2001年07月30日(月) |
北村薫「リセット」読了。森鴎外「独身」を読んでみた。 |
北村薫「リセット」読了す。 1995年の「スキップ」、1997年の「ターン」そしてこの2001年の「リセット」と読んできて、なんといっても「スキップ」が面白かったと思うが、複雑な気分でもある。「ターン」は「スキップ」とは雰囲気や設定に相当の違いがあって、さわやかさはあったが、意外性に乏しいぞ、「スキップ」を超えていないぞ、と言いたいの我慢して面白く読んだ。今回の「リセット」は当然「スキップ」を凌駕しているにちがいない、と余裕で臨んだ。至福の時到来!物語神降臨!信じて読み始めた。 「盤面の敵」の作家がたくらむ大きな仕掛けを期待した。 しかし、少女趣味的な語りで始まったセピア色した時代の物語は、たいしたうねりもないまま途中で語り手が変わり、変わっても話は予定調和的にしか展開せず、終わってしまう。残念ながら、達者な語り口のおかげで飽きずには読めたが、はずれだった。「盤面の敵」の凄さがあれば、と思った。 最近似たような話を読んだと「ライオンハート」(恩田陸)を想起した。「スキップ」も連想した。 「スキップ」は過去と現在の途中が消える話。「ターン」は現在の時間が過去と連環する話。では「リセット」は、死んだ人間のこころ(?)が別の人間の体に転生して愛を成就する話。愛は時間を越える話というべきか。やはり「ライオンハート」に似ている。 取材や参考文献の多さで時代背景については十分説得力を持ち得た。が、その分遊び方を間違えた作品になった。もちろん、それでも十分面白いのだが。 森鴎外の「独身」という短編を読んだ。甘口の文章のあとにちょっと辛めのをと岩波書店の「鴎外選集第二巻」(石川淳編)の冒頭の作品を読んだのだ。 「小倉の冬は冬といふ程の事はない。」で始まる、明治四十三年発表のものだが、現代的である。要するにいい年をしていまだ独り身の男たちのそれなりの当たり前の話で文章以外に取り柄があろうとは思われない。食事などもまともに用意できないので友達を家に呼んで酒を飲んでも酒の肴はうどんになってしまう。「饂飩」「饂飩」とこの字面がやたらに出てきてそれが印象的だった。今から九十年程前の小説で描かれていることが今とそれほど違わない点も妙だ。
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