読書日記

2001年08月09日(木) 「ミッシング・イン・アクション」(P・ロビンスン)「石になった人形」(泡坂)「麗子は微笑う」(久世)を読んだ。

「ミッシング・イン・アクション」(ピーター・ロビンスン)「石になった人形」(泡坂妻夫)「麗子は微笑う」(久世光彦)

「ミッシング・イン・アクション」の時代は1939年、場所はイギリス。ジョニーという九才の男の子が行方不明になり、変わり者と評判の四十代の男コリンが疑われる。教師でもある特別警察吏バスコムがアクシャムという町でジョニーを探し出して連れ帰ったとき、悲惨な結末が待っていた。バスコムの一人称による人探し探偵物。非常に渋い「文学的」作品。今年のアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀短編賞受賞作。(早川書房「ミステリマガジン」2001年9月号所収)

「石になった人形」は1983年「小説現代」8月号掲載の曾我佳城もの。腹話術師の小榎麗那が毒殺され、人形のマイクロコン太が入っているはずのトランクケースの中には石が詰まっていた。発声で腹話術師の一番困るマ行、バ行、パ行についてが推理の要点になっているので、今はそれらを克服したいっこく堂がいるなと思った。(講談社ノベルス「花火と銃声」1988.6所収)

「麗子は微笑う」は「蕭々館日録」(中央公論新社、2001.5)の第一章で、時代は1926年、場所は東京本郷弥生町の小説家児島蕭々の家。その蕭々館と称する家にやってくる<澄江堂>九鬼、帝大美学講師の迷々、出版社の社長兼作家の蒲池、詩人でもある精神科医師の並川たちの言動が五才の娘、麗子を通して語られる。夏目漱石の「我輩は猫である」に通じるような秀逸な会話物語である。この第一章はコメディであると同時にホラー小説である。
 1935年東京生まれのこの演出家・作家はもう見逃せない。

 ルーファス・キングの文庫本はなかなか古本屋に出なかったが、「不変の神の事件」と「不思議の国の悪意」がやっと出た。スティーブン・マーロウという人の「幻夢 エドガー・ポー最後の5日間」を一緒に購入。いずれも新刊のときに買うか買わないかで相当迷った本である。特に創元推理文庫の新刊は見た目がいつも魅力的なので我慢するのが大変で衝動買いを誘う。
「ミッシング・イン・アクション」の時代は1939年、場所はイギリス。ジョニーという九才の男の子が行方不明になり、変わり者と評判の四十代の男コリンが疑われる。教師でもある特別警察吏バスコムがアクシャムという町でジョニーを探し出して連れ帰ったとき、悲惨な結末が待っていた。バスコムの一人称による人探し探偵物。非常に渋い「文学的」作品。今年のアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀短編賞受賞作。(早川書房「ミステリマガジン」2001年9月号所収)

「石になった人形」は1983年「小説現代」8月号掲載の曾我佳城もの。腹話術師の小榎麗那が毒殺され、人形のマイクロコン太が入っているはずのトランクケースの中には石が詰まっていた。発声で腹話術師の一番困るマ行、バ行、パ行についてが推理の要点になっているので、今はそれらを克服したいっこく堂がいるなと思った。(講談社ノベルス「花火と銃声」1988.6所収)

「麗子は微笑う」は「蕭々館日録」(中央公論新社、2001.5)の第一章で、時代は1926年、場所は東京本郷弥生町の小説家児島蕭々の家。その蕭々館と称する家にやってくる<澄江堂>九鬼、帝大美学講師の迷々、出版社の社長兼作家の蒲池、詩人でもある精神科医師の並川たちの言動が五才の娘、麗子を通して語られる。夏目漱石の「我輩は猫である」に通じるような秀逸な会話物語である。この第一章はコメディであると同時にホラー小説である。
 1935年東京生まれのこの演出家・作家はもう見逃せない。

 ルーファス・キングの文庫本はなかなか古本屋に出なかったが、「不変の神の事件」と「不思議の国の悪意」がやっと出た。スティーブン・マーロウという人の「幻夢 エドガー・ポー最後の5日間」を一緒に購入。いずれも新刊のときに買うか買わないかで相当迷った本である。特に創元推理文庫の新刊は見た目がいつも魅力的なので我慢するのが大変で衝動買いを誘う。


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