2008年05月31日(土) |
そんなわけで始めました…日記のはなしver.5 |
別に“日記のはなしシリーズ”は前振りではなかったのですが、 やっぱりやりたいな、と思って ブログを始めてみました。
こちらの*黎明ノォト*と特に何も変わっていません。 毎度、ネタを自分の前に転がしては、 「どちらに向いてるかな?」と思いつつ 書いていくつもりです。
うーん、画像のアップが簡単なのがブログの強みですね。 (エンピツさんはタグを打たねばならない)
こちらと同じく、垂れ流しの予定…
ちらとご興味のある方は、 たまに覗いてくださいね。 (欄外に常にリンクを張っておきます)
*黄昏ノォト*です。 主に、気侭な生活そのものについて。
2008年05月14日(水) |
リレー小説…日記のはなしver.4 |
交換日記、で不意に思い出した。 高校時代になぜか唐突に 友人とリレー小説を始めたこと。 リレー小説は日記ではないけれど。
なぜそんな展開になったのかは思い出せない。 3人で始めたそれは、唐突に始まったと同時に、 二作目に入ったときに唐突に終わった。 たぶん、私が悪かったんだろうと思う。
そう、思い当たる節がある。
それは別に良い。 自然消滅みたいで、それなりにきれいな終わり方だったと 私は思っているから。
手元に残っていない。 だからきれいだったと思い違いをしているだけかも知れないが。
* * *
今でもわたしは長いお話を書き終わらせたことがない。 理由は、この歳になってやっと、徐々に判ってきた。 もともと向いていないな、ということも。
そんなの、日記を見ていれば 薄々ながらも解ることだったのに。
2008年05月11日(日) |
文化衝撃…日記のはなしver.3 |
小学生のときに「長文あのね帳」の裏技を開発した私は、 そこでやっと文語と口語の違いに気づいたものです。
書いても書いても、読みやすい言葉にならない。 読んでも書いても違和感が拭えない。 こんな言い回しは本を読んでいても出てこないとか、 丁寧語や尊敬語と普段使っている口語との違いに 初めて気づいて、私は本を書くような文体で 日記を書くようにとつとめはじめました。
つまり、地方在住で地方語を使う私が 所謂「標準語」で書くということ。
そうね、口語と文語というよりも 地方語でなく標準語で書くという癖。
* * *
さて、そんなふうになってしばし。 中学生になって、交換日記をはじめたときに カルチャーショックとして私を襲ったわけです。 つまり、周囲の友人は「口語で文章を書く」ということができた。 私はそれがすっかりできなくなっていて、 その穴を埋めるのが大変でした。
「那音の文章、なんか”〜だよね”とか、こそばゆい」 と笑われたものです。 別にそれが悪いことだとは私はこれっぽっちも感じなかったのですが、 さすがにひとりだけ文章が浮いているのも面白くないので 口語で書くようにしました。 ちょっと苦労しましたが…話すように書けばいいだけなので、 すぐに馴染みましたが。
+ ; +
どっちがどうってわけでなくて、 あれはカルチャーショックだったな、という思い出。
生活ブログでもやろうかな。
ファッション誌を買って、 ちゃんとおしゃれに気を使おうかな。
文芸誌を買って、お勉強をしようかな。
昔の日記なんてぱーっと捨ててしまって、 整理整頓をしようかな。
・・・優先順位がとっても低い、ものばかり。
お値打ち価格で苺を手に入れたので、 イチゴジャムをつくりました。 雑誌に載っていたレシピで。
ことこと煮込んで、部屋中あまい匂いで、 真っ赤なソースがぱた、と飛んで、 出来立てをヨーグルトと食して、それが朝ごはん。
以前同じ雑誌に載っていたレシピで グレープフルーツ・マーマレードが美味しかったので。
やっぱり丁寧に作ったものは、美味しい。 これからの朝食のトーストが楽しみです。
* * * *
ほしいものがありました。 とても素敵な、のれん。 けれどとってもお高くて、 うーん、とりあえずお手ごろ価格で別のものを購入。
来年になったらもう一度、検討。
2008年05月03日(土) |
評価の基準…日記のはなしver.2 |
そんなこんなで「あのね帳」の苦手な日々。 けれどあるとき、ひょんなことで教師に褒められ、 「あのね帳」が好きになった。
* * *
それは、小学校ではよくある作文の時間。 遠足後期を書かされたときのこと。 なにを書いていいか、やはりわからない私は その日にあったことを事細かに再構成し始めた。 誰がなんと言って、それになんと答えて、 どこへ進んで、どこに着いて、誰がなんと言って… と、本当に事細かに。
もちろんそんなことをしていると バカほど時間がかかる。
けれど、書いていくうちに書いていることに酔ってしまって、 私はこんなに長く作文が書けるのよ、みたいな そんな気分になってしまって しかも書き終わらなければ今までの努力が無駄になることも自明で、 だから私は休み時間をつぶして数日かけて、 書き上げた。
それを教師は気に入ったらしく私を褒めた。 私はそれがなかなかに鼻が高く、 その後のあのね帳は「長々と再構成」タイプに移行した。
* * *
その教師は文章に強いひとではなく、 感情まかせの不機嫌屋で、 今思えば、私のそのただずらずらと長い作文やあのね帳を褒めたのは とてもナンセンスなことだったなと思う。
努力は確かに認められるべきものだったかもしれない。 (教育とはそういうものだと思う) けれど、あの文章を認めているのではないと言うべきだった。 (教育とはそういうものだ)
あのね帳を書くことが好きになって、苦痛でなくなったことは とても良かったけれど。
2008年05月02日(金) |
うそつき・・・日記のはなしver.1 |
そういえば、と思い出したのですが、 小学校で毎日出される日記の宿題がありますよね。 俗に「あのね帳」といいました。 (全国共通かな?)
書き出しが「せんせい、あのね」だからだとか。 そういう気持ちで書いて欲しいという事でしょう。 先生たちの負担は計り知れませんが…
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幼稚園に通っているころに 母が絵日記を書かせたがったようで、 私が何回か書いたノートが実家に残っている。 イモウトのものも一緒に残っていて、 比較すると上手下手がよくわかる。
実は、その当時から私には日記の何たるかが わからなかったように思います。 何を書けばいいのかわからなかった。 今思えば「日記」と「お話」の区別がつかなかったのかな。 日々のつまらない内容なんて書き記すに値しない、 書いてて楽しくない。 読んでも楽しくない。
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そんなわけで、小学校に上がりたてで 「あのね帳」の日記が毎日宿題になったころには、 もう何を書いていいのかさっぱりわからなくて、 私はウソを書き始めました。 毎日の出来事を、日常の範囲で、ちょっとした事件を作って。
私はそれで宿題を済ませていたわけですが。 簡単ではなかったです。 不自然にならないようにと小学生なりに考え考え書いていました。
私がウソを書いている、というのは教師はすぐに気づいたそうで、 所詮そのレベルのばればれなウソだったわけですが。 教師は私には何も言わず、そっとしておいてくれました。 うーん、たぶん親にも言っていないのでは。
悪意もないし、単なる思考の違いでしたから… そうね、放っておいてくれてありがとうございます、 といった感じ。
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