恨を残すことになる…って、実は、SASをしょっちゅう使ってる以上、来ようと思えばいつでも来れるのだが。


ビールを頼んで私は忘れかけていた事実に気がつかされた。


北欧では酒が高い!


たかがハーフリッターのビールが、700円もするのはいただけない。新宿のアイリッシュパブじゃあないんだから。


で、気持ちよく飲んでいたら自分の彼女ヒコーキのことを忘れかけ、あやうくヒコーキを逃しそうになりつつコペンハーゲン空港に戻る。


で、デハビラントとかいうプロペラ機(日本でも結構お目にかかれるらしいが)ハノーバーに。ヒコーキが70人乗りと小さいので荷物もすぐに届けられる。で、ベルトコンベアに私の荷物がいつまで経っても出てこない。係の人とおぼしきおっさんにドイツ語で、


「これで全部?」


と聞いたら、


「全部」


と言う冷たいお返事。


この一年間で3度目となる記念すべきロストラゲージ!


一年間に3回も荷物を無くされるともう怒る気力もなくなります。わたしももう完全に慣れてますから、荷物がなくなってもいいように、コンタクトレンズの用品などなくなると困るものはしっかり手荷物に入れているし、しかもある程度のものはMausiの家に置きっぱなしにしている(こうしてMausiの家にいることを既成事実化しようとしている…と自己分析)。


というわけで焦りも怒りもせずに、ルフトハンサのカウンターに、荷物の届け先を教えてそのままS-bahn(ドイツ国鉄の近郊列車)に乗り空港を離れ、ハノーバー中央駅へ。そこからKaufhofというドイツのあちこちにある面白味のないデパートに行き、普段は買ったこともないような高級おパンツ(1枚2000円)等を買う。知ったことかい。SASが払ってくれるというんだから(悪質)。

この後のことは翌日の日記に続く。



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2002年08月19日(月) ヨーロッパで最低と認定されたダブリン空港

ドイツ、当たり前といえば当たり前ですが暑かったです。ま、この話は明日からぼちぼちするとしまして。今日は、ちょっとアイルランドの時事ネタから。


こんなメールをアイルランドを最近旅行された読者さんから頂きました。


Aer Lingusは見事に毎日、夕刻の便は1〜2時間遅れているそうですね。朝一番は定刻、昼はちょっと遅れ、遅れが積もりつもって、夜の便はもの凄く遅れる、という感じがしましたが、真相はどうなんでしょう?


これは結論から言うとあたっていると思います。実は数日前の新聞にすごく以外というか、びっくりする記事があったのです。


「ダブリン空港の定時運行率、ヨーロッパの主要28空港のうち最低に」


4−6月の第二四半期、ダブリン空港で15分以上遅れたヒコーキの割合が26%だかで堂々のヨーロッパ最低の記録を作ったんだそうな。私にとって、あまりダブリン空港は遅れるという印象はなかったのですが。で、この記事がまた面白い。 Aer Rianta(空港の運営会社)は航空会社のせいだと言い張り、対するRyanairはAer Riantaのせいだと言い張り、Aer Lingusはイギリスの管制システムが変わったせいだと言い張る。まさに足の引っ張り合い状態。見ていて見苦しい記事でした。


で、話はころっと変わってスーパーでのお話。だいぶ前の日記に書いたと思うのですが、アイルランドでは今年の3月頃から、スーパーでのビニールの買い物袋が有料(一枚15セント)になりました。


スーパーのレジでほら、日本のおばさんがお刺身のパックや野菜なんかを入れる小さなビニール袋をびーっと引っ張りながら持っていく感覚で、アイリッシュは買い物袋を何に使うんだか大量にレジから持っていっていたので、私は果たしてこの有料化がうまくいくか疑問だったのですが、いざふたを開けてみると、なんとレジ袋の利用は90%減少したんだそうな。まさに「効果てきめん」というやつ。ラジオによると、一部の個人商店(ニュースエージェント)では袋を有料で売るのが面倒くさいので、袋が欲しい客には商品が入っていたダンボール箱を渡すそうな。ホントかよ。


最後に、昨夜うちに帰ってきて驚いたこと。


アメックスのカードが届いてました。


8/2の日記に書いたとおり、どうせ何か問題が起こるだろうと、自虐的な期待を抱いていたのですが、いざふたを開けてみると、何のことはない。ちゃんと10営業日でカードは届きました。何が起こるか期待していた私には完全に肩透かし状態。これじゃあ日記のネタにならない。まあ、「こういうこともあるんだよ」ということでいちおう日記に記しておきます。


…ともあれ、明日からはドイツネタ、さらには特別編チェコネタにいたるまで今週はネタがたくさんありますのでよろしくお願いします。




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2002年08月15日(木) アイリッシュ女性ハム軍団の本性を見る

(ささやき声で)おはようございます。ただいまアイルランドは金曜日の午前4時30分でございます。私、本日の6時30分のヒコーキでドイツへ行くのですがなぜか眠れませんで、あまりの退屈さにこうして日記の更新を始めてしまいました。まあ世の中にはヒコーキに寝坊して乗り遅れるすごい人もいるのでこうして二度寝しないよう努力してますが。


昨夜はドッグレーシング(無理に訳せば「競馬」ならぬ「競犬」か)に行ってきました。会社がレクレーションを兼ねて入場料と夕食を出すというので。私、自慢ですが酒もたばこも賭け事も一切やりません。…すいません。ウソついてました。酒は飲みます。


ともあれ、強いて言えば宝くじ(ロト)は買うものの、賭け事をばかにしてます。だって儲からないもん。一番嫌いなものはパチンコで、よくもまああんなタバコ臭くてうるさいところにひねもす入れるものだとある意味感心したりすらします。


かくして、このドッグレーシングに行ったのはさかのぼること6年前。語学留学していたころです。いかんせん日本で競馬場にも行ったことがなかったものですから、興味津々で行ったのですが、小汚い建物に、小汚いオッサン、ついでに負けが込むという最悪の状況でそれから2度と行くことはありませんでした。


で、まあ、今回再び市内にあるドッグレーシングの会場に行ったのですが、…おもしろかったです。今回は、会社が三階にある個室を貸切ってくれ、ワインを片手に料理をつまみつつ観戦(注:車で行った私はワインには手をつけませんでした)。前回は、パドック脇の一番殺風景なところにいたので印象が完全に違いました。


で、会社の女性アイリッシュハム軍団が、


「おらおらー、4−6じゃあー」
「ゴルァー、差さんかーい」



と本性丸出しで叫んでいるのにびびりつつも一生懸命賭けました。…と言っても、給料日前で日本行きのチケットを買って完全にオケラの私ですから、全10レースで賭けた総額は22ユーロ。結局、二回当たって(最初は連勝複式で大きなあたりを狙っていたものの当たらないのでせこく単勝を買い当てた。)13ユーロ帰ってきました。差し引き9ユーロの損ですが、ま、楽しんだだけいいとしましょ。


というわけで今度こそ行ってきます。




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2002年08月14日(水) 近所のカフェに自称日本人が働きはじめる

会社の同僚が私の机に来て言うのだ。


「そこのカフェで日本人の女の子が2人働きはじめたよ」


カフェなんて言うと素晴らしい響きですがその実顧客は近所の建設現場の現場作業員用に建てられたと思われる仮設のプレハブ小屋。中も殺風景のみならず泥だらけ。私は一度行って懲りてそれ以来近寄っていない。いい点を強いてあげれば建設現場の作業員用に昼食を出すから安くてボリュームがあるといったところか。


さらに同僚は続ける。


「この二人は全然英語が話せなくてね。注文を取るのも一苦労と言った趣でねえ」


はあ。まさに半信半疑。本当にあんな場末のカフェで日本人が二人も働いているのだろうか。町中でも日本人が働いているのを見つけるのは大変なのにこんな町外れの建設現場のプレハブカフェに日本人が働いているとは思えない。しかもほとんど英語が話せないというのもうさん臭い。


うん、百聞は一見にしかずと思い、わざと昼食を持参せずに行ってきました。その建設現場カフェに。中は相変わらずどろどろで埃っぽく日本なら保健所の営業許可が取れないに違いない。で、カウンターを見てみると


おーい、タイ人かフィリピン人じゃあないかー。


会社に戻って同僚になぜ彼女らを日本人と思ったか聞いてみた。


同僚:「え?彼女が自分でそう言ってたよ」


注文もろくずっぽ取れずにそう言うくだらない雑談をするという話はちょっと無理があると私は思うのだが、まあたぶんそういう話をしたのだろう。とすると、彼女たちは自分が日本人だとうそをついたということになる。もっとも何の確証もありませんが。まさか彼女たちに問いただすわけにもいかず、真相は薮の中になりそうな雰囲気です。


この話からひとつ言えることは、アイルランド人にとって、日本人も中国人も、あるいは下手をするとタイ人までも見かけはおんなじなんですよね。まあ私だって、アイルランドに住むまで「ガイジンはみんなアメリカ人」と思っていたクチですから何も言えないのですが。


そういえば相当昔にノンフィクション作家吉岡忍さんが書いた「日本人ごっこ」という本を読んだことがあります。内容は記憶にほとんど残っていないのですが、フィリピン人の女の子が「私は日本人よ」と偽って、村の人気者になったとかそんな話だった気がする。それをふっと思い出した。


ダブリンで働いている日本人というのにほとんどお目にかかったことがない。というか私の知る働いている人たちとはコンピュータ関係の仕事だったり、商社にお勤めだったり、航空会社だったりと語弊がある言い方なのは理解しているがいわゆる「ホワイトワーカー」の人たちばかり。カフェで働いていたり、はたまた肉体労働系の仕事に従事している人がもしいらっしゃったら、私はぜひ一度お話を伺ってみたいのですが。


週末はちょいとばかしドイツに行ってきますので、日記は日曜日までお休みさせていただきます。はあ、オチもまとまりもない日記になってしまった。




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2002年08月13日(火) ざけんなくされエアフランス。書いてて本気で再び頭に来たぞ

引っ張りに引っ張ってきたくされエアフランスネタ、いよいよ本日完結です。(というわけで、おととい、さきおとといの日記をまずはお読みくださいませ)


話は去年(2001年)の2月までさかのぼります。Mausi(お約束ながら私の彼女=仮名)とつきあい始めて数ヶ月。二人で仲良く花の都パリへと向かったのです。まあ、2月に花の都もないものですが。


この時ばかりは私のはしゃぎようも半端でありませんで、ホテルと交渉し室料半額で三ツ星ホテルを1週間予約する気合の入れ様(パリの2月と8月はオフシーズンなのでそういう交渉が可能)。で、彼女はハノーバーからルフトハンサで私はダブリンからシティジェット(エアフランス完全出資の子会社)の小さなヒコーキ(BAE146)でパリへ。


恐ろしくマニアックですが(この段落は興味のない方は読み飛ばして可)このシティジェットのBAE146はハイデンシティシートを採用しておりまして、つまり、席が狭い。普通2-3のシート配列のところ無理矢理3-3シートにしており本当に閉塞感で息苦しくなるヒコーキ。


まあそれはいい。何せ私ははしゃいでましたからそんなことは本当は気にならなかった。で、Mausiとのパリでの1週間は恐ろしい金額の金を使い、ハイソで(わざと死語を使ってみました)鼻高々のパリの人間に苛つきつつも本当に楽しかった。ところが、最後の最後でその楽しい旅行が完全に台無しにされたのです。


私はその日午後3時のヒコーキに乗るためにシャルル・ド・ゴール空港へ。空港に着きお約束の巨大な出発のボードを見ると


AF5006 15:25 Dublin Cancelled


ハァ?


チェックインカウンターに行ってみるとダブリン行きのカウンターは長蛇の列。列に並んでしばらくすると、カウンターに居た若い男性職員が大声でひどい英語で


「ダブリン行きのお客様。ヒコーキがキャンセルになりましたので後の便への再予約、およびホテルの手配をしております。少々お待ちください」


と言う。後で分かったのだがこの日、ダブリン空港で嵐が原因で大停電が起こり空港が閉鎖されてしまったのだ。ちなみにこの日閉鎖されたのは世界広しといえどダブリンだけ。


で、待つこと1時間30分。ようやく私の番がやって来た。1時間30分カウンターで待たされるだけでキレるには十分な理由だが、カウンターの冷たそうな女性職員は…


女性:「ダブリン空港が閉鎖されたのでヒコーキが飛びません。明日の午後8時のヒコーキに再予約しました。」
私:「8時?なんで午後8時?ダブリンへは一日4便飛んでるんでしょ?なんでその中でも最終便なの?」



女性職員はうんざりした顔で


女性:「あいにく満席です」
私:「とりあえずホテルは予約してくれるんでしょ?」
女性:「いいえ。このキャンセルは私どもの責任ではないのでホテルは予約致しません。お客様の方で何とかしてください」



この瞬間に私の中で何かがぷちんとキレた。本当に数年、下手したら十年以上ぶりにキレてしまった。


私:「お前ふざけんなよ。じゃあこれは俺の責任って言うのかよ。しかもなんで俺の前の客にはホテルを提供しといて俺には提供しないとか言えるんだよ」


実際私の前の客にはホテルのバウチャー等を渡していたのだ。ゆえに私にもホテルのバウチャーが渡されるものだと信じて疑ってなかった。ところが上のような予想外のことを言われ私はキレてしまった次第。


女性:「私に言われても分かりません。あちらにスーパーバイザーがいますので彼と話してください」


と言い数十メートル離れたカウンターの反対端にいる髭面の中年男性を指差す。


私:「お前なあ、ふざけんのもいい加減にしろよ。なんで1時間30分も待たせた挙げ句、向こうに行けとか言えるんだよ。お前がスーパーバイザーを呼んでくるのが筋だろうが」


女性職員は本当に露骨にうざそうな顔をしてその髭面のスーパーバイザーとやらを呼んできた。


私:「なんで他の客にホテルを提供しといて俺にはしないんだよ」
責任者:「パリに乗り継ぎで来られているお客様にはホテルを提供していますが他の人にはしていません」


これこそ詭弁。乗換え客に泊まるところがないのは認めるがそれは私も同じ。私だって泊まるあてがない。金ももちろんない。


私:「これは俺の責任じゃあないだろ。ホテルを手配するのが筋じゃあないのか?」
責任者:「私たちの責任でもありません」
私:「しかもなんで明日の午後8時なんだよ。それまでいったい何をしてろというんだよ。明日仕事なんだよ」
責任者:「あんた、こんな安いチケットで何を言ってるんだよ



信じていただけるか、本当にこう言われました。この一言に私は客扱いされていないという事実を見ました。おとといの日記で「ビジネス・エコノミー・ど貧民クラス」と書いたのもこういう理由です。そう、彼らにとって多くの金を払ってくれる者のみが客であり、格安航空券の私はまさに貨物以下の存在なわけです。


翌日どうしても仕事に行かねばならなかった私は、ロンドンシティ空港までのリルーティング(行き先変更)を要求しますがこれもダメ(最もロンドンまで行ってもフェリーが欠航していたので結果的には同じでしたが)。相手は「私たちの責任ではない」の一点張り。


確かに嵐はくされエアフランスの責任ではない。これは確かに事実です。が私の責任かといえばそうではないことも事実で。法的には航空会社はホテルを手配する必要はありません。が、実際のところ航空会社はいわば道義的責任でホテルの予約などはするようです。が、そんな「道義」はくされエアフランスにはないらしく、とにかく「知らん」の一点張り。しかも少しでも申し分けなさそうな態度を示せばいいものを、空港職員の対応はまるで私が悪いとでも言わんばかり。


せめて荷物くらい預かってくれるかと思えばそれすら「セキリュティ上の問題」を理由に不可。結局その日は某所の床で寝る羽目に。


で、翌日はなんとか朝の便に乗ろうと朝から空港で待機するも結局乗れたのは午後8時の便。ダブリンについた私は心身ともに疲れ果ててそのままダウンしてしまった。


で、数日後怒った私はエアフランスあてにかなりきつい抗議の手紙を書いたものの、言うまでもなく1年半経った今でも返事は来ていない。数ヶ月後に私はエアフランスのマイレージカードに思い切りハサミを入れて「個人情報等を一切消去し今後一切連絡してこないこと」と書いた手紙と一緒に送り返したことは言うまでもないかと。


実際私がほぼ毎月行くドイツのハノーバーに行くのにいつも一番安い会社はエアフランス。乗り継ぎの便もいい。しかし私はいくらか余計に出してでもブリティッシュミッドランドかSASを使っている。いくらか余計に金を払ってでも人間として扱ってくれる航空会社を使いたくなるのは当然だと思う。実際ロンドンで悪天候で足止めを食らった時、ブリティッシュミッドランドは嫌な顔一つせず高級ホテルを手配し、翌朝一便のヒコーキを手配してくれた。


この私の経験は実際くされエアフランスでひどい目にあった人の中ではさほど驚くには値しないようで。ともあれ私の中ではこれらの経験をして「くされエアフランスは世界最低の航空会社」と確信するに至った。幸い、くされエアフランスは世界のメガアライアンス、ワンワールドやスターアライアンスに参加せず、大韓航空などとスカイチームなる三流アライアンスを組んでいるようなので、勝手にやってくれればいいと思っている。「潰れちまえ」と思っても潰れそうにないからね。


どうか読者の皆様におかれましては選択の余地がある限り、どうぞくされエアフランスには乗らない方がいいよと衷心より助言させていただきます。




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2002年08月12日(月) プラハで洪水。あれ?あいつはどうなった?

会社で朝日新聞のサイトをチェックしていて私は、フロア中に聞こえるような大声で「うわっ」と言ってしまった。というのもチェコがすんごいことになってます。(まあ面倒くさがらずに上のリンクから記事を読んで見てください。以下冗談めかして書いてますが、状況は結構深刻なようです。)


首都プラハでは5万人が避難。


モルダウ川が1890年以来の高い水位に達し、観光名所のカレル橋が通行禁止に



それがどうしたって。どうもこうもしたんですよ。


ひでかすはただいまプラハを彼女と旅行中。


...日ごろの行いが悪いということは時として本当に恐ろしいことです。合掌。私が常日頃行きたいと思っていたプラハに彼女と抜け駆けして行こうとするから見事にバチがあたったんだ。さまーみろ。けっけっけっ(←あくまで冗談です)


なんて思っていると実は私も今週末ドイツに行くんですよね。上の記事によるとドイツにも被害が及んでいるらしい。まあ私の日ごろの行いはひでかすよりはるかにいいので問題ないとは思いますが。


ところで数日前の日記「ラッセンはクジラじゃなくてイルカでしょ!」という非常にごもっともなツッコミをメールで頂きました。だーかーら、私にゲージツを理解する心なんてないんだってばー。もっともそれ以前の問題のような気もしますが。確かにあれはイルカですね。はい。突っ込んでくださった方、この場を借りてお礼申し上げます。


くされエアフランスの続きは半日以内に更新します。少々お待ちを。




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2002年08月11日(日) 「たとえタダでも二度とエアフランスには乗らない!」そう断言できる理由とは?

www.e-bookers.comや、www.opodo.comなど、ネット上の旅行代理店のサイトに行き、各所への運賃を比較してみると、必ずといっていいほどくされエアフランスは安さの上位に顔を出します。最近英国航空なども低価格路線に走っているようですが、くされエアフランスはそれ以前から一国を代表する航空会社としては低価格を武器に顧客を集めていたと思います。


で、私が初めてエアフランスを利用したのはアイルランドで就職する前。つまり今よりも輪をかけてビンボーだった訳で。となると「何でもいいから一番安い航空会社」というわけで、エアフランスを利用する羽目になったのです。


初めての旅はミラノ(リナーテ)からパリ経由ストックホルムでした。これがまた最悪のフライトでして。とにかく悪天候だか気流が悪かったのだか知りませんが、


ガタガタガタガタ


落ちなかったのが不思議なくらいの上下左右揺れっぱなしの最悪のフライト。エアホステスが何かフランス語でアナウンスをしているかと思いきや実は英語だったり(理解不能)。私はちょっと死を予感した。


初めて行ったパリのシャルル・ド・ゴール空港はそりゃあもう遠くからの見栄えだけにこだわったターミナルの作りで中は複雑怪奇で意味不明。意味もなく長い通路を歩かされてようやく外に出たと思いきや、今度は別のターミナルまで月ほども遠い距離を歩かせる。世界のハブ空港としては私はロンドンヒースロー以下の最低空港と信じて違わない。以上、細かく書く気力がないのでダイジェストでお届けしましたが、行った人なら分かってくれる。シャルル・ド・ゴールは最悪空港。


で、まあ、これくらいなら私もここまで文句は言いません。


次に乗ったのが、今度はミラノ(リナーテ)からパリ経由ハノーバーまで。この頃になると私は旅慣れてきて、自分のお気に入りの席などもありそれをミラノリナーテ空港でリクエストしてみました。すると笑ったことのなさそうな能面顔の受け付けのおねえさんは一言冷たく


「ない」


で、いざ搭乗しようとすると


「あ、お客様はこちらからどうぞ」


と飛行機の最前部の入り口ではなく、最後部の入り口を指差される。最後部の入り口から乗ると前方はすかすか、なのに最後部の方は隙間無くお客が詰め込まれている。


この理由は離陸後すぐに分かった。ミラノ−パリという近距離のフライトにもかかわらず、わざわざキャビンをビジネス、エコノミーという分けかたではなく、ビジネス、エコノミー、ど貧民クラスと3クラスに分けていたのだ。言うまでもなく私は隙間なく詰め込まれたど貧民クラスのリクライニングすらできないさらに一番後ろの席。ど貧民クラスは入り口すら隔離する徹底した差別ぶり


で、私を究極に怒らせたのが朝食。ビジネスおよびエコノミークラスにはスクランブルエッグを初めおいしそうな朝食がトレーに載せられて出されたにもかかわらず、ど貧民クラスには冷めた小さなクロワッサンが「ほれ食え」と言わんばかりに私の鼻先に持ってこられてそれでおしまい(実際、エアホステスは何も言わずにクロワッサンの入ったカゴを私の前に突き出した)。そう、食べ物の恨みは恐ろしい。究極に空腹で機内食に大きな期待を描いていた私にとってこの絶望感は忘れ得ぬものになった。


ちなみに、私が希望した席はちゃんと空いていた。が、そこは「ど貧民クラス」用ではなく「エコノミークラス」用だったので、にべもなく「ない」と言われたということもわかる。


で、繰り返すけどまあこれくらいの経験なら私だってここまで文句は言わない。そりゃ、より高い金を払っている人を厚遇するのはある意味理にかなっている。貧乏人のひがみといわれればそれまで。が、次のエアフランスでのフライトをして私に


「ただでもエアフランスには2度と乗らん!」


と言わしめるまでになったのです。その経験とは…次回に続く。


ちなみに。上に書いたのはミラノ−パリ間のお話。パリ−ハノーバー間は結構快適な旅でした。理由は簡単で、その区間は共同運航のEurowingsというドイツの航空会社によって運行されていたから。




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2002年08月10日(土) エアフランスがいかにひどい会社かの話をするつもりが...

この日記に何度となく「エアフランスは大嫌い」と書き続けてきました。本当です。私はこの会社をRyanairよりはるかはるか下のの世界最低の航空会社のひとつと信じて疑っていません。


Ryanairの問題点はIATAという航空会社の連盟に加入していないこと。それゆえに、例えば旅行代理店では予約できないし、自分の都合が悪くなったりあるいは航空会社の事情により他社に振り替えたりということができない。さらにヒコーキが飛ばないとか何かしら問題が起きたときにRyanairはお客の面倒を見ない。が、安い。とにかく「安い」というのを印篭にして顧客の絶大な支持を取り付けて年々再々時々刻々増収増益増便輸送力拡大路線拡充新造航空機多数購入と中国語のようになってしまったがとにかく破竹の勢いで拡大を続けている。私はいつこのバブルが弾けるか楽しみでならないのだが。


Ryanairをとりまく悪口はあとが絶えない。例えばこんな話。Ryanairで予約をすると「航空券の返金はできません」と免責事項の中に確かに書いてある。で、Aさんは都合により予約した日に飛べなかったんだそうな。で、フツーの人はここで諦めるのだがAさんは違った。「税金はかえってくるはずだ」



上にまったくの参考としてちょっとRyanairとはまったく関係のないチケットをアップロードしてみました。ちなみにRyanairはIATAに加盟していないのでこんな立派なチケットは使っていませんが。


左下に運賃および各種税金が明記されています(ただし運賃は格安航空券の場合書かれていないことも多いらしい)。これによると運賃314ユーロと各種税金合わせて36.95ユーロ合わせて350.95ユーロがこの航空券の運賃ということになります。つまりこの場合、確かに運賃の314ユーロは諦めるにせよ、飛ばなかった以上航空会社が払う義務の生じない税金36.95ユーロに関しては返金されてもいいではないか!というのがAさんの理論。


Aさんの買ったチケットは特に格安のもので、運賃よりも税金の方が高いという部類のものだったらしい。というわけで、運賃は諦めるにしても結構な金額の税金は帰ってくるはずだ!と思い、Ryanairに電話。すると露骨にうざそうな声で


「電話では受け付けませんので手紙に書いてください」


とのこと。で、Aさんは労を厭わずRyanairに手紙を書く。数週間後Aさんの元にRyanairから一枚の手紙が届いた。そこには


税金XXユーロにつきご返金しますので同封の小切手をご査収ください。ただし、返金手数料を頂戴します。

とあり同封の小切手は1.2ユーロ(130円)だった。税金の返金を思いつくAさんもなかなかのものだが、Ryanairはさらにその上を行っていた…というお話でした。


話はこれでは飽き足らず、Ryanairのフライトが何らかの理由でキャンセルになった場合、Ryanairはまったく顧客の面倒を見ない。空港のロビーで一泊する羽目になった人に、水1杯の差し入れをするわけでなし。「うちは安いんだからそういうことで文句を言うなら他の航空会社で飛んでください」というのがRyanairの論理。ひところIrish Independentあたりで空港で一泊する羽目になった顧客の愚痴が載っていたが、そんな愚痴よりも格安運賃は多くの人に魅力的のようで、最初に書いた通りそれでもRyanairは今日も絶好調。


さっきから「格安格安」と書き続けているけど、実はRyanairは格安ではなかったりする。確かに「目玉商品」として、「ロンドンまで片道1ユーロ」なんてのをオフシーズンにやっている(注:それでも税金等を入れると最低でも片道15ユーロにはなる)。


日本でもどこかの量販店で「パソコン一台30000円。先着3名様限り」なんてチラシを打っている店に行ってみると3万円のパソコンは単なる「客寄せのエサ」で、行ってみると実は全然安くなかったりする。Ryanairも同じで、例えば週末にロンドンに行こうとすると、実はAer Lingusと運賃は変わらない、下手をするとそれより高かったりする。つまりどこぞのコジマと同じで「安いという印象づけがうまい会社」ということもできる。


うーむ、私はなぜエアフランスが嫌いかの話をするつもりだったのだが何時の間にかRyanairの話になってしまった。「こんなRyanairより輪をかけてさらにひどいエアフランスとはどんな会社か」という話は後半に続く。



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2002年08月08日(木) そりゃお世辞だとは分かっていますよ...

「Snigelはかっこいいね」


とフランス人の女の子に言われて一日気分が良かったです。


えーえーえー、お世辞だと分かってますよ。そりゃあもう疑う余地なくお世辞です。でもねえお世辞でもウソでもそういうことを言われると嬉しいもので。


だいたい子供のころから非モテ系で、バレンタインのチョコレートをもらったことすらない。そんな暗い人生を送ってきたんだから、一度くらいかわいいフランス人の女の子から「かっこいい」と言われたって罰はあたらないでしょ?ね?ねっ?


でも帰宅前にこのいい気分は見事に壊されてしまいました。突如スーパーバイザーがにこにこしながらやってきた。嫌な予感がする。案の定…


「Snigel、どーしても人が足りないの。明日一日だけまたコールセンターに行って」


やだ。…とはっきり言ったのですが


「そんなこと言わないでー。前回やってくれたときも評判良かったし。本当によくやってくれたし。お・ね・が・い」


…そこまで言うのならと、けっきょく押し切られたものの、はっと気がついた。


評判が良かったって、どうしてわかるねん。


だってお客様はクレームを言うことはあっても誰かが良かったということはまず言わない。しかもあんた私がコールセンターをやってた週はどこかスペインだかに行ってたでしょう。


またハメられた。Snigelはお世辞に弱い。困ったアホタレだと自分で思う。


お世辞に弱いで思い出したけど、かなり昔の話ですが、ラッセンの絵を売りつけられかけたことがあります。


クリスチャン・ラッセン。ほら、クジラだの何だのの版画を書く人。よく「ラッセン展」とかいってチラシが入ってたりしませんか?あれ。私が大学生のころ結構好きだったのでそういうチラシが入るたびに行っていた。


で、ある日、八王子の某所でまた展覧会をやっていた。で、そこで熱心に絵を見ているとおねえさんがやってきて、


「熱心にご覧になってますね。芸術に造詣が深くてらっしゃるんですね」


という見え透いたお世辞から始まって、お世辞のオンパレード。いつの間にか別室に連行され、あと少しでいくらだっけ、60万だかする絵を売りつけられるとこでした。むろん最後に断りましたが(なんで小汚いアパートにそんなすごい絵を飾らねばならんねん)。あれも私がお世辞に弱い証拠のような。だいたい私はドラえもんすら描けないのに芸術に造詣もクソもあったもんじゃあない。お世辞とは分かっていても…。全く進歩のない人間だと自分で思います。




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2002年08月07日(水) 今年初めて泳ぎに行く

今年初めて泳いできました。…と言ってもアイルランドの海で泳ぐほど私の心臓は強くないので、当然ジムの温水プールでの話ですが。


先週の週末、実はアイルランドは天気が良かった。あまりお目にかかることのできない「太陽」とかいうものが空に輝いており、気温も25度近くまで上がった。そんなわけでうちの住人のひとりが海水浴に行ったらしいのだが、


凍え死ぬかと思った


とのこと。Portmarnockを通りかかったときにたくさんの人が泳いでいたけど…寒かったんだろうな。


翻って私のジムでのお話。数日前にようやくオープンしたプール。鳴り物入りで登場したにも拘らず、その実20メートルの長さで4レーンあるだけ。物足りない…というかあっという間に反対側に着いてしまう。ついでにおもいっきり浅い。


良かったことは、ほとんど人がいなかったこと。プールにはたった4-5人の人が泳いでいただけ。ひとりくらい目の保養になる美しいおねえさんが間違って紛れていても良さそうなものだったが、胸まで毛むくじゃらの臭そうな男ばかり。まあ雑念なく泳ぐことに専念できましたが。


月に50ユーロ以上払うジムはある意味贅沢なお金の使い方だと思います。そりゃ日本円にすればたかが6000円程度ですが、アイルランドでは(…というか私にとっては)立派な大金です。


そんなことを考えながら車を運転していると、ラジオでこんなことを言っていた。


アイルランドはEU諸国の中でもっとも貧富の差の激しい国である。所得の最も高い10%の人は、所得の最も低い10%の人の11倍もの所得がある。


なんとなく肯ける話。ダブリンを隅から隅まで見渡すと、壁は落書きだらけ、周りはゴミだらけのアパートに住んでいる人がいるかと思うと、緑輝く大きな庭を持った豪邸に住む人もいる。確かに、日本でも貧富の差はあるけど、アイルランドでは日本のそれよりももっとあからさまな差がある気がする。ある一定の線からまったく下がらない失業率といい、ダブリンのシティセンターだけで数百人とも言われるホームレスの横を高級車が駆け抜けてゆく様子といい、そのラジオの話がまんざら嘘でないことを教えてくれる。


で、ラジオといえば、ラッシュ時15分おきにやっている交通情報。どうしても私には理解できない一節がある。


「XX交差点で信号機が作動しておらず渋滞しています」


これがたまにというならまだしもいつもどこかの信号が作動しておらず渋滞の原因になっている。私も何度か一番交通量の多いO’Connell Bridgeの信号がダウンして、しかも警察官の誘導すらなかったというすごい状況を数度見た。まさに「早いもん勝ち」の状況で危ないったらありゃしない。ああ、なんちゅう国に住んでいるんだろう。私は。




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2002年08月06日(火) 日本までの航空券を買う

今日の産経新聞の記事によると、男性のお財布の中に入っている現金の平均は18,600円だそうな。


そこで私の財布を調べてみた。


27ユーロ63セント


本日の為替レートによると3,233円


つまり私は平均的な日本人男性の1/5以下のお金しかお財布の中に入っていないのね。うーん、今日なんか比較的入ってる方なのに…。


またつげ義春のごときお金に関する愚痴が始まるわけですが、昨日、秋に日本に行くためのチケットなんぞを買いました。某評判のいい航空会社で成田まで往復800ユーロ。自分では「うん、いい買い物をしたなあ」と満足していたのに、うちに帰ってくると、うちの住人三人から


「高い」


と総攻撃を食らってしまった。


うちには私を含めて現在4人の住人が居るのだが、その3人といえば…


某アメリカ系航空会社勤務
某ドイツ系航空会社勤務
某ブラジル系航空会社勤務



…おい、私を除く全員が航空会社勤務じゃあないか!


航空会社勤務というのはある意味うらやましい人たちです。何せ、ヒコーキに安く乗れる。基本的に「スタンバイ」つまり、空席があったときに限ってものすごく魅力的な安い値段でヒコーキに乗れるわけです。


ところがこのスタンバイ。当たり前といえば当たり前ですが、お客さんでヒコーキが埋まっているときは乗れません。お客さん優先ですから。というわけで、今時期の旅行シーズンは、良く計画を立てないとどこかの空港でヒコーキに乗れないまま数日無意味に過ごす…という事態もありえるわけです。


で、あまりに混んでいる場合はスッチーさんが使っている「ジャンプシート」(補助椅子)で旅行するときもあるそうです。ただしこれはキャプテンが同意した場合。つまり、キャプテンが意地悪、あるいは杓子定規にしか物事を捉えられない人であれば、「ジャンプシートには人は乗せれないよ」と言うことにも当然なるわけです。



で、うちの住人のひとり。ヨーロッパの某国に行ってその帰りダブリンに帰ってくるのに、ヒコーキは完全に満席だったそうな。とても乗れない。「ジャンプシート」もほかの関係者が取ってしまっている。で、どうなったと思います?信じられない場所(訳あって、どこかは書けませんが、まあ、「9.11のあとで一番近寄れない場所」を考えるとだいたい想像がつくかと…)に乗って帰ってきたそうな。うらやましい話です。


で、この話は始めるときりがないのですが、こんな話も聞きました。


とある人がやはりスタンバイでヒコーキに乗ろうとしたところ、ヒコーキは完全に満席。ところが土壇場になんとかたった1席空席が出て、彼女は要約ヒコーキに乗り込んだんだそな。


で、席に座り一息つくと、アナウンスで


「XXさーん、客室乗務員までご連絡ください」


で、彼女がスッチーさんに言われたこと。


「ヒコーキが離陸重量を超えるから降りて」


信じていただけるかどうか。あの馬鹿でかいヒコーキに彼女の50キロあるかないかの小さな体はまったく影響がなさそうだが実はそれは大間違いで、たった50キロ制限重量を超過しているばかりに、席が空いているにも拘らず、彼女は搭乗を拒否されてしまったそうな。こういうふうに考えると、よく「荷物は20キロまで」のところ30キロの荷物を持っていって「これくらいいいじゃない」と言っている人を見かけますが、そう話は単純じゃあないんですね。あ、30キロの荷物を持って涼しい顔をしているのは私でした。

ところで。どうやって800ユーロを払おうか。払えるあてがない。




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2002年08月05日(月) ヤギの死体と機関銃

昨日の朝、日記を書いた後なんとなく出かけました。で、気がつくと国境を越えて北アイルランドにいました。


北アイルランド。最近再びIRAだなんだで騒々しいですが、観光客として訪れるぶんには何の問題もないと断言できます。よほど問題ある地域の真ん中で馬鹿面して写真でも撮っていない限り。


で、天気も良かったので北アイルランドの某国道を気分良く100キロくらいのスピード(合法)で前の車について走っていました。すると突如前の車がなんでもないところでスピードを落とします。見ると


ひえええええ迷彩服を着た兵士三人が私に銃(それも機関銃)を向けているー。


まあこんなことがあればフツーの観光客はびびりますわな。私の車はダブリンナンバー(つまり共和国側のナンバー)だったにも拘らず、止められることも無くそのまま徐行して通過いたしました。銃を向けた兵士があごで「行ってよし」と言うものですから。


良かったー。パスポート持ってなかったんだよなー。


私、北アイルランドに行くのにはパスポートを持ってきません。なんてったって、国境は…



と、まあ普通の人には分からないような感じですから(写真はお気づきの通り表紙の使いまわし)。この写真を撮るのにわざわざ私はUターンしたんですよ。何せ気がついたら国境を越えてましたから。


で、実はこれを撮ったのは今日ではなく2週間前のお話。この時はひでかすと男ふたりで悲しくDerryに行ったのです。この時はこの時でDerryの町中でふと気がつくと装甲車の後ろを走る羽目になりまして。この時も装甲車の上に乗っかった兵士が私に銃を向けてました(さすがに写真を撮ってる余裕はなかった)。大丈夫。北アイルランドは平和ですばらしいところです…と言っても何の説得力もないなあ。


この日はそれ以外にもとんでもない事態がありまして。北アイルランドに入るなりにこれまた前の車に続いて緩い下り坂を走ってました。するといきなり目の前の路面に


ヤギの死体


いやー、びびりました。言い方は悪いが、犬や猫、ついでにウサギや鳥の死体は珍しくないし、最悪踏んでしまっても気分は悪いものの安全上では問題はないはず。が、さすがにヤギは踏んだらまずいでしょう。いかに先駆者がノシイカにしていても。それにしてもでかかった。私には牛の死体にみえましたから(私は未だに牛だと思っているのだが、助手席のひでかすがヤギだというし確かに牛にしては小さかったのできっとヤギなんだろう)。


で、このヤギの死体を100キロ近いスピードを出しつつ対向車線側になんとかよけた瞬間そこには


犬の死体!


これは本気で踏みかけました。だって、ヤギをよけて「うわっ」とか思いつつ、未だに車体が不安定な状態の中でまさにフェイントをかけて犬の死体が私のよけた先に転がっているんですよ。あれを踏まなかったのは奇跡です。

結論。北アイルランドの道には危険がいっぱい。

作者謹告:最初、何を勘違いしたか「ヤギ」を「ロバ」と書いてました。ついでに数時間それでアップロードしてました。どっちも似たようなもん...とは言えないか...。失礼しました。



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2002年08月04日(日) 夏の終わり...って夏なんかなかったやんけ?

おはようございます。ただいま日曜日の朝11時でございます。先ほどから家の電話を鳴らし続けているアホタレさんがいらっしゃるようですが、私は完全に意地になっておりますので絶対に電話に出ませんのであしからず。


前にも書いた通り私は電話が大嫌いです。ただしケータイは持ってます。なぜかというとケータイには相手先の電話番号が表示されるから。むろんアイルランドの家の電話も最新のに買い替えれば相手先の番号は表示されますがそんなものに無駄金を使うつもりはありません。


で、ケータイ、必ずとはいいませんが驚いたことに、日本からの国際電話でも番号が表示されることがあります。初めて日本の番号が表示されたとき私はかなり驚きましたが。まあ、「もしもしー」と出た私に相手はもっと驚いてましたが。


それにしても寒い。寒いったら寒い。アイリッシュおよびアイルランドに長く住んでいる人間の総意の意見として、「今年のアイルランドの夏は最悪の夏」です。夜になるとうちの寒がりの住人はこっそりヒーターをつけるし(…それをこっそり消すケチな私)。


昨日SwordにあるThe Pavilionsという新しいショッピングセンターに行ってきました。N1はひところの茅ヶ崎および神奈川県名物だった「ダイクマ渋滞」を思わせる大渋滞。大渋滞の果てにようやくショッピングセンターの中に入ったのですが、私は唖然としました。


「ブランドサングラス。処分特価」


処分特価…ってえええ?夏はもう終わったのー?


こんな夏を毎年過ごしているので私はもはや日本の夏には耐え切れないことは分かっています。数年前、9月に日本に帰ったことがあります。あの、飛行機から1歩出た瞬間、飛行機と空港のブリッジの境目で感じた


むわっ


という、湿気と熱気。かなり本気でアイルランドに戻りたくなりました。暑い夏を日本でお過ごしの皆様。来年の夏はアイルランドなどいかがでしょう。避暑には最適ですよ。…ちょっと寒いけど。


PS またメールのお返事遅れてます。あと数日お待ちくださいませ。




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2002年08月01日(木) 再検証!くされBank of Irelandのカスタマーサービスレベル

以前、「買うぞ車!渡しに船のローンに隠されたアホタレアイルランドの銀行の罠とは?」というくそ長いタイトルのエッセイを書いたのをご記憶でしょうか(ご覧になっていない方は今日の日記を理解していただくためにもぜひこちらからお読みください)。


話を無味乾燥な3行程度の短い文にまとめると、「突然車のローンのお金を貸します」という手紙がBank of Irelandから来て、私が乗り気になって申し込むと、「やっぱり貸さない」とほざき、私が抗議の粘質な手紙を書くと、「やっぱり10,000ユーロ貸します」とのたまったという事件。この事件を境に私のBank of Irelandへの信用度は地に落ちた。実際この事件まではこの日記上でもBank of Irelandはそれほど悪くないと何度か書いていたのだが。


で、何でこんな話を始めたかというと、私の元に前回同様、またYou've Been Approvedで始まる手紙が来たのです。


You've Been Approved

Dr Mr Snigel,

I am delighted to inform you that your account has been pre-approved for the Blue American Express Credit card, in addition to your existing Bank of Ireland Credit Card.



来ました。前回とまったく同じパターンです。前回もこんな感じでお金貸します…って手紙が突然来たんだよな。


で、年利が低いとかアメリカ旅行があたるとかぐだぐだ書いた結びに…


We will wend your new Blue American Express Credit Card to you without delay and enter you into the above competition.

とまで書いてある。すぐに送ります」



そこまでいつなら申し込んでやろうじゃあないか!


というわけで、本日8/1に申込書を送ります。消印は8/2。いつカードが来るか、はたまたいつへ理屈をこねはじめるかとっても楽しみです。まあ、アメックスはアメックスでもブルーカードだから多分大丈夫だとは思うのですが。


というわけで今後の展開にご期待ください。


実はこの話を始めると、もうひとつどうしようもない話がありまして。私、前の会社で年金の積み立てをしておりました。…と言ってもスズメの涙ほどの金額ですが。


で、前の会社を辞めたので、この年金を現在の会社の口座に振替すべく、私の年金を扱っている会社に連絡いたしました。3月の終わりのお話。その後、何度も何度も連絡して、ようやく、振替のフォームが届いたのが今週。前の会社を辞めてはや5ヶ月。スズメの涙ほどの年金ながらどうしてここまで苦労しなけりゃならんのか…。


「アイルランドはリラックスした国」という説、ある意味ホントかもしれませんが、ただねえ、相手だけがリラックスしてるとこっちが疲れるのよねん。はあぁ。




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