2004年10月16日(土) |
幸せ食べたのだあれ? |
幸福とは「何でもある」ことにこそ存在する より豊かな食材と 選び抜かれた娯楽に 欲望をかき立てる最新の情報 決して飢餓感を抱かせることのない物質に溢れた究極の街を出現させること さらに「何でもある」さえ通り越すことによって 即ち最早「要らない」で満腹になった街ができあがる やがて心の中は満たされないものばかりで満たされてゆき しばらくすると何もないことに気づく叫びが聞こえてくる 何も残らないことにのろしを上げようとする者もいる 気に入っても気に入らなくても自分の思い通りに操れるゲームのように 自分の好きなようにのめり込み 自分の好きなように無視してしまえる 「何でもある」を与えられたヒーローたちは 豊かさの中でもがき始める おしまいには心の中に何も残らないことに気づき そしてもどかしさを感じ出す 気づいた頃にはもう情報と経済が子どもの魂を手に届かない欲望の彼方へ売り飛ばし 豊かな社会に弄ばれ捨てられた子どもたちが次第に小さな心を病んでゆく 自分でも扱いきれるはずのない子どもの心を親は見切れるはずもなく 子どもの心を壊した究極の犯人をどこに見つけることもできない 親から 先生から 地域から 物質世界から 情報社会から 見捨てられる恐怖を抱いた子どもたちは 何もないなら 何もつながらないなら どうせなら思い通りに過ごそうと思い始めるのだ だから全ての人を値踏みして どれだけ自分の思い通りになるか確かめてみる 10年後20年後になれば その子たちが今度は親になって戻ってくる 豊かな心を育むその豊かさはもうどこにも残っていないのだから 心まで食い尽くした残り物を食べるのは 次の世代ということになるのだけれど そんな時代にあなたは結婚して子どもを育てる勇気ありますか
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