お給料日。いぇいいぇい。がっつり稼いだわ。そして今日も1件ご成約。
お昼に通りすがりの店で何か端午の節句関係の飾り物を買おうか見てたら、兜の根付があったので購入。商売繁盛の招き猫の箸置もみつけて購入。
帰りに、明日の花見用に桜色の半衿を1枚買いに行ったら、何故かそれに加えてポリエステルの反物を2本持って店を出ることに。うわーん、また反物増えちゃった。(着物はもう充分と思ったら今度は反物が増えていく。)だって白っぽい切り嵌めも洗えるポリなら汚れを気にせずに着られそうだし、青に吹き染めで赤と黄色と緑(信号カラー)の細かい模様が散った方は、襦袢にとても良さそうな気がしたんだもの。何に使うかはまだ不明。
旧暦の桃の節句なので散らし寿司を作り、夜中に雛飾りをしまった。うちの辺りじゃもう3月4日には六菖十菊状態で雛祭りは忘れられていたが、ゆっくり飾っておけてよかった気がする。
帰宅後、明日のコーディネートをいろいろ検討。実はメインの桜色の半衿だけつけて就寝。
半休でリフレッシュして翌日。溜めた仕事の下敷きになってうんうんうなって片付けた。
以前あった卓上鍋を捨てて以来、ケロが大きくなるまで買わないつもりでいたが、時折不便に思っていた。ダイソーで旅館で出てくる固形燃料用のコンロ(でいいのか?)を見かけて購入。キャンプ用に固形燃料は家にあるし、使わないとどうせ蒸発してしまうので、これで活用できそう。
酸素系漂白剤と重曹を水に混ぜて煮洗いしたら、黄変した胴裏も綺麗になるんじゃないかと思い、300円でステンレスのボウルも購入。ダイロン染めももくろんでいるので布遊び用鍋が欲しかったのさ。ふふふ。
ケロが保育園のお昼を完食したので(苦手なきゅうりも)、「お祝いにアンパンマンのしゅしゅぽっぽ乗りに行こう」と誘って乗ってきた。というのは口実でもあり、私が見たかったシール(和風の布シールを探したが見つからず)と温度計(棒型400円-ダイロン用)を売ってる店にも行った。
夜はケロの相手をしつつ、昨日洗った着物の裏を取ってみた。煮洗いしたかったけど流石に夜中過ぎにそんなことをしていたら怪しい人なのであきらめた。
そんなことをして夜更かししてたら、ケロが夜中1時頃「しゅっしゅっしゅー」と情けない声をあげて起きた。そのままむくっと起き上がり一人で洗面所へ。後を追って明かりをつけると、歯ブラシを指差すので渡した。口にいれてぼーっとしていたが歯は磨かず、こんどはコップを指差すので水を入れて渡すと口に入れてはぴゅーっと、コップの水がなくなるまで淡々とうがい。 水がなくなったところで私にコップを返して、また寝た。 …寝ぼけてやがったな。
昨日ニュースで藤田嗣治展開催を見て、あちこちでとりあげて混む前に行こうと午後休を取った。 本当は着物で出かけたいと思っていたが、昨夜e+で美術展情報を見てたら今週末までの「虎屋の雛人形と雛道具」@根津美術館を発見。おおっ、無理したらハシゴできるか、と会社から直接出かけた。
まずは根津美術館で虎屋の雛道具。私はちまちましたものが好きなので堪能。七澤屋のお道具については以前他の写真集で見たことがあったので、ぜひ実物を見たいと思って行ったが本当に精巧にできていた。虎屋の何代目かの主人が自分の娘のために揃えたお道具のセットらしいが、遊び心がいっぱいで楽しいのと、今は使われていないお道具が珍しいのとでいくら見ても飽きない。行楽用のお重と酒瓶のセットなんか、ピクニックバスケットみたいで楽しいし、ああこんなお道具で遊んでみたいー。 ケロのミニチュアお雛様のお道具も一応引出し開くし鏡も使えるけど、更に凝ったものを足してあげたいわー。小さい犬箱(箱の字が違う)と貝合せも欲しいのよね。自分で作ろうかと一時思い詰めた位。
常設展を駆け足で回り、図録と絵葉書を買い、お庭の静寂に「この庭を堪能しないで出るなんて…」と悔やみつつも頑張れば藤田も行けそうだったのでほんの10歩で踵を返した。
それから国立近代美術館で藤田嗣治展。あんまり好き好き言ってないけど私レゾネ持ってるの。 昨日からだしまだ空いてるかと思ったが十分混んでいた。チケットも5人待ち位で買えたし、いいなと思う絵の前でかぶりつきで見てたりもできたから、まだまだ空いてはいたと思うけど。(先に言ったのと矛盾してるな。) 猫は40匹以上捕獲。斜め下から見上げた「あ、ごめん牙でちゃった」ポーズの猫があちこちから覗いていて愛らしい。そして描き込んだ花々にも(ルネサンス絵画への憧れだそうだが)乳白色の女性達にも暖かいものが通っていたように思う。 常設展を見るのはあきらめ、図録と絵葉書だけ買っていそぎ帰還。保育園のお迎えはいつもよりちょっと遅めだったけど時間内で問題なし。
ようやく、自分のための時間を作る気が出てきたというか、自分のために出かける気力が出てきたというか。単館上映の映画を見て帰るとかは(時間が合わないと)難しいかもしれないけど、またこういうお楽しみを作ろう。
* * *
朝の打ち合わせで、実績分の時給アップ(1件100円)は上限なしだと初めて知った。っていうか以前の社長の案とは違うけど勤務条件紙でもらってないから社長いつの間にか気が変わったらしい。ということで今月分(25日締)は時給800円アップ。わーいわーいわーい。
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今日も物欲モードで、R隊長の言っていた伊右衛門のペットボトルについている松竹梅のお茶ボトルが欲しくてコンビニで4本まとめ買い。朱の松竹梅セットは自分用、黒の梅はケロのおままごと用に供出。(コンプリートは目指しませんでしたわ>隊長。)
通りすがりに水玉のガーゼシャツも購入。春だからかしら。昨日のバッグといい今日のシャツといい、マルチカラーのポップな水玉柄に惹かれるようだ。
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先日TVで見て(ためしてガッテン)家で試してみようと思っていた「黄変シミに酸素系液体漂白剤と重曹を混ぜたものを塗って蒸気をあてる」を解いて洗おうか洗って解こうか悩んでいた白地の袷で実験。表地のシミは完全には落ちなかったが胴裏のシミと八掛の色は落ちた。解いてもう一回本気でやってみようかしら。袷は(表と裏の長さがずれて)袋になるから家で洗えないというのでその実験も兼ねていたのだが、この着物は幸か不幸か袋にはならなかった。これでシミついてなければ着られるのになぁ。裏とって解かずに単の長襦袢にしようかなぁ。
書いてなかったけど昨日は下駄の鼻緒調整も家でしたんだよ。ラジオペンチとニッパーと千枚通しを買って備えたけどラジオペンチだけで(ゆるめるだけだったので)できた。これで気に入った鼻緒を買って挿げ替えもできるかな。
ケロの保育園の来年のクラス分け発表。2歳児は1歳児と混合2クラスで、ランチ友達2人とはクラスが分かれてしまった。ケロを気に入っているらしい(散歩の時ケロと手をつなぐ)D君とも、4人いる担任のうちケロ担当だった先生もお隣のクラス。あら寂しい。
何故か久しぶりに物欲モード。
百円ショップでミッフィーの携帯用アクセサリを見つけ、5種類大人買い。 帰りに寄ったGAPでケロの帽子(ショッキングピンク。本人セレクト。)、フレンチスリーブのTシャツ(黄色、本人セレクト。)。 それから水玉の帆布トートをケロに「おかあさん、だめー」と怒られながら「でもお母さん欲しいな」と粘って購入。
夕飯は歌人のリクエストでニラしゃぶだったので、深夜帰宅の家人と二人で鍋。 平野レミのレシピらしいが、ニラ1わを半分にして片方をフードプロセッサ(バーミックス)でピューレにし、天つゆでのばしてつけ汁にし、豚しゃぶ用のお肉と残りのニラをしゃぶしゃぶにして汁につけて食べる。 「ニラを叩くことで甘みが出る」そうだったが実際作ってみると生ニラは辛かった。ちょっと涙目になりながら、でも結構美味かった、というか体によさそうな味だった。もっと汁のニラ少なくてもいいかも。
昨夜禁断の「今まで仕入れた着物グッズの費用計算」を始めたら止まらなくなり、2時半。(まだ途中。ついでに怖いので小計は出してない。)
そのせいか別の理由か、仕事があまり乗らず。雑務がいっぱいあったので乗らないままに雑務いっぱいこなして終業時間。まあこんな日もあるさ。事務屋モードだったので社長の指示が(思いつきなので)適当すぎで「(もうっ、私の頭の中には既に完成図が描かれているのに!)これこれこういう出来上がりで、今後はこういうフローでいいですか?」と自分のやり方を押し付けてしまった。
ケロは家に帰ると「きっきちゃん(保育園メイトのYちゃん)だよ」「せんせいだよ」とまた他人になりすまして、謎の絵描き歌を歌いながら猫の絵を描いてくれた。あとビー玉を拾って「これあかな(魚)はいってるの」と教えてくれた。 こういう「こんなことができた、あんなことができた」の驚きはあと何年くらい続くんだろうな。
Fさんの日記、「おおっ」と画面の前で驚きつつにやり。いいなぁ。楽しそうだなぁ。後編も楽しみ(私信)。
某所に某日着物で出かける(かも、かもですよ、いいですか)と予告してしまったためもあり、手持ちの着物類の繰り回しあれこれを考えている。
染みがあった着物2枚、そのまま着られないかと色々考えたが、手間と費用を考えるとやはり襦袢にするか。夏用に麻の襦袢も欲しいけど保留。(そもそも夏に着物を着るのか?) 小物はだいたい揃ってるから(見れば何でも欲しくなるけど)、あと袷の色無地とお召を裄出しして、単の紬2枚も裄と袖丈袖幅直して、雨コートと道行きの裄出しして(もしかして全てこのまま裄出ししないで体を合わせた方がいいような気もするが)、下駄と草履の鼻緒を調整して、雨の日用の爪革を作るか買うかして、とすれば一通り揃うかな。 そういえば洗い張りに出した江戸小紋、仕上がりの連絡が来ない。すぐにどうこうできないので急いで頂いても仕方ないんだけど。
4月から始まるNHKの朝ドラが昭和初期のお話だそうで、予告を見たら普段着物の人がたくさん出てくる。おおっ、これは見なくては。しかし裏番組が「いないいないばぁ」だから朝ドラは録画か?
* * *
ケロは今日も家人になったりふうかになったり保育園の先生になったりしていた。布団にダイビングして「わぁ、ゆきいっぱいぷったねー」とか、ごっこ遊び爆発中。
* * *
そういえばフジパンで30点貯まったのだけど、リサとガスパールではどっちが人気あるんだろう?やっぱりガスパールかな。(人気がある方はキャンペーン終盤では在庫がなくなるから。)
昨夜から喉に何か飲み込んだような違和感があり、朝起きたら声が出なくなっていた。あちゃー。久しぶりに来たか。ケロに食べかけを「あんぶん、しよー」とシェアされた時に移った可能性大。週末で峠を越えて欲しい。
ケロは朝から積木の大作を仕上げたが、デジカメを乗せたまま車は家人の会社へ行ってしまった。ケロは自分の魔法のカメラを持ってきて「カラメ撮ろう、ぱちっ」と記念撮影していたが。
その後、今日で最終回らしい「うたっておどろんぱ」に釘付け。ああ残念だわ、終わっちゃうなんて。
遊んでいる最中に私が言うことをきかないと、ケロは(おそらく私の真似)「ばいばいっ」といなくなってしまうのだが、ぬいぐるみに泣きまねをさせて「あっこ(抱っこ)しゃん、あっこしゃんー」と台詞をつけると飛んで戻ってきてぬいぐるみを抱っこして背中とんとんして「ばーばーじゅ(大丈夫)だよ、ね、ばーばーじゅ」と慰めてくれるのよ。ふふふ。
今日もケロは家人なりきりでかいちゃへ行ったりおれんじぶーぶー運転したりしてた。「おとうさん、おっきーよー」と爪先立ちで歩く。
近頃おもちゃの散らかり方が尋常ではないので、あまり使わないおもちゃをこっそり間引きしようと思ったら、ケロはエスパーかと思うほど私が目をつけていたおもちゃを出してきて遊んでいる。ちっ。(家人の子どもだからもしかすると本当にエスパーかもしれない。いや私似だから多分ないけど。)
アマンダ・ブラウン「キューティ・ブロンド」(2006-055) ソニー・マガジンズ(2002年3月)
いつもDVDを見かけるたびに買いたいと思いつつ、2度は見ない気がして買わない映画の原作。自分の世界では向かうところ敵なしだったブロンド美女のヒロインが、一転、ブロンド美女というだけで頭が悪いと差別をうけるロースクールに入学、自分の努力と周囲の助けでハッピーエンドのお話。
詰めはあんまりくだらなくて笑っちゃうけど、わざとそういうストーリーにしていることは間違いない。映画は見るかどうか、うーん。
1日休んだ同僚Aさんに、昨日の出来事を熱く語る。一晩おいて少し冷めた私の分までAさんが憤ってくれて嬉しかった。
昼休みに図書館へ行き、幸田さんの続きにしようかパパ露伴にとうとう取り掛かろうかと、それぞれ二十数冊ある全集を前に腕組み。ぱらぱらと幸田文全集をめくっていて短編「黒い裾」を久しぶりに読み返す。着物を少し知った今よむと以前より更に感慨深い。 そんなことをしてたら休み時間が終わりそうになって、あわててお昼を買って帰社。
しかしここで幸田ファミリーコンプリートを目指すよりギボン「ローマ帝国盛衰記」をコンプリートしたいような気もするのだが。
ケロを迎えにいってから本屋さんへ。築山桂さんの新刊を探しに行き、首尾よく入手。しかし付き合ってもらったケロにボタンを押すと動物の鳴き声が出る絵本型のおもちゃをねだられ、出費が増えた。
家にかえるとケロが最近気に入ってる他人なりきりで「お父さんだよ」と家人になりすましていた。ケロなりに低い声で「おとうさん、かいちゃいくよ」と鞄を持って出かける真似。おかしい。
築山桂「紅珊瑚の簪 一文字屋お紅実事件帳」(2006-054) 廣済堂文庫(2006年3月)
築山さん新刊。この手の時代小説の帯ってやたらセンセーショナルで可笑しい。一生懸命考えてる人には悪いけど本の内容をあまりバラさずにキャッチーな文章をつけてほしいといつも思う。
お得意の本屋さんのお話。読んでる方はどこからがフィクションか分からないが史実の方には間違いないだろうと思うと安心して読める。(築山さんは日本近世の研究家。)
仕事。社長がフォローをしなかったため、1件キャンセル。常々社長のその傾向に問題を感じていたのに、自分でフォローしなかったのも私の手落ち。まぁ私がどんなに頑張っても社長マターだからいかんともしがたかったけど、自分のお客さんなんだから何とかつなぎを入れておくべきだったか。 「起きたことは仕方ない、これからのフォローで(再契約は無理でも)お客さんの気持ちが収まるように」「ああ、でも本当にずっと追いかけてたのに社長が」とぐるぐると思いは巡るが、仕方ない。次への教訓にしよう。
* * *
今日はまたケロの病院。数日前から左目が赤くて目やにが出ていたのも見てもらったが(小児科だけど)「しばらく様子見」。 また気管支拡張テープと抗ヒスタミンシロップが出て「粉のお薬ないですか?」というと「これは粉ないんだけど、何に混ぜてもいいから。」と。 「混ぜれば飲むんですけど、薬好きなんで、薬がなくてがっかりしてるんで。」というとまた笑われて「じゃあ代わりにこれあげる。」とシールを貰ってきた。
そして元気一杯遊んで家中におもちゃを散らかして就寝。
幸田文「みそっかす」(2006-053)
幸田さんの自伝。あまりの厳しさに眩暈がするような記憶が綴られる。義母との思い出も読んでいるこちらがいたたまれないような言葉の応酬。 そして「台所のおと」に出ていたか、露伴による家事指南の事始になった浴衣のエピソードが実は、母のいない娘に父が家事を教えるという痛々しくも心温まる話ではなく、義母と一緒に買った浴衣地がねじれてねじれてどうしようもなくなっていった話だったことを知る。露伴の二度目の妻についてはどうも良い話が残っていないが、それがあればまた違うんだろうなぁ。
そしてあとがきで表題について、(最近は)味噌は漉し味噌になっていて滓なんてものはないのに(うっかりしていた)、と書いてあって、やっぱり最近は味噌漉し要らないんだな(幸田さんの「最近」と40年違うと思うけど)とふと思う。
昨日の出来事。ケロがにこにこしながら昨日アンパン(以下略)で出てきた飴の入ったカプセルを出して「あした、ねんねしちゃうからね」と言った。前夜寝る前に「これは明日食べようね。飴ちゃんはお口に入れてごっくんしないで食べるから。今日はもうねんねしちゃうからね。」と言い聞かせたのだが、ポイント(延期の日程、理由)は押さえて納得していたらしい。そして約束の期限も覚えていたらしい。へぇ。 ということでケロは飴ちゃんを食べた。
ケロ、朝から「魔法のスイッチ」を手に目の前に構えて「かっちん」「おかあさん、ちょき、してー」とカメラマンになっていた。 魔法のスイッチとは壁埋め込み式のスイッチの部品。ままごとキッチンにつけてあげようと買ったが、色んなものを動かす魔法のスイッチとして働いたり(ケロのスイッチと連動して黒子の私が壁のスイッチを動かす)、お料理にかけるスパイスになったり(胡椒?)大活躍。
保育園のお昼完食。帰り道に「凄いねー」と誉めたら「がんばったよー」と言っていた。最近嫌いなものでもむげに拒否するのではなく、一口だけ食べて「がんばったよー」と終わりを宣言する。小さな一歩だが。
青木玉「小石川の家」(2006-052)
青木さんの第一作。祖父幸田露伴と母幸田文との生活を書いた本。両親の離婚、戦争、祖父の死、そして母の死までの日々の折々。露伴と文それぞれの厳しさに火花が散り嵐が起こり、普通の感覚に一番近そうな青木さんに同情することしきり。 以前読んだあれこれが「あ、このことだったのか」と大きなパズルのピースをひとつひとつ埋めるようで、幸田ファミリーリーディングは止まらない。露伴も読まなくてはいけないなぁ。
昨日農道で四苦八苦している時にケロに「なにしてんの?」と聞かれたので「冒険。」と答えたら、それからずーっっと「おかあさん、ぼうけんしてるのー?」と訊かれまくった。その通りです。
* * *
岩波ホールで人形アニメーション「死者の書」をやっているそうだ。4月7日まで。 http://www.kihachiro.com/index2.htm うーん、見に行きたい。けど仕事休んで行くにはちょっとスケジュールに無理がある。残念だわ。確かパートを始めた時は時々仕事を休んで自分の時間を作ろうと思っていたのではなかったか?
青木玉「帰りたかった家」(2006-051)
幸田ファミリーリーディングの一環。処女作「小石川の家」をまだ読んでいなくて、書棚で見つけたこちらは続編らしかったのだが、大変切ないお話だった。帰りたかった家とは、幸田文さんがあまり語らなかった結婚生活の、青木玉さんが育った家のことだった。青木さんのお父さんのお話も、幸田さんの視点では生活力のないお坊ちゃんという印象だったが、お金さえあれば大変魅力的な人だったことが分かる。そして小説「流れる」の主人公が幸田文さん本人の投影だったことも分かる。「小石川の家」も読んで見なくちゃなぁ。
* * *
私信。
Nさん>原ひろ子さんの「ヘアー・インディアン…」もとても面白かったんですが、「隣のアボリジニ」で一番印象深かったのは多分400km離れた「彼の属する土地」へ遺体を運ばなくてはいけない、と親戚に言われたアボリジニの女性が「あの人たちは狂ってるのよ」と言ったその口で「逆らったら(呪い)殺されちゃう」という箇所なんです。 直前に読んだ「ラディカル・オーラル・ヒストリー」にも繋がって、現代社会と伝統のどちらかを一律に信じて暮らすことができない複雑さが、非常にリアルだなーと思ったのです。
社長が「飛び石のここ(20日)を休みにして連休にしよう」と言ってくれていたので、ケロを保育園に預けて美容院へ行こうかなどと考えていたが、家人が休みだったので家族で出かけることになった。
ケロは朝から何か気配を感じていたのか「おとうさん、かいしゃおやすみ?」「おやすみだよ」「おかあさん、かいしゃおやすみ?」「おやすみだよ。ケロは?」「ほいくえん、おやすみっ(えへへへ)」という感じ。
で、千葉に苺狩りに行ってきた。元々ケロは苺が好きではないのでどうかなと思っていたが、やっぱり殆ど食べなかった。2個食べて拍手って感じ。(3歳以下無料なので食べなくても影響ないんだけど。)でも苺をとる→人に食べさせるというのは楽しいみたいで、つぶれた苺をたくさん手渡された。
目的はケロが喜んでくれれば、ってことなので、私たちもそれほど食べずに早々に引き上げ。畝の間から泥がはみ出していて、ケロと私の靴は泥だらけ。私は新しい靴の履き初めだったんだけど…ははは。(まだ表面のクリームがのっていたので思い切りブラシかけて水洗いしたら綺麗に落ちた。)
早咲きの種類だと思うけど桜がもう咲き始めていた。
帰りにケロが「アンパンマンのしゅっしゅぽっぽ」と言うので、立ち寄り。家人は噂に名高い「アンパン…」の実物を初めて見た。
帰宅後、疲れた家人を「少し車の中で寝てれば」と残してケロと家に帰ると、4時間近く寝て夜中に戻ってきた。
ケロがアウトドアの番組を見て、自分が熊のリュックを背負い、私にネズミのリュックを背負わせ、更に熊を「つつんで」と持って行きたがるので私がバスタオルでスリングにしてケロに抱っこさせ、家の中で探検に出発。動物のリュック2個もあっても…と思ったがちゃんと役立った。
冬から楽しみにしまっておいた桜の柄の靴下を履いて外出。
ケロが本屋さんで「バスのおほん」と気に入った様子なので1981年初版発行の「ずかん・じどうしゃ」という福音館の幼児絵本を購入。 車は皆フェンダーミラーだし、はーどとっぷ(カリーナ)、けいじどうしゃ(初代アルト)、すぽーつかー(S30フェアレディZ)とかが紹介される時を忘れた絵本だが、車好きのお子様達には変わらぬ人気があるんだろうか。いやちょっと私はノスタルジーで買いましたけど。
懸案だった靴購入。白のローファーと黒のローファー。この間、気づいたらすごくボロけていた靴を2足捨てて、履くものが少なくて困っていたのだ。
もう一つ懸案だったケロのズボンのゴム入れ替えも終了。こういう長く置いてあった大したことない用事が終わるとすっきりするわねー。
メモ。 篠原徹「アフリカでケチを考えた」図書館リクエスト。
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他人様の日記から拾った文献管理のフリーウェア。いや私は文献管理の必要は全くないんだけど、どなたかのお役に立てるかもしれないと思って。 Ref for Windows (Windows NT4.0/2000/XP用 95/98用もあり) http://members3.jcom.home.ne.jp/refwin/
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私信返し。
Sちゃん>着物でパート、ずーっと「やろうかな、やろうかな」と考えてはいるのだけど、その前に保育園で皆の注目を集めるかと思うとなかなか踏み切れないのでした。でもいつかやってやるわ。
Pさん>読書時間は「子どもと遊ぶような顔をして相手をしながら本を片手に読む」とか「夜寝かしつけをしながら腕枕をした手に本を持って読む」とかいうせこい手か、時々は夜更かしで捻出してます。私も読んだり読まなかったり波がありますが、Pさんに比べたらずっと暇なんだと思いますよ。(「不機嫌な…」言う程にラディカルではないですよ。本来は読者にその含みが通じるつもりで書いていたものが文化の違う日本では伝わっていなかった、という「読み違い」の解説なので、むしろ知っていた方がいいんだろうとは思いました。)
昨日手を洗う時、ケロが水の下で手を動かしていて「石鹸とれた?」と聞くと「ちょきん、ちょきん」と答えた。ああ私も小さい頃水が鋏で切れるんじゃないかと思っていたよ。
今朝はケロが早起きで、家人がつきあってご飯を食べていた。ずいぶんはっきり喋るようになったと布団の中で聞いていたが、ケロ語が多く家人には単語の意味が分からなかったらしい。 「ちゅーのちゅー(ケロの豆乳)」と言っていたのを「(ケロ)のちゅー」と自分で言い換えていた。あらー、2歳半お誕生日を過ぎて人間語が喋れるようになったか。
朝から楽しく遊んでいたのでおむつ交換を嫌がり、最後に私に怒られて「ごめんね」と謝ってきた。私はまだぷんぷんしていたので「やだよー」と言ったら「おかーしゃん、やだよ、ないーっ」と逆ギレされてしまった。可哀想な私。
その後一人で木製レールを組んで、「(ケロ)のおうちできたーよ」と一軒家のフィギュアを見せてくれた。それから2階建てのフィギュアは「おとーさんの会社できたーよ」と見せてくれた。マンション住まいでも「おうち」といえば一軒家を想定するのか?その辺ケロがもっと喋れたら根掘り葉掘り聞いてみたい。
午後は室内干し用のつっぱり棒を手に布団に座り、「おふねだよ」と棹をさしていた。(オールで漕いでるのではなくあれは棹をさしていたのだと思う。)どこかで何かを見て覚えるんだろうけど、色んなことを思いついてびっくりするわ。
そういえば今週頭くらいから、お風呂に入るときに突然わんわんのシャンプーハット持参で行くようになった。(以前シャンプーを嫌がって購入、しかし花で飾った帽子の代用にしか使われていなかった。)TVででも正しい使い方を見かけたか?
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溜めた読書記録更新。どうも抜けてる本があるっぽいが。
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モニカ・ディケンズ「こんなふうに生きてみた 」(2006-049) 片岡しのぶ訳 晶文社(1981年5月)
昨日読んだ「なんとかしなくちゃ」の作者の自伝。ずっと太っていて容姿にコンプレックスを持っていて、ある日お母さんにそれを訴えたら真剣に受け止めてくれて病院へ行き、甲状腺ホルモン剤の投与でみるみる痩せたという。そんなこともあるのね。
昨日読んだコック・ジェネラル体験記の後で見習い看護婦体験記、婦人記者体験記、G.I.妻体験記を書き、幼児虐待や自殺防止電話の取材記を書き…と自分の体験を次々に本にして、関係者に嫌がられていったようだ。これが全部「やることがないから」働いている人の書いた、しかもほんの数年の体験を面白おかしく書いた作品だとしたら、やはりその仕事に携わって(しかも彼女と一緒に働いて)いた人たちにとっては面白い本ではないだろうなぁと思う。新入社員のうちは分からなくても段々に必要だとわかることなどあるし。
しかし最後の自殺防止電話についてだけは、アメリカでボストン支部を立ち上げたりしているのでちょっと救われるところがある。本人も「書くだけでは、生き方としては余りに自己中心的」と書いているので自覚はあるらしい。
上橋菜穂子「隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民」(2006-050) 筑摩書房(2000年5月)
「守り人」シリーズで有名な上橋菜穂子さんのノンフィクション。当時日本の大学院生だった上橋さんには、「本物」のコミュニティで調査研究するつてもなく、海外の小学校に日本を紹介する先生として行くという民間の交流プロジェクトを利用してオーストラリアへ向かったという。それから10年の自分の体験と、町に住むアボリジニへのインタビューをまとめたもの。
「ホワイト・ネイション」「ラディカル・オーラル・ヒストリー」と続けて読んできたからこそ納得のいくことも多い。アングロ・ケルト系住民が「砂漠に住む『本物』はすごく興味深い。だけど町にいる連中は駄目だ。」と言う、その町の連中(実際にはこちらの方がずっと多い)を取材したインタビューと、背景の解説と自分の体験が交互に出てくる。
共感は難しいことも多い。アボリジニは150年間権利と文化と命を奪われてきたと思っても、それがお隣りにアボリジニの家族(定職につかず失業手当で暮らし、家族の誰かはアルコール依存症で、夜中まで騒ぎ、暴力をふるい、親戚がやってきては住民が増えていく)が住んだら、という日常へ想像をすすめると、我が身可愛さに「人種や理由にかかわらずそんな人たちと付き合うのは嫌です」と思うのも本当。自分が「そんな人たち」になったかもしれない可能性(あるいは今からなるかもしれない可能性)が低いと自分で思うのは、ただ自分の生まれた時代や国や民族が生存に有利だったというだけなのに。 彼らのインタビューから知る差別虐待はあまりにひどい。それらに対する自分の罪の意識だけで上記のような日常を受け入れても、(人間は自分を正当化していく生き物だから)段々「悪いのは彼らだ。今は彼らの方が恵まれているのに。」と逆恨みのような感情がわいてくるのも分かる気がする。 日本でもいくつかの言葉を置き換えれば、これはすぐに日常になるでしょう?
自分がこちら側に立つと(善良なナショナリスト)、この整理のつかない感情がひとつ。
そして向こう側に立つと、「部族のこと」も多く失われていて、言葉もはなせないのに、自分がそうであることを捨てられない、更に、砂漠を離れて町で白人と同じように暮らしていても、どうしても目に見えないものも「ない」と思うことができないという日常はとても苦しいものだろうと思う。 インタビューで科学では不可解な出来事が多く語られる。でもそれを「ある」と思う人にはやはり「ある」んだと思う。いや「ない」と思う人にも「ある」んだと思うけど、私は日常的にそれほどスーパーナチュラルな体験をしないから、人づてに聞くだけだけどやっぱり「ある」と思ってしまうしね。(決して魔法の生きている暮らしは楽しいものではなさそうだ。)
…と色々考えるところがあって読みやすい本なのもあり久しぶりに一度読んで最初から読み直してしまったよ。
ケロは今朝は振り向きもせず一人で皆のいる方で歩いていった。メランコリック・ブームは去ったらしい。
職場、昨日1日休んで更にその間にご成約の同僚Aさんは落ち込みから立ち直っていた。だから言ったじゃないなんて言わないが。 そして社長も朝の講話でAさんをチアアップ。後でAさんは無邪気に「まるで私に言われてるみたい」と言ってたけど、すみません私がチクりました。
図書館で「ぞうくんのさんぽ」シリーズ2作目、「ぞうくんのあめふりさんぽ」(月刊「こどものとも」バックナンバー)を借り、「不機嫌なメアリー・ポピンズ」で紹介していて気になったモニカ・ディケンズ「なんとかしなくちゃ」「こんなふうに生きてみた」を借りた。
夜、家人が遅い時間に帰ってきて夕飯がなかったので、久々に思いつき創作料理。トマト1個を切って、ミニ豆腐1パックと一緒に水と塩と砂糖と豆板醤でスープにして溶き卵を流した。(何か出汁の出るものを入れようと思ってたら完成してしまったの。) トマトの皮はむいておくべきだったけど味はなかなか好評。体も温まったし。こういう料理だったらいくらでも作るんだけどな、早くケロこういうの食べられるようになってくれないかな。
モニカ・ディケンズ「なんとかしなくちゃ」(2006-048) 晶文社(1979年12月)
なつかしい「文学のおくりもの」シリーズ。そういえばこの本の背表紙ずっと知っていた。内容はアッパーミドルクラスのお嬢様であり、文豪ディケンズの曾孫であるモニカ・ディケンズが身分を隠しコックとして働くもの。それも「毎日やることがなくて退屈だから」という理由。
コックとしての腕前はたいしたことなかったらしいのだが、第二次大戦前のイギリスでコック兼女中という仕事をしたがる人が少なくて(使いたい人は多くて)2年くらいあちこちで仕事を続け、その体験を本にした。
面白いといえば面白い。皆が期待する「彼女の本当の身分を知っている知り合いがパーティーに招かれて彼女に気づく」エピソードもあり(フィクションかもしれないけど)、どたばた。 でもね、やっぱりね、人をだます話なので読んでて愉快になれない部分もある。まぁ本当の女中さんで本を書ける人は少ないだろうから、彼女の実体験は読者にとっても新鮮だったと思うけどね。村上春樹によると、誰かをモデルにしたフィクションはたいていの場合モデルが誰だか周囲には分かるそうだけど(この一文がフィクションでない保証はないけれど)、一緒に働いていた人たちのモデルになった人達が迷惑しなかったか他人事ながら心配してしまったわ。
朝のケロはばいばいの時にまたしゃくりあげはじめたが「えんえんって泣かないで我慢したらお迎えの後でアンパンマンのしゅっしゅぽっぽ行くよ」と脅すと一生懸命我慢して先生に抱っこしてもらった。ややグレーだが努力の跡が見えるので乗せてあげましょう。
同僚Aさんはお子さんの体調不良で休み。朝社長が私の経歴について話を振ってきたので、丁度いいので社長の謎のプライベートを色々質問してみた。それに加えて「私が言ったって言わないでくださいね」と同僚Aさんの自信喪失を伝えた。パート使いのうまい筈の社長が、やたらにパートに期待してAさんを自信喪失させたのは、私ががつがつ仕事しすぎるせいだという罪悪感もあり。
夕方ケロを迎えに行くと、頬の爪跡に先生方平謝り。先生の説明でも、帰り道のケロの説明でも、ケロがお友達に座る場所を巡って(またあの生意気な口調で)「やだよー」と言ったのが原因らしい。「お友達ごめんねって言った?」「うん」「ケロいいよって言った?」「うん」というので「この次はお膝にちゃんこさせてあげたら?」とアドバイスしてみた。
そしてまた鼻風邪をひいたらしいので、病院へ。咳の出ていた気管支は快方に向かっていて、鼻も「この位なら抗生剤いりません。面白い薬をあげましょう。」とディスポの目薬のような容器に入った抗ヒスタミンシロップ(ジキリオンシロップ)をくれた。「飲み物に混ぜてもいいですか?」「いいですよ、見てないところでね」と言われて帰宅後にやってみたが、やっぱり多少甘いらしく飲みがいまいちだし、ケロは「おいしゃさんもしもし」に行ったからまた薬を飲めるものだと期待していたので、粉薬が出なくてやや不満げ。うーん先生、面白くなくていいからうちの子には粉薬下さい。苦くても喜んで飲みますから。
夕方ケロとの約束どおり「アンパンマンのしゅっしゅぽっぽ」に乗りに行った。最後にもらえるおまけの飴をくれくれいうので食べさせたら途中で飲み込んで「のど、いたいー」「とーにゅー、のむー」と苦しみを訴えてどきどきした。やっぱりケロには飴はまだ早かった。病院でもらったシロップ入りの豆乳をどさくさまぎれに飲ませることができて良かったけど。
新井潤美「不機嫌なメアリー・ポピンズ―イギリス小説と映画から読む「階級」」(2006-045) 平凡社新書(2005年5月)
あれこれと目から鱗。やはり知らないことで伝わらないものは世の中にあふれている。イギリスでは発音で階級がすぐに分かってしまう、というのはよほどの上流階級の話かと思ったがそんなことはなかった。そして子どもの頃から読んできた本に感じた違和感の説明にも今更納得。ジェーン・オースティンの小説に出てくる、階級の微妙な差を大きくとらえる人々は知っていても、ジェイン・エアにそれが出てきていることはあまり目にとまらなかったし、ブリジット・ジョーンズで繰り返された発言の意味もこの本を読まなければ全く分からなかった。 一番驚きつつ納得したのは「メアリー・ポピンズ」。メアリー・ポピンズの恋人がバートであることに子ども心にかすかに違和感を感じていたのだけれど、実際には私がメアリー・ポピンズの設定を理解していなかったための違和感で、愛読書も恋人もティピカルだったということで、皮肉な話だとは思いつつも納得。(何せ「ピーター・パン」では犬のナナがやっていた仕事なのだ。)
しかしこういうことを知ってしまうと、輝かしき日々の児童文学が素直に読めなくなってくるのだな。「ツバメ号」も政治的に正しくなくてまた絶版になってしまうかもしれない。やっぱり全集買っておこう。 (そういえばU.K.ル・グィンが「夜の言葉」で今「指輪物語」を読むと階級闘争をしたくなるって書いてたような。)
保苅実「ラディカル・オーラル・ヒストリー―オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践」(2006-046) 御茶の水書房(2004年9月)
表題どおり、非常にラディカルでわくわくする本だった。もう続きが読めないのが惜しい。 歴史とか真実とかについての話としてもとれるし、他人の感じる、目に見えないものを「ある」と思うことができるかというあたりも興味深い。上に書いたとおり、文字で読んでも伝わらないものはたくさんあるのに、いわんや見えないものは。
青木玉「底のない袋」(2006-047) 講談社(2004年1月)
かなり新しい本だったのが意外だったが、面白かった。あれこれあれこれ。
ケロは今日も号泣。首にしがみついてわんわんと泣かれるのを引き剥がして先生に引渡し。でも私が荷物入れてる間にも気持ちを切り替えたらしく元気に友達と遊んでいた。
朝会社へ行ったら、出かけている筈の社長がまだいて至急で見積もり作り直し。世の中にはいろんな人がいるものだ。
夕方、買い物に行って家に戻るとケロが玄関で「アンパンマンのしゅっしゅぽっぽ、したいな」と呟いている。「じゃあ明日保育園でばいばいの時にえんえんってしなかったら、お迎えの後アンパンマン乗ろうね。」と約束。
檀ふみ「檀流きものみち」(2006-044) 世界文化社(2001年9月)
ものすごく綺麗な着物姿がたくさん入った楽しい本。文章の方は壇さんなのでまたおかしいんだけど。きもの好きと言っても彼女の場合、着物を着たい日にはまず着付けさんのスケジュールを確認し、ダメならあきらめるというので、自分で着て出るわけではないよう。女優さんだからあんまり気を抜いた姿でも着られないのか? こちらの本の紹介をウェブのどこかで読んだ時に「壇さんは本当に着物姿が美しくてうっとりする…しかし中にあった洋服姿に愕然、確かに洋服が似合わない人はいるのだ」のようなことが書いてあって(うろおぼえだけど)そちらも楽しみにしていたけど、うーん確かに。そりゃ織物の里を訪ねる旅で撮影のための旅じゃないから普段着っていうのもあるだろうけど、普段着が古臭くみえるのは洋服は数年でシルエットが変わるからだろうか。ああ、やっぱり私はこれからお出かけおしゃれは着物にするのだ。ってまず着ようよ何でもいいから。
今日もケロは朝号泣。今日も仕事は1件ご成約。
昼休みに同僚Aさんとランチに行き、愚痴に付き合う。内容は「こんなに仕事のことと社長の言ってることが分からなくてこの仕事続けていいのかな。」というもの。Aさんは気持ちの浮き沈みが激しいのだ。 私のアドバイスは「あと2週間もすれば(気持ちがアップして)また気にならなくなるんだから、悩む時間がもったいないのでは?」「私も最初の会社入って半年くらいは仕事ができなくて、辞めた方がいいんじゃないかと真剣に思ってた」などなど。 しかし肝心のランチが(近くの学校の卒業式か何かで)出てくるのがものすごく遅くて、10分で食べきった。ペンネで良かった。
永田萠「京都・きもの暮らし」(2006-043) 河出書房新社(1993年)
きもの関係。京都に長く住んでいても着物を着ようとするのはやはり気合がいるものらしい。でもやっぱり着ることで身に添うようになるらしい。私も普段から着てればきっと1年もすれば着物美人…と夢のようなことを思っているので励みになった。(いや普段着てないけどね。) 自分のデザインの着物や帯を出してもらっていた頃は全く着物に興味がなく、絵本からとったイラストをそのまま使ってもらっていたのに、いざ興味が出てきて製造元に問い合わせたら帯数本しか残っていなかったとか。着物は興味がない人には徹底的に不要なものだから、その気持ちもよく分かる。普通に着物好きな感じで好感の持てる本だった。別に彼女のイラストに思い入れはないけれど。
朝は機嫌の良かったケロ、保育園でさあ行こうとなったら突然顔を曇らせて「保育園ないー」と泣き出した。「でもお母さん会社行くよ」「お母さん会社ないー」とびーびー泣く。どうしたんだろう。 しかし保育園の先生もなれたもの。泣くケロを抱っこリレーで渡し「行ってらっしゃい」で見送ってくれた。
仕事、まだ先週の仕事のしわ寄せで追われてる。1件ご成約。勝手な都合を言わせて貰うともう今月は(時給マックスまできているので)ご成約して頂かなくても結構なんですが。 忙しくてじっくり仕事に取り組んでないのがちょっと怖い。仕事関係の本もまた読もう。
今月の月刊「こどものとも」が、ケロが少し前保育園で借りてはまっていた「ぞうくんのさんぽ」の続々編(36年ぶり)「ぞうくんのおおかぜさんぽ」だったので喜んで買ってきた。嬉しいな。 また今年も「ものがたりえほん新36」発注しなくては。
風が強くて外でぴゅーぴゅーいうので、ケロが窓の外を指して「音するねー」。激しくなると「こわいー」と私の後をついて周り、外出した時は風が強すぎて泣きそうになっていた。
ケロが「プーさんのはちみつだいすき」というシリアルを気に入って、中に少し混ざっているキャラクターの形のクッキーをよって食べてしまう。残りを私のお皿に移す悪知恵っぷり。家人に「さすがあなたの娘ね。きっと3人で柿ピーを食べると二人がピーナッツばかり食べて私が柿の種しか食べられないんだわ」と非難しておいた。柿の種だけの人生なんて嫌だ。
ガッサン・ハージ「ホワイト・ネイション−ネオ・ナショナリズム批判」(2006-042) 保苅実・塩原良和訳(平凡社2003年8月)
レバノン系オーストラリア人のガッサン・ハージによる「多文化主義政策」批判。 邪悪な白人ナショナリスト、善良な白人ナショナリスト、ホワイト・マルチカルチュラリズム、ホワイト・ナショナル動物学、西洋社会における「アジア」と白人性の危機、多文化的<現実>の封じ込め、という章立てで、一般にレイシズムと思われるものはナショナリズムであり、レイシズムに反対する立場にいる良識人の態度の多くは「寛容か非寛容かを選ぶ権力が自分にある」という上からの視点のものであり、どちらも相手を客体化し、自分は主体であるという幻想を抱いている、という指摘にはっとする。
ジェンダーバイヤスの場合にはそういう「ちょっとまてよ」にひっかかりやすいのに、「国家」「政策」レベルでは見落していたことに、自分が「日本国内の現象に関しては意見を述べる権力を持っている」という幻想を抱いていることに気づかされた。つまりジェンダーの場合は自分を「向こう側」だと思っていて、日本の場合は「こちら側」だと思っているということだな。 ハージもこの問題については「向こう側」の立場で「ちょっとまてよ」を色々感じたのだろうが、すごいのはそこからの明確な論立て。
更に多文化のアピールが、植民地時代の博覧会と同様、それを展示すること=所有していることの誇示であるという指摘も言われてみればなるほどと思う。また最近の動物園について「より自然な環境と大きな自由を動物に与えようとする方向に向かって」いることと、多文化主義政策の共通点の指摘もきついけど頷ける。
そして自分が生来持っている資質を理由に「自分はもっと成功する可能性があるから他の奴らとは違う」という幻想を抱き、更にそれにより自分と同列の周囲を自分の足を引っ張るものとして攻撃するあたりは、あれやこれの理由として納得のいくものだった。
一回読んだだけで読み込んだとは言えないが、確かにすごく面白い本だった。また読み返したい。
先週ケロの体調不良で来訪を断ったので、某身内宅へ北海道土産を貰いに行ってきた。帆立貝柱、甘納豆、それにケロに熊のリュック。熊のリュックは一目見て微妙だなぁと思ったがやっぱりケロは最初あまり喜ばず、「おんぶする?」と聞いても首を横に振る。どうしようかと思ったが、段々親しんできて最後には手に持って帰った。ほっ。 某身内宅ではしゃいで疲れたのか、ケロは車から降ろしても起きず、朝までぐっすり。
何とか今週はフル出勤できた。よかった。
仕事の方は先週からの宿題が残っていて、更にやけになって自分で増やしたものだから30分残業したけど追いつかなかった。また来週。
ケロを迎えに行き、また小児科へ。「あと3日分薬を出して飲みきって治ってたら終了」ということになった。内診でお腹を出したら「(胸腺も大きいけど)こっちも大きいなぁ、ははは。ごはんいっぱい入ってるなー。」と笑われて「やっぱり他の子より大きいですか?」と聞くと「子どもの痩せてるのは可哀想、気にしなくていいですよ」と言われたが、やっぱり他の子はこんなにお腹ぽんぽこりんじゃないんだな。 ケロは先生にシールを貰って大喜び。そして何度も「おいしゃさんもしもししたのよー。おなかごはんいっぱい、せなかもごはんいっぱい、したのよー。」と語っていた。
朝保育園に行く途中、昨日の鶯(おそらく)が鳴いていた。ケロに教えたらけきょけきょ言っていた。
明け方ケロが寝汗をかいていて、起きた時も機嫌が悪かったので「また具合が悪くなるのか?魔の木曜日?」とどきどきして預けたら、迎えに行ったら元気でよかった。 数日前にケロ担当の先生に「体調が悪そうだったらこの間みたいにベスト着せてきてもらえば調節しますから」と言われていたが、どうやら「もってこい」と言いたかったらしかった。今日は主任先生に「お母さんいつも薄着に協力してもらってありがたいんだけど、ケロちゃん今(気管支拡張)シール貼ってるでしょ、そういう体調の悪い時はちょっと厚着させてあげて、ベストか何か置いておいてもらえば」とダメ押しされるまで気づかなかったよ。
昼休みに「不機嫌なメアリー・ポピンズ」を読み始め、目からうろこぽろぽろ。また読了後に感想書こう。
家ではハードカバーの「ホワイト・ネイション」読み始め。こちらも目からうろこぽろぽろ。
昨日図書館でごっそり借りてきたのに、またリクエスト本が届いた通知が来て行ったら更に4冊。期限までに読みきれるかしら。(硬い本は読解に時間がかかる。)
夕方ケロのお迎えに行く時、鶯の初鳴き。すずめのお宿みたいな竹薮のあるお家で鳴いていた。帰りにまだいたらケロに聞かせてあげたいものだと思ったが、残念ながら帰りにはもういなかった。 梅の柄の帯も手に入れたけどする前に梅散りだしたなぁ。
* * *
荻原規子「風神秘抄」(2006-041) 徳間書店(2005年5月)
やっぱり原作のあるものは先に読みたいんです。 上橋菜穂子「狐笛(こてき)のかなた」と少しだけ似たところがあったが(…ああ、あちらにもあわいが出てきたせいかも)あちらもきっぱり上橋菜穂子、こちらもきっぱり荻原規子。
読み始めからどきどきした。和漢混交文…とまではいわないが、やはりたたみかけるようにリズミカルに語られるこのあたりの表現は日本人で良かったぁという気持ちよさで戦記ものの流れを汲んでいる。昼休みに外で読み始めたけど、嬉しくて頬がゆるんでしまった。 でもちょっと話を横にそらすと、この辺の気持ちよさに通じる色の和名がね、最近は通じなくなっているんだって。いきなり着物好きになったから言う訳じゃないけど、昔は耳で聞いたり目で読んだりするお話の中にどういう色が出てくるかでその人物を語る重要なキーになっていたものが、今通じないって。歌舞伎好きな知人も嘆いていたけれど。草十郎は若いから萌黄匂のおどし、とか荻原さんは楽しんで書いていたと思うけれど。
話は本文に戻って。 昨日読んだ「樹上のゆりかご」にも出てきたけれど、合唱に鳥肌が立つという人は多いと思う。黒板やガラスをひっかいた音で違う意味で鳥肌が立つ人も多いと思う。その何がそうさせるのか分からないけど、音で何かを動かすことができると言われたら信じたくなる。そして踊りにも同じ力があると言われたらそうかもと思う。多くの宗教で歌と踊りは神に捧げるものだものね。間違えると死んでお詫びっていうのもよく聞くし。音と踊りと両方に通じるものは音律、と糸世は言う。そういえば「ミス・リードと村の学校」で「校庭で行進ができない生徒は何故か音痴」と書いていた気がする。
輪廻転生を信じていた当時の仏教徒と現代人が同じ死生観の筈はないけれど、「武士は何のために死ぬのか」に、このお話の中で何人かが答えている。それは帰属意識とか職業意識とか色々だけど、死なない選択も含めてそれぞれに納得のいくものがあって、大河ドラマのヒロインが揃って「戦は嫌い平和が好き」と唱えるお題目よりずっと分かりやすかった。
あとは何だか分からないけど惹かれあう二人が初々しくて、恋愛小説として楽しく読んだよ。鳥彦のその後も知りたいもんだ。
今朝はケロの病院へ。まだ咳とぜろぜろも残っているので薬がもう3日分追加。 待合室でケロより大きい男の子が、ケロのファスナーにつけたミニカーを見て「ママー、あの子どうして車ついてるのかなー」と言ってケロ近づき、じーっと見て「フェアレディZだったよー、タイヤ1個壊れてるよー」とまたお母さんに報告していた。あんな小さいもので見分けがつくマニアっぷりに恐れ入った。(そして指摘のあったタイヤはゴムがずれていたので直した。)
それからあわてて仕事に。時間のかかる仕事に、社長から振ってくる仕事が挟まって捗らず。まぁいいや。
昼休み図書館で、着物熱が冷めかけたといいつつ着物本とようやく!ようやく!小説に手が出たリクエスト本を借りてきた。そして書棚を巡っていて辻邦生氏の題名の美しさに頬を叩かれる。ああ、何故こんな素晴らしい本達を忘れて着物本ばっかり読んでたんでしょう私。
ケロは今日の帰宅時も「ちゅーのおうち、いくのよー」と言っていたので、自分のことをちゅーと呼んでいるのは間違いなさそう。
* * *
私信
>Sちゃん 保育園では定時に食事してるんだけど。朝「ホットケーキ、食べたいなー」と言いながら起きるとか、食事の時間に関係なく思いついたものを要求するとかの、「おまえはどこのお嬢様か」という贅沢っぷりを「今日のご飯何ー?」という受身の姿勢にしたいというささやかな願いなのでした。(食が細かった頃にとにかく何でも自分から食べたいと言うだけで親が喜んでたのがいけない。)
>Pさん まさに「おんなじおんなじ」という絵本もあるんですよね。相似形の発見もそうだけど、子どもの発達について「子どもは『動物』と『犬』『猫』を同列にならべない(言語の階層構造を理解している)」というのを聞いたことがあって、こういうグルーピングの発想がどこからくるのかが凄く不思議です。
* * *
荻原規子「樹上のゆりかご」(2006-040)
作者のサイトの日記やエッセイはずっと読んでいたのに、なぜか小説の方は何冊か出たの知ってて読んでいなかった。これも出た時に荻原さんが「『樹上のゆりかご』の樹上はスーザン・クーパー『樹上の銀』から取った」と書いていらして「闇の戦い」好きな私は「おおっ」と思ったにもかかわらず読んでいなかったので、遅ればせながら読んでみた。 (ちなみに『樹上の銀』と『樹上のゆりかご』は内容には全く関連はないと思う。)
私は幸いにして(おそらく)女子高だったので、主人公のような学生生活におけるジェンダーバイアスにそれほどひっかかることなく(力仕事も大工仕事も自分たちでやる以外の選択肢ないのよ)楽しく過ごしたが、共学って色々大変なんだな、恋愛感情とかも混ざって。というのが素朴で他人事な感想。
でも中性的な女性を良いなと思う気持ちというのは、長く自分の中にもあったので、そこのあたりの葛藤は感じるものがあった。 主人公と同じく(と、この本の中では特に言及してない気がするけど、分身である荻原さんが児童文学を多く読んだ時期−おそらく大学時代−が私が児童文学を多く読んだ時期−小学〜中学時代−と重なっているらしく、エッセイなどで触れる本がツボにはまるので、同じような本を読んできたと言ってしまおう)児童文学を一通り読んでくると、長靴下のピッピや若草物語のジョーのような「男の子みたいな女の子」が「格好いい」という刷り込みがされるように思う。これはもしかして、20世紀に女性に対する社会的制約が緩んだことを意味しているのかもしれないし、ただ主人公がいわゆる女らしくしてるとお話が進まないという理由かもしれない。
でもね。「女の子みたいな女の子」や「女の子みたいな男の子」が「格好いい」という刷り込みがされないのって、それ以前の前提としての「男の子の美点とされるもの」が「格好いいもの」とされるところが原因なんじゃないのかな。なんて今更書いてるけどこれって女性学の基礎の基礎のような気もするぞ。
この辺の横道思考が喚起されて面白かったといえば面白かったのだが、 「…ハールーン、 ハールーン、 ハールーン!」 と叫んでいったん終了しておこう。
今朝は、私の中で「キャリキャリした仕事の象徴」的な人が夢に出てきた。色々とまだ欲があるようだ、私。
現実はずいぶん久しぶりな気持ちで仕事に復帰。まだ仕事頭になってないけど仕事は待ってくれない…ということで5本口のご成約とか更に1本ご成約予定とか、ありがたいんだけどちょっと待って状態。(でも時給アップはもう打ち止め。)
同僚Aさんには休み中に色々代わりにやってもらって大変な負担を強いたので、お詫びにお昼をごちそうした。(デザート付よ。)入ってみたいと思っていた店に入る機会ができて、私も満足。
保育園の仕度も久しぶりでうっかりし、靴下を忘れた。「まあいいや、病み上がりだから室内遊びで」と思ったら靴下なしで外遊びさせてもらったらしい。ありがたいけどケロ寒くなかったかしら。
最近のケロは色々なものを指して「おんなじ、おんなじ」と言うのが気に入っていて(絵本のウサギの絵とミッフィーのぬいぐるみを指してとか、動物の親子の親の方と私を指してとか)、絵本を指してから自分を指して「ちゅー、おんなじ」と言っていた。その後ゆっくりと自分の名前を「***」と言っていたので、どうやら「ちゅー」はケロ愛称の省略形で、自分の名前のつもりで言っていたことが発覚。
来客の予定が、先方の都合でキャンセル。かなり気を抜いて準備していたのでキャンセルになっても「まぁ家が綺麗になったからよかったわ」程度。
ケロはかなり回復し、「またね。ちょっと走ってくるね。」と鞄を持って家の中をぐるぐると走り回っていた。ずっと家に篭っていて体力が余ってるのね。明日は保育園に連れて行こう。
夜はまた大河ドラマを見ていたらお握りを食べるシーンで「ご飯お魚食べたい」と目で食べたくなったらしく騒ぎ出した。「ご飯お魚ないよー」と言うと床につっぷして号泣。「じゃあカレー食べる?」と言うと復活したのでカレーを食べて就寝。彼女にそろそろ食事とは食べたい時に食べたいものを食べることではなく、決まった時間にそこに出されたものを食べることだと教えるべきではないだろうか。
病院でレントゲンを見ながら「(ケロ)ちゃんは胸腺が普通より大きいので、気管支が狭くなってすぐぜろぜろ言うんですね。レントゲンを見て分かりました。胸腺喘鳴といって、病気じゃありません。大人になると小さくなっていくので、風邪ひいた時だけ気をつけてあげて下さい」と言われた。(胸腺というとあの美味いとこだな。)3日分薬を飲んでまた行くことに。 「咳をし始めたらなるべく早く連れてきて下さい」と言われ「すみません、インフルエンザとか流行ってるのでなるべく病院に来たくなくて」と正直に言うと「インフルエンザの患者さん、来ませんよ、もう」だって。流行る流行ると言われたので皆が予防して流行らなかったの?
原因は何にせよ呼吸困難になると宜しくないので、ミノマイシン(抗生剤)とアタラックス−P(抗ヒスタミン剤)の粉薬とホクナリンテープ(気管支拡張テープ)で咳を抑えることになった。しかしgoogle君が言うにはミノマイシンは歯の黄変があるので8歳以下には禁忌となってる。かなりご年配で経験豊富な先生なのだけど、いつも処方がちょっと古いような気がするなぁ。急性期だけの処方なのかな…と思って以前の処方を調べたら、風邪とか下痢で行った時にはケフラールとかセフスパンとかの抗生剤を貰っているようだ。(風邪や下痢で抗生剤を出すのも今は流行らない処方のような気がする。) そしてホクナリンテープはケロが貼るのも剥がすのも逃げ回るので、貼るのをあきらめた。私に似て肌が弱いので跡になるのも気になるし、飲み薬で咳が抑えられているので良いことにしよう。どちらかというと内服薬を処方して欲しい。(「他のときにも使えるので多めに出しておきます」なんて沢山くれたけど。)
* * *
体調が悪いせいか、ここ数日ケロが夜中2時頃に大泣きして、家族全員寝不足なのだけど、昨日はわんわん泣いてるケロに「どうしたの?怖い夢みたの?」と聞くと「わんわん…ふうか…ぐるぐるどっかーん…おほん(絵本または御本)あったのー」と泣きながら答えてくれた。それは泣くような夢じゃないと思うんだが。
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土曜日のNHK「うたっておどろんぱ」。子供向けの筈だがとても子どもが真似できないような難しいダンスと、美人じゃないけど造り方ですごく綺麗に見えることもあるひとみちゃんが楽しみで専ら私が見ていた…が、先週だったか、番組が終わってから「おどろんもう一回」とケロが言い出して「え?見てたの?」状態。 それで今週はちゃんと録画をして、もう5回リピートして見ているのだが、ふと気になって4月からの予定を調べたら5分番組に縮小するんですって。あらー残念。ケロの好きなおどろんくん(おどる君)は出てくれるのかしら。
* * *
ケロが某身内に貰った水性ペンのセット。今までもシャツに色がついたりして「くうーっ」と思っていたのだが、今日はフローリングに描かれた…。そしてワックスがけを怠けている私のせいでもあるが、落ちない…。 とうとう頭にきて捨ててしまいましたとさ。
ケロはその時は何も言わなかったが、部屋のごみ箱からごみ袋にまとめようとしたところで「おえかきのーおえかきのー」と抗議。おお覚えてたか。 「これはこっちの机(ビニールのテーブルクロスがひいてある)じゃないと使っちゃ駄目」ということにして救命。でも服汚すんだよなぁ。あーあ。
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夜、よんどころない事情でケロを連れてスーパーへ買い物に。戻ってきたらベビーカーの上でケロは寝ていたので玄関でそのまま寝かせておいた。家人が帰ってきてびっくり。体を起こして寝ていると咳が出にくくて寝やすそうだからそのままにしておいたんだよ。
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ホテルルワンダから派生したあれこれ。関東大震災の朝鮮人虐殺を「自分は見てないから事実かどうか分からない」と断言する人が何故北朝鮮による拉致事件を同じように言わないのかが分からない。それこそが偏見、とまとめてしまうにはあまりに不思議な思考だが。 「ホワイトネイション」も読まなくてはと思っていたが、ついでに(ゆっちゃ失礼だが)「ラディカル・オーラル・ヒストリー」とアボリジニつながりで上橋菜穂子の「隣のアボリジニ」も借りてみることにした。すべて図書館に蔵書があるって素晴らしいわね。
そういえば先週のいつか、保育園に持っていくオムツに名前を書いていたらケロが「おかあさん何してるのー?『(ケロ本名)の』って書いてるのー?」と言ってびっくり。自分の名前を自分で言うことはなかったんだが。(自分の名前は認識している。)
今日は病院で「熱さましを使わずに熱が下がったから大丈夫だと思いますが、今日はレントゲンを撮ってみましょう」とレントゲン。また明日診せに行くことに。
ケロは診察がいたく心に残ったらしく、今日は延々ぬいぐるみでお医者さんごっこ。赤い鉛筆で熱を測って、青い鉛筆で聴診器の代わりにお腹を診察、「ぇなか」とひっくりかえして背中を診察。そしてマウスパッドの上にぬいぐるみを寝かせて、私が両手を持ち(実体験どおりにやらされた)「写真撮るだけですよ、怖くないですよ」と言い聞かせて「ぱちっ、はい終わりました」と声をかけて終了…するとまた次のぬいぐるみが診察にやってきてエンドレス。 そういえば子どもが何か非日常の体験をした時、それを遊びにすることで日常と折り合いをつけていく(だから戦争を体験した子どもには戦争ごっこで「これは遊び」と納得させることが必要)とどこかで聞いたが、ケロがやってるのが正にそれだな。
「おとうさんとおかあさんとばーちゃんと…いっぱいみたい」とアルバムを所望。アルバムの中の積み木を見て「これほしーいー」と言うのでしまってあった積み木を出したら「ぅみきでいっちょあそぼー」と誘われて、積み木で遊んだ。
* * *
雛祭りだがケロの食欲もいまいちだし家人も調子悪そうなので、今日はちらし寿司なども作らず。やっぱり今年は旧暦でお祝いしようか。 「お着物着る?」と聞くと喜んだのでケロに着物を着せ、私もウールの着物に単帯で久しぶりに一重太鼓。
実は今週の頭位から「あ、私着物熱冷めてきたな(ようやく)」と何となく思っていたのだが(今までが熱を上げすぎていたのでこのままじゃ困る位だったけど)、どうもそうらしい。寝ても覚めても着物のことではなくなった。 着物は着たいけど、365日着物で過ごしたいとは思い詰めなくなったというか。着物の良いところは色々あるので、今後も着ていきたいし、普段から着慣れてないと突然じゃ困るのでちょこちょこ着ようとは思うけど、何もかも身につけようという焦りはなくなったような気がする。良かった。
ケロを病院へ連れて行くと「気管支炎」の診断。「これはちょっと連れてくる時期を誤ったなぁ。もうちょっと早く連れてきて欲しかったなぁ。」と先生に言われて小さくなる。「まぁ手遅れって訳じゃないから。外出しちゃ駄目ですよ。」と念を押されて、抗生剤を注射され、薬を出され、熱を1日3回測るように記録用紙を渡されて帰還。 先週までケロの病気で仕事休んでたとか、何とかあと2日持たせようというせこい計算でケロに辛い思いをさせてしまって申し訳なかった。
そして39度近い熱で手が震えるケロをを介助して食べられるものを食べさせ「おひざでねんねするのー」の主張に1日中ケロを膝に乗せて看病。といっても手のかからない病人で、寝たり起きたりしながら私にくっついてれば満足なので、私は波津彬子さんの漫画をまとめ読みした後、梨木香歩さんの「からくりからくさ」「りかさん」通し読み。やっぱり雛祭りには「りかさん」よねーなんて読み始めたのだけど、着物に関心を持ってから「からくりからくさ」を読み返したのが初めてで、また色々沁みた。 着物の素材や柄についてもちりばめられた言葉がイメージを喚起するし、紬について、なぜ紀久が今でなければと織り手の話を集めて回ったのかも、分かったとは言えないけど(今の状況を少し他の本などで知ったので)前よりは感じるものがあった。 そして「からくりからくさ」が「村田エフェンディ滞土録」に繋がっているとは以前から思っていたけれど「沼地のある森を抜けて」に繋がっていたことにようやく気づいて「ああ」。「りかさん」が「家守綺譚」に繋がっていることにも今更気づいた。
合間合間にまた電話ヘルプデスクで同僚Aさんに私の仕事をやってもらって申し訳なかったけど、私にはのんびりした1日だったような。
* * *
滝沢静江「きもの花伝」(2006-039) 毎日新聞社(2002年3月)
これもきもの研究家の本だが、非常に保守的な思想の方らしく(年齢的なものかもしれないけど)ややバイヤスにひっかかりつつも、知らないことがたくさん書いてあって面白かった。ミンサー織のなかなか聞けないような話や、鶴の毛ごろも(かくじょう−鶴氅)の話など。 塩瀬の帯の塩瀬は塩瀬のおまんじゅうの塩瀬とか、鯨帯と昼夜帯の違いとか、大うそつきは京都で生まれたとか、夫婦げんかをした後はいい結城紬が織れない話とか…。後で何の本で読んだか知りたくなった時の覚書に書いておく。
1日中雨の予報だったのでお弁当にサンドイッチ持参。「リサとガスパール」サンドイッチボックスのポイントは順調に貯まっている。うふふ。
夕方ケロを迎えに行くと先生におんぶされていた。発熱中のため靴下はいてシャツも2枚重ね。うう、明日は大事な打ち合わせがあるんだが。そして水曜午後は行きつけの小児科は休診なんだが。 昼間、同僚Aさんの仕事の悩みを聞いた代わりに「私の今一番の悩みはケロの食事」と訴えたくせに、何でもいいから食べさせようとくまのプーのシリアル購入。(←喜んで食べてた。) そして膝枕で7時過ぎから就寝。明日になれば良くなってますように。
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こどものとも50周年記念ブログ http://www.fukuinkan.com/kodomonotomo/ 色々面白い。
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大橋歩「着物は楽しい」(2006-036) (再読)
着物の本も色々読んだので、この本がなんでいまいちだったのか再読してみた。あまり着物に詳しくない人が書いた本を読んでもつまらないからだった。
井上愛子「きもの」(2006-037) 保育社カラーブックス(1966年11月)
懐かしいカラーブックス。本屋さんのぐるぐる回るワイヤーの棚に入ってたくさん売っていた文庫のシリーズ。 1966年=昭和41年の本なので、「学窓を出た、若いかたたちが、和服を着る機会はすぐに訪れてきます。」なんて一文から始まる。普段着についての話と帯合わせの写真を(あまりこういう本がないので)舐めるように見た。かっぽう着が後開きなのは帯結びが邪魔になるからなのね、なんてことも分かる。ウールや化繊の着物も出始めで歓迎されている。 でも色無地で慶弔両方につかうのは「わたくしは、あまり賛成しません」とばっさり。
この本手元に欲しいなぁと思って女海賊の店に聞いたら古書で1,000円だって。あらそ。
笹島寿美「きもの口伝 帯のはなし 結びのはなし」(2006-038) 世界文化社(2003年6月)
着物に興味を持って知ったことのひとつは、世の中にはきもの研究家がたくさんいるということだった。この方もきもの研究家。本の内容は色々な帯の結び方を枕に自分の体験などを書き綴っているので、それほど一般的な本ではなかったが「簡単な結び方ほど難しい」は肝に銘じておこう。
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