馨絵詞〜かおるのえことば
楽しいことも、そうではないことも。

2005年09月14日(水) 大選挙〜国民審査を考える

選挙って小選挙区で議員さんを1人選びますね。
比例区のほうで政党を1つ選びますね。
でもこれで終わらない。
もう1枚投票用紙があるんですね。

それが最高裁判所裁判官国民審査、であります。
選挙はこれから議員になる人を選ぶんですけれど、こっちはすでに裁判官になっている人たちなんですね。
で、彼らに今後も任せるか、それとも辞めさせるかを選ぶ。

投票用紙には審査対象の裁判官の名前が書いてあって、「辞めさせたい者に印を付けよ」とある。
でもね、正直これってどうですか?

   ◆

選挙だったら街頭演説や政見放送で、付け焼刃的であるにせよ候補者本人の話を聞くことが出来ます。
でも裁判官さんたちの話なんて、彼らと知り合いでもなけりゃ聞く機会なんてありませんよ。

そんなわけで投票直前に新聞に挟まってる審査公報を読む。
有権者にとってはこれがほぼ唯一の判断材料になるわけです。

でもね、「誰が良いか」ではなくて「誰がダメか」を選ぶわけですよ。

略歴を見るわけですけど、皆さん立派な大学の法学部を出ていらっしゃっる。
弁護士の経歴があったり、法学部の教授だったり最高検検事だったり。
文句の付けようの無い経歴を持っていらっしゃる。

そんな方々に向かって一般の国民が、ましてやフリーターの稲葉が「お前ダメだから辞めちゃえ」なんて言えっこないよ。

いや、仮に中卒なんて経歴の人がいたとしますね。
コイツなら落とせるかっていうと、「でも中卒で最高裁判所にいるんだから相当に賢いんだろう」なんて思っちゃって、やっぱり落とせないよ。

   ◆

略歴は材料にならん。
そこで「過去に関与した主な裁判」を読む。
これだって落とすポイントになるほどの物は書かれてない。
判決も全員一致って書かれているのがほとんどだし。
「他の裁判官が有罪とする中でただ1人無罪を主張」なんてのは無い。

しかも1人「判事になって日が浅いため、特に記すべきものなし」なんて人がいる。
おいおい、こんな人を落とせないって。
「これから頑張れ」って言ってやるしかないじゃないか。

「裁判官としての心構え」や「信条」も文句無い立派な内容で似たり寄ったり。

   ◆

つまり、この国民審査ははっきり言って機能していない、と思うのです。
「嫌いだった中学の先公と同じ名前だから気に入らねえ」とかでもない限り、用紙に×は付けませんよね。

国民審査を意味あるものにするには、公報に「略歴」や「過去の裁判例」なんか載せない。
それよりも「同僚達の評判」とか「裁判で一緒になった検事・弁護士・被告たちの証言」とか、そっちの方がずっと判断する材料になります。

「前の日の酒が残った状態で開廷してました」とか。
「彼に貸したビデオがなかなか返ってこないんですよね」とか。
「元秘書ですけど『未必の故意ってどういう意味?』って聞かれたことがあります」とか。
「わめく被告に向かって『黙れ!』と一喝したことがあって惚れちゃいました♪」とか。
そういう方が公報も読んでて楽しいし投票のしがいもあるってモンです。

どうかご一考願えないでしょうか。


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稲葉 馨

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