へい太の日記

2003年03月15日(土) 見えない仮面

見えない仮面
つけてみたり
はずしてみたり

電車の中 二人並んで座ってる 老婦人
「好きだったあの人は戦争にいってしまった 50年経っても忘れられないわ」

ライブが終わり 目の大きな広島出身の彼女と一緒に
布ケースのサックス抱え 乗り込んでくる 楽譜がバッグから覗いてる

ひとりで 乗ってくる 白い丸っこい顔
大きな布のバッグ肩から提げて
ひとり ゲーム本 読みふけっている

駅の自動改札を抜ける ケイタイでメール読みながら
コンビニのレジ
待たされた後の「いらっしゃいませ」と「ありがとう」

ホテルの部屋で はしゃぐテレビ横目に晩ご飯
翌朝チェックアウト
階段降りたところで掃除のおばさんとすれ違う
おはように仮面を溶かされる

見えない仮面
つけてみたり
はずしてみたり



2003年03月08日(土) 言葉

朝ホテルの前で出会ったおばちゃんの
お早うの一言が
ずいぶんと近づける

ずいぶん待たされたスーパーのレジのお姉さんの
いらっしゃいませとありがとうございましたが
よけいにいらだたせる



2003年03月06日(木) 禁ずるな

タマネギの皮がだんだん厚くなる
あのころはいったい何であんなことにこだわっていたのだろう
内側に過ぎゆく自分のタマネギの皮を見守る

心を傷つけるななんて誰が言った
そのおかげで自分を自覚できるようになったんじゃないか
優しく守られて
いつまでも傷つくこともなく育ってゆけば
いつまでも心が育つこともなく

傷つけばいいんだよ
心が傷だらけで
自分が何なのかはっきり分かって


だれが心を傷つけることを禁じたんだ
言葉は暴力と同じよなんて誰が言いだしたんだ
心の傷は元に戻らないと誰が言ったんだ

その通り心の傷は決して癒えることはない
しかし、その傷を元に人は大きく変わって行くのじゃないか?
どんどん育つタマネギのように
あのころの自分は小さかった
あのころの自分は単純だった
あのころの自分は未熟だった
外側から外側から自分を振り返ることができるのじゃないか?
内側に傷を負っていても外側がしっかりしていれば何も問題はないじゃないか
次々に新しい皮を作るタマネギ
よい皮も傷ついた皮もどんどん内包しながらタマネギはどんどん育つ


タマネギを剥きながら内側へ内側へ振り返るよりも
振り返りながら涙するよりも
うちに傷を秘めたまま
あのころはと振り返ろうじゃないか
幼かったな つまらなかったな 
今だったらこうするのに つまらないやつだな
今だったらこうするのに 未熟なやつめ
今だったらこうするのに 余裕のないやつだな

誰が心を傷つけるなと禁じたのだ
心の傷が芸術を生む
心の傷が思いやりを生む
心の傷が自分を作る
心の傷が自己を作る
心の傷が自我を目覚めさせる

けして心の傷を癒すのではないし
全知全能の心にするのではないし
何をしていなくても棚ぼたの心にするのでもない
優しく大事に育てられたなら
けしてこの子の心は育つことなどなかったろう




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