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底辺と日付

2006年11月23日(木)
私のマシンのHDDが満杯になってしまい困っていた。
外付けのHDDを買うことにして、整理。

hiroとの写真はみなケータイで撮ったものだ。
そのまま保存しているから日付が残る。
ぼんやりと眺めていた。

出会い始めの頃の写真がないのはケータイを海に落としたから。

hiroの顔の写真が多いのは当然だけれど中にはその頃の私もいる。
hiroが作ってくれた料理やコテージに泊まりに行ってくつろいでる写真や。

写真を見てこの頃の私はこう感じていたというのがすぐに蘇る。
何していたかも蘇る。

ふと出会ったときからどれだけたったのかと指折り数えた。
いつも何かしら不安を抱えていた私の写真はなぜか見るとさみしげだ。
今もさみしい。
そのさみしさを埋めるように私はいっぱい写真を撮ってた。

きっといつまでも私はこのさみしさとともに生きていくのだろう。

おもしろいのは出会ってすぐから、いや、多分hiroが入院してからだろうな、親密さは変わっていない気がする。写真を見ている限り。
うわついた気持ちだけならここいらへんで終わってただろうななんて場面がいっぱいある。私はほれているのだからしょうがないとしても、hiroはこの時々に何を思っていただろうか。

濃密な時間を過ごしていたのかもしれない。それを改めて感じた。
いつの間にか鈍化してしまいつつある自分の気持ちに気付いた。

上手に生きていくためには必要なことなのだが、やはり、私はうまくできない。hiroとの写真を眺めてそう思った。

自分を大切にしなきゃと周囲を見て思う。
私はそれがとてもへたくそだ。どちらかというと自己犠牲に走る。
アンバランスな心だ。

何かをしようとしてそれを忘れて次のことをして。
本を読んだり、ネットを見たり、次の瞬間またアレと思い出して次のことをしている。
ぼんやりとしている。

写真はいつも楽しげでいいなあ。
撮っている私の気持ちも蘇る。
hiroとこうしてうれしい、楽しい、会いたい、幸せだ、などとその時々の気持ちが写真に一緒に入っている。
色あせるどころか、いつまでも変わりなくある。

私が年老いてこれを見たらどんな気分になるんだろう。
その頃私はhiroはどうなっているんだろう。


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